Coolier - 新生・東方創想話

器を背負う

2021/08/26 20:37:08
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 おい、聞いたかあの話。
 ん、何の話だ?
 お前、知らねえのか? 馬が空を飛んだ、って噂で町中持ち切りだぜ。
 馬が空を飛ぶ? なんだそりゃ。お前、そんな話信じたのかよ。
 いやいや、俺だって丸ごと信じたわけじゃねえさ。でもよ、もし本当だったら面白れぇじゃねえか。なんでも、元々いい馬が多い土地の馬だって言うし、何頭も捕まえりゃもう一匹ぐらいいるんじゃねえか?
 へっ、どうだかな。



「鬼退治、ですか」
「まあ、鬼と言っても本当の鬼じゃないわよん。あくまで通り名」
「……もしや、最近噂になっているあの輩でしょうか」
「そうそう。話が早くて助かるわー」
「それで、何故私に?」
「だって、貴方なら上手くしてくれるかなーって。ああ、別に退治と言っても消さなくてもいいのよ。そいつがこっちや地上に来られるのは困るから、畜生界で囲っておいてくれればそれでいいわ」
「勝手に話を進めないで下さい。私だって暇ではありませんし、そもそも協力する義理はありません」
「そう言うと思った。でも、私達だってそっちにあまり干渉したくはないし、貴方だって、されたくないでしょ?」
「……」
「そいつが地獄に乗り込んできて新勢力になられても困る、あんな暴れ馬が誰かに飼われても困る。……だから、ねっ?」
「貴方から見ても、その鬼はそれほどの存在ですか」
「ええ」
「……分かりました。引き受けましょう」
「ふふ、悪だくみも早くて助かるわー」
「では、少しでも情報が欲しいので、その者の名を教えて頂きたいのですが。通り名だけでは調査にも不便ですので」
「あー……、それがねえ……」

・二章。早鬼が暴れているところを八千慧視察
 切り立った崖に腰を下ろす八千慧の眼下で行われていたのは、シンプルな一騎打ちだった。手出し無用の一対一、最後に立っていた者が勝者という、どんな畜生でも分かる決闘方法だ。
 体格に差のある二名が相対し、両者を取り囲むそれぞれの配下達が囃し立てる中、叫ばれた決闘開始の一声。だが、それは一瞬で決着がついた。
 片方が一気に距離を詰め、どてっ腹に叩き込んだ跳び蹴り。たったその一撃で、もう片方のいかにも力自慢といった図体の大きい熊の動物霊が地面に頽れたのだ。
 対格差をものともせず打ち倒す脚力もさることながら、空を駆けたと言っても過言ではない動き。両者を兼ね備えた、あの者が。
「あれが件の、ですか」
「はい。あの素早さと鬼のような強さから、素早い鬼で“早鬼”と呼ばれているようで」
「至極単純な名ですね。まあ、通り名なんてそんなものでしょうが」
 八千慧は傍らでふよふよと浮かぶ部下のカワウソ霊と言葉を交わしながらも、視線は崖下から離さない。
 その瞳が捉えているのは、未だ倒れ伏す熊とは対照的に、傷一つなく余裕の表情を浮かべ立っているもう一人、早鬼と呼ばれた者。
 見目は細身の女ながら、頭には黒い馬の耳を生やし、背中には同じく黒い翼を背負っている。更に目線を下げればこれまた黒い尻尾がある。尻尾自体にこれと言った特徴は無いが、馬の耳を持っていることを踏まえれば、こちらも馬の尻尾だろうか。
 素直に受け取れば、翼の生えた馬の畜生が人の姿を取った外見。この世界――畜生界のみならず、地上や地獄含め――にはああいった人間と似た外見を取れる者がいるが、そのどれもが多大な霊力や妖力を秘めた存在だ。つまり、あの早鬼もそうだろうと、同じ存在である八千慧は頬を撫でた。
「で、本当の名はやはり分からない、と」
「色々と手は尽くしましたが、どうにも……。早鬼という名が広まり始めた頃から本人すらずっと早鬼を自称しており、全く情報がありませんでした」
「ふむ……。他はどうですか?」
「ええと、早鬼の噂が広まり始めたのは比較的最近ですが、いつ頃から畜生界にいたのかは不明。しかし、弱きは挫かれるこの世界であれだけの強さを隠し続けるのは至難ですので、やはり最近来た者と思われているようです。また、どの組織にも属さずにああして日々喧嘩に明け暮れており、潰された組織も小規模から中規模までいくつもあります。あそこにいる配下のオオカミも元は別の組織だったのですが、単身で自分達全員を負かした早鬼の強さに惚れ込んだらしいです」
 カワウソ霊は早鬼側の陣営に佇んでいるオオカミ達に視線を送り、八千慧もそちらを見やる。数は相手方の熊の配下に比べれば遥かに少ないが、そいつらよりも遥かに精鋭揃いに見えた。
「珍しいですね。弱小組織が大きな組織に吸収されるのはよくある話ですが、組織を立ち上げるほどの強さとプライドを持つ者が自ら志願してとは。それも、なかなかに粒ぞろいのようで」
「カリスマってやつですかね。あ、勿論吉弔様の方がずっと上ですけれど!」
 負けられないと言わんばかりに張り切った声色での言葉を、八千慧は「はいはい、ありがとうございます」と受け流すと、また別の問いを投げ掛ける。
「それで、何か足掛かりになりそうなものはありましたか?」
「それが、名前と同じくそちらもどうも……。単純に武力では、その、吉弔様でも厳しいでしょうし、地位や物品にも興味はないようで。様々な組織から勧誘を受けていたみたいですが、何を提示されても靡かず全て断っていると」
「あの決闘も、以前勧誘を断られた腹いせでしたね。馬鹿ですよねえ。組長直々でもまず敵わないでしょうに、あんな三下を送り込んでどうするつもりだったんだか」
 八千慧は鼻でふんとせせら笑うと、組んでいた脚を組み直して口元の前で両の指を組む。傍らのカワウソ霊はその仕草を見ると、口を閉ざしてゆっくりと脇に体を下ろす。このお方の思考の邪魔をしてはならない、と。
 八千慧の真紅の瞳は、血気盛んな悪鬼を見つめていた。当の鬼は余程つまらない相手だったのか、欠伸すらしている。オオカミ達も大将の勝ちを確信していたのだろう、敗北に慌てふためく向こうとは違い、堂々としている。だが、しっかり振られている尻尾はご愛嬌か。
 しばしの沈黙の後、八千慧は静かに息を吐くとすっと立ち上がった。
「では、私達は戻りましょうか。監視は継続、何かあれば細かなことでも報告するように言っておいて下さい」
「はい! 了解ですっ!」
 八千慧は最後に早鬼を一瞥し、一度だけ眉を顰めると背を向けて歩き出す。
 方針は決まった。まずは早鬼の正体が何者かを知り、隠された瑕を暴き、利用する。早鬼を制するために。そして、自らのある計画のためにも。



 自身の拠点に戻った八千慧は、早速書斎にこもって地上の古い書物や外の世界の歴史書を読み解き始める。時折外部から持ち込まれる、畜生界では価値が分かる者が少ないそれらを本棚から取り出してはぱらぱらと捲っていく。
 その傍らには一緒に早鬼を見ていたカワウソ霊もおり、八千慧の、あっちの本を、そっちの本も、という指示に従ってあちこち飛んでは、本を引き出して机に並べていく。
 あれだけの強さなら、無名の存在ではない。名前が分からないとはいえ、一見で馬と翼が生えた妖と分かるなら、正体不明を売りにした者ではない。依頼者の口振りを考えるに、向こう側の伝承に語られるタイプでもない。そんな風に、確たる証拠はなくとも消去法で候補を絞りながら、隠された鬼を追い詰めていく。
「む……」
 その追跡の途中、八千慧はあるページで手を止めた。
 甲斐の黒駒なる、馬にまつわる伝承だ。曰く、ある人物が使わせた駿馬が甲斐の黒駒だった、という話。そして、もう一つ。さる人物が数ある馬から名馬を見抜き、なんとその馬は空を飛んだ。その馬は甲斐の黒駒だった、という話。
 八千慧は二、三回その前後の文章も含めて細かく読み直すと、口元に手を当てて思考を巡らせる。
 可能性はある。しかし、微妙な食い違いもある。無視していいものか? こっちの方か? いや、こっちはこっちであの特徴的な外見の理由にならない。
 それからしばし考えるものの、自らを納得させる答えは出ず、そのページを広げたまま本を机の上に置いて自らも椅子に腰を下ろし、カワウソ霊に呼び掛けた。
「少し、休憩にしましょうか。水を貰えますか」
「はいっ。少々お待ちを……。どうぞ!」
 カワウソ霊はいそいそと水差しから小さなコップに水を注ぐと、丁重に八千慧に差し出す。乾きを癒すには少々物足りない容積のコップではあるが、カワウソ霊にも持ち運べ、休憩をついつい長くし過ぎないようにするには向いている大きさだった。
「ありがとうございます。しかし、どうしましょうかね……」
「応援を呼びますか? 私達では力不足なのは重々承知ですが、単純に目が増えるだけでも意味があるかも知れませんし……」
 カワウソ霊は続けて、監視部隊以外の、現在拠点に残っている配下達の名を上げていく。八千慧はそれを水を飲みながら聞いていたが、ふと、あることを思い付きカワウソ霊に尋ねた。
「少しいいですか? もし、貴方が高名な者に重宝され名も授かったとして、その名はどうします?」
「……つまり、吉弔様から頂いた自分の名前を、ですか?」
 カワウソ霊は首、というより体全体を捻る。ここにいる配下達の名前は、集団で生きていた者はその時に使っていた名前、そうでなければ、八千慧が授けた名前だ。
 そして、このカワウソ霊は後者だった。
「それで構いません。もしも、それが生前のものだとしたら?」
「一生名乗りますとも! それこそ、死んでからも!」
 カワウソ霊の嬉々とした返答に、とりあえず空いている手で頭を撫でてやりながら、思考を巡らせる。
 何故、奴はこんな世界でつけられた通り名を名乗る? 私達のような者は、妖や怪異、不可思議として生きた記憶と歴史が形成しているとも言える存在なのに。
 何事にも例外がある、と言えばそれまでだが。
「もしや……」
 八千慧は閃いた。後は、どうなるとそれが起こってしまうか。改めて、既に頭に叩き込んだ先程の文章を反芻し、考える。
 二つの伝承の差異を、内容を、時代を、民衆がどう受け取るかを、どう伝わっていったかを。最後に、どうなるかを。
 その思考の果てに、八千慧は幻を掴んだ。
「……吉弔様、何かお考えが?」
 自らを撫でていた手がピタリと止まり、恍惚としていたカワウソ霊が少し遅れて尋ねると、八千慧は残りの水をくいと呷り、空になったコップを机の上に置く。
「はい。なかなか楽しめる問題でしたよ」
 八千慧は口の端を緩く綻ばせるとにやりと笑い、次の問題へと移る。
 それは、この手にした名をどう利用するか。しかし、これはすぐに結論が出た。既に回答が導かれている穴埋め問題など、八千慧にとっては造作もないことだった。



 じゃり、と洞穴の入り口の砂を踏む足音に、奥で寝転ぶ早鬼の傍らに構えていたオオカミ霊がすぐさま臨戦態勢を取り、低い唸り声を上げる。
 しかし、早鬼はそのオオカミ霊の前に手を伸ばすと、それ以上の行動を制した。
「待て、相手は一人だ。それに、喧嘩を売りに来たわけじゃなさそうだ」
 早鬼は焦る素振りも見せずに体を起こすと一歩踏み出し、自身の住処の前に立つ者に向かって声を張り上げた。
「誰だお前は?」
 すると、そこに居た者は、恭しく――そして、わざとらしく大仰に――頭を下げた。
「お初にお目にかかります、吉弔八千慧と申す者です。貴方が、早鬼、と呼ばれている方ですね」
「ああ、そうだ。……それで、吉弔とやら。私に何の用だ?」
 早鬼は更に一歩踏み出す。もう一歩踏み出せば拳が届き、脚であればここからでも十分に届く。早鬼を知る者であれば絶対に避けたい、もはや逃げることも不可能な距離。しかし、八千慧は一歩も引かなかった。
「喧嘩って雰囲気じゃないし、もしかして勧誘か? 最近多いんだよ、うちの組織に入らないかって」
「いえ、違います、そんなくだらない用事ではありません」
「それはよかった。ああいう手合いは困るんだ。誰の下につくつもりも無いって何度言っても聞かないし、あげくは力ずくだからな」
「それはそれは、お気の毒ですね」
 頭を掻きながらやれやれと早鬼が苦笑すると、八千慧も口元を隠してくすくすと笑う。
 そんな柔和な空気も束の間、早鬼は頭を掻いていた手を止め、赤く鋭い眼光で八千慧を捉えた。
「で? それなら、くだらなくない用事ってのは?」
「貴方に、自分自身を分かってもらおうかと」
「……どういう意味だ?」
 大方、会話の導入を捻っただけでどうせ勧誘の類だと早鬼は思っていた。他の組織が今まで提示した条件はさぞくだらないのだろうが、自分達は違うぞ、特別だぞ、というような限りなく浅はかな考えだろうと。
 しかし、全く予想外からの刃に思わず一息呑み込んで、聞き返す。
「単刀直入に言いましょう。貴方は自分が何者か知らないのでは? 私は、知っていますよ」
 既に八千慧の顔にも先程までの弛緩した様子はなく、瞳の奥では鮮やかな紅が強く輝いている。
 その瞳だけで、早鬼は直感した。嘘ではない、と。
「……なるほど、そういう用件か」
 早鬼は顔を伏せてくっくと笑うと、未だ飛び掛かる直前の低い姿勢を維持していたオオカミ霊達の方を振り返り、手を軽く掲げた。
「悪い、少し席を外す。こいつと、二人で話がしたい」

・四章 早鬼と八千慧の対談を
 洞穴から数十歩歩いただけの、特に目印も何もない、開けた場所。早鬼はその辺りの倒木を蹴りで二つに割ると、幹の上半分を雑に蹴り転がして根本側の半分と距離を取ると、どかりと腰を下ろす。八千慧も何も言わず聞かず、根本側の幹に淑やかに腰を下ろした。
「さて、早速詳しい話を、と言いたいところだが……。その前に二つ、聞かせて貰おう」
 口調こそ落ち着いてはいるが、鋭い眼光を伴っての言葉は有無を言わさない強さがあった。しかし、八千慧は一切動じず、静かに返す。
「どうぞ」
「まず、何故私が自分の名を知らないと分かった? そのことは誰にも、それこそ私について来ているオオカミ達にすら言っていないのに」
 初対面の癖に、本人以外知りえない情報を知っている。それも、名前という個人を表す核でもある部分を。
 提示された一つ目の問いに、八千慧は逡巡も見せずに口を開く。
「その理由はいくつかありますので、順を追ってお話しましょう。まず、貴方は私のことを知らないのでしょうが、私は少し前に貴方のことをある方から聞いていまして。その方はなかなかに事情通なのですが、貴方の通り名は知っていても名前は知らず、おや、と思いまして」
 八千慧は顎に手を当てて首を傾げる仕草を挟むと、再び言葉を続ける。
「その後、私の方でも調べてみたのですがどうにも名前だけは全く出てこない。挙句、本人までも通り名を名乗る始末。ですが、だからこそ『本人すら知らない』という可能性に行き着きました。そして、その可能性を踏まえて、私は貴方と会った際に、まず自ら名乗りました。荒っぽい喧嘩の日々を送っていた貴方には珍しかったのでは?」
「ああ、そうだな。あんなに礼儀正しい奴は初めてだったぞ」
 早鬼は可笑しそうに笑った後、八千慧に続きを促した。
「あの時、貴方は傍らで勇んでいた配下を下げました。相手に敵意が無いこと、一人であることを見抜いて。あの行動は、この畜生界では少々不用心と言わざるを得ませんが、同時に相手への礼節を感じました。なのに、貴方は私が呼び掛けた名が正しいかを肯定するのみで、名乗り返したりはしなかった。これだけであれば見慣れぬ相手を警戒した、で説明はつきますが、元々抱いていた疑惑を七割確信くらいに変えるには十分でした」
「残りの三割は?」
「貴方に話を吹っ掛けた際に乗ったから、ですよ」
「つまり、私がお前の話を受け入れるまで、真の確信は無かった、と」
 八千慧はこくりと頷く。
 確信を得ないまま、しかし自分の推察を信じて赴き、あげくそのことを当人に教える。疑問をぶつけたのは自分とはいえ、その肝の座った態度に、早鬼はつい口角が上がってしまう。
「じゃあ、もう一つ聞かせてくれ。お前はその情報を持って来て、どうするつもりなんだ?」
「どうする、ですか」
「先手を打たせて貰うが、もし取引に使えると思っているなら間違いだ。確かに、興味は大いにある。自分のことだからな。でも、知らなくてもいい、と言ったら? 私は早鬼と呼ばれ、ここにいる。それでいいじゃないか」
 早鬼は八千慧を真正面に見据え、挑発的にはっきりとそう告げる。しかし、早鬼の口振りはこの宣言で切り捨てるものではなく、どう返してくれるんだ、と問い掛けるようだった。
 対する八千慧はそんな早鬼とは対照的に、静かに呟く。
「それでいい……。果たして、本当にそうですか?」
「何?」
「素早く、鬼のように強い。それで早鬼。なるほど、単純ながら大層な名ですが、所詮鬼と並べられ、それをよしとしているようでは、底は見えるという物」
 八千慧はこれまた早鬼とは反し、相手を嘲笑し吐き捨てるような、冷たい視線を向ける。
「名を付けて意味を与えるという行為は、その存在をその名に落とし込めるということです。貴方は自らの力を、自ら鬼と同価値にしてしまっている。その先を見ないまま」
 にやりと口の端を歪め、笑顔を浮かべる八千慧。だが、真っ赤な瞳に一切の笑みは見られない。
「万物には、その物に見合った器というものがあるのですよ」
「それは、私が鬼に見劣りすると言いたいのか? それとも、鬼に留まらないと?」
「さあ? それは分かりません」
 早鬼の疑問に八千慧は至極平然と首を横に振る。言葉を飾らずに言えば、知ったことか、とでも言いたげに。
「見合うというのは、器の大小ではなく、大きさを理解し背負うということです。大きい器には大きいなりの利点、小さい器には小さいなりの利点。勿論、欠点も含めて、自らとする。貴方が自身を正しく理解すれば、どこまでも果てはないでしょう」
 これまで姿勢よく座っていた八千慧は、両膝に両腕を置いて上半身だけを前傾に倒した。たったそれだけの仕草、距離で言えば殆ど詰まっていないのにもかかわらず、早鬼はつい息を呑む。
 僅かな沈黙を空けて、八千慧は一度だけゆっくりと瞬きすると、再び体を起こして姿勢を正すとにこりと笑った。
「おっと、話が逸れました。どうするか、でしたね」
 そして、その笑顔のまま、八千慧は首を軽く横に振る。
「取引には使えないと仰りましたが、実を言えば私もそこまで重要視はしていません。あくまでこの話は、手土産と接触の切っ掛けのようなものです」
 八千慧は組んでいた足先を組み直すと、緩く開いた手を早鬼へ向かって投げた。
「私が貴方に希望するものは、しばしの締結と互いの方向性の表明及び確認です。端的に言えば、お互いに暫くは手出ししないされない、ですね。これは貴方にも利がある話ですので、取引どうこう関係なく、受けない選択肢は無いと思われます」
「締結? 方向性? 何の話だ?」
 自身の本当の名の話題から急に話が見えなくなり、早鬼は目蓋をぴくりと動かして八千慧を訝しげに睨む。
 しかし、八千慧は淡々と言葉を続けた。
「今、この世界には半端な輩と組織があまりにも多い。貴方もそう思いませんか?」
 八千慧は以前早鬼が戦っていた、熊の動物霊の名と所属する組織名を上げた。その組織は規模だけで言えば上の下に届こうかというものだったが、結果はあのざまだ。
 更に、八千慧は報告で聞いた限りの、早鬼が潰すないし幹部格を蹴り飛ばしてきた組織名をつらつらと上げていく。早鬼はそれをしばし聞いていたが、大して興味もなく記憶もしていない名を列挙され、もういいもういい、とさっさと打ち切らせた。
「規模がどうとかどこの誰かとかは知らないが、それは私も同感だ。手応えを感じる奴にすら、未だ出会ったことがない」
「貴方にはそんな組織を、その中でも力自慢で売っているところを片っ端から潰して欲しいのです。悪知恵で小賢しいところは私が引き受けますので」
「おいおい、勝手に話を進めるな。お前の手土産に恩義は感じたとしても、そこまでする義理は無い」
 早鬼は若干慌て気味に待ったのジェスチャーをして遮るが、八千慧は小さく笑うのみだった。
「それが、そうでも無いのですよ。貴方にとっては服に付いた塵を払い、路傍の邪魔な小石を蹴り飛ばしていただけでしょうが、もう立派に畜生界の一員です。それに、ここは馬鹿馬鹿しい意地やメンツで生きている者が多い。これから先も、貴方に絡み付くうっとおしい風は吹き止まないでしょう」
 八千慧はいかにもくだらないと言いたげに嘲る声色で言うと、もう一つ、と付け足す。
「一つ目の質問への回答に、補足しましょう。私に貴方のことを教えた事情通の方は、畜生界の者ではなく、別の世界の者です。ここ以外にも、地獄界や人間界があることは?」
 早鬼は頷いたりはせずに口だけを動かし、オオカミ達から聞いた、とだけ教えた。
「既に貴方の存在は、危うい者として他の世界にも知られています。この畜生界を嫌って他の世界に行こうとしても、すぐに目を付けられ始末されるでしょう。勿論、貴方ほどであればその世界の有力者の二、三はどうにかなるでしょうが、精々そこまで」
 他の世界に雲隠れは出来ない――これは八千慧のはったりだった。八千慧も、他の世界で早鬼について知っている者がいるかどうかなんてことは知らない。
 しかし、それは早鬼も同じはず。それなら、ここまでに知らしめた、情報の優位性は自分の方が遥かに上だという事実を利用した。
「どうですか? それだけの力があるのです。今のように屑に絡まれ振り払い続けるのではなく、掌握する側になってみては?」
 八千慧はそこまで言うと、口を閉ざして手を早鬼に向ける。一方、支配する立場に回れ、などと唐突に言われた早鬼は頭を数回掻いた後、指で頭をこつこつと叩く。
「確かに、一理ある。一理あるんだよ、それは。実際、毎日雑魚に絡まれうんざりしている。私はあまり頭が回る方じゃないが、提示されたことの損得勘定くらいは出来る」
 早鬼は顔を少しだけ伏せると、射抜くような鋭い眼光で八千慧を睨む。
「だが、どうにもお前の手の平の上なのが気に食わない」
 その真紅に燃え滾る瞳は、生半可な者であれば恥も外聞もなく逃げ出すような力を持っていたが、八千慧は瞬き一度しただけだった。
「条件がある。まず、お前の持ってきた私についての話を聞かせろ。もしも、それで私が納得したなら、さっきの提案を呑もう。もし、納得出来なければ……」
 早鬼がそこまで言ったところで、八千慧は少し前の早鬼と同じく、待ったのジェスチャーをして、続きを遮る。
「必要ありません。……では、話しましょう」
 八千慧は手を戻して腰の辺りで緩く腕組みすると、語り始めた。
 書斎を漁り見つけた、甲斐の黒駒の二つの伝承。それを簡潔ながら要点はしっかりと抑え、滔々と。早鬼もその間、言葉は一切挟まずに黙っていた。
「……これが、甲斐の黒駒という伝承です」
「で、そのどちらか、もしくは両方が混ざったものが私だと?」
 八千慧が伝承について話し終わって言葉を区切ると、早鬼は条件を突き付けた時と変わらぬ挑戦的な声で尋ねた。
 もしも、ここで八千慧がそうですと頷けば、後は早鬼がこの話で納得したか否か、ひいては八千慧の提案を受け入れるか否かの話となる。
 八千慧は、首を縦に振った。言葉無くとも分かる、肯定の証。
「ですが」
 しかし、実際に口から出た言葉は、直前の仕草を補うものではなく。
「私は、この二つそのものでは無いと踏んでいます。とても、とても深くかかわりがありますが、別物は別物。違う」
 八千慧のあまりにもはっきりとした物言いに、早鬼は視線でどういうことだと訴え、八千慧もそれを受けて再び口を開く。
「異なるのです。それで伝えられる黒駒と貴方が。方や空は飛ばず、方や見目や気性が違う。因みに、空を飛ぶ方の話が後発だと見られているようですが、ならばこちらが嘘なのか? いや、そんな真偽はどちらでもいい。件の人物の偉大さを誇示する創作だろうと、まごう事なき真実だろうと」
 八千慧は早鬼をじっと見つめ、赤い瞳を細めた。一方、早鬼も弁舌を揮う八千慧の瞳を、黙って見つめている。
「どちらにせよ、半信半疑だろうと、大衆は信じたのです。名馬と伝えられた甲斐の黒駒は、なんと空まで飛ぶ、と。すると、人々の心中にある幻想が生まれる。空を飛ぶ黒駒という、幻想の生き物が」
「っ! まさかっ……」
 早鬼は目を見開いて、僅かながら――八千慧の前では一度も上げなかった――震えた声を上げた。
「ええ。……ですが、まだ、半分です」
 八千慧はこくりと頷くと、もう半分を語り始める。
 何故、早鬼がこの畜生界に、こうして八千慧の目の前に存在するのか。単なる一幻想ではない、人の姿を取れるほどに人々の幻想が詰め込まれた空を飛ぶ黒駒が、何故自らが何者かすら忘れ、ここにいるのか。
「何故か? 簡単です。貴方は、生まれて程なくして、死んだのです」
「……死んだ?」
 眉を顰め、早鬼はオウム返しに聞き返す。声はもう震えてはいないが、胸中に抱いている疑問の色は抜けていない。
「先程、甲斐の黒駒が空を飛んだ、という話をしました。甲斐の黒駒は元は名馬だったとも言いました。しかし、名馬だからと言って空を飛ぶとまで考える者はまずいない。移り変わったのですよ。甲斐の黒駒という名が持つ意味が、名馬から、空を飛ぶ馬を経て、また名馬へと」
 八千慧は更に続ける。
 もしも、甲斐の黒駒が空を飛んだと皆が噂すればどうなるか。そんな馬はいない、と思う者がいる反面、それを半信半疑でも信じ、獲得しようと躍起になる者も現れる。珍品収集に人生を掛ける好事家、下衆な優越感のみで生きる上流階級の人々、金の匂いに欲望をぎらつかせた商人。
 そして、噂とはいえ甲斐産の馬であることが割れているなら、程なくしてその噂の真偽も判明していく。
「実際には飛ばなかった。少なくとも、伝承として伝わる黒駒以外は。ですが、偶然か必然か、もう一つの伝承は確かだった。甲斐産の黒駒は、本当に名馬が多かった。そうなると、話は単純です」
 空を飛ぶ黒駒は、件の人物が手にしたもの以外に見つからなかった。しかし、その結果、移り変わる前の意味が改めて認められたのなら。
「人々の持つ、空を飛ぶ甲斐の黒駒という幻想の存在は、名馬の証として現実の存在となった。では、『元』甲斐の黒駒となってしまった貴方は?」
 八千慧は問う。だが、早鬼は言葉が出なかった。いや、出さなかった。既にお互いに解答を周知している疑問の答え合わせなど、必要無い。
「死んだのです。皆が抱いた幻想は、意味そのものを変え、存在自体が消えてしまった。貴方が、自分について分からないのも無理はない。そもそも碌に生きていないのですから」
 生まれたばかりの幻想は、自らを形成するものを何一つ感じることなく、人々の記憶から、根本の意味からすら抹消された。そんな存在が、己を理解しているはずなど無く。
「しかし、その幻想は死にながらも生きていた」
 大層な人物が手にした、大層な馬。皆の甲斐の黒駒への期待や憧れ、馬という枠組みさえ超えた、空を飛ぶ存在。それを背負った早鬼は、そのまま泡沫となって儚く消える存在ではなく、畜生界で暴れ回れるほどに力を持っていた。
「大衆の思い描いた黒駒という幻想が、貴方なのでしょう。名前通りの黒い見目に、並ぶ者のいない脚、少々喧嘩っ早いのは暴れ馬の方がいかにも名馬らしい、といったところでしょうか。おっと、最後のは馬鹿にしているわけではありませんよ」
 八千慧は小さく笑うと、最後に、と呟いて話を締め括った。
「貴方がいつ畜生界に現れたのか、それは分かりません。冬眠のように長い時を経て目覚めたのか、自我のない魂としてずっと彷徨い顕現する力を溜めていたのか、はたまた外的要因があったのか……。たとえどんな理由であろうと、貴方を形作る根源は間違いない。貴方は、黒駒なのでしょう」
 そう言い切ると八千慧は小さく息は吐いて、それっきり口を閉ざす。早鬼も何も言わないまま、沈黙が流れる。
 場を支配する、静寂。そんな中、不意に早鬼は顔を伏せると額の辺りを何度か掻いて、小さく頷くと再び顔を上げた。
「正直に話そう。私は期待していたんだ。今更ここに来て、お前がボロを出すなんてあり得ない。変わらぬ淀みなさで、どんな形の、どんな話でさえ、私を納得させてくれるんだろうと思っていた」
 八千慧は無表情のまま、何も言わない。まだ、早鬼が納得したか否かの返答を口にしていないから。対し、早鬼は今までとは気色の違う、見目よりも少し幼く見える朗らかな笑顔を浮かべていた。
「さっきの話だが、否定しようと思えばいくらでも出来る。だが、私は納得してしまったよ。何より、黒駒と聞いた時に感じた、懐かしい心地。ああ、そうだ。私は黒駒だ。記憶は無いし、お前の言った通りか否かは分からずとも、魂が、それを器だと確信した」
 そして、早鬼は堪え切れぬと言った様子で快活な笑い声を大きく上げると、晴れ渡った顔を八千慧に向ける。
「いい物だな、自分を理解する、というのは。今にして思えば、これまでの私は抜け殻のようなものだったんだろう。今なら、どこまでも飛べそうな心地がするくらいだ」
 語気は今までと変わらぬ、はっきりとした強い口調だったが、どこか感慨のこもった、しっとりとした声だった。
「それに、早速だがまず一つ、私に欠けていたものが分かったよ。だが、今はその欠けていたもの――野心が、沸々と湧いてきた。この黒駒という名、再び広めて見せようじゃないか。名馬でも空を飛ぶ馬でもなく、私として」
「では?」
「ああ、お前の見えない腹の底含めて信用し、呑もうじゃないか。私が私に馴染むまでの準備運動に丁度いい」
 決して少なくない数の組織と敵対するにもかかわらず、早鬼は準備運動だと一蹴する。そんな豪胆な物言いを八千慧は嘲るでなく、純粋に評価点として、会釈程度だが頭を下げた。
「ありがとうございます。ですが、実はもう一つ、ある話があります」
「何だと?」
「そして、その話は貴方は勿論、貴方が従えているオオカミや、私の配下にも聞いてもらいます」
「おいおい、次はどんな話が飛び出すんだ?」
「ご安心を、今し方のような難しい話ではありません。とても楽しい話ですよ」
 八千慧はにっこりと笑うと、その内容のあらましを話す。すると、早鬼も楽し気に大笑いした。



「しかし、まさかそのままの名にするとは思いませんでしたよ」
「何だかんだ言っても、早鬼というのも気に入っているんだ。大丈夫、私は鬼である前に黒駒だ。それを忘れるつもりはないさ」
「でも、字だけは少し変えたのですね」
「黒駒であって黒駒でない私が広めていく驪駒はこれなのさ。口で言うと我ながらややこしいが……、まあいいさ」
 呆れた顔も声も隠さない八千慧に対し、早鬼はそんなの全く気にしていない調子で応えると、八千慧が席につく傍らの机をとんとん叩く。
「それに、そのままって言ったらお前だって吉弔じゃないか。自らの器として、お前が吉弔を背負うように、私も驪駒を背負う。変わらないと思うが?」
「まあ、ご自由にどうぞ。驪駒自身のことですから」
 手をひらひらと振って、そっけなくあしらう八千慧。早鬼は笑顔のまま机の傍から退散すると、脇の椅子にどかりと座り込んだ。
「で、昨日頼んだことだが……」
「はいはい。気に入るかは分かりませんが……。これでどうでしょう」
 八千慧は脇に積んでいた白紙を一枚拝借すると、さらさらと文字を書く。そして、それを早鬼に向かって投げ、早鬼は椅子から立ち上がらないまま、宙を舞うそれを受け取った。
「勁牙、と読みます。意味は、驪駒の希望通り、強いとか鋭いとかそういうのです」
「……勁牙組組長、驪駒早鬼。……うん、悪くない……いや、最高にいいな!」
 早鬼はそこに書かれた字と、自らが背負う役職、名前を繋げて読み上げると満面の笑顔を見せる。
 早鬼が昨日八千慧に頼んだこと。それは、これから自らが先導していく組織の名前に、配下であるオオカミに由来する『牙』を付けるのは決まったが、その前に付ける程よく強そうで語感のいい文字がどうしても思い付かないから何か考えてくれ、というものだった。
「で、吉弔の方はどんな名前なんだ?」
 八千慧はもう一枚紙を抜き出すと淀みなく書いて、ぺらりと捲って早鬼に見せた。
「鬼傑組、です」
「……おい。この字は、傑物なんかの意味だよな」
「そうです」
「じゃあ何か? 鬼のように優れた者の組織ってことか? 私に大層なことを言った割には、組織名には使うのか?」
 同じく鬼の字を背負った者として、早鬼はあの時の八千慧の言葉を思い出しつつ尋ねると、八千慧は満面の笑顔を早鬼に向けた。
「鬼より優れた、ですが? どこぞの誰かも足蹴にするほどに」
 そんなことを宣い、よりによって足蹴とまで言い放った八千慧の言葉に、早鬼はたまらず大声で笑い、膝に肘をついて頬杖をつくと八千慧を睨む。その瞳に敵意は無い。
「吉弔、お前のことはいけ好かないが、そういうところは嫌いじゃない。あの日から、お前みたいな奴がなんでこんなところに居るのか不思議だったんだが、今、よく分かった。吉弔に空は退屈すぎる」
「よくご存じで」
 八千慧は自らの背負う組織の名前を書いた紙を脇に置くと、早鬼が訪ねてくるまで書いていた書きかけの紙に目を移す。早鬼は椅子に腰を下ろしたまま、そわそわと体を揺らしたり、足先でとんとんとリズムよく地面を叩いていた。
 それから程なくして、八千慧の配下であるカワウソ霊が二人のいる書斎にやってきて、八千慧に耳打ちをした。
「……状況が整ったようです。では、行きましょうか」
「ああ、うずうずしていたところだ」
「最初で最後の共闘ですね」
「どうだろうな。後、数回はありそうだが」
「そのこころは?」
「勘」
「……分かってはいましたが、どうにも私と驪駒の根本は合いませんね」
 けらけらと笑う早鬼の傍ら、八千慧は溜め息をついて、やれやれと首を振った。



 おい、聞いたかあの話!
 知らねえわけねえだろ! 最強と言われていたあの組織が一夜でぶっ潰されたんだぜ?
 それなんだが、なんでも続きがあってな。それはある二つの組織の仕業で、それを狼煙代わりに旗揚げ宣言したんだと。
 なんてとこだ?
 吉弔八千慧率いる鬼傑組と、驪駒早鬼率いる勁牙組だ。

 後日、畜生界を持ち切りにしたこの噂。これが真偽不明の噂ではなく、まごうことなき事実として広まっていくのに、それほど時間は掛からなかった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
奈伎良柳
https://twitter.com/nagira_yanagi
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コメント



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1.90奇声を発する程度の能力削除
楽しめました
3.100サク_ウマ削除
ミステリの美味しい部分だけ取り出した感じの味わいでした。なるほどと納得させられる解釈で良かったです。
4.100Actadust削除
驪駒の解釈を上手く物語に落とし込んでいるなという印象を受けました。
驪駒さんには強くあって欲しいものです。楽しませて頂きました。
5.90名前が無い程度の能力削除
良い解釈でした
6.100南条削除
面白かったです
八千慧が切れ者で素敵でした
7.80名前が無い程度の能力削除
文章もしっかりされていたのと、解釈に真面目に取り組んでいるのが良かったです。
キャラが好きなのも伝わっていて面白かったです。
設定語り作の印象が強いためもう一つ欲しかったかなと思いますが、十分良かったと思いました。
8.90めそふ削除
とても読み易い文章で、またキャラクターの解釈が深く、面白いと思いました。