いつも傍らにいた小さな彼女を、どうして分解してしまったのだろう。
その時の気分はメディスン・メランコリー自身にもうまく説明できない。ただ全てが終わったあとで、取り返しのつかない事をしてしまったと、なんとなく、無責任に了解した。同時に、なにかを物理的に分解してみても解など得られないという事もわかった。これは間違いなく学びだ――たとえその代償が大きかったとしても。
どうすればいいかしら、とメディスンはぼんやり考えた。彼女を壊してしまってからこっち、思考がひどくあやふやなものになっている。
どこか、この鈴蘭畑の土の下に埋めてしまおうか……だが、それは彼女の死を認めた事になってしまうだろう。
誰か、彼女をなおしてくれる人を捜してみようか……しかし、その人物が匙を投げてしまえば、本当に取り返しのつかないことをしたという後悔が募るばかりではないか。
そこで、メディスンはみっつめの愚かな選択をした。自らの手で彼女を修復しようとして、そしてこっぴどく失敗したのだ。メディスン・メランコリーには誰かをなおす事などできやしないという事実だけがそこに残った。
不器用に嵌め込まれた目から流れ落ちるどろどろしたものを眺めながら、メディスンは彼女の代わりに涙を流してやったが、それは単なる自己憐憫というものだろう。
翌朝、目覚めれば彼女が何事も無く傍にいてくれる事を、メディスンはちょっと期待していたが、そんなことは叶うはずもなかった。ただ、希望を抱く事ができるわずかの間に見た夢が、ぞっとするほど幸せだったのだけが印象深い。
起き上がり、破壊された彼女を見下しながら、昨日はたしかにあったはずの悲しみの分量が、刻一刻と目減りしている事に気がついて、戸惑う。傍らに転がっているのは単なる物質、ただの抜け殻だった。
メディスンは慌ててその場の地面を掘り、爪の先に土が入り込むのも構わず、手を動かし続けた。途中で掘り起こした二匹のナメクジかなにかを苛々と潰しながら、必死に穴を拡げ、整える。
彼女を埋めるときは自然と丁重な手つきになったが、同時になにか忌まわしいものに触れるときの所作でもあった。
埋葬を終えると、メディスンは後ずさり、無名の丘から逃げ出した。
「……私たちが行ったところで、どうにかなる事かしら」
「行って見てみない事にはわからないでしょう」
「それにしても、気晴らしにもならない面子」
昼下がりになって、メディスンが鈴蘭畑の外れまで引き連れてきた三人はひそひそとぼやいた。
「あなたの顔だって気晴らしにはならない」
「あら、もっとよく見てくれれば芯まで惚れ込むかもよ」
「……なるほど、歯並びがいい」
三人の毒にも薬にもならぬやりとりを背に、メディスンはおぼつかない足取りで、彼女の埋まっている場所へ、一歩、一歩と歩みを進めていく。
「ここは相変わらずね」
「でも、あらゆるものが移り変わってはいるはず」
「変化が有ったところで観測できなければ、無いも一緒なのかもしれない」
そんな三人の声もいつしか遠のく。足がもつれて、崩れるように次の足が出ていた。数刻前に逃げた時と同じ速さで、丘を駆け上っていた。
彼女は鈴蘭畑の湿った黒土の上に座って、何かを待ち続けていた。
破壊されたはずの彼女がどうして地上にいるのか、メディスンにはわからなくて、歩みが止まった。安堵の情動は心のどこにもなく、むしろ不気味さばかりがつのる。びくりとするほど唐突に彼女の腕が持ち上がって、掲げられた指がひらひら揺れる動きは、風にそよぐようにかすかだ。
その体がふわりと浮き上がったのも、丘の上を撫でた強い風のせいに思えた。吹き下ろす風は、彼女の小さく軽い体をカサカサと紙切れのように運ぶ。その大きなガラス玉の瞳に映った表情は、曲面と恐怖とで二重に歪んでいた。
その時、ようやくメディスンに追いついた三人は、追っていた当人が悲鳴を上げながら丘を駆け下りていった事の不可解さに、互いの顔を見合った。
闇の中にぽつぽつと鈴蘭の白い光がゆらめく中を、とぼとぼ歩き続ける。耳の後ろに、羽虫のような彼女の気配を感じた。それは、メディスンが恐怖に負けて、そちらを振り向くのをじっと待っているのだ。立ち止まれば、あの目が、ひょいと顔を覗き込んでくるかもしれない。だから日がとうに暮れた後も、のろのろ逃げ続けていた。足元は土まみれだ。
三人の助っ人は姿を消していた。あの女たちは呆れただろうか、メディスンが狂ったとでも思っただろうか。それとも、多少の心配は抱きつつ、賢明にも事態を察して、あとは当人たちの問題だと身を引いたのだろうか……最後の仮説は一番あり得る話だったが、同時に残酷でもあった。
メディスンは彼女が怖い。しかし昨日までは怖くなかった。分解し、破壊し、とどめを刺したという事実がなければ、今日の彼女も怖くはなかったかもしれない。あれはなにものだったのだろうか。今はなにものなのだろうか。昨日と同じあれという事はあるまい。
そう考えながら、ぐるぐると丘陵を逃げ続けている。
歩くというよりは足掻くような動きを続けつつ、ぼんやり考えた――私は彼女の事をなにも知らなかった。知りたいと思う事さえしなかった。知ろうとする興味そのものが、恐れと苦痛をともなう事もわかっていなかったし、永遠に彼女がわからなくなる呪いである事も知らなかった。だから彼女を分解してしまったのだ。
そして復活した彼女は、馴れ馴れしくメディスンに付き従ってきている。
どうして?
わかるはずもない。
とはいえ、この事態にも希望が無くはなかった。そもそも、わからないという事は絶望でもなんでもないからだ。たとえ永遠にわからないとしても、永遠をかけてわかろうとする事はできる。それこそが、かつて彼女たちを無名の丘から歩み出させたきっかけではなかったか。
そこまで考えたところで心が萎えかけて、目をつぶりながらその場にうずくまって顔を伏せた。追いすがる気配はすかさず覆いかぶさってくる。
彼女を知ろうとする事は、案外それほど苦ではないのかもしれない、とじっと頑張ってしゃがみ続けながらぼんやり思った。このままではただ怖いだけだし、少なくとも相手と向き合ってみれば、なにかが変わるかもしれない――しかし、それは追い込まれた者が平衡を保つために発想する、単なる楽観にすぎない気もする。
顔を膝にうずめながら、手が土いじりをしていると、なにか形のあるものが指先に触れた。
びっくりして土を払いながら手を引っ込めると、そのなにものかはメディスンの足首の周りをしばらくちょろちょろして、最後には図々しくも両膝の間に割り込んできた。その動きに執拗さを感じて、ふと嫌な事を考える。これは本当に彼女なのだろうか?
眼を固く閉じたまま、またふらふらと立ち上がる。そうして逃げようとしたところで、その気配は消える事がなく、目を開けば真正面にいるような気さえする。足が一歩前に出たのは、歩こうとしたからではなくバランスを失ったからだった。
三歩ほど、死の寸前のように前に進んだところで、ぶざまにこけて顔が汚れた。その土を手の甲でぬぐった時、別のものが顔を濡らしている。
結局、メディスン自身が根負けするまで、この滑稽な鬼ごっこは夜闇の中で続くのだろう。
その時の気分はメディスン・メランコリー自身にもうまく説明できない。ただ全てが終わったあとで、取り返しのつかない事をしてしまったと、なんとなく、無責任に了解した。同時に、なにかを物理的に分解してみても解など得られないという事もわかった。これは間違いなく学びだ――たとえその代償が大きかったとしても。
どうすればいいかしら、とメディスンはぼんやり考えた。彼女を壊してしまってからこっち、思考がひどくあやふやなものになっている。
どこか、この鈴蘭畑の土の下に埋めてしまおうか……だが、それは彼女の死を認めた事になってしまうだろう。
誰か、彼女をなおしてくれる人を捜してみようか……しかし、その人物が匙を投げてしまえば、本当に取り返しのつかないことをしたという後悔が募るばかりではないか。
そこで、メディスンはみっつめの愚かな選択をした。自らの手で彼女を修復しようとして、そしてこっぴどく失敗したのだ。メディスン・メランコリーには誰かをなおす事などできやしないという事実だけがそこに残った。
不器用に嵌め込まれた目から流れ落ちるどろどろしたものを眺めながら、メディスンは彼女の代わりに涙を流してやったが、それは単なる自己憐憫というものだろう。
翌朝、目覚めれば彼女が何事も無く傍にいてくれる事を、メディスンはちょっと期待していたが、そんなことは叶うはずもなかった。ただ、希望を抱く事ができるわずかの間に見た夢が、ぞっとするほど幸せだったのだけが印象深い。
起き上がり、破壊された彼女を見下しながら、昨日はたしかにあったはずの悲しみの分量が、刻一刻と目減りしている事に気がついて、戸惑う。傍らに転がっているのは単なる物質、ただの抜け殻だった。
メディスンは慌ててその場の地面を掘り、爪の先に土が入り込むのも構わず、手を動かし続けた。途中で掘り起こした二匹のナメクジかなにかを苛々と潰しながら、必死に穴を拡げ、整える。
彼女を埋めるときは自然と丁重な手つきになったが、同時になにか忌まわしいものに触れるときの所作でもあった。
埋葬を終えると、メディスンは後ずさり、無名の丘から逃げ出した。
「……私たちが行ったところで、どうにかなる事かしら」
「行って見てみない事にはわからないでしょう」
「それにしても、気晴らしにもならない面子」
昼下がりになって、メディスンが鈴蘭畑の外れまで引き連れてきた三人はひそひそとぼやいた。
「あなたの顔だって気晴らしにはならない」
「あら、もっとよく見てくれれば芯まで惚れ込むかもよ」
「……なるほど、歯並びがいい」
三人の毒にも薬にもならぬやりとりを背に、メディスンはおぼつかない足取りで、彼女の埋まっている場所へ、一歩、一歩と歩みを進めていく。
「ここは相変わらずね」
「でも、あらゆるものが移り変わってはいるはず」
「変化が有ったところで観測できなければ、無いも一緒なのかもしれない」
そんな三人の声もいつしか遠のく。足がもつれて、崩れるように次の足が出ていた。数刻前に逃げた時と同じ速さで、丘を駆け上っていた。
彼女は鈴蘭畑の湿った黒土の上に座って、何かを待ち続けていた。
破壊されたはずの彼女がどうして地上にいるのか、メディスンにはわからなくて、歩みが止まった。安堵の情動は心のどこにもなく、むしろ不気味さばかりがつのる。びくりとするほど唐突に彼女の腕が持ち上がって、掲げられた指がひらひら揺れる動きは、風にそよぐようにかすかだ。
その体がふわりと浮き上がったのも、丘の上を撫でた強い風のせいに思えた。吹き下ろす風は、彼女の小さく軽い体をカサカサと紙切れのように運ぶ。その大きなガラス玉の瞳に映った表情は、曲面と恐怖とで二重に歪んでいた。
その時、ようやくメディスンに追いついた三人は、追っていた当人が悲鳴を上げながら丘を駆け下りていった事の不可解さに、互いの顔を見合った。
闇の中にぽつぽつと鈴蘭の白い光がゆらめく中を、とぼとぼ歩き続ける。耳の後ろに、羽虫のような彼女の気配を感じた。それは、メディスンが恐怖に負けて、そちらを振り向くのをじっと待っているのだ。立ち止まれば、あの目が、ひょいと顔を覗き込んでくるかもしれない。だから日がとうに暮れた後も、のろのろ逃げ続けていた。足元は土まみれだ。
三人の助っ人は姿を消していた。あの女たちは呆れただろうか、メディスンが狂ったとでも思っただろうか。それとも、多少の心配は抱きつつ、賢明にも事態を察して、あとは当人たちの問題だと身を引いたのだろうか……最後の仮説は一番あり得る話だったが、同時に残酷でもあった。
メディスンは彼女が怖い。しかし昨日までは怖くなかった。分解し、破壊し、とどめを刺したという事実がなければ、今日の彼女も怖くはなかったかもしれない。あれはなにものだったのだろうか。今はなにものなのだろうか。昨日と同じあれという事はあるまい。
そう考えながら、ぐるぐると丘陵を逃げ続けている。
歩くというよりは足掻くような動きを続けつつ、ぼんやり考えた――私は彼女の事をなにも知らなかった。知りたいと思う事さえしなかった。知ろうとする興味そのものが、恐れと苦痛をともなう事もわかっていなかったし、永遠に彼女がわからなくなる呪いである事も知らなかった。だから彼女を分解してしまったのだ。
そして復活した彼女は、馴れ馴れしくメディスンに付き従ってきている。
どうして?
わかるはずもない。
とはいえ、この事態にも希望が無くはなかった。そもそも、わからないという事は絶望でもなんでもないからだ。たとえ永遠にわからないとしても、永遠をかけてわかろうとする事はできる。それこそが、かつて彼女たちを無名の丘から歩み出させたきっかけではなかったか。
そこまで考えたところで心が萎えかけて、目をつぶりながらその場にうずくまって顔を伏せた。追いすがる気配はすかさず覆いかぶさってくる。
彼女を知ろうとする事は、案外それほど苦ではないのかもしれない、とじっと頑張ってしゃがみ続けながらぼんやり思った。このままではただ怖いだけだし、少なくとも相手と向き合ってみれば、なにかが変わるかもしれない――しかし、それは追い込まれた者が平衡を保つために発想する、単なる楽観にすぎない気もする。
顔を膝にうずめながら、手が土いじりをしていると、なにか形のあるものが指先に触れた。
びっくりして土を払いながら手を引っ込めると、そのなにものかはメディスンの足首の周りをしばらくちょろちょろして、最後には図々しくも両膝の間に割り込んできた。その動きに執拗さを感じて、ふと嫌な事を考える。これは本当に彼女なのだろうか?
眼を固く閉じたまま、またふらふらと立ち上がる。そうして逃げようとしたところで、その気配は消える事がなく、目を開けば真正面にいるような気さえする。足が一歩前に出たのは、歩こうとしたからではなくバランスを失ったからだった。
三歩ほど、死の寸前のように前に進んだところで、ぶざまにこけて顔が汚れた。その土を手の甲でぬぐった時、別のものが顔を濡らしている。
結局、メディスン自身が根負けするまで、この滑稽な鬼ごっこは夜闇の中で続くのだろう。
それを読んでいる側にもちゃんとメディスンのキャラクターも含めて伝播させていたのも好きでした。
取り返しのつかないことをしたと後悔するメディスンが素敵でした