本日の出席すべき講義が終わり、第三東棟の玄関から外に出ると凍えるような風がぴぃぷぅと吹いてきた。自宅にて考えうる防寒対策を施したのにも関わらず、衣類の僅かな隙間を目ざとく見つけては冷気が侵入してくる
木々のほとんどが葉を散らし、木の枝と幹という寒々しい姿を晒しながらも、健気に寒空の下で悠然と構えているように見えた。京都は地形の関係からか、夏は猛暑に包囲され、冬は極寒の一斉射撃が行われる。一方的にやられる立場からすればたまったものではない。私はしかたなく、一度第三東棟の構内に戻りベンチに腰掛けた。座った瞬間に冷たい感触が臀部全体に広がり、全身がひゅんとした。
少し前から同じサークルの友人に「講義終了後に会いたい」とメッセージを飛ばしたのだが、講義終了時刻を過ぎても未だに返信が来ない。恐らく講義が長引いているのであろう。
別に友人である彼女の受けている第一西棟まで出向いても良いのだが、ここからだと外を歩いて二十分程かかる。その間に入れ違いや、誘いを断られた時の精神的苦痛は言い表すことが出来ない。
いかにして時間を潰すか、この様な場合いつもは部室にて時間を持て余すのだが、現在部室がある棟は修理工事を行っているので、現在は立ち入り禁止となっている。忍び込めないことはないが、引っ切り無しに業者が出入りしており、見つかるとややこしいことになるので選択肢から除外する。
色々と悩んだ結果、ひとまず大学の近くにあるカフェ「コレクション」にて過ごすことにした。あそこならば、暖房、紅茶、ケーキを確保できるので待ち時間を有意義に過ごせる。
彼女には「コレクションにて、お待ちしています」と少し嫌味も込めた丁寧なメッセージを送信したのち、「コレクション」へ向かった。外に出ると身に刺さるような風が私の体に突き刺さり凍えさせる。京都にお住いであろう風神様がご機嫌に大寒波を吹き荒らして、下々の私たちを苦しめることの何が楽しいのか、到底理解出来ない。その様な行き場のない文句をぷつぷつと漏らしながら早足に目的地へ向かった。
大学から「コレクション」は近く、大学の北門から外へ出て、横断方向を渡り、東の方に真っ直ぐ行くとすぐに見えてくる。
入店すると、ドアに備え付けられた小さなベルがカランッと乾いた音を響かせた、店内は極寒の外とは打って変わり、春の陽射しのような温もりであった。その暖かさから、私は思わず口元を緩ませてしまう。
十数席程ある店内には声を潜めながら話す男女、羊のように重ね着をしてまるまると着ぶくれしたご婦人、やや眉間にハの字を浮かべ名が情報端末と見つめあう男性。店内には賑やか過ぎず、程よい静けさが漂っている。
入り口が見えやすい席を選んで座り、メニューを見ながらしばらく迷ったのち、チーズケーキと特製のブレンドティーを注文した。
念のためメッセージを確認するも未だ彼女からの返信はない。講義終了時間から約三十分超過しているが、まだ終わらないのだろうか。少しもやもやとした気持ちを切り替える為に鞄の中から小説を取り出した。
視覚で文章の触感を確かめながら、棚田に水を流し込むように、文章の間に私の意識を十二分に流し込む。自分の波長と合った小説を読んでいると、現実と想像の境目が曖昧になり、この感覚が私は好きだ。
注文したブレンドティーとやや硬めのしっとりとした生地を思わせる三角形のチーズケーキが運ばれてきた。
一旦小説を閉じて机の傍らに置き、まずは運ばれていたチーズケーキをフォークの先で一口大に切り分けた、一口食べるとチーズの風味と甘さが口の中に広がる、予想通り生地が少し硬めなのも良い。次は温かいブレンドティーをストレートで、香りを楽しみながら一口飲むと、先程のチーズケーキとは正反対の少し渋い風味を感じたかと思うと、良い香りが鼻をすり抜けていく。
ケーキをあっという間に胃に収めると、ブレンドティーを楽しみつつ、読書を再開しようとした時に不意に彼女から電話が来た。電話に出るとやけに声に怒気が込められている様子で、やや言葉遣いが荒い。明らかに不機嫌な様子で、こちらに来ること告げると早々に電話切られた。
それから十分もしないうちに入り口にある小さなベルがカランと鳴り、しかめっ面の彼女がやってきた。すぐに私の事を見つけると、早歩きで私の前にある席に座り、素早くメニューに目を通してアイスティーとパウンドケーキを注文した。
そこから注文したものが届くまでは彼女の時間であった。早口に講義時間が延びた原因となった講師に対して不平不満と少しの呪詛を織り交ぜながら、声は控えめに怒涛の如く語り始めた。
私は「意見は不要、ただ聞いてほしいだけだな」と素早く察知して、適当に相槌を打ちながら聞き流すことに徹する。
それが功を奏したのか、アイスティーとパウンドケーキが彼女の元に運ばれてくる頃には、聖人のような清々しい笑顔を浮かべ、何事もなかったかのように佇んでいた。
窓から見える風景は薄く引き伸ばした茜色を覆い包むように暗い空が際まで来ている。
金星はいち早く顔を輝かせ、月にも劣らぬ存在感を示していた。
羊の様に着ぶくれしたご婦人は買い物袋を押し車に乗せてゆっくりと歩いてお店を出て行った、男女のカップルは「充実した休日のプランニングが完成した」と男が嬉しそうに言いながら立ち上がり、仲睦まじくお店から出ると百万遍交差点の方へ歩いていく。情報端末とにらめっこしていた男はどうやらここの店主らしく、最後には笑いながら店の奥へと引っ込んで行った。
私たちはと言うと、彼女との他愛のない会話を弾ませたり、次に行く調査の場所、まことしやかに囁かれる噂、隙間力学の論文の話し、時には互いに好きなことをしたりと、無為な時間を共有していた。私は特に意味があるわけではない、彼女と同じ時間と空間を共有する、このひとときが好きだ。
目の前にいる彼女が笑うと、彼女の周囲にほんのりと薄紅色の花が咲いたような錯覚を覚える。
そんな彼女を見ると思わず私も微笑んでしまう、彼女は「なにかおかしなこと言っただろうか」言いたげに首を傾げていた。
なんでもないと伝えると、不思議に思いながらも納得した様子でまた他愛のない時間を二人で共有する。
何かを決めるでもなく、ましてや中身のある会話をしているわけでもない。
しかし私は、この彼女と過ごす掛け替えのない時間が好きだ。
時刻は十八時半を過ぎ。
「ねぇ、そろそろ行きましょうか」
「それもそうね。明日は土曜日よ、今からどこか行く?」
「そうねぇ……とりあえず歩きながら考えましょう」
そうすると二人は席を立ち、支払いをすまして外へ出た。見送るように小さなベルがカランと鳴る。
夜空には無数の光が浮かび、雲の隙間からやや恥ずかし気な月が浮かぶ。あそこに人が居ると思うと、頭では理解出るものの、不思議な気持ちになる。
彼女の横顔を見ながら、私は思う。月が 貴女/君 ならば、今の私はどの辺りまで来たのだろうか。
まだ地上かも知れないし、大気圏を越えているのかも知れない、案外水面に映る月の様に手を伸ばせば届く距離に居るのかも知れないが試す勇気はまだない。
十二月九日、月に向かって飛翔することは叶わず。私は月と地上の距離を考えながら 君/貴方 と並んで歩いていく。
木々のほとんどが葉を散らし、木の枝と幹という寒々しい姿を晒しながらも、健気に寒空の下で悠然と構えているように見えた。京都は地形の関係からか、夏は猛暑に包囲され、冬は極寒の一斉射撃が行われる。一方的にやられる立場からすればたまったものではない。私はしかたなく、一度第三東棟の構内に戻りベンチに腰掛けた。座った瞬間に冷たい感触が臀部全体に広がり、全身がひゅんとした。
少し前から同じサークルの友人に「講義終了後に会いたい」とメッセージを飛ばしたのだが、講義終了時刻を過ぎても未だに返信が来ない。恐らく講義が長引いているのであろう。
別に友人である彼女の受けている第一西棟まで出向いても良いのだが、ここからだと外を歩いて二十分程かかる。その間に入れ違いや、誘いを断られた時の精神的苦痛は言い表すことが出来ない。
いかにして時間を潰すか、この様な場合いつもは部室にて時間を持て余すのだが、現在部室がある棟は修理工事を行っているので、現在は立ち入り禁止となっている。忍び込めないことはないが、引っ切り無しに業者が出入りしており、見つかるとややこしいことになるので選択肢から除外する。
色々と悩んだ結果、ひとまず大学の近くにあるカフェ「コレクション」にて過ごすことにした。あそこならば、暖房、紅茶、ケーキを確保できるので待ち時間を有意義に過ごせる。
彼女には「コレクションにて、お待ちしています」と少し嫌味も込めた丁寧なメッセージを送信したのち、「コレクション」へ向かった。外に出ると身に刺さるような風が私の体に突き刺さり凍えさせる。京都にお住いであろう風神様がご機嫌に大寒波を吹き荒らして、下々の私たちを苦しめることの何が楽しいのか、到底理解出来ない。その様な行き場のない文句をぷつぷつと漏らしながら早足に目的地へ向かった。
大学から「コレクション」は近く、大学の北門から外へ出て、横断方向を渡り、東の方に真っ直ぐ行くとすぐに見えてくる。
入店すると、ドアに備え付けられた小さなベルがカランッと乾いた音を響かせた、店内は極寒の外とは打って変わり、春の陽射しのような温もりであった。その暖かさから、私は思わず口元を緩ませてしまう。
十数席程ある店内には声を潜めながら話す男女、羊のように重ね着をしてまるまると着ぶくれしたご婦人、やや眉間にハの字を浮かべ名が情報端末と見つめあう男性。店内には賑やか過ぎず、程よい静けさが漂っている。
入り口が見えやすい席を選んで座り、メニューを見ながらしばらく迷ったのち、チーズケーキと特製のブレンドティーを注文した。
念のためメッセージを確認するも未だ彼女からの返信はない。講義終了時間から約三十分超過しているが、まだ終わらないのだろうか。少しもやもやとした気持ちを切り替える為に鞄の中から小説を取り出した。
視覚で文章の触感を確かめながら、棚田に水を流し込むように、文章の間に私の意識を十二分に流し込む。自分の波長と合った小説を読んでいると、現実と想像の境目が曖昧になり、この感覚が私は好きだ。
注文したブレンドティーとやや硬めのしっとりとした生地を思わせる三角形のチーズケーキが運ばれてきた。
一旦小説を閉じて机の傍らに置き、まずは運ばれていたチーズケーキをフォークの先で一口大に切り分けた、一口食べるとチーズの風味と甘さが口の中に広がる、予想通り生地が少し硬めなのも良い。次は温かいブレンドティーをストレートで、香りを楽しみながら一口飲むと、先程のチーズケーキとは正反対の少し渋い風味を感じたかと思うと、良い香りが鼻をすり抜けていく。
ケーキをあっという間に胃に収めると、ブレンドティーを楽しみつつ、読書を再開しようとした時に不意に彼女から電話が来た。電話に出るとやけに声に怒気が込められている様子で、やや言葉遣いが荒い。明らかに不機嫌な様子で、こちらに来ること告げると早々に電話切られた。
それから十分もしないうちに入り口にある小さなベルがカランと鳴り、しかめっ面の彼女がやってきた。すぐに私の事を見つけると、早歩きで私の前にある席に座り、素早くメニューに目を通してアイスティーとパウンドケーキを注文した。
そこから注文したものが届くまでは彼女の時間であった。早口に講義時間が延びた原因となった講師に対して不平不満と少しの呪詛を織り交ぜながら、声は控えめに怒涛の如く語り始めた。
私は「意見は不要、ただ聞いてほしいだけだな」と素早く察知して、適当に相槌を打ちながら聞き流すことに徹する。
それが功を奏したのか、アイスティーとパウンドケーキが彼女の元に運ばれてくる頃には、聖人のような清々しい笑顔を浮かべ、何事もなかったかのように佇んでいた。
窓から見える風景は薄く引き伸ばした茜色を覆い包むように暗い空が際まで来ている。
金星はいち早く顔を輝かせ、月にも劣らぬ存在感を示していた。
羊の様に着ぶくれしたご婦人は買い物袋を押し車に乗せてゆっくりと歩いてお店を出て行った、男女のカップルは「充実した休日のプランニングが完成した」と男が嬉しそうに言いながら立ち上がり、仲睦まじくお店から出ると百万遍交差点の方へ歩いていく。情報端末とにらめっこしていた男はどうやらここの店主らしく、最後には笑いながら店の奥へと引っ込んで行った。
私たちはと言うと、彼女との他愛のない会話を弾ませたり、次に行く調査の場所、まことしやかに囁かれる噂、隙間力学の論文の話し、時には互いに好きなことをしたりと、無為な時間を共有していた。私は特に意味があるわけではない、彼女と同じ時間と空間を共有する、このひとときが好きだ。
目の前にいる彼女が笑うと、彼女の周囲にほんのりと薄紅色の花が咲いたような錯覚を覚える。
そんな彼女を見ると思わず私も微笑んでしまう、彼女は「なにかおかしなこと言っただろうか」言いたげに首を傾げていた。
なんでもないと伝えると、不思議に思いながらも納得した様子でまた他愛のない時間を二人で共有する。
何かを決めるでもなく、ましてや中身のある会話をしているわけでもない。
しかし私は、この彼女と過ごす掛け替えのない時間が好きだ。
時刻は十八時半を過ぎ。
「ねぇ、そろそろ行きましょうか」
「それもそうね。明日は土曜日よ、今からどこか行く?」
「そうねぇ……とりあえず歩きながら考えましょう」
そうすると二人は席を立ち、支払いをすまして外へ出た。見送るように小さなベルがカランと鳴る。
夜空には無数の光が浮かび、雲の隙間からやや恥ずかし気な月が浮かぶ。あそこに人が居ると思うと、頭では理解出るものの、不思議な気持ちになる。
彼女の横顔を見ながら、私は思う。月が 貴女/君 ならば、今の私はどの辺りまで来たのだろうか。
まだ地上かも知れないし、大気圏を越えているのかも知れない、案外水面に映る月の様に手を伸ばせば届く距離に居るのかも知れないが試す勇気はまだない。
十二月九日、月に向かって飛翔することは叶わず。私は月と地上の距離を考えながら 君/貴方 と並んで歩いていく。