メリーが持ってきたのは地方のイベントチラシで、まだ紙媒体を使っているというところが逆に信用できた。内容はなかなか宗教じみていて、天に捧げ得る子が久しく産まれたというものだった。メリーがどうしても行きたいようだったので、まぁそこまで遠くもないしと行ってみることにした。
西行きの鉄道は警護車両のように角ばっていて、ところどころ錆びながらも眩しいくらいの銀色だった。ここまで頑丈にする必要などないだろうと思いながら乗り込む。
客席のクッションは独特な臭いがして、少しずつ旅に出る感覚が湧いてきた。どうせ他に誰もいないのでリクライニングを最後まで倒しておく。メリーは向かい合って座りたいと言ったので、前の座席を回転させて座らせた。間にテーブルでもあれば便利なのにと言ったら、メリーは得意げにカバンから折り畳みの机を取り出した。相変わらず変なところだけ用意周到だと思った。やっとついた駅は嘘みたいに簡易な作りで、ホームと鉄骨の柱とトタン屋根だけで構成されていた。ベンチすらもなかった。
「見て、蓮子。高い建物がまったく無いわ」
「たしかに」
街に比べて空がよく見える。今見える限りでは曇天だけど、夕方には晴れるでしょうと天気予報が言った。駅を出るとシャッターの閉まった店ばかり並んでいた。しまった、何処かで昼ご飯を食べるつもりだったのに―と思っていたら、メリーがやってそうな店を見つけた。
ただ、それはどう見ても居酒屋で、一見さんお断りと店構えが言っていた。
「入るの?」
「他にお店開いてないし」
探せばあるだろうと言う前に、ガラガラと音を立てて扉が開かれた。
二人だと言うとお座敷に通された。掘りごたつなのが嬉しい。
ただ、時間も時間なので客が多い。大体が男の人で、しかもお酒を飲んでいるから、少し居心地が悪い。
「お祭りだから飲んでるのかな」
「かもしれないわね」
置かれているピッチャーから水を注いで、お品書きを眺めた。漬け物という見慣れない項があって、キャベツやナスの糠漬けや、チーズの醤油漬け、魚の味噌漬けなどが書いてあった。
その隣には、さらに不思議なものが書いてあった。
こめせん 100
こめせん、とは―いったい何だろうか。注意書きには、タネと一緒にご注文くださいともある。合わせて食べるものなんだろうか。タネの項を見ると、色んな種類のおかずがあった。煮舞茸、ネギ味噌、ごぼう。どれも150と書いてある。
いちど麦茶を飲み、こめせんがどのようなものか考えようとした。その前に、メリーがこめせんを頼もうと言った。
「まだどんなものか解らないのに」
「だから頼むんじゃない」
100くらいなら出し渋るものでもないので、頼んでみることにした。タネをどれにしようか迷って、メリーは煮舞茸、私はほぐし鶏にした。
それから少し待って、店員さんが持ってきたお盆には、皿に載せられた白いせんべいと小鉢が二つずつあった。
「どうやって食べるのが正解なのかしら?」
せんべいは一つがけっこう大きい。タネと一緒に食べるものだとしたら、やっぱりのっけて食べるのがいいのだろうか。小鉢のほぐし鶏をのっけると、こめせんは水気でしなっとなった。慌てて落ちるまえに口に放り込む。
「あっ美味い」
鶏は濃いめの味付けで、染み出す煮汁が口にひろがっていく。こめせんの素朴な米の味と相まって非常に美味い。しなっとした部分とかたいままの部分の食感の違いも楽しい。ただ、空のお腹にせんべい一つでは少なすぎた。
「他に何頼む?」
こめせんを飲み込んだメリーは再度おしながきに目を下ろした。それなりに悩んで、梅茶漬けが欲しいと言った。欲しいというのは妙な言い方だけど、まぁそのほうがメリーらしいかなと思った。
小うどんでも頼もうかなと思いながらおしながきをめくると、お酒の項を見つけた。店の奥を見てみると、質はよくなさそうだけど、種類はありそうだ。ほぐし鶏も残っているし、これを肴にして飲むのもいいだろう。
「飲んでいい?」
「いいよ」
盛りこぼしで来た日本酒を、零れないように目の前に置く。ちょっとだけ残っていたほぐし鶏を食べて、よく味わう。やっぱり美味い。口を突き出して、ついばむようにコップに口をつける。清涼感と、やわらかな味わいがひろがる。自然と口角が上ってしまう。
そのうちにメリーも飲みたいと言い出した。升ごと差し出すと、やはり少しだけ残っていた煮舞茸で飲りだした。
「美味しいわ」
メリーはコップから升に移して、豪快にあおる。升を下ろしたときには顔が紅くなっていた。
「水飲む?」
「ちょうだい」
お冷を渡すと、一息で飲み乾した。ちょっと出来上がりかけているけど大丈夫だろうか。お祭りは夕方から始まるのに。私まで酔ってしまうとまずいので、ここらで店を出ることにした。そもそも昼ご飯のつもりだったのだ。梅茶漬けを二人でなくしてから店を出た。
空はまだ曇っていた。雨さえ降らなければなんでもいいけど―なんて思いながら、町を散策することにした。メリーの酔い覚ましもかねて。
道路はあるけど車はない。そんな町だ。道路といったってアスファルトの古いものだし。律儀に歩道を歩いていたけど、そんな必要もなさそうだった。
それにしても、田舎だけあって一つ々つの家が大きい。庭は当然あるとして、なんとその中に池があったりした。土地代云々なんてはしたないことを考えてしまい、ちょっと嫌になった。少なからず酔っているんだろう、思考がとっ散らかっている。頭を休めるためにぼうっと辺りを眺める―すると、家と家の間に小さな神社があることに気づいた。境内に一つだけ出店がある。
向かってみると、着物が掛けてあった。黒地に南蛮ギセルがあしらわれたものだ。それ以外にはなにも売っていないようだった。ビールケースに座った男は痩身で、顎を撫でてばかりいる。いらっしゃいとも言わなかった。出店だからそういうものなのかもしれないけど。
着物しかないなら、と思って去ろうとしたら、メリーが欲しいと言い出した。
「綺麗だし」
「まぁ、好きにしたら」
メリーは迷わず買った。正直バカじゃないのかと思った。普段使いできないような着物を買ってどうするつもりなんだろうか。
「蓮子、手伝って」
「今から着るの?」
私だって着せ方なんて知らないし、調べながらやるしかない。検索したらそういうサイトがあったので、見ながらやってみる。苦労しながら着付けさせ、まぁ人に見せられるくらいには整ったんじゃないだろうか。足元が靴なのがミスマッチだけど。
着替えが終わったあたりで、男は出店を片付けはじめた。着物を丁寧に折りたたんで、袋のなかに詰める。そして骨組みを折り縮めて、屋根を畳んで、本殿の横へと運んでいった。今からなにか始まるのかな―なんて思っていると、何人かの男が神輿を担いでやってきた。一人は小さな赤ん坊を抱えている。あれが天に捧げ得る子なんだろう。
男たちは神輿を地面においた。飾りがとても少ないシンプルな形だ。屋根の傾斜はなだらかで、全体的に地味な印象を抱かせる。そのうち一人が脚立を持って来て、それに登った男に赤ん坊が手渡された。
赤ん坊は何も知らない面のまま、縄で屋根に括りつけられた。ぐるぐると何重にも巻かれて、ほどくのも簡単じゃないくらいだ。赤ん坊は泣きだして、縛られたまま身体をくねらせた。ギシギシと縄がなるけど、もちろんそれくらいでほどけたりはしない。
男たちはそんな赤ん坊にかまわず、神輿を担ぎ上げる。異様なことに、わっしょいといったような掛け声はなく、それどころか一つも言葉を発することなく運び始めた。ゆっくりと、黙々と神社から運び出す光景は不気味というほかない。
男たちは神社を出てもなおゆっくりと進んでいく。赤ん坊はけたたましく泣き続けて、より異様さを際立たせていた。祭り囃子がないことも、まだ夕方なのに曇って薄暗いのもそれに拍車をかけている。
のろのろと歩き続けて、やっと大きい道に出た。すると途端に人が増えて、にわかに祭りなのだという実感が湧く。それでも、神輿で泣く赤ん坊の声にだれも顔を顰めないのは、いささか奇妙だけど。
「メリー、赤ん坊見えてる?」
「お神輿の?見えてるよ」
メリーに見えててもあんまり参考にならないけど、誰も騒がないから催しとして受け入れられてるということなんだろう。風習というものは時々ひどく受け入れがたい。
―あっはっはっは……
いきなり、空から大きな笑い声が漏れ出した。その瞬間に男たちが止まる。見上げていると、なにか―人がいくつもくっつき合っているようなものが、ぶ厚い雲を割って飛び出してきた。
途端に辺りから歓声があがる。
飛び出したそれは笑い声をあげながら、一直線に神輿の赤ん坊まで向かっていく。
「助けないと、かな」
「助けたら駄目なのよ」
メリーは据わった目のまま言った。私も本当に助けようとは思ってなかったから、泣き続ける赤ん坊を見ていた。
縛っていた縄から、するり、と赤ん坊の身体が離れ、そのまま肌色の濁流にさらわれていった。なにかを構成している人間の一つが、しっかりと抱きかかえているのが見えた。そのままなにかは雲に入っていって、うねる大影だけしばらく残った。
「きっとああいうのが神様なのね」
メリーはそう言った。あんな化け物が神様でたまるか、と思った。
なにかが赤ん坊を連れて行ったあと、神輿はまた進み始めた。こんどはかけ声をあげながら、いかにも祭然として。どこからか太鼓と笛の音も聴こえてきた。
雲はなにかが掃ったかのようになくなって、紅い空がひろがった。細長い形をした外灯達が灯り始める。夏はまだ明るいうちから外灯が点くのだ。光に背を押されるようにして、祭りの喧騒が遠くなっていく。
すこし、思考を整理できる時間が欲しい。酒なんて飲むんじゃなかった。一つのことを集中して考えられない。
「メリー、赤ん坊連れて行かれたよね?」
「うん」
「じゃあどうして誰も何も言わないの?」
メリーは曖昧に微笑んだ。怪物が目の前で子供を攫っていったのに、そんなに冷静でいられることがよくわからなかった。
「あぁ…めんどくさい」
帽子も気にしないで、強引に頭を掻きむしる。そんなことはどうでもいいことだと、重要なのはあの怪物だと、無理しゃり自分を納得させた。
「まったく、化け物ばっかね」
思わず口をついて出た言葉だったけど、メリーはとくに何も言わなかった。そのかわり、もう駅に行こうと言った。撮っておいた時刻表を見ると、次の京都までの直行はかなり遅くだった。今から駅に行っても乗れるものはない。
「どっかで時間潰さないとね」
「そっかぁ」
いつの間にか、男たちもそれについて回る人もいなくなっていた。道には私たちしかいない。夕景に祭囃子の組み合わせは、否応なく客愁を感じさせた。
辺りが静かになると、すこしずつ冷静にものを考えられるようになった。自然と思考はあの怪物に向く―しかし、たった一回見ただけではあまりにも情報が足りなかった。どうしたものかとすこし考えて、一つアイデアが浮かぶ。
「ねぇ、メリー、ここに泊まっていかない?」
無茶を承知で言ってみた。どうしても、なにかが何なのかを突き止めたい。
「着替えがないね」
「買えば、なんとかなる」
「泊まる処は?何日の予定で?きっとコインランドリーもないよ?」
なんて性格が悪い女だろう。断るならさっさと断ればいいのに、くだらない問答でこっちから取り下げるように仕向けている。
「嫌ならいいわよ、一人でやるから」
メリーは動じなかった。にっこり笑うだけだった。
「今日は泊まれる場所を探しましょう。そして、何時かまた来ましょう」
「いいの?」
思わず訊き返した。
「いちおう私も秘封俱楽部だからね」
探せば旅館の一つもあるでしょう、とメリーは言った。
まだまだ電車まで時間はある。とりあえずタネで一杯飲るために、またさっきの居酒屋に向かった。
淡々とした描写が「そういうもの」がいる日常を強く想像させて、恐怖や不思議を感じるよりも、なんか強く納得をしてしまいました。とてもよかったです。
舞台が蓮子が住む地域とはまるで様相の異なる場所。「こめせん」という知らない食べもの。着物一つだけ売っている妙な出店。そして赤ん坊を神のようなものに無言で捧げる理解の及ばない風習。
いずれも蓮子のいままでの世界観とは不一致なもので、異なるものとの出会いに蓮子は戸惑い、不気味さを覚えていたのかなと思いました。
そうした異なるものたちとの出会いは、「こめせん」の美味しさという飲み込むことのできる心地よさに繋がることもある。けれども、出店や祭など、理解が出来ず拒否感さえ覚えることもある……という心理が言葉で明示されずとも描かれていて、表現は奥ゆかしさに素直にすごいなあと思いました。
メリーの存在もまた作品の「異なるもの」というテーマを深めていると思いました。
「こめせん」を躊躇うことなく注文する、出店の着物を購入して身につけさえする、眼前の奇祭を目にしてもそういうものとして受けとめる。
そういった「異なるもの」に開かれ、飲み込むことを躊躇わず、自ら身につけようさえするメリーの姿勢は、「異なるもの」との間に不一致を感じる蓮子とは正に「異なるもの」として描かれているのかなと思いました。
蓮子とメリーという、秘封倶楽部という同一の名前を掲げながらも、本質的には「異なるもの」である二人の関係性の描写も好きでした。
「いちおう私も秘封倶楽部だからね」というメリーの最後の言葉は、「『異なるもの』だけども一緒にいたいと思うから同じことをしようと努力するよ。いまは、いちおう」という、なんでもかんでも同じようには行かないという根本的な不同一性がありつつも、それでも重なり合おうとする関係性が表れているみたいでとても好きでした。蓮子が奇祭という圧倒的な「異なるもの」を見てもどうにか理解しようと努めているところも、交わろうとする意思みたいに思えて好きです。
長文になってしまいましたが、好奇心をひく作品、ありがとうございました。短い文量でここまで色々想像を引き立てる表現ができるものなんだなあと驚いています。
途方もないものの片鱗を見せられ、しかし結局なにもわからなかった感が素晴らしかったです
いやはや凄い、感想を紡ごうにも恐ろしさが爆発するこの感触は中々味わえません。ありがとうございました…。