『プリズムリバーウィズHのライブも気づけば今日で10回目だね!みんないつも来てくれてありがとー!!』
汗だくになったリリカ・プリズムリバーが輝くような笑顔でそう叫ぶと、観客が歓声を上げる。その盛り上がりは凄まじく、地面が揺れたような気さえした。
会場は人里の外れにある屋外で、周囲に人の住処はなく、近所迷惑にはならない。ただそれでも彼女たちのライブを好ましく思っていない大人も多くおり、私の親もそのうちの一人だった。こっそり寝所を抜け出してこんなところに来ているのが知れた日には、きっと大目玉を食らうだろう。
堀川雷鼓がタオルで汗を拭って、スキットルの蓋を開けて口を付けた。
「カッコ良いなぁ……」
その仕草を見て、ポツリと独り言が漏れてしまう。
私は観客から少し離れた、木の影からライブを覗いていた。
もちろん出来ることならもっと近くで見たい。彼女たちのライブをこの目に焼き付けて、音を体全体で感じたい。
でもそれはかなり危ない。観客には両親の知り合いもいるのだ。告げ口されてしまったら一巻の終わりだ。
ライブは照明の効果以上に輝いて見えた。その一方で、自分が何だか随分と野暮ったいやつに思えてくる。昨日、寺小屋の男子から地味女と揶揄われたことを思い出して厭な気分になった。
帰ろう。あまり長居しては、私が部屋いないのに親が気づくかもしれない。それに、こういう世界はやっぱり私には似合わないのだ。
「何してんの、こんなとこで」
「ひゃっ」
急に後ろから声をかけられて、その場で飛び上がりそうになった。心臓がバクバクと脈を打つ。
私が後ろを振り返ると、そこには一人の少女がいた。背丈は小さく私とそう変わらないくらいだ。ただし見た目はあまりに大きく違った。
紫色の派手な上着に、煌びやかなブレスレットやブローチといった装飾品。髪も手が込んでいて、大きな二つの縦ロールを赤いリボンで結っている。短いスカートからは健康的な肉付きをした二本の足が覗く。顔立ちも整っているというか、自分の魅力を最大限に引き出すメイクを施しているといった感じだ。
私とは全てが正反対だった。キラキラしていて、地味な私には直視できないくらいだ。あのライブと同じように輝いている。
「?」
何も私が返事をしなかったせいか、その子が怪訝そうに私の顔を覗き込む。怪しいものだと思われたくなかったので、私は何とか言葉を絞り出した。
「あ……貴女、ライブを見に来たの?」
「んん……まあー……そんなところかな」
私がそう聞くと、彼女は歯切れの悪い答えを寄越してきた。純粋にライブを見に来たわけではないかもしれない。何か事情があるのだろうか。
「アンタは違うの?」
「私は…………良いの」
親にはあんな軽薄なもの見に行くなと言われていたが、こっそり見に来てしまった。それくらいプリズムリバーのライブを見たかった。
でも実際に来てみて気づいた。あの場所は地味な私の居場所ではない。人間、分相応な場所があるのだ。
「全然良くなさそうだけど」
苛立ちを隠さない彼女の物言いに、私は少し萎縮した。
彼女は長いため息をついて、そして私の手を掴んだ。
「わっ」
「よくわかんないけどさ、折角なんだから楽しんだ方が良いじゃん!」
彼女は「アンタみたいな辛気臭いやつ、身内にもいるけどムカつくんだよね」と続けて、私の手を引いてライブの観客の中に突っ込んだ。
さっきまで向こう側だった轟音と歓声の中に、私は飛び込んだ。
その日の夜は、一生忘れられない一夜になった。
自分の部屋で髪を梳かしながら、私は彼女のことに思いを馳せた。
彼女と友達になってから、今まで灰色だった世界が色づくようだった。
騒々しくて嫌いだった大通りも、彼女と一緒に簪を選んでいると楽しくて仕方ない。彼女のアドバイスで、目にかかるほど伸ばしていた前髪を別れを告げて額を出し、ちょっとしたお化粧を覚えてから、寺小屋での私を見る目も変わった。
キラキラとした彼女と一緒にいるうちに、私にもちょっとその輝きが移ったようだった。
彼女の名前は女苑と言うらしい。
姫女苑という花が由来らしい。「花って言っても雑草なんだけどね」と彼女は卑下するが、素敵な名前だと思う。少なくとも里に何人も同じような名前の人がいる、私の地味な名前とは違う。
女苑ちゃんについてそれ以上のことは知らない。聞いても「ちょっとミステリアスな女ってカッコ良いじゃない」とはぐらかされてしまうからだ。どこに住んでいるのかすら知らない。
彼女と遊べるのは、たまたま街中で出会えた時だけだ。
ああ、彼女と会うのが待ち遠しくてたまらない。
「ほら、いい加減起きなさい。いつまで寝てるの!」
布団の上で彼女に想いを馳せていたら、母親の声で現実に引き戻された。
「うっさいなぁ……」
私は渋々上半身を起こした。
汗が滲んでいて不快だったし、外では蝉が鳴いていて喧しい。この不快な暑さを忘れてしまうほど、私は女苑ちゃんのことで頭がいっぱいだったようだ。
すぐには立ち上がらず、自分の部屋を見回した。
畳の所々に染みがあって、土壁には小さく表面がひび割れているところもある。貧乏くさい部屋だった。
女苑ちゃんにこんなところに住んでいるのがバレたら、何て言われるだろうか。ひょっとしたらそんなダサいやつと並んで歩きたくないと、もう遊んでくれないかもしれない。
私は深いため息をついて、のそりと立ち上がった。汗で湿った白襦袢を布団の上に脱ぎ捨てて、いつもの小豆色の着物に着替えた。
女苑ちゃんの隣に並ぶと、私の服はより一層みすぼらしく見えてしまう。しかし簪と違って、私の小遣いでは服を買うのは難しい。お洒落なものとなれば尚更だ。自分が大人だったら好きな服を買えるのに。
私は陰鬱な気持ちを引きずりながら居間へと向かった。
「おはよう」
家族がそう声をかけてきたが、私は無視した。返事をする気分じゃなかった。
父親も弟も既に家を出たらしく、居間には母親と祖母が座っていた。
「今日の朝ごはんはお婆ちゃんが作ってくれたんだからね、しっかり食べなさい」
私は内心「うげっ」と思った。
祖母には何だか汚い印象がある。実際どうなのかは知らないが、祖母に限らず、老人に対して不潔なイメージがあった。だから彼女の作ったものを口に入れるのは抵抗があった。しわくちゃで染みだらけの祖母の手で触れたものを食べたくない。
昔の私はお婆ちゃん子だったと言われるのだが、あまりその記憶もなく、正直信じられない。
「まだ体が出来上がる途中だからねぇ。たくさん食べないと」
祖母がもごもごと喋る。
私は手元の朝食に目を落とした。
「……」
玄米にたくあんまでは良い。
味噌汁は普段なら全く問題ないのだが、祖母が作ったものだと底の方の白いつぶつぶが、何だか気持ちの悪いものに思えてくる。
まあそれは最悪我慢してやっても良い。
問題はおかずだった。
ナスの煮物だ。
私はこれが苦手だった。少し苦味のある味も嫌いだったが、何よりぶよぶよというかぬちゃっとした食感が吐き気を催す。皮の食感も何だか苦手だ。
ただでさえ嫌いな食べ物が、祖母の手で作られたともなると、もう絶対に口に入れたくない。
しかも最悪なことに、ナスの煮物は父親の好物だった。だから祖母が台所に立つと、高確率でこのナスの煮物が出てきてしまうのだ。
いつもなら弟にこっそり食わせるのだが、今日は私が起きるのが遅かったため、既に出かけてしまっている。
「私、これ作るのやめてって前に言ったよね」
私は苛立ちを隠さずにそう言って、ナスの煮物を自分の盆の外へ出した。
苦手であることは以前にも母親に言っていたはずだ。
母親の方を向いて言ったのだが、答えは祖母から返ってきた。
「そうなのかい、ごめんねぇ。でも好き嫌いは良くないよ。色んなものを食べないと……」
祖母はしゃがれた声で、こちらには目を合わせずに言う。そのナヨナヨした、でもこちらの意見を全く聞く気のない態度はより私を苛立たせた。煮物の皿をひっくり返してぶち撒けてやろうかと思ったが、そこまでするほど私は気が大きくなかった。
これ以上老人の戯言に付き合っていると頭がおかしくなりそうだ。
私は朝食に一切手をつけないまま、立ち上がり部屋を後にしようとした。すると母親が声を荒げて止めようとする。
「待ちなさい!折角お婆ちゃんが作ってくれたのに……」
「うっさいなぁ……」
私はそう呟きながら玄関に向かった。そしてそのまま外へ出た。
「ちょっと、何処へいくの!」
苛立ちすぎて、返事をすると叫び出しそうだったから、私は黙って足を進める。
背中からは「せめてお味噌汁だけでも飲みなさい!」と母親が言う声がした。
彼女は私がいつもの癇癪を起こしただけで、大したことではないと思っているのだろう。
私の方は我慢の限界だった。彼女たちは私がお化粧を覚えたことに対しても、子供なんだからまだ早いと言う。こんな芋くさい雰囲気の家は嫌だ。
もう私はこんな家に戻りたくない。
本当は寺小屋にこのまま向かうつもりだったが、もういい。このまま家出してやる。街ゆく人をかき分けて、私はずんずんと足を進めた。
行くあてがあるわけではなかった。
さっきまでは家出する気満々だったのだが、冷静になってみれば小遣いも家に置きっぱなしだし、転がり込むあてもない。
私だって馬鹿じゃない。少なくとも同年代の寺小屋の男子よりも。このまま家出したところで生きていけない。あっという間に野垂れ死ぬだろう。
いや、この暑さだ。その前に熱中症で倒れて死んでしまう。
かといって今更寺小屋に行ったり家に帰ったりするのもばつが悪い。
「どうしたもんかな……」
私は田園の真ん中に続く道をぶらぶらと歩いていた。
綺麗に区画された田んぼが延々と広がっていて、どこまで行っても変わり映えしない風景に、何だか嫌気がさした。
わざわざこんなところまで来たのは、里にいたままでは顔見知りに寺小屋をサボっているのを見られてしまうからだ。
日差しが首の後ろの肌を焼いて少し痛い。
茹だるような暑さだ。時折り吹く強い風がなかったら、とっくに倒れている。
頬を伝い顎から汗の雫が滴り落ちるのを、私はそのままにした。汗を拭うことすら面倒だ。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。あんなことを言っておいて、今更家に帰るのはあまりにばつが悪い。
私は早くも家を飛び出したことを後悔していた。
その反面で母や祖母に対する苛立ちも立ち消えたわけではない。
「ん?」
ずっと下を向いて歩いていたのだが、顔をふと上げると、視界の端に何かが映った。
そちらの方に目を凝らした。田んぼの間ぽつんと建てられた、屋根付きの小さなお堂——よく休憩所代わりに使われているのを見かける——の前に誰かが座っていた。
女苑ちゃんだ。
エメラルドの大きなブローチはいつも通りだったが、今日は薄い桜色ののワンピースに麦わら帽子という出立ちだった。
私は胸が高鳴るのを感じた。
そちらに向かって歩いていくのだが、気持ちが抑えきれずほとんど駆け足になってしまう。
まるで私が家出したのを察して表れたかのような、最早運命すら感じるタイミングだった。「私を灰色の生活から救ってくれる白馬の王子様」は流石に言い過ぎだろうが、そんな考えが頭をよぎってしまう。
「女苑ちゃ……」
手を振りながらそう言おうとして、あることに気がつき、私は段々と減速した。
女苑ちゃんが影になっていて近づくまでよく見えなかったのだが、誰かもう一人お堂の前に座っていたのだ。
隣に老婆が座っていた。
たまたま一緒にいた、というには不自然な距離感で隣に並んでいる。それどころか二人は親しげに会話していた。女苑ちゃんが老婆に話しかけられて鬱陶しいと思いながら渋々返事をしている、というような様子でもなく、長年の友人のような雰囲気すらあった。
「あれ、どうしたの。こんなところで」
「あ……えっと……」
こちらに気づいた女苑ちゃんが声をかけてきたが、私は動揺してうまく返事ができなかった。
彼女は狼狽える私の顔を不思議そうに覗き込む。
「……その人は?」
「あーこいつ?私のお婆ちゃん」
「えっ」
女苑ちゃんに家族がいるなんで思いもよらなかった私は、目を丸くした。いやしかし彼女だって木の股から生まれてきたわけではない。何となく私は、家族だとかそういう俗っぽいものは、女苑ちゃんにはいないと思い込んでいたのだ。
私が何も言えないでいると、女苑ちゃんを老婆は「アンタ何言ってんだい」と軽く小突いた。
「嘘よ嘘。まあ古い友人ってとこね」
「そ、そうなんだ……」
嘘をつかれたことよりも、私は女苑ちゃんと老婆が気心が知れたやりとりが癇に障った。私だってそんな風に女苑ちゃん相手に接することができないのに、目の前の老婆は何故それが許されているのか。
こんなよぼよぼの老婆は、女苑ちゃんに似つかわしくない。女苑ちゃんは格好よくて、強くて、可愛くて、お洒落な私の憧れなのだ。
「女苑ちゃん……あのさ、あんまり良くないと思うよ」
「んー、何が?」
彼女は飄々とした態度で、私の今の気持ちなんてわかっていないに違いない。私の中で何かが沸々と込み上げてくる。
言葉にして直接伝えるしかない。これ以上、女苑ちゃんの隣に枯れた木のような老婆が並んでいるのは許せなかった。
「その、そんなしわくちゃの年寄りのお婆ちゃんと仲良くするのは……何かダサいよ」
「は?」
冷たい声だった。
普段は愛嬌があって明るい女苑ちゃんだけど、決して優しいだけの人間じゃない。ナンパしてくる男たちにすら明るく接する彼女だったが、彼らが暴力をチラつかせたり一線を超えるとガラリと態度を冷たくする。
その眼差しが、今私に向けられていた。
「……っ」
叫び出したかったが、喉からは掠れた空気が漏れるだけだった。
気がついたら、私は駆け出していた。二人に背を向けて、街に向かって逃げ出していた。
今まで歩いてきた田んぼの間を通る道を逆走する。
女苑ちゃんにあんな目で見られることが耐えきれなかったのだ。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
私はただ、女苑ちゃんに女苑ちゃんらしくあって欲しかっただけなのに。
この世界で私は完全に一人ぼっちだった。
いや、私だってそこまで馬鹿じゃない。
勝手に理想を押し付けて、勝手に失望して、今の私がとても身勝手なのはわかってる。あんなことを言って、こうやって逃げ出して。何なんだろう、私は。
感情が氾濫して、頭がぼんやりとする。
溢れ出しそうになる涙を堪えて、足をもつらせそうになりながらも、私は走った。
「……どゆこと?」
のどかな田園風景を疾走する少女の背中を、私は茫然と見送った。
いきなり失礼なことを言われたので、ちょっと苛立ついて冷たく返事をしたら、そのまま逃げ出してしまった。
長年の友人を貶されたとはいえ、ついドスの効いた声を出してしまったのは悪かったとは思う。
けどこれは不可抗力だ。普段は情の薄い人でも、身内や仲の良い友達のことを侮辱されると、瞬間的にカッとなるものだ。
「知ってる子かい?」
「うーん、まぁ……」
私が言い淀むと、彼女はわざとらしく声を暗くしてこう言った。
「まさかアンタ、あんないたいけな子に貢がせてるんじゃないだろうね……」
「失礼ね! いくら私でもあんな子供から毟るほど落ちぶれちゃいないわよ」
隣に座っている彼女は声をあげて笑った。
私は「まったく……」とつぶやいて座り直した。
「まーなんと言うか、あの子には懐かれちゃってたんだけど……」
一度声をかけて以来、街で会うたびにこちらに駆け寄ってくる。私に憧れているのがこっちにまで伝わってきて、まあ悪い気はしない。
そんな彼女が、あんな風に強いことを言ったり、挙句逃げ出したりしたのには驚いた。
「年寄りと一緒に居るのがダサいって……わざわざそんなこと言わんでも」
かっこいいものとそうでもないものを振り分けていったとき、お年寄りが後者の箱に振り分けられること自体はわかる。
とはいえお年寄りと一緒にいてはいけない、みたいなことを言うのは、いったいどんな心境からなのか理解できなかった。しかも本人の目の前で。
「私にはわかる気がするね」
「へぇ、その心は?」
私がそう聞くと、彼女は遠い昔に思いを馳せるかのように、目を細めた。
「昔のあたしもあの子と同じだった。青いころはさ、アンタみたいな自分に自信があってキラキラしてる奴に憧れちゃうものさ。それがあたしみたいなババアと一緒に仲良さそうにしてたから、理想とのズレに驚いちゃったんだろうよ」
「そんなもんかなぁ」
それだけであんな風になるとは思えなかったが、あの子の発言を考えると、そう間違ってはいないのだろう。
「ていうか何よ。しわくちゃの年寄りとまで言われた割には涼しい顔しちゃって、挙句あっちの肩を持つだなんて」
馬鹿にされた張本人は、大して気にしていなかったようだ。これではちょっと怒った私の立場がない。
「まあ事実だからねぇ」
彼女は魔女みたいに意地悪く笑った。私はわざとらしく不貞腐れてみせた。
会話が少し途切れた。蝉がけたたましく鳴いてる。風が吹いて、危うく飛びそうになった麦わら帽子を、私は慌てて手で押さえた。
それから彼女は一息ついて、自嘲するように歯を見せた。
「実際、若い子からすれば醜いナリだろうよ。アンタと並べば尚更みすぼらしい……見なよこの手。しわくちゃでボロボロだ」
そう言って彼女は自分の手を見せる。しわくちゃな上に、小さい傷跡やうっすらと火傷の跡もある。
彼女も小娘に何かを言われたからといって、それで怒るほど短気でも狭量でもない。しかし若さが恨めしい気持ちがないわけではない。
目を伏せる彼女が何だかもどかしくて、私はきっぱりと言ってやった。
「私はアンタの手、羨ましいけどね」
「……皮肉かい?」
「違うわよ」
私は首を振った。
「あかぎれた指は、誰も褒めてくれないのに毎日家事をしっかりとやった証拠でしょ。右手の傷は捨て猫に手を差し伸べたら引っ掻かれた時のやつだっけ」
私が「あの人懐っこい猫も、最初は随分な人間嫌いだったわよね」と続けると、彼女は目を瞑って頷いた。
「火傷の跡もさ、長男がチビだった頃に囲炉裏に落ちそうになったときのやつでしょ」
「そうそう。あたしがそれを言うと、あの子ったら俺はそんな間抜けじゃなかったと思うんだけどなぁ、とか言うのよねぇ」
そう言って彼女は嬉しそうに笑った。
私は彼女の手から、自分の手に目線を移した。
「アンタの手には、年輪みたく今までの人生が刻まれている。私のつるつるのガキみたいな手より、よっぽど素敵よ」
人間は寿命の長い私たちに比べて、色んなことを経験して、すごい早さで成長していく。時間が限られているせいなのだろうか。
性質上、人間と付き合いの多い私はたまに考えてしまう。彼らが芽吹き花を咲かせる横で、私は何も変われない。長い寿命を持つ私たちには、時折彼らが羨ましくなることがある。
「……アンタ変わったよ」
「え?」
まるで心を見透かしたかのようなタイミングで、彼女はそう言った。しゃがれてはいるが、柔らかい響きのある声だった。
「出会った頃のアンタなら絶対そんなこと言わなかった。プリズムリバーのライブで、客の財布をかっぱいでたあの頃だったら、絶対そんな台詞出てこなかったろうよ」
私は声をあげて笑った。あまりに懐かしい話だったからだ。
「そういやアンタと初めて会ったのって、アイツらのライブだったわね。もうあれから何年経ったかしら」
「こないだ花の咲き乱れる異変があったから、少なくとも60年は経ったはずだね。アンタに出会う少し前も、同じことがあった」
「懐かしいわね」
懐かしいとは言ったが、ライブの観客に加わる勇気のない少女の手を引いたあの夜を、私は昨日のことのように思い出せる。
「あの頃のあたしも、さっき走って逃げた子と同じだった。アンタのことが大人に見えて、周りの同年代がガキに見えて……確かに女苑の方が精神的に少しお姉さんだったかもしれないが、今にして思えばどっちもガキだったね」
「うるさいな」
意地悪く笑う彼女に、私は唇を尖らせた。
ため息をついて私が顔を上げると、彼女が私を見ていた。どこかに憂いをたたえつつも、柔らかくて、それで真剣な眼差しだった。
「ねぇ、あの子を頼むよ」
「頼むつったって……」
「話をしてやるだけでも良いさ。それだけでもあの子には十分だろう」
確かに彼女があんな突飛な行動に出たのは、情緒が不安定だったからだと思う。親や寺小屋の友達と喧嘩しただとか、何かあったのだろう。
フォローを入れてやる必要があるかもしれない。
しかし彼女の姿はもうとっくに見えなくなっていたし、探し出せる確証もない。
「頼むよ。最後のお願いだ」
「んな大仰な……」
私が大袈裟だと言い返そうとすると、風が吹いた。強い風だった。
飛ばされないよう帽子を抑える。目にゴミが入りそうになって、私は目を瞑った。
長い風が吹き終わり、私はゆっくりと目を開いた。
すると、彼女はもういなくなっていた。蝉の鳴き声だけが響き渡る。
私は肩越しに振り返って祠に目をやった。
そこには、割り箸の足を持ったナスが置かれていた。
「……何よ、せっかちなんだから」
折角のお盆なんだから夜の送り火までゆっくりしていけば良いのに、彼女ときたら真昼間に帰ってしまった。
私は深々とため息をついた。
彼女の最後のお願いのことを考えた。
この炎天下で人を探して歩き回るのは出来ることなら避けたい。しかし完全にアテがないわけではなかった。
あの少女と初めて出会ったのは、ここから里を挟んで反対側にある廃屋だった。彼女は辛いことがあったりすると、決まってそこに行くようだった。きっと今回もそこにいるだろう。
どの道あの子をこのまま放っておくのはあまりに夢見が悪い。
私は重い腰を上げ、麦わら帽子を被り直した。
「最後のお願いだものね」
分厚く積み上がった入道雲を仰ぎながら、私は歩き始めた。
最後がちょっと尻切れとんぼかも
思い切りの良いカットは上手くまとめるには必要かと思うのですが、この話に関しては改心のシーンや家族との仲直りのシーンがないのは不足に感じてしまいました。
でも途中までは本当に面白かったです。こういう険の取れた女苑は大好きです。有難う御座いました。
どことなく夏の儚さを感じるような爽やかでちょっと寂しいようなお話でとても楽しめました。
ちょっとだけ尻切れな気もしますが、
2人の少女を主役として書いたのであれば、これ以上は蛇足な気もしたので難しいところ。
きっとお祖母ちゃんが大人になって結婚して子供ができて死ぬまで
全部見てきて友人として接してそして変わっていったんだろうなて思うと
こういう女苑ちゃんもいいですね。