だって、できるもん。
永琳はそう思って、夕焼け空に手を伸ばした。
◇
夕焼けは『さよなら』の色なのだと、メディスンは言った。
オレンジ色に染まった鈴蘭畑で、お人形の集会。輪っかになって座った人形たちからは、少し離れて、その暗い眼差しの人形は、手頃な岩の上に座り、一段上から集会の様子を俯瞰していた。
物憂げな、小さな女帝。
メディスンは膝の上に、塩化ビニールのおもちゃの人形を乗せている。古臭い感じのするその子は、打ち捨てられた人形たちの中にあっても、自分に自信が持てないでいた。メディスンの造り物の瞳は憂鬱そうに澱み切っていたけれど、膝の上の子をそっと抱く手付きだけが、全体の印象から乖離して優しげだった。
すぐそばには赤と青の置物。時折、メディスンが話し掛けると「そう」と応じるので、置物ではなく永琳が立っているのだと知れた。あまりに先進的に過ぎる機械は、せめて動いていないと奇妙なインテリアと区別が付かない。
この鈴蘭畑には、狭い意味での生きた生き物はいなかった。あるのはただ、物だけ。
人形は人形にしか聴こえない声で活発な議論を交わし合っている。飛び飛びでまちまちだった話題は、ある時に、子供達と遊んだ思い出に及んだ。
人形と言っても色々で、女の子のお人形だけなく、中にはプラモデルといった、男の子のおもちゃもいた。やんちゃな子供の持ち物だった子なら、外に連れ出してもらったこともあるのだろう。いいえウチの中のおままごとだって事情は同じよと、すらりとしたスタイルの人形が言った。電池で動く恐竜のおもちゃが目を光らせて威嚇した。メディスンはそのあたりで一声かけて、喧嘩を諫めた。
誰かを愛することができた人形って、幸せ。
思い出を持っている人形もいれば、持っていない人形もいる。
思い出は人形の財産で。財産はたやすく、争いの種になる。
例えば、ある子供の持ち物は、他の子供達が家に帰らないといけない時間いっぱいまで、注目を集める自慢のおもちゃだったとか。全ての人形が、そういう財産を持っているわけでもない。活発な議論は、思い出自慢大会へと移り変わっていた。
人形達は好き勝手に喚くばかりで、メディスンの思う通りには動かない。それなのに、鈴蘭畑には定期的に存在を忘れられた人形が漂着する。その子らもやっぱり、メディスンの思う通りには動かない。外の世界で忘れられる子供のおもちゃは後を絶たない。いつしかメディスンは、ひどく疲れた眼差しをするようになっていた。
「……それは良かったわね」
過日の思い出を語る塩化ビニールの塊に、メディスンは労わりの声を掛けた。
そして、夕焼けは『さよなら』の色なのだと、メディスンは傍らに置いてある永琳に向けて言ったのだった。
「子供が楽しいなら、大抵、おもちゃも楽しいものよ。名残惜しいのは、あの子達も同じ」
自分は子供のためにある物だから。そんな意識が高く、お姉さんぶって、子供達を律する人形がいて、たとえ喋らない物であっても、さりげない仕草で誘導することがある。もちろん、駄々を捏ねる困った人形もいるけれど。
「子供の見る夕焼けは時として、思いがけないほどにさみしくて、切実なものになる」
稜線に半分だけ沈んだ太陽から、赤色がとろけて滲み出る。空から見下ろしたなら、谷間の鈴蘭畑に黄金色の樹液を流して込んで、琥珀に固めようとしているみたい。
本当に、固まってしまったみたい。
太陽が丘の向こうに隠れようとしてから、どのくらいの時間が過ぎたのか、誰にも分からない。三時間くらいのようでもあるし、三日間くらい、ずっとこうだったようにも思える。
「分からないわ」
と、永琳は心底不思議そうに呟いた。
「さよならが嫌なら、しなくても良いのに」
「人間は、貴方ほど何でもできる生き物ではないの。暗くなったらもう帰る時間だし……お人形遊びは、いつか卒業するものだわ」
「そう」
永琳は、まだ納得した顔をしていない。
恨めしげに、夕陽のことを睨んでいる。貴方が沈むからいけないんだわ、とでも言いたげな顔。
「あのね、永琳。もう、帰らなくちゃいけない時間よ。おうちの人が、待ってるわ」
「まだ夕方よ」
「そうね。ずっと、夕方ね。ずっと、ずっと、夕方のまま。もしかしたら永遠にこのままかも知れない。でも、時間は時間」
メディスンは毒のように纏わりつく倦怠感を振り払って、もう一度、頑是ない無垢な子供に諭して聞かせるように、誠実に繰り返す。
「おうちの人が、待っているわよ」
「それもそうね」
と、永琳は言った。
奇禍は去った。
もうすぐ日が暮れる。
じゃあね、バイバイ、また明日。
永琳はそう思って、夕焼け空に手を伸ばした。
◇
夕焼けは『さよなら』の色なのだと、メディスンは言った。
オレンジ色に染まった鈴蘭畑で、お人形の集会。輪っかになって座った人形たちからは、少し離れて、その暗い眼差しの人形は、手頃な岩の上に座り、一段上から集会の様子を俯瞰していた。
物憂げな、小さな女帝。
メディスンは膝の上に、塩化ビニールのおもちゃの人形を乗せている。古臭い感じのするその子は、打ち捨てられた人形たちの中にあっても、自分に自信が持てないでいた。メディスンの造り物の瞳は憂鬱そうに澱み切っていたけれど、膝の上の子をそっと抱く手付きだけが、全体の印象から乖離して優しげだった。
すぐそばには赤と青の置物。時折、メディスンが話し掛けると「そう」と応じるので、置物ではなく永琳が立っているのだと知れた。あまりに先進的に過ぎる機械は、せめて動いていないと奇妙なインテリアと区別が付かない。
この鈴蘭畑には、狭い意味での生きた生き物はいなかった。あるのはただ、物だけ。
人形は人形にしか聴こえない声で活発な議論を交わし合っている。飛び飛びでまちまちだった話題は、ある時に、子供達と遊んだ思い出に及んだ。
人形と言っても色々で、女の子のお人形だけなく、中にはプラモデルといった、男の子のおもちゃもいた。やんちゃな子供の持ち物だった子なら、外に連れ出してもらったこともあるのだろう。いいえウチの中のおままごとだって事情は同じよと、すらりとしたスタイルの人形が言った。電池で動く恐竜のおもちゃが目を光らせて威嚇した。メディスンはそのあたりで一声かけて、喧嘩を諫めた。
誰かを愛することができた人形って、幸せ。
思い出を持っている人形もいれば、持っていない人形もいる。
思い出は人形の財産で。財産はたやすく、争いの種になる。
例えば、ある子供の持ち物は、他の子供達が家に帰らないといけない時間いっぱいまで、注目を集める自慢のおもちゃだったとか。全ての人形が、そういう財産を持っているわけでもない。活発な議論は、思い出自慢大会へと移り変わっていた。
人形達は好き勝手に喚くばかりで、メディスンの思う通りには動かない。それなのに、鈴蘭畑には定期的に存在を忘れられた人形が漂着する。その子らもやっぱり、メディスンの思う通りには動かない。外の世界で忘れられる子供のおもちゃは後を絶たない。いつしかメディスンは、ひどく疲れた眼差しをするようになっていた。
「……それは良かったわね」
過日の思い出を語る塩化ビニールの塊に、メディスンは労わりの声を掛けた。
そして、夕焼けは『さよなら』の色なのだと、メディスンは傍らに置いてある永琳に向けて言ったのだった。
「子供が楽しいなら、大抵、おもちゃも楽しいものよ。名残惜しいのは、あの子達も同じ」
自分は子供のためにある物だから。そんな意識が高く、お姉さんぶって、子供達を律する人形がいて、たとえ喋らない物であっても、さりげない仕草で誘導することがある。もちろん、駄々を捏ねる困った人形もいるけれど。
「子供の見る夕焼けは時として、思いがけないほどにさみしくて、切実なものになる」
稜線に半分だけ沈んだ太陽から、赤色がとろけて滲み出る。空から見下ろしたなら、谷間の鈴蘭畑に黄金色の樹液を流して込んで、琥珀に固めようとしているみたい。
本当に、固まってしまったみたい。
太陽が丘の向こうに隠れようとしてから、どのくらいの時間が過ぎたのか、誰にも分からない。三時間くらいのようでもあるし、三日間くらい、ずっとこうだったようにも思える。
「分からないわ」
と、永琳は心底不思議そうに呟いた。
「さよならが嫌なら、しなくても良いのに」
「人間は、貴方ほど何でもできる生き物ではないの。暗くなったらもう帰る時間だし……お人形遊びは、いつか卒業するものだわ」
「そう」
永琳は、まだ納得した顔をしていない。
恨めしげに、夕陽のことを睨んでいる。貴方が沈むからいけないんだわ、とでも言いたげな顔。
「あのね、永琳。もう、帰らなくちゃいけない時間よ。おうちの人が、待ってるわ」
「まだ夕方よ」
「そうね。ずっと、夕方ね。ずっと、ずっと、夕方のまま。もしかしたら永遠にこのままかも知れない。でも、時間は時間」
メディスンは毒のように纏わりつく倦怠感を振り払って、もう一度、頑是ない無垢な子供に諭して聞かせるように、誠実に繰り返す。
「おうちの人が、待っているわよ」
「それもそうね」
と、永琳は言った。
奇禍は去った。
もうすぐ日が暮れる。
じゃあね、バイバイ、また明日。
綺麗なお話でした
夕焼けと鈴蘭畑にが織りなす情景描写の美しさと、メディスンの切実さの空気感がとても素晴らしくて、本当によかったです。
とても好きな空気感でした。良かったです。