Coolier - 新生・東方創想話

そこで揺蕩う

2021/06/02 20:33:37
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 紅魔館に蛙がやって来た。背丈は私と同じくらい。
 蛙特有の曲がった後ろ脚は今はピンと伸び、地を踏みしめている。でっぷりとした腹は白シャツの上からも存在感をはなち、タキシードに収まりきっていない。頭のうえにはシルクハットが鎮座して、ニヒルな光沢を見せている。
「失礼。ここに吸血鬼がいらっしゃると聞きまして」
 シルクハットを取り、丁寧に会釈する。お嬢様の御客であることは判ったが、まさか蛙にまで顔が通じているとは思っていなかった。とりあえずは客間で待たせて、お嬢様に知らせに行く。


「お嬢様、御客様です」
「あ?誰?」
「お名前はきいておりませんが、蛙の御客様が」
「此処まで案内してあげて」
「かしこまりました」
 客間に戻ると、蛙はソファに座ってくつろいでいた。紅茶は空になっているけど、お茶請けは一つも減っていない。蛙に配慮したような菓子ではないので、口に合わなかったのかもしれない。すこし申し訳なかった。
「お嬢様の場所まで、ご案内いたします」
 蛙は立ち上がり、尻(と言っていいのだろうか)に敷いていたハンカチを畳んでポケットに入れる。まとっている体液がハンカチ越しにソファシーツに沁みていて、ひどく嫌だった。
 案内する途中、蛙はしきりに蝶ネクタイをいじり、タキシードの皺をなおし、身なりを整えていた。ひとしきりそれが終わると、窓の外を眺めた。それから思い出したようにシルクハットをハンカチで拭い始め、もうすぐ到着というところで話しかけてきた。
「お心遣いありがとうございました。しかし歯が無いものでして」
「はぁ」
 お嬢様と蛙の間でどんな会話が交わされるのか、少し楽しみにしていたのだけど、下がっていてと言われてしまった。紅茶も自分で淹れるからと。そこまでするほど聞かれたくない話をするのだろうか。
 より興味が湧いてきたけど、仕事もしなければいけないので諦めざるをえない。しかし、あの蛙の正体は非常に気になる。どこから、何を話しにやって来て、お嬢様との関係はどんなものなのか。どうして紳士然とした恰好なのか。去り際にでも訊ねようか。
 そんなことを考えながら机を磨いていると、門のほうで動きを感じた。窓から見てみると、なんと蛙は既に館から出て行ってしまっていた。
 まずい、はやく追わなければ。適当に仕事を終わらせて後を追った。


 こそこそと後をつける。行き先がわかれば、その正体を推察することもできるだろう。道程から察するに霧の湖に向かっているようだ。思ったより近場からの来客だった。
 蛙はときどき止まってはきょろきょろと辺りを見るので、追跡者の気配を感じ取っているのかもしれない。見つからないように—見つかっても特に問題はないけど—振る舞う。
 そして湖のほとりに着くと、蛙はタキシードを脱ぐこともせずに飛び込んだ。潜水する姿は見事なもので、確かに蛙であると感じた。シルクハットが水面に取り残されて、それも蛙の手に引っ張られて沈んだ。
 蛙は霧の湖に居ることがわかった。この湖に住む妖怪は多いから、そのなかの一つなんだろう。それでもお嬢様に逢いに来た理由はわからないけど。訊けば話してくれるのだろうか。
 すこし気になったので湖に入ることにした。蛙の背中は見えないけど、底まで行けば何か見えるだろう。
「あー。つめた」
 水は微妙な温さとそれなりの冷たさを持っていて、服をびしょびしょに濡らす。溜め込めるだけ空気を吸って顔を沈めた。全身が水に浸かったあと、ゆっくり目を開いて、水中の景色を確かめる。人魚がいた。あの蛙のことを知らないか訊こうとしたけど、泡しか出ない。なんとか身振り手振りで気づいてもらえないだろうか。
「お…いつかのメイド」


 蛙を知っているらしい人魚は情報を話し出した。
 それによると、この湖の底には誰も入れない空間があって、蛙は一人でそこに暮らしているという。この湖で蛙を知らない者はいないほど知られているという。人魚が物心ついたときには既に居たという、かなりの重鎮だ。
 だけど、誰もその空間の中で蛙以外の者を見たことはない。蛙はいつも一人でいる。一人でなくなるのは、今日みたいに外に出たときだけ。そんなだから、誰もが彼を知ってるにも関わらず、誰も彼について知らない、と。
 どうやら私が思っていたよりも蛙は大物らしい。正体を掴むには苦労しそうだ。とりあえず潜っていくと、湖は思っていたより深いことに気づいた。底まで着くのにそれなりの時間がかかる。持って来ていた空気で肺を満たして、ようやく底が見えてきた。
 色んな種類の魚が泳いでいて、丸い大岩がごろごろと転がっている。目を凝らすと機械から毀れ落ちたような錆びた端鋼もあって、一見しただけでも面白い。だけど目的はあくまで蛙のいる空間なので、そこらの興味は今度来たときにしよう。
 誰もが知っているということで、当然それは大きく、すこし探すだけで見つかった。湖底の端のほうの一部分を占めていた。空間の中には小さな家がたち並ぶ町があって、ほとんどの家は扉が開きっぱなしになっている。一つだけ閉まっている家があって、おそらくそれが蛙の住む家なんだろう。
 そうだと言わんばかりのタイミングで蛙が家から出てきた。そうして私を見つけて、ひどく驚いたようだった。何か言っているようだけど何も聴こえない。空間を隔てているからだろうか。近寄って確かめてみると、なるほど、空間が違う。見ることは可能だけど、入ることは不可能だ。
 しかし十六夜咲夜に出来ないことなどない。
 空間が違っているのなら、うまいこと繋げてやれば問題ないのだ。そうすれば、
「ほら入れた」
 蛙はあんぐりと口を開けていた。


「珈琲です。熱いので気をつけて」
「助かります。冷たいものをいただくと胃がびっくりしますの」
 薄い水色のカップとソーサーは、いかにも湖底で出されたものといった風情だ。それにしたって、こんな涼しい世界でどうやってお湯を沸かしたんだろう。魔法でも使ったんだろうか。気にはなったが、それ以上に訊きたいことがあった。
「いくつか質問があります」
 蛙は棚を漁る手を止め、こちらに顔を向けた。
「何でしょう」
「貴方は、お嬢様とどのような話をしたのでしょうか」
 蛙はそう訊かれることをわかっていたような顔をして、その後に申し訳なさそうな顔になった。蛙といういきものは—この蛙だけかもしれないが—実に表情豊かなものだと知った。
「残念ですが、それは話せないのです。そう言われました」
「どなたに」
「貴女の主様からです」
 なんとなくそんな気はしていた。私を遠ざけたし、聞かれたくない話なんだろう。いったいどのような秘密が蛙と共有されたのかは気になるが、話せないのなら仕方がない。
 それに、肝心なことをまだ訊いていない。お菓子をテーブルに用意しているこの蛙は、何者なのか。お嬢様とどういった関係なのか。流石に、直接的に訊くのは憚られるが—とりあえず出されたお菓子をつまむと、思っていたより美味しかった。
「おいし」
 思わずもれた声に、蛙が嬉しそうな顔をした。
「お口に合ったようで、幸いです」
「これは貴方が?」
「はい。幼い刻によく食べていたものを思い出しながら」
 蛙の思い出の味とはこんな感じなのか。もう少し人の口に合わない味だと考えていたけど。
「もう一つ、質問をいいでしょうか」
「どうぞ」
「貴方は此処で何をしているのですか」
 蛙は沈黙した。無表情を決め込まれると、さきほどまで雄弁だった顔から何も読み取れなくなってしまった。ぬるりとした緑の肌が途端に冷酷に映る。
「—何をしてるんだろう…」
 表情は変えないまま、蛙が呟いた。そして、じっと座ったまま動かなくなった。
 もしかしたらもうずっと動かないのではとすこし勘繰ったけど、すっくと立ちあがった。
「肌が乾いてしまいましたので、すこしの間失礼します」
 そう言って出て行ってしまった。もちろん後を追う。
 蛙は町の中心、噴水のある広場に向かっていた。湖底の国に、噴水があるのも妙な話だけど—なんにせよ、噴水は絶え間なく水を噴き上げていて、蛙は服を脱いでから、迷いなくそこに飛び込んだ。いつもこうやって肌を潤しているんだろうか?
 広場には噴水を囲うようにベンチがおかれていて、その周りには色んな物が置きっぱなしになっている。ちょっと目を凝らしただけでも、灰皿をひっくり返したような吸殻の山、ハーモニカ、なにか透明な膜などが見えた。ずっと昔には、この蛙以外にも住んでいる者がいたんだろうか。そして何処かへ行ってしまったんだろうか。
 蛙は降ってくる水を全身で受け止めながら、茫然と立っていた。何となく滝にうたれる修道者を思わせる。全身余すところなくびしょ濡れにして、大きく息を吐きながら蛙は出てきた。ぬめった皮フはいっそう輝かりとぬめりを増して、水温の響く広場にしぜんと馴染んだ。
「あぁ、すみません。お客様を放ったらかしにしたりして」
「いえ、そんな」
 蛙は恥じらう様子もなく服を身にまとっていって、最後にシルクハットを頂いた。身体も拭かずに着たものだから、すべてべちゃべちゃだ。蛙は気にしてないようだけど。
 どちらからも話し出さず、少しだけ気まずい沈黙が流れる。慌てて話題を取り繕った。
「この町には、他に住んでる人はいないんですか」
 それなりの数の住居があるのに、この蛙以外誰もいないのは不自然だ。それに、ベンチの側には吸殻なんかもあるのに、蛙の家には灰皿も置いてなかった。
「昔は沢山居たんですがね。みんなとっくに出て行ってしまいました」
「出て行った…とは」
「もう、蛙に成ったということです」
—なんだ?この蛙、何を言っているのだろう?
「あなたは、蛙ではないのですか?その、姿で」
 どこからどう見ても蛙だ。喋って、服を着て、直立していることを除けば。
「ずっと前に身体だけは成りましたが…此処にいるうちは蛙とはいえません」
 まだ蛙ではない。
「いったい、貴方は何なのですか?そして、此処は何処なのですか?」
 ずっとお肚の中にあった疑問を、言葉そのままにぶつける。婉曲に訊こうなんて考えたほうがバカだった。直接訊いたほうがはやいに決まってる。
「ここは御玉杓子が蛙に成るための場所です。そして私は、未だ蛙に至らぬ者です」
 蛙に成るための場所—
 そんなものがこの湖底にあったのか。確かに、蛙の家にも車輪付きの水槽があった。
「我々は幼いとき、非常に脆弱です。被食者です。避難所が必要でした」
 力を尽くして造り上げたのだ。どうか蛙まで育つように、と。
「他の者はすべて、蛙と成って出て行きました。もう昔のことですが」
「貴方はその時に出て行かなかったのですね」
「ええ。わけは覚えていませんが」
 なんとなく、この蛙は哀れだと思った。とくに理由はない。話を聞いているうちにそう思えてしまった。もうずっと前に蛙に成れていたはずなのに、一人この町に残り続ける蛙の姿は、妙に悲し気だ。ベンチに腰を下ろす。
「座って話しませんか」
 隣に蛙を誘って座らせる。ベンチは御玉杓子にフィットするように作られているのか、絶妙に座りにくい。
「もう、蛙に成ろうとは思わないのですか」
「それが—何とも言えないのです」
 蛙は天蓋を見上げて、訥々と語った。
「蛙に成りたい気持ちは燻っています。しかし、時間が経ち過ぎた」
 自嘲気味に笑って蛙は言う。
「この生活にも馴染んでしまいました。自分事ながら、今更と思ってしまいますね」
「成る程」
 確かに、そうなるのも無理はないだろう。蛙に成らないまま、長いこと暮らし続けてきたんだから。というより、そもそも私が口を出すことではないのだ。これは蛙自身のことなんだから。
 しかし、それでも—今の蛙は、ひどく寂しく映るんだ。
「…私は、蛙に成ってほしい」
 思ったことがふとこぼれ出す。蛙が私を見ている。驚いたような、不思議そうな表情を浮かべていた。構うものか。全部言ってしまえ。
「蛙に成りたいという気持ちが、まだ少しでもあるのなら、成るべきです」
「いや、そうは言っても、もう遅いのでは」
「いいえ。遅いなんてことありません」
 蛙に成るということが具体的にどんなものかは解らない。
 それでも、ずっと一人だったこの蛙が、もう蛙に成れないなんて嫌だ。
「貴方は長く生きて、知恵を蓄えたのでしょう。それなら、よりよい蛙に成れるはずです」
 蛙の目を見つめて言い切る。じっとりと濡れた目が、揺れている。ひどく困惑した表情だ。
 もう少しだ。背中を押せ。
「私が保証します。貴方はきっとよい蛙に成ると」
 我ながらなんて説得だろう。なにも知らない私が保証しますだなんて、筋違いも甚だしい。
それでも、蛙は神妙な顔つきになって考え出す。頭を傾けすぎてシルクハットが落ちそうになったから、慌てておさえた。蛙はそんなこと気にも留めない様子だ。
 そして、沈黙が長く続いたあと、蛙は呟いた。
「成れるでしょうか」
「きっと」
 蛙は決心したのか、ゆっくりと立ち上がる。すると、蛙の姿が消えて、まとっていたタキシードや白シャツがばさりと地面に落ちた。シルクハットがそれを踏む。少し待つとシルクハットがもぞもぞと動き出したので、持ち上げてみるといたって普通の蛙がいた。後ろ足で立つことも、話し出すこともしなかった。
 蛙は私をじっと見上げたあと、空間の外へと飛び跳ねて行った。あとに残された服は砂まみれになって、とても着れたものじゃなかった。シルクハットだけは使えそうだったので回収した。
—そのうち、外から声が聴こえはじめた。とても多くの声が。
「やっと成ったか」
「長かったなぁ」
 声のするほうに目をやると、沢山の御玉杓子がつぷりつぷりと入って来ていた。中には既に手足が生えている者もいる。御玉杓子たちはぞろぞろと、留まることを知らないかのように大量に入ってくる。彼らは周りを見渡し、気に入った家があるとすぐにそこへ向かった。
 その中から、一人が—手足の生えた個体が私のもとへとやって来た。
「よくやってくださいました。おかげで、私達が入れるようになりました」
話を聞くと、彼が此処に長く居すぎたことで、独り占めのような形になっていたらしい。彼らはずっとこの町に入れる日を待っていたという。
「私達はしばらくの間、此処で暮らします。どうぞまた訪れてください」
 シルクハットをお土産にして帰ることにした。改めて町並みを見てみると、穏やかに時間の流れる、とってものどかな場所だ。こんなに静かな場所で育つから、蛙はあんなにも風格を持つんだろう。
 今度また来ようなんて思いながら、水の国を後にした。
「結局、お嬢様は何を話してたのかしら?」
転箸 笑
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コメント



0.100簡易評価
1.100いさしろ通削除
大人にならないまま独りの世界で過ごす蛙の姿と迷い、雰囲気が好きでした。湖の底っていう場所も蛙の生活を象徴するみたいで好きです。
運命を操るおぜうがきっかけになって、時間を操る咲夜が蛙に大人になるよう背中を押すのはなんだかいい配置だなあ、と思いました。
味わいのある作品ありがとうございました。
2.100名前が無い程度の能力削除
はたから見ると老害的でありながら、向き合うとどこまでも紳士な蛙が良かったです。
3.80夏後冬前削除
シームレスに夢のような世界に繋がっていく描写は少しアリスを想わせました。とても好きな描写でした。個人的には咲夜が蛙に成って欲しいと思うところは違和感がありました。
4.100ヘンプ削除
不思議な蛙でした。どこか浮世離れしているような。
咲夜と話して成れたことが良かったです。面白かったです。
5.100南条削除
面白良かったです
とても不思議で幻想的なカエルがいいキャラしていて素晴らしかったですが
十六夜とかいう奴の方も負けず劣らずのヤベー奴で面白かったです
6.100めそふ削除
不思議な世界観を見せられた、良い雰囲気のお話でした。
咲夜と蛙のなり損ないとの謎の空間でのやりとり、面白かったです。
7.70名前が無い程度の能力削除
いい雰囲気で面白かったです。
全体として西洋童話的世界観で語られており、大きな蛙が一体何のかと根本的な説明がされていないにもかかわらず受け入れられてよい作品になっていたと思います。
レミリアと蛙が何をしゃべっていたのかの謎は、作品の中で全く生かされておらず不要なものになっていたので、無くて良いか、根本的には不要であり話に少しのふくらみを持たせるものと明示されていたら良かったと思います。
有難う御座いました。
8.100yakimi削除
一見紳士的な蛙が視点を変えるとどう映って見えるかという点が面白かったです。
11.100名前が無い程度の能力削除
面白かった
12.100サク_ウマ削除
これは何を読まされたんだろうか……?
良く分からないものがよく分からないままに満足感を与えてきたので大変に不思議な気分になりました。良かったです。