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「はい、ここ分からない人居たら手を挙げてくれ」
板書に文字を書く手を止めると、私は部屋いっぱいに響く声でそう言った。
「はい!分からないです先生!」
......そして、何故か嬉しそうにそう叫ぶ、我が教え子、氷精チルノ。
私はいつもの事ながら、頭を抱えた。
「......ちなみにここの何が分からないんだ?」
「全部!!」
途端、部屋中から生徒たちの笑いが沸き起こる。唯一、隣に座っている、大妖精という生徒だけが、オロオロと戸惑っているのが見えた。
私は寺子屋の教師である。
此処は、人里の一角にぽつりと建っている寺子屋。
普通の人間の子から、妖怪まで、様々な子供たちが勉学に勤しんでいる場所。
そんな学び舎で、教師を務めているのがこの私、上白沢慧音。
理由は二つ。
一つは、当然のことながらお金を稼ぐため。
二つ目は、子供たちと関わるためだ。
人間と妖怪のハーフではあるものの、私は人間が大好きなのだ。
だが、幻想郷にやってくる前は、人間たちに、妖怪退治と称して住処を追い出されたり、迫害されたりしたものだ。
それでも、やはり真っ直ぐで、助け合って、美しく生きていく彼らを、私は嫌いになれなかった。
幻想郷の寺子屋は、幻想郷のルールの通り、人間と妖怪が共存している。
だから私はこうして今、安心して楽しく授業を開くことが出来ているのだ。
これは、とある生徒と教師のお話。
「慧音先生ー!さようなら!!」
もうすっかり日も暮れ、妖怪たちがざわめき出す時間。
木々が風に揺られる中、寺子屋から、妖怪の子供たちが次々に下校していく。だが、その中に人間の子供の姿はなかった。
人間の子供たちは、立場的にも危険な為、朝に登校し、昼に下校する。そして、その子たちと入れ替わりに、昼に登校してくるのが、妖怪の子供たちだ。
「ああ。さようなら、気をつけて帰るんだぞ」
私は、段々遠のいていく教え子に向かってにこっと笑うと、そのまま見えなくなるまで手を振った。
「んんーっ......さてと、やるか」
私は大きく伸びをすると、そのまま自分の机に向かい始めた。
机には、沢山の書類等が積まれている。
いつも休憩時間などの合間を使って、こういう仕事は終わらせるのだが、やはり忙しい日はどうしても終わらなかったりする。
そんな日は、当然のことながら残業だ。
ここは、寺子屋の教室。
午前中は人間の、午後は妖怪の子供たちが、様々な知識を学ぶ場だ。
私はいつも、ここで書き仕事を進めている。
教科書の積まれた、生徒たちの共同机。そして、筆記用具から漂う、仄かな墨の香りに、床の所々から微かに香る、古い藁の匂い。
私的には、職員室や自宅でやるよりも、落ち着くのだ。
ふわりと、微かに開いた障子の隙間から、風が入ってきた。
そよ風に吹かれ、私の髪がふわりと揺れる。
その風は、ついこの間までと違い、妙に生暖かかった。
(......もう、そんな季節か)
夏の訪れを感じながらも、私は仕事を進めていく。
「──っくしゅ......!」
不意にくしゃみが出た私は、鼻をすすりながら再び、ゆっくり外を見た。
そして、夏から秋にかけてだけではなく、季節の変わり目は特に風邪に気をつけなさい、という八意先生の言葉を思い出すのだった。
***
慧音は一言で表せば、完ペキな教師だ。頭も良いし、身体も大人だし、顔も綺麗。
......私とは大違い。
「ねえ、大ちゃん」
……もう、ずっと前になるだろうか。
寺子屋に通い始め、沢山の友達、そして慧音をはじめとする多くの先生達と、まだ出会ったばかりの頃。
私は、前々から仲が良かった、大妖精という友達に、こんなことを聞いたことがある。
「なあに?チルノちゃん」
「どうすれば、アタイも大人っぽくなれるかなぁ」
大ちゃんは少し考え込んだ。そして、唸りに唸った後、こう言った。
「慧音先生の良さを、少しずつ取り入れていけばいいんだよ。そうすれば、私たちもかっこいい大人になれるんじゃない?」
大ちゃんの完璧すぎる返答に、私はなるほど......と頷いていた。
「おはよう、慧音!」
「ん......?あ、ああ............おはよう......」
だが、そんな慧音の様子が最近おかしい。
いつもの彼女なら、そんな歯切れの悪い挨拶なんてしないのに......。
私は、自分の顎に手を当て、慧音のことを覗き込んだ。
「どうした......な、何かついてるか?」
「......別に、なんでもない」
私は、ふいっと後ろを向き、自分の席に座った。
慧音は不思議そうに、私のことを見ていた。
その顔が少し火照っていたのを、私は見逃さなかった。
「慧音、大丈夫?」
「......な、何のことだ?」
突然の質問に、戸惑いを見せる慧音。
私は慧音の目をじっと見据え、続けた。
「顔、赤い」
「か......顔?」
「それに、辛そう」
今日の慧音は、いつもと違う。
ずっと頬が紅潮しているし、所々で微かに息が切れかかっている。
他の皆は勉強に集中していて、気づいていないみたい。
それも無理はない。だって、皆はいつも真面目に勉強しているから。勉強に集中出来なくて、気が散っているのは、いつも私だけだから。
それなのに、心配する私に向かって、慧音はにこっと笑う。
「大丈夫だ」
「見て見て!チルノちゃん、この花きれい」
そう言うと大ちゃんは、燃えるような赤い色のお花を摘んで、私に見せてくれた。
ここは、人里から少し離れた、穴場のお花畑。
ここには、珍しい花がたくさんある。
それに、なかなか人が来ないから、綺麗な花を勝手に持っていかれる心配もない。私たちのお気に入りの場所だ。
ここで何をしているかと言うと、お花摘みだ。
単純な話、綺麗なお花を摘んで、慧音にあげれば、元気を出してもらえるんじゃないか。そんな考えからの成り行きだった。
リグルやミスティア、ルーミアなんかも一緒に付いて来てくれている。
「いやいや〜この青い花の方が綺麗だよ、大ちゃん」
「えー?私はこの白い花の方が魅力的だと思うけどなー、リグル」
「私はこの黄色い花がお気に入りなのだー」
リグル、ミスティア、ルーミアが口々にそう言うので、大ちゃんは頬を膨らまし、少し唇をとんがらせた。
そんな中、私は不思議な花を見つけた。
少し近づき、摘んで観察してみる。
渦巻くような花びらに、淡いピンク色。
それは、今までに見たことないくらい、美しい花だった。
私はあまりの淡麗さに、思わず見惚れてしまっていた。
「ラナンキュラスの花......ふぅん、良いじゃない」
目の前から、急にそんな声が聞こえた。
びっくりして、私が視線を上げると、そこには見慣れた顔があった。
「......ゆうかりん」
「ふふ、こんにちは」
生暖かい風に吹かれ、赤いスカートと翠色の髪が、ふわりとなびく。そして、右手のひらを横に出し、フッと微笑む姿は、見る者全てを魅了してしまう程の美しさだった。
幽香の声に反応し、私の後ろの四人も顔を上げる。
「ラナンキュラスの花言葉、知ってる?」
唐突に、幽香にそう聞かれたが、全く分からない私は首を横に振った。
すると幽香は優しく微笑み、教えてくれた。
「『貴女はとても魅力的』よ」
「みりょくてき......」
「ね、チルノ。そのお花、誰かにあげるの?」
「うん、慧音が体調悪そうだから、元気出してほしいなって......」
「そう、じゃあ花かんむりでも作りましょうか。
やり方、教えてあげるわよ」
幽香がそう言うので、私は「ほんとに?やったー!」と、喜んで、大きく跳ね上がった。
花冠を作るのは、本当に精密な作業で、難しかった。
花の茎を、別の花の茎に結び付け、更に結び付け......これの繰り返しだ。
一見簡単そうだが、慧音や幽香と違って不器用な私たちにとっては、これがまた難しい。
「できたーーっ!!」
だから、出来た瞬間は嬉しくて、嬉しくて、ついそう叫んでしまった。
大ちゃんは「おー」と言い、パチパチと拍手してくれた。
リグルとミスティアは、自分たちが上手く出来ないのが余程悔しいのか、「むぅ......」と唸りながら、私のことを見てくる。
ルーミアは冠作りに夢中で、私には目もくれない。
そして、幽香は私の花冠を見ながら「なかなか上出来ね」と言い、微笑んでいる。
せっかくの花冠なので、どうせならと思い、私はいろんな花を入れた。
さっき私が見つけた、ラナンキュラスとかいう花......そして白い花、黄色い花、青い花......
「あら、チルノ......この花は?」
そう言うと、幽香は私の花冠を手に取り、比較的色の濃い、赤い花を指で軽くつついた。
さっき、大ちゃんが見せてくれた花だ。
「ああ、うん。それも綺麗だから、入れようと思って」
私がニコッと笑うと、幽香は少し呆気に取られたような顔をした。
しかしすぐに、ふふっ、といつもの笑みを零した。
私には、その反応の意味がよく分からなかったので、特に気にはしなかった。
「ゆうかりん、私も出来たよ!」
「私もーっ!……あとは、リグルとミスティアだけだね?」
「「うっさい!!!」」
残りの四人が口々に言うので、幽香は「微笑ましいわね」と、くすくす笑った。
***
「っくしゅん!ああ、これはまずいな......」
などと独り言をぼやきながら、私は夜の竹林を歩いていた。
寺子屋での書類の仕事は、思ったより長くかかってしまった。お陰で、ここ最近は寺子屋に篭もりっぱなし。おまけに、寝不足だ。
たたでさえ風邪気味だというのに、本当に無謀だなと我ながら思う。
不謹慎かもしれないが、こういう時は本当に、妹紅のような病気のない身体が羨ましくなってしまったりもする。
「っ!?」
途端、世界が大きく傾いた。
いや、正しくいえば私自身が傾いたのだろう。
頭に激痛が走る。
まずい、立っていられない。私は、もたれかかっていた竹に身を預け、そのままへなへなと座り込んでしまった。
視界が白く染まっていく。
やはり、ここ最近無理をし過ぎたか............
朦朧とする意識を目の前に、大きな後悔が襲いかかってくる。
と、その時だった。
竹藪の隙間から、影が近づいてくるのが見えた。
それは、とてもとても大きく、今の私が叶うものではないと、すぐに悟った。
やがてそいつは、私の目の前で立ち止まった。
正体は、獣の妖怪。私より、一回り、二回り大きかった。
獣人である私の身体には、半分獣の血が流れている。その為、いつもなら目の前のこいつと対峙するとしても、普通に勝てるだろう。
だが、今は違う。最早立つことすらままならないのだ。
そいつは、噛み合った歯の隙間から涎を垂らし、その大きな口で、ニタァ......と笑みを浮かべた。
嗚呼、私はもう終わりか。ここで、終わってしまうのか......。
もう足掻いても無駄だと悟り、私は目を瞑り、死を覚悟した。
その瞬間、目の前で閃光が弾けた。
私は恐る恐る目を開け、自分の身体が有ることを確認する。
無事だ。損傷はない。
これはどういうことだと思い、顔を上にあげると、そこには見慣れた姿があった。
「......チルノ」
そう、勇敢に佇む我が教え子の姿が。
その背中は、私の知らない力強さで満ちていた。
「全く…………待ちきれなくて、花冠を渡そうと来てみれば」
よく見ると獣の背中には、大きな氷の塊が刺さっていた。患部からは、だらだらと血が流れている。
「私の教師に何をするつもりだ」
チルノは物凄い怒りに満ちた、冷たい声でそう言い放つ。
痛みと苦しみに呻く獣は、攻撃を受けても尚、チルノに立ち向かおうとする。
「来ない方がいいよ?今、アタイすごく怒ってるから」
恐らく言葉が通じていないのだろう。
獣の妖怪は、残った力を振り絞り、勇敢にチルノに立ち向かった。
「残念だ」
恐ろしい程に冷たく、チルノがそう言い放つ。
すると、獣の目の前に、大量の氷の弾が現れた。そして、それは一斉に獣に向かう。
やがて、そいつは身じろぎ一つしなくなった。チルノの攻撃がよく効いたのだろう。
「慧音!!!」
急にそう叫ばれ、私は思わずビクッと反応する。
声のした方を見ると、そこには私の方に向かって一生懸命走ってくるチルノの姿があった。
そして、ぐったりしている私を抱き、心配そうに見つめてきた。
「チルノ......お前、いつの間にそんなに強く......」
「そんなことは今どうでもいいから!慧音!!」
肩で息をする私のことを、チルノはギュッと抱きしめる。
途端に、私は自分の鼓動が段々早くなっていくのを感じた。
「......すまないな、ありがとう」
そう言うと同時に、私の意識は暗雲に飲まれていった。
***
「えーりん助けて慧音が死んじゃうよおお!!!」
慧音を肩に抱えたまま、私が永遠亭の診療室に転がり込むと、咄嗟に振り返った永琳は血相を変え、「何事!?」と叫んだ。
慧音は布団に寝かされている。
先程飲まされていた薬と、額に濡らした布をのせているおかげで、顔の火照りは少しずつ治まってきている。
「あう……ああ、慧音…………」
「落ち着いて、一旦深呼吸しなさい」
未だに跳ね上がりそうな程の心臓の鼓動を抑えきれていない私は、永琳にそう促され、大きく深呼吸をした。
「えーりん、慧音は......」
「ただの風邪よ。......ちょっと無理をして拗らせちゃったみたいだけど」
「............そう」
「貴女が連れてきてくれたお陰で、大惨事は回避できたみたい。ありがとう、チルノ」
永琳に優しくそう言われたので、私はなんだか照れくさくて、俯いた。
そして、手に持った花冠を、花が潰れない程度にぎゅっと握った。
「......その花冠、誰が作ったの?すごく綺麗......」
「............あたい......」
「ふぅん......凄いじゃない。ひょっとしたら、私よりじょう..................あら?」
何に興味を持ったのか、永琳は目を丸くして、私の花冠に視線を向ける。
そして、何を察したのか、くすくすと笑いだした。
「......何?」
「いえ...........ふふっ、乙女ねぇ……」
「……?」
「あ、そうそう。慧音にこう伝えておいて」
そう言うと、永琳は私に、そっと耳打ちした。
「ん......ここは」
「慧音ぇっ!!!」
永琳が退出した後、私は目を覚ました慧音に真っ先に飛びついた。
慧音の体に自分の顔を押し付け、泣いていると、当然のことながら、戸惑ったような顔をされた。
「死んじゃうかと思ったよぉ!!」
「お、落ち着け......此処は、永遠亭か?」
「うん......アタイが連れてきた」
「そうか......世話を焼かせたな、ありがとう」
慧音がそう言うので、私は照れくさくなって、持っていた花冠を、ばさっと慧音の頭の上にのせた。慧音が「わふ」と声を上げる。
「......これって」
「この大きな花、らなんきゅらす......?とか言うらしくて。貴女はとても魅力的......って意味なんだって」
「あ......う、うん......そうだな」
慧音が突然頬を赤く染めて、困惑気味にそう言うので、私は首を傾げた。
だが、すぐにその意味を理解し、わたわたと手を振った。
「魅力的って言うのはっ......!そういう変な意味じゃなくてっ......!!」
「えっ?ああ......そうか」
私は恥ずかしくなって、顔を手のひらで隠しながら、俯いた。
「赤のアネモネ............花言葉は確か......君を愛す......だったか」
慧音は誰にも聞こえないくらい小さな声で、そう呟いた。その為、私には何も聞こえていなかった。
そして、慧音はカーッと顔を赤くし始めた。
「あ、そ......そうだ慧音、永琳からの伝言」
私は思い出したようにそう切り出す。
慧音も顔を上げ、恐る恐る私の方を見る。
「......な、何だ?」
「えっとね......なんかさ、慧音......」
生唾を飲み込む慧音。
私は少し躊躇ってから、こう言った。
「......恋の病なんだって」
チルけねすごく可愛い。
八意ーーーーーーーーッッ!!!!!!!!!!って叫ぶ慧音に笑いました
いい話でした
勇敢で心優しいチルノをはじめとする子供達も、
それを見守る大人達も素敵でした。