「早苗!? 聞こえる!?」
薄らと開かれた視界の奥。
今の私には、少し眩しくも思える淡い光。
頬に落ちた、冷たくも暖かい一つの小さな雫。
……涙、なのかな?
でも……誰の……?
「早苗、ねぇ私だよ、分かる!? 早苗、早苗!!」
必死に呼び掛けている。
何に?
早苗……?
私……のこと?
「もうやめな……」
「ねぇ早苗、起きてよ……!! また美味しいご飯作って、三人で食べようよ……ねぇ!!」
「諏訪子!!」
誰かと誰かが話し合っている。
怒声に聞こえるけれど、その声色はどこか悲哀の色に満ちていた。
諏訪子……さま……?
じゃあ、もう一人は……神奈子、さま?
「早苗は現人神であっても、身体は人間なんだ。 いずれこの時が来ることは、お前も分かっていただろう?」
「でも……早すぎるよ、こんな……!!」
……この時?
あぁ、私……死んじゃうんだ……。
嫌だなー、まだやりたいこと……たくさん、あったのに……。
急に視界が潤み出す。
それと同時に、上げられなかった声も、自然と混み上がってくる。
「神奈子、さま……諏訪子、さま……?」
「早苗!? 私だよ、私が分かる!?」
冷たくなりつつある私の手を、暖かく小さな両手が包み込む。
今まで、何度も繋いできたこの手。
私よりも小さくても、私よりもずっと多くの時を生き、色々な場所の記憶を刻んで来た、輝かしくもある立派な手。
指を絡め、必死に握って来る。
けれど私は、それを握り返すことは出来ない。
力が入らない、こんなこと今まで体験したことがない。
「早苗、お前はよく頑張ったよ。 後は私たちに任せな」
「嫌だ、死んじゃ嫌だよ早苗!!」
何度も、何度も落ちてくる雫。
こんな涙、見たことがなかった。
あれ、私も泣いているのかな……。
よく分からないけれど、二つの涙が合わさった気がする。
「神奈子さま……諏訪子さま、もう泣かないで下さい……私は、お二人の笑顔が見たいです……」
いつかは来ると分かっていた、この時間。
一瞬で過ぎ去るものだと思っていたけれど、こんなにも長く切ない時間だったなんて、思いもしなかった。
終わりは、もうそこまで見えている。
引き返せるのなら、這ってでも戻りたい……。
でも、ダメなんだ……。
「外の世界からこの場所に行き着いて、最初は不安でした。 でも、お二人が居たから……ずっと傍に居てくれたから、私は今もこうしてこの場所で生きられているんです。 恩人であり、家族であるお二人の哀しい顔は……今は見たくありません……」
何度も目を閉じてしまいそうになる。
薄れていく意識や、下がっていく身体の熱。
二度と起こすことの出来ない、暗く冷たい深海へと、見えない何かが誘おうとしている。
それでも、必死に言の葉を繋いでいく。
「私は、今も昔も……ずっと幸せでしたよ。 ありがとうございます……そして、これからは……私がお二人を見守り続けます……」
笑顔を見せることも、共に食卓を囲むことも。
手を繋ぐことも、話すことも喧嘩することも、もう出来ない。
それでも、私はお二人の傍を離れたくないんです。
「ありがとうございました、神奈子さま……諏訪子さま……」
震える腕を必死に上げ、ずっと泣いたままの瞳の涙を指で拭う。
諏訪子さま、先に旅立つ私を許して欲しいです。
償えなくてもいいです、ですがこれからも見守り続けることには、怒らず受け入れて下さい。
微かに開いた瞼の隙間から、瞳を右側へ向ける。
神奈子さま、私は上手く巫女を務めることが出来たでしょうか?
自信はありません、ですが神奈子さまが居たから、私は前を向くことが出来たんです。
ありがとうございました。
一筋の細い糸が切れたように、私の腕は力無く落ちていく。
流れ続けていた涙も、上げ続けた声も消えていく。
ダメだなー私……。
お二人に泣かないで下さいって言ったから、笑っていなきゃいけないのに。
私……笑えなかったな。