「紅いお屋敷に忍び込むって……本気なの!?」
湖のそば、うっすらと周りが白く霞むその場所で、話を聞かされたアゲハの少女が目を丸くして声を上げました。
「もちろん! 妖精に二言は無いわ!」
そんな彼女、エタニティラルバの前で強気に頷くのは、陽の光の妖精サニーミルク。薄い胸を得意げに反らせて自信たっぷりに答えます。
「紅いお屋敷って言うと……悪魔が住んでるってところだろ?
おもしろそーじゃん! 行こう行こう!」
「あたいもタイクツしてたんだよねー
よーし、突撃隊長は任せとけー!」
その横でワクワクと目を輝かせるのは、クラウンピースとチルノのふたり。
もうその話を聞いただけでテンションが振り切れているのでしょう。青白星模様と紅白ストライプの少女は、手にした松明を激しく振り回していきます。
もちろん、興奮しているのは氷の少女も同様です。腕が鳴るとばかりに、袖まくりした右腕をぐるんぐるんと回して今にも飛び出していかんばかり。
「ねえ…… あんなこと言ってるけど、大丈夫なの?」
とは言っても、紅いお屋敷に忍び込むなんて、それは大変に危険なこと。主である吸血鬼はもちろん、そこに住まう人々はみんな実力者揃いで、敵に回したりなんてしたらどんな目に遭うことかわかったものではありません。
そんな無茶なことはなんとしてでも止めないと…… 妖精の中でも珍しい常識人のひとりであるラルバは、残るメンバーたちへと尋ねかけていくのでした。
ところが……
「みんなが楽しそうならそれでいいんじゃないかなー」
「妖精の好奇心は誰にも止められないのよっ」
話を振られたリリーとルナも、特に反対する様子を見せてくれませんでした。
こんなときにブレーキ役になってくれる大妖精やリリーブラックは、今日に限って居合わせてくれません。これではこのまま、危険なところへ突っ込んでいくことになってしまいます。
「えぇ…… せ、せめてなにか段取りを決めようよ。
そうじゃないと絶対にムリだってば」
「そのためにみんなを集めたんじゃない。
ねえ、なにかいい考えある?」
ならば、どうにか無策で乗り込むことは避けなくては……
そんな思いからひとまずは全員を引き留めることに成功したものの、それはただの時間稼ぎにしかなりませんでした。
「そんなのどーだっていいよ!
あたいとピースで突撃すればなんとかなるって!」
「狂気の炎でルナティックターイムっ♪
みんな狂い踊らせてやるぜ!」
「無茶苦茶だって! そんなの通じる相手じゃないってば!」
そもそもからして、ここには突撃気質な人材しかいないのが致命的でした。いつもなら一緒にいるハズのスターが、なにやらやることがあるとかでこの場にいないのです。
彼女が不在、リリーブラックや大妖精とふたりの妹分も不在となれば、冷静なのはラルバただひとり。サニーは気分屋ですし、リリーはのんびり屋ですし、ルナも楽観視モードに入ってしまっていては段取りを立てるどころではないのです。
「大丈夫よ。前にも忍び込んだことあるし、私とサニーに任せてくれれば」
「抜き足差し足忍び足だねー
リリー、なんだかドキドキしてきちゃった」
「………」
ラルバはもう、口をパクパクとさせることしかできませんでした。
止めることもできず、次善の手をとることもできず。もはや、わかりきっている災難に向かっていくことしかできないのです。
「やっぱり私たちに段取りとか似合わないよね。そういうことならいつもの手で潜入よ!
さあさあ、『フォンダンショコラ作戦』の発動よ!」
「作戦目標、図書館への侵入。引き締めていきましょ!」
意気も高くコブシを振り上げ、先頭立って進んでいくサニー。
それに従ってゾロゾロとついていく、ルナ、チルノ、ピース、リリー。
ラルバはそんな彼女たちをオロオロと見送っていきますが、かといって自分だけが残るわににもいきません。
「はぁ、大ちゃんの苦労がよーく解る気がする……
だいたいフォンダンショコラってなんなのよー!」
やり場のない気持ちを空に投げつけるアゲハの少女。そうしてから彼女は、しぶしぶと仲間たちを追いかけていくのでした。
冬であれば、雪合戦がやれてしまるくらいに広い庭を持つお屋敷。その門の前では、門番である赤い髪の女性が立っていました。
いえ、立っているというのは正しくないかもしれません。彼女は何やら誰かと戦っているかのように、虚空へ向けて拳を突き出したり蹴りを繰り出したりしているのです。
「わー、門番さんが空気と戦ってるねー」
「違うよ、あれはきっと稽古してるんだよ」
近くの茂みからひょこひょこひょこと覗く頭が六つ。まだ少し距離があるおかげか門番に気付かれた様子はありませんが、かといってそこから動くこともできません。
岩を砕くような拳、空を切り裂くかのような蹴り…… もし見つかってしまえば、それがこちらに向けられることになるかもしれないのです。迂闊なことをするわけにはいきません。
「稽古……ねぇ。でも、集中してるみたいだし好都合よね。ルナ!」
「オッケー、任せて」
それでも物怖じしないあたり、サニーやルナはこんな侵入に慣れているのでしょうか。ふたりは頷きを交わし合うと、得意の能力を使って音と姿を消していくのでした。
「いつ見てもすごいよね、この能力」
あまり離れないよう、かたまって歩く六人の妖精たち。サニーのそばにいると、周りにはシャボン玉のような膜が張られているみたいで、その表面が光を受けてユラユラと虹色の波を漂わせています。
そんな不思議なシャボン玉を見上げて感嘆するラルバの声がどこかくぐもっているのも、ルナの能力によるものなのでしょうか。口から出た言葉は、まるで水の中にいるようにぼやけた聞こえかたになっていました。
「そーっと、そーっと……
えへへ、ドロボウさんになったみたいでドキドキしちゃう♪」
「っていうか、音も姿も消してるんならコソコソすることないだろー?
こんなの全然ヨユーじゃん」
とは言っても、やっぱり忍び込もうとなると自然にコソコソした動きになってしまうものなのでしょう。
ニコニコ顔で足を忍ばせるリリーの横でピースが拍子抜けしたような顔をしていましたが、それでも彼女の足取りも慎重なものになっていました。
「まあねー なんたって私たちはかくれんぼの最終兵器だしっ♪
……ってそこっ! 指出したらバレるでしょ!」
「指なんて出さないよ! あたい、このユラユラをつつこうとしただけなのに!」
「それ、触れるものじゃないから……
ともかく早く進みましょ」
その一方で、緊張感のカケラもない者もいるようでしたが……
それでもともかく、音も姿も消した冒険者たちは門番に気付かれることもなく、敷地に踏み込む直前のところまで辿り着いていたのでした。
これならたぶん、簡単に侵入を果たすことができるでしょう。この場にいない星の妖精のように、気配を掴むことのできる相手でさえなければ……
「む……曲者!?」
「わわわわっ!? ちょっと、サニー!」
「私じゃないわよ! ルナこそ……」
けれどさすがに門番を任されるだけあって、いくらとぼけた人柄であってもその力はかなりのものだったようです。
妖精たちが門をくぐろうとしたちょうどそのとき、彼女たちの前には大きな壁のような番人が、大地を踏み抜くような勢いで立ちはだかっていました。
「いくら隠れてても私の目は誤魔化せませんよ。
火なんて物騒なものを持ち込こませたりは……って、えっ? 六人も?」
なるほど、どうやら赤い髪の門番は炎の気配を感じて止めに入ったようです。
それでも何人が潜んでいたかまではわからなかったのでしょう。驚いて能力が解けてしまったことで姿を現した妖精たちに、燃えるような髪の門番は戸惑った顔を見せるのでした。
「きゃははははっ、そうこなくっちゃ!
バレちまっちゃーしょうがない、強行突破だー!」
開き直って飛びかかろうとするピース。
「ダメだって、敵いっこないってば!
ルナ、サニー! ピースを抑えるの手伝って!」
それを止めようと羽交い絞めするラルバ。
ところが手助けを求められたサニーとルナは、どっちがサボったかとケンカするのに大忙し。残りのチルノとリリーものんきに挨拶をしてみたりと、彼女たちの反応はてんでバラバラです。
「やっほー めーりん、元気かー?」
「門番さん、こんにちはー」
「はい、こんにちは。
……って、何してるんですか。チルノちゃんもコソコソしちゃってらしくない」
そんな場違いな呑気さのおかげなのか、そもそも妖精相手に本気を出す気がないのか。初めは眉をつり上げていた美鈴でしたが、すぐのその顔ものんびりとしたものに戻っていきます。
もっと問答無用で追い返されるかと思ったのに、こんなことになるなんて完全に予想外。サニーとルナ、そしてピースを捕まえているラルバは思わず目を見合わせてしまいます。
「何してって…… あれ、あたいたち何しにきたんだっけ」
「お屋敷に入らせてもらおうとしてたんだよー
門番さん、リリーたちを通してくださいなっ」
その横で、緊張感のカケラもないふたりが、何もかもを完全にバラしていってしまいます。
そんな気安さからして、彼女たちは美鈴と顔見知りであるようですが……だからと言ってそんな頼みごとが通じるようなことがあるでしょうか。
「ああ、そういうことでしたか。
ならどうぞ。妖精さんたちなら構いませんよ」
……なんて思っていたら、気さくそうな門番はアッサリとリリーの頼みを受け入れてくれてしまいました。
「あ、あのっ ホントにいいんですか?
私たちが言うのもなんだけど、イタズラするかもしれないのに」
ポカンとした顔で尋ねるサニー。
「コーヒー豆盗んじゃうかもしれないのに?」
その横で口をあんぐりとさせるルナ。
「妖精ならもう何人もうちにいますし今さらですよ。
それに、ここは紅茶派ですし」
「……どうしよう、このまま入っていいのかな」
「こらーっ、いつまで捕まえてんだよ!
いい加減放せ、このちょーちょヤロー!」
信じ難いようなことですが、美鈴の言葉に嘘はないようでした。
けれど何故でしょう。彼女の目は、ラルバに捕らえられて暴れるピースにだけ険しい視線を向けています。
……というよりもむしろ、ジタバタする彼女が振り回す松明を警戒しているのでしょうか。火の粉を散らし、ラルバのスカートを焦がす火種を見ながら、門番は油断なく腰を落として身構えているのでした。
「なら通らせてもらいますねー」
「ええ、どうぞどうぞ。
ただし、その松明は置いていってもらいますよ」
「なんだよー! やるってのか!? やるってんだな! やってやるー!!」
そしてついに、ふたりが衝突を起こしてしまいました。
ラルバを振り払って、どこか嬉々としながら飛びかかっていくピース。その彼女へ一気に距離を詰め、火種を振り回す腕を軽やかに止めてみせる美鈴。
するとピースは松明を奪われまいと素早く跳び退って間合いを取っていきます。
「ダメですよ、マッチ一本でも火事の元なんです。
ましてや松明なんて」
「へんっ、これはあたいの魂なんだ!
置いてくなんてありえないね!」
じりじりと互いの動きを探り合うふたり。
美鈴のほうが踏み込み範囲が広いのでピースが不用意に動けば追いつかれてしまいますし、今は動いたほうが不利になってしまうのです。
「サニー、今の内よ」
「でも、あのままじゃピースが……」
「いいんじゃない? ヒドイことはされなさそうだし」
それを眺めながらヒソヒソと相談を交わすルナとサニー。
たしかに今なら屋敷に入れそうですし、そもそも危険物さえ持ち込まなければ構わないようですし、ここはルナの言うことが正しいのかもしれません。
でもサニーの思うように、仲間が捕まるのを見捨てるなんてできないというのが人情というもの。小さな侵入者たちは、次の行動を決めかねてまごまごするばかりです。
「いいなー ピースってば、楽しそうにしちゃって」
「わー 門番さんの弾、キラキラしてて綺麗だねー」
「………」
いつしか、弾幕による牽制合戦に移行し始めた攻防戦。
それを見てウズウズする者、歓声を上げる者、何かを考える者……
そんなときに、ひとり思考を巡らせていたラルバが、何かを決断したかのように小さく頷いていったのでした。
「ねえチルノ」
「んー?」
そして、アゲハの少女が氷の少女へ呼びかけて。
「新しい必殺技、試してみたいって言ってなかったっけ」
「……!」
囁きを聞いたチルノの目が、パッと輝いていきました。
とはいえ、それは事態をさらに荒立てさせるもの。収拾が付かない方向へと煽り立てるラルバに、サニーが正気かとばかりな目を向けていきます。
でももちろん、これはラルバにだってちゃんと考えがあってのこと。
「ピースひとりだったらすぐに捕まっちゃうかもだけど、チルノとふたりでなら簡単にはいかないでしょ」
「でも……!」
「ラルバの言う通りよ、今の内に進んじゃいましょ。
ほら、リリーも」
「はーい。
チルノちゃんもピースちゃんも門番さんも、ケガしたりしないでねー」
押され気味だったピースが、突然の加勢に状況を立て直していきます。
そんな彼女と美鈴を挟むような位置に立ち、威勢よく名乗りを上げるチルノ。
やんちゃな妖精ふたりを交互に見渡して、クスリと小さく笑う美鈴。
手強くも親切そうな門番は、少し遊び相手になってあげようかと考えているようでした。
「チルノ! 足手まといにはなるなよな!」
「そっちこそ! やられたら一生バカにしてやるかんね!」
「やれやれ。まあ、危険なものを持ち込んだりしなければそれでいいんですけどね」
松明を振り上げて、あるいは気勢を上げて、渾身の弾幕を展開していくピースとチルノ。その攻撃を軽やかにかわし、ピースに注意を向けつつ次の波に備える美鈴。
そんな三人の横で、四人の妖精たちがコソコソした動きで門の中へ潜り込んでいくのでした。
本気の妖精ふたりにつきあってあげる門番。その決着には、少しばかり時間がかかりそうでした。
「えへへっ ヒラヒラなお洋服、とっても可愛いねー」
足音をみんな吸い込んでしまいそうな、ふかふかした赤いじゅうたんの廊下。
そこを歩く四人のメイド妖精たちの内、ひとりの少女がはしゃいだ様子で足を弾ませていました。
「うーん、たしかに可愛いけど…… でもやっぱり動きづらいよ」
「そっか。メイド服着るの初めてだもんね」
その後ろには、ぎこちない足取りをしたアゲハの妖精メイド。
困惑しているような彼女の声に、髪を巻いた物静かそうなメイドがクスっと笑いをこぼしています。
「いーい? 見つかって名前訊かれてもいいように、偽名を考えておいてよね」
そして一行を指揮するように先頭を歩くのは、輝くような金髪をふたつに結んだ小柄な少女。
門番のお目こぼしをもらった四人の冒険者は、どこからか失敬したメイド服に身を包み、屋敷の中を堂々と歩いていたのでした。
「偽名かあ、どうしようかな」
「リリーはもう決めてるよー えっへん」
服だけ誤魔化して、名前を偽って。そんな単純なことでどうにかなるものなのか…… そんな不安を抱えているラルバでしたが、どうやらそれは杞憂でしかなかったようです。
ときどきすれ違う妖精メイドたちのほとんどは遊びに夢中でしたし、サニーたちと目が合ったとしても呑気に手を振ってきたりするばかり。何をしているのかと訊かれたとしても、「ちょっと遊びに来た」とサニーが答えればそれで納得してしまいますし、メイド妖精たちは侵入者というものを少しも気にしていないようなのです。
リリーはともかくとして、ソワソワしているのはラルバばかりで、残りのふたりは落ち着き払った様子。サニーもルナも、ここへの侵入にすっかり慣れきっているようでした。
でも……
「ねえ、これなら偽名なんていらなくない?」
どうしてそんなものを用意しておけと言うのでしょう。
門番にだって危険物以外は止められませんでしたし、誰にも咎められることもないのですし、偽名なんて無くてもいいのではと思えるのです。
「そうもいかないのよ」
「そうそう! 備えあれば売れないしって言うでしょ!」
ところが、どうやら完全に安心というわけではない様子。
平然としつつもどこか緊張しているようなルナ。自信たっぷりに慣用句を口にするサニー。場慣れしている彼女たちは、それでも何かに対して警戒をしているようでした。
そして……
「あなたたち、ここで何をしているの」
「わわわっ!?」
ラルバがサニーの間違いを指摘しようとしたそのときに、その警戒要因が突然姿を現したのでした。
「あれ? あれれ?
誰もいなかったのに、綺麗なメイドさんがシュバって……」
リリーの言う通り、何もない空間から前触れもなく現れた銀髪のメイド。彼女はこれまでのメイド妖精たちとは違い、きりりとした凛々しいたたずまいをしています。
明らかに妖精ではない、人間なのか妖怪なのか判らないこのメイドは、たぶん立場のある存在なのでしょう。その目はあからさまに不審なものを見る色をしていました。
「お誉めにあずかり光栄だわ。
でも……あなたたちは何者かしら? 見かけない顔だけれど」
「い、いえ、怪しい者じゃないんです。
私は……プロミネンス! 新入りメイドなんですよー」
きっと多分、偽名はこのときのためのものだったのでしょう。鋭い視線を向けられたサニーが、目を泳がせつつも身分を誤魔化していきます。
けれど、それは本当にうまくいっているのでしょうか。
「ずいぶん大仰な名前ねぇ。
そっちの派手な羽の子は?」
「あ、えっと……キトルス、です」
「さくらっていいますー」
「私は、その…… あれ、なんて名前にしたんだっけ」
そもそもからして胡散臭そうにしているのに、マトモに答えられたのはキトルス……いえ、ラルバひとりだけでした。
「うーんと、うーんと…… そうだ!
サテライト! サテライトっていいます!」
「これまた大げさな名前ねぇ。
むしろマロンとかでいいんじゃないかしら」
「それ私も同感ー!」
「はぁ!? ちょっとさに……じゃなくてプロムナード!」
絶対バレてる……
そんなことを思いながら、ラルバは頭を抱えたくなるのを必死にガマンしていました。
それでも捕まえたり追い出そうとしないあたり、門番と同様に侵入者というものをあまり気にしていないようです。門の前で言われた通り、妖精が入り込んでも今さらだということなのでしょうか。
銀髪のメイドは涼しい顔で、サニーたちに話を合わせていたのでした。
「なるほどね。新入りメイドなら見ない顔なのも当然よね」
「そう、そうなんですよ! えへへ……」
「じゃあそんな新人さんに、お仕事を頼ませてもらうとしましょ。
リリー、いいかしら」
「はいっ」
偽名のことなんてなかったかのように本名を呼ぶ凛々しいメイド。
なんのためらいもなく元気な返事をするリリー。
その様子にサニーとルナが今さらになってぎょっとした表情を見せますが、こうなってしまってはどうすることもできません。
「あなたと……そっちのアゲハの子は、お嬢様にお茶を持っていってちょうだい」
「え、私も?」
「春っぽい妖精ならお嬢様もきっと面白がるハズだものね。返事は?」
とれる選択肢は、首を縦に振ることだけでした。
張り切って手を上げるリリー。おずおずと頷くラルバ。
それを見ながらサニーとルナは、どうしようと言わんばかりに目を合わせていきます。
「そっちのふたりは妹様と遊んであげてちょうだい。
ボードゲームの相手が欲しいって言ってたからちょうどいいわ」
「ゲーム…… そ、そういうことなら……」
「ねえ、大丈夫なの? 危ないことになんてならないよね?」
そして、拒めない命令を出されるのは彼女たちも同様です。
四人の新入りメイドたちは厳しそうな上司のもと、否応なしに仕事へ就かされていくのでした。
フォンダンショコラ作戦は、その目的をお屋敷からの脱出というものに変更せざるを得なくなったようでした……
窓ひとつない、薄暗い地下室。一応そこは明かりが灯されているのですが、どうしても陰気な雰囲気が拭い取れません。
陽の光も月の光も差し込まない。そんな場所で、サニーとルナは小さな少女の遊び相手にさせられていました。
「はい、プロミネの番ね」
「うーん、そう来たかぁ。むむむむぅ……」
木の枝に宝石がついているような不思議な羽を持つ少女。それと相対して盤面をにらんでいるのは、プロミネンスことサニーです。
どうしても考えるより先に身体が動いてしまうことが多い彼女。そのせいでポンコツなイメージがつきやすいのですが、決して頭が悪いわけではありません。
むしろ、鋭いひらめきを見せることがあったりと、ちゃんと考えることさえできれば侮れない頭脳を持っているサニー。そんな彼女でしたから、気難しい「妹様」の相手も十分以上につとめることができているのでした。
「これでこうしてっと…… はい、フランの番!」
「えっ、なにそれ! なによ、せっかく勝ち筋見えてたのに!」
「………」
そんな一進一退の勝負を、口のへの字にさせながら見つめているのはルナ。彼女はまるでぬいぐるみのように、妹様……フランに抱きかかえられています。
むしろルナは、私はぬいぐるみだと自分自身に言い聞かせているかのようです。盤上で駒が動かされていく様を、彼女は空っぽな目で眺めていたのでした。
「こうして、ああきて……それでこっちに打つとああ来るから……
よし、ここっ はいどうぞ!」
「ふっふーん、私の読み通り!
フランってば攻め一辺倒でわかりやす過ぎよ♪」
厳しそうなメイド上司に言われるまま、地下の部屋へとやってきたふたり。そこで待っていたのは、屋敷の主の妹だという少女、フランでした。
退屈を持て余していた、気性の荒い、吸血鬼の妹。彼女はゲームの相手をほしがっていたようでしたが、どうやらここの妖精メイドたちでは手ごたえがなく、役目を果たせていなかった様子。
そんなところへあてがわれたサニーは意外な巧みさを見せ、めでたく妹様の機嫌をとることができたようです。すっかり意気投合したサニーとフランは、気軽な調子で言葉を交わすようになり、仲良くゲームに興じていたのでした。
「うぅ……」
でも、ルナのほうはというとどうにもソワソワしてしまって仕方ないようです。
無理もないでしょう。ここで妹様の相手をするなんてことは不本意なことでしかありませんし、それになによりどうにかしてここから脱出しなければならないのですから。サニーみたいにゲームへ没頭するわけにもいきませんし、ぬいぐるみになりきるのも限界がありますし、気持はそぞろにうつろってしまいます。
「マロン、もぞもぞしてないでじっとして」
そんな思いからついつい身じろぎするルナでしたが…… すぐにフランからたしなめられてしまいました。
「そんなこと言われても……
それに、マロンってなんなんですか。私はサテライトって名前で……」
「だって長ったらしいんだもん」
「ならサテラとかって呼べばいいじゃないですか。
えっと……そっちのプロミネみたいに」
挙句の果てに、せっかく用意した名前も勝手に違うものにされてしまう始末。
サニーのほうは偽名を縮めて呼んでもらえているのに、こんなのあんまりです。
「サテラ、ねぇ…… でも、あなたってそんな感じじゃないのよね。
マロンのほうがよっぽど似合ってるわよ」
「私も同感ー! なんか丸っこいし、マロンってほうがらしい感じだよね!」
「さ…… んんっ、プロミネ!」
しかもその上、サニーまでもが悪ノリしてきてしまいます。
これにはさすがに黙っていられず声を荒げさせますが……
「ぬいぐるみは大人しく私に抱かれてて」
じっとしているようにと咎めがられてしまいました。
「………」
帰りたい……
不満でいっぱいなルナの顔が、ありありとそう語っていました。
(こんなときにスターがいれば……)
そんな彼女が思い浮かべるのは、潜入作戦に参加していない仲間のこと。
実際問題としてスターが一緒にいたとしてもどうにかできるわけでもないですし、下手をすればひとりだけ逃げてしまうことになりかねないのですが…… それでもどうしても彼女がいてくれたらと考えずにはいられません。
いったいいつまでこうしていればいいのでしょう。
フランに抱かれ、モフられるままなルナは、どうすることもできずにゲームの展開を眺めていることしかできませんでした。
吸血鬼でも、身体は温かいんだな…… フランの体温を感じながら、彼女の頭でそんなどうでもいい意識がよぎっていったのでした。
「はい、私の勝ちー! これで二勝一敗ね、フランっ」
「なんでよー! もう一回よ、もう一回!」
さて、どうやら決着がついたようです。
勝敗は初めの一回以来サニーの連勝のようですが、かといってフランが機嫌を悪くする様子はありません。むしろ思わぬ強敵と巡り会えたことで、悔しがりつつも楽しんでいるようです。
ふたりはやいのやいのと言い合いながらも、次の一戦へと入っていくのでした。
……と、そんなときに。
「……あれ?」
ルナの耳が、何かを感じ取りました。
辺りを見渡して、音の元を探ろうとするルナ。
「わぷっ ちょっと、じっとしててったら!」
その拍子に髪の房がフランの顔を叩き、抗議の声を上げられてしまいますが、だからといってじっとしてなんていられません。ルナの耳には、ただならぬ騒ぎ声が聞こえてきているのです。
「マロン、どうしたの?」
「なんだろ。ドタバタ足音がして……悲鳴も聞こえる。しかも、たくさん」
サニーからのマロン呼ばわりに反応するヒマなんてありませんでした。
音に敏感なルナは、明らかな異常事態を感じ取っています。
「悲鳴……? ホントだ、メイドたちが騒いでる」
やがてその物音も、ルナ以外の者にも聞こえるようになってきました。
「なんだろなんだろ? ちょっと見てこようっと!」
「あっ、フラン!?」
気性が荒いせいか、こうした騒ぎを聞きつけるとじっとしていられないのでしょうか。フランが目を輝かせて立ち上がり、そのままバタバタと部屋の外へと飛び出していきます。
「ふぎゃっ」
その拍子に膝から転げ落ち、悲鳴を上げるルナ。
「行っちゃった…… あ、でも今なら!」
突然のことにポカンとするサニー。
けれどすぐに気を取り直し、今が逃げ出すチャンスだと辺りに視線を走らせていきます。
「ルナ、寝てる場合じゃないよ! 早く逃げなきゃ!」
「寝てるんじゃないってば!」
ゆさゆさと揺り動かされて、むっくりと起き上がって。ルナは赤くなってしまった鼻をさすりつつ、サニーとともに能力を発動させていきます。
誰かが見ていたりしないのならば、隠れてしまうのは簡単なこと。ふたりはメイド妖精たちが騒ぎ惑う中を、音もなく走り抜けていくのでした。
「サニー、ラルバとリリーはどうするの!?」
「もちろん迎えに行くわよ!
偉そうな感じの部屋でも探せばきっとそこにいるわ!」
こんなとき、スターがいてさえくれれば仲間を探すのもスムーズに運んだことでしょう。けれど今はふたりだけでなんとかするしかありません。それっぽいところにアタリをつけて、覗いてみる以外方法はないのです。
地下から上がって、大広間の階段を駆け昇って。勘に従って駆けていくサニーとルナ。
そんなとき、どこからともなくすさまじい振動を伴った轟音が響き渡っていきます。
「わわわっ!?」
「ひゃっ! な、なに!?」
脚をすくわれて前のめりに転ぶルナ。
そんな彼女を横目にしつつ、サニーは外を見ようと窓際へと駆け寄っていくのでした。
少し時間はさかのぼり、侵入組が望まぬ仕事に就かされた頃。
外に残っていたチルノとピースは、相変わらず美鈴との攻防に明け暮れていたのでした。
「う~ん、惜しい。詰めが甘かったですねえ」
「わぎゃっ!?」
……というよりもむしろ、じゃれ合い続けていたというほうが正しいかもしれません。そのやりとりは、いかに美鈴の膝を地につけさせるかという遊び稽古のようになっていたのです。
屋敷に入り込むという目的をすっかり忘れ、勝つまでは帰らないとばかりに代わる代わる挑んでいく妖精ふたり。
戦うときの立ち回りを教えてあげるように、胸を貸してあげている気のいい門番。
その教えは多少なりとはいえ伝わっているのでしょう。初めはまったく相手にならなかったチルノとピースも、簡単には負けないくらいには動けるようになっていました。
とはいえ力の差は歴然で、勝ち目なんて少しも無いままなのですけれど……
「チルノちゃん、さっきから言ってるじゃないですか。
弾幕や武器に頼り過ぎちゃダメですよって」
「うがーっ! そんなのわかってらい!」
相手の拳が届かないところまで距離をとって、そこから氷の粒をばら撒きながら近付いて、氷の剣で思いっきり打ちかかる。
考えたばかりのサイキョーの技で自信たっぷりに挑んでいったチルノでしたが、それはアッサリと破られてしまいました。
投げつけた氷片は最小限の動きでかわされて、剣を振りかざした瞬間に懐の内へ踏み込まれて…… あとは右腕と左肩に手が添えられて、軽い力でスポンと投げ転がされるだけ。
「チルノ、お前攻めかたがパターンなんだってば。
遠くから弾撃つのも仕掛けるタイミングも全部一緒じゃん」
「うっさいやい! そんなのピースも同じじゃんか!」
「まあまあ、ケンカはダメですよ。それに相手は私のほうなんですから」
ケタケタと笑うピースに噛みつきながら順番を譲っていくチルノ。ですが、実のところを言うとちょっぴりだけ疲れてきてしまっていました。
「よーし、いくぞー! あたいの頭脳プレーを見せてやるぜ!」
「その調子その調子。うまく私の間合いを潰してくださいね」
威勢よく松明を振りかざして挑みかかっていくピース。
それを見ながらため息をつきつつ、お屋敷の壁へ寄りかかっていくチルノ。
いくらやんちゃな彼女でも、ずっとずっとずっと負けっぱなしというのは気持ちが揺らいでしまうものなのでしょう。頭の中はグツグツしてくるし、なんとなく身体も重たいし、気が付いたときにはぺたんと座り込んでしまっていました。
「なんだよぉ…… ピースのやつも、デタラメに撃ってるだけじゃんかぁ」
はぁ、ふぅ、と息をつきながらチルノがつぶやきます。
たしかにその言葉通り、ピースの「頭脳プレー」はさっきまでの鋭さがなく、無闇やたらに弾をばら撒くばかりです。たぶんきっとチルノ同様、一向に勝ちを取れないことで疲弊しているのかもしれません。
けれどだからって諦めるわけにはいかないのが妖精の意地というもの。
チルノにはサイキョーだという誇りが、ピースには地獄出身だというプライドがあるので、一度も勝てないまま引き下がるわけにはいかないのです。
「うぅ、大ちゃんがいてくれたら……」
挫けかけた心に思い浮かぶのは、いつもそばに寄り添ってくれている親友の存在。
彼女自身には大きな力は無いかもしれませんが、チルノにとっては大妖精がいるといないのとでは気合の入りかたが違います。あの子が後ろにいてくれるだけで、頑張ろうという力がいっぱいに湧き上がってきてくれるのですから。
「くらえ、くらえっ! この、この、このぉぉぉ!!」
「ふむふむ、たしかにこれは激しい。でも……」
そんなことを思っている内に、目の前での勝負に動きが出てきました。
距離を取って様子を見ていた体術家は、しなやかに舞うような動きで弾幕の間隙(かんげき)を縫い、一気に詰め寄っていったのです。
「わわっ!?」
松明を持つ手がとられていくのはあっという間でした。
逃げようとするピースへするりと腕が伸びて、手首の内側が持たれていきます。そうかと思えば逆側の肩が捕まって……
「ムキになりすぎちゃってますね」
ピースはそのまま、ぽーんと軽やかに倒し転がされていってしまうのでした。
「むぎゅっ!?」
カエルが潰れるような声で、勢いの止まらぬまま二度三度と転がっていくピース。
「うぅ……あの投げがどうしようもないんだよなぁ」
それを見ながらうんうんと唸るチルノ。
ふたりとも何度もああして転がされてきたのですが、どうやっても抵抗することができなかったのです。
軽く持たれているハズなのに、全然力づくとかじゃないハズなのに。肩とか首とか腰に肘に手首に……と、関節のところが捕まってしまえばそれで最後。美鈴の身体がきゅっとくの字に曲がるような感覚とともに、どうすることもできずに引き倒されてしまいます。
「捕まったらダメなんだから…… えーっと、うーんっと」
庭の木のところでべたっと潰れているピースを横目にゆらりと立ち上がって。ブツブツと呟きながら手強い相手と向き合って。
「まだやりますか。その気持ち、大事ですよ」
「あたいはサイキョー。大ちゃん、見ててよね」
心に思い描いた親友に語り掛けて、少女は気合とともに身構えていくのでした。
氷の剣を作りだし、相手のことをじっと見据えるチルノ。闇雲に動いたり撃ったりしたらダメだとようやく彼女は理解して、慎重に慎重に様子を伺っていきます。
そしてその変化に気付いたように、眉をピクリとさせて油断なく腰を落としていく美鈴。その存在はとてもとても大きく、まるで山がそびえているかのよう。
さあ、これからどうやればタイミングをずらして攻めかかれるのか…… チルノは息が止まるような思いの中、頭をフル回転させていくのでした。
ところが……
「あれ? なんか焦げ臭い?」
そんな息詰まる空気が、ピースの声で断ち切られていきました。
「えっ、そう言われればたしかに……」
何かが燃えているのでしょうか。
そうとなったら大変です。美鈴はチルノから目を離し、キョロキョロと辺りを見渡していきます。
でも勝負は中断となったわけではありません。
「……っ! もらったー!」
ムキになった少女は、異常事態でもおかまいなしに突っ込んでいったのです。
「ちょ……!? チルノちゃん、わわっ!」
ゴチンと音をたてて頭に直撃していく氷の剣。その拍子に武器は砕けてしまいますが、当然痛くないわけがありません。
「ったたた…… ちょっとさすがにこれはナシですよぉ」
打たれたところをさすりながら、焦げ臭さの元を探し見る美鈴。
そしてその目が一点にとまり、門番は顔を引きつらせていきます。
「あは、あはは…… あたい、悪くないもんね……」
その先には、今まさに燃え上がろうとする木の前で立ち尽くす妖精の姿がありました。
どうやらさっき投げ飛ばされたときに松明が転がって、庭木の元へと落ちてしまったようなのです。
「わっ、わーっ! 水、水ーっ!!」
さあ大変。このまま放っておいてはお屋敷に燃え移ってしまうかもしれません。
美鈴は大慌てでバケツと水を取りに駆け出していくのでした。
「……ピース、どうする?」
勝負相手がいなくなったところで、呆然とするピースに尋ねかけるチルノ。
ですが問いかけた先では少女が乾いた笑いを浮かべるばかり。こうなったらチルノが考えるしかありません。
「えーっと、うーんっと、大ちゃんだったらこんなとき……」
腕を組んで目を閉じて数秒ばかり。それから彼女は何かを思い決めたように目を見開きます。
「ピース、お屋敷の人に火事だって教えてきて!」
「ふえ? あ、うん、わかった!」
逃げるなんてこと、あの子がするわけがありません。
チルノはピースを屋敷に走らせて、燃え上がっていく木へ向けて両手を突き出していくのでした。
「あたいはサイキョーだもんね、こんな火くらい!」
氷を作ろうと冷気を集めていくチルノ。
屋敷の中の者も火事に気付いたのでしょうか。人々が騒ぎ出す声が、彼女の耳にも入るようになっていました。
またまた時間は巻き戻って。
屋敷の二階では、ラルバとリリーがお茶とケーキを運んで歩いていました。
「小っちゃくて可愛いケーキがいっぱいだねー
どれも美味しそう」
「そ、そうだね」
メイドの上司に見つかって、恐ろしい吸血鬼へお茶を運ぶ仕事に就かされて。そんな大変な状況だっていうのに、リリーときたら相変わらずのんびりとした調子です。
これは何も考えていないのか、それとも肝が据わっているからなのか…… それは知りようもありませんが、どうにも危なっかしく思えて仕方がありません。
(こんなときにブラックがいてくれたらなぁ……)
思い浮かぶのは、リリーの片割れとも言えるような少女の存在。彼女がいたとしてどうにかなるわけではありませんが、ぽわぽわしたリリーがおかしなことをしないように見ていてくれたかもしれません。
とはいえ、それは無いものねだりというもの。なんとかしてこの場を切り抜けなければいけないのです。だけどどうしたらいいのか……
ラルバは途方に暮れてしまいたくなるのを必死に抑えつつ、転ばぬようにと慎重に足を進めていくのでした。
「ねえねえ、ひとつくらいなら食べても大丈夫かなぁ?」
「大丈夫なわけないってば。きっと怒られるよ」
「うぅ、怒られるのはイヤだよぉ……」
そんなこんなで、ひときわ立派な扉の部屋に辿り着きます。
リリーがノックをして、返事が聞こえてきたところで扉を開けて。その中、しっかりとカーテンの閉じられた部屋で待っていたのは、真っ黒い翼を持つ小さな女性でした。
「こんにちはぁ、お茶とケーキを持ってきましたよぉ」
「あら、おはよう。まだ身支度してるからそこに置いておいて」
吸血鬼というだけあって、昼は遅くまで寝ているのでしょうか。起きたばかりらしい屋敷の主は背を向けて着替えながら、適当な調子でふたりに指示をしてきます。
これでお茶のセットを置いて戻ることができればラクなのですが…… なんとなくそうはいかない気がします。ラルバはソワソワした気持ちを抱えながら、リリーともどもじっとその場で立ち控えていくのでした。
それからしばらくして。
「あら、あなた……」
身支度を負えて振り返った吸血鬼のお嬢様……レミリアが、メイドの姿を見て眉を動かします。
その視線の向く先はリリー。どうやら彼女のことを知っているらしく、屋敷の主はクスリとおかしげに笑みを浮かべます。
「リリーホワイトじゃない。
それに……アゲハの妖精も一緒だなんて、春らしくて華やかなものね」
「あ…… えっと、キトルスです」
「お屋敷のご主人さまに春のお届けですよー
でも、今日はリリーじゃありません。さくらって名前ってことになってるんですー」
そんなレミリアに、ほわほわと笑いながら偽名を名乗っていくリリー。そうなればキトルスという名も本物でないとバレてしまうことになり、ラルバは顔を青くさせてしまうのですが……
「なるほど。メイドさんごっこということかしら」
レミリアは何もかも解っているかのように、鷹揚(おうよう)な態度を見せるばかりでした。
「あ、あの……?」
外部の妖精が入り込んでいるのに、咎めるつもりはないのでしょうか。
門番といい、さっきのメイドといい、その態度はちょっと理解が追い付きません。
「似合ってるわよ、メイド服」
「わぁ、ありがとうございますぅ」
「………」
まるで、遊びに付き合っているかのように笑いかけてくる吸血鬼。
これにはホッと胸を撫でおろしつつも、どうにも首を傾げずにはいられませんでした。
「妖精の遊び場が近いせいなんでしょうね。
あなたたちみたいなのは毎度のことなのよ」
そんなラルバの前で、レミリアが優雅にお茶を口へ運びながら説明を始めてきてくれます。ケーキを食べて、ひとつをリリーに分けてから、ラルバにもお皿を差し出してくれるお嬢様。その振る舞いは余裕たっぷりで、威厳にあふれたものでした。
「でも、入ってきたところでイタズラも子どもじみたものだしね。
追い払うのもせわしないし、好きにさせることにしてるのよ」
「な、なるほど……」
妖精なんてとるにたらない…… そう言われているような気がしましたが、納得することしかできませんでした。
妖精のやることなんて大それたものではないし、もしも冗談では済まないことをしでかせば、そのときは相応の報いを与えればいいだけのこと……
レミリアは明言こそしないものの、そんな気配をにじませていたのです。
「で、今日は何しに来たのかしら?
メイドごっこだけが目的じゃないでしょう? さくらちゃん」
「はいー さくらは、図書館に行こうとしてたんですぅ」
「あぁ……それはやめときなさい。パチュリーが黙ってないでしょうし」
そんな理解のあるようなお嬢様に、問われるまま答えていくリリー。その言葉に、ラルバを見ながら忠告してくるレミリア。
たぶん、彼女の言うことは正しいことだったのでしょう。妖精は拒まないとはいえ、許される場所とそうでない場所があるようなのです。
どうやら厳しそうなメイド上司に見つけられたのは、かえって幸運だったようでした。
「それよりも……」
ところが、話は簡単に終わらないみたいです。
「あなたたち、ここで働くつもりはないかしら?
いつでも春らしさを味わえるなんて、そんな素晴らしいことはないものね」
「ここで、働くって……」
穏やかに問いかけてくるお屋敷の主。
でもその物腰は柔らかながら、拒むことは許さないような気配がにじんでいます。
「それって、ここに住めってことですよね」
「環境は保証するわ。
特定の時季が苦手な妖精はもう何人もいるし」
これには困ってしまいました。
たしかに居心地はいいかもしれません。冬でも寒さに震えることもないかもしれません。
でも、だからって……
「だめですー さくらは、春を伝えなきゃいけないんですからー」
「わっ、わっ…… ちょっと、リリー!」
などと困惑していると、リリーがいつもの調子でキッパリとした返事をしていきました。
本当に彼女の言動は理解ができません。何も考えていないのか、それとも大丈夫だと解ってのことなのか。どちらかはわかりませんが、横から見ればハラハラさせられるばかりです。
「その必要はないわ。季節は巡るものなのだから」
「でも、さくらが春を伝えに行くと、みんな嬉しそうにしてくれるんですー!」
「リリーってば! 断るにしても、もっと言いかたが……」
やっぱり、ブラックがいてくれればもう少しソフトなやり取りができたのでしょうか。
今はまだレミリアが大らかに相対してくれていますが、これでもし機嫌を損ねてしまったら? 相手が無理矢理な手段に訴えようとしてきたら……? そんなこと、考えただけで恐ろしくなってしまいます。
……と、そんなときのことでした。
「失礼します。お嬢様、少々よろしいでしょうか」
さきほどの凛々しいメイドが、静かに姿を現しました。
「なにかしら、咲夜」
「庭で火事が起きたようです。
大事には至らないかと思いますが、念のためご報告を」
落ち着き払った報告を一緒に聞きながら、目を見合わせるラルバとリリー。火事ともなればただ事ではありませんし、やっぱり何があったのかと気になってしまいます。
「火事だって。こわいねー」
「……そうだね」
そんなラルバの脳裏に浮かぶのは、ピースの松明。もしかして、ヤケを起こして火をつけただなんてことは……
「消火活動はしているのね。
なら美鈴に任せておきなさい。必要以上に騒ぎ立てないように」
「かしこまりましたわ」
そうして胸を騒がせている少女の前で、指示を受けた咲夜が煙のように消え去っていきました。
これで屋敷の主が慌てて部屋を出て行ってくれれば逃げるチャンスがあったのですが…… どうやらそううまくはいかないようです。
「さて、返事を聞かせてもらっていなかったわね。
うちで働くかどうか、答えてもらおうかしら」
「でも、それは……」
「お返事ならもうしましたよー!」
イエス以外は聞き入れない。そんな様子にレミリアに、ラルバはきゅっと歯を噛みしめます。
どうしようもないのか…… そんな諦めがこみ上げてきたときのこと。
異常な事態は、次の波を引き起こしていったようでした。
「……何の音?」
大きな轟音とともに、屋敷全体が小さく揺れ動いていったのです。
「わわっ、地震ですー」
「でも、何か違うような……」
ビリビリと鳴り響く窓ガラス、軋むような音をこぼすお屋敷。これにはさすがのレミリアも平然とはしていられないようです。
「今度は何があったというの?」
彼女は眉を寄せながら、音の聞こえた窓のほうへと歩み寄っていきます。
「お嬢様、度々申し訳ありません。妹様が……」
「フランが?」
それと同時に、再び姿を現した銀髪のメイドが状況を伝えていきました。
いわく、火を目にしてはしゃいだ妹様とやらが暴れ出したというのです。
「ああもう、あの子は本当に……」
「お願いいたします。私たちの手ではどうにも……」
その暴れ出した妹様というのを取り押さえに行くのでしょうか。レミリアはため息をつきながら、ラルバたちを置いてツカツカと外へと歩いていくのでした。
「……助かった、のかな」
誰もいなくなった部屋で、思わず目をパチクリとさせるラルバ。
「これでお家に帰れるねー」
いつものようにほわほわと笑うリリー。彼女はレミリアが手を付けなかったケーキをパクリと口にして、幸せそうに顔をほころばせます。
その一方で、我に返ったラルバはそっと廊下を覗いていきます。
みんな騒ぎのほうへと駆けつけていったのでしょう。そこには誰の姿もなく、不自然なほどに静まり返った空間があるばかりでした……
「はぁ、酷い目に遭った……」
神社裏のミズナラの樹が見えてきた頃に、すっかり疲れ果てた様子のサニーがそんな声をこぼしていました。
「一時はどうなることかと思ったよ……」
一番ぐったりとしているのはラルバです。散々気苦労をするハメになった彼女は、もう歩くのすらやっとといった様子。
恐ろしい目や危ない目に遭ったわけではなくても、精神的に肉体的に参ってしまったのでしょう。リリーを除いた全員が、げっそりとした顔をしていたのでした。
「もー疲れた! 冷たいアイス欲しいよー!」
たぶん、一番体力を消耗したのはチルノでしょう。美鈴との稽古の後、火事をおさめるために冷気をたくさん集めることになったのですから。
そんな彼女の活躍もあり、あれから火はすぐに消し止められたのですが、その後が大騒ぎでした。
暴れ出したフランを止めに入ったレミリア。彼女たちふたりの間で激しい攻防が始まり、そのとばっちりを受けないように逃げ回らなければならなかったわけなのです。
それでも、屋敷に入った四人が脱出できたのはフランの騒ぎのおかげというもの。レミリアの部屋の前で合流した一行は、服を回収しながら首尾よく逃げることに成功したのでした。
「あーあ、作戦は失敗ね」
ため息をつくルナ。
彼女は何か期待しているものがあったのでしょうか。イタズラがうまくいかなかっただけとは思えないほどに、彼女は大きく落胆しています。
「でも、楽しかったねー」
たぶん、今回の作戦が思わぬ形で成功したのはリリーひとりだけ。
彼女は失敬してきたメイド服から着替えないまま、嬉しそうにスカートをヒラつかせていたのでした。
「ところでさー、フォンダンショコラ作戦ってなんだったんだ?」
そんなところで、思い出したかのように疑問を口にしていくのはピースです。
今の今まで気にしていなかったのですが、ルナのガッカリした様子から、その作戦や名前に何かしら意味があったのではと考えたようなのです。
「あれ、説明してなかったっけ。それはね……」
そんな彼女にサニーが口を開きかけたときに。
「あっ、みんな帰ってきた。おかえりー!」
まるで、家族の帰りを待っていた仔犬のように、小さな妖精少女が一行を出迎えてきてくれたのでした。
「ロズちゃんだ。はーい、ただいまぁー」
桃色の髪を肩口でそろえた、大妖精の妹分といえる少女。その声にパタパタと駆け寄っていくリリー。
あの少女がここにいるということは、作戦に参加しなかった大妖精たちはミズナラの樹に来ていたということなのでしょう。
「ラルバ、おかえり。どうしたの? 服が焦げてるじゃない」
「アズゥ…… それに、大ちゃんも」
「おかえりなさい。待ってたんだよ?」
玄関の前では大妖精が、もうひとりの妹分である青い髪の少女とともに出迎えに出てきてくれていました。
「大ちゃん! ここでなにしてたの?」
「ごめんね、チルノちゃん。スターちゃんにお呼ばれしてて……」
「スターに? ルナ、何か聞いてる?」
「サニーこそ知らないの?」
でも、どういうことなのでしょう。
集まって何かをするなんて聞かされていませんでしたし、サニーとルナはただただ首を傾げるばかりです。
「おかえりなさい、いつまでそこで立ってるのよ。
準備できてるんだから入っちゃいなさいな」
そこへ続けて顔を出してきたのはリリーブラック。彼女も、スターたちと何かをしていたらしく、その何かを披露しようと家に招き入れてきます。
「ブラックちゃん、準備ってなーに?」
「入ればわかるわ」
「なんだなんだ、甘い匂いがするなー?」
とにもかくにも、家に入ってみないと何もわかりません。虎口から脱してきた冒険者たちは、不思議そうにしながらも玄関をくぐっていくのでした。
そして……
「おかえりなさい。そろそろ帰ってくる頃だと思ってたわ♪」
六人を待っていたのはニッコリと笑うスターと、テーブルに並んだチョコレートケーキでした。
「スター? これって……」
「なにって、サニーったら自分で言ってたじゃない。
フォンダンショコラってなんだろうって」
呆気にとられるサニーとルナ。その横で何かを理解したような顔をするラルバ。
たぶん、それは正しいことなのでしょう。
「スター、もしかして知ってたの!?」
「名前だけ、ね。だから大ちゃんやブラックに訊いてみたの」
つまり、こういうことでした。
サニーが本で見かけたフォンダンショコラというお菓子。それはなんだろうとルナとスターに尋ねたものの、詳しいことがわからず、調べてみようということになったのです。
その資料を探すために、紅いお屋敷の図書館に侵入しようとしたこと。だから、「フォンダンショコラ作戦」とい名付けられたこと……
その作戦のために、ラルバ、チルノ、ピース、リリーが動員されたわけなのです。
「じゃあ、私たちがあんな思いしたのって……」
一番苦労したラルバがぺたんとへたりこみます。
「いくらなんでも無茶よ、お屋敷に忍び込むなんて」
その横で、青い髪の妹分、アズゥが呆れたように声かけます。
たぶんスターはともかく、ほかの者たちはそんなところへ行くとは思っていなかったのでしょう。ラルバから行き先を聞いたとき、大妖精とブラックが顔色を青ざめさせていったのでした。
「スター、アテがあるなら始めから言ってよ!」
「あら、サニーのことだからスリリングなほうがいいと思ったんだけど♪」
サニーがスターに噛みついていきますが、相手はまったく涼しい顔。いつものこととはいえ何を言っても気にもされないでしょう。ラルバも何かを言いたそうにしていましたが、青髪の少女になだめられるまま黙って言葉を飲み込んでいくのでした。
「まぁたしかに、なんだかんだで面白かったよな」
「うんうん、可愛いお洋服も持ってこれたしー」
こうして帰ってこれたならそれでよし。妖精たるもの、何事も楽しむことが本分なのです。
目の前には美味しそうなチョコレートのケーキ。過去のことをとやかく言うよりも、せっかくのスイーツを楽しむほうがずっとずっと大事なこと。
少女たちは誰からともなく、ケーキの置かれたテーブルへとついていくのでした。
「コーヒーの人は手挙げて。あとは紅茶でいいのよね。
ロズ、アズゥ、手伝って」
テキパキと支度を整えるリリーブラック。
「はーい! 私はミルクとお砂糖運ぶから、アズゥ姉さまはお茶お願いね!」
「ちょっとロズ、なんで軽いのだけ持ってくのよ!」
それに応えて手伝いをしていく桃色のロズと青髪のアズゥ。彼女たちは大妖精に見守られながら、賑やかにお茶を運んでいくのでした。
やがて用意も整って、妖精たちのティータイムが始まります。真っ先に手をつけていくのはサニーです。彼女のフォークがスポンジケーキを割っていくと、中からはお皿からこぼれるばかりのチョコレートがいっぱいにあふれだしていきます。
そんな光景を見てしまえば、お屋敷でのことなんて綺麗さっぱり。少女たちは目を輝かせながら、感激の声を上げていくのでした。
「ねえ、大ちゃん」
そんなフォンダンショコラを口に運びつつ、チルノがあらたまった様子で大妖精に声をかけます。彼女の横では、チョコレートソースを服に垂らしたリリーがブラックから小言を向けられています。
「チルノちゃん、どうしたの?」
それを横目に、ニッコリと親友へ笑いかける名の無い少女。
「ありがとね」
そんな彼女に、色んな気持ちを込めた言葉を伝えて。氷の少女は照れ隠しをするようにケーキを口いっぱいに放り込んでいくのでした。
湖のそば、うっすらと周りが白く霞むその場所で、話を聞かされたアゲハの少女が目を丸くして声を上げました。
「もちろん! 妖精に二言は無いわ!」
そんな彼女、エタニティラルバの前で強気に頷くのは、陽の光の妖精サニーミルク。薄い胸を得意げに反らせて自信たっぷりに答えます。
「紅いお屋敷って言うと……悪魔が住んでるってところだろ?
おもしろそーじゃん! 行こう行こう!」
「あたいもタイクツしてたんだよねー
よーし、突撃隊長は任せとけー!」
その横でワクワクと目を輝かせるのは、クラウンピースとチルノのふたり。
もうその話を聞いただけでテンションが振り切れているのでしょう。青白星模様と紅白ストライプの少女は、手にした松明を激しく振り回していきます。
もちろん、興奮しているのは氷の少女も同様です。腕が鳴るとばかりに、袖まくりした右腕をぐるんぐるんと回して今にも飛び出していかんばかり。
「ねえ…… あんなこと言ってるけど、大丈夫なの?」
とは言っても、紅いお屋敷に忍び込むなんて、それは大変に危険なこと。主である吸血鬼はもちろん、そこに住まう人々はみんな実力者揃いで、敵に回したりなんてしたらどんな目に遭うことかわかったものではありません。
そんな無茶なことはなんとしてでも止めないと…… 妖精の中でも珍しい常識人のひとりであるラルバは、残るメンバーたちへと尋ねかけていくのでした。
ところが……
「みんなが楽しそうならそれでいいんじゃないかなー」
「妖精の好奇心は誰にも止められないのよっ」
話を振られたリリーとルナも、特に反対する様子を見せてくれませんでした。
こんなときにブレーキ役になってくれる大妖精やリリーブラックは、今日に限って居合わせてくれません。これではこのまま、危険なところへ突っ込んでいくことになってしまいます。
「えぇ…… せ、せめてなにか段取りを決めようよ。
そうじゃないと絶対にムリだってば」
「そのためにみんなを集めたんじゃない。
ねえ、なにかいい考えある?」
ならば、どうにか無策で乗り込むことは避けなくては……
そんな思いからひとまずは全員を引き留めることに成功したものの、それはただの時間稼ぎにしかなりませんでした。
「そんなのどーだっていいよ!
あたいとピースで突撃すればなんとかなるって!」
「狂気の炎でルナティックターイムっ♪
みんな狂い踊らせてやるぜ!」
「無茶苦茶だって! そんなの通じる相手じゃないってば!」
そもそもからして、ここには突撃気質な人材しかいないのが致命的でした。いつもなら一緒にいるハズのスターが、なにやらやることがあるとかでこの場にいないのです。
彼女が不在、リリーブラックや大妖精とふたりの妹分も不在となれば、冷静なのはラルバただひとり。サニーは気分屋ですし、リリーはのんびり屋ですし、ルナも楽観視モードに入ってしまっていては段取りを立てるどころではないのです。
「大丈夫よ。前にも忍び込んだことあるし、私とサニーに任せてくれれば」
「抜き足差し足忍び足だねー
リリー、なんだかドキドキしてきちゃった」
「………」
ラルバはもう、口をパクパクとさせることしかできませんでした。
止めることもできず、次善の手をとることもできず。もはや、わかりきっている災難に向かっていくことしかできないのです。
「やっぱり私たちに段取りとか似合わないよね。そういうことならいつもの手で潜入よ!
さあさあ、『フォンダンショコラ作戦』の発動よ!」
「作戦目標、図書館への侵入。引き締めていきましょ!」
意気も高くコブシを振り上げ、先頭立って進んでいくサニー。
それに従ってゾロゾロとついていく、ルナ、チルノ、ピース、リリー。
ラルバはそんな彼女たちをオロオロと見送っていきますが、かといって自分だけが残るわににもいきません。
「はぁ、大ちゃんの苦労がよーく解る気がする……
だいたいフォンダンショコラってなんなのよー!」
やり場のない気持ちを空に投げつけるアゲハの少女。そうしてから彼女は、しぶしぶと仲間たちを追いかけていくのでした。
冬であれば、雪合戦がやれてしまるくらいに広い庭を持つお屋敷。その門の前では、門番である赤い髪の女性が立っていました。
いえ、立っているというのは正しくないかもしれません。彼女は何やら誰かと戦っているかのように、虚空へ向けて拳を突き出したり蹴りを繰り出したりしているのです。
「わー、門番さんが空気と戦ってるねー」
「違うよ、あれはきっと稽古してるんだよ」
近くの茂みからひょこひょこひょこと覗く頭が六つ。まだ少し距離があるおかげか門番に気付かれた様子はありませんが、かといってそこから動くこともできません。
岩を砕くような拳、空を切り裂くかのような蹴り…… もし見つかってしまえば、それがこちらに向けられることになるかもしれないのです。迂闊なことをするわけにはいきません。
「稽古……ねぇ。でも、集中してるみたいだし好都合よね。ルナ!」
「オッケー、任せて」
それでも物怖じしないあたり、サニーやルナはこんな侵入に慣れているのでしょうか。ふたりは頷きを交わし合うと、得意の能力を使って音と姿を消していくのでした。
「いつ見てもすごいよね、この能力」
あまり離れないよう、かたまって歩く六人の妖精たち。サニーのそばにいると、周りにはシャボン玉のような膜が張られているみたいで、その表面が光を受けてユラユラと虹色の波を漂わせています。
そんな不思議なシャボン玉を見上げて感嘆するラルバの声がどこかくぐもっているのも、ルナの能力によるものなのでしょうか。口から出た言葉は、まるで水の中にいるようにぼやけた聞こえかたになっていました。
「そーっと、そーっと……
えへへ、ドロボウさんになったみたいでドキドキしちゃう♪」
「っていうか、音も姿も消してるんならコソコソすることないだろー?
こんなの全然ヨユーじゃん」
とは言っても、やっぱり忍び込もうとなると自然にコソコソした動きになってしまうものなのでしょう。
ニコニコ顔で足を忍ばせるリリーの横でピースが拍子抜けしたような顔をしていましたが、それでも彼女の足取りも慎重なものになっていました。
「まあねー なんたって私たちはかくれんぼの最終兵器だしっ♪
……ってそこっ! 指出したらバレるでしょ!」
「指なんて出さないよ! あたい、このユラユラをつつこうとしただけなのに!」
「それ、触れるものじゃないから……
ともかく早く進みましょ」
その一方で、緊張感のカケラもない者もいるようでしたが……
それでもともかく、音も姿も消した冒険者たちは門番に気付かれることもなく、敷地に踏み込む直前のところまで辿り着いていたのでした。
これならたぶん、簡単に侵入を果たすことができるでしょう。この場にいない星の妖精のように、気配を掴むことのできる相手でさえなければ……
「む……曲者!?」
「わわわわっ!? ちょっと、サニー!」
「私じゃないわよ! ルナこそ……」
けれどさすがに門番を任されるだけあって、いくらとぼけた人柄であってもその力はかなりのものだったようです。
妖精たちが門をくぐろうとしたちょうどそのとき、彼女たちの前には大きな壁のような番人が、大地を踏み抜くような勢いで立ちはだかっていました。
「いくら隠れてても私の目は誤魔化せませんよ。
火なんて物騒なものを持ち込こませたりは……って、えっ? 六人も?」
なるほど、どうやら赤い髪の門番は炎の気配を感じて止めに入ったようです。
それでも何人が潜んでいたかまではわからなかったのでしょう。驚いて能力が解けてしまったことで姿を現した妖精たちに、燃えるような髪の門番は戸惑った顔を見せるのでした。
「きゃははははっ、そうこなくっちゃ!
バレちまっちゃーしょうがない、強行突破だー!」
開き直って飛びかかろうとするピース。
「ダメだって、敵いっこないってば!
ルナ、サニー! ピースを抑えるの手伝って!」
それを止めようと羽交い絞めするラルバ。
ところが手助けを求められたサニーとルナは、どっちがサボったかとケンカするのに大忙し。残りのチルノとリリーものんきに挨拶をしてみたりと、彼女たちの反応はてんでバラバラです。
「やっほー めーりん、元気かー?」
「門番さん、こんにちはー」
「はい、こんにちは。
……って、何してるんですか。チルノちゃんもコソコソしちゃってらしくない」
そんな場違いな呑気さのおかげなのか、そもそも妖精相手に本気を出す気がないのか。初めは眉をつり上げていた美鈴でしたが、すぐのその顔ものんびりとしたものに戻っていきます。
もっと問答無用で追い返されるかと思ったのに、こんなことになるなんて完全に予想外。サニーとルナ、そしてピースを捕まえているラルバは思わず目を見合わせてしまいます。
「何してって…… あれ、あたいたち何しにきたんだっけ」
「お屋敷に入らせてもらおうとしてたんだよー
門番さん、リリーたちを通してくださいなっ」
その横で、緊張感のカケラもないふたりが、何もかもを完全にバラしていってしまいます。
そんな気安さからして、彼女たちは美鈴と顔見知りであるようですが……だからと言ってそんな頼みごとが通じるようなことがあるでしょうか。
「ああ、そういうことでしたか。
ならどうぞ。妖精さんたちなら構いませんよ」
……なんて思っていたら、気さくそうな門番はアッサリとリリーの頼みを受け入れてくれてしまいました。
「あ、あのっ ホントにいいんですか?
私たちが言うのもなんだけど、イタズラするかもしれないのに」
ポカンとした顔で尋ねるサニー。
「コーヒー豆盗んじゃうかもしれないのに?」
その横で口をあんぐりとさせるルナ。
「妖精ならもう何人もうちにいますし今さらですよ。
それに、ここは紅茶派ですし」
「……どうしよう、このまま入っていいのかな」
「こらーっ、いつまで捕まえてんだよ!
いい加減放せ、このちょーちょヤロー!」
信じ難いようなことですが、美鈴の言葉に嘘はないようでした。
けれど何故でしょう。彼女の目は、ラルバに捕らえられて暴れるピースにだけ険しい視線を向けています。
……というよりもむしろ、ジタバタする彼女が振り回す松明を警戒しているのでしょうか。火の粉を散らし、ラルバのスカートを焦がす火種を見ながら、門番は油断なく腰を落として身構えているのでした。
「なら通らせてもらいますねー」
「ええ、どうぞどうぞ。
ただし、その松明は置いていってもらいますよ」
「なんだよー! やるってのか!? やるってんだな! やってやるー!!」
そしてついに、ふたりが衝突を起こしてしまいました。
ラルバを振り払って、どこか嬉々としながら飛びかかっていくピース。その彼女へ一気に距離を詰め、火種を振り回す腕を軽やかに止めてみせる美鈴。
するとピースは松明を奪われまいと素早く跳び退って間合いを取っていきます。
「ダメですよ、マッチ一本でも火事の元なんです。
ましてや松明なんて」
「へんっ、これはあたいの魂なんだ!
置いてくなんてありえないね!」
じりじりと互いの動きを探り合うふたり。
美鈴のほうが踏み込み範囲が広いのでピースが不用意に動けば追いつかれてしまいますし、今は動いたほうが不利になってしまうのです。
「サニー、今の内よ」
「でも、あのままじゃピースが……」
「いいんじゃない? ヒドイことはされなさそうだし」
それを眺めながらヒソヒソと相談を交わすルナとサニー。
たしかに今なら屋敷に入れそうですし、そもそも危険物さえ持ち込まなければ構わないようですし、ここはルナの言うことが正しいのかもしれません。
でもサニーの思うように、仲間が捕まるのを見捨てるなんてできないというのが人情というもの。小さな侵入者たちは、次の行動を決めかねてまごまごするばかりです。
「いいなー ピースってば、楽しそうにしちゃって」
「わー 門番さんの弾、キラキラしてて綺麗だねー」
「………」
いつしか、弾幕による牽制合戦に移行し始めた攻防戦。
それを見てウズウズする者、歓声を上げる者、何かを考える者……
そんなときに、ひとり思考を巡らせていたラルバが、何かを決断したかのように小さく頷いていったのでした。
「ねえチルノ」
「んー?」
そして、アゲハの少女が氷の少女へ呼びかけて。
「新しい必殺技、試してみたいって言ってなかったっけ」
「……!」
囁きを聞いたチルノの目が、パッと輝いていきました。
とはいえ、それは事態をさらに荒立てさせるもの。収拾が付かない方向へと煽り立てるラルバに、サニーが正気かとばかりな目を向けていきます。
でももちろん、これはラルバにだってちゃんと考えがあってのこと。
「ピースひとりだったらすぐに捕まっちゃうかもだけど、チルノとふたりでなら簡単にはいかないでしょ」
「でも……!」
「ラルバの言う通りよ、今の内に進んじゃいましょ。
ほら、リリーも」
「はーい。
チルノちゃんもピースちゃんも門番さんも、ケガしたりしないでねー」
押され気味だったピースが、突然の加勢に状況を立て直していきます。
そんな彼女と美鈴を挟むような位置に立ち、威勢よく名乗りを上げるチルノ。
やんちゃな妖精ふたりを交互に見渡して、クスリと小さく笑う美鈴。
手強くも親切そうな門番は、少し遊び相手になってあげようかと考えているようでした。
「チルノ! 足手まといにはなるなよな!」
「そっちこそ! やられたら一生バカにしてやるかんね!」
「やれやれ。まあ、危険なものを持ち込んだりしなければそれでいいんですけどね」
松明を振り上げて、あるいは気勢を上げて、渾身の弾幕を展開していくピースとチルノ。その攻撃を軽やかにかわし、ピースに注意を向けつつ次の波に備える美鈴。
そんな三人の横で、四人の妖精たちがコソコソした動きで門の中へ潜り込んでいくのでした。
本気の妖精ふたりにつきあってあげる門番。その決着には、少しばかり時間がかかりそうでした。
「えへへっ ヒラヒラなお洋服、とっても可愛いねー」
足音をみんな吸い込んでしまいそうな、ふかふかした赤いじゅうたんの廊下。
そこを歩く四人のメイド妖精たちの内、ひとりの少女がはしゃいだ様子で足を弾ませていました。
「うーん、たしかに可愛いけど…… でもやっぱり動きづらいよ」
「そっか。メイド服着るの初めてだもんね」
その後ろには、ぎこちない足取りをしたアゲハの妖精メイド。
困惑しているような彼女の声に、髪を巻いた物静かそうなメイドがクスっと笑いをこぼしています。
「いーい? 見つかって名前訊かれてもいいように、偽名を考えておいてよね」
そして一行を指揮するように先頭を歩くのは、輝くような金髪をふたつに結んだ小柄な少女。
門番のお目こぼしをもらった四人の冒険者は、どこからか失敬したメイド服に身を包み、屋敷の中を堂々と歩いていたのでした。
「偽名かあ、どうしようかな」
「リリーはもう決めてるよー えっへん」
服だけ誤魔化して、名前を偽って。そんな単純なことでどうにかなるものなのか…… そんな不安を抱えているラルバでしたが、どうやらそれは杞憂でしかなかったようです。
ときどきすれ違う妖精メイドたちのほとんどは遊びに夢中でしたし、サニーたちと目が合ったとしても呑気に手を振ってきたりするばかり。何をしているのかと訊かれたとしても、「ちょっと遊びに来た」とサニーが答えればそれで納得してしまいますし、メイド妖精たちは侵入者というものを少しも気にしていないようなのです。
リリーはともかくとして、ソワソワしているのはラルバばかりで、残りのふたりは落ち着き払った様子。サニーもルナも、ここへの侵入にすっかり慣れきっているようでした。
でも……
「ねえ、これなら偽名なんていらなくない?」
どうしてそんなものを用意しておけと言うのでしょう。
門番にだって危険物以外は止められませんでしたし、誰にも咎められることもないのですし、偽名なんて無くてもいいのではと思えるのです。
「そうもいかないのよ」
「そうそう! 備えあれば売れないしって言うでしょ!」
ところが、どうやら完全に安心というわけではない様子。
平然としつつもどこか緊張しているようなルナ。自信たっぷりに慣用句を口にするサニー。場慣れしている彼女たちは、それでも何かに対して警戒をしているようでした。
そして……
「あなたたち、ここで何をしているの」
「わわわっ!?」
ラルバがサニーの間違いを指摘しようとしたそのときに、その警戒要因が突然姿を現したのでした。
「あれ? あれれ?
誰もいなかったのに、綺麗なメイドさんがシュバって……」
リリーの言う通り、何もない空間から前触れもなく現れた銀髪のメイド。彼女はこれまでのメイド妖精たちとは違い、きりりとした凛々しいたたずまいをしています。
明らかに妖精ではない、人間なのか妖怪なのか判らないこのメイドは、たぶん立場のある存在なのでしょう。その目はあからさまに不審なものを見る色をしていました。
「お誉めにあずかり光栄だわ。
でも……あなたたちは何者かしら? 見かけない顔だけれど」
「い、いえ、怪しい者じゃないんです。
私は……プロミネンス! 新入りメイドなんですよー」
きっと多分、偽名はこのときのためのものだったのでしょう。鋭い視線を向けられたサニーが、目を泳がせつつも身分を誤魔化していきます。
けれど、それは本当にうまくいっているのでしょうか。
「ずいぶん大仰な名前ねぇ。
そっちの派手な羽の子は?」
「あ、えっと……キトルス、です」
「さくらっていいますー」
「私は、その…… あれ、なんて名前にしたんだっけ」
そもそもからして胡散臭そうにしているのに、マトモに答えられたのはキトルス……いえ、ラルバひとりだけでした。
「うーんと、うーんと…… そうだ!
サテライト! サテライトっていいます!」
「これまた大げさな名前ねぇ。
むしろマロンとかでいいんじゃないかしら」
「それ私も同感ー!」
「はぁ!? ちょっとさに……じゃなくてプロムナード!」
絶対バレてる……
そんなことを思いながら、ラルバは頭を抱えたくなるのを必死にガマンしていました。
それでも捕まえたり追い出そうとしないあたり、門番と同様に侵入者というものをあまり気にしていないようです。門の前で言われた通り、妖精が入り込んでも今さらだということなのでしょうか。
銀髪のメイドは涼しい顔で、サニーたちに話を合わせていたのでした。
「なるほどね。新入りメイドなら見ない顔なのも当然よね」
「そう、そうなんですよ! えへへ……」
「じゃあそんな新人さんに、お仕事を頼ませてもらうとしましょ。
リリー、いいかしら」
「はいっ」
偽名のことなんてなかったかのように本名を呼ぶ凛々しいメイド。
なんのためらいもなく元気な返事をするリリー。
その様子にサニーとルナが今さらになってぎょっとした表情を見せますが、こうなってしまってはどうすることもできません。
「あなたと……そっちのアゲハの子は、お嬢様にお茶を持っていってちょうだい」
「え、私も?」
「春っぽい妖精ならお嬢様もきっと面白がるハズだものね。返事は?」
とれる選択肢は、首を縦に振ることだけでした。
張り切って手を上げるリリー。おずおずと頷くラルバ。
それを見ながらサニーとルナは、どうしようと言わんばかりに目を合わせていきます。
「そっちのふたりは妹様と遊んであげてちょうだい。
ボードゲームの相手が欲しいって言ってたからちょうどいいわ」
「ゲーム…… そ、そういうことなら……」
「ねえ、大丈夫なの? 危ないことになんてならないよね?」
そして、拒めない命令を出されるのは彼女たちも同様です。
四人の新入りメイドたちは厳しそうな上司のもと、否応なしに仕事へ就かされていくのでした。
フォンダンショコラ作戦は、その目的をお屋敷からの脱出というものに変更せざるを得なくなったようでした……
窓ひとつない、薄暗い地下室。一応そこは明かりが灯されているのですが、どうしても陰気な雰囲気が拭い取れません。
陽の光も月の光も差し込まない。そんな場所で、サニーとルナは小さな少女の遊び相手にさせられていました。
「はい、プロミネの番ね」
「うーん、そう来たかぁ。むむむむぅ……」
木の枝に宝石がついているような不思議な羽を持つ少女。それと相対して盤面をにらんでいるのは、プロミネンスことサニーです。
どうしても考えるより先に身体が動いてしまうことが多い彼女。そのせいでポンコツなイメージがつきやすいのですが、決して頭が悪いわけではありません。
むしろ、鋭いひらめきを見せることがあったりと、ちゃんと考えることさえできれば侮れない頭脳を持っているサニー。そんな彼女でしたから、気難しい「妹様」の相手も十分以上につとめることができているのでした。
「これでこうしてっと…… はい、フランの番!」
「えっ、なにそれ! なによ、せっかく勝ち筋見えてたのに!」
「………」
そんな一進一退の勝負を、口のへの字にさせながら見つめているのはルナ。彼女はまるでぬいぐるみのように、妹様……フランに抱きかかえられています。
むしろルナは、私はぬいぐるみだと自分自身に言い聞かせているかのようです。盤上で駒が動かされていく様を、彼女は空っぽな目で眺めていたのでした。
「こうして、ああきて……それでこっちに打つとああ来るから……
よし、ここっ はいどうぞ!」
「ふっふーん、私の読み通り!
フランってば攻め一辺倒でわかりやす過ぎよ♪」
厳しそうなメイド上司に言われるまま、地下の部屋へとやってきたふたり。そこで待っていたのは、屋敷の主の妹だという少女、フランでした。
退屈を持て余していた、気性の荒い、吸血鬼の妹。彼女はゲームの相手をほしがっていたようでしたが、どうやらここの妖精メイドたちでは手ごたえがなく、役目を果たせていなかった様子。
そんなところへあてがわれたサニーは意外な巧みさを見せ、めでたく妹様の機嫌をとることができたようです。すっかり意気投合したサニーとフランは、気軽な調子で言葉を交わすようになり、仲良くゲームに興じていたのでした。
「うぅ……」
でも、ルナのほうはというとどうにもソワソワしてしまって仕方ないようです。
無理もないでしょう。ここで妹様の相手をするなんてことは不本意なことでしかありませんし、それになによりどうにかしてここから脱出しなければならないのですから。サニーみたいにゲームへ没頭するわけにもいきませんし、ぬいぐるみになりきるのも限界がありますし、気持はそぞろにうつろってしまいます。
「マロン、もぞもぞしてないでじっとして」
そんな思いからついつい身じろぎするルナでしたが…… すぐにフランからたしなめられてしまいました。
「そんなこと言われても……
それに、マロンってなんなんですか。私はサテライトって名前で……」
「だって長ったらしいんだもん」
「ならサテラとかって呼べばいいじゃないですか。
えっと……そっちのプロミネみたいに」
挙句の果てに、せっかく用意した名前も勝手に違うものにされてしまう始末。
サニーのほうは偽名を縮めて呼んでもらえているのに、こんなのあんまりです。
「サテラ、ねぇ…… でも、あなたってそんな感じじゃないのよね。
マロンのほうがよっぽど似合ってるわよ」
「私も同感ー! なんか丸っこいし、マロンってほうがらしい感じだよね!」
「さ…… んんっ、プロミネ!」
しかもその上、サニーまでもが悪ノリしてきてしまいます。
これにはさすがに黙っていられず声を荒げさせますが……
「ぬいぐるみは大人しく私に抱かれてて」
じっとしているようにと咎めがられてしまいました。
「………」
帰りたい……
不満でいっぱいなルナの顔が、ありありとそう語っていました。
(こんなときにスターがいれば……)
そんな彼女が思い浮かべるのは、潜入作戦に参加していない仲間のこと。
実際問題としてスターが一緒にいたとしてもどうにかできるわけでもないですし、下手をすればひとりだけ逃げてしまうことになりかねないのですが…… それでもどうしても彼女がいてくれたらと考えずにはいられません。
いったいいつまでこうしていればいいのでしょう。
フランに抱かれ、モフられるままなルナは、どうすることもできずにゲームの展開を眺めていることしかできませんでした。
吸血鬼でも、身体は温かいんだな…… フランの体温を感じながら、彼女の頭でそんなどうでもいい意識がよぎっていったのでした。
「はい、私の勝ちー! これで二勝一敗ね、フランっ」
「なんでよー! もう一回よ、もう一回!」
さて、どうやら決着がついたようです。
勝敗は初めの一回以来サニーの連勝のようですが、かといってフランが機嫌を悪くする様子はありません。むしろ思わぬ強敵と巡り会えたことで、悔しがりつつも楽しんでいるようです。
ふたりはやいのやいのと言い合いながらも、次の一戦へと入っていくのでした。
……と、そんなときに。
「……あれ?」
ルナの耳が、何かを感じ取りました。
辺りを見渡して、音の元を探ろうとするルナ。
「わぷっ ちょっと、じっとしててったら!」
その拍子に髪の房がフランの顔を叩き、抗議の声を上げられてしまいますが、だからといってじっとしてなんていられません。ルナの耳には、ただならぬ騒ぎ声が聞こえてきているのです。
「マロン、どうしたの?」
「なんだろ。ドタバタ足音がして……悲鳴も聞こえる。しかも、たくさん」
サニーからのマロン呼ばわりに反応するヒマなんてありませんでした。
音に敏感なルナは、明らかな異常事態を感じ取っています。
「悲鳴……? ホントだ、メイドたちが騒いでる」
やがてその物音も、ルナ以外の者にも聞こえるようになってきました。
「なんだろなんだろ? ちょっと見てこようっと!」
「あっ、フラン!?」
気性が荒いせいか、こうした騒ぎを聞きつけるとじっとしていられないのでしょうか。フランが目を輝かせて立ち上がり、そのままバタバタと部屋の外へと飛び出していきます。
「ふぎゃっ」
その拍子に膝から転げ落ち、悲鳴を上げるルナ。
「行っちゃった…… あ、でも今なら!」
突然のことにポカンとするサニー。
けれどすぐに気を取り直し、今が逃げ出すチャンスだと辺りに視線を走らせていきます。
「ルナ、寝てる場合じゃないよ! 早く逃げなきゃ!」
「寝てるんじゃないってば!」
ゆさゆさと揺り動かされて、むっくりと起き上がって。ルナは赤くなってしまった鼻をさすりつつ、サニーとともに能力を発動させていきます。
誰かが見ていたりしないのならば、隠れてしまうのは簡単なこと。ふたりはメイド妖精たちが騒ぎ惑う中を、音もなく走り抜けていくのでした。
「サニー、ラルバとリリーはどうするの!?」
「もちろん迎えに行くわよ!
偉そうな感じの部屋でも探せばきっとそこにいるわ!」
こんなとき、スターがいてさえくれれば仲間を探すのもスムーズに運んだことでしょう。けれど今はふたりだけでなんとかするしかありません。それっぽいところにアタリをつけて、覗いてみる以外方法はないのです。
地下から上がって、大広間の階段を駆け昇って。勘に従って駆けていくサニーとルナ。
そんなとき、どこからともなくすさまじい振動を伴った轟音が響き渡っていきます。
「わわわっ!?」
「ひゃっ! な、なに!?」
脚をすくわれて前のめりに転ぶルナ。
そんな彼女を横目にしつつ、サニーは外を見ようと窓際へと駆け寄っていくのでした。
少し時間はさかのぼり、侵入組が望まぬ仕事に就かされた頃。
外に残っていたチルノとピースは、相変わらず美鈴との攻防に明け暮れていたのでした。
「う~ん、惜しい。詰めが甘かったですねえ」
「わぎゃっ!?」
……というよりもむしろ、じゃれ合い続けていたというほうが正しいかもしれません。そのやりとりは、いかに美鈴の膝を地につけさせるかという遊び稽古のようになっていたのです。
屋敷に入り込むという目的をすっかり忘れ、勝つまでは帰らないとばかりに代わる代わる挑んでいく妖精ふたり。
戦うときの立ち回りを教えてあげるように、胸を貸してあげている気のいい門番。
その教えは多少なりとはいえ伝わっているのでしょう。初めはまったく相手にならなかったチルノとピースも、簡単には負けないくらいには動けるようになっていました。
とはいえ力の差は歴然で、勝ち目なんて少しも無いままなのですけれど……
「チルノちゃん、さっきから言ってるじゃないですか。
弾幕や武器に頼り過ぎちゃダメですよって」
「うがーっ! そんなのわかってらい!」
相手の拳が届かないところまで距離をとって、そこから氷の粒をばら撒きながら近付いて、氷の剣で思いっきり打ちかかる。
考えたばかりのサイキョーの技で自信たっぷりに挑んでいったチルノでしたが、それはアッサリと破られてしまいました。
投げつけた氷片は最小限の動きでかわされて、剣を振りかざした瞬間に懐の内へ踏み込まれて…… あとは右腕と左肩に手が添えられて、軽い力でスポンと投げ転がされるだけ。
「チルノ、お前攻めかたがパターンなんだってば。
遠くから弾撃つのも仕掛けるタイミングも全部一緒じゃん」
「うっさいやい! そんなのピースも同じじゃんか!」
「まあまあ、ケンカはダメですよ。それに相手は私のほうなんですから」
ケタケタと笑うピースに噛みつきながら順番を譲っていくチルノ。ですが、実のところを言うとちょっぴりだけ疲れてきてしまっていました。
「よーし、いくぞー! あたいの頭脳プレーを見せてやるぜ!」
「その調子その調子。うまく私の間合いを潰してくださいね」
威勢よく松明を振りかざして挑みかかっていくピース。
それを見ながらため息をつきつつ、お屋敷の壁へ寄りかかっていくチルノ。
いくらやんちゃな彼女でも、ずっとずっとずっと負けっぱなしというのは気持ちが揺らいでしまうものなのでしょう。頭の中はグツグツしてくるし、なんとなく身体も重たいし、気が付いたときにはぺたんと座り込んでしまっていました。
「なんだよぉ…… ピースのやつも、デタラメに撃ってるだけじゃんかぁ」
はぁ、ふぅ、と息をつきながらチルノがつぶやきます。
たしかにその言葉通り、ピースの「頭脳プレー」はさっきまでの鋭さがなく、無闇やたらに弾をばら撒くばかりです。たぶんきっとチルノ同様、一向に勝ちを取れないことで疲弊しているのかもしれません。
けれどだからって諦めるわけにはいかないのが妖精の意地というもの。
チルノにはサイキョーだという誇りが、ピースには地獄出身だというプライドがあるので、一度も勝てないまま引き下がるわけにはいかないのです。
「うぅ、大ちゃんがいてくれたら……」
挫けかけた心に思い浮かぶのは、いつもそばに寄り添ってくれている親友の存在。
彼女自身には大きな力は無いかもしれませんが、チルノにとっては大妖精がいるといないのとでは気合の入りかたが違います。あの子が後ろにいてくれるだけで、頑張ろうという力がいっぱいに湧き上がってきてくれるのですから。
「くらえ、くらえっ! この、この、このぉぉぉ!!」
「ふむふむ、たしかにこれは激しい。でも……」
そんなことを思っている内に、目の前での勝負に動きが出てきました。
距離を取って様子を見ていた体術家は、しなやかに舞うような動きで弾幕の間隙(かんげき)を縫い、一気に詰め寄っていったのです。
「わわっ!?」
松明を持つ手がとられていくのはあっという間でした。
逃げようとするピースへするりと腕が伸びて、手首の内側が持たれていきます。そうかと思えば逆側の肩が捕まって……
「ムキになりすぎちゃってますね」
ピースはそのまま、ぽーんと軽やかに倒し転がされていってしまうのでした。
「むぎゅっ!?」
カエルが潰れるような声で、勢いの止まらぬまま二度三度と転がっていくピース。
「うぅ……あの投げがどうしようもないんだよなぁ」
それを見ながらうんうんと唸るチルノ。
ふたりとも何度もああして転がされてきたのですが、どうやっても抵抗することができなかったのです。
軽く持たれているハズなのに、全然力づくとかじゃないハズなのに。肩とか首とか腰に肘に手首に……と、関節のところが捕まってしまえばそれで最後。美鈴の身体がきゅっとくの字に曲がるような感覚とともに、どうすることもできずに引き倒されてしまいます。
「捕まったらダメなんだから…… えーっと、うーんっと」
庭の木のところでべたっと潰れているピースを横目にゆらりと立ち上がって。ブツブツと呟きながら手強い相手と向き合って。
「まだやりますか。その気持ち、大事ですよ」
「あたいはサイキョー。大ちゃん、見ててよね」
心に思い描いた親友に語り掛けて、少女は気合とともに身構えていくのでした。
氷の剣を作りだし、相手のことをじっと見据えるチルノ。闇雲に動いたり撃ったりしたらダメだとようやく彼女は理解して、慎重に慎重に様子を伺っていきます。
そしてその変化に気付いたように、眉をピクリとさせて油断なく腰を落としていく美鈴。その存在はとてもとても大きく、まるで山がそびえているかのよう。
さあ、これからどうやればタイミングをずらして攻めかかれるのか…… チルノは息が止まるような思いの中、頭をフル回転させていくのでした。
ところが……
「あれ? なんか焦げ臭い?」
そんな息詰まる空気が、ピースの声で断ち切られていきました。
「えっ、そう言われればたしかに……」
何かが燃えているのでしょうか。
そうとなったら大変です。美鈴はチルノから目を離し、キョロキョロと辺りを見渡していきます。
でも勝負は中断となったわけではありません。
「……っ! もらったー!」
ムキになった少女は、異常事態でもおかまいなしに突っ込んでいったのです。
「ちょ……!? チルノちゃん、わわっ!」
ゴチンと音をたてて頭に直撃していく氷の剣。その拍子に武器は砕けてしまいますが、当然痛くないわけがありません。
「ったたた…… ちょっとさすがにこれはナシですよぉ」
打たれたところをさすりながら、焦げ臭さの元を探し見る美鈴。
そしてその目が一点にとまり、門番は顔を引きつらせていきます。
「あは、あはは…… あたい、悪くないもんね……」
その先には、今まさに燃え上がろうとする木の前で立ち尽くす妖精の姿がありました。
どうやらさっき投げ飛ばされたときに松明が転がって、庭木の元へと落ちてしまったようなのです。
「わっ、わーっ! 水、水ーっ!!」
さあ大変。このまま放っておいてはお屋敷に燃え移ってしまうかもしれません。
美鈴は大慌てでバケツと水を取りに駆け出していくのでした。
「……ピース、どうする?」
勝負相手がいなくなったところで、呆然とするピースに尋ねかけるチルノ。
ですが問いかけた先では少女が乾いた笑いを浮かべるばかり。こうなったらチルノが考えるしかありません。
「えーっと、うーんっと、大ちゃんだったらこんなとき……」
腕を組んで目を閉じて数秒ばかり。それから彼女は何かを思い決めたように目を見開きます。
「ピース、お屋敷の人に火事だって教えてきて!」
「ふえ? あ、うん、わかった!」
逃げるなんてこと、あの子がするわけがありません。
チルノはピースを屋敷に走らせて、燃え上がっていく木へ向けて両手を突き出していくのでした。
「あたいはサイキョーだもんね、こんな火くらい!」
氷を作ろうと冷気を集めていくチルノ。
屋敷の中の者も火事に気付いたのでしょうか。人々が騒ぎ出す声が、彼女の耳にも入るようになっていました。
またまた時間は巻き戻って。
屋敷の二階では、ラルバとリリーがお茶とケーキを運んで歩いていました。
「小っちゃくて可愛いケーキがいっぱいだねー
どれも美味しそう」
「そ、そうだね」
メイドの上司に見つかって、恐ろしい吸血鬼へお茶を運ぶ仕事に就かされて。そんな大変な状況だっていうのに、リリーときたら相変わらずのんびりとした調子です。
これは何も考えていないのか、それとも肝が据わっているからなのか…… それは知りようもありませんが、どうにも危なっかしく思えて仕方がありません。
(こんなときにブラックがいてくれたらなぁ……)
思い浮かぶのは、リリーの片割れとも言えるような少女の存在。彼女がいたとしてどうにかなるわけではありませんが、ぽわぽわしたリリーがおかしなことをしないように見ていてくれたかもしれません。
とはいえ、それは無いものねだりというもの。なんとかしてこの場を切り抜けなければいけないのです。だけどどうしたらいいのか……
ラルバは途方に暮れてしまいたくなるのを必死に抑えつつ、転ばぬようにと慎重に足を進めていくのでした。
「ねえねえ、ひとつくらいなら食べても大丈夫かなぁ?」
「大丈夫なわけないってば。きっと怒られるよ」
「うぅ、怒られるのはイヤだよぉ……」
そんなこんなで、ひときわ立派な扉の部屋に辿り着きます。
リリーがノックをして、返事が聞こえてきたところで扉を開けて。その中、しっかりとカーテンの閉じられた部屋で待っていたのは、真っ黒い翼を持つ小さな女性でした。
「こんにちはぁ、お茶とケーキを持ってきましたよぉ」
「あら、おはよう。まだ身支度してるからそこに置いておいて」
吸血鬼というだけあって、昼は遅くまで寝ているのでしょうか。起きたばかりらしい屋敷の主は背を向けて着替えながら、適当な調子でふたりに指示をしてきます。
これでお茶のセットを置いて戻ることができればラクなのですが…… なんとなくそうはいかない気がします。ラルバはソワソワした気持ちを抱えながら、リリーともどもじっとその場で立ち控えていくのでした。
それからしばらくして。
「あら、あなた……」
身支度を負えて振り返った吸血鬼のお嬢様……レミリアが、メイドの姿を見て眉を動かします。
その視線の向く先はリリー。どうやら彼女のことを知っているらしく、屋敷の主はクスリとおかしげに笑みを浮かべます。
「リリーホワイトじゃない。
それに……アゲハの妖精も一緒だなんて、春らしくて華やかなものね」
「あ…… えっと、キトルスです」
「お屋敷のご主人さまに春のお届けですよー
でも、今日はリリーじゃありません。さくらって名前ってことになってるんですー」
そんなレミリアに、ほわほわと笑いながら偽名を名乗っていくリリー。そうなればキトルスという名も本物でないとバレてしまうことになり、ラルバは顔を青くさせてしまうのですが……
「なるほど。メイドさんごっこということかしら」
レミリアは何もかも解っているかのように、鷹揚(おうよう)な態度を見せるばかりでした。
「あ、あの……?」
外部の妖精が入り込んでいるのに、咎めるつもりはないのでしょうか。
門番といい、さっきのメイドといい、その態度はちょっと理解が追い付きません。
「似合ってるわよ、メイド服」
「わぁ、ありがとうございますぅ」
「………」
まるで、遊びに付き合っているかのように笑いかけてくる吸血鬼。
これにはホッと胸を撫でおろしつつも、どうにも首を傾げずにはいられませんでした。
「妖精の遊び場が近いせいなんでしょうね。
あなたたちみたいなのは毎度のことなのよ」
そんなラルバの前で、レミリアが優雅にお茶を口へ運びながら説明を始めてきてくれます。ケーキを食べて、ひとつをリリーに分けてから、ラルバにもお皿を差し出してくれるお嬢様。その振る舞いは余裕たっぷりで、威厳にあふれたものでした。
「でも、入ってきたところでイタズラも子どもじみたものだしね。
追い払うのもせわしないし、好きにさせることにしてるのよ」
「な、なるほど……」
妖精なんてとるにたらない…… そう言われているような気がしましたが、納得することしかできませんでした。
妖精のやることなんて大それたものではないし、もしも冗談では済まないことをしでかせば、そのときは相応の報いを与えればいいだけのこと……
レミリアは明言こそしないものの、そんな気配をにじませていたのです。
「で、今日は何しに来たのかしら?
メイドごっこだけが目的じゃないでしょう? さくらちゃん」
「はいー さくらは、図書館に行こうとしてたんですぅ」
「あぁ……それはやめときなさい。パチュリーが黙ってないでしょうし」
そんな理解のあるようなお嬢様に、問われるまま答えていくリリー。その言葉に、ラルバを見ながら忠告してくるレミリア。
たぶん、彼女の言うことは正しいことだったのでしょう。妖精は拒まないとはいえ、許される場所とそうでない場所があるようなのです。
どうやら厳しそうなメイド上司に見つけられたのは、かえって幸運だったようでした。
「それよりも……」
ところが、話は簡単に終わらないみたいです。
「あなたたち、ここで働くつもりはないかしら?
いつでも春らしさを味わえるなんて、そんな素晴らしいことはないものね」
「ここで、働くって……」
穏やかに問いかけてくるお屋敷の主。
でもその物腰は柔らかながら、拒むことは許さないような気配がにじんでいます。
「それって、ここに住めってことですよね」
「環境は保証するわ。
特定の時季が苦手な妖精はもう何人もいるし」
これには困ってしまいました。
たしかに居心地はいいかもしれません。冬でも寒さに震えることもないかもしれません。
でも、だからって……
「だめですー さくらは、春を伝えなきゃいけないんですからー」
「わっ、わっ…… ちょっと、リリー!」
などと困惑していると、リリーがいつもの調子でキッパリとした返事をしていきました。
本当に彼女の言動は理解ができません。何も考えていないのか、それとも大丈夫だと解ってのことなのか。どちらかはわかりませんが、横から見ればハラハラさせられるばかりです。
「その必要はないわ。季節は巡るものなのだから」
「でも、さくらが春を伝えに行くと、みんな嬉しそうにしてくれるんですー!」
「リリーってば! 断るにしても、もっと言いかたが……」
やっぱり、ブラックがいてくれればもう少しソフトなやり取りができたのでしょうか。
今はまだレミリアが大らかに相対してくれていますが、これでもし機嫌を損ねてしまったら? 相手が無理矢理な手段に訴えようとしてきたら……? そんなこと、考えただけで恐ろしくなってしまいます。
……と、そんなときのことでした。
「失礼します。お嬢様、少々よろしいでしょうか」
さきほどの凛々しいメイドが、静かに姿を現しました。
「なにかしら、咲夜」
「庭で火事が起きたようです。
大事には至らないかと思いますが、念のためご報告を」
落ち着き払った報告を一緒に聞きながら、目を見合わせるラルバとリリー。火事ともなればただ事ではありませんし、やっぱり何があったのかと気になってしまいます。
「火事だって。こわいねー」
「……そうだね」
そんなラルバの脳裏に浮かぶのは、ピースの松明。もしかして、ヤケを起こして火をつけただなんてことは……
「消火活動はしているのね。
なら美鈴に任せておきなさい。必要以上に騒ぎ立てないように」
「かしこまりましたわ」
そうして胸を騒がせている少女の前で、指示を受けた咲夜が煙のように消え去っていきました。
これで屋敷の主が慌てて部屋を出て行ってくれれば逃げるチャンスがあったのですが…… どうやらそううまくはいかないようです。
「さて、返事を聞かせてもらっていなかったわね。
うちで働くかどうか、答えてもらおうかしら」
「でも、それは……」
「お返事ならもうしましたよー!」
イエス以外は聞き入れない。そんな様子にレミリアに、ラルバはきゅっと歯を噛みしめます。
どうしようもないのか…… そんな諦めがこみ上げてきたときのこと。
異常な事態は、次の波を引き起こしていったようでした。
「……何の音?」
大きな轟音とともに、屋敷全体が小さく揺れ動いていったのです。
「わわっ、地震ですー」
「でも、何か違うような……」
ビリビリと鳴り響く窓ガラス、軋むような音をこぼすお屋敷。これにはさすがのレミリアも平然とはしていられないようです。
「今度は何があったというの?」
彼女は眉を寄せながら、音の聞こえた窓のほうへと歩み寄っていきます。
「お嬢様、度々申し訳ありません。妹様が……」
「フランが?」
それと同時に、再び姿を現した銀髪のメイドが状況を伝えていきました。
いわく、火を目にしてはしゃいだ妹様とやらが暴れ出したというのです。
「ああもう、あの子は本当に……」
「お願いいたします。私たちの手ではどうにも……」
その暴れ出した妹様というのを取り押さえに行くのでしょうか。レミリアはため息をつきながら、ラルバたちを置いてツカツカと外へと歩いていくのでした。
「……助かった、のかな」
誰もいなくなった部屋で、思わず目をパチクリとさせるラルバ。
「これでお家に帰れるねー」
いつものようにほわほわと笑うリリー。彼女はレミリアが手を付けなかったケーキをパクリと口にして、幸せそうに顔をほころばせます。
その一方で、我に返ったラルバはそっと廊下を覗いていきます。
みんな騒ぎのほうへと駆けつけていったのでしょう。そこには誰の姿もなく、不自然なほどに静まり返った空間があるばかりでした……
「はぁ、酷い目に遭った……」
神社裏のミズナラの樹が見えてきた頃に、すっかり疲れ果てた様子のサニーがそんな声をこぼしていました。
「一時はどうなることかと思ったよ……」
一番ぐったりとしているのはラルバです。散々気苦労をするハメになった彼女は、もう歩くのすらやっとといった様子。
恐ろしい目や危ない目に遭ったわけではなくても、精神的に肉体的に参ってしまったのでしょう。リリーを除いた全員が、げっそりとした顔をしていたのでした。
「もー疲れた! 冷たいアイス欲しいよー!」
たぶん、一番体力を消耗したのはチルノでしょう。美鈴との稽古の後、火事をおさめるために冷気をたくさん集めることになったのですから。
そんな彼女の活躍もあり、あれから火はすぐに消し止められたのですが、その後が大騒ぎでした。
暴れ出したフランを止めに入ったレミリア。彼女たちふたりの間で激しい攻防が始まり、そのとばっちりを受けないように逃げ回らなければならなかったわけなのです。
それでも、屋敷に入った四人が脱出できたのはフランの騒ぎのおかげというもの。レミリアの部屋の前で合流した一行は、服を回収しながら首尾よく逃げることに成功したのでした。
「あーあ、作戦は失敗ね」
ため息をつくルナ。
彼女は何か期待しているものがあったのでしょうか。イタズラがうまくいかなかっただけとは思えないほどに、彼女は大きく落胆しています。
「でも、楽しかったねー」
たぶん、今回の作戦が思わぬ形で成功したのはリリーひとりだけ。
彼女は失敬してきたメイド服から着替えないまま、嬉しそうにスカートをヒラつかせていたのでした。
「ところでさー、フォンダンショコラ作戦ってなんだったんだ?」
そんなところで、思い出したかのように疑問を口にしていくのはピースです。
今の今まで気にしていなかったのですが、ルナのガッカリした様子から、その作戦や名前に何かしら意味があったのではと考えたようなのです。
「あれ、説明してなかったっけ。それはね……」
そんな彼女にサニーが口を開きかけたときに。
「あっ、みんな帰ってきた。おかえりー!」
まるで、家族の帰りを待っていた仔犬のように、小さな妖精少女が一行を出迎えてきてくれたのでした。
「ロズちゃんだ。はーい、ただいまぁー」
桃色の髪を肩口でそろえた、大妖精の妹分といえる少女。その声にパタパタと駆け寄っていくリリー。
あの少女がここにいるということは、作戦に参加しなかった大妖精たちはミズナラの樹に来ていたということなのでしょう。
「ラルバ、おかえり。どうしたの? 服が焦げてるじゃない」
「アズゥ…… それに、大ちゃんも」
「おかえりなさい。待ってたんだよ?」
玄関の前では大妖精が、もうひとりの妹分である青い髪の少女とともに出迎えに出てきてくれていました。
「大ちゃん! ここでなにしてたの?」
「ごめんね、チルノちゃん。スターちゃんにお呼ばれしてて……」
「スターに? ルナ、何か聞いてる?」
「サニーこそ知らないの?」
でも、どういうことなのでしょう。
集まって何かをするなんて聞かされていませんでしたし、サニーとルナはただただ首を傾げるばかりです。
「おかえりなさい、いつまでそこで立ってるのよ。
準備できてるんだから入っちゃいなさいな」
そこへ続けて顔を出してきたのはリリーブラック。彼女も、スターたちと何かをしていたらしく、その何かを披露しようと家に招き入れてきます。
「ブラックちゃん、準備ってなーに?」
「入ればわかるわ」
「なんだなんだ、甘い匂いがするなー?」
とにもかくにも、家に入ってみないと何もわかりません。虎口から脱してきた冒険者たちは、不思議そうにしながらも玄関をくぐっていくのでした。
そして……
「おかえりなさい。そろそろ帰ってくる頃だと思ってたわ♪」
六人を待っていたのはニッコリと笑うスターと、テーブルに並んだチョコレートケーキでした。
「スター? これって……」
「なにって、サニーったら自分で言ってたじゃない。
フォンダンショコラってなんだろうって」
呆気にとられるサニーとルナ。その横で何かを理解したような顔をするラルバ。
たぶん、それは正しいことなのでしょう。
「スター、もしかして知ってたの!?」
「名前だけ、ね。だから大ちゃんやブラックに訊いてみたの」
つまり、こういうことでした。
サニーが本で見かけたフォンダンショコラというお菓子。それはなんだろうとルナとスターに尋ねたものの、詳しいことがわからず、調べてみようということになったのです。
その資料を探すために、紅いお屋敷の図書館に侵入しようとしたこと。だから、「フォンダンショコラ作戦」とい名付けられたこと……
その作戦のために、ラルバ、チルノ、ピース、リリーが動員されたわけなのです。
「じゃあ、私たちがあんな思いしたのって……」
一番苦労したラルバがぺたんとへたりこみます。
「いくらなんでも無茶よ、お屋敷に忍び込むなんて」
その横で、青い髪の妹分、アズゥが呆れたように声かけます。
たぶんスターはともかく、ほかの者たちはそんなところへ行くとは思っていなかったのでしょう。ラルバから行き先を聞いたとき、大妖精とブラックが顔色を青ざめさせていったのでした。
「スター、アテがあるなら始めから言ってよ!」
「あら、サニーのことだからスリリングなほうがいいと思ったんだけど♪」
サニーがスターに噛みついていきますが、相手はまったく涼しい顔。いつものこととはいえ何を言っても気にもされないでしょう。ラルバも何かを言いたそうにしていましたが、青髪の少女になだめられるまま黙って言葉を飲み込んでいくのでした。
「まぁたしかに、なんだかんだで面白かったよな」
「うんうん、可愛いお洋服も持ってこれたしー」
こうして帰ってこれたならそれでよし。妖精たるもの、何事も楽しむことが本分なのです。
目の前には美味しそうなチョコレートのケーキ。過去のことをとやかく言うよりも、せっかくのスイーツを楽しむほうがずっとずっと大事なこと。
少女たちは誰からともなく、ケーキの置かれたテーブルへとついていくのでした。
「コーヒーの人は手挙げて。あとは紅茶でいいのよね。
ロズ、アズゥ、手伝って」
テキパキと支度を整えるリリーブラック。
「はーい! 私はミルクとお砂糖運ぶから、アズゥ姉さまはお茶お願いね!」
「ちょっとロズ、なんで軽いのだけ持ってくのよ!」
それに応えて手伝いをしていく桃色のロズと青髪のアズゥ。彼女たちは大妖精に見守られながら、賑やかにお茶を運んでいくのでした。
やがて用意も整って、妖精たちのティータイムが始まります。真っ先に手をつけていくのはサニーです。彼女のフォークがスポンジケーキを割っていくと、中からはお皿からこぼれるばかりのチョコレートがいっぱいにあふれだしていきます。
そんな光景を見てしまえば、お屋敷でのことなんて綺麗さっぱり。少女たちは目を輝かせながら、感激の声を上げていくのでした。
「ねえ、大ちゃん」
そんなフォンダンショコラを口に運びつつ、チルノがあらたまった様子で大妖精に声をかけます。彼女の横では、チョコレートソースを服に垂らしたリリーがブラックから小言を向けられています。
「チルノちゃん、どうしたの?」
それを横目に、ニッコリと親友へ笑いかける名の無い少女。
「ありがとね」
そんな彼女に、色んな気持ちを込めた言葉を伝えて。氷の少女は照れ隠しをするようにケーキを口いっぱいに放り込んでいくのでした。
三月精VFiSの子たちらしい個体まで出てきたのにはまったく兜を脱ぎます。
妖精達がそろって楽しそうに騒ぎまくる姿が目に浮かびました。
面白かったです。
オペレーションフォンダンショコラにそんな意味があったとは