Coolier - 新生・東方創想話

狐と猫の恩返し

2021/04/17 14:01:16
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「藍、枕がないわ。」

東の空が薄ぼけた光を浮かべ始めた頃、炊事場にいた藍の耳元で声がした。
味噌汁用の根菜を切っていた手を止めて、
藍はおや、と顔をあげる。

「お帰りなさい紫様。今回は少し長かったですね。」
「ほんとね。少し褒めて欲しいものだわ。」

つー…と果物に刃を入れるように宙に線が引かれ、ぱっくりとスキマが口を開く。
そこから上半身だけを乗り出した紫は垂れてきた髪を払って、
今日はかぶのお味噌汁ね、と炊事場に漂い始めた味噌の香りを楽しんだ。
幻想郷の番人たる紫がその境界の維持のために屋敷を空けることは珍しくない。
本人曰く、式神の藍ですら気づかぬうちに幾たびも幻想郷の危機を救っていると言うのだが、
多くを語らないためにその真偽は定かではない。

「出て行かれたのが7日前でしたかね…。
いつもでしたらちょくちょく帰ってきてはのんびりしていますけど。」
「あら、それだってサボっているわけじゃないわ。時を待たなきゃいけないこともあるのよ。」

時間は大切よ、と説教たれた紫の口から、でもねえ、とため息が漏れる。

「今回はそうね、少し厄介で目が離せなかったから……やっと休めそうだわ。
ご飯は後でいいから少し寝たいの。私の部屋の枕がなかったのだけど。」
「お天気が良かったので昨日洗濯したんですよ。替えを持ってきます。」
「うーん、それならいいわ、藍のを使うから。」
「あ、ちょっと。」

言うが早いか呑み込まれるようにスキマの中に戻り、ぱちんっと境界が閉じてしまう。

「もう、スキマの中で寝るなら枕なんていらないでしょうに…。」
「休む時は横になるものよ。覚えておきなさい。」

虚空から響いた反論に、藍はやれやれとため息をついた。
紫が不在だった間のことについて報告したかったのだが、
あの様子ではしばらく起きてこないだろう。
それに特段、判断を急ぐ事象があるわけでもない。
竹林の案内人が灼けるような高熱にうなされて伏せっていたので
道に迷う妖怪が相次いだだとか、
妖怪山の河童が珍発明で山火事を起こしかけただとか、
軒先においていた紫の傘を橙が連れ帰ってきた野良猫が破ってしまっただとか…
紫がこなしてきたであろう仕事に比べれば、些細なことなのだ。きっと。

「紫さまいるの……?」

扉から眠たそうに顔を出したのは橙だ。
寝起きのまますぐに来たのだろう、髪も耳の毛並みももばさばさと乱れている。

「らんしゃまおはようございます。紫さまは?」
「おはよう。声で目が覚めちゃったかい?
紫様ならさっき帰ってきたよ。しばらく眠るそうだ。」
「そっか……。」

一緒にお絵かきしたかったなあ、と尻尾を垂らす橙が藍の服の裾をぎゅっと掴む。
時折大人びた姿を見せようとする橙だがまだまだ子供の心だ。
遊んでくれるのを心待ちにしていたのだろう。

「よしよし…起きたら沢山遊んでもらおうね。
まだ早いからもう少し寝ていていいよ。」
「ううん……。紫さまお疲れだった?遊んでくれるかなあ……。」
「……そうだね、疲れているかもしれないね。」

紫の留守は珍しくないことだから、あまり気にしていなかった。
言われてみれば確かに、いつもより力なかったようにも思える。

「……たまには何か、腕をふるっておいしい物でも用意してあげようか。」

眠そうだった橙の瞳にぱあぁっと光が差す。

「おいしい物食べたらきっと喜んでくれるね。
焼き魚でしょ、肉団子でしょ、果物と、あとお餅のお団子と…。」
「ふふ、じゃああとでお買い物へ行こうか。
目が覚めてしまったね。少し早いけれど朝ご飯にしようか。」
「はあい!」

腕によりをかけた料理でたまには褒めてもらわないと。
それから少しだけ……少しだけ主人もねぎらってあげよう。
ふふん、と藍は小さく息巻いた。



「あんこのお店はどこですか?」
「きゃ。あんこですか?えーっとえーっと、一番近いところだと
向こうの角を曲がったところに甘味処がありますけど……。」

貸本屋の前で橙が声をかけると、前が見えないほど抱えた
本や書物を持ち直しながら小鈴が答えた。
反射的に答えただけなのだろう。
小鈴は橙の姿を見ると少し驚いたようだったが、にっこり笑って続けた。

「お買い物ですか?私もこれから休憩しようと思ってたんです。
良かったら一緒に行きましょう!」
「うん、ありがとう!あのね、元気が出るお団子を作るの。
おいしいあんこあるかなあ。」
「ありますよ!かなり人気のお店で昼過ぎには売り切れちゃうこともあるんです。
本を置いたら戻ってきますから、ちょっと待っていてくださいね。」

たたたっと店の奥へ消える小鈴と入れ替わりに、
買い回った食材で重くなった風呂敷を抱えた藍が駆け寄ってくる。

「橙、急にいなくなったから探したよ。待っててと言ったじゃないか。」
「藍しゃまお揚げ買うの長いから……。」
「皆のためを思ってだよ。お稲荷は沢山食べたいだろうけど
今回は他の食材もあるしいくつ買おうか悩んでいたんだ。
1人10個にするか15個にするか……。」
「あのね、おいしいあんこ屋さん教えてくれるって。
この間みたいにお団子作っていいでしょ?」
「うん?ああ、白玉粉ならまだあったからそれで作ろう。
しかし紫様はこしあん派だったかつぶあん派だったか……。」
「お待たせしました!さあ甘味処へ行きますよ!って、わ、わ、わ、尻尾!」

戻ってきた小鈴が藍の存在に口を押さえて驚くが、妖怪を恐れる彼女ではない。

「なんて日でしょう。今日はついてるわ。阿求にも後で自慢しなきゃ!」



小鈴のお店からそう遠くないところにその甘味処はあった。
やや長めのよもぎ色の暖簾に、軒先に木陰を作る傘の赤がよく映える。
長くそこへ建っているのだろう。
黒塗りした壁や屋根には真新しい艶こそないが、
長く太陽の光をしみこませたような、ぬくもりのある様相をしていた。
しかし賑わう人の姿はそこにはない。

「おかしいなあ。いつもは外まで行列ができてるのに……。」

いつもと違うその様子に小鈴が首をひねっていると、
大きな紙袋を抱きかかえた妖夢が暖簾をくぐって外へ出てきた。

「あれ、珍しい組み合わせですね。」
「あんこ買いに来たの!紫さまにお団子作ってあげるんだよ。」
「あんこですか……実は私も大福を買いに来たんですけど、
どうやらお店のご主人が腕を痛めてしまったらしくて今日はお休みにするみたいですよ。
よく買いに来るので顔を覚えていてくださって、ご厚意であずきは頂けたんですが……。」

妖夢が抱えていた紙袋を傾けると、ざららっと中で音がした。
ぱんぱんに張った紙袋は、あずきと言われなければ米かと思うほどの質量である。

「それ全部あずきなのか……?」
「うちは消費が激しくて……。
最近はお庭の桜がすごく綺麗で、ほぼ毎日宴会なんですよ。
幽々子様がこちらのお店の大福が大好きなので、いつもお世話になっていて。」
「ほう、ご主人の腕の故障はそれかな?」
「……。」

ぴたっと妖夢の笑顔が固まる。
さあドウデショウカ……答える妖夢の目線はあさっての方向を向いている。

「ねえねえ。作るの一緒にお手伝いするから少し分けてくれない?」
「そうだな、私も甘味はなかなか作らないし、職人を頼らせてもらえるならありがたい。」
「職人だなんてそんな。ただ、頻繁に作っているだけですよ。」

あずき袋を抱え直す妖夢は満更でもない表情だ。

「手伝って頂けるのはこちらとしても助かります。
あー、でも……すぐにお招きしたいところなんですが、
実は困ったことがありまして……。」
「困ったこと?」
「今朝気づいたんですが、蔵に置いていたお米が一掬いだけ黒く腐ってしまっていて…。
袋が破れてたので動物か何かなんでしょうけど、幽霊ばかりの白玉楼の中ですからね……。
気味が悪いので先にちょっと調査したいんです。」

生者のいない白玉楼はつんとどこまでも静かだ。
初めて訪れる者は、風が吹いていなければ
あまりの音のなさにかえって耳が痛くなることもあるという。
その中で米が腐る、生ける物の気配とは確かに普通ではない。

「あのう……。それって、米かじりじゃないですか?」

黙っていた小鈴がおずおずと声をあげる。
うん?と3人の注目が集まると両手でこめかみのあたりをぐりぐり押して、
古い記憶をたぐり寄せる。

「えーと、確か毒餌で殺された鼠の幽霊なんですけど、
死後も恨みから穀物を荒らすみたいです。
それも普通の生きた鼠と違って牙に毒を持っていて、
囓られたお米は段々と黒ずんで腐ってしまうのだとか。」

「幽霊鼠ですか……。まぁ幽々子様や私なら害はないのでしょうが、
人里に出る前に退治した方がよさそうですね。」
「ちなみに本によれば、この鼠に囓られたお米を食べると生死に関わるそうです。」
「え?」
「ですので、つまり、もし幽霊鼠が里に来てしまうと大変なことに……。」

駆け出すタイミングは藍も妖夢も大差なかった。
出遅れた橙が藍の名を呼びながら追いかけてゆく。

「買い出しなんて来てる場合じゃなかったんじゃないか?」
「今朝は犯人の目星もつきませんでしたし、
甘味を切らしたらもっと恐ろしいことになるんですよ!
でもこれはマズかったかも……!」

甘味処の前に取り残された小鈴は既に遠くなった妖怪達の後ろ姿を見ながら、
困り顔でほおを掻いた。

「幽霊だけど増えるって、伝えなくて大丈夫だったかしら。」



長い長い石の階段を登りきり、庭を突っ切る頃には
藍も妖夢も言葉少なになっていた。
この2人揃って万が一ということもないだろうが、
ついた頃には手遅れでした、ではある程度被害も覚悟する必要がある。
だからこそ漆喰で塗られた蔵の前に立ち、ややもせぬうちに
中からかすかな物音を確認した時は揃って安堵の息を漏らしたのである。

「ここで騒ぎを起こすとどうなるか、身をもって知ってもらいましょう。」

妖夢が桜観剣を構え精神を研ぎ澄ます―――かのように見えて
その実、早く済ませて幽々子様のおやつの支度をしなければ、と考えている。
一方、観音開きにした戸前の前に立ち、内扉を開けるのは藍の役だ。
片手は扉に添え、もう片方の手で明かり代わりの光のエネルギー体を掲げている。
他方橙はと言えば、白玉楼手前の階段で幽霊と遊んでいる。
外から来た野良猫に聞いた遊びだという、じゃんけんをして勝った手に応じて
階段を上がっていく遊びに夢中になっているらしい。

「また私の勝ちね、ぱいなつぷる!」

幽霊退治など何処吹く風である。

「さて、行くか。」

藍の目配せに妖夢は無言で頷く。
ガラガラっと引き戸を勢いよく開けて藍が蔵の中を照らす。
音はしない。藍に続き妖夢もゆっくりと蔵に足を踏み入れる。
蔵の中は外よりひんやりとしていた。
庭の手入れに使う道具がひっそりと立てかけられ、
藍の光の明かりを受けて怯えるように影を揺らす。

「米はあれだな。」

蔵の中程に重ねられた袋を動かしてみようと手を伸ばす。
その時、藍の尻尾の先を何かがかすめた。

「そっちか!」
「いました!」

すかさず妖夢が間合いを詰めるが獲物はひゅんっと棚の後ろに隠れてしまう。
一瞬見えた姿は他の幽霊と大差がない。
ただ頬がぴりつくような、邪な気配は藍も妖夢も捉えることができた。
藍に棚を乱暴に揺すられ幽霊鼠が慌てて飛び出してくる。

「観念なさい!」

妖夢の銀の髪が静かに揺れて、桜観剣が空を切った。
地面近くの空中で幽霊鼠が割れたと思ったのもつかの間、
桜観剣が鞘に戻るのと同時にすうっと溶けるようにそれは消えた。

「お見事。」
「いいえ、ありがとうございます。」

狭い蔵の中で最低限の動きで仕留めるのは訓練の賜物である。
その成果がこのような些末なことで活きるのもやや複雑だが、
万に一つのこともなく済んで良かったと妖夢は思うことにした。
後で小鈴には御礼をしなければいけない。

「鼠退治までお手伝い頂いてありがとうございました。
次はお団子ですね!」
「そうだな。橙も呼んでくるとしよう。」

明かりを消して両の袖に腕を組んだ時だった。
先ほどの幽霊よりも小ぶりで足の速い影が蔵の外へ飛び出した。

「いけない!まだいたか!」
「え?え?」

事態を飲み込めない妖夢に阻まれ蔵を出るのが遅れた。
もう一匹の幽霊鼠が白玉楼の外、顕界目指して一目散に飛んでゆく。
狭い蔵の中でならどうにでもなったが、ここを出られては探す当てもない。
それに人の生死に関わるとなれば事は一刻を争う。絶対に外に出してはいけない。

「橙、いるか!そっちに行ったやつを捕まえるんだ!」
「あ、これで最後だよ!ぱいなつぷ……」

ぴょーんと高く跳んで橙がくるくるっと勢いよく回る。

「る!!!……あれ?」

すたん!と両手をあげて階段を登り切った橙の足下で空気の抜けるような音がした。
息を切らして駆けつけた藍に不思議そうな顔を向ける。

「藍しゃま、見てみて。なんか踏んじゃった。」

両足の間に手をついた猫の下で、幽霊鼠が伸びていた。



日差し注ぐ縁側で、昔話に花を咲かせる2人の姿があった。

「ああそれ、まだ紫が式を持ちたてだった頃の話でしょ。
うちの妖夢だって小さい時はもっと可愛かったんだから。」

今も可愛いけどね、とくすくすと笑って幽々子が団子に手を伸ばす。
厚めのお餅に塩気のあるえんどう豆が練り込まれ、
しっとり甘めのあんこを引き立てる。

「あら、幽々子の自慢話だっていつも聞いてるわ。お互い様でしょ。」
「そうだったかしら?あ、妖夢~、お茶のおかわりあるかしら?」
「はい、ただいまー!」

炊事場から声を上げる妖夢の隣では藍が洗い物を淡々とこなしている。
重ねられたお重の数は大人4人と子供1人にしては多すぎる量だ。
幽々子の提案で紫を呼び、ここ白玉楼での昼食会もといお花見となったはいいが
丹精込めて作った料理が果たして紫の口にどれだけ届いたかは不明である。
それでも縁側から聞こえてくる主人の楽しそうな声を聞くに、
これで良かったのだ、と藍は穏やかな気持ちで手を動かした。

「紫さま、橙もかつやくしたんだよ。悪い幽霊捕まえたの。」
「聞いたわ。よくやったわね。もう私が留守でも平気ね?」
「それは嫌なの……。でもお仕事だって分かってるから、待ってられるよ。」

えへん。見上げる橙の頭をなでてやれば、にこにこと屈託のない笑みを浮かべる。

「妖夢も抜けてるのよねえ。2匹いたんでしょ?もっと増えたかもしれないのに。」
「あの後蔵の中はよく調べたのでもういないはずですよ。」

急須でお茶をつぎ足しながら妖夢が答える。
とくとくと渦を巻く湯飲みの中で、いたずらっぽい笑みを浮かべた幽々子が
妖夢とくっついたり離れたりしている。

「買い物に行っている間に他の鼠が逃げていないとどうして言えるの?」
「それは……。」
「意地が悪いのね、幽々子。どうせ早くに気づいて、幽霊にでも見張らせていたんでしょう。」
「あら、駄目よ。答えをすぐ言ってしまっては。
もう少し困らせてあげないと成長しないわ。」
「幽々子様!」

いつも静かな白玉楼がにわかに賑やかになる。

「ふふふ、どこも同じね。」
「全くです。……少しはお休みになれましたか。」

洗い物から戻ってきた藍が腰を下ろしながら尋ねる。
紫の少しだけ後ろが藍の指定席だ。

「おかげさまでぐっすりよ。次から毎日藍の枕を使おうかしら。」
「何言ってるんですか。紫様のと一緒ですよ。」
「そうだったかしら。」

幽々子と妖夢は例の蔵の中にしまい込んだ幼少期の品々を
出すか出さないかで揉めている。
妖夢が幽々子を言い負かすところはついぞ見たことがない。
いつだってそうだ。でもお互い、変わらぬ日常を飽きもせず繰り返す。
紫の役目とは、その変わらぬ日常を守ることにある。

「藍。」

世に2人といない優秀かつ完璧な式神がきょとんとこちらを見返す。

「お料理、とってもおいしかったわ。」

一度瞬きをした後、藍は恥ずかしそうに笑って見せた。
藍:「橙はずっと階段で遊んでたのかい?」
橙:「うん!あのね、幽霊さんグーばっかり出すんだよ。
だから全部パーで勝っちゃった。でもぱいなつぷるってなんだろう?」
藍:「グーで勝っていたらもっと分からなかっただろうね。」
橙:「?」

***
ありがとうございました!
あぶらげ
https://twitter.com/akaiaburage
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コメント



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4.100名前が無い程度の能力削除
良かったです。優しい話で、皆が楽しそうに過ごしているなと感じました。
5.100南条削除
面白かったです
かわいらしくて優しいお話でした
6.100Actadust削除
ほんわかした雰囲気いいですね。楽しませて頂きました。