Coolier - 新生・東方創想話

青空の下で手をふって

2021/04/02 21:05:50
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「っくしゅっ」


 鼻水が出る。熱っぽい。ついでに目がぐずぐずのショボショボだ。これはきっと新種の病気に違いない。きっと私はこのまま謎の病気に侵されて、くしゃみが止まらなくなって頭が爆発して死んでしまうんだ。


「っぷしゅっ」



 死因、くしゃみによる爆死。そんなことを考えながら、青空の下で鼻をかんだ。歩きながら鼻をかむなんて、なんて不良なのだろう! ぷぴーって少しだけ可愛らしい音が鳴ったけど、そんなことを聞いている人はいない。

 誰もいない通学路。最近は春雷が多かったけど今日は珍しく風も雲も穏やかで。そろそろ春が来るんだと、芽吹きかけの梅の木が教えてくれた。一緒に花粉もやってくるのはいかがなものかと思うんだけどさ。滅べばいいのに、花粉。

 暖かな陽射しの下で、私と同じように通学している生徒の姿は無い。それもそのはずで、時計代わりに起動した携帯端末のホーム画面は始業時間を大きく過ぎている。世間一般で言う所の遅刻、というやつだった。

 だって仕方がないじゃない。朝っぱらからくしゃみのし過ぎで頭痛もすれば、瞼も眼球も痒みを通り越してひりひりするんだもの。登校前から疲れてしまうのは当たり前なわけで、そんな状態でこんな天気のいい日にベンチに座ったら、そりゃあ電車だってバスだって乗り過ごしてしまうでしょう?


「はっぷしゅ」


 つまりこの遅刻は不可抗力というわけ。ただ、本当に今日だけは間が悪かった。その理由が私の耳に仰げば尊しとなって聞こえてくる。校門の横には卒業式と書かれた看板。つまるとことろ、今日は私が通っている高校の卒業式で、そして私はそんな日に盛大に遅刻をぶちかましてしまったというわけなのだ。

 昔、親戚の家で暇つぶしに読んだ漫画で、問題児でありながら皆から愛されていた主人公が卒業式に遅れて入っていくシーンがあった。私はそこまでの度胸も、卒業生たちへの思いもないので、卒業式が行われている体育館に足を向ける考えを即座に却下した。

 さて、どうしようか。

 家に帰ろうか。いい案だけど、なんかしっくりこない。なにより今日は母親がいる。今帰っては何があったか聞かれて、玄関から蹴りだされるに違いない。

 桜や海でも見に行こうか。なんて素敵な考え! みんなが仕事だったり学校だったりで忙しい中で、私は桜並木や穏やかな海を見るの。夢想してみて、なんと似合わないことかと自分で自分に突っ込んでしまった。そして今日は花粉が多い。このまま外を歩き回っていたら、くしゃみのし過ぎで頭がシェイクされるか爆発してしまう。

 街に出ようかしら。うーん、まだ朝も早いよね、この時間ではまだ閉まっている店も多いだろうし。


「ふえっくしょ」


 駄目だ、このまま外にいては私の鼻が死んでしまう。ぐるぐると回る脳内の映像資料の中に、図書館の新刊棚が見えた。そういえば読みかけの小説があったことを思い出して、私はうららかな陽気と漂う花粉から逃げることに決めた。






 
 東深見高校は生徒たちの教室がある教室棟と、専門授業を行う特別棟に分かれている。他の高校も似たようなものなのかな、と考えたこともあるけど、その考え自体が無意味なもののように思えた。だからなんだって話だしね。

 図書室は特別棟の三階にある。普段なら誰かしらの雰囲気や、声や、影があるはずの廊下も、今日だけはしんと静まり返っている。遠くで聞こえていた仰げば尊しは、もう聞こえない。

 自分の足音だけが廊下に木霊して、なんでか理由はわからないけれど、胸の奥からじんわりと、何かがせり上がってくるような気がした。幼いころに遊んだ隠れん坊で、隠れた私のすぐそばを鬼が通り過ぎるときに感じるような、不安とか面白さとかが混ざった一言では言い表せないような、むずむずとした何かをさ。

 図書室の扉に手をかけたところで、普段よりも扉が重いことに気が付いた。


「……うそお」


 なんということだろう、鍵がかかっていたのだ。

 海外ドラマにありそうな大仰な溜息をして、図書室の横、屋上へと続く階段が視界の端に入った。

 その踊り場に、誰かがいた。

 見慣れないブレザーを羽織ったその女子は、きっと生きているモノではないんだろうと直感した。なんていえばいいのかな、綺麗すぎる気がしたんだ。


こんにちは


 見上げた先の踊り場で、少女は私に言った。私も私で無警戒にこんにちはと返してしまうあたり、春の陽気と花粉症による脳機能の低下は恐ろしいものがある。

 踊り場の窓に手をかけながら、少女は突然きょろきょろと周りを見渡して、もう一度私に目線を合わせた。その顔に浮かんだ何かを読み取ろうと思ったけど、それは一瞬で。


あなた、私が見えるの?


 彼女の邪気の無さに、私はまたも無警戒に首肯してしまうのだった。







目が覚めるとね、いつもこの日なの

「へぁっぷしゅ、んん、そうなんだ」

……花粉症なの?


 三メートル以上の高さを持つフェンスの網目に指をかけて、彼女はそう言った。くしゃみで相槌を打ってしまったことがちょっと恥ずかしかったけれど、面白かったようだ。なら問題ないわよね。

 雲のない青空の下で、やはり彼女は生きているモノではなかった。私のショボショボした視界を照らす太陽は、彼女だけを浮かび上がらせていたんだ。

 生徒の自主性だのなんやかんやで、この高校の屋上は鍵が開いている。それでも間違いが起こらないように、やたら高いフェンスが敷かれ、さらにその上部は昔ながらの有刺鉄線が鼠返しのような角度で引っ張られている。ここまでするぐらいなら屋上の解放なんてしなければいいのにと、来るたびに思う。きっと、なんやかんやがあったのだろう。便利よね、なんやかんやって。


聞こえないと思ったの


 彼女の言葉は、薄く聞こえるバッヘルベルのカノンに乗って、嬉しそうな心地に聞こえた。とりあえず天才だからと返そうとして、またしてもくしゃみで返事をしてしまった。

 彼女の言葉を信じるのならば、あの階段の踊り場で目が覚めるのだそうだ。そうして窓から誰もいないグラウンドを見て、気づくとこの屋上で空模様を眺めるのだと。誰にも気づかれないまま。

 彼女もまた、この高校の生徒だったらしい。今の制服に変わったのは、もう十年以上前だ。随分と芯の通ったサボタージュだと考えてしまった。


「理由は、聞いた方がいいの?」


 あの幻想少女たちに出会ってから変わった点を挙げるなら、少しだけ他者と関わろうと思えるようになったことだろう。自分以外の人生にも、面白かったり不思議だったりすることはあるんだということに気が付けたんだ。もちろん、自分のことを値切る気持ちは無いけど。

 私の問いに、彼女は意外そうな顔をしていた。当たり前でしょう、こんなところで人間やめているのだから、何かあったに決まっている。ただ、なんとなくこんな話なんじゃないかなあと予想できてしまうのは私の勘が鋭いのか、それとも彼女の人生を浅く見てしまっているからなのか。


彼氏に二股かけられてたのと、志望していた大学にね、落ちちゃったの

「……くっだらねー」


 果たして、彼女の話は私の予想とそれほどずれてはいなかった。もし、霊夢っちたちに出会う前の私なら、きっと一笑に付すか、口を開いてその価値観を散々にこき下ろしていたかもしれない。一言で済ませたのは、私なりの最大限の優しさだ。

 だけど彼女もまた、私の言葉を聞いて笑ったのだ。そうよね、と。その姿を見てどうしてかな、私もまたおかしな気持ちになったんだ。


……今日みたいな日だった。卒業式が終わった後、死のうと思ってここに来てね、フェンスを少しだけ登ったの

「怖かったでしょ」

もちろん! 少し登ったら地面が見えてね、フェンスを下りて、ずっと泣いてたの。怖いし、哀しかった。

「それで?」

きっと誰かが見ていたのかな、友達たちがここに来たの。それがさ、それまで怖かったのに、急に『死ななきゃ!』って気持ちになったの。おかしいでしょう? 手を振ったの。最後だと思ったから。そうしたらみんなこっちに来てね、私を抱きしめてくれたの。

「その時に、あなたが生まれたんだ」

みんなの背中が見えた。ついさっきまで一緒だった私が、私を見たの。だから手を振ってあげたんだ。


 話はそこで終わって。耳に聞こえていたカノンも止まっていた。ただ、どこか空気が騒がしくなるのを感じた。きっと、そろそろ生徒たちが体育館から出てくるだろう。


ありがとう
 
「え?」

来年も来てくれる?
 

 青空の下、屋上へ。その言葉はどこか危うさを秘めている。滝の巌頭よりはましかもしれないけど、好んで来る気はもう無かった。


「気がむ、っくしゅ……向いたらね」

ふふっ、そう


 青空の下で手をふって、彼女はまたねと私に言った。私も一度だけ手を挙げて。そしてくしゃみで返事をして屋上を後にした。

 最後に一度振り返る。青空と太陽で光る景色は、それでも彼女に影を作ることは出来なくて。だから私は、普通の人はきっと見ることが出来ないだろうその一瞬に美しさを覚えていた。

 屋上を後にして、階段は窓から差しこむ光以外はひんやりとした影に覆われていた。これから先も彼女の世界はこの踊り場と、たった十数段の階段と、そして屋上だけなんだろう。けど、それでいい気もするんだ。どこか人間離れしている理由が分かったから。

 きっと彼女は、あそこで一度死んだのだ。自分の中にあった純粋な何かを、彼女は殺したのだ。子供時代とか、青春とか、言葉にすると余計にわからなくなるあの純粋な何かを。さっき私が感じた胸の中に沸いたあの感情も、もしかしたらそうなのかもしれない。

 そうしてその純粋な、私がくだらないと言ったあの物語こそが、彼女の全てなのだ。長い人生の中で巡る沢山の夜を超えるために。しっかりと目を覚まして、眠れるように。彼女は自身を殺したのだろう。

 引っ張り出してやる気は無い。階段を下りる勇気があれば、いつか彼女の世界はまた広がって動き出すのだろうけど、それをするのは私じゃないしね。ただ、やっぱり誰かの物語とか世界とかを覗くのは、とても楽しいものだと再確認できたんだ。

 教室に戻って席に着くと、窓から生徒たちが歩いてくるのが見えた。泣いている卒業生もいれば、大きいあくびをしているクラスメートも見える。担任になんて説明しようかな。今はただそれだけが、私の頭の中を占めていた。







 しばらく経ったある日、博麗神社を覗くと何人何匹かで花見をしていた。数日のうちに春の気配は私を追い越して、その前で微笑んでいた。幻想郷では何故か花粉症の影響がないため、存分に桜の咲く空気を感じることが出来る。幸せなことこの上ない。

 その日の幻想郷もまた、雲一つない青空だった。


「すみれこー」


 霊夢っちの声は少しだけ間が伸びていて、こっちだよと手をふる姿が、とても暖かなものに見えた。
 
 青空の下で手をふって、私は幻想少女たちに駆け寄った。
 

 桜が咲いていたので。

 久しぶりに手のままに書きました。

 最後まで読んでくださった方に感謝を。ありがとうございました。
 
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コメント



0.190簡易評価
1.90奇声を発する程度の能力削除
面白く良かったです
3.90名前が無い程度の能力削除
よかったです
4.100ヘンプ削除
菫子の人生観が現れているように思いました。幽霊の女の子のことを一蹴しようとすればできるのにしないのは優しさかなと思います。面白かったです。
5.100夏後冬前削除
季節感のエモさをこれでもかと盛り込まれていて春を感じました。青春だな。
7.100名前が無い程度の能力削除
現状をしっかりと楽しんでいて、いい董子でした。
「くっだらねー」と軽く言える彼女が素敵です。
8.100めそふ削除
良かったです。
菫子が絶対に自死を選ばないくらいに成長してるのが垣間見えたし、作品全体から温和な雰囲気が漂っていて優しい気持ちで読むことができました。
9.100Actadust削除
この卒業式という何も変わってないはずのにどこか非日常な感じが出ていて、凄く良かったです。
10.100南条削除
面白かったです
卒業式に盛大に遅刻するとかこれが宇佐見家の血筋なのですね
12.100サク_ウマ削除
安心する読み味でたいへんに助かりました。良かったです。
13.90名前が無い程度の能力削除
良い雰囲気の作品でした。面白かったです。
ふとした瞬間に思い出して、また読みたくなるような清涼感がありました。
14.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです。
爽やかで幸せな風を感じる菫子でした。
日常のちょっとした不思議を良いものとして触っていく菫子、好きですね。
有難う御座いました。