芳香はとても嬉しかった。何で嬉しいかって、とても美味しいものを青娥から貰ったから。とってもお高い焼き豚を。
ウン万円もしたのよ、と青娥は言ったけど、芳香にはそれがどれくらいの価値か判らなかったし、そのお金の出所なんて知る由もなかった。したたるような脂身と、噛めば弾むような肉のコントラストに魅せられるままに魅せられた。
しかし、芳香はすぐにむしゃぶりつくほど食い意地に隷従しているわけではなかった。その分貪欲だ。もっと腹が減ったときに喰って、より美味く食してやろうと思ったのだ。
だから、腹を減らすために、芳香は今こうして人里を歩いているんだ。その服の下に焼き豚を隠し持って。本当は食べたくて食べたくてたまらないけれど、必死に我慢しているんだ。歯を食いしばって歩いているんだ。
それでも―つい魔が差して、服の下からそれを出してみた。じっと見ると、充足的な大きさと麻縄から溢れ出す肉が、とても蠱惑的に映った。思わず―かぶりつきたくなる。
縛る麻縄なんて芳香には気にならない。どんなものでも食べれるから。ぶつ、ぶつと麻縄を噛み切り、その肉に歯が食い込み、快楽すらもたらすほどの、筋線維を食み裂く感覚を―想像した。気づいたときには涎が垂れていた。
流石のキョンシーもまぬけだと思ったのか、腕で涎を拭う。そしてその時、視線の先に―映った。小汚い風貌をして、粗莚に胡坐をかいた小爺が。羨む視線をこちらに送るその小爺を見て、乞食だと―そう思った。
すぐに目を逸らした。もしかしたら、キョンシーにすら物を乞うてくるかもしれないと、そう思った。この焼き豚だけは—渡したくなかった。もし、なりふり構わず奪いに来たら、八つ裂きにすることも辞さなかった。
だが、危惧したようなことは起こらない。小爺はただこちらを見るだけだった。それでもそんな視線に晒されるのは、ひどく嫌だった。執着が芳香の身体に絡みついてしまいそうだった。逃げるようにして道を曲がった。
他の道には乞食はいなかった。安心すると、芳香はお腹が空き始めていることに気がついた。もう食べてしまおうかと考えるが、すこし悩む。まだ待った方がいいのではないか―もっと腹が減った時の方が美味しく食べれるのではないか―そう考えた。そして、まだ食べないことにした。まだ我慢できるから。
ではまた歩き始めるかと思ったが、芳香は動かない。先程の乞食の姿に—覚えがあったのだ。過去に人里を訪れたときに見たのだろうか。しかし思い出せないのだ。あの濃く汚れた衣は、何処で見たのか―
そして芳香は思い出した。青娥に拾われた時のことを。あの時の自分を。
それは果たしてまだ其処にいた。先程と同じ、羨む視線を隠そうともせずに向けてくる。
「お前にはこれをやろう。喜べ」
焼き豚は乞食に明け渡された。一言も発さず、細くなった指で必死に麻縄を千切ろうとしている。そこから先は見なかった。乞食が焼き豚を食べる姿を見るのは癪だった。
帰り道は辛かった。お腹が空っぽだった。石や木を食べても、満足感はなかった。
「腹減った」
ぼやきながら帰ると、青娥が出迎えた。
「おかえり芳香ちゃん」
「おー青娥、ただいま」
「焼き豚はもう食べた?あまり日持ちしないから、急いで食べてほしいわ」
「もう食った、美味かったぞ!」
「ふふ、よかった。また買ってきましょうね」
その次の日くらいに青娥が人里を訪れたとき、話し声が聴こえた。
「あのじいさん死んだらしいぜ」
「どのじいさんだよ」
「ほら、例の物乞いじいさん」
「あー死んだのか……病気か?」
「いや、違うらしいんだ」
面白そうな話題だったので、気づかれないように青娥は聞き耳を立てた。
「どうもな、高い肉食って、下痢して栄養失調で死んだらしいぜ」
「汚ぇな。でも病気じゃねぇんだろ?」
「あぁ。先生の話じゃ、脂をうまく消化できなかったらしい」
「どういうことだ?」
「高い肉は脂が多いだろ。慣れてない奴が食ったら、脂で腹壊すらしいぞ」
「それ怖えな。とりあえず手ェ合わせようぜ」
「そうだな。爺、成仏しろよ」
そこで話は一区切りついたらしい。
青娥は、貧乏人は贅沢もできないんだなぁ、と思った。
ウン万円もしたのよ、と青娥は言ったけど、芳香にはそれがどれくらいの価値か判らなかったし、そのお金の出所なんて知る由もなかった。したたるような脂身と、噛めば弾むような肉のコントラストに魅せられるままに魅せられた。
しかし、芳香はすぐにむしゃぶりつくほど食い意地に隷従しているわけではなかった。その分貪欲だ。もっと腹が減ったときに喰って、より美味く食してやろうと思ったのだ。
だから、腹を減らすために、芳香は今こうして人里を歩いているんだ。その服の下に焼き豚を隠し持って。本当は食べたくて食べたくてたまらないけれど、必死に我慢しているんだ。歯を食いしばって歩いているんだ。
それでも―つい魔が差して、服の下からそれを出してみた。じっと見ると、充足的な大きさと麻縄から溢れ出す肉が、とても蠱惑的に映った。思わず―かぶりつきたくなる。
縛る麻縄なんて芳香には気にならない。どんなものでも食べれるから。ぶつ、ぶつと麻縄を噛み切り、その肉に歯が食い込み、快楽すらもたらすほどの、筋線維を食み裂く感覚を―想像した。気づいたときには涎が垂れていた。
流石のキョンシーもまぬけだと思ったのか、腕で涎を拭う。そしてその時、視線の先に―映った。小汚い風貌をして、粗莚に胡坐をかいた小爺が。羨む視線をこちらに送るその小爺を見て、乞食だと―そう思った。
すぐに目を逸らした。もしかしたら、キョンシーにすら物を乞うてくるかもしれないと、そう思った。この焼き豚だけは—渡したくなかった。もし、なりふり構わず奪いに来たら、八つ裂きにすることも辞さなかった。
だが、危惧したようなことは起こらない。小爺はただこちらを見るだけだった。それでもそんな視線に晒されるのは、ひどく嫌だった。執着が芳香の身体に絡みついてしまいそうだった。逃げるようにして道を曲がった。
他の道には乞食はいなかった。安心すると、芳香はお腹が空き始めていることに気がついた。もう食べてしまおうかと考えるが、すこし悩む。まだ待った方がいいのではないか―もっと腹が減った時の方が美味しく食べれるのではないか―そう考えた。そして、まだ食べないことにした。まだ我慢できるから。
ではまた歩き始めるかと思ったが、芳香は動かない。先程の乞食の姿に—覚えがあったのだ。過去に人里を訪れたときに見たのだろうか。しかし思い出せないのだ。あの濃く汚れた衣は、何処で見たのか―
そして芳香は思い出した。青娥に拾われた時のことを。あの時の自分を。
それは果たしてまだ其処にいた。先程と同じ、羨む視線を隠そうともせずに向けてくる。
「お前にはこれをやろう。喜べ」
焼き豚は乞食に明け渡された。一言も発さず、細くなった指で必死に麻縄を千切ろうとしている。そこから先は見なかった。乞食が焼き豚を食べる姿を見るのは癪だった。
帰り道は辛かった。お腹が空っぽだった。石や木を食べても、満足感はなかった。
「腹減った」
ぼやきながら帰ると、青娥が出迎えた。
「おかえり芳香ちゃん」
「おー青娥、ただいま」
「焼き豚はもう食べた?あまり日持ちしないから、急いで食べてほしいわ」
「もう食った、美味かったぞ!」
「ふふ、よかった。また買ってきましょうね」
その次の日くらいに青娥が人里を訪れたとき、話し声が聴こえた。
「あのじいさん死んだらしいぜ」
「どのじいさんだよ」
「ほら、例の物乞いじいさん」
「あー死んだのか……病気か?」
「いや、違うらしいんだ」
面白そうな話題だったので、気づかれないように青娥は聞き耳を立てた。
「どうもな、高い肉食って、下痢して栄養失調で死んだらしいぜ」
「汚ぇな。でも病気じゃねぇんだろ?」
「あぁ。先生の話じゃ、脂をうまく消化できなかったらしい」
「どういうことだ?」
「高い肉は脂が多いだろ。慣れてない奴が食ったら、脂で腹壊すらしいぞ」
「それ怖えな。とりあえず手ェ合わせようぜ」
「そうだな。爺、成仏しろよ」
そこで話は一区切りついたらしい。
青娥は、貧乏人は贅沢もできないんだなぁ、と思った。
世界は回ってるんだなぁ
世界は平和でした
込められた悪意は凄かったけど。