Coolier - 新生・東方創想話

雪と傍に

2021/03/07 10:10:36
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 ふつふつという音を聞きながら、狭い炬燵の中で足を組む。
 自宅とは異なる人の家の匂い。
 その中に混じる鍋の香りが蒸気に混じって届き、冬の食卓を感じさせる。
「箸貸してくれ」
 左隣から菜箸を受け取り、広げられた赤い肉の一番上を摘み、引き上げる。そのまま鍋の中へ。
 数拍。
 肉の色が変わり、人間が食べやすい状態になる。
 手元の皿に肉を救出して、ついでに先程から鍋に沈んでいる椎茸を取り出す。
 通り抜けた隙間風に身を縮こませながら、菜箸を上げる。鍋から昇った蒸気が手首から先を温める。
 なんで人の家で食べる鍋ってこんなに美味しいんだろうか。
「早くしてよ、後つかえてるんだから」
 右から聞こえてきた声に急かされて、箸の持ち手をそちらに向ける。視界の端から伸びてきた手が、菜箸の上半分を掴んで持っていく。


 ● ● ●


「人が暖取ってる時に、権利を奪うなよな」
 私の声に対して右隣に座る博麗霊夢は白い目を作り、言葉より先に、表情で私を否定する。
「箸を置いてからでも、素手でも出来るでしょう」
 貧乏くさいとか言わないのかよ。
 予想していた内容を飲み込んで、自分の箸に持ち換える。
 茹で上がった肉を閉じた唇に当て、温度を測る。まだ口に含むには熱かったため一つ息を吹きかけ、手元で空冷に努める。
「でも手をかざしたくなるの、分かる気がします。調理中とか、冬はやっちゃってます」
 左側の東風谷早苗が予想外のフォローをしながら調味料の蓋を閉め、肉を口に運ぶと先程の一口目と同じ感想を口にする。
「んー、美味しい」
 目が合った早苗は口元に手をやりながら箸の先で小さくポン酢の器を指し示し、箸を握り込んで親指を立てた。
「まあ肉が美味いから、間違いないな」
「山の方は良いわよね、猟師さんそこそこいて」
 鍋やる時は早苗を呼ぶに限るわ、という霊夢に、少し不満そうな表情を返す早苗。「おすそ分けのお肉目当てで呼ばないでくださいね」なのか「鍋以外でも呼んでください」なのかは、彼女が咀嚼中なので分からない。
 ふと、博麗神社の信者殿は何者がいたか思い返す。記憶に残っているのは、人里の農家の顔ぶればかりだった。
「米は困らなさそうなんだけどな」
 もう良い頃だろう。早苗に示された通り先ほどと違う方の調味料で食べてみる。当然だが、肉の旨味は変わらなかった。しかしさわやかなぶん、しっかりと肉の味がする。つける量は少しでいいかもしれない。
「とにかくこういう時は風祝様、様々だぜ」
 箸の順番が回ってくるまで、先ほど鍋から上げた椎茸を口に入れる。
「というか早苗、最近うちらと晩飯食ってばかりだけど、自分とこの神様はいいのか?」
「ええ、なんでも最近は妖怪の山でちょくちょく会合で空けちゃうんですって。それにちゃんと三人で食べる日も作ってますし、平気です」
 本人がいいって言ってるんだから、いいんだろう。
「会合ねえ」
 山の議題か。豊作度合いとか、天候とかをずっと話しているのだろうか。
「やっぱり長続きする寒波が専らの議題らしいですよ」
 今年の冬は年の瀬から弥生の初めまで暖かさが返ることはなく、肌を擦り合わせる以上、降雪未満の、冬の気候がずっと続いている。いつかの春先延ばし異変の始まりが、頭にちらつく。
「今年は幻想郷中寒いからなあ。山から吹く寒気もあって霧の湖も氷りっぱなし。近隣住民が暖房器具を買い付けて一部は商売繁盛だと」
「大なり小なり、雪妖精や雪女さんたちが頑張ってるんですかねえ」
 それから早苗はハッとした顔をし、「別にそれらを退治すれば暖かくなるとは思ってないですけど」と誰のためか分からない予防線を張る。
 恐らく強行を予想された霊夢はといえば「雪は降ってないなら、ぎりぎり許す」と返す。やはり良いものを食べてる時の人間は、機嫌が良い。
「だがまあ」
 次の肉に箸を伸ばそうかと思ったが、順番的には早苗の番だ。
 お茶を飲んで少し間を潰す。
「鍋を楽しめる期間が長いのは、良いことだ」
 お金が保てばね、と霊夢が呟き、一緒に取り上げていた残りがちな野菜を口にする。
 他に何かイベントを見つけなければ、とりあえず鍋、によって守矢神社はまだしも博麗神社は経営難になりかねない。
「あ、鍋といえば」
 霊夢の顔がこちらを向く。
「そういえば魔理沙、あんたの店、新製品を作るって意気込んでなかった? 一人用鍋がどうとか」
「没った」
「早いですね」
 早苗のリアクションに頷いて返しながら、彼女に箸が渡ったのを確認する。
「ちょっと、自分で使おうと考えてみたら、オーブンとコンロの改修が優先な気がしてきてな。今シーズンは見送りだ」
「そういう時、あんまり人に相談しないわよね」
「自慢じゃないが唯我独尊タイプでな。人に意見を募る時点で、見送りだ」
 来年の私に期待だな、と話題を終わらせ、次に掴む肉を吟味する。
 視界の端で、早苗が指を立てたのが見える。
「あ。あと最近聞いた話は、天狗さんの新規事業とか」
 早苗は一度「人づてなので、詳しくは知りませんけど」と前置く。
「妖怪の山の積雪スポットを使って、スキーできる場所を作ったんですって。今度行ってみません?」
「なるほどな」
 回ってきた箸で鍋に肉を沈めながら、妖怪の山の施設を想像する。何処に立てたかは知らないが、十中八九アクセスは悪い。流石に妖怪がメインの客層だろう。最近はロープウェイが開通しある程度は観光業にも目を向けているようだが、それ以降の整備が行われているとの話は聞こえてこない。
 目線を横に向けて霊夢の顔を見てみると、彼女はお茶を飲みながら空いた手を振っている。寒いからパス、ということだろうか。
「魔理沙さん、スキーやったことあります?」
「ない。箒で低空飛行するのとほぼ同じだろう」
「じゃあスノーボードの方にしましょうよ。両足が繋がってるから難しいですよ。それに私もやったことないので!」
 誘うのに難易度を上げるな。
 肉の熱さと格闘しながら口にした言葉は、ハッキリとは届かなかったようだ。
 競技自体は置いておくとして、天狗の管轄なら用事は作れるだろうか。妖怪の山で大っぴらに立ち入り可のエリアは珍しいし、妖怪の技術を盗めるかもしれない。偵察の機会としては良い。
 このままだと早苗が諦めてしまいそうだったので出かける件を了承し、日付の予定を振ってやる。


 ○ ○ ○


 妖怪の山は斜面は重なる降雪で十分な雪を湛え、私達の目前にある緩やかな斜面は雪遊びにもってこいの空間となっていた。妖怪の山であるからには当然、休暇の日なのであろう天狗さんが二枚であったり一枚である板を靴に取り付け、雪の斜面を楽しんでいた。
 銀世界、とは誇張しすぎだが、地面が作る一面の白色は冬晴れの太陽光を十分に反射して、目を細めさせた。
「わあ魔理沙さん! 一面です! ほんとにスキー場です!」
「スキー、なに?」
 はしゃいだ拍子に振り返ってみれば、魔理沙さんは私と大きく異なるテンションで、もぞもぞと眉をひそめていた。
「ああ、スキーをするための場を、スキー場と呼ぶのか。なるほどな」
 服をはためかせて空気を取り込んだり、肘まである防寒グローブを擦ったり、体温調節に難儀しているようだった。
 スキー場の客は安全面から飛行禁止、と入り口の天狗に通達を受けたこともあり、ロッジのあたりまで私達は不適な靴で不慣れな斜面を歩く羽目になった。重ね着の中そんな行動をしたことで体温が上昇して、外気に反して服の中が温まっているのだろう。
「早苗、誰の加護か何かしらないが、私にも恩恵を分けてくれ」
「魔理沙さんは、とりあえずで無計画に重ね着しすぎです」
 外界の服を組み合わせた私が言えたことではないが。
 一面の雪。弥生の大気温。太陽光の反射熱。それらにより普通の生活圏とは違う、冷たい空気の中自分だけが熱されるような、調整し難い温度をひしひしと感じていた。
 私が心地よい寒暖差を感じながらぼうっとしていると、近づく足音と共に、視界の外から声が聞こえてきた。
「霧雨魔理沙、来ていたのか」
 穏やかな声に反応して振り返ると、山の峰側、見張り櫓の方から一人の哨戒天狗さんが話しかけてきた。
 魔理沙さんはその女性と顔見知りらしく、名前を呼ばれたことに驚くこともなく気軽に片手を上げて応えた。
「よう、視察に来てやったぜ」
 一瞬本当に約束があったのかと思ったが、続く表情を見るに冗談のようだ。彼女は顎に指を添えるポーズをとりながら「朝からこの盛況なら安泰ですなあ。次の狙いは人間ですか」と立場関係の分からない冗談を言う。
「よく言う。箒で飛ぶのと何が違う、と言いそうなものを」
 以前の発言そのままだったために、魔理沙さんは驚いたように目を一段開き、こちらに目線を飛ばした。目配せをされても、こちらも困る。
 私は言ってないですよ、と示すように、首を横に振って返す。
 魔理沙さんの反応を見て、天狗さんは一度笑って顔を伏せた。
 それから気を取り直すように、私に向き直る。
「風祝様、初めてお目にかかりますね」
 名を名乗って頭を下げた動作の拍子に、彼女の耳に付いた青いイヤリングが、小さな音を立てて揺れる。
 清涼感がある、しかし薄れていない綺麗な青色だ。
「挨拶に伺った際は所要で外出中だったとのことで。風祝様が足を運んでくださるとは、話題になりますし我々も光栄です」
「いえ、この辺りまで来ると天狗さんの管轄ですし、私もほぼ一般人みたいなもので」
 覇権や管轄の話題は好まなかったし、どこまで口にして良いかも正直あやふやな認識だった。曖昧な返事を返すと天狗さんは察したのか、少し笑って早々に話題を切り上げてくれた。
 白髪の中見え隠れする青色の耳飾りを揺らし、天狗さんは魔理沙さんに顔を向け直す。
「見たところ、滑りに来たわけじゃなさそうだな」
「おう、観光だ」
 冷やかしともとれる回答。営業中のところに対してハッキリとそう言える辺りが魔理沙さんらしさなのだろうか、それとも仲の良さがなせる点なのだろうか。
「一応器具の貸出と、指導もやっているよ。時間とその気があるときに来ると良い」
 話の流れなのか興味を示したのか、魔理沙さんは必要品と滑る原理について情報収集を始める。
 雪面に接して滑る難しさと登り降りの流れに、概ね理解を示したようだ。
 天狗さんが補足する。
「コースアウトしても平気だ。遭難防止用に、ある程度は管理側が気付けるよう結界が引いてある」
「なるほどな。まあ、最悪飛べば帰ってこれるだろ」
「上空は範囲外だから、そこで風に流されたら本格的な遭難だぞ」
 その会話の隙間に、カラカラと。
 どこからか高い音が聞こえてきた。
 音の出処を探して首を回すと、青い天狗さんは神妙な目付きをしているのが目に止まった。
 彼女の目線の先を辿ると、案内板の隣に管理板とでも言うような、従業員用の連絡板に目が向いているようだった。
 一面に鳴り板のような物が並び、一つ一つから一本ずつ長い紐が伸びている。紐の先は何箇所かで中継されながら、丘の向こうまで続いているようだ。
 その幾多に並べられた鳴り板のうち、真ん中のあたり、一つだけが、ひとりでに高い打撃音を鳴らしていた。
「六番か」
 何気ない声色が天狗さんから聞こえてくる。
 恐らく、あれがまさに話していた侵入や遭難防止用の仕掛けなのだろう。電線やアンテナが見受けられないところを見ると、外の世界ではセンサーや電波でやり取りするところを、結界や妖力で動かしているようだ。
「あれが鳴ったってことは、誰かコースを外れて」
 反応したのでしょうか? と世間話を振ろうとして目線を戻したが、すんでのところで発言を飲み込んだ。
 彼女は先程の穏やかな声色からは考えられないほど、険しい目をして板を眺めていた。
 じきに彼女の部下と思しき白狼天狗が遠くから視界に入り、手を振って指示を仰ぐような所作を取る。
「いや、いい。私が見てこよう」
 天狗さんはハッキリと声を飛ばしてから、肩越しにこちらを振り返った。
「なに、鳥か猪でも入ったのだろう。よくある事だ」
 それではな。と天狗さんは言葉を残し、少し小高いところに位置する小屋か、その向こうを目指してゆっくりと低空飛翔していった。
 案内板の大まかな地図に目を向けると、入り口の北東側、敷地の真ん中辺りに六の文字があるのが見て取れた。私達の居るロッジ前から辿ると確かに六番の方向に飛んでいった、ように見える。
 なんとなくその背中を見送ってから、魔理沙さんに目線を戻す。
「なあ早苗」
 声をかけようとしたちょうどそのタイミングで、魔理沙さんは顎に指を添えた格好でこちらに振り返る。
「猪肉、食いたくないか」


 ● ● ●


 ブーツを雪面から剥がして、斜面に突き立てる。バランスを取りながら体重を移し、十分に踏み固めたのを確認してから後ろ足を引き剥がす。
 雪上特有の歩き方により、天狗に追いつく前に足が疲労を感じ始めた。それと比較して、前を行く早苗の方が足取りはしっかりしている。
 服の差か。いや早苗は山道に慣れている。その差に違いない。
 熱気を貯め始めたマフラーの中で呟いてから、誰も見ていないのを良いことに、スキップの要領でごくごく僅かに低空飛行をして歩を進める。見咎められた際は自力飛行の練習だと言い訳ればいい。
 なだらかな雪丘の向こうには山小屋らしき屋根の存在が見えてきたが、先を行った天狗の姿はまだ視界に入らない。縄の内側だからと横着せずに、想定された歩きやすい道を選んで向かえばよかった。
 気を紛らわせるように目線を散らすと、早苗がこちらに意識を向けている。
「魔理沙さん」
「ん、なんだよ」
 早苗は少し速度を落としながら、背後に私の存在を確認しながら話して来た。
「さっきの天狗さん、お友達なんですか?」
 どうやら移動の不正に気づいたわけではないらしい。
「ああ、うちのお得意さんだよ。以前に河童づてで魔道具を探しに来てな」
「魔理沙さんのお店のですか。それは」
 珍しいとでも言いかけたのか、早苗は奇妙なところで言葉を切った。別に今更、客の回転状況にコメントされた程度で機嫌は損ねない。
「まあ、とにかく、いろんなお友達が居るのは流石ですよね」
 とにかくってなんだよ。
 口にしたかったが、雪面の移動中であることを考えるとその余裕はない。つぐんだ口の中で曖昧に発声し、返事に換える。
 下に向けた視界では、斜面を覆い足を取る、忌々しい雪しか見えない。いつの間にか雲の切れ目に入ったのか日差しが強くなり、視界が一段眩しくなる。
 首筋に滑り込む熱光線の温度を感じ、正面からは照り返しが心なしか温度を上げる。どうして白は光を反射するのか。雪女とか、逆に暑くないのか。愚痴にも近い疑問が過っては、続けて顔見知りの妖怪の顔が目に浮かぶ。
「ぷぇ、こうも歩きづらいと流石に暑いな」
 斜面を一つ越えたところで、前の早苗が足を止めた。気持ち足の回転率を上げて隣に並ぶと、山小屋を背にして探していた天狗が立っているのが見えた。
 彼女は地面に哨戒用の警棒を突き立てて、じっと正面を見据えている。
 猪と対峙中かと目線の先を見るも、それらしき影は見当たらない。視界の先には、滑走用区域外を示す雑に張られた縄と、子機に当たるであろう六番の鳴り板が見える。
 他は当然、綺麗な雪原があるのみ。
 あの哨戒天狗は前を向いてこそいるが何も捕らえておらず、どちらかとすればぼうっとしているようであまり警戒体制には見えない。
「集中してるんだかしてないんだか」
 私の声で隣に追いついたことに早苗が気が付いたのだろう。一度こちらに意識を向けてから、再び先に歩を進め始める。今度は緩やかに下り坂だ。
「ちょっとお前、本当に早いな、少し休ませろって」
 軽快に歩を進める早苗と、雪を踏み潰すように足音を立てる私の方に、天狗の顔が向いた。
 少し気が抜けていた顔が引き締まり、それからすぐに普段の柔らかい目に戻った。
「わざわざ歩いて追いかけてきたのか」
「スキー場のルールは守った方が良いかと」
 早苗に一歩遅れて立ち止まり、座り込みたい衝動を押さえながら膝に手を付く。
「あと、たまには体を動かしてやっても、いいかとな」
「それにしては余裕がなさそうだが」
「トレーニングだよトレーニング」
 最低限のラリーを終え、情けないが顔を伏せて呼吸を整えにかかる。
「猪さん、見つかりました?」
 良いぞ早苗。そっちで会話を始めておいてくれ。
「いや、居なかったな。迷い込んで、すぐに出ていったんだろう」
「人気もないから、横切っていったのでしょうね」
「ここは相当混雑してこないと開放しないからな。今の時間は誰も来ない」
 二人の会話を聞きながら、伏せた頭の位置から首を回して目線を走らせる。言葉通り、転げる天狗も、雪遊びをする天狗も見受けられなかった。
「この状態じゃ、確かに、自然公園だわな」
 90度回転した視界から見える、白い雪面と青い冬晴れの世界を内心で評する。写し絵でも撮れれば良いんだろうけど。
 それから、違和感に気が付いた。背後に並ぶ私達が踏み抜いてきた足跡。開けた視界と、傷一つ無い斜面。
「ん? あの、さ」
 私の声に早苗が向いたところで、甲高い音が鳴り響いた。
 かんかんと、離れた所で注意を引く音がする。あの鳴り板だ。
 私達の意識を引いたそれは無風の中、ひとりでに揺れて何かしらの通達を試みている。跳ねるようにひとりでに揺れる鳴り子は、遠めから見ると不自然で滑稽だ。
 壊れてるんじゃないか。
 そう言おうとしたところで、肌に冷たいものを感じた。続けて、鼻先に。虫や塵の類かと思ったが、頬に付いた水分量ですぐに気が付いた。
 雪だ。
 それもぱらぱらとではない。無視しづらい勢いで降り始め、強まる風と一緒に急激に吹きつけ始める。
「うわ、ちょっと、冷たい」
 早苗がマフラーを持ち上げて顔を隠し、私も帽子を深く押さえて身構える。天狗はどうしたかと目を向ければ、制服に備え付けなのか、いつの間にかフードを深くかぶっていた。
 雪の結晶は一吹きでは済まず、次第に本降りの雪が冷たい風と共に振り始める。
「吹雪いてんじゃん」
「急すぎますよ」
「君らが飛行禁止を守ってくれていて良かったよ」
 客の集団が居る本線の方も雪に気が付いたのか、歓声か悲鳴の甲高い声が微かに聞こえる。
 周囲を取り巻くのは大気を切り裂く風の音。その中に混じる乾いた木製の音。
 山に慣れない人間には過酷で、混乱が生じかねない風と雪だ。天狗の判断と指示を聞き逃さないように、情けないが、彼女の側に僅かににじり寄る。
「大丈夫。すぐに収まる。じっとして」
 やけに落ち着いた天狗の声を仕方なく聞き入れると、風音の中で鳴り板が静かになった。
 それから強風が止み、残ったのは微かに降る雪だけになった。
 マフラーから顔を出しながら、早苗が白い息を大げさに吐いた。
「びっくりした。本当に止まりました、分かったんですか?」
「私は天気が視えるんだよ」
 天狗はフードを外し、髪に付いた雪を振り払うように頭を軽く振った。
 それから冗談に収めたかったのか、少し照れくさそうに「この敷地限定だけどね」と付け足した。
「それは、経験から来る勘じゃないか」
「予測と言ってくれ。勘は自信が足りない者の表現だよ」
 天狗は最終確認か小屋の方を眺めながら麓の方へ歩き出し、私達にも声をかけた。
「さあ、戻ろう。面白いものはもう何もない」
 早苗も踵を返そうとしたところで思い出したのか、確認とばかりに私に話を振った。 
「あっと、魔理沙さん、さっき何か言いかけてましたよね。なんです?」
 辺りに目を走らせ一考する。
 視界に入る斜面は一瞬の吹雪で、当然ながら雪面は真っ白に整地されてしまっていた。
「いや、なんでもない」
 景色から視線を切って、早苗に返答する。
「戻ろうぜ。今日は霊夢んとこで何食おうか、買い出しだ」
 私の見落としだったのだろうか?
 吹雪く前の雪原には獣の足跡も、人の歩いた痕跡も見つけられなかった。


 ● ● ●


「超怪しいじゃんそれ」
 沸騰した鍋が立てる気泡の音に紛れ、湯気の向こう側から霊夢の声が聞こえる。
 隣の早苗から引き取ったすき焼き用調味料の蓋を締めてから、念のため手の平を指で撫でる。幸い、何も跳ねていない。
「怪しいって、どれが」
「その吹雪がよ。雪雲も見えなかったのにぱっと降ってぱっと止むなんて、天候としておかしい」
 よって妖怪の仕業、つまり雪女の仕業であると疑うべきだ、と霊夢が論じる。
 なるほど。
「雪女ねえ。どれだろうなあ」
 私が判断を放棄し食材の火の通りを確認していると、程なくして霊夢が一考した声を出す。
「レティ・ホワイトロック」
 声のトーンは断定的ではないが、候補を読み上げるようにしっかりとしている。恐らく彼女は頭の中の妖怪リストを指でなぞっているのだろう。
「あいつ、今シーズンはまだ見てないわよね。こんなにも寒いのに、不自然なほどに音沙汰がない」
「別に奴が冬を全て仕切ってるわけじゃないとは思うが」
 確かに、レティは私の知る中でも特に妖力の高い雪女だ。ピークが重なれば、単身でも視界が塞がる吹雪を起こすのも可能だろう。
 しかし霊夢の言う通り今年は見かけていない。口ぶりでは霊夢も出会っていないし、そういえば、周囲で見かけたという話も聞かない。せっかくの冬を今年は寝て過ごしているのだろうか。
「レティさん、毎年挨拶に来るんですけどね」
 自分の箸を置いて取り箸を手に取る早苗が、思い返すように呟く。
 雪女が守矢神社に。想像しづらかった。
「雪かき大変にしちゃってごめんね、ってご挨拶に来るんですよ。あの人、意外と外交しっかりしてますよ」
 視界の端では霊夢も頷いている。ゴマすりなのか買収しているのかは知らないが、博麗神社にも来ているらしい。
「本当かよ、私のところ来たことないぞ」
「魔理沙さんちはそんなに積もらないからじゃないですか」
 む。と口に出してレティの視点から再考する。魔法の森に侘びに来るほど降る時は、森の表は歩行が困難なレベルで降っているだろう。確かに時間をかけて魔法の森を歩くより、彼女の優先すべき目的地は多々あるように思える。
 早苗が具材を掬い上げるのを横目に、霊夢が腕を組みながら思考を漏らす。
「ただ早苗のとこに顔出すってことは、山もあいつの縄張りってことでしょ。吹雪に遭ったのが山なら、ますます怪しくなってるわよ」
 ふと気が付いたが、霊夢は雪女を探しに出てはいないようだ。今年は厳しめの寒波といえど恣意的な被害が見受けられないため、雪女捜索の依頼や命は出ていないのだろう。
 そのうち機嫌が悪くなれば霊夢が自発的に探し回るだろうが、今はその様子もない。その点、レティの日頃の根回しは効いているのだろうか。
「で、なに、魔理沙は特別レティを探してるわけ?」
「退治や治安管理は私の仕事ではない」
「じゃあ何よ」
「興味と野次馬心、かな。冬に調子が良い秘訣を転用できないか、取材もしておきたい」
 肉を沈めながら「お前のぶんも要る?」と隣の早苗に聞いてみる。
 白菜の処理に回ってしゃくしゃくと口を動かしていた早苗が、意思表示のために二回頷く。
「ただなあ」
 水位の減ってきた鍋底に肉を横たえ、箸のまま軽くかき混ぜる。
「あの吹雪の時、辺りにレティは居なかった。流石に雪上に立っていれば人影には気がつく。あんな開けた土地で見落とすはずがない」
 雪のない神社よりはカモフラージュしやすいだろうが、と言いかけて、菜箸で撫でるのを止める。
 待てよ。
 私の想像した光景は、雪が神社の屋根に積もる中、レティが訪問する例年の様だ。雪かきを手にした早苗に、レティがにこにことしている。
 だが今年は違う。レティも来ていなければ、雪かきの必要もない。そもそも守矢神社に雪は降っていない。それは私が早苗を尋ねる際に見ている。
 片や、スキー場の開場。
 早苗のとこは降ってないのに、天狗らのエリアは積雪している。
「偏りすぎてるな」
 私の硬直に対して首を傾げる霊夢。その間に、早苗が口元を隠しながら推理を展開する。
「雪女って、気に入った人を手篭めにするために遭難させる人も、居るんじゃないでしたっけ」
 寒波の理由か。
「ああ、ホントかは知らないがな。落とすんだが眠らすんだか知らないが、随分必死の吹雪かせ方だ」
「うーん、それが実は、あそこのすぐ裏山で繰り広げられてたとか」
「天狗は山の侵入者には、特に開かれてないテリトリーの侵入者には敏感だろうよ。それに昼間に一瞬だけ吹雪かせる必要あるか?」
 むむ、と早苗が声に出して検討を始めたので、動きの止まった皿に肉をよそってやる。それから自分と霊夢の取りやすい位置に優先して、次の赤身を沈める。
「けど早苗の言ったこと、あながち間違いじゃないかもよ」
 言葉につられて霊夢を見ると、彼女は手の平を上にしてこちらに見せている。肉の管理を任される気なのだろう。菜箸を渡し、代わりにコンロのつまみを調節し、お湯と調味料の継ぎ足しに備える。
「詫びを入れるって言ってもシーズン妖怪だからね。今年の試し撃ち、勢力の確認。行動する理由は一応あるわ」
「わざわざ天狗の縄張りでか」
「あ、きっと透明になって吹雪かせられるようになったことを誇示したかったんですよ」
「天狗の縄張りで?」
 疑問点は変わらず、オウム返しになってしまった。
 霊夢と早苗の意見を受け入れるには、天狗が大したこと無い、というように認識を改めなくてはいけない。早苗はご近所なので緩んでるかもしれないが、天狗はいつからか上位妖怪風を吹かせることに定評がある。
 妖怪の最新パワーバランスは知らないが、長寿の天狗が、近年そう簡単に順位を落とすとも思えなかった。
「ああいや、もう一個あるか」
 残る可能性に気が付いて、ひとりごちてから肉を頬張る。
 雪女が天狗を警戒しないほどに、能天気な一族という可能性がある。
「こっちはラストですよ」
 早苗が値段が高い方の肉を沈めるのを見ながら、自分の腹具合と相談する。


 ○ ○ ○


 でやああ、という悲鳴を聞きながら急いで腰を落とし、自分の重心を探るようにゆっくりと膝を曲げる。
 ももかひざが震えているが、倒れるほどではない。
 身体の重心は板を出ないように、かかとを結ぶ線の辺りに。それから、板自体を起こすように。
 足の裏に意識を集中させて板で斜面を削るイメージを作ると、ギシギシという板の音に合わせて、速度が落ちていく。
 なんとか減速に成功した。
「魔理沙さん、平気ですかあ」
 私の声に、余裕はない。
 両手を広げたままのへっぴり腰で横に傾き、緩やかに新雪に突っ込んでいった魔理沙さんの元へ近づく。
「スノーボードって気分は良いが、立ち上がるのが大変だな。手が、沈む」
 両足に固定された一枚板に苦戦しながら、魔理沙さんはなんとか立ち上がってその場に静止する。板と斜面の角度を気にした奇妙な体勢のまま、平静を装って私に声をかける。
「やっぱ早苗、慣れるの早いよな。羨ましいぜ」
「スキーの方をやったことあるだけですよ。おかげで少しは出来ましたが」
 言葉を切って、急いで膝を曲げる。気を抜いたらひっくり返るか途端に滑り出してしまいそうだ。
 コース端、あと数メートル先にある山小屋に駆け出して休みたかったが、両足を結ぶボードがそれを許さない。
「斜面の隅っこで変なポーズしてる二人組って、奇妙な画だよな」
「魔理沙さん、笑わせないでください。お願いですから」
 上ずった声で咎めて、少し堪えたが諦める。意識的に尻餅をつき、雪上で足腰を休ませた。
 山小屋でレンタルした防寒服は撥水性に優れ、雪面に接しても水気を通さずに雪の柔らかさだけを伝える。
 同じく指を濡らさない丈夫なグローブで、視界を色づけていたゴーグルを額の方へ持ち上げる。目が少し楽になり、周りがよく見える。
 私より少しだけ堪えていた魔理沙さんも立て直しを諦めたのか、私と接触しないように少し斜面を進んでから後ろに倒れ込んだ。
「二人とも、怪我はないかい」
 軽い滑走音と共に斜面の方から青い耳飾りの天狗さんがやって来て、私達の隣にぴたりと止まる。
 跳ね上げた雪が青空に舞って、座り込んだ状態からは画になる。先程までの私達とは大違いだ。
「足が疲れてきましたけど、怪我はないです」
「先生さんのおかげだな」
 ある日の早朝、先日の来訪で気に入ったのか、魔理沙さんは私を山のスキー場に連れ出した。
 寒さに強い妖怪さんが自前の板を担いで雪面へ駆け出すのを横目に、私達は山小屋のフロントで用具のレンタルをし、コーチング依頼の手続きをした。事前に約束していたようで、コーチには魔理沙さんの友人である青い耳飾りをした天狗さんが付いてくれた。
 朝から集合して、準備運動。安全な止まり方、一枚板の上でのバランスのとり方と順に指導を受け、今は昼時。天狗さんの上手な指導のおかげで、私達は緩やかな斜面を、時間を掛けて滑り降りることが出来るようになっていた。
「二人は早い方だよ。飛ぶ感覚があるからかな。一日で登り降り出来るようになれば十分だ」
 魔理沙さんはニットから覗いた髪が雪に触れるのも気にせず、一度ハッキリと寝転んで息を整える。
「ひー、魔法使いに腹筋は不要なんだよ」
 魔理沙さんは不平を述べながら両手をお腹に乗せ、二、三回大きく腹式呼吸をする。
 その言葉を聞いた私はこっそりと指先で、服を撫でる。
 程なくして魔理沙さんは上体を起こした姿勢に戻り、コースの反対側に目線を向ける。
「今日は何も出ないみたいだな」
 魔理沙さんの言葉を聞いて目線を追うと、コースの端に立てられた鳴り板に向けられている。
 遠目で少し見づらいが、鳴り板に赤く書かれている数字は六。先日私達も立ち寄った、猪の出たという、六番地区だ。
「鳴ってないですね。まあ、鳴らないのが普通なんでしょうけど」
「ああ、加えるなら、霊力を行使する不正者も居ないようだ」
 管理人役の言葉に、目線が集まる。
 反応がないことに気が付いた彼女はこちらを見返ると、腕を組んだ体勢のまま、眉を上げた。
「争いや悪行が横行しては困るからな。防犯も兼ねて鳴るようにしてある。例えば」
 言葉を区切ってから天狗さんは立板の方に掌を上にして腕を伸ばし、ひと呼吸置いてから、指を鳴らした。
 彼女の手を視界に含めたまま、奥の鳴り板に焦点を合わせる。すると、鳴り板に垂れ下がる枝の幾つかが、刃物で切ったようにぷつんと切り落ちた。
 それから鳴り板がひとりでに揺れ始め、私達が見たのと同じ様にカラカラと音を立て始めた。
 先日の警報を伝えるような激しい鳴り方ではないが、辺りを注意するような耳に突く音が続く。
 彼女がもう一度指を鳴らすと、僅かな時間差の後、遠くで鳴り板の動きが静まった。彼女が振り返る。
「と、いうわけだ」
 魔理沙さんは呼吸を整えながら、青い天狗さんを眺めている。
 その天狗さんは一つ笑った穏やかな表情をしてから、対岸コース縁に立てられた脱線、あるいは霊力感知用の鳴り板に目線を戻した。
「どうかしたか」
 魔理沙さん言葉を受けて、天狗さんはこちらの方へ僅かに顔を向ける。
「なに、公私混同で怒られないかとびくびくしているのさ」
「お前一応、ここの現場で偉い天狗だろうが」
「だからさ」
 今ので会話は終わったのか、魔理沙さんは休憩小屋の方へ顔を向ける。
 さほど大きくない二階建ての簡素な小屋の前には雪かき道具が立てかけられ、隣にはかき分けた雪が煩雑に積みっぱなしになっている。ちょうど先日天狗さんが見張りに立っていた辺りだ。
「よし、ちょっと休憩」
 そういうと魔理沙さんは手早くブーツのビンディングを外し、板を片手に小屋の方へ駆け出してしまった。
 私も追ったほうが良いかと、慣れない厚手の手袋で板を外そうと試みる。
 手間取っていると、天狗さんが動く様子を見せないことに気が付いた。板の上で腕を組んだまま、魔理沙さんの入った小屋を眺めている。彼女が板を外さないので、入る気はないのかと察し、なんとなく雪の上に座ったまま先程までと同じ様に眺める。
 やがて小屋の中からドタドタという音が続いたかと思うと、魔理沙さんが腕を擦りながら飛び出してきた。
 顔色は心なしか白くなっている。
「誰も居ないじゃんか」
 天狗さんは顔色変えないまま「誰か居ると言ってしまっていたか?」と呟く。生真面目な性格なのだろうか。
「人気も無ければ暖房も点いてないぜ、薪置き場か」
「人手が足りない時は火を切っているんだよ。この辺りはあまり混まないしな」
 魔理沙さんはそれを聞いて、手を擦ってから屈伸を繰り返す。
「下まで降りたほうが暖かいとこで休めるってことだな」
 それからボードを地面に突き立ててから靴底の雪をかき出して、再度足の裏に板を接続を始める。
 私達はお客としてきているので当然、レッスン料がかかっている。支払っている以上は早く上達しようと、魔理沙さんは集中しているのだろう。
「よし、休憩後回し。ちょっとゆっくり滑ってみるからさ、正面からどうなってるか見てくれないか」
「ああ、良いよ」
 天狗さんは魔理沙さんの声に答えてするりと斜面を下り、ある程度の距離を開けてこちらの方へ向き直る。
 それを見届けた魔理沙さんはバランスを取りながら立ち上がり、横滑りで斜面を下っていく。しばらく斜面の中央側に移動してから手を広げて止まり、先程までと反対側に進みながら、天狗さんの元へ斜面を下っていく。
「ううん、さっきまでのほうが良かったな。重心が落ちていた」
「私だって流石に、正面切っては恥ずかしいんだぜ」
 声色は集中していたが魔理沙さんは敢えなくブレーキに失敗し、再び脇道の新雪側に吸い寄せられていく。


 ○ ○ ○


 それから数日間、私は魔理沙さんに流されるまま雪女探しを手伝って回った。
 人里の本屋で雪女に関する小説を立ち読みしたり、河童の工房で妖怪センサーのテストに現人神は反応するのか試したり、香霖堂さんでどこにでも床下収納を作れるという怪しげなドアを解析しようとしたり。おおよそ捜査と呼べる内容ではなかったが思い出したように行われた聞き込みの何れにおいても、雪女の目撃証言はなく、聞く人たち皆「そういえば今年は見ないね」という様子で、匿ったり何かを知っている様子はなかった。
 数日捜索を続けた後、彼女は守矢神社に訪問しに来ることはなかった。お役目に集中することができて特に気にすることはなかったのだが、今朝は久方ぶりに魔理沙さんが尋ねてきた。
 真面目な表情をした魔理沙さんは防寒用の服に身を包み、手袋までする念の入れようで開口一番にこう言った。
「雪女を見つけにスキー場に行くぞ。天狗に話を付けてくれ」
 事態を飲み込む前に、まず伝えておく必要がある。「私にそんな権限はないんです」と納得してもらうのに、多少の時間がかかった。
 
 
 スキー場の詰め所に魔理沙さんのご友人が居たのは幸運だった。
 窓口役に彼女の名前を伝えると、程なくして奥の方からはんてんを着た青いイヤリングの天狗さんが出てきた。魔理沙さんが私に話したのと同じ様に完結に要件を伝えると、流石に少し怯んだものの、湯呑を傾けながら快く了承してくれた。
「いいよ、着替えるから少し待っていてくれ」
 天狗さんはすぐに戻ってきた。雪山を登っていけそうな厚手のジャケットを羽織っている。その後ろから、部下なのか後輩なのか、一回り若そうな天狗二人が着替えている。
「さあ、何処まで行くんだい?」
 私が顔を向けるより先に、魔理沙さんが即答する。
「六番区だ」
 迷いない様子に、天狗三人と私の視線が集まる。
「ろくばんく」
 私は呟き、部下天狗と三人顔を見合わせる。
 そうして私達は雪を踏み鳴らし、敷地の中央辺りに位置するコースの中腹、警報機の区画にして六番区に向かうことになった。
 今日は中央コースは開放していないようで、傾斜が始まる辺りには侵入しないことを示す、腰の高さくらいの背の低いネットが張られている。
「魔理沙さん、六番区に、居るんですか?」
 支柱間の真ん中、一番弛んでいる箇所から規制線を跨ぎ、先を歩く魔理沙さんを追う。
 口をうずめたネックウォーマーの中で、彼女は肯定したのだろうか。首元から白い息が一筋漏れる。
「あの日、吹雪の前に鳴り板が鳴り出したんだ」
 魔理沙さんは靴底の広いブーツで、ざくざくと足音を立てながら地面を踏みしめていく。
「普通、風が吹いてその勢いで板が揺れるもんだろう。ただあの時は雪が早いか、鳴り板と同時くらいだった。ということは、あれは自然現象じゃない」
 雪女の妖力によるものだ。
「そしてタイムラグがあったってことは、ここが限りなく始点に近い」
 彼女は足を止めると、小さく肩を上下させて呼吸を整える。
 視線の先は、客の少ない日は営業していないらしい山小屋。
「んで、犯人の所在なんだけど」
 魔理沙さんは肩を伸ばしてから小屋の方へ近づく。
 まさか、雪女がこの中に潜んでいたのだろうか。
 しかし私の予想に反して、彼女はドアには手を伸ばさない。
「スコップ貸りるぞ」
 魔理沙さんは小屋の入り口に立てかけてあった腰上くらいの高さのスコップに手をかけてから「先は尖ってないほうが良いな」と呟いて、一つ隣のものに持ち替える。
 なんとなく手伝えることはないかと歩を進めると、魔理沙さんは手元に目線を落としたまま、こちらにさっと手を伸ばした。
「ああ悪い、気持ちだけでいい。あんまり踏んづけてやるな」
 その間も彼女は何やら手元を覗き込んだまま、辺りを一歩一歩歩き回る。
 言葉の意味は解せなかったが、どうも手助けは要らないようだ。
 やがて魔理沙さんは辺りの雪を寄せてできた小山に行き当たると、その一角と手元を見比べてからポケットに一度手を突っ込んだ。
「痛かったら言えよな」
 彼女は急に大きめの声を上げてから、雪面にスコップを突き立て始める。
 誰に向けた発言か不明のままのため、私は辺りの天狗と顔を見合わせ、一緒に辺りを見回してしまう。
 冬の終わりの太陽と、雪原の気温。昼下がりの穏やかな時間に響く、ざくざくという音。
 時間にすればものの数分だったろうか。少しぼうっとし始めた時、魔理沙さんは手を止めて、こちらに顔をやった。
「吹雪の犯人はずっとここに、寒波の中心にいたんだよ」
 彼女は軽く汗を拭ってからスコップを雪上に投げ出して両膝を着くと、先程までの代わりに雪を手で返し始める。
「雪女は姿をくらましたんじゃない。出られなかったんだ」
 その言葉が終わらないうちに、雪の中から何かが現れた。
「ひっ」
 全高は屈んだ魔理沙さんの胸元くらい。幅は厚着した彼女と同じくらい。しかし急に飛び起きた様子からして、出土品ではない。何かしらの生物だ。
 魔理沙さんによって飛び起きたそれには、丸い雪の塊が乗っている。
 鳴き声は無く、目鼻の類も見受けられない。
 それが上体を起こした人型だと理解するのに、時間がかかった。
 頭はアンバランスに大きく、雪を振り払うような人間的な動きは見せない。
 だらりと垂らした両腕は青と白の装飾に覆われ、中から覗く白い指が力なく辺りの雪を撫でる。
 それから音を立てそうなほどにゆっくりと首を回し、こちらの方に向き直る。
 時刻が夜だったら、夢に出る光景だろう。
「あ、あの、それ」
 本能的に、息を呑む。
 竦んだ足が崩れそうになった時、付着していた雪がボロボロと溢れ落ち、見知った顔が現れた。
「れ、レティさん?」
「あら、ご無沙汰してます。去年の冬ぶりねえ」
 私の掠れた声に、雪女、レティ・ホワイトロックは危機感も生還の喜びも見せず、普段の調子でまったりと手を振った。


 ● ● ●


「雪女だ!」
 声を上げたのは、早苗ではない。早苗の両隣にいた白狼天狗が飛び上がる。
 その背後の青天狗は、眉を上げて腕を組んだままこちらを眺めている。
「こんにちは、良い雪ね」
 雪女を初めて見たらしい部下天狗たちの声を聞きながら、悪びれる様子のないレティを眺める。
 彼女は周囲の雪を初めて見るように「今年の寒波も中々かな」と独りごちた。それから私を見上げ、居住まいを正した。
「ああ、魔理沙、掘り起こしてくれてありがとね」
 焦りや取り乱す様子は見られない。
「礼を言うくらいなら、匿って貰ってた奴について話してもらおうか」
 私の言葉に雪女は首を傾げ、理解に努めるような所作を取る。
「今年は見つからず存分に振らせられるように、隠してもらってたんだろ」
「私を、ここに? ううん、そんなつもりはないわ。気が付いたときには雪の中。寝起きを誰かに押し込まれたような気は、しなくもないけど」
 嘘を付いているのかどうかは、私にはよく分からなかった。嘘にしては、あることないことを付け足すのは不自然にも思える。
 レティがスキー場を隠れ蓑に使ったわけでは、ない?
「あんまり適当言ってると、雪崩でも起こしてもう一回埋めるぞ」
「ひい、真面目よ真面目。それにもしやるなら、気分転換に別の雪にしてくださいな」
 体温で上がった生ぬるい暖気が首をくすぐる。
 グローブの中には汗か、雪を返した際の溶け水が滑り込む。
 寒冷地で気が散る。考えが纏まらない。
 自前の服では撥水性が足りなかったのか、着いた膝に水分が滲むのが分かる。私の保護魔法ではこんなものなのか。課題も増えてしまった。
「ええい、仕方ないな、今日はリリースしてやろう」
 雪女に雪責めも、それこそ魚に水責めを仕掛けるようなものだろう。無駄な労力と判断し、膝を着いたままの体勢から、窪みに横たわる彼女を起こしにかかる。
 レティを引き起こすために、彼女の足元に手を着いた。
「ん?」
 指先の感触に、違和感を感じる。雪にしては硬質な感覚。なんだ、これは?
「え?」
「ああいや、なんでもない。そら、よっ」
 彼女の手を握る際に、雪上に着いた左手にも力が入り、じゃりじゃりという音が鳴った。
 背筋と上腕に力を込め、上体を起こした彼女を立ち上がらせる。レティは久しぶりに二足で立ったからかニ、三歩ふらつき、慎重な足取りで雪を踏み、横たわっていた溝から雪上に出た。
「なんだかよく分からないけど、長いことお邪魔しました。ここ、天狗の敷地かしら?」
 この面子の中で管理者と認識したらしい、青天狗に歩み寄るレティ。その様子を見るに、寝ぼけたり朦朧とはしていないらしい。
 彼女への心配は優先度を下げ、目線を手元に戻す。
 地面に着いた左手を握ってみると、手に集まるのは周囲のような指が沈む自然雪ではない。砕いて敷き詰めたような、粒の荒い氷だった。ちょうど人型が一人寝転ぶ辺りの数立米が、そんな層になっている。
 手で氷をかき分けてもう少し掘り進めると、本来の土の混じりだろうか、黒ずんだ雪の層に突き当たった。
「ちょっと長い冬眠みたいだったけど、やっぱりお日様の下もいいわねえ」
「雪女さんって、雪の中でも呼吸できるんですね」
「圧力はどうしようもないんだけどね」
 早苗が雪女の生態を引き出すのを聞きながら、何となく手の平を握り込んで、ゆっくりと離してみる。
 圧接された水分の塊は少ししてからバランスを崩し、手の平から落下する。
 それは先程まで私が苦労してかき分けた雪の上に音もなく沈み、指先から氷の粒がほろほろと落ちていく。
「氷、だな」
 雪ではなく、氷。
 自然現象ではなく、人為的。
 グローブに付着した水分を指先で払いながら、早苗と話す青い天狗を眺める。


 ● ● ●


 入店を知らせるベルが鳴り、頬杖を付いていたカウンターから目線を上げる。逆光の中、一人の女が入店してくるのが見えた。
「いらっしゃい」
 外の光が通過して、彼女のアクセサリーが暗がりに浮かび上がる。
 青い耳飾りが揺れ、妖怪の女がカウンターの前まで来る。
「邪魔するよ、霧雨魔理沙。わざわざ呼び出すなんて珍しいな」
 友人の天狗は普段と変わらぬ調子で私の前に立つ。そしてその辺りから丸椅子を手繰り寄せてくると、私の斜め前に座った。
 本来なら裏の私室に居るか掃除中が殆どなので、落ち着いてカウンターで客を迎えることは珍しい。今日は、通常の店番とは事情が違う。
「今日は商品の押し売りをする気は無い。たまにはホームで、酒でも飲もうかとな」
 カウンター下に隠してあった酒瓶を屈んで取り、隣にあった保冷バッグを手繰り寄せる。
 私の頭が消えている間、彼女は何故か「店の人間が言う言葉かい」と笑った。経営者も飲みたい日くらいはある。何も笑うようなところはない。
「ちゃんと洗って保管してるから安心しろ」
 断ってから御猪口を2個取り出して、一応保冷剤の匂いが付いていないか確認してから、天狗の前に置いてやる。少なくとも、人間の鼻では何も捉えられなかった。
「竹林妖怪から買い上げたやつだ。山組にとっては珍しいだろう」
「頂くよ」
 代わりを求めていたわけではないが、彼女は手土産に天狗社会の焼き菓子を持って来てくれていた。紙袋から焼き菓子や、恐らく余り物であろう煎餅がばらばらと広げられる。
 瓶を抱えて栓を開け、互いの杯に軽く酒を注ぐ。手短に「乾杯」と声をかけてから御猪口を当て、慣れた味を喉に通す。
 天狗は鼻を近づけてから、御猪口の中身を少し口に含む。それから「うん、甘いな」とこぼし、残りの半分を喉に通した。表情を見るに、口に合ったらしい。
 それからもそもそと菓子を手に取り、会話を阻害しない程度に口に含む。
「美味いじゃん。ちょっとしょっぱいけど」
 天狗は迷いなく焼き菓子を開封し始める。分けられた包装紙を小さく切り開き、口元に運ぶ。
「そっちは貰い物だから、値段は知らないぞ」
 さては、あまり好みじゃないから持ってきたな。
 顎を動かしながらじっと見ていると、先に天狗の方が笑い出した。
「まあ最近鍋食べてばっかりだったからな。間食代が浮くのなら、贅沢は言わないよ」
「ほう、鍋を囲むのが流行りか」
「ああ。霊夢、博麗霊夢の所で最近食べてる。早苗も呼んでな。スキー場の話を聞いたのも、レティ見ないなって話をしたのもその場だよ」
 そうか、と頷く天狗の耳飾りに目を向ける。
「ただ発掘した時に言ってたろ、レティ本人は望んで埋まってたわけじゃないらしいんだ。状況は一件落着だが、レティがどうしてそこに埋まっていたのかだけが気になった。その仮説が一個できたんだが、聞くか?」
 一拍遅れて、天狗の相槌がある。
 自分の鼓動を確かめるために言葉を切る。口の中に残っていた酒の雫を飲み下す。
 ひとつ息を吸って、吐いた。
「降雪機」
 天狗の顔がこちらを向いた。
「知ってるか? コウセツキ。この前某、古道具屋にも入荷して、分解する時にたまたま立ち会ったんだ」
 天狗は顔を動かさない。
 僅かに揺れるピアスが照明に照らされ、青い光を反射している。
「あの店主、研究熱心とは思えなかったが」
「火種があると困るからな。あんな薪の集合体みたいな店、ガスがあったら一発だ」
 対岸から返答は続かない。ちらつかせた脇道は無視された。話を逸らす気は、向こうには無いようだ。
 清酒を口に運んで、舌で唇を濡らす。
「そのコウセツキ、どうやら雪を作る機械なんだと。人為的に雪を降らせる機械だから、降、雪、機。中身が羽根車と、冷媒スペースと、水分を供給するタンクだから間違いはないだろう。羽根車が十分に冷たい水を中空に噴出し、外気により雪にする」
 そしてそれの需要だが。と指を立てる。
「早苗に聞いたところ、降雪機は雪遊びをするスキー場にほぼ必ずあるそうだ」
 天狗の眉が一つ、見開いた目に連動して動く。
「安定して雪面を供給しないといけないから、当然だな。施設として経営までできる安定性は、それのおかげと言って良い。降雪機のお陰で天候に左右されず、晴れ続きでも、曇り続きでも、スキー場だけは雪を供給できる」
 瞳孔は正面に見据えられたまま。私を向かない。
「今の山の状況と似てるよな」
 一度話を切るべきか、逡巡した。
 が、ここで会話が止まっても中途半端な気まずさが残るだけ。情報を開示するべきと、頭の中の私はゴーサインを出す。
「雪女を何らかの方法で捕獲して、かき集めた雪か砕いた氷の中に埋めてしまう。後は雪女が暇だからと勝手に雪を降らすだろう。あるいは気づいてほしい救難信号として、寒波を起こすだろう。イニシャルコストは氷だけ、安上がりな降雪機だ」
 僅かに姿勢を正す拍子に、私の肺から息が漏れる音がした。
「お前ら、雪女を利用したな?」
 天狗は瞬きを二回した後、ゆっくりと目を閉じて御猪口を口に運んだ。
 中性的な横顔の喉が動き、冷たい酒を飲み下す。
 それから、沈黙した。
 私は事実の確認がしたかっただけで、糾弾が目的ではない。この反応で十分だった。意識的に、適当に顔を逸らし、頬杖を突く。
 埃の積もった掛け時計が鳴らす音を聞きながら過ごす午後。空気は、決して良くない。
 やがて対面の友人が、重い声色で口を開いた。
「魔理沙」
 手持ち無沙汰に御猪口を回していた指先を、止める。
 横を見ると、天狗は正面の、中空を眺めているように見えた。
「私の提案ではないぞ」
 それは自白に近い、否定のないコメントだった。
「だろうな」
 恐らく彼女は、いつか指摘されること知っていた。あるいは、どこか誘導してすらいただろう。
 さもなければ警戒網が霊力に感知することは教えないし、講習の際に六番区を通るルートは選ばない。そんなミスで計画を露呈をするほど、彼女は愚かではない。
 青天狗は独白する。
「最善とも、非がない方法とも思っていないよ。だが現象として間違ってはいない。そして御上の、目的を達成する方法としては正しいのだろう」
 もとより割り込む気はなかったが、彼女は割り込まれるのを避けるように、自分の理解とその評価を並べた。
 それから御猪口を摘む手が少し動く。僅かに卓上から離れ、思い直したようにカウンターの上に戻る。
「時折分からなくなる」
 これまで交わした会話の中でも一番に、彼女は弱気な言葉を発した。
「自分の思う手と打てる手。以前は幾つも見えていたそれらが、童の頃と比べて随分少なく、猶予も無くなってしまったように思う」
 私が口を噤んでいると彼女は「いや、時代かな」と付け足した。
 思えば彼女がどの程度生きている妖怪か気にしたことはなかった。
 彼女の過ごした時代と現代の差も知らない。
 天狗の間でこういった姿は見せるのだろうか。
 私には、それは知る由もないし、知る気もない。
「そっか、随分悩んでたご様子で」
 彼女が頷くことはなく、目線は伏せたままだ。
 ふといつか流し見した新聞の一角が脳裏をよぎる。
 悩みに対して学者脳は打開策を挙げ、作家脳は感情に寄り添うと、曖昧な表現で説明があった気がする。いや、作家と学者は逆だったか? 回ってきた酒気のせいか思考が散漫になる。
 まあ、新聞のコラムはどちらでも良い。
「お前が選択した内容が間違っていたかは知らない。ただ、お前が選択したこと自体は、きっと間違っていないよ」
 私が取る回答は何かという漠然とした問い。
 打開策も、苦悩も、きっと満点ではない。不正解だ。
 私は何を優先するか。
 私が優先するのはただ一つ。
「お前、宗教って入信してんのか?」
 即座の返答はなかった。
 唐突に何を言い出すかという目がこちらを向いたが、彼女は私が足した酒を口に運びながら、素直に答える。
「いや、無宗教だな」
「奇遇だな、私もだ。どうも反りが合わないようでな」
 友人二名が微妙な顔をするのが頭をよぎったが、今更なので頭の片隅に捨て置く。
「ただ、無宗教を謳う以上、使いづらい言葉が幾つがある。神頼み、とかな。都合の良いときだけ神様呼ぶのか、ピンチだけ入信か、って。そんなときになんて言い分けるか考えてみたことがある」
 撃ち負けそうな時、クジに負けそうな時、私は代わりに何に祈ってるのか。
 青天狗は黙ってこちらを眺める。
「自分に祈ることが多かったんだよ」
 私の話に彼女は目を閉じ、噛み砕くように、僅かに顔を伏せる。
「コンパクトだろ、自分教。行き詰まった時、苦渋の決断を下す時、自分に祈ればそうそう悪い結果と受け止めることはない。よくやったよ、今の自分。後はなんとかして、未来の自分。ってな」
 私は学者でも、作家でもない。世論は知らないし、従う気もない。私はただ友人が救いを見出だせるよう、自分の手の内を明かすだけだ。
 苦悩したという、当時の友人の境遇を想像する。
 彼女は決断した時、一人だったのだろうか。
「お前の選択は、お前の中できっと正しいよ。過去のお前はその選択を否定しないし、未来のお前もきっとお前を肯定する。悔やんでいることも含めてな」
「だから安心しろと?」
 すかさず飛んできた言葉は確認だったのだろうが、思いの外感情が籠もっていて、強度のある音だった。
 彼女の方も目線を伏せて手のひらを見せ、強い意志はなかったことを示唆した。
「安心、というか、気に病むなという方が適切かな。自爆するのはお互いまだ、勿体無いと思わないか」
 熱くなり始めた頭で言葉を選ぶ。
 御猪口を傾けたが、雫程度しか口に入ってこなかった。私は手酌の方が好きなため、自分から瓶を取って継ぎ足す。
「どのくらい天狗社会で暮らしてくのかは知らないが、決定の度ちくちく気にしてたらキリないと思うぜ。50パーセント納得したら踏ん切る方が、精神衛生上良かったりするもんだ」
 先ほどとは違い、天狗は言葉を紡がない。御猪口を唇に当てたまま、横目でじっとこちらを見ている。
「一体君は幾つだ」
「秘密だ。ていうかお前も、人のことを何だと思ってる」
 笑いを零した音が聞こえる。
 それから間を置いて、手の平をこちらに見せた。瓶を押しやってやると、彼女も手酌で御猪口に酒を継ぎ足した。
「やれやれ、君と居るのは楽でいいな」
 彼女にしては珍しい、感情的な言葉が並んだ。
「妖怪の明確な老いの症状として、決断力の衰えがある。確かに、まだその域になりたくはない」
 人間でもそうだが。とは、揚げ足取りになるため口には出さなかった。
「ああ、補足しとくと、私は苦労を否定はしないぞ。結果がどうあれ、努力した時間は大事だ」
「そうだな、老いのもう一つの悪影響として、努力を嫌うようにもなる」
 それ有名な話か? と聞くと、持論だ。と返ってくる。
 私の言葉がどんな効力を発揮したかは分からない。
 ただ相談したことで気が晴れたのか、自分の中で割り切りが付いたのか。青天狗は先程よりもさっぱりとした顔で手元を見つめる。
「なるほどね。良い情報だったよ」
 閑話休題として。
 逆に気になるんだけどさ、と私からifの展開を想像する。
「私が気付かなかったらどうしてた」
「春頃、罪悪感から胃をやっていたかもしれんな」
「違うな。その前に霊夢が辺り一帯を掘り返してる」
「彼女の場合、機械に強くなさそうだから見つけられるかな」
「ただ巫女の勘がある」
「勘が相手なら白を切り通す」
 彼女は表情一つ変えずに即答する。
 先程までの迷いを見せない、真っ直ぐした目線は固く、自信すら感じられる。
 恐らくは、自分より格上に向ける、僅かな緊張が作る表情。
 いつか、勘は根拠がないとか、彼女の思想を聞いた気もする。
「お前、面の皮厚いからな」
 君とは年季が違う、と戯ける彼女の表情は、幾ばくかの余裕が見えた。
「それに厚くて困ることはない、特に、集団に属しているとな」
 少し間を置いてから、力を抜くように息を吐き出す。
 君も来てみるか。と半笑いで話す彼女の顔色は白く、酔った拍子の言葉には思えない。
「冗談だろ」
 笑った拍子の吐息で手元が揺れる。その拍子に僅かに濡れた指先を小さく舐めてから、杯を仰った。
 視界の端で青天狗が同じように、勢い良く杯を傾けたのが見える。
 二人で杯を戻し、彼女は椅子を引いた。
「ご馳走様。良いものを分けてもらったよ」
 彼女は何故か、"良い酒"とは言わなかった。
 そして椅子を引いた姿勢のまま、すぐには立ち去らなかった。
「さて、私は君に聞いておかねばならない」
 卓に手を添え、目を伏せたまま彼女は呟く。
「君の至った推理は、誰かに開示する算段があるかな?」
 静かな問いに、表情を眺めながら考える。
 どういうわけか、彼女の口元は笑っているようだ。
「言うかもな」
 彼女が狼狽える様子はなく、指先一つ動かなかった。
「ほぼ正解の推理を見せられて、それがイエスかノーか聞かれたら。答えちゃうかもな。ほら私、ヒト並みに面の皮薄いからよ」
 何か堪えきれなかったのか、彼女は顔を背けながら短く息を吐いた。
 数度肩を揺らしながら「そうか」とだけ返して、普段の様子でこちらに顔を向ける。
「また会おう、店長」
「あいよ、ご贔屓に」
 彼女は一つ微笑んでから、ベルを鳴らしてドアをくぐっていった。
 残された私は先程までの会話を思い返し、頬に手の甲を当てて酔いの具合を確かめる。少し、喋りすぎてしまっただろうか。
 自分の思想を口に出すのは、手の内を晒しているようで尻込みすることが殆どだ。ただ頻繁にはないこういった機会は普段無意識の部分に目を向け、自分自身を整理する機会になる。
 悪い言い方をすれば、利用させてもらう時間。だが彼女なら、仮にそれを言ったとしても、気を悪くすることはないだろう。
 相手を選べば、こういった時間は嫌いじゃない。
 紙袋に残された菓子を一つ口に突っ込み、席を立つ。
「さて洗い物か。別に酒場じゃないんだがな」
 だが。
「店長か。悪くない響きだ」


 ● ● ●


 くしゃみをした拍子に、着いたままの頬杖が頬骨を強く圧迫する。
 下げた顔を正面に戻すついでに、頬杖の支えを手の平から指の甲へ変える。
「こう、人待ちの時間って、急に暇に思えるよな」
 炬燵の中でかいた胡座の位置を調整しながら、空き時間を有効に使おうと思考を巡らせる。
 以前に閃いたはずの改良案は影も形もなく、紙面に残さなかった後悔のみが脳裏に残る。頭の中で文句を並べつつ、それらしき推測を並べて再発掘を試みる。
「あんたはいつも早く来るからでしょ」
 対面からは家主である霊夢の声がする。
 なんだったっけな、以前もこんな、食事前に閃いた発明だったんだがな。
 手がかりを求めて霊夢を見るとこちらの苦悩には気づいていないようで、手元の本をそこそこ熟読している。
「それ、面白そう?」
「以前の方が特徴的だったかも。最近のはなんていうか、普通」
 贔屓の作家が出した新作について評価を聞きながら、壁掛け時計を見る。
 博麗神社の母屋、夕食時。時計によると、早苗が来る時刻が近づいてきた。
 暇を持て余して、手元に握っていた極短距離妖怪センサーを辺りに向けてみる。
 障害物が多いから減衰はするだろうが、母屋周辺、あるいは屋内に潜む妖怪は見つけられるだろう。だが残念ながら、検知器に付いた小さいディスプレイには何の反応もない。話題になりそうな変質妖怪やめぼしい反応もない。
 覗き込みながらノイズか汚れか、検知結果かを判別する。
「ちっちゃいんだよな、これ」
「そうね、ちょっと読みづらい」
 ふと霊夢に目をやると、そちらはそちらで本に眉を潜めていた。
「私は小さい方が、密度が高くて好きだが」
 数秒前と矛盾する発言に彼女はこちらを向いたが、手元の計測器を見て、大体察したらしい。
 本に戻りながら口を開く。
「で、魔理沙」
 相槌は頬杖に引っ張られて、喉元で転がる。
「寒波の原因、レティの出処に目星は付いたの」
 雪山で発掘されたレティはその後例年通りにあちこちを周り、少しの寒波を順に届けて、再び姿を眩ました。代わりに山のスキー場は吹雪が吹くことはなくなり、たまの降雪と、これまで蓄積された雪で賄っているらしい。
 雪女を巡る今年の冬事情。レティ当人も知らない雪面に埋まっていた理由を、霊夢の勘はまだ当てられていないようだった。
 彼女の言葉を、できるだけゆっくりと飲み込む。
「いや、まだ分からんな」
「あんたにしてはやけに弱気じゃない」
「うん、分かるかどうかが、まだ分からん」
「何それ」
 食事前は珍しく霊夢の思考が鈍る時間だ。加えて冬場の晩。おざなりな霊夢の言葉は、それ以上続くことはなかった。
 ふと手元に目をやると、計測器に一体分の反応があった。
 右へ左へ振って確認すると、玄関の方向に誰かの反応がある。
 はて。
 先日のテストでは、現人神に反応はしなかった。
 頬杖を解き顔を寄せたところで、ちょうど戸が叩かれる。
「早苗が来たかしら」
 霊夢はお茶を飲んでから立ち上がろうとして寒さに負けたのか、中途半端な体勢のまま硬直する。
 一瞬考えたようだが、彼女は頭の中の天秤をふいと投げ捨て、座に戻って両手を炬燵の中で温めながら「開いてるわよ」の一言で済ませる方を選んだ。
 やや間を置いてから玄関がカラカラと開く音がする。
 霊夢は廊下に背を向けていて、その向かいに座る私は、訪問者を推察する。残念ながら間取り上、居間からは廊下の壁までしか見えない。
「山の者だ。あ、一人だけだ。邪魔するよ」
 早苗より落ち着いた声で気が付いたのか、霊夢は身を捻って背後を確認する。
「どなた?」
「山の天狗だ、こちらかな」
 声の方向で気が付いたのか、声を飛ばしながら、居間の方に足音が近づいてくる。霊夢はピンと来ていないようで、困惑したように後頭部が揺れている。
 やがて襖の影から見知った青い耳飾りの天狗の姿が見えた。
「よう」
 私が手を気軽に上げると、霊夢がこちらと天狗の方を交互に見る。様子からすると、彼女は特定には至っていない。
「久方ぶりだな、博麗霊夢」
 霊夢の様子を見て、青天狗は察したようだ。「一応」まで言いかけて、一人で頷いて言葉を区切る。
「長居はしないよ。冬の挨拶みたいなものだ」
 そう言って、手元の風呂敷袋を霊夢の前に出す。
 一部を除いて、博麗神社には手土産や贈り物を持って集まる人妖が多い。流石は博麗の巫女なのか、餌付けが効く巫女と思われているのかは分からない。
 ただし今回に限っては、推測が効いた。
「牡丹肉だ。下ごしらえだけ済んでるから、最悪別の日に食べてくれ」
「へえ、山のお土産っぽいじゃない。ありがたく頂いちゃうわ」
 いそいそと包みを開く霊夢からは「あれ、二段あるわよ?」という声が聞こえる。
「来客が多いなら、客のぶんもある方が良いだろう。気にしないでくれ、山じゃそう珍しいものじゃない」
 霊夢の目線が土産物に向く最中。
 青天狗は私と目を合わせながら、小さく笑った。
「よくある事だ」
 あからさまな振る舞いに頬が緩みはじめたので、湯呑を傾けて口元を隠す。
 今年の冬、山から吹き続けた局所的な寒波。好調な滑り出しだった新設のスキー場。
 そこに雪女が隠れていた原因は、私には皆目見当も付きそうになかった。
 皆様お変わりなくお元気でしょうか。
 スノボシーズンでしたが、今シーズンは1回しか行けませんでした。早く気兼ねなく行ける世界になってほしいですね。
 そんなこんなで鍋と雪のお話。読み返すと少し暗い気もしましたが、そっと投稿。
 皆様健康に東方を楽しみ、次の雪を迎えられることを祈って。
くろさわ
https://twitter.com/KRSW_063
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コメント



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1.90奇声を発する程度の能力削除
面白く良かったです
3.無評価くろさわ削除
奇声を発する程度の能力 様
コメント・高評価いただきありがとうございます。
好みに合ったなら嬉しいです。
4.80名前が無い程度の能力削除
よかったです
5.100名前が無い程度の能力削除
とても丁寧な描写で読みやすかったです
面白かったです
6.100Actadust削除
レティでスキー場を作ってやろうというその発想に驚かされました。ちょっとした推理ものとして楽しませて頂きました。丁寧な描写や頭脳戦も面白かったです。
7.100南条削除
面白かったです
雪女を降雪機にするなんて素晴らしい発想でした
鍋食いながらグダグダしているところもよかったです
8.無評価くろさわ削除
>4様
お口にあったようで幸いです。雰囲気だけの内容ですがまたよろしくお願いします。

>5様
若干くど目かと思いながら書いてましたが、そう感じなかったのならよかったです。
またよろしくおねがいします。

>Actadust様
何か手はないか考えると、レティさんに頑張ってもらうしか……。
なんちゃって事件もので落ちに困ってましたが、お気に召したのなら幸いです。

>南条様
スキー場の行きたさと鍋の食べたさが爆発しました。
グダグダ会話パートが飽きにならず良かったです。ありがとうございます。
9.100名前が無い程度の能力削除
スキー場を作るという着眼点が面白いと思いました。良かったです
10.90クソザコナメクジ削除
面白かったです