Coolier - 新生・東方創想話

ハッピー・ポイズン・バレンタイン!

2021/02/28 22:01:52
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 二月十四日、今日はバレンタインデー。
 愛の証として贈り物を贈る風習は、幻想郷にも伝わっていた。少女たちは今日のために、とっておきのチョコレートを用意する。
 それは幻想郷きっての大妖怪である風見幽香も例外ではない。が。
「あの子ったら、私に待ちぼうけを食わせるとはいい度胸してるわね」
 自分の家でお茶会の準備を済ませ、今か今かと待ち構えているというのに、意中の相手が来ない。
 この日を指定し、一緒に幽香の家でお茶をしたいと言い出したのは相手の方だ。
 リグル・ナイトバグ。まだまだ未熟な蛍の妖怪。
 幽香とリグルの現在の関係は、少し説明が難しい。はっきりと愛を確かめ合った間柄ではないものの、互いに意識し合っている、だけどなかなか距離が縮まらない……そういう微妙な関係だ。
「今日この日をわざわざ指定したんだから、リグルにも少しは『そういう自覚』が芽生えたのかもって期待もあったのだけど」
 しかしそれもどうだろうか、とも思う。だってリグルだし。
 根っからお子様なのだ。知れば知るほど、あまりの無邪気さに驚かされるほどに。
 そういうリグルが相手だから幽香も、どれだけ距離を詰めていいのか、どの程度「そういう関係」として関係を進めていいのかを測りかねているというのが現状だった。
 今日のお茶会だって、特に「幽香と二人きりで過ごしたい」というように念押しされたわけではない。例えばの話、華やかな幽香の家を借りて、友達みんなを呼び寄せてチョコの交換会を開催する……そういうことをしてしまう可能性も否定はできない。
 リグルならそういうことをやりかねない、と思えてしまうのが悲しい。お子様で、さらに朴念仁なのだ。特に恋愛面はことさら鈍い。
「とはいえ、約束をすっぽかす子じゃないのよね……仕方ない、探しますか」
 花に囲まれた幽香の家を後にして、空中へ飛び立つ幽香。
 この時点で、幽香の怒りゲージは十段階中で言えば一に届くかどうか程度でしかなかった。ほんの少しイラっとしているが、それよりもリグルを心配する気持ちの方が強い。
 今まで、自分で約束しておいて何十分も待たせるということはリグルには無かった。何かトラブルに巻き込まれている可能性もある。
 ともかく探してみればわかる――上空に浮き上がった幽香は、地上の植物たちへと意識を向ける。
「蟲の気配が強い方……あっちね。リグルの家の方向じゃない」
 風見幽香のみならず、強大な妖怪は皆、独自の感覚を持っている。それは世界を感じ取る力であり、同時に世界を意のままに操る力でもある。花を操る幽香は、特に植物の気配、感覚を敏感に感じ取ることができる。
 そして植物は常に蟲と触れ合っている。全ての植物が感じている、蟲からの刺激。それらを総合すれば、蟲の長であるリグルの居場所を察知する程度のことは造作もない。
 ちなみにこのことをリグルに話した時は「ええ……大妖怪ってそんなわけわかんないこと出来るもんなの」とドン引きされた。リグルとて成長すれば似たようなことができるようになるはずなので、この反応は甚だ心外であった。
 それはさておき。幽香が飛んでいくと、やはり順当にリグルの家の上空へとたどり着く。そしてやはり当然のように、リグルの家の前に、リグルの姿がある。
 あの子こんなところで何を油売ってるの、と思い、幽香は降り立とうとして。
「びぇぇぇええええええぇええええええええええええぇえええええええええええええぇぇえええええええええええ!!」
 天を貫かんばかりの泣き声が聞こえた。一瞬、リグルの声かと思いかけたが――違った。
 リグルの前にもう一人、小柄な少女の姿があった。
 メディスン・メランコリー。
 幽香もよく知る幼い少女が、あらんばかりの大声を張り上げて号泣していた。
 前から人間臭い子だなと思ってはいたが、あれほど感情を剥き出しにした姿を見るのは幽香も初めてだ。
「ええええええぇええええええぇえええええええん!! どうじでえええええええええええええぇええええええええ!!」
 大声で泣き叫ぶメディスン、彼女を前におろおろと困惑するリグル。
 慰めてあげたいけど、どうすればいいかわからない……そういう感情が、ありありと見て取れる。
 上空からそんな二人を見た幽香は、まずリグルを拘束するところから始めた。
「えっ、これ何……植物のツタ? ってことは幽香!?」
 足元から生やした植物でリグルの足を絡め取る。幽香の妖力が込められたツタだ、ちょっとやそっとで逃れられるものではない。
 リグルを逃げられなくしてから、幽香は悠々とリグルの側へと降り立った。
「ごきげんよう、リグル。楽しそうね?」
「こ、こんにちは幽香。いや、絶対に楽しくはない状況だと――ひぃっ!?」
 怯えたような悲鳴をあげるリグル。全く失礼な。幽香はただ――いつも通りの笑顔で、リグルを見つめただけだと言うのに。
「愁嘆場ね。私と会う約束をしたその日に、他の子を泣かせているだなんて……しかも相手はメディスン……リグルのくせに随分偉くなったものだわ」
「お、落ち着いて幽香……話せばわかるから……」
「そうね、話してもらおうかしら。もしも、その答えが気に食わないものだったら、幻想郷を滅ぼすからそのつもりでいなさい」
「落ち着いて! 頼むから!」
 幽香本人にしてみれば、充分落ち着いているつもりだった。怒りゲージ十段階中で言えば四、まだ冷静に話を聞く余裕はある。
 幻想郷を滅ぼす怒りとは十段階中九を超えたところからだ。その域に達した風見幽香は、妖怪という枠さえ飛び越えて幻想郷の全てを飲み込む災害と化す。もっとも、そうなる可能性は確かに否定はできないのだが、幽香自身も未だ経験したことがない未知の領域。滅多に起こるものではない、そのはずだ。
「びぇええええええええええぇぇぇええええええええええええぇええええええええええええええええぇええええええ!!」
 幽香がリグルに話を迫る間も、メディスンは泣き続けている。笑顔の幽香と号泣するメディスン、この二人に挟まれるリグルはたまったものではあるまい。
 ともあれ――リグルから話を聞くにしても、泣き通しのメディスンを放置するわけにもいかない。幽香もメディスンに対して思うところは色々あるが、何より単純に五月蠅くて会話もままならない。
「メディスン、あなたも少し落ち着きなさい。ほら、これ食べて」
 大口を開けて泣きわめいているメディスンの口に、ダイレクトにチョコを捻じ込んだ。
「びぇぇええええへぶっ!? むぐっ、何これ、甘い?」
「チョコキャンディー。お茶会用に作ったやつ、念のために持ってきておいて良かったわ。噛まずにゆっくり舐めなさい」
 食べ物を頬張りながら泣き声を上げることはできない。それにメディスン自身、素直な性格だ。言われた通りゆっくり飴を舐めていると、少しずつ落ち着きを取り戻してきた。
「ひくっ、えっぐ、ありがと、幽香」
「拭いてあげるからじっとして……リグル、あなたは説明なさい」
 ぐしゃぐしゃに濡れたメディスンの顔を、労わるようにハンカチで拭く幽香。何だかんだと、親しい相手には甘くなってしまう。
 だが、それも時と場合による。今の状況も、リグルの説明が納得の行かないものであったなら――
「えっと……今日、バレンタインデーでしょ? 幽香の家に行こうとしたんだけど、玄関を出たところにメディスンがいて……私に、バレンタインチョコを渡してきたんだけど」
「リグルがね、ひっく、受け取ってくれないの、私のチョコ……私、本気なのに……」
 リグルの後に続いて、メディスンが説明した。涙混じりの声音から、悔しさ、悲しさがにじみ出ている。
「リグル、あなた……本当にメディスンの乙女心を踏みにじったの?」
 怒りゲージが四から五に上がろうとするのを、幽香は抑え込んだ。ともかくも、ちゃんと話を聞いてから判断するべきだ。
「ひぇぇっ!? ち、違うの幽香。そのチョコ……私じゃ絶対食べられないんだって!」
「なんで……! リグルに食べてほしくて私、頑張って作ったのに!」
 また泣き出してしまいそうな様子で、メディスンが一歩詰め寄った。その手に、チョコらしき箱を持って。
 不器用ながらも丁寧に包装された箱。それを一目見て、幽香は納得した。一瞬で納得できてしまった。
 包装されていてもわかる、溢れんばかりの妖力が込められている。
「メディスン、それ……下手するとリグルが死ねるレベルよ?」
 びくん、とリグルの身体が恐怖で震えた。反射的に逃げようとしたのかも知れないが、未だツタの拘束から逃れられてはいない。
「大丈夫だもん……リグルはちゃんと、何でもしてくれるって言った。私、リグルのこと信じてるんだから」
 ああ。
 そのメディスンの言葉で、大体の予想がついてしまった。リグルはそういう、思わせぶりなことを言う。幽香も、それでリグルに乙女心を揺さぶられたことが何度あっただろうか……恥ずかしい記憶が蘇りそうになったが、それはひとまず置いておくとして。
「二人とも。もう少し、詳しく説明しなさい」



 リグルとメディスン、二人から聞いた話を総合すると。
 元々、二人は幽香の知らないところでも何度も会っていて、かなり親しくなっていたらしい。
 リグルは蟲の地位向上を目指しており、メディスンは人形解放を目指している。二人とも方向性は違えど共感するところは多く、苦労話を打ち明け合ったり、討論じみた意見交換をしたりして、互いに理解を深めていった。
 特にメディスンは、対等な友人を得る機会というのが今までなかなか無かった。新米妖怪のメディスンにとって、周りの妖怪は先輩であることの方が多い。交流を持っている永遠亭の面々についても、教えを受けに行く立場という面が強い。
 そんな彼女にとって、年齢で言うなら先輩ではあるものの、対等な目線で接してくれるリグルは得難い友人だった。自分の活動について共感を得られる、というのもメディスンにとっては初めての経験だ。
 また、メディスンにとってはリグルの配下の蟲たちの持つ毒も貴重なものだった。蟲を傷つけない範囲で、リグルから蟲の毒を分けてもらったことも何度もあった。
 互いに信頼を深めた上で迎えた、先日。屋台で酌み交わした、酒の席でのこと。
「ねえ、リグル。リグルはどうして、弱っちいのに頑張れるの?」
「メディスンはそういうことはっきり言うよね……どうしてって言われても、弱いから頑張るしかない、としか思えないんだけど」
「そう……ポジティブなのね。そういうの、私には無い強さだと思う」
「ただの開き直りだと自分では思うけど。メディスンは、ポジティブじゃないの?」
「人形解放は諦めてないけど、なかなか結果に繋がらなくて、ちょっと参ってるのかも。毒人形仲間は増えないし、永琳から教わる知識もいつになったら役立つかわからないものばかりだし」
 挫折とも言い切れない、小さなつまずきの積み重ね。その経験とどう向き合うかは、当の本人以外にはわからない。
 そんな時、近くに大好きな誰かがいてくれる、それが支えになってくれることもある。
「人形解放って、考えてみると壮大な目標だもんね。だから、めげずに続けてるメディスンは凄いって私は思う」
「リグル……本当? 私、ちゃんと出来てるかな?」
「ちゃんと、かどうかはわかんないよ。そんなの、私だって蟲の地位向上をちゃんと出来てる自信なんて無いし。でも、ちゃんとじゃなかったとしても、メディスンが頑張ってるのは確かでしょ。メディスンが目標に向かって頑張ってるのを見ると、私だって負けてられないなって思えるんだ。それに、頑張ってるメディスンのことを応援したいって気持ちも湧いてくるの。そういう意味では、私たちって、仲間であってライバルみたいなものなんだと思う。
 だから、一緒に頑張ろうよ。メディスンが頑張ってくれていれば、私もきっと頑張れるから」
「リグル……ありがとう。私、リグルと友達になれて、良かった」
「私だって、メディスンと友達になれて幸せだよ。困ったことがあったらいつでも言って。メディスンのためなら私、何でもするから!」
 あ、でも、私に出来ること限定だけどね、と酒で火照った顔で笑うリグルに。
 メディスンは泣きそうになりながら、何度も何度も頷いたのだった。



「あいったたたたたた痛い、幽香やめて、指でほっぺたをぐりぐり刺してくるのやめて地味に痛いから!」
「このっ……いたいけなメディスンによくもそんな……あなたつくづく自分の言動の迂闊さをわかってないわね、毎回毎回……!」
 怒りゲージは五を突破、嫉妬心もブレンドされて良い具合に燃え上がっている。ここまで来ると相手を痛めつけたい衝動に抑えが利かなくなってくる。
「な、何がいけないの? メディスンとはこれからも一緒に頑張りたいって、それを伝えただけじゃない」
「ええ、そうよね、本心からそういうこと言う子だって知ってるわよ……何がいけないかって? 教えてあげるわけないでしょ、今更教えたって後の祭りなんだから」
「ええー?」
 リグルが危なっかしいのはこういうところだ、としみじみ思う。 
 何事にも一生懸命、余裕が無くて失敗することも多いが、いつでもまっすぐに物事に取り組もうとする。そういうリグルだから、幽香も色々な意味で目が離せない。
 問題なのは、リグル自身が自分の言動に無自覚であること、そして視野が狭いことだ。自分が周りにどう影響を与えるか、どういう風に見られるかということを自覚していない。
 もっともそれは、自分の未熟さへの実感から来る自信の無さの表れであったり、人間たちから蟲を嫌う声を聞かされ続けた故の自己評価の低さの表れだったりもするわけだが。
「ちょっと幽香、あんまりリグルをいじめないで! 私の大事な相棒なんだから!」
 幽香に抗議の声を上げるメディスン。真剣な様子から、リグルに向ける感情の大きさが伝わってくる。
 以前に三人でお茶会を開いた時は、メディスンの前でリグルをいじめていても一緒に笑っていただけだったのに、変われば変わるものである。もっとも、その好意がどういう種類のものなのか、メディスンがその感情にどのくらい自覚的であるかはまだ怪しいところではあるが。
 もう一押しか二押し、何かきっかけがあれば、あるいは――
「さっきまで泣きじゃくっていた子がよく言うわね……それで、なんで毒入りチョコなの? まあ予想はつくけど」
「蠱毒よ! リグルを最強の毒虫にしようと思って!」
 蠱毒とは。
 一つの器の中に大量の毒虫を閉じ込め、互いに食い合わせて最後に残った一匹をより強い毒虫と化す術のことである。
 蠱毒には蛇を使うものや特定の蟲だけを使うものなど様々な種類があると伝えられている。共通して言えるのは「生き残った蟲が強い毒を獲得している」という点である。
「あの薬師の入れ知恵か……知識に罪は無いけど、偏った知識ばかりになっていないかしら」
「毒についてはいっぱい勉強してるわよ! 永琳は凄いわ。あの人、知らないことってないんじゃないかしら」
 そもそも興味が毒に偏っているのだから、知識が偏るのも当たり前なのかも知れない。
 ともあれ、その知識もまだまだかじりたて、にわか知識の域を出ていない。その点を言うなら、多量の知識を無理やり詰め込もうとしていないという意味で、あの薬師は長い目でメディスンの面倒を見ているのかも知れない。今はメディスンの気の向くまま、知りたいことや面白いことに触れさせて知的好奇心を育んでいる段階なのではないだろうか。
「リグルを最強の毒虫にして、今までにない毒を作れば、私もその毒を操れるようになる。私もリグルも強くなれるわ。二人とも、目標に向かって前進できるのよ」
 メディスン・メランコリーは毒の力で自我を持った毒人形だ。身体を動かす原動力は鈴蘭の毒で、それ以外にも様々な毒を操る能力を持っている。
 もっとも、彼女自身が知らない毒は操りようもない。その能力の使い道を含めて、メディスンは日々、永遠亭で勉強を続けているのだが……
 ――強くなれば目標に近付ける、と言い切ってしまうのも幼さか。強さは手段として有効だが、あくまで手段の一つでしかない。
 だが、向上心があること自体は悪くない。手始めに強さを求めることもまた、妖怪として成長するためには重要だろう。メディスンはまだ幼い妖怪だ。何でも手当たり次第にやってみればいい。
「まず大きな勘違いから指摘するけど、蠱毒は呪術であって化学反応じゃないわ。蟲を食い合わせるという過程無しでリグルの中に毒だけ詰め込んでも、蠱毒みたいに強い毒はおそらく作れないわよ」
「呪術? 化学反応……? 何が違うの?」
「方法が丸ごと違うのよ。呪術には呪術、化学反応には化学反応の、それぞれの過程があるの。さらに言うなら、呪術は術師の実力で過程や結果を変えることができる、対照的に、化学反応は固定のやり方しか通じなくて融通が利かない反面、知識さえあれば誰でも一定の結果を出せるという違いがあるわ」
 もっとも、魔法的アプローチと科学的アプローチは切っても切れない関係にあるので、両者を完全に分断して考えるのもナンセンスであろう、と幽香は思う。
 このあたりについては、魔法の森に住む魔理沙、アリスたちと一度討論会を開いてみたいものではある……が、それはまたの機会を待つこととしよう。
「反対反対、蠱毒反対! 勝手な人間が大昔に生み出した悪しき邪法だよ、もっと蟲の命を大事に!」
 抗議の声を上げるリグル。人間の術者たちが編み出した呪術、蟲たちにとっては命を弄ぶ邪法ということになるだろう。
「はいはい、別にメディスンが本物の蠱毒をやろうって言ってるわけじゃないでしょ。とりあえず……これ以上は長くなるわね」
 話を聞くうちに、幽香の怒りも落ち着いてきた。リグルの足元に視線を向ける。一瞥しただけで、リグルを拘束していた草のツタがするりと引っ込んでいった。
「私の家に行くわよ。チョコをどうするかも含めて、改めて話しましょう」

 /

「本題に入る前に……リグルはチョコ、持ってきてる?」
「うん。今渡す? じゃあ……はい、幽香のチョコ。いつも私のこと見てくれて、ありがとう」
 幽香の家。三人分のお茶を淹れたところで、リグルからチョコを渡された。
 リグルからの、日頃の感謝の想いが詰まったチョコ。一人で食べるにはやや大き目の、ハート型の包みを受け取って。
「……ええ。そうね、リグルならそんなところか」
「? 何が?」
「好きな相手とチョコレートを交換するイベントがあるから、チョコを食べながら私とお茶会すれば楽しいと思って今日約束していた……そんなところよね」
「うん! 幽香のお茶、大好き。いつも誘ってくれてありがとう!」
 そう、リグルならそんなところだと予想はついていた。わかっていた、わかっていたとも。バレンタインだからっていきなり甘酸っぱい展開になんかなったりしないと。
 それでも、もしかしたらという淡い期待があったこともまた確か……いや、今となっては過ぎてしまったこと。切り替えるしかない。
「こっちはメディスンの分。いつもありがとう、これからも一緒に頑張ろう」
「私の方はまだ受け取ってもらえてないから、なんかもやもやするけど……うん、ありがとう、リグル」
 幽香の不満には気付かない様子で、メディスンにもチョコをあげるリグル。どちらのチョコも手作りのようだ。愛情が込められているのは本当だろう。
 ……これからはもっと積極的な態度に出るべきか……いや、それを考えるのも、ひとまず後日にしておこう。今は本題に入る時だ。
「遠回りだけど、まずは前提から確認するわ。リグル」
「うん」
「さっきのメディスンのチョコ、あれを食べてもあなたは死なない。毒に対して過剰に敏感になっているわ。少し改めなさい」
「えっ!? でも、幽香もさっき」
「『下手したら死ぬ』とは言ったけど、それはあなたの調子の悪さや色々な不運が重なったら、というくらいの話よ。十中八九、どころかもっと高い確率で生き残る。せいぜい、死ぬほど苦しんでのたうち回る程度が関の山よ」
 もっとも、死の恐怖に対して敏感であることは、生物として優れているという考え方もある。そういう意味では、リグルが毒を恐れるのは長所の表れとも言える。
「いやいやいや、それも嫌だよ!? なんでそこまで苦しまないと――」
「ストップ。いったんそこで止まりなさい」
「!?」
「次。メディスン」
「ん、なぁに?」
 リグルの抗議を無理やり寸断して、今度はメディスンの方へ話をする。話したいことが多いのだ、サクサク進めないといけない。
「さっきは厳しいことを言ったけど……そのチョコ、かなりしっかりした配分で毒が混合されているようね。リグルが生きるか死ぬかのギリギリを見極めてある。頑張ったのね、偉いわ」
「そうよ! 私、すっごくすっごく頑張ったんだから! なのに、リグルが受け取ってくれないんだもの!」
「ええ。毒性の強さと効果をちゃんとわかっていないと、このチョコは作れない。今まで毒について勉強してきたこと、自分の能力を鍛えてきたことが生かされているのね。とても誇らしいことよ」
「そうよね、幽香ならわかってくれると思っていたわ! ありがとう、幽香!」
 メディスンの頑張りを褒める幽香、得意げに嬉しがるメディスン。暖かな空気が二人を包む。
 隣で、リグルが青い顔でドン引いていた。自分の生死を分かつチョコについての会話だ、そんな微笑ましい気持ちでは見られないのだろう。
「だけどね、メディスン。ごく低い確率かも知れないけど、リグルが死ぬかもしれない。そのくらいのチョコを、あなたは作った。そのことはわかってる?」
「そんなの……私は、リグルを信じてるもの」
「そういうことじゃないわ。リグルがもし死んだ時、あなたはその事実を受け止められるのか、と言っているの。もっと言うと、リグルを信じると言ったのだから、その信じたリグルが死んでしまったとして……リグルのせいにしないか。自分のチョコのせいでリグルが死んだとあなたは認められるのか、と言っているの」
「…………」
「わずかにでもリグルが死んでしまうかも知れないチョコ……本当に、その確率はあなたの望んだもの? そこに妥協は無かった?」
「……それ、は」
「『私はこれだけ頑張ったのだから、ほんのちょっとくらい失敗していてもリグルは許してくれる』……そんな甘えが無かったかしら」
 もしこれがただの料理であったなら、そのくらいの甘えはあっても良かっただろう。ほんの少し、普通のチョコ作りに失敗したとしても、それはどこにでもある普通の間違いだ。
 メディスンのチョコは違う、毒入りチョコだ。メディスンは普通の少女ではない、毒人形の少女だ
 自分の行動、価値観、自分自身の在り方……普通ではないことと、常に向き合わなければならない。それを、メディスンは学ばなければならない。
「リグル……ごめんなさい。私、リグルにチョコを食べてほしい、リグルなら食べてくれるって、それしか考えてなくて……」
「う、うん……その、私もごめんね、泣かせるような断り方しちゃってたのかも」
 リグルに謝るメディスン。二人とも未熟なところは多いが、事実を受け止める賢さも持っている。そんなところも、この二人が意気投合した理由なのかも知れない。
「メディスンがわかってくれたところで……リグルに話を戻すわね」
「え、うん、まだ何かあるの?」
 メディスンが謝ったところで、解決したものだと安心していたのだろう、リグルが怪訝な顔を向けてくる。
 甘い。本題はここからだ。
「もしもリグルが、ほんの少しでも苦しむのが嫌だって言うなら、この話はここで終わり」
「?」
「だけど……メディスンのためなら、少しくらいの苦しみは我慢できるって言うなら……メディスンのチョコを食べる、そういう選択もあなたはできるのよ」
「え……できるの? そんなこと」
「ほぼ死なないってさっき言ったでしょう。もっと言い直すなら……私が目の前で面倒を見てあげれば、確実に死なない、私が死なせないわ。毒の苦しみも、最低限と言えるレベルにまで抑え込んであげる」
「う、うう、それでも苦しいことは苦しいのね」
「完全に無効化すると意味が無くなっちゃうからね」
「意味? チョコを食べる、っていうだけじゃなくて?」
「ええ。メディスンの毒入りチョコを、毒のままで食べる意味。ただ、先に言っておくと、この苦労はあなたにとって、必須というわけではないわ。強くなりたいなら他に方法はある、メディスンと一緒に頑張る方法も他にいくらでもある。無駄ではないかも知れないけど遠回りな選択かも知れないし、意味を持たせたいなら今日だけじゃなく、今後もしばらくは続けていかないといけない。
 それでもやるって言うなら……無駄にはならないわ。どうする?」
 正直に言うと。
 幽香にはこの時点で、答えがわかっていた。きっとリグルなら。
「だったら……食べるよ。メディスンが私のために作ってくれたものだし……幽香のことは信じられるもの」
 本当に青臭い。妖怪が妖怪を信じる、だなんて。メディスンもリグルも、恥ずかしげもなくよく言えるものだ。
 しかしそれでも……実際に幽香はこうして、二人に手を貸してしまう。二人の青臭さに感化されたようで少し気恥ずかしい気持ちもあるが、この二人が見ていて飽きない相手だというのも確か。自分が楽しいと思える限りは、面倒を見てあげるのも一興だろう。
「メディスンの蠱毒案、蠱毒そのものとしては実現しないだろうけど……リグルを毒に馴染ませるというのは、実は悪くない話なのよ。蛍は元々、毒成分も持っているもの。リグル自身、毒虫としての素養はあるの」
「え、そうなの? リグル、毒虫としても強くなれるの!?」
「いや、ちょっと待ってよ幽香、メディスン。蛍の毒ってそんなに強くないよ? 強い毒を持つ蛍なんて、聞いたことないよ」
 蛍の毒は、せいぜいカエルなど、蛍を捕食する小さな生き物に作用する程度だという。
「過敏になりすぎるなと言ったばかりでしょう。『毒は天敵ではない』という程度に考えなさい。その上で……あなたは全ての蟲を統率する蟲の長として生きている。その中には毒虫たちも含まれている」
「そ、それは、そうだけど」
「リグル、あなたの使う光の弾幕……自分の妖力で蟲の動きを再現した弾幕。あれは良いものよ。自分の憶えている蟲なら何だって再現できる、そういう能力でしょう」
「うん、まあそんな自由自在に再現できるわけじゃなくて、練習が必要だけど」
「なのに、あなたが毒虫を弾幕として使うのを見たことがないわ。蜂、百足、毒蛾、毒蜘蛛……弾幕に応用できる蟲もいるでしょう」
「えっ、でも、毒を弾幕ごっこのルール内で表現するのって難しくない?」
「あなた、メディスンの前でそれを言う?」
 あっ、とリグルが虚をつかれたような声を上げてメディスンを見た。本当に、今まで毒を弾幕ごっこで使えると考えもしなかったのだろう。メディスンと交流を続けていたにも関わらず。
「今まであなたがその可能性に思い至らなかった理由は二つ。一つは、あなたの考えが単純だからよ」
「えっ、なんか、馬鹿にされてる?」
「思いっきり馬鹿にしていますとも。あらゆる蟲を再現できる、なんてとんでもない応用力を持っているのに、それを全然活かしきれていないのよ。弾幕への理解、自分の能力への理解、蟲たちの活かし方への理解。あなたはどれも、まだまだ足りていない。
 自分の未熟さを知り、その上で、今よりももっと自分を伸ばそうと考えなさい。弾幕ごっこは優れたツールよ、妖怪としての成長にも一役買ってくれるわ」
 風見幽香は、リグル・ナイトバグの妖怪としての可能性を高く買っている。見ればわかる。世界を感じ取る幽香にとっては、リグルの潜在能力を見抜くくらいのことは造作もないことだ。
 リグルを見ていると、歯がゆく思うこともある。自分の未熟さを知るのはいいが、だからと言って自分の可能性に蓋をしてしまうことはない。もっと背伸びをするべきなのだ。何度でも間違えて、何度でもやり直せばいい。真剣に挑み続ける限り、経験は全て糧になる。リグルならそれができるはずだ。
「もう一つは――やっとここに話が戻ってきたわね――毒に馴染みがないからよ。リグルは毒虫を操れるのに、毒そのものに苦手意識がある。実際今までも毒からは逃げてきたでしょう。だから、毒虫の操り方も他の蟲より馴染みが薄い」
 リグルが毒を苦手に思ってきたのは、自分が「弱小の蟲だから」という意識から来るものだろう。弱い蟲であるのなら、命の危険は可能な限り避けなければならない。蛍としてはそこまで間違いではないし、事実としてリグルは妖怪としても弱小だ。
 しかし、蟲の長の立場にある者が「蟲としてさえ弱小だ」と思い込むのはおかしい。蟲の世界にも弱肉強食はあり、中には弱い蟲を食らう者もいれば、毒で攻撃する者もいる。そして、それら全ての頂点にリグルは立っている。
 リグルは強く在るべき妖怪だ。そして、リグル自身も強く在りたいと思っている。
 なら、幽香は背中を押すだけだ。
「だから話は簡単なのよ。毒を身体で覚えれば、毒虫を操るのも上手くなるわ」
 言いながら、幽香は大きめの箱を取り出した。リグルが幽香にあげたチョコよりも、さらに二回りほど大きい。
「お茶会用に用意して良かったわ、今回の目的にぴったり」
「うわ、綺麗」
「幽香が作ったの、これ? 凄い!」
 箱を開けると、中から出てきたのはチョコレートケーキ。小さめサイズのワンホール。
 チョコを使った表面の細工も細かく仕上げてあり、我ながら出来栄えには自信があった。リグルとメディスンの感嘆の声を聞いて、幽香は内心でほくそ笑んだ。
「リグル、あなたは自分の可能性をもっと意識しなさい。あなたの可能性は即ち、蟲という種族全ての可能性よ。なら、あなた自身が毒虫としての力を獲得することも十二分に考えられるわ。
 リグル自身が毒を操れるようになれば、メディスンと協力できることもさらに増えるでしょう。毒虫からの毒の収集も、今までより効率的になるでしょうね。
 それどころか、その力で毒虫たちにさらに強い毒を持たせて、蟲という種そのものを強化することもできるかも知れない。生態系が進化すれば新たな毒虫も生まれる、メディスンにとっても大きな収穫になるわ」
「ほ、本当に? なんか、適当言ってない?」
「テキトーに言ってるわよ。私は蟲の妖怪じゃないもの、そんな詳しくはわからない。蟲という生態系は膨大よ、そこまでわかるものですか。
 それでも、今目の前にいるリグルのことはわかる。リグルならもしかしたら――そう思うから、言っているのよ」
 そして幽香はおもむろに、チョコレートケーキに手を伸ばして。
 指先でケーキをつまみ、端っこをえぐりとった。
「えっ」
「まずはこのくらい、かしら」
 フォークも何も使わず、指でつまんだケーキのかけらを。
 リグルの目の前に、差し出した。
「舐めなさい」
「…………えっ」
「舐めなさい、と言っているのよ」
 有無を言わさぬ様子の幽香に、目を白黒させるリグル。
 今更後悔しようと、もう遅い。幽香を信じると言ったのはリグルのほうだ。信じたからには、責任を取って言うことを聞いてもらおうではないか。
「え、いや……なんで、その、指から?」
「私の妖力で生成した解毒薬と体力増強剤を、ケーキに沁み込ませているわ。メディスンのチョコの毒とちょうどいいバランスになる量にしたいから、指から直接沁みこませる方が調整がやりやすいのよ」
「いや、でもでも……なんかこれ、別の意味が発生してない?」
「どうでもいいでしょう、そんなこと。今更、後に引けると思っているの? あなたが取れる選択肢は二つ。舐めるか、諦めるか。さあ、どうするの?」
「う、うう……」
 選択を迫られているリグル自身、何が恥ずかしいのかわからないまま、それでも恥ずかしそうにしながら――
 口を。
 幽香の方に、近付けていって。
 口から、控えめに舌を、伸ばして。 
 てらてらと濡れ光る鮮やかな赤色が、幽香の指先のケーキへと近付いていって――
「あ、あむっ」
「んっ……そうよ、ケーキを舌で溶かしながら、少しずつ飲み込みなさい」
 前歯と舌が、幽香の指先に当たる。ケーキを溶かそうと、リグルの舌がおずおずと申し訳なさそうに動く。
 生暖かい舌の感触が、幽香の指先を這い回る。
「くちゅっ、ちゅっ、ん、んっ」
「ふふっ……いい顔ね、リグル。私の指に健気にかじりついて……顔が赤いわ、恥ずかしいの? でも駄目、許してなんてあげない」
 今、リグルの口の中では、複数の味が混じり合い、独特のハーモニーを奏でているはずだ。
 チョコケーキの味、幽香の指の味、幽香の妖力から生成された薬の味、幽香の妖力そのものの味……
 それが美味かどうか感じる余裕も無いまま、言われるままに、幽香の指に舌を這わせ続けて――
「っちゅ、ふうっ」
「っ……はい、よくできました」
 十秒ほどだっただろうか。濃密な時間が過ぎ去り、リグルが口を話した。
 ケーキは無くなり、後には濡れそぼった幽香の指だけが残っている。
「じゃあ、次はメディスンね。チョコレート、一口サイズずつリグルにあげなさいな。リグルが意識をしっかり保てる、ちょうどいい量の毒が回るはず。今日からこれを定期的に続けて、リグルの身体に毒の組成と効果を覚えさせるわよ」
 内心では余韻に浸りながらも、平静を装って、幽香はメディスンに促した。
 メディスンは……こちらも言われるままに、自分のチョコレートを取り出す。箱を開けると、元から一口サイズに作ってある手作りチョコが姿を現した。星型、花型、ハート型など、色々な形のチョコが詰まっている。
 そんなチョコを、メディスンは……どこか、ぼうっとした様子で、一粒つまんだ。
「えっと……メディスン? チョコ、私にくれるんだよね?」
「うん……」
「じゃあ、ちょうだい?」
「はい」
 そう言って、メディスンが、ハート型のチョコをリグルの前に差し出して。
 リグルが、手を伸ばしてチョコを取ろうとすると。
「……駄目」
 受け取る前に、メディスンがチョコを引っ込めた。
「えっ?」
「幽香ばっかり……ずるい。私も、したい」
「え……いや、幽香のは、仕方なくやったことで、別にメディスンの指から直接食べる必要は――」
「リグル……私のチョコ、食べてくれるんだよね」
「う、うん、だから、渡してくれさえすれば……」
「駄目。ちゃんと、私の指から食べて……はい、あーん」
 ずい、とリグルの目の前に、メディスンの指につままれたチョコが突き出される。
 そんな必要はないはずなのに――有無を言わせない様子のメディスン。その表情は、何かをこらえているような――たくさんの感情が溢れだしそうになるのを、ぐっと我慢しているような顔。
 メディスンの様子に気圧されたのか。差し出されたチョコに、リグルが顔を近付けて。
 チョコレートを、口で受け取った。
「ん、むっ」
「ちゃんと、口の中で溶かして……噛まずに、舐めて」
 リグルがチョコを口に入れても、メディスンは指を離さなかった。口の中へと、指を差し込んでいく。
 固形のチョコを、舌の体温で溶かしていく。押し付けるように舌を動かすと、メディスンの指も舐めてしまう。
「ん、ん、ちゅ、んん」
「リグル……美味しい? 私が作ったチョコ、味わってくれてる?」
「ん、んん、くちゅ、じゅっ」
「んっ、吸いついてくる……リグル、凄い……」
 毒入りチョコが口の中で溶けていく。メディスンの指を吸って、毒を飲み込んでいく。
 初めて経験する刺激に、メディスンが声を漏らす。ぞくぞくと、背筋から全身に震えが走る。
「っ、ぷはっ」
「あ……もう、食べ終わっちゃった……」
 リグルが口を離す。解放されたメディスンの指が、名残惜しそうに残される。
 残念そうなメディスンとは対照的に、リグルはいっぱいいっぱいだ。赤らんだ顔は、羞恥と切なさが溢れだしそうになっていて――
 ――どくん。
「っ!?」
 不自然に、リグルの胸が跳ねた。
 動悸は一度では止まらない。二度、三度と立て続けに打ち鳴らされる。
「つっ、あっ……ゆ、幽香、これ……毒の?」
「効果が出るの早いわね。それに、反応も大きい……案の定、か」
「これ、本当に、最低限の苦しみ、なの?」
 身体を震わせながらも、まだギリギリ耐えられているのだろう。しっかりした視線で幽香に問いかける。
「さっきメディスンから、毒が漏れてたわ。感情が昂ると能力の抑えが利かなくなるのね」
「あう、ごめんなさい、リグル……大丈夫?」
「もちろん大丈夫よ。そもそも、まだチョコも一粒しか食べてないじゃない。全部食べるとこまで行かないと、リグルの致死量までは行かないわ……ほら」
 幽香の示す通り、リグルはまだ倒れるところまでは行っていない。息を荒げながらも、椅子に座ったまま苦しみに耐えている。
「次は気を付けなさい、メディスン……ほら、リグル。解毒薬の配分増やしてあげるから、頑張りなさいな」
 幽香が指に、次のケーキを差し出してきた。苦しみを和らげたいリグルは、むしゃぶりつくように指へと舌を伸ばす。
「こら、がっつかないの。ゆっくり、少しずつ吸収した方が効率いいんだから、焦らないで」
 幽香の助言に、できるだけ従おうとはするものの……身体が幽香のケーキを求める。ごくん、ごくんと、時間をかけずにケーキを飲み込んでしまう。
「ケーキ終わった? じゃあこっちね。はいリグル、次のチョコレート。今度は鈴蘭型よ。今度は毒を漏らさないから、安心して」
 ケーキがリグルの身体を癒す。間を置かずに、メディスンのチョコが差し出された。
 毒だとはっきりわかってしまったものを、自分の意思で食べるのは勇気が必要だが――もう決めたことだ。迷いなく、リグルは食らいついた。
 歯を立てず、じっくりと口の中でチョコを溶かす。メディスンの指を、なるべく刺激しすぎないように。優しく舌を動かしながら、チョコを飲み込んでいく。
 そうして、二つ目のチョコを飲み込んだ時には……リグルの身体は、少しずつ落ち着きを取り戻していた。
「あ……解毒薬、効いてきたのかな? ちょっと楽になったかも」
「……薬の即効性もあるけど、それよりも、リグルの適応力の高さが大きいわね。早くも毒に慣れてきて、抵抗のやり方を覚え始めているわ……よし、調子のいいうちにどんどん行きましょう。食べるほど毒は増えていくんだから、気をしっかり持って挑みなさい」
「リグル、頑張ってね。危なくなったら、絶対助けてあげるから……」
「ほら、次のケーキよ」
「はい、その次のチョコよ」
「ふ、二人とも、ちょっと待って!」
 次のケーキとチョコを差し出してくる二人に、リグルが声を上げる。ここに来てようやく――いや、そもそも何故今まで気付かなかったのかという話かも知れないが――リグルは、恐ろしいことに気付いてしまった。
 先ほどメディスンが開いた、チョコレートの箱を見る。
 今までに食べたチョコが二個、メディスンが持っているチョコが一個。そして――箱の中には、残り二十四個のチョコが残っている。
「もしかして――もしかしてこれ――メディスンのチョコを、全部食べきるまで続けるの!?」
「当然でしょ。最初から、メディスンの毒を全部食べる前提で進めてたんだから」
「い、いやいやいやいや……こ、こんな恥ずかしいのが何度も、だなんて……せめて、指じゃなくてフォークとかで……」
 最後の悪あがき。毒の苦しみを覚悟することができても、指からケーキとチョコを舐めとる恥ずかしさまでは許容できないのだろう。
 もちろん。
 そんなリグルの恥ずかしさなど、幽香の知ったことではない。いや、それどころか。
「馬鹿ね、今更逃がすわけないでしょう? 最後まで、羞恥に悶え苦しみなさい。全部、メディスンと一緒に見ていてあげるわ」
 リグルが恥ずかしがるほど、幽香にとっては面白いに決まっているのだ。
 幽香だけではなく、メディスンも――慌てふためくリグルの様子を、食い入るように見つめている。
 とっくに逃げ場は無くなっていた。チョコを食べると決め、幽香を信じると言った以上、リグルは逃げるわけにはいかない。
 ずい、と幽香とメディスンの指が迫る。二人の指の上には、美味しそうなケーキとチョコレート。
 観念して、リグルは口を開いた。とろけるほどに甘い時間は、まだ始まったばかりだった。

 /

 小一時間ほど、経っただろうか。
「ねえ、幽香。聞きたいことがあるんだけど、いい?」
「いいわよ。今は気分がいいから、大抵のことは答えてあげる」
 幽香とメディスンは、二人でティータイムを楽しんでいた。幽香が用意したチョコケーキはまだ残っており、他にもチョコキャンディーを始めとして色とりどりのお菓子を用意している。
 二人の後ろ、離れたところのソファでリグルは寝そべっていた。「う、うう」「駄目、それ以上は」などとうわ言を言いながらぐったりしている。毒の摂取と回復を何十回も繰り返した今、心身ともに限界を来たし、完全に意識を失っていた。
「もしかしてだけど……幽香がケーキで解毒薬を食べさせる必要って、無かったんじゃないの?」
「あら。その心は?」
「だって……私のチョコって、全部食べてようやく、リグルの致死量に届くかどうかだったんでしょ? だったら、別に全部今日のうちに食べなくても、何日かに分けて食べればそれで良かったんじゃないかなって」
 実のところ、そこまで単純な話でもない。
 幽香がいないところで、リグルが勝手に自分の判断でチョコを数日に分けて食べたとして。毒の致死量は、本人の体調――妖怪の場合は特に「心の調子」によって左右される。さらに言うと、毒と他の何かを一緒に食べて、食べ合わせの悪さで劇的な効果が出る恐れもある。
 幽香でなくても、信頼できる誰かが監督する必要はあっただろう。しかし、そうだとしても。
「メディスンは頭がいいわね」 
 リグルに手ずからケーキを食べさせる必要は、やはり無かった。
 合理性だけで言うのならせいぜい、バレンタインというイベントにかこつけて、リグルを毒に馴染ませるのを手早く進めてしまおう、という程度の意味しか無い。それについても、今後も継続的にリグルに毒を摂取させようという話なのだから、その日数が数日狭まったところで大した意味は無い。寿命の短い人間たちなら別かも知れないが、自分たち妖怪には長い時間がある。そこまで優先することでもないだろう。
「じゃあ……どうして?」
「どうしてだと思う?」
 我ながら意地が悪いと自覚した上で、幽香は聞き返した。
 メディスンは、バツが悪そうに視線を逸らして――もう一度幽香へと視線を戻して、おずおずと口に出した。
「私の、その……リグルへの気持ちに、気付かせようとした、とか?」
「……ふふ。そう言うからには……気持ちに気付いた、ということでいいのかしら?」
 ――勿論。そういう意図もあった。 
 リグルの家の前での一幕を思い出す。もう一押しか二押しで、自分の気持ちがどういうものか気付いてしまうかも知れないというのなら――いっそ、気付かせてしまえばいい。
 幽香はリグルのことも気にかけているが、メディスンのことも気に入っている。二人への好意の種類はそれぞれ違うものだが――メディスンが誰かを好きになるのであれば、それを応援したいというのも偽らざる本音だ。
「ううん、それは……まだ。私が気が付いたのは、幽香の行動が、そういう意味があるのなら納得できるっていう……そういう推測だけ。私自身がリグルのことをどう思ってるのかは、まだ、わからないわ」
「あら。そういう意味の好きかどうか……まだ、わからない?」
「だって、私、まだ他の人間や妖怪とそんなに話したことがないんだもの。リグルへの気持ちが、リグルだけに感じるものなのか、他の誰かに感じるのと同じものなのか……そもそも、私がリグルのことを想うのが私にとってどれくらいの大きさなのかも……何も、まだわからないの」
 ああ。本当に頭がいい。
 メディスンは幼い妖怪だ、幽香は今までずっとそう思っていた。それは間違いではないだろう、しかし。
 幼いなりに、ちゃんと考えて、今まさに成長しているのだ。
「そう。それで、どうするの?」
「もっと考えるわ。リグルと一緒に過ごして、他の人間や妖怪とも話してみて、それで――リグルとどうなりたいのか、わかるまで、考えてみる」
「そうね、いいと思うわ。好きにすればいい。私たちはいつだって、なんでも自由にできるのだから」
 何でもできる、とは言ったが――こうして未成熟な自分と向き合い、成長していくのは、幼いゆえの特権ではあるだろう。今の幽香には無いもので、少し羨ましい気もする。
「でも、幽香はそれでいいの? 私がもしリグルを、そういう意味で好きになっちゃっても。だって幽香のほうこそ、リグルのこと」
「ええ、好きよ。まだ『どのくらい好きか』は自分でもはっきりわかっていないけど――『そういう意味で好き』って、ちゃんと意識しているわ」
「なら……どうして、私のこと応援してくれるの?」
「そうね、いくつかあるんだけど……」
 幽香は基本的に、感情と感性のままに生きている。思考がいつでも論理立っているわけではないので、自分の感覚を言葉にしようとすると、むしろ迂遠になってしまうことがある。
 この辺りは幽香のみならず、妖怪がそれぞれに独自の感性を持っていることにも由来している――
 ――いや、もしかしたら、妖怪に限った話でもないのかも知れない。人間、妖怪問わず、少女とはそういう生き物なのではないだろうか。
「同じ相手を……リグルのことを、私もメディスンも好きになってしまったのなら、私たちは恋敵よね?」
「うん、もし私が自分の気持ちをそうだって認めたら、そうなるね」
「はっきり敵だとわかった方が、気持ち良くない? 遠慮なく叩き潰してよくなるんだから」
「…………恋愛って、そんな風に考えるもんなの?」
 極めて暴力的な幽香の意見に、メディスンは呆れたような声を上げた。経験の浅いメディスンだが、さすがに幽香の意見を一般的なものとは思わないだろう。
「他の子の考え方なんて知らないわよ、私にとってはそうだってだけ。それと、後は……私は、リグルのことは勿論好きだけど、メディスンのことも好きなのよ。好きの種類は別だけど」
「? ありがとうって言っていいのかしら。それがどうしたの?」
「好きな子を正当な理由で正面から屈服させられるのよ、そんなの気持ちいいに決まっているじゃない」
「えぇ…………」
 幽香としては、素直に自分の心を明らかにしただけに過ぎない。そんな、唖然とした顔をされるのは心外だった。
「そこで引かないでよ、ちゃんと真面目に答えてあげてるのに」
「無理よそんなの、引くに決まってるじゃない」
「違うのよ、どうでもいい相手ならこんなこと思わないわ。相手がメディスンだからそう思うのよ」
「そんなこと言われても……常日頃から『いつか叩きのめしてやりたい』とか思われてたとしたら、幽香との付き合い方を考えたくなるんだけど」
「そんなことは無いから安心しなさい。なんて言えば伝わるかしら……えっとね。メディスンがリグルを好きになったとして、私はその気持ちを大切にしたいの。同じように、私がリグルのことを好きな気持ちも、メディスンにわかってほしいのよ」
「それは……たぶん、嬉しいと思うし、私も同じ気持ちになるかも知れないけど」
「互いにリグルへの気持ちをわかった上で、リグルのことだけは譲れない。だから、全力になるしかないの。相手がどれだけ本気で好きかをわかっているなら、こっちだって絶対に手を抜けない、そんなことをしたらリグルを取られてしまう。相手の気持ちをわかった上で、絶対に負けない、全力でリグルを振り向かせる。そう、これはつまり――」
 話しているうちにようやく、理想が形になってきた。こんな恋であれば良いという、一つの憧れの形。
「つまり、決闘なのよ。メディスンのことを認めて、メディスンの気持ちを認めた上で、完膚なきまでに勝利する。メディスンなら、そんな素敵な恋敵になってくれるんじゃないかって……そんな決闘を楽しめるんじゃないかって。そう思ったから、応援するのよ」
 メディスンにとって、それは初めての体験だったに違いない。まじまじと、目を丸くして幽香を見上げている。
 幽香にとっても、新鮮だった。自分がメディスンを、恋敵として対等に見る日が来るかも知れない――そうなってほしいと思えるようになるだなんて。今日という日が来るまでは、思いもしなかった。
「……うん、そっか……ありがとう、幽香。何となく、わかってきたと思う」
「恋愛に限ったことじゃなく、何だって楽しくやりたいのよね。これが私の楽しみ方なのよ。メディスンはメディスンの楽しみ方を見つければいいと思うわ」
「私は……恋かどうかもまだわからないけど。もし、自分の気持ちが何なのかわかったら、ちゃんと幽香には教えるわ。その時はきっと、宣戦布告させてもらうから」
 ほころぶように笑うメディスンは、幽香の目から見ても輝いていて。
 恋に目覚めるのもそう遠くないのかも知れない。そんな予感を感じさせてくれる。
「……でも、本当にまだわからないの? だって、リグルにチョコを食べさせてる時のメディスンの顔。完全に夢中だったじゃない」
「あ、あれは! だって、リグルがずるくない? あんなの……いくら何でも無防備すぎるわよ」
「それはそうね。でも、楽しかったでしょう? リグルと一緒にいれば、こんな機会はいくらでもあるわ。大体、今日解毒薬入りケーキを食べさせるように仕向けたのだって、私がそれを楽しみたかったからだもの」
「えっ……さっきまで感動してた私の立場が無いじゃない!」
「私を誰だと思っているの? メディスンの気持ちを応援したいというのも、恋敵として一緒に恋愛がしたかったというのも、リグルをいじめたかったからというのも、全部本当。何だって望むし、我慢なんてしないわ。
 だから、もしリグルのことを好きになったのなら……覚悟しておきなさい、メディスン。リグルと一緒に、あなたも振り回してあげるから」
 風見幽香は笑う。傲慢でありながら艶やかに。
 親しくなったリグルやメディスンに親身になったとしても、行動原理はシンプル。幽香は、幽香の望むままに生きているのだ。
「うわ……心配になってきたわ。私のこともそうだけど、リグルのことも……これからずっと、幽香と一緒にいるんだって考えると」
「そうは言っても、リグルのことは好きだもの、そんな簡単に台無しにはしないわよ? いっそめちゃくちゃにできたら素敵だなって気持ちはあるけど、それは後の楽しみよね。まずはじっくり愛でて少しずつ楽しまなくちゃ」
「わ、私が守るわ。大事な相棒だもの、幽香の思い通りになんかさせないんだから」
「本当に? 今日みたいに、一緒にいじる側に回らないって言い切れる? いじめられてる時のリグル、可愛かったでしょう。あなたに我慢できるかしら?」
「むむむ……り、臨機応変に考える。やりすぎは良くないわよ。でも、リグルが悲しまない範囲でなら……ちゃんと見極められるように気を付けなくちゃ」
「せいぜい頑張りなさい。何でも、あなたの好きなようにね」
 穏やかに談笑しながら、お茶会を楽しむ。皿に残ったチョコケーキ、最後のひとかけらを頬張った。
 リグルに何度も食べさせた、ケーキの味。次は何を作ってあげようか、どんな目に遭わせてあげようか。
 次々と想像が膨らんでいく。愉快な毎日は、これからもずっと続いていきそうだった。
今日は二月十四日だと言い張る勇気が欲しい。
リグルたちがいちゃいちゃする話を書きたいと思い立ち、バレンタインデーに向けて書き始めたのが二月初めの頃。そこから紆余曲折を経て、今になってようやく完成しました。
自分の書きたいものをこれでもかこれでもかと注ぎ込んだので、それなりのボリュームになりました。

ここまでお読みいただきありがとうございました。ほんの少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。



東方新作、まさかの本家STGの方も発表されました。剛欲異聞の方もずっと待っていました。どちらもとても楽しみです。

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面白かったです
リグルと共に前に向かって進んでいこうとするメディスンが素晴らしかったです
計画も具体的でとてもえらい
甘酸っぱい展開なんてあるわけがないと思いながらも一滴の期待を捨てきれなかった幽香も乙女でかわいらしかったです
9.100名前が無い程度の能力削除
甘くてまさにバレンタインって感じがしました。とても良かったです。メディスンの幼さがいい味出してますね