「――好きになってもらうためには、どうすればいいと思う?」
唐突だが、ナズーリンは牛崎潤美を敬愛している。尊敬し、親愛の情を持っているという意味だ。
無縁塚に引っ越してきてからというもの、何かと世話を焼いてくれた恩人であり親友。無縁塚と三途の川、住んでいる場所が近所だからという縁から付き合いが始まり、交流を重ねてきた。今や彼女に向ける信頼は、揺るぎないものになっている。
出会ってからまだ一年と経ってはいないが、時間の短さはさほど重要ではない。重要なのは互いに向き合い、知り、認め合うことだ――付き合いを重ねた上で、潤美は信頼できる妖怪だと、ナズーリンはそう思ったのだ。
それは、今も――潤美から向けられる情の意味が変わった今においても変わらない。ナズーリン自身はそう思っている。
牛崎潤美は、尊敬に値する親友だ。
「ねえ、ナズーリン、聞いてる?」
「ああ……いや、もしかしたら聞き間違えたかも知れない。もう一度、言ってくれないか?」
「ええ? 結構恥ずかしい話なんだけど……しょうがないね」
そうして、恥じらいに染まった視線を向けながら……潤美は、もう一度その言葉を告げた。
「ナズーリンに私を好きになってもらうためには、どうすればいいと思う?」
尊敬に値する親友だ、そう思っているんだけどなぁ。
親友の妄言に呆れながら、ナズーリンは首を傾げた。
「潤美……いくつか確認させてくれないか。まず、君は牛崎潤美だ。間違いないね?」
「何を言ってるんだい、もちろん牛崎潤美だよ。私が大入道にでも見えるのかい?」
「うちの入道と力比べする潤美も一度見てみたいものだが、まあそれは置いておいて……うん、君は潤美だ」
何故こんなところから確認しなければならないのか――とナズーリン自身が疑問に思ってはいるのだが、それでも確認せざるを得ない。
「では次に。私は誰だ?」
「ナズーリンでしょ? 私が好きなナズーリンだよ。私がナズーリンを見間違えるはずないじゃないか」
そう、つい先日のこと。潤美は、ナズーリンに告白した。
ナズーリンのことを好きだと、恋をする相手として愛していると、はっきりと伝えたのだ。
残念ながら、この告白をナズーリンは受け入れられず、友達のままでいたいと言ったのだが……潤美は、それでも諦められないと、今もナズーリンを好きだと言い続けている。いつかナズーリンに自分を受け入れてもらえるようになるまで、ずっと好きだと言い続けるのだと。
そんな潤美に、思うことは多々あるのだが――それはさておき。
「そうだね。私はナズーリン、そして君は潤美だ。それで、さっきの質問は?」
「もう一回言えって? え、何これ、なんか私を恥ずかしがらせて困らせるとか、そういう遊び?」
「違う、断じて違う。君が恥ずかしいなら私から言い直すが……今、潤美は『ナズーリンに潤美を好きになってもらうにはどうすればいい』と、この私、ナズーリンにそう言った。間違いないか?」
「そうだよ……おお、相手に言い直されるのも、また別の恥ずかしさがあるね。照れる……」
そうか、やはり間違いないのか。
恥ずかしがる潤美を尻目に、ナズーリンは嘆息した。一拍の間を置いてから。
「君は実に馬鹿だな」
万感の思いを込めて、ツッコミを入れた。
「ひどい!? え、なんでいきなり罵倒されたんだい?」
「わからないのか? そうか……本格的に馬鹿だな? 潤美が私を口説くための方法を、どうして私に質問したのかって言ってるんだ」
ツッコミを入れながらも――ただ馬鹿なだけではないだろう、とはナズーリンも思う。そもそも、ナズーリンの知る潤美は決して馬鹿ではない。むしろ聡明な妖怪だ。
実際に会話を重ねればわかる。こちらが話したことに、潤美はしっかりとついてきて彼女なりの感想を返してくる。ナズーリンとしっかり会話を噛み合わせて、時には潤美なりの知見を伝えてくる。相応の頭の良さがあり、相手と向き合うことで成立する会話の噛み合い。この会話の心地良さもまた、ナズーリンと潤美が親友になれた理由の一つだ。
ちなみに、これが「頭が良すぎるやつ」が相手だった場合、それぞれ独自の論を勝手に展開してしまい、やはり会話は噛み合わなくなる。幻想郷にはそういう輩が割と多いのだ。代表的なのは魔法の森の近辺に住む古道具屋の店主だろう。あの男は頭の良さの使い方を盛大に間違えている――閑話休題。
「だって、ナズーリンって頭がいいだろう?」
「潤美より頭がいいかと言われるとそこまでの自信は無いがね」
「いやいや、私よりは絶対頭いいって」
「まあ、ここで譲り合うと話が進まないからひとまずそれで良いとするよ。それで、私が頭が良かったら何だって言うんだ」
「だから……恋愛のことも、私よりわかってるんじゃないかって、そう思って相談したんだよ」
「それが理由だとしても納得するにはちょっと弱いな……その、君が好きな相手って私なんだぞ? いくらなんでも、と思わないか?」
平静を装った風に受け答えしてはいるが。
ナズーリンとて、身近な相手に好意を向けられること自体は悪い気はしていない。むしろ嬉しいのだ。むずむずとくすぐったくなる内心を、何とか押し隠している。
好き、という言葉には問答無用の力強さがあるように思う。それを、最近は毎日のようにぶつけられている。
何も考えずに潤美と結ばれてしまえば、それは幸せなことなのではないか――そんな風に思うことだって、あるのだ。
「いや、でもさ。ナズーリンならちゃんと相談に乗ってくれるんじゃないか、って期待の方が勝っちゃって……現に、こうしてちゃんと話を整理して聞いてくれてるし」
「しかし、要は恋愛相談だろう? わざわざ私本人に聞かなくたって……他に相談できる相手はいないのか?」
潤美に友達が少ないとは思えない。初対面の頃だって、ナズーリンに積極的に話しかけてきたのは潤美の方だ。最初は尻込みしていたナズーリンの警戒を解き、短い間に親友になるにまで至った。彼女のコミュニケーション能力は非常に高い。
「友達いないってことはないけど、恋愛相談できるほどの友達は……強いて言うなら死神の小町くらい?」
「あの船頭か、博麗神社の宴会で見かけたことがあるね。確かに話しやすそうな相手だ」
「私は逆に神社の方には縁が無いね。基本、あの神社って巫女にぶっ飛ばされた妖怪が集まってるって聞くけど、私はまだそういうことになったことないから」
ナズーリンたちが聖白蓮の封印を解くために動き、それを異変とみなされて霊夢たちに退治されたのが去年の春の話。今は年が明けて、本格的に冬が深くなってきた頃だ。
「ふうん、あの巫女は基本的に異変解決時以外はぐうたらだからね。何かしらの異変が三途の川や地獄あたりであれば、知り合うこともあるんじゃないか……まあ、それは置いておこう。
候補がその死神だけっていうのも意外だね。君はもっと交友関係が広いと思っていたよ」
「友達は他にもそれなりにいるけど……ほら、基本的にみんな妖怪だからね。恋愛相談ってことになると、話が噛み合う相手は限られるさ。例えばの話、水子霊にそんな話をしてもどうしようもないだろ?」
「あー」
水子霊を挙げられては納得せざるを得ない。
「それに、ナズーリンと私って、まだ付き合ってはいないだろ?」
「そうだね。一度は告白を断られているのに未来に希望を持てる君の執念深さが怖くなることもあるんだが……それが?」
「付き合ってないのに、私がナズーリンのこと好きだってこと、あんまり周りに言いふらすのもどうなんだろう、って思っちゃってさ」
それを聞いて。
「そうか……そうか、そうだよな……君は、そういう風に気を使ってくれるんだよな……!」
ナズーリンは、泣き出したくなってしまった。感動と悲しさと諦めが、胸の中で渦巻いて溢れそうになる。
「ど、どうしたのナズーリン」
「いや……ご主人がさ……あっさり寺のみんなに喋ってしまって……」
「え」
「そうだった、そのことを報告してなかったよ、潤美にとっても他人事じゃないのに……命蓮寺の信徒たちみんなに、潤美と私の話が伝わってしまったんだ。本当に、うちのうっかり毘沙門天代理が申し訳ない……」
そう。先日、潤美がナズーリンに告白をして――そこまでならまだ良かったのだが、それをナズーリンの上司、寅丸星に知られてしまったのだ。
さらに、追い打ちで星は二人を一方的に祝福し(まだちゃんと付き合い始めたわけでもないというのに、である)、二人のことを寺の仲間たちに話してしまった。今、命蓮寺ではナズーリンと潤美の話題が熱い、沸騰中と言ってもいい勢いだ。
「おお……さすがに驚きだね。そっか、私の知らないところでそんなことになってたのか」
「私が謝ってもどうにもならないことだが、本当にすまない……」
「いやまあ、ちょっと恥ずかしいけど、悪く言われてるわけじゃないだろうしさ。お寺にはいつか行ってみたいとは思ってたし、遅かれ早かれ知られることだったんじゃないかな。うん、そんなに気にすることじゃないさ」
「こんな時に言うのも何だけど、君と友達で本当に良かったと思うよ」
妖怪の情けが身に沁みる。複雑な想いを飲み込むように、ナズーリンは茶を啜った。
/
ところで説明が遅れてしまったが、今は冬の昼下がりである。昼食を終え、のんびりと二人でこたつに入って茶を飲んでいるところだ。
そう、冬と言えばこたつだ。ナズーリンの家でも、最近ようやくこたつを出したところだった。掘りごたつは足を伸ばせるので座り心地が楽で良い。ナズーリンのみならず、掘りごたつを体験した全員が同じ感想を持っていることだろう。
「で、話を戻すけど私とナズーリンの話だよ。ナズーリンに私を好きになってもらう方法、何か思いつかないかい?」
改めて聞いても頭の痛い話だ。潤美がナズーリンに相談した経緯はわかったが、ナズーリンが答えられるかは話が別だ。
ナズーリンがそれに答えるのは、自分で自分を追い詰めるみたいな話になりはしないだろうか。
「ううん……そうは言われても、潤美の気持ちになって考えるのは難しいぞ? だって、対象が私なんだからな」
「いや、それはナズーリンが難しく考えすぎだよ。もっと素直に……そうだね、ナズーリンから私にしてほしいことって、何かないかい?」
「充分してもらっていないか? 今日の昼食も美味しかったよ、本当にありがとう」
「どういたしまして……じゃなくて。今までにやってたことを続けても、アピールにならないだろ?」
――そうなのだ。返事に困る理由の一つがそれだ。
既にナズーリンは、充分すぎるほど潤美の世話になっている。普段から二人での食事は潤美が料理することが多いし、食材の持ち寄りも潤美の方が多い。他にも家事を何度も手伝ってもらっている。
好きでやっていることだから、と潤美が言うからつい甘えてしまい……甘えている自覚はあるのに、あまりの心地良さに、その関係を継続してしまっている。
そのくせ、潤美からの好意を受け入れることもできない。
「すいませんでした」
「なんで謝られたの?」
「いや、改めて考えると……私は友人にとんでもなく酷いことをしているんじゃないかって、そう思えてしまって」
「そんなことないと思うけど……ていうか、たぶん今、その話どうでもいいと思うから、私の相談の方に戻ってきてくれないかい?」
どうしたものか、とナズーリンは首をひねる。潤美は既に、ナズーリンに充分尽くしてくれている。
さらに言うなら、ナズーリン自身、潤美の魅力的な面は色々と承知しているつもりなのだ。仕事、家事、コミュニケーションなどなど、数え上げれば両手両足の指では足りないぐらいには。
となると、これ以上の恋愛的なアプローチというのは、一体どうすればいいのか……
「私から、潤美にしてほしいこと……?」
「じゃあ言い方を変えてもいいんだけど、ナズーリンが私にしたいこととか、私にこう言う風になってほしい、とか、そういうことでもいいよ」
「私が、したいこと……」
特に、意識したつもりはなかったが。
考えをぐるぐる巡らせながら、ちらり、と潤美を見た。
何とはなしに、潤美の首元あたりを見た、つもりだった。
「今、おっぱい見た?」
「見てない」
「たまにちらちら見てるよね」
「見てない」
「そっか……やっぱりおっぱいか……」
「見てない、見てないぞ、本当だ」
嘘だ。大きな胸をしっかり見てしまった。たまにちらちら見ているのも本当だ。しかし、それでも見てないと言い張らなければ、何かを失ってしまう気がするのだ。
「おっぱいか……恥ずかしいけど、ナズーリンが望むのなら……」
「見てないし、望んでもいないぞ。いい加減胸から離れたまえ」
「おっぱいじゃなくても、助平なことを望むのなら、いつだって」
「望んでない、断じて望んでないぞ」
「でも、じゃあ、助平以外でナズーリンが私に望むことって何かある?」
「私を助平大好きみたいに言うのはやめてくれないか」
「そう言うんだったら何かしたいこと言ってみておくれよ、私は、ナズーリンのためなら何だってしてあげたいんだから」
そういうことをあっさり言うから、こっちも反応に困るのだが……潤美の場合、さらりと本心から言うから始末が悪い。
そしてどういうわけか、いよいよ追い詰められた気がしてきた。ここで何も言えなければ、ナズーリンは助平なことしか潤美に望んでいないことになる、みたいな流れになってしまった。
「むむむ……潤美にしたいこと、か」
ナズーリンとて、恋愛は不得手な方だ。その点においては潤美と大差無いだろう。
――そう考えると、無理に上手い事を考えようとする方がおかしいのかも知れない。
頭がいい、などと潤美は褒めそやすが、恋愛初心者が知ったかぶって恋愛の助言をすることほど滑稽なことも無いだろう。
もっと単純に、簡単なことから考えるなら――
「例えば……手をつなぐ、とかどうだろう?」
なるべく、何気ないように言ったつもりで。
ほんの少し、照れ臭い気持ちが混ざってしまった。
「手を繋ぐ、か……なんか、何でもないことのはずだけど、改めて口に出すとちょっと恥ずかしいね」
「友達同士の自然な行為だよ、恥ずかしがる必要は無い。潤美は私に特別な感情を向けているから、そういう何でもないことでさえブレーキがかかってしまっているんじゃないか?」
もっとも、それはナズーリンの方も似たようなものだった。
潤美から特別な感情を向けられていると知ってしまった上で、どういう距離で友人付き合いを続けていけばいいか――という考えが、無意識のうちにブレーキになっていた節はある。
思えば告白の日から今まで、そういう微妙な緊張状態が続いていたように思う。それが、結果的に潤美を悩ませることにも繋がったのだろう。
それに気付かせてくれたというだけでも、今回潤美がナズーリンに相談を持ち掛けたのは、やはり正解だったのかも知れない。
「今からやってみる?」
「そうだね、手を繋ぐなんていつでもやっていいことなんだから」
「じゃあ、そっちに行くね。よっと」
掘りごたつから腰を上げて、潤美が歩み寄ってくる。
ナズーリンはこたつに入ったまま、少し横に寄って、潤美が入るスペースを作る。
ナズーリンの隣に来た潤美がゆっくりと腰を下ろそうとして。
そうすると、必然的に、座っているナズーリンの目の前で潤美がかがみこむことになり。
「…………ん゛っ!?!?」
――おっぱいが迫ってきた。
座っているナズーリンの目の前に、潤美の胸が近付いてきたのだ。
普段から大きい大きいと思ってはいたが、眼前にまで迫ったそれは、もはやそんな簡単な言葉だけでは済ませられない圧倒的重量感を伴っていた。何しろ、目の前で実際にゆらゆらと揺れているのだ。もはやそれは、雄大な山を思わせるほどの存在感を誇っていた。
それでいて、潤美の体温が伝わってくるほどの距離――体温を感じさせるほどの近さに、圧倒的な大きさの胸があるという事実――
「な、ナズーリンナズーリン、大丈夫?」
「はっ。いや、だ、大丈夫だ、何でもない、何でもないぞ」
気が付くと、いつの間にか潤美はナズーリンの隣でこたつに入っていた。一瞬、意識が飛んでいたのかも知れない。
「おっぱい、見てたね」
「見て、う、うぐっ、見て、見てな、くぅっ……見てたよ」
今回ばかりは認めざるを得なかった。それほどに、あの光景は衝撃的だったのだ。
「いやあ……今のは凄かったね。穴が空くくらい見られてた」
「しょうがないだろう。というか、君が無防備すぎるんだと思うよ。あんな大きなものが目の前に来たら、誰だって見るさ」
「ナズーリンの視線で、私の方が体が熱くなるくらいだったもん……視線から圧力を感じるなんて、初めてだよ」
「そんなにいじめないでくれないか……認めるよ、私は助平だよ、君の胸の前では助平に成り下がってしまうんだ」
もはや何も言い逃れはできなかった。口達者なナズーリンをして完全敗北を認めてしまう、それほどにおっぱいに打ちのめされてしまったのだ。
「そんないじけなくても……前から言ってるけど、ナズーリンなら、いつでも見てくれていいんだよ」
「私が気にするんだよ。親しき中にも礼儀あり、だ。潤美と仲良くなるのは良い事だけど、節度は守りたいんだ」
「ナズーリンってそんなに真面目だったっけ?」
「友達として、友情を大切にしたいと思うのはごく当たり前のことだと思うよ……私みたいな助平に言われても、説得力無いかも知れないけどさ」
あるいは、それも自分の独りよがりではないか――と、ナズーリンも悩むことがある。友達のため、とは言うものの、それは本当に潤美のためになっているのか。
潤美のためを思うなら、いっそきっぱりと縁を切るべきではないか、とも思うのだ。潤美の気持ちに答えられないくせに、友達としての関係は維持したい。それは、ナズーリンの甘えではないのか、と。
――元より。あくまで友情という想いではあっても――ナズーリンは既に、これ以上無いくらいに潤美にほだされている。
出会った当初は、むしろ警戒していたくらいだったのだ。それが、潤美の優しさに触れるうちに、今やすっかり親友として信頼しきってしまっている。
今更離れ離れになるというのは、耐え難いことだと、ナズーリンも自覚してはいるのだ。想像するだけで、絶望的な悲しさに苛まれるほどに。
そう。例えるなら。
気心の知れた寺の妖怪たちや魔法使いの僧侶と離れ離れになった、千年前のあの日のように。
「あんまりさ、難しく考えなくていいと思うよ。ナズーリンは私のこと、真剣に考えてくれてるのかも知れないけど……ナズーリンのことが好きなのは、私の勝手なんだからさ」
「その好意を知りながら、告白を断って、それでも君を繋ぎとめてるのは……私の都合じゃないか?」
「違うよ、断られてもまだ諦めきれないって言ってるのは私の方だよ……だからさ」
体温が、触れた。
こたつの布団の外に出していたナズーリンの右手に、潤美の左手が重なった。
「ナズーリンはさ、私のこと、繋ぎとめてもいいんだ。だって私がそれを望んでるんだから」
「でも……繋ぎとめる時間が長くなるほど、きっと、君を苦しめてしまう」
「それでもいい。だって、私が好きでそうしてるんだ。それが千年間続いたとしても、千年後だって私はナズーリンのことを好きなままでい続ける。絶対、諦めてなんてやらないんだから」
握り締められた。手をしっかりと、離したくないと言うように。
――これが友達同士の行為だなんて、あってたまるものか。
だって、こんなにも熱く伝わってくる。潤美からの熱さがナズーリンにも伝播して、体中が熱くなってくる。顔も真っ赤に火照ってしまい、それが自分の感情によるものかどうかも曖昧になってくる。
潤美の顔を見ると、彼女も真っ赤になっていた。お互いに赤くなった顔を突き合わせてしまうと、いよいよ言い訳も誤魔化しも利かなくなってしまう。
「あはは、ナズーリン、顔、真っ赤」
「そういう君だって……人のこと言えないくらい真っ赤じゃないか」
「いやあ、手を繋ぐのって凄いね。こんな幸せな気持ちになるなんて、知らなかった」
「幸せ、か……それもあるけど、気恥ずかしさが凄いね。こんなに潤美を近くに感じたこと、今までに無かったかも知れない」
今まで友達として、一定の距離を保っていたつもりだった。その距離が、急速に縮まってしまった気がする。
これで友達だと言い張るのは許されるのだろうか。だいたい「許される」って誰に対してだ。言い訳する一番最初の相手は常に、自分自身だ。
潤美が望むのなら。
友達かどうかも曖昧な今のままでも、いいのかも知れない。
「ナズーリン、好きだよ。これからもいっぱい、手を繋ごうね」
「このくらいで、いいのなら……いつだって、君の好きにすればいいさ」
こたつの暖かさのせいにすれば、顔が赤いのも言い訳できたかも知れない。
今更ながらにナズーリンは思った。もうとっくに手遅れだった。
/
――二人で手を繋ぐと、どうしても思い出してしまう。冬の寒い日は、身を寄せ合って寒さをしのぐことが多かった。
千年間、一緒にいた相手がいた。潤美とのように甘酸っぱい関係にはならなかったが――互いに無くてはならない、唯一無二の仲間だった。
その絆は今も変わらない。いつも頼りなくて、時々とても頼りになった自分の主人。繋いだ手はとても暖かくて、離したくないと思った。
あんな時間は、もう訪れなければいいと思う。だってあの時は二人だけしかいなかった。今は、大切な友人や仲間たちに囲まれている。もう二度と、二人きりにはならない。あんな寒い想いをするのはもうごめんだ。
「……ナズーリン?」
「何だい、潤美」
「今、何考えてた?」
「ちょっと、昔のことを」
「そっか」
それきり、潤美は何も聞かなかった。
――潤美は頭が良い。こちらのことを察して、調子を合わせてくれる。
たまに、ナズーリン自身が気付いていないことまで察してくれて、驚かされることもある。もしかしたら、今もそうなのかも知れない。
「潤美と友達になれたのは、とても幸せなことだと思うよ」
「私も……ナズーリンと会えて、良かったよ」
ここまで、頭の良さという言葉を何度か使ったが。
自分たちにとって「会話」とは、単純な知能の高さのみで何とかなるものではない。
なぜなら妖怪というのは概ね、独自の世界を持っていることが多いものだからだ。例えば闇を操る妖怪がいたとすれば、心の根っこのところが暗黒に染まっていても不思議ではない。そういう妖怪にとって「会話を噛み合わせる」という行為は人間よりも難しい。必然「会話を噛み合わせるための頭の良さ」というのも、人間とは方向性が違う、もっと何重にもハードルが高い話になってしまうのだ。
長く生きれば、経験も積み重なり、知能も発達する、そのあたりの会話の技術も習得できる――というのはある。しかし、ただそれだけと言うことも出来ない。
その代表的な例が自分だろうと、ナズーリンは思う。ナズーリンはどちらかというと弱小な妖怪だ。力の弱さを小賢しさで補って、千年間を命からがら生き延びてきた。それは自分の主人と助け合って生きてきたからこそでもあるが――矮小なまま千年を積み重ねた自分は、相当に凝り固まり、偏屈になっている。その自覚がある。
自分だけの話でもないだろう、とも思う。妖怪は多かれ少なかれ、そういうところがある。強大な妖怪ほど、独自の世界を強く持っているという場合もままある。
それなのに。
潤美は、自然と会話を噛み合わせてくる。
それは潤美が、いかに周りと上手くやってきたかという証左だ。幻想郷で人を襲わず、新しい生き方を切り開いた。漁業を営み、人間たちとも会話を惜しまず、関係を築いてきた。そのために、長く努力を重ねてきたはずだ。
それが妖怪にとっていかに大変なことか。
種族それぞれで苦労は違うから、他の誰かが容易に想像できるものではないが――それでも。
会話を重ねるたびに、ナズーリンは思う。牛崎潤美は、尊敬に値する妖怪だ。彼女と親友になれて、本当に良かった。
「今度……デートに行こうか」
「え」
「勘違いしないでくれよ、友達同士でもデートはできるさ。友達として、潤美と仲良くなりたいって私は言ってるんだ」
「う……うん、それでもいい、凄くいい! そっか、友達同士でもデートには行っていいんだ!」
きらめく陽光のように、潤美の顔が輝いた。それをまぶしいと思ってしまう。
誰かを好きになれる、潤美のことが羨ましい。潤美に恋することができない、自分が悔しい。
どうして素直になれないんだろうと、ナズーリンは自問自答する。何度考えても答えは出てこない。
そんな自分に、考えすぎだと、潤美は何度も言ってくれる。ナズーリンはナズーリンのままでいい、それでも好きだと、何度も言ってくれる。
ありがとう。
口には出さず、胸の中でナズーリンは呟いた。
繋いだ手を握り返す。潤美の手は、熱いくらいに暖かかった。
唐突だが、ナズーリンは牛崎潤美を敬愛している。尊敬し、親愛の情を持っているという意味だ。
無縁塚に引っ越してきてからというもの、何かと世話を焼いてくれた恩人であり親友。無縁塚と三途の川、住んでいる場所が近所だからという縁から付き合いが始まり、交流を重ねてきた。今や彼女に向ける信頼は、揺るぎないものになっている。
出会ってからまだ一年と経ってはいないが、時間の短さはさほど重要ではない。重要なのは互いに向き合い、知り、認め合うことだ――付き合いを重ねた上で、潤美は信頼できる妖怪だと、ナズーリンはそう思ったのだ。
それは、今も――潤美から向けられる情の意味が変わった今においても変わらない。ナズーリン自身はそう思っている。
牛崎潤美は、尊敬に値する親友だ。
「ねえ、ナズーリン、聞いてる?」
「ああ……いや、もしかしたら聞き間違えたかも知れない。もう一度、言ってくれないか?」
「ええ? 結構恥ずかしい話なんだけど……しょうがないね」
そうして、恥じらいに染まった視線を向けながら……潤美は、もう一度その言葉を告げた。
「ナズーリンに私を好きになってもらうためには、どうすればいいと思う?」
尊敬に値する親友だ、そう思っているんだけどなぁ。
親友の妄言に呆れながら、ナズーリンは首を傾げた。
「潤美……いくつか確認させてくれないか。まず、君は牛崎潤美だ。間違いないね?」
「何を言ってるんだい、もちろん牛崎潤美だよ。私が大入道にでも見えるのかい?」
「うちの入道と力比べする潤美も一度見てみたいものだが、まあそれは置いておいて……うん、君は潤美だ」
何故こんなところから確認しなければならないのか――とナズーリン自身が疑問に思ってはいるのだが、それでも確認せざるを得ない。
「では次に。私は誰だ?」
「ナズーリンでしょ? 私が好きなナズーリンだよ。私がナズーリンを見間違えるはずないじゃないか」
そう、つい先日のこと。潤美は、ナズーリンに告白した。
ナズーリンのことを好きだと、恋をする相手として愛していると、はっきりと伝えたのだ。
残念ながら、この告白をナズーリンは受け入れられず、友達のままでいたいと言ったのだが……潤美は、それでも諦められないと、今もナズーリンを好きだと言い続けている。いつかナズーリンに自分を受け入れてもらえるようになるまで、ずっと好きだと言い続けるのだと。
そんな潤美に、思うことは多々あるのだが――それはさておき。
「そうだね。私はナズーリン、そして君は潤美だ。それで、さっきの質問は?」
「もう一回言えって? え、何これ、なんか私を恥ずかしがらせて困らせるとか、そういう遊び?」
「違う、断じて違う。君が恥ずかしいなら私から言い直すが……今、潤美は『ナズーリンに潤美を好きになってもらうにはどうすればいい』と、この私、ナズーリンにそう言った。間違いないか?」
「そうだよ……おお、相手に言い直されるのも、また別の恥ずかしさがあるね。照れる……」
そうか、やはり間違いないのか。
恥ずかしがる潤美を尻目に、ナズーリンは嘆息した。一拍の間を置いてから。
「君は実に馬鹿だな」
万感の思いを込めて、ツッコミを入れた。
「ひどい!? え、なんでいきなり罵倒されたんだい?」
「わからないのか? そうか……本格的に馬鹿だな? 潤美が私を口説くための方法を、どうして私に質問したのかって言ってるんだ」
ツッコミを入れながらも――ただ馬鹿なだけではないだろう、とはナズーリンも思う。そもそも、ナズーリンの知る潤美は決して馬鹿ではない。むしろ聡明な妖怪だ。
実際に会話を重ねればわかる。こちらが話したことに、潤美はしっかりとついてきて彼女なりの感想を返してくる。ナズーリンとしっかり会話を噛み合わせて、時には潤美なりの知見を伝えてくる。相応の頭の良さがあり、相手と向き合うことで成立する会話の噛み合い。この会話の心地良さもまた、ナズーリンと潤美が親友になれた理由の一つだ。
ちなみに、これが「頭が良すぎるやつ」が相手だった場合、それぞれ独自の論を勝手に展開してしまい、やはり会話は噛み合わなくなる。幻想郷にはそういう輩が割と多いのだ。代表的なのは魔法の森の近辺に住む古道具屋の店主だろう。あの男は頭の良さの使い方を盛大に間違えている――閑話休題。
「だって、ナズーリンって頭がいいだろう?」
「潤美より頭がいいかと言われるとそこまでの自信は無いがね」
「いやいや、私よりは絶対頭いいって」
「まあ、ここで譲り合うと話が進まないからひとまずそれで良いとするよ。それで、私が頭が良かったら何だって言うんだ」
「だから……恋愛のことも、私よりわかってるんじゃないかって、そう思って相談したんだよ」
「それが理由だとしても納得するにはちょっと弱いな……その、君が好きな相手って私なんだぞ? いくらなんでも、と思わないか?」
平静を装った風に受け答えしてはいるが。
ナズーリンとて、身近な相手に好意を向けられること自体は悪い気はしていない。むしろ嬉しいのだ。むずむずとくすぐったくなる内心を、何とか押し隠している。
好き、という言葉には問答無用の力強さがあるように思う。それを、最近は毎日のようにぶつけられている。
何も考えずに潤美と結ばれてしまえば、それは幸せなことなのではないか――そんな風に思うことだって、あるのだ。
「いや、でもさ。ナズーリンならちゃんと相談に乗ってくれるんじゃないか、って期待の方が勝っちゃって……現に、こうしてちゃんと話を整理して聞いてくれてるし」
「しかし、要は恋愛相談だろう? わざわざ私本人に聞かなくたって……他に相談できる相手はいないのか?」
潤美に友達が少ないとは思えない。初対面の頃だって、ナズーリンに積極的に話しかけてきたのは潤美の方だ。最初は尻込みしていたナズーリンの警戒を解き、短い間に親友になるにまで至った。彼女のコミュニケーション能力は非常に高い。
「友達いないってことはないけど、恋愛相談できるほどの友達は……強いて言うなら死神の小町くらい?」
「あの船頭か、博麗神社の宴会で見かけたことがあるね。確かに話しやすそうな相手だ」
「私は逆に神社の方には縁が無いね。基本、あの神社って巫女にぶっ飛ばされた妖怪が集まってるって聞くけど、私はまだそういうことになったことないから」
ナズーリンたちが聖白蓮の封印を解くために動き、それを異変とみなされて霊夢たちに退治されたのが去年の春の話。今は年が明けて、本格的に冬が深くなってきた頃だ。
「ふうん、あの巫女は基本的に異変解決時以外はぐうたらだからね。何かしらの異変が三途の川や地獄あたりであれば、知り合うこともあるんじゃないか……まあ、それは置いておこう。
候補がその死神だけっていうのも意外だね。君はもっと交友関係が広いと思っていたよ」
「友達は他にもそれなりにいるけど……ほら、基本的にみんな妖怪だからね。恋愛相談ってことになると、話が噛み合う相手は限られるさ。例えばの話、水子霊にそんな話をしてもどうしようもないだろ?」
「あー」
水子霊を挙げられては納得せざるを得ない。
「それに、ナズーリンと私って、まだ付き合ってはいないだろ?」
「そうだね。一度は告白を断られているのに未来に希望を持てる君の執念深さが怖くなることもあるんだが……それが?」
「付き合ってないのに、私がナズーリンのこと好きだってこと、あんまり周りに言いふらすのもどうなんだろう、って思っちゃってさ」
それを聞いて。
「そうか……そうか、そうだよな……君は、そういう風に気を使ってくれるんだよな……!」
ナズーリンは、泣き出したくなってしまった。感動と悲しさと諦めが、胸の中で渦巻いて溢れそうになる。
「ど、どうしたのナズーリン」
「いや……ご主人がさ……あっさり寺のみんなに喋ってしまって……」
「え」
「そうだった、そのことを報告してなかったよ、潤美にとっても他人事じゃないのに……命蓮寺の信徒たちみんなに、潤美と私の話が伝わってしまったんだ。本当に、うちのうっかり毘沙門天代理が申し訳ない……」
そう。先日、潤美がナズーリンに告白をして――そこまでならまだ良かったのだが、それをナズーリンの上司、寅丸星に知られてしまったのだ。
さらに、追い打ちで星は二人を一方的に祝福し(まだちゃんと付き合い始めたわけでもないというのに、である)、二人のことを寺の仲間たちに話してしまった。今、命蓮寺ではナズーリンと潤美の話題が熱い、沸騰中と言ってもいい勢いだ。
「おお……さすがに驚きだね。そっか、私の知らないところでそんなことになってたのか」
「私が謝ってもどうにもならないことだが、本当にすまない……」
「いやまあ、ちょっと恥ずかしいけど、悪く言われてるわけじゃないだろうしさ。お寺にはいつか行ってみたいとは思ってたし、遅かれ早かれ知られることだったんじゃないかな。うん、そんなに気にすることじゃないさ」
「こんな時に言うのも何だけど、君と友達で本当に良かったと思うよ」
妖怪の情けが身に沁みる。複雑な想いを飲み込むように、ナズーリンは茶を啜った。
/
ところで説明が遅れてしまったが、今は冬の昼下がりである。昼食を終え、のんびりと二人でこたつに入って茶を飲んでいるところだ。
そう、冬と言えばこたつだ。ナズーリンの家でも、最近ようやくこたつを出したところだった。掘りごたつは足を伸ばせるので座り心地が楽で良い。ナズーリンのみならず、掘りごたつを体験した全員が同じ感想を持っていることだろう。
「で、話を戻すけど私とナズーリンの話だよ。ナズーリンに私を好きになってもらう方法、何か思いつかないかい?」
改めて聞いても頭の痛い話だ。潤美がナズーリンに相談した経緯はわかったが、ナズーリンが答えられるかは話が別だ。
ナズーリンがそれに答えるのは、自分で自分を追い詰めるみたいな話になりはしないだろうか。
「ううん……そうは言われても、潤美の気持ちになって考えるのは難しいぞ? だって、対象が私なんだからな」
「いや、それはナズーリンが難しく考えすぎだよ。もっと素直に……そうだね、ナズーリンから私にしてほしいことって、何かないかい?」
「充分してもらっていないか? 今日の昼食も美味しかったよ、本当にありがとう」
「どういたしまして……じゃなくて。今までにやってたことを続けても、アピールにならないだろ?」
――そうなのだ。返事に困る理由の一つがそれだ。
既にナズーリンは、充分すぎるほど潤美の世話になっている。普段から二人での食事は潤美が料理することが多いし、食材の持ち寄りも潤美の方が多い。他にも家事を何度も手伝ってもらっている。
好きでやっていることだから、と潤美が言うからつい甘えてしまい……甘えている自覚はあるのに、あまりの心地良さに、その関係を継続してしまっている。
そのくせ、潤美からの好意を受け入れることもできない。
「すいませんでした」
「なんで謝られたの?」
「いや、改めて考えると……私は友人にとんでもなく酷いことをしているんじゃないかって、そう思えてしまって」
「そんなことないと思うけど……ていうか、たぶん今、その話どうでもいいと思うから、私の相談の方に戻ってきてくれないかい?」
どうしたものか、とナズーリンは首をひねる。潤美は既に、ナズーリンに充分尽くしてくれている。
さらに言うなら、ナズーリン自身、潤美の魅力的な面は色々と承知しているつもりなのだ。仕事、家事、コミュニケーションなどなど、数え上げれば両手両足の指では足りないぐらいには。
となると、これ以上の恋愛的なアプローチというのは、一体どうすればいいのか……
「私から、潤美にしてほしいこと……?」
「じゃあ言い方を変えてもいいんだけど、ナズーリンが私にしたいこととか、私にこう言う風になってほしい、とか、そういうことでもいいよ」
「私が、したいこと……」
特に、意識したつもりはなかったが。
考えをぐるぐる巡らせながら、ちらり、と潤美を見た。
何とはなしに、潤美の首元あたりを見た、つもりだった。
「今、おっぱい見た?」
「見てない」
「たまにちらちら見てるよね」
「見てない」
「そっか……やっぱりおっぱいか……」
「見てない、見てないぞ、本当だ」
嘘だ。大きな胸をしっかり見てしまった。たまにちらちら見ているのも本当だ。しかし、それでも見てないと言い張らなければ、何かを失ってしまう気がするのだ。
「おっぱいか……恥ずかしいけど、ナズーリンが望むのなら……」
「見てないし、望んでもいないぞ。いい加減胸から離れたまえ」
「おっぱいじゃなくても、助平なことを望むのなら、いつだって」
「望んでない、断じて望んでないぞ」
「でも、じゃあ、助平以外でナズーリンが私に望むことって何かある?」
「私を助平大好きみたいに言うのはやめてくれないか」
「そう言うんだったら何かしたいこと言ってみておくれよ、私は、ナズーリンのためなら何だってしてあげたいんだから」
そういうことをあっさり言うから、こっちも反応に困るのだが……潤美の場合、さらりと本心から言うから始末が悪い。
そしてどういうわけか、いよいよ追い詰められた気がしてきた。ここで何も言えなければ、ナズーリンは助平なことしか潤美に望んでいないことになる、みたいな流れになってしまった。
「むむむ……潤美にしたいこと、か」
ナズーリンとて、恋愛は不得手な方だ。その点においては潤美と大差無いだろう。
――そう考えると、無理に上手い事を考えようとする方がおかしいのかも知れない。
頭がいい、などと潤美は褒めそやすが、恋愛初心者が知ったかぶって恋愛の助言をすることほど滑稽なことも無いだろう。
もっと単純に、簡単なことから考えるなら――
「例えば……手をつなぐ、とかどうだろう?」
なるべく、何気ないように言ったつもりで。
ほんの少し、照れ臭い気持ちが混ざってしまった。
「手を繋ぐ、か……なんか、何でもないことのはずだけど、改めて口に出すとちょっと恥ずかしいね」
「友達同士の自然な行為だよ、恥ずかしがる必要は無い。潤美は私に特別な感情を向けているから、そういう何でもないことでさえブレーキがかかってしまっているんじゃないか?」
もっとも、それはナズーリンの方も似たようなものだった。
潤美から特別な感情を向けられていると知ってしまった上で、どういう距離で友人付き合いを続けていけばいいか――という考えが、無意識のうちにブレーキになっていた節はある。
思えば告白の日から今まで、そういう微妙な緊張状態が続いていたように思う。それが、結果的に潤美を悩ませることにも繋がったのだろう。
それに気付かせてくれたというだけでも、今回潤美がナズーリンに相談を持ち掛けたのは、やはり正解だったのかも知れない。
「今からやってみる?」
「そうだね、手を繋ぐなんていつでもやっていいことなんだから」
「じゃあ、そっちに行くね。よっと」
掘りごたつから腰を上げて、潤美が歩み寄ってくる。
ナズーリンはこたつに入ったまま、少し横に寄って、潤美が入るスペースを作る。
ナズーリンの隣に来た潤美がゆっくりと腰を下ろそうとして。
そうすると、必然的に、座っているナズーリンの目の前で潤美がかがみこむことになり。
「…………ん゛っ!?!?」
――おっぱいが迫ってきた。
座っているナズーリンの目の前に、潤美の胸が近付いてきたのだ。
普段から大きい大きいと思ってはいたが、眼前にまで迫ったそれは、もはやそんな簡単な言葉だけでは済ませられない圧倒的重量感を伴っていた。何しろ、目の前で実際にゆらゆらと揺れているのだ。もはやそれは、雄大な山を思わせるほどの存在感を誇っていた。
それでいて、潤美の体温が伝わってくるほどの距離――体温を感じさせるほどの近さに、圧倒的な大きさの胸があるという事実――
「な、ナズーリンナズーリン、大丈夫?」
「はっ。いや、だ、大丈夫だ、何でもない、何でもないぞ」
気が付くと、いつの間にか潤美はナズーリンの隣でこたつに入っていた。一瞬、意識が飛んでいたのかも知れない。
「おっぱい、見てたね」
「見て、う、うぐっ、見て、見てな、くぅっ……見てたよ」
今回ばかりは認めざるを得なかった。それほどに、あの光景は衝撃的だったのだ。
「いやあ……今のは凄かったね。穴が空くくらい見られてた」
「しょうがないだろう。というか、君が無防備すぎるんだと思うよ。あんな大きなものが目の前に来たら、誰だって見るさ」
「ナズーリンの視線で、私の方が体が熱くなるくらいだったもん……視線から圧力を感じるなんて、初めてだよ」
「そんなにいじめないでくれないか……認めるよ、私は助平だよ、君の胸の前では助平に成り下がってしまうんだ」
もはや何も言い逃れはできなかった。口達者なナズーリンをして完全敗北を認めてしまう、それほどにおっぱいに打ちのめされてしまったのだ。
「そんないじけなくても……前から言ってるけど、ナズーリンなら、いつでも見てくれていいんだよ」
「私が気にするんだよ。親しき中にも礼儀あり、だ。潤美と仲良くなるのは良い事だけど、節度は守りたいんだ」
「ナズーリンってそんなに真面目だったっけ?」
「友達として、友情を大切にしたいと思うのはごく当たり前のことだと思うよ……私みたいな助平に言われても、説得力無いかも知れないけどさ」
あるいは、それも自分の独りよがりではないか――と、ナズーリンも悩むことがある。友達のため、とは言うものの、それは本当に潤美のためになっているのか。
潤美のためを思うなら、いっそきっぱりと縁を切るべきではないか、とも思うのだ。潤美の気持ちに答えられないくせに、友達としての関係は維持したい。それは、ナズーリンの甘えではないのか、と。
――元より。あくまで友情という想いではあっても――ナズーリンは既に、これ以上無いくらいに潤美にほだされている。
出会った当初は、むしろ警戒していたくらいだったのだ。それが、潤美の優しさに触れるうちに、今やすっかり親友として信頼しきってしまっている。
今更離れ離れになるというのは、耐え難いことだと、ナズーリンも自覚してはいるのだ。想像するだけで、絶望的な悲しさに苛まれるほどに。
そう。例えるなら。
気心の知れた寺の妖怪たちや魔法使いの僧侶と離れ離れになった、千年前のあの日のように。
「あんまりさ、難しく考えなくていいと思うよ。ナズーリンは私のこと、真剣に考えてくれてるのかも知れないけど……ナズーリンのことが好きなのは、私の勝手なんだからさ」
「その好意を知りながら、告白を断って、それでも君を繋ぎとめてるのは……私の都合じゃないか?」
「違うよ、断られてもまだ諦めきれないって言ってるのは私の方だよ……だからさ」
体温が、触れた。
こたつの布団の外に出していたナズーリンの右手に、潤美の左手が重なった。
「ナズーリンはさ、私のこと、繋ぎとめてもいいんだ。だって私がそれを望んでるんだから」
「でも……繋ぎとめる時間が長くなるほど、きっと、君を苦しめてしまう」
「それでもいい。だって、私が好きでそうしてるんだ。それが千年間続いたとしても、千年後だって私はナズーリンのことを好きなままでい続ける。絶対、諦めてなんてやらないんだから」
握り締められた。手をしっかりと、離したくないと言うように。
――これが友達同士の行為だなんて、あってたまるものか。
だって、こんなにも熱く伝わってくる。潤美からの熱さがナズーリンにも伝播して、体中が熱くなってくる。顔も真っ赤に火照ってしまい、それが自分の感情によるものかどうかも曖昧になってくる。
潤美の顔を見ると、彼女も真っ赤になっていた。お互いに赤くなった顔を突き合わせてしまうと、いよいよ言い訳も誤魔化しも利かなくなってしまう。
「あはは、ナズーリン、顔、真っ赤」
「そういう君だって……人のこと言えないくらい真っ赤じゃないか」
「いやあ、手を繋ぐのって凄いね。こんな幸せな気持ちになるなんて、知らなかった」
「幸せ、か……それもあるけど、気恥ずかしさが凄いね。こんなに潤美を近くに感じたこと、今までに無かったかも知れない」
今まで友達として、一定の距離を保っていたつもりだった。その距離が、急速に縮まってしまった気がする。
これで友達だと言い張るのは許されるのだろうか。だいたい「許される」って誰に対してだ。言い訳する一番最初の相手は常に、自分自身だ。
潤美が望むのなら。
友達かどうかも曖昧な今のままでも、いいのかも知れない。
「ナズーリン、好きだよ。これからもいっぱい、手を繋ごうね」
「このくらいで、いいのなら……いつだって、君の好きにすればいいさ」
こたつの暖かさのせいにすれば、顔が赤いのも言い訳できたかも知れない。
今更ながらにナズーリンは思った。もうとっくに手遅れだった。
/
――二人で手を繋ぐと、どうしても思い出してしまう。冬の寒い日は、身を寄せ合って寒さをしのぐことが多かった。
千年間、一緒にいた相手がいた。潤美とのように甘酸っぱい関係にはならなかったが――互いに無くてはならない、唯一無二の仲間だった。
その絆は今も変わらない。いつも頼りなくて、時々とても頼りになった自分の主人。繋いだ手はとても暖かくて、離したくないと思った。
あんな時間は、もう訪れなければいいと思う。だってあの時は二人だけしかいなかった。今は、大切な友人や仲間たちに囲まれている。もう二度と、二人きりにはならない。あんな寒い想いをするのはもうごめんだ。
「……ナズーリン?」
「何だい、潤美」
「今、何考えてた?」
「ちょっと、昔のことを」
「そっか」
それきり、潤美は何も聞かなかった。
――潤美は頭が良い。こちらのことを察して、調子を合わせてくれる。
たまに、ナズーリン自身が気付いていないことまで察してくれて、驚かされることもある。もしかしたら、今もそうなのかも知れない。
「潤美と友達になれたのは、とても幸せなことだと思うよ」
「私も……ナズーリンと会えて、良かったよ」
ここまで、頭の良さという言葉を何度か使ったが。
自分たちにとって「会話」とは、単純な知能の高さのみで何とかなるものではない。
なぜなら妖怪というのは概ね、独自の世界を持っていることが多いものだからだ。例えば闇を操る妖怪がいたとすれば、心の根っこのところが暗黒に染まっていても不思議ではない。そういう妖怪にとって「会話を噛み合わせる」という行為は人間よりも難しい。必然「会話を噛み合わせるための頭の良さ」というのも、人間とは方向性が違う、もっと何重にもハードルが高い話になってしまうのだ。
長く生きれば、経験も積み重なり、知能も発達する、そのあたりの会話の技術も習得できる――というのはある。しかし、ただそれだけと言うことも出来ない。
その代表的な例が自分だろうと、ナズーリンは思う。ナズーリンはどちらかというと弱小な妖怪だ。力の弱さを小賢しさで補って、千年間を命からがら生き延びてきた。それは自分の主人と助け合って生きてきたからこそでもあるが――矮小なまま千年を積み重ねた自分は、相当に凝り固まり、偏屈になっている。その自覚がある。
自分だけの話でもないだろう、とも思う。妖怪は多かれ少なかれ、そういうところがある。強大な妖怪ほど、独自の世界を強く持っているという場合もままある。
それなのに。
潤美は、自然と会話を噛み合わせてくる。
それは潤美が、いかに周りと上手くやってきたかという証左だ。幻想郷で人を襲わず、新しい生き方を切り開いた。漁業を営み、人間たちとも会話を惜しまず、関係を築いてきた。そのために、長く努力を重ねてきたはずだ。
それが妖怪にとっていかに大変なことか。
種族それぞれで苦労は違うから、他の誰かが容易に想像できるものではないが――それでも。
会話を重ねるたびに、ナズーリンは思う。牛崎潤美は、尊敬に値する妖怪だ。彼女と親友になれて、本当に良かった。
「今度……デートに行こうか」
「え」
「勘違いしないでくれよ、友達同士でもデートはできるさ。友達として、潤美と仲良くなりたいって私は言ってるんだ」
「う……うん、それでもいい、凄くいい! そっか、友達同士でもデートには行っていいんだ!」
きらめく陽光のように、潤美の顔が輝いた。それをまぶしいと思ってしまう。
誰かを好きになれる、潤美のことが羨ましい。潤美に恋することができない、自分が悔しい。
どうして素直になれないんだろうと、ナズーリンは自問自答する。何度考えても答えは出てこない。
そんな自分に、考えすぎだと、潤美は何度も言ってくれる。ナズーリンはナズーリンのままでいい、それでも好きだと、何度も言ってくれる。
ありがとう。
口には出さず、胸の中でナズーリンは呟いた。
繋いだ手を握り返す。潤美の手は、熱いくらいに暖かかった。
読むだけで心地好くなりました。
最初ナズーリンの童貞感というか面倒臭さがでて好きだなあと思っていたらおっぱいがいっぱいでおっぱいも味わえていっぱいいっぱいでした
こたつの中だけの素敵な世界、素晴らしかったです