私は運動不足である。だからこの頃は早起きして散歩している。朝の散歩ほど清々しい行為はないと思う。朝は風が寒いのでコートを羽織り、マフラーを首に巻いて、適当にその辺をぶらぶらして、嫌になったら帰る。そうすると大体丁度いい時間に家に戻れるのだ。
「ふーん、ふふーん」
湧き上がる歌を歌いたい症候群を鼻歌に留めて歩く。朝だから誰もいないだろうと油断してはいけない。この間ラブラブランニング中のどこぞのアベックに私の歌声を聞かれたのだ。きゃつらは閉ざされた世界に潜り込んでいるくせに、その時に限っては二人してこちらを凝視したのだ。多分私が日本語の歌(しかもパンクミュージック)を流暢に歌っていたからだと思う。洋楽なら陽気な外人として見向きもされなかっただろう、もしくは逆に演歌なら日本かぶれした外人として捉えられただろう。別に歌声を聴かれたところで被害を被るわけじゃないのだけれど、これではミステリアス淑女系外国人風日本人の面目丸つぶれだ。こんな肩書を自称しているわけではないが、キャラがあると何かと都合が良いので、見ず知らずの人と話すときはこういうていを装っている。
そんな古風な私はさわやかに歩を進める。気の向くまま、心の赴くままに。一陣の風が吹き抜けた。ぴゅうぴゅうと耳をかすめるそれは、健全なほうの春の調べ。まだ眠そうなお日様がニワトリと共に一日を祝福してくれる。ニワトリ小屋なんて今どき文化遺産だけど、耳を澄ませば聞こえてくると思う。貝殻を耳に押し当てた時に海のさざ波が聞こえてくるように。
「コケッー」
ほんとに聞こえてきた。おそらく境界の先からだろう。まだ寝ぼけているからだろうか、私の眼と耳は不思議を垣間見る。なんだか嬉しくなった。
いつの間にか遠くに来てしまった。今日はここを歩こう。疲れたら帰りは電車にしよう。そう思った。
レプリカ田んぼのあぜ道を行く。遠くには青々とした山も見える。生えているのは竹だろうか、竹の花は百年に一度咲くという。咲いた後は、皆揃って枯れるのだ。儚いことこの上ない。もののあはれの体現者だ。
「今度蓮子と登ってみようかな」
冷たい空気を鼻から目一杯吸い込むと、ほのかな土と緑の香りがした。雄大な大自然の息吹を全身に受ける。軽やかに踊りたくなるようないい朝だ。科学は進歩したが、結局人間は自然の中に生きているということを実感させてくれる。素晴らしきかな。
もう一度鼻から息を吸い込んだ。そして別の、変なにおいが混じっていることに気づいた。
「うわぁ」
ふと足元の田んぼを見てしまった。それがいけなかった。
オブラートに包んで言うならば、人間が生理的欲求に従い摂取した物質が、胃から分泌される塩酸で溶けかけ、中途半端な状態で咽を熱くしながら逆流し、本来言葉や歌が出ずるところから飛び出た物体が、そこに在った。そいつはなわばりを主張するかのように堂々としていた。
「ああもう最悪」
鼻に酸っぱいにおいが残留している。眼をそらしてもなおそいつは私に付きまとってくるのだ。眼を瞑って、鼻をつまんで素通りしてしまえばいいと思い、即座に実行に移した。
歩きながら十数えた。しかし、そいつは相変わらず私の傍に居た。
「なんで……」
いや、まったく同じというわけではない。わずかに水っぽさが増し、先ほどより幾分か頼りない。それでも放つにおいに変わりはないのが憎たらしい。
私はついと先を見た。そしてわかってしまった。こいつは、吐瀉物は、もういいや、ゲロは(オブラートじゃ溶けるから包めるわけないじゃないか!)点々と続いていた。ゲロってなんだよ、一歩間違えたらゲットーじゃないか。ゲットーで外道な下郎がべろべろになってゲロゲロして……ああもう。
気分は最悪だった。歩けど歩けど、悪質なストーカーの如く待ち伏せている。何回吐いたんだ。なんで一か所に留めないんだ。これで六か所だ、六か所村だ。酒か、酒のせいか、集団の酔っ払いか、それとも過食症かなんかか。オーバードーズか、エクスプロージョンか。グラウンドゼロはどこのどいつだ。
「shit……」
なんだよもう。朝っぱらからさぁ。おかしいよ、せっかくいい雰囲気だったのに。何が風情だ、さわやかな朝だ。畜生じゃないんだから反芻するな、吐いて捨てるな、飲み込めってんだ、ちくしょう。どうせ酒の呑み方も知らない二十歳そこらの後先考える知能もない前頭葉が退化したゲロリストの仕業でしょ。なんで私が割を食うんだ。おかしいよ。
いいや私、頑張れ、前向きかつどこまでも陽気な聖人を気取れ。なんてことない、だって、これだって人から出たもの、彼らだって望んでこんな流動体になったわけじゃない。愛せるさ、私なら。特別なんだ私たちは、きっと蓮子もそう思うに決まってる。世界だって抱きしめられる。だって秘封倶楽部だから。
やっぱ無理。嫌悪感がセールの時のおばちゃんみたいに前へ前へと躍り出てくる。加減を知らず、人の心を傷つける。不自然だ。重力と言う絶対に逆らってまで、汚らしい産声を上げたこいつは、まさに忌み子だ。グラビティレジスタンスだ。京都自然保護団体と京都環境保持委員会はこんな不自然なクリーチャーを野放しにして何やってんだ。
駅が見えた頃、ようやく弾切れを起こしたのか、固形物は消えて黄色がかった水だけになっていた。
私は駆け足で電車に乗り込み、充満する煙草や人間の汗のにおいを嗅いだ。相殺するつもりで、むせかえるほど湿った空気を存分に吸引した。覚悟できるこちらの方が幾分かマシとすら思えた。
その日は一日、奴の残像が頭から離れなかった。帰り足に買ったラベンダーの香りのアロマを焚いても、鼻腔の奥に付着した記憶が、徒に呼び起こされるばかりで、むしろ日常からかけはなれた異臭同士が混じり合って、余計気分が悪くなった。負のエネルギーに正のエネルギーをぶつけても、決してゼロにはならないのだ。だって人間だから。
そのことを後から蓮子に話して聞かせた。流石蓮子と言うべきか、一度笑った後、考え込むような仕草をして唐突に「人の業ね」なんて言ってみたりして、最終的には哲学的な議題に昇華することができた。蓮子はいつも聡明だ。二人で話していると、気分が落ち着く。すべては笑い話のように思えてくる。世界はジョークと未知で構成されているのだと、ある種のニヒリズムに浸ることで、精神の安寧を得ることができる。
なんであの程度のことで取り乱したのか、理由や心情は今となっては忘れてしまったが、あの日以来散歩はやめていた。
あと、二キロ太った。エネルギーは逆行させちゃいけないと思う。
「ふーん、ふふーん」
湧き上がる歌を歌いたい症候群を鼻歌に留めて歩く。朝だから誰もいないだろうと油断してはいけない。この間ラブラブランニング中のどこぞのアベックに私の歌声を聞かれたのだ。きゃつらは閉ざされた世界に潜り込んでいるくせに、その時に限っては二人してこちらを凝視したのだ。多分私が日本語の歌(しかもパンクミュージック)を流暢に歌っていたからだと思う。洋楽なら陽気な外人として見向きもされなかっただろう、もしくは逆に演歌なら日本かぶれした外人として捉えられただろう。別に歌声を聴かれたところで被害を被るわけじゃないのだけれど、これではミステリアス淑女系外国人風日本人の面目丸つぶれだ。こんな肩書を自称しているわけではないが、キャラがあると何かと都合が良いので、見ず知らずの人と話すときはこういうていを装っている。
そんな古風な私はさわやかに歩を進める。気の向くまま、心の赴くままに。一陣の風が吹き抜けた。ぴゅうぴゅうと耳をかすめるそれは、健全なほうの春の調べ。まだ眠そうなお日様がニワトリと共に一日を祝福してくれる。ニワトリ小屋なんて今どき文化遺産だけど、耳を澄ませば聞こえてくると思う。貝殻を耳に押し当てた時に海のさざ波が聞こえてくるように。
「コケッー」
ほんとに聞こえてきた。おそらく境界の先からだろう。まだ寝ぼけているからだろうか、私の眼と耳は不思議を垣間見る。なんだか嬉しくなった。
いつの間にか遠くに来てしまった。今日はここを歩こう。疲れたら帰りは電車にしよう。そう思った。
レプリカ田んぼのあぜ道を行く。遠くには青々とした山も見える。生えているのは竹だろうか、竹の花は百年に一度咲くという。咲いた後は、皆揃って枯れるのだ。儚いことこの上ない。もののあはれの体現者だ。
「今度蓮子と登ってみようかな」
冷たい空気を鼻から目一杯吸い込むと、ほのかな土と緑の香りがした。雄大な大自然の息吹を全身に受ける。軽やかに踊りたくなるようないい朝だ。科学は進歩したが、結局人間は自然の中に生きているということを実感させてくれる。素晴らしきかな。
もう一度鼻から息を吸い込んだ。そして別の、変なにおいが混じっていることに気づいた。
「うわぁ」
ふと足元の田んぼを見てしまった。それがいけなかった。
オブラートに包んで言うならば、人間が生理的欲求に従い摂取した物質が、胃から分泌される塩酸で溶けかけ、中途半端な状態で咽を熱くしながら逆流し、本来言葉や歌が出ずるところから飛び出た物体が、そこに在った。そいつはなわばりを主張するかのように堂々としていた。
「ああもう最悪」
鼻に酸っぱいにおいが残留している。眼をそらしてもなおそいつは私に付きまとってくるのだ。眼を瞑って、鼻をつまんで素通りしてしまえばいいと思い、即座に実行に移した。
歩きながら十数えた。しかし、そいつは相変わらず私の傍に居た。
「なんで……」
いや、まったく同じというわけではない。わずかに水っぽさが増し、先ほどより幾分か頼りない。それでも放つにおいに変わりはないのが憎たらしい。
私はついと先を見た。そしてわかってしまった。こいつは、吐瀉物は、もういいや、ゲロは(オブラートじゃ溶けるから包めるわけないじゃないか!)点々と続いていた。ゲロってなんだよ、一歩間違えたらゲットーじゃないか。ゲットーで外道な下郎がべろべろになってゲロゲロして……ああもう。
気分は最悪だった。歩けど歩けど、悪質なストーカーの如く待ち伏せている。何回吐いたんだ。なんで一か所に留めないんだ。これで六か所だ、六か所村だ。酒か、酒のせいか、集団の酔っ払いか、それとも過食症かなんかか。オーバードーズか、エクスプロージョンか。グラウンドゼロはどこのどいつだ。
「shit……」
なんだよもう。朝っぱらからさぁ。おかしいよ、せっかくいい雰囲気だったのに。何が風情だ、さわやかな朝だ。畜生じゃないんだから反芻するな、吐いて捨てるな、飲み込めってんだ、ちくしょう。どうせ酒の呑み方も知らない二十歳そこらの後先考える知能もない前頭葉が退化したゲロリストの仕業でしょ。なんで私が割を食うんだ。おかしいよ。
いいや私、頑張れ、前向きかつどこまでも陽気な聖人を気取れ。なんてことない、だって、これだって人から出たもの、彼らだって望んでこんな流動体になったわけじゃない。愛せるさ、私なら。特別なんだ私たちは、きっと蓮子もそう思うに決まってる。世界だって抱きしめられる。だって秘封倶楽部だから。
やっぱ無理。嫌悪感がセールの時のおばちゃんみたいに前へ前へと躍り出てくる。加減を知らず、人の心を傷つける。不自然だ。重力と言う絶対に逆らってまで、汚らしい産声を上げたこいつは、まさに忌み子だ。グラビティレジスタンスだ。京都自然保護団体と京都環境保持委員会はこんな不自然なクリーチャーを野放しにして何やってんだ。
駅が見えた頃、ようやく弾切れを起こしたのか、固形物は消えて黄色がかった水だけになっていた。
私は駆け足で電車に乗り込み、充満する煙草や人間の汗のにおいを嗅いだ。相殺するつもりで、むせかえるほど湿った空気を存分に吸引した。覚悟できるこちらの方が幾分かマシとすら思えた。
その日は一日、奴の残像が頭から離れなかった。帰り足に買ったラベンダーの香りのアロマを焚いても、鼻腔の奥に付着した記憶が、徒に呼び起こされるばかりで、むしろ日常からかけはなれた異臭同士が混じり合って、余計気分が悪くなった。負のエネルギーに正のエネルギーをぶつけても、決してゼロにはならないのだ。だって人間だから。
そのことを後から蓮子に話して聞かせた。流石蓮子と言うべきか、一度笑った後、考え込むような仕草をして唐突に「人の業ね」なんて言ってみたりして、最終的には哲学的な議題に昇華することができた。蓮子はいつも聡明だ。二人で話していると、気分が落ち着く。すべては笑い話のように思えてくる。世界はジョークと未知で構成されているのだと、ある種のニヒリズムに浸ることで、精神の安寧を得ることができる。
なんであの程度のことで取り乱したのか、理由や心情は今となっては忘れてしまったが、あの日以来散歩はやめていた。
あと、二キロ太った。エネルギーは逆行させちゃいけないと思う。
じゃねぇんだよなぁ。笑わされました。
逆行してはいけないものが逆行してて笑いました
何が反芻だ
笑っちゃったからには点数入れないとね