「ひゃあ!」
耳が動いた。起きた。普段は鼻が動いて起きる。主人が作る焦げた珈琲の匂いがいつもあたいの部屋まで漂うのだ。けしていい匂いではないし、なんなら気持ちが悪くなる匂いだけどそれはもう慣れた。それでも今日はそれの前に耳が動いた。おくうと違ってパジャマは着ていない。猫だから。なあなあ、にゃあにゃあな感じが好きなんだ。寝ると起きるに動作を入れたくないの。でももう今日は起きてしまったから。主人の悲鳴が聞こえた居間にあくびをしながら向かった。
「そっち、そっちには入らないで」
「ほいでね、まじすごくて、ばっこんぼっこんのぴょっこんぴょんぴょん。最後は巫女が来ておしまいーだけど紅白じゃなくて青緑だったからなあなあのにゃあにゃあになって宴会でどろどろのままぐびぐび」
「いいからじっとしてなさい。泥が落とせないでしょう。お燐、お風呂を沸かして。この子いれてやらなきゃ」
「いれるなら珈琲がいいな。お姉ちゃんの作るまずいやつ。ねえお願いよ。モーニンルーティンを公開するのが流行ってるのよお姉ちゃん。たまには外を見ましょうよ」
「お燐、この子の言うことは聞かなくていいから。お風呂。まずお風呂。ああもうこいし、ソファに座らないで汚れちゃう」
あたいはそのままお風呂に向かう。すれ違ったおくうはお気にのオレンジ色のハリネズミのパジャマに手を入れてお腹をかいていた。
「おはよー。朝からばたばたして。こいし様が帰ってきたの?」
「帰ってきたの。お風呂にいれるって。エネルギーは?」
「溜まってるよ。昨日こいし様が部屋に来たんだもん。一日中沸かしておけるくらい溜めておけって」
「へえ? また何も考えずに考えてることしてるのかな、あの人は」
「さー? 出かけるときは教えてね。私は部屋でヨガやってる」
「はいはい」
そもそも今日の予定なんておくうに言ったかしら。今日も今日とて思う気のままにごろごろしてぬくぬくしてみかんを眺めるつもりだったけれど。おくうは台所に消える。卵を何かしらするのだろう。あたいの分も作ってくれるだろうか。というかさとり様とこいし様の分も。まあいい、きっとおくうの事だからいくつか余計な落とし卵を作ってくれる。仕込みは簡単。猫のあたいが一番好きなくらい地霊殿は風呂嫌いが多い。さとり様は不精でおくうは行水。あとのペットは野生がつよい。朝から仕事なんて不愉快なのでお風呂場の前に部屋に戻り宝箱を開けた。
「にゃあい!」
こうしてあたいは旅に出ることになったのだ。
「お燐の気持ちで言うと『度々無くなるマタタビを探す足袋を履いたあたいの旅?』」
「足袋なんて履いてない。なんであんたいるのよ」
「はいお燐言ってみて。『裏庭には二羽ニワトリがいる』」
「うらにゃあにゃあにゃあにゃあとりがいる」
「猫かよー」
「猫だよ」
外。地上。山。あたいのマタタビのありかは昨日のこいし様しか知らない。つまり誰も知らない。先程半身浴(右)をしているこいし様に泣きながら鳴きながら問いただしたところあたいが熱中しているから気になって持ち出してすんすんしたらしい。森の中で誰にも気づかれず。生臭い草木の中に蔓延る妖気を味わいながらマタタビを服用したんだ。だからか知らないけどこいし様は泥だらけで(?)弾幕ごっこをして(?)巫女に退治されて(?)宴会して(?)マタタビをどこかに置いてきたんだって(?)。
「お燐とお出かけなんて久しぶり。昔はよく冒険をしていたのに」
「そのナップザックはなんなのよ」
「非常品。クラッカーには生ハム派閥? チーズ派閥?」
「両方。でも臭いチーズはいらないよ。そんなのはネズミにでも食わしておきな」
「おうな」
川が流れる。寒い。雪は降っていない。寒い。川辺は火起こしに最適らしい。よくわからないが寒い。猫は冬は外に出ない。外は犬みたいな馬鹿に任せていろ。焚き火は肌が乾く。地獄の火も焚き火も変わらない。興奮するのは火も雪も。それでもあのマタタビは特級品なのだ。火にだって勝てない。
「こいし様、よく隠すんだ。大事なもの。今回はお燐のマタタビかあ」
「三回目だよあたいのマタタビもだから度々マタタビ旅」
「足袋?」
「ノー足袋」
「火は起きたよ。網もナップザックにいるけど」
「何をするのよ」
「沸かそう。川を沸かすと神様に怒られるからこの小さな鍋の中で」
「沸かすのが好きなのねえおくうは」
「こいし様ほどじゃないよ。あの人はいつも沸かすんだから」
「にゃあ、なんの話? どういう字?」
「一緒の字。ぴっぽろりん。お湯が沸きました」
「にゃあにゃあ、お湯が沸いた音だ」
猫舌はましになった。今ならシャワーでも温泉でもその温度なら飲める。おくうから渡されたマグカップの中にはマグマが入っていた。しばらく飲めやしない。でも動こうにも焚き火から離れられない。よくここまでこれたものだ。執着心が強い? 地縛霊の気持ち。わっかるー。あたいもあったかくて風がなくてあとは好きな人の匂いがあれば動かないよてこでも作用点でも。
「マタタビなんかどうでもよくなってきちゃった」
「えー、特級品なんでしょ。私は俄然探すよ。何泊でも出来るためのナップザック。手元にはマッグカップ。無理やり過ぎてあっぷあっぷ」
「やけにテンションが高いね。珍しいじゃん」
「お燐とお出かけできたし」
「ずっと言ってる。そんな久しぶりじゃないでしょう」
「だって前のお出かけを思い出せないもん」
「そりゃあんただから」
「じゃあこの前はいつだか言ってみて」
「ええと」
「ほらー」
「うるさい。……ねえ、まだ熱いよ。これココア?」
「紅茶花伝」
「既製品かー」
手元の人工的な甘みの匂い。嫌いじゃない。好きでもない。味は結局舌だけのものにある。あたいの舌は繊細なんだ。美味しさは舌のみじゃ感じられない。あたいの可愛い脳みそはおくうを視覚に捉えているから舌が美味しくするんだよ。好きでも嫌いでもリモコン爆弾でもない。
「もうこれ飲んで、火が消えて日が落ちたら帰るよ。またたびはもういい」
「えーなんでよ」
「寒いもの。せっかく朝に沸かしたんだ。今日くらいはお風呂に入ってやろうかな」
「お風呂嫌いが珍しい!」
「一度入っちゃえば好きなの。入るまでが長いだけ」
「私とは逆だね。入るまでは軽いけどちょっとでいいのよ。先端だけ」
「……お風呂の話だよね」
「逆になんの話?」
「もういい。ぺろ、ぺろ。うん、美味しい」
「弾幕ごっこしようよ」
「は? なんでよ。間違った、にゃんでよ」
「私が勝ったらちゃんとマタタビ探す。お燐が勝ったら帰る」
「……しょうがないにゃあ」
火は青く、日は赤くグラデっていく。二つの光源に照らされたおくうはずっと笑っていた。心底楽しい。のでしょうか。あたいはどうなのでしょうか。猫だから深く考えないで良いかな。考えるとしたらスペルカードの種類かな。今日はいつも以上に気まぐれだから、ランダムなウォークはきっと強いかも知れませんね。舐めきったマグマをの容器はナップザックに放り込む。今は陽気な相方の相手だ。ちょっとだけこいし様への怒りを乗せて。敗者を猫車に乗せてやる。まとわりつく熱気を感じる体毛は、少しどころかかなり焦げ臭かった。これはどっちにしてもお風呂だなあ。間違った。お風呂だにゃあ。
「ひゃあ!」
耳が動いた。予想通り。主人は焦げだらけ泥だらけ死臭だらけのあたいとおくうを見て誰かを起こそうと(?)悲鳴を上げた。くどくどくどくど言われてお風呂場に向かうよう促されたあたい達。おくうは途中で「ああ、お風呂に入りたかったのかあ」と鳴いた。どういうことかと思ったけどすぐにわかった。先客は半身浴(左)をしていた。半身浴の半分間違ってると思いますよこいし様。桶に入れた日本酒は梅酒で割って雪を入れると美味しいだそうです。でも割るってなんなんだろ。哲学かにゃあ。
「こいし様、本当はマタタビのありかを知っているんじゃないんですか?」
「知らないよ? でも私なら知ってるかも」
「じゃあ知らないんですね。おくう、盃は四つだよ」
「もちろん。そろそろ来るよね」
湯船にぷかり。あたい達はお湯に溶けた。寒かった体も焦げも泥も薄く伸びて消滅する? いや、あるけど見えなくなった。こいし様は珍しく見える。泥が付いていたからかな?
「あの、たまにはと」
ああ来た来た。お待ちしておりました。たまにはいいじゃないですか。せっかく貴方の妹さんが機会をもうけてくれたんですもの。それを味わえるんだったら特級品のマタタビのひとつやふたつ。今度皆でバーベキューをするのはどうでしょう。もちろん上の方で。さとり様もですよ。やあ、こんなことを言っておけば良いんです。そうしたらまたこの厄介な妹さんがですね、ああみなまで言う必要は無いですね。やっぱりあたいはこういうのがいいですよ。さっきも言ったとおり、あったかくて風がなくてあとは好きな人の匂いがあれば。ああでもここはちょっと、硫黄の匂いが強すぎるかなあ。あ、また間違った。強すぎるかにゃあ。もにゃもにゃ。
キャラがみんなイキイキしていて読んでいてとても楽しかったです