すっきりとした秋晴れ、悪くない。どこに目を遣っても雲ひとつない、雨が降る心配はせずともよいだろう。
吾輩の腹はさきほど肉屋の主人から貰った鶏頭で満たされている。うまくはないが、食えるだけありがたい。吾輩とて身分を弁えているつもりだ。
そんな物思いにふけていると、乳母車をおす影が目に入った。
「橙殿ではないか」
「あ、先生」
轔々と進めていた乳母車を止め、吾輩のほうに向き直る橙殿。止まるや否や、運ばれていた人の子がぐずりだす。手早く橙殿は胸に抱え、あやしだす。
「何故そのようなことを」
「藍様から、労働について学べって云われたから」
幼い容姿に似合わずあやすのが巧いのか、人の子はすぐに顔に笑みを出す。それを見て橙殿もまた笑みを浮かべる。
「くれぐれも食べないように」
「食べないよ。これが終わったら家に冷飯があるから」
乳母車に押し込み、またおし始める橙殿。まぁ、大事には至らぬだろう。器用な娘ではあるのだし。
ひょいと唐突に、吾輩を持ち上げる者が現れた。
「感謝するよ、名無しの猫殿」
「藍殿か。感謝されることなどしただろうか」
「橙はよく育ってくれているよ。貴方の助言のお陰で」
「吾輩は何も云っておらぬ。あの娘が勝手に理解しているだけだ」
ふふ、と穏やかに藍殿が笑う。この者の笑みは優しく、賢者殿なぞよりよっぽど安心できる。
「ところで、橙殿は最近どうであろうか」
「どう、とは」
「人を喰うことは」
「もはやない。より美味いものを見つけたからな」
「そうか。よかった」
「“よかった“か」
「あの娘が人を喰うのは見るに堪えん。吾輩でさえ忌避することだ」
猫なのだから、人のステレオタイプな考えに乗っ取り、魚を食べればよろしいのだ。もっとも、この郷ではそれも叶い難いのだが。
「であれば、貴女はどうか。人より美味いものは見つかったか」
「未だに」
「そうか」
道理で最近は、あの薄汚れた者共を見なくなったはずである。あまり目に映したくないものではあるが、見なくなったら寂しいものだ。
「ほれ、橙殿が行ってしまうぞ。追わなくてよいのか」
「あの子とて幼くはない。娘の成長とは早いものだぞ、名無し殿」
「何にせよ降ろしてはくれまいか。足が地についていなければ不安でな」
ふふ、と不敵に笑う藍殿。どうも悪いことを思いついたようである。
「折角だ。お供してくれよ」
「吾輩では釣り合わぬ。よき人を探してくれ」
とうとう吾輩を抱えたままに歩き出す藍殿。まったく、この者もどこか幼く、困ったものである。抵抗の術がない吾輩には、もはや一声あげることしか出来ぬ。
にゃおん。
先生と言われているということは”吾輩”も人化けこそできないものの結構な長寿の妖怪猫なのかしら。
"吾輩"がしゃべるとは思わなかったので、橙と普通に話し始めたときはちょっと困惑しましたが、猫目線の橙や藍様が新鮮で良かったです。
"吾輩"が橙、藍と会話していましたが、"彼女ら二人が動物と会話できる"というような設定で書かせて頂きました。
紛らわしい書き方をしてしまい、大変申し訳ありません。
どこか達観したような猫の振る舞いがよかったです