『針妙丸へ
最近寒くなってきたからいつも裸足のお前はたまったもんじゃないだろう。風邪でもひいちまえ。バーカあーほ短小ドチビ。
鬼人正邪より
追伸
突然だがここを出ていくことにした。
お前はお尋ね者の私を見捨てないでまた輝針城に住まわせてくれた。そのことはありがたく思わなくもない。
だが私は天邪鬼だ。受けた恩には仇で返させてもらう。それに城での暮らしは快適すぎて、このままでは私の反骨精神が失われてしまうと思った。
ついでにだが、世間じゃ私のことを実はいい人だのお嫁さんの妖怪だの、テメェの都合が良すぎる妄想の人格で語るクソまで出てくる始末だ。
だから出ていく。あえて厳しい環境に身を置くことで自分のルーツを見つめ直そうと思う。
そして強くなって幻想郷をまたひっくり返すのだ。その時はお前も子分として使ってやってもいいぞ。
お前に言ったら止められるだろうか、いや止められないだろうな。お前だもんな。
とはいえ直接言って小言なんか言われるのもまっぴらごめんだから、こうして書き置きにしてこっそり去ることにする。悪く思うなよ。
私は別にお前の顔なんて見たくないが、もしお前の所に私宛の荷物が来た場合を考えて行き先を伝えておく。
私は畜生界に行く。
あそこは人間霊が動物霊に支配されているまさに下剋上世界らしい。最高だ。
次に会う時、お前は私の変わりようにたまげるだろう。今から刮目する準備をしておくんだな。』
「……というのがうちに残されてた書き置きなんだなあ」
小人族の末裔の少女である少名針妙丸は、自ら読み上げた手紙の上から退いて呆れた表情を浮かべた。
「……ははあ、それが発端であったわけですか。まあ事情は把握しましたよ。きっとどうすれば天邪鬼らしい文章になるかがんばって考えたのでしょうね」
吉弔八千慧は、本文と追伸が逆転した手紙にそれ以上の事がないかを数回確認してから一度、ゆっくりとため息をついた。
「最近寒いから風邪には気を付けろだとよ。とりあえず靴下でも履いたらどうだ?」
霧雨魔理沙は、針妙丸の感情が籠った朗読を何とも言い難い面持ちで聞いてそうコメントする。
地獄のお隣にあって、畜生霊同士で地獄の覇権争いを繰り広げる畜生界。そこの極道集団の一つである鬼傑組、組長の名は吉弔の八千慧。
彼女は家出した天邪鬼の件で針妙丸を呼びつけていた。またも虫籠サイズにまで縮んでいた小人一人で地獄の奥まで行くのは流石に危険だと、護衛として霧雨魔理沙を伴って。
『別にいいけどさあ、何で私なんだよ。天子とかにでも頼めばいいんじゃないか?』
『あの子が地獄になんて行ってくれると思う? 天邪鬼の説得ができると思ってるの? 霊夢に頼むのも考えたけどね、同じ家出少女の魔理沙の方が話をまともに聞いてくれそうじゃない』
『あー、天に恵まれてるヤツなんて天邪鬼が一番嫌いそうな人選ではあるな。まあ畜生界のお宝にはまだ興味があるしついでに行ってやるよ』
『流石は魔理沙! 異変じゃない時に頼りになるのはやっぱり魔理沙だねえ』
『一言余計だ。それと一応言っとくけど、私は持ち家もあって立派に自立してるんだぞ。家出とは一緒にしないでくれよ』
そんなやり取りを踏まえて、針妙丸と魔理沙の二人は吉弔とご対面と相成った。
「予想通りうちの正邪が何やらご迷惑をおかけしたようで、ええほんとすみませんと言いますか」
針妙丸は机の上で深々と土下座をする。
「いえ、こちらこそ。ここまで来ていただいて感謝しますよ。小人の姫君と魔法使い殿」
吉弔が椅子に座るように促す。魔理沙は応接セットのいかにも高級そうな皮張りの椅子に腰掛け、針妙丸は持参の虫籠ハウスから自分用の座布団を取り出して座った。
吉弔という人物を、魔理沙は身を持って知らされている。言葉遣いこそ丁寧だが、その実は畜生界で極道の長を務めるのに足る智力と冷酷さを持つ傑物だ。
何より恐れるは彼女の言葉には逆らう気力を失わせる効果がある事だ。その場合に備えてカウンターは用意してあるが、使わずに済むに越したことはない。
「……実は、こちらの方が貴方に謝りたく。こちらから出向ければ良かったのですが、おいそれとここを離れるわけにもいかない立場なもので」
「あなたから? 正邪が何かやっちゃった落とし前だと思ったんだけど違うの? 払う気はないけど」
妙に強気な小人に吉弔は力の無い笑みを向ける。
「それなら当人にきっちり払わせてます。遠い地の小人に払わせるほどうちは落ちぶれていませんよ」
「……ってぇことはだ、アンタのところが天邪鬼に何かやっちゃったんで、その詫びって事になるのか?」
「その通りです。実は……」
そこで吉弔は一つ溜めを作った。
「こちらでも家出して行方不明になってしまいまして……」
二人は吉弔の顔をまじまじと見た。
言い淀んだのは少からず鬼傑組の恥でもある出来事だからだろう。予想を裏切る結果に目を丸くしたまま、針妙丸は問う。
「逃げちゃったの? 正邪が?」
「ええ、まあ、そういうことになりますが……」
吉弔によると事情は次のようであった。
血風舞う死者の道を乗り越えて、正邪はやっとのことで畜生界に辿り着いた。
そこで特に大きな勢力は四つあったが、正邪は迷わず鬼傑組の門を叩いたらしい。
鬼傑組は戦闘能力で劣る部分を知略で補う集団だ。化け物揃いの幻想郷を道具と悪知恵で逃げ延びた正邪が親近感を覚えても不思議ではない。
下っぱの組員も天邪鬼がいきなり組に入れてくれと頼みこんでくれば流石に動揺したが、吉弔の鶴の一声でその望みは叶うことになる。
「実際彼女は有能でしたよ。物体をひっくり返す天邪鬼の能力は唯一無二ですし、何より生身の身体ですから憎き偶像へも有効打を与えられる」
「そりゃ良かったな。でも逃げられたんだろ?」
魔理沙は意地の悪い顔で吉弔に顔を寄せた。
「畜生界は生者が住むにはやはり辛かったということなのでしょうかね」
魔理沙の嫌味には見向きもせず、吉弔はただ白い壁の一点を見つめながら喋っていた。
「実は……彼女に与えていた団地の一室で部下が日記を見付けたのですよ」
「に、日記? あの正邪が?」
あの反逆児がそんな規則正しい行為を。針妙丸が自分の耳を疑うのも無理はない。
「ええ、このノートです。報告を受けたのはお二人がここに来るほんの数刻前で、私もまだ中を見ていません。さて……天邪鬼を探す手がかりが見つかるかもしれませんし、覗いてみますか?」
吉弔が机に置いたのはピンク色のシンプルなノートブックだ。畜生文房具店ならどこにでも売っている安物である。
思わず手が伸びる針妙丸を、魔理沙が一度制した。吉弔に問い詰める事があるからだ。
「待った。まずはっきりさせておこう。アンタの目的は正邪を組に復帰させる事なのか?」
「願わくはですが、こうなっては難しいでしょうね、天邪鬼ですし。それに組員だって脱走兵をまた特別待遇では納得しませんよ」
「アンタなら言葉で無理やり従わせる事もできたはずだが」
「所詮は一時的なもの。定期的に言葉をかけ続けるなんて面倒は御免ですよ」
それに言葉を介して洗脳する以上、かかりやすさは聞き手に依存する。ひねくれた受け取り方しかしない正邪には効き目も薄いのだ。
「……だったら、あいつを探して連れて帰れって事でいいんだな?」
「ええ、他の組の戦力になっては困りますから。ましてや偶像共の味方になられたら面倒この上ない」
「まさか、正邪がそんな扱いをされる日が来るなんてねえ……」
元同志の針妙丸は奇妙な感慨を覚えていた。どこでも爪弾きにされていた天邪鬼が一世界の均衡を揺るがしかねない重要人物とされていることに。
「いや、まだだ。他の戦力になったら困るってのならアンタ達で探しだして殺すか地上に送り返せばいいだろう。なのに針妙丸を呼び寄せて捜索の協力を頼んだ理由は……」
魔理沙は懐から一つの道具を取り出した。
「この打出の小槌じゃないのか?」
吉弔は眼を見開いた。振れば願いを叶えると言われる、小人族に受け継がれた鬼の秘宝、打出の小槌。
それだけならまだしも、その二個目が出てきたからだ。
「それは……贋作ですか」
針妙丸が持ってきた虫籠にも打出の小槌がくくりつけてある。そして魔理沙も懐に持っていた。どちらかが偽物に決まっている。
「へっへっへ。実はまだもう一つあるんだなあ~」
魔理沙はさらに帽子の中から小槌を取り出した。これで三つ目だ。
「小槌が狙いなんじゃないかと思ってな。知り合いのマジックアイテムの作成が得意な男に頼んだ、私か針妙丸以外が触ったら爆発する魔法付きの一品だぜ。こんな建物一つは木っ端微塵の威力さ」
三つの小槌と得意気に笑う魔理沙の顔を見比べて、吉弔は何かを悟ったようにふっと微笑んだ。
「そして、その三つの中に本物があるとも限らないのでしょう?」
「……ああ、その通りだな」
吉弔は一本の鍵を取り出して、机の引き出しの一番下に差し込んだ。
「何しろ本物はここにありますからね。部下が貴方を呼んだ時にすり替えさせていただきました」
机から出てきたのは紛れもなく針妙丸の物と同じ小槌であった。
「うそっ!?」
針妙丸が魔理沙の方を向く。その様子を、吉弔は一瞬たりとも見逃さない。
「ふふ。魔女の『左手』を見ましたね。つまりそちらにあるのが本物のつもりだった、ということです」
「あっ……!」
魔理沙があちゃーと言わんばかりの表情で針妙丸の頭を突っついた。
「いや、ありえん。小槌は莫大な魔力を秘めているから持てば違いはすぐわかる。待てよ……そうか、正邪が持っていたやつだな」
「……ふふ、理解が早くて助かりますよ。日記と同じく部屋に遺されていた物です。レプリカだったようで何の力もありませんがね」
魔理沙は二本の小槌を後ろ手に隠し、吉弔と不敵な笑みを交わし合う。
詐欺師対決は引き分け、といった趣にあった。
「はい、もういいよね」
針妙丸はポン、ポンと手を二回打った。
「どっちにしても小槌は小人族か本物の鬼じゃないと扱えないの。使えても反動が来るのが絶対の厄介物。欲望の為に使えば身を滅ぼす事になるよ。ま、詐欺に使うには絶好かもしれないけどね」
「ええ、まさに詐欺で使いたかったわけですが」
「アンタは頭が良いし口車に乗せるのは大得意なんだから小槌に頼るまでもないだろ。とりあえず話を進めないか? 私も日記が気になってきたぜ」
自分が最初に話を遮った事も忘れた振りをして、魔理沙がノートの表紙に指を伸ばした。
「そうだね、それがいい。あなたは正邪を引き取ってほしくて、私はその通りにする。今回の話はそれだけ、そうだよね?」
「……はい、まさしく」
吉弔がレプリカ小槌を引き出しに戻すと、それに合わせて魔理沙も服の内側に小槌を隠した。
「小槌の話は止めにしましょう。皆さんお待ちかねでしょうし、保護者立ち会いの下に日記鑑賞会といきますか」
人の日記を盗み見ることに何の罪悪感も持たない畜生達による公開処刑が今より始まる。
吉弔の目線を受けた魔理沙は満を持して、日記の最初のページを開くのだった。
『霜月 二十日
今日から日記を書くことにする。
天邪鬼の私が日記なんて我ながら笑えるが、あまりにも激変した環境の中で自分を見失わない為だ。
それに日記なんか書くわけがないと思われている私のイメージに反逆するのも悪くない。
もしかしたらこれが私の命綱となる日が来るかもしれないと思ってちょっとだけ続けてみることにする。
とりあえず疲れた。畜生界は血生臭くて息が詰まる。あと動物臭い。
でも鬼傑組の組長は悪知恵が働いて私とは気が合いそうな奴だ。ここを選んだのは間違いではないはず。
私は畜生界で自分を鍛え直して、地上をひっくり返してやる。
初心忘れるべからず。明日からがんばろう。』
「確かに畜生界は臭いよね。ここも野生の臭いがするし」
針妙丸は鼻をくんくんとひくつかせながら感想を述べた。
「ふむ、畜生界はヤブ医者ばかりだから組員には各自で衛生に気を付けるように言ってあるのですが……」
「まあ毛むくじゃらの奴らは厳しいよなあ。それより初日から結構書いてるし、こいつは中々の恥ずかしいもんが期待できそうだぜ」
人の秘密を覗き見るのが大好きな魔理沙は嬉々として次のページをめくった。
『霜月 二十一日
組長からこいつに付いて回ってここの掟を学べと幹部の一人を紹介された。
何だあいつヤバい。デカいし怖い。
オオカワウソのオオカワさんヤバい。
カワウソみたいないかにも弱っちそうな動物しかいないと思ってたのに、鬼傑組にあんな猛獣がいるだなんて聞いてないぞ。
でも飯はオゴってくれた。エンリョせずオレより高い物頼んでいいぞとか言われた。いいヤツだよ畜生。
そんなオオカワさんは私の五倍くらいヨユーで食うし。どんな高い物頼んでも超えられねえよ。とんだ肉食動物だよ。
あとあの店の魚のフライ、油ですごいギットギトなのにオオカワさんペロリと食うしヤバい。
他の奴らもこんなの美味そうに食ってるし舌が死んでるんじゃねえか。いや、舌どころか全身死んでたわ。』
「うん、とりあえずオオカワさんがヤバいのは伝わったよ」
「なあ、もしかして……私の後ろで凄いガン飛ばしてきてるおっちゃんがオオカワさんなのか? めちゃくちゃ怖いんだけど」
魔理沙が後ろを振り向くも、すぐ目を逸らす。今居る部屋の入り口には数名の組員が立っているのだが、その内の一人が他のカワウソ霊とは一線を画すオーラを放っていた。
まず体躯が違う。魔理沙が一番良く知る男性である森近霖之助と身長は同じくらいだが、横幅が二倍くらい広い。そして露出している顔の部分だけでも肌は傷だらけで片目は眼帯だ。頭もつるつるに剃っている。
悪鬼のような見た目にも関わらず、頭や腰にはカワウソらしい可愛い耳や尻尾が付いていたりして、それはもうギャップが酷い。
「その通り、彼がオオカワです。単純な殴り合いでは畜生界最強とも言われている豪傑ですよ」
「ヤバいじゃねえか! なんでそんなのを差し置いてアンタが組長やってるんだよ!」
「彼は純粋な戦闘員の方が性に合っているんですよ。それに畜生界は女尊男卑社会なので女というだけで全てにおいて優先されるのです」
「うわぁ……」
畜生界の地獄の一部を垣間見てしまったがまだ二日目だ。さらなる地獄を期待して次のページに目を移す。
『霜月 二十二日
ヤクザといっても年がら年中暴力ばっかりじゃないらしく、今日は鬼傑組が経営してる野球チームの視察に付いていった。
カワイイ系の動物が多い鬼傑のチームは見た目通り弱くて興行収入も厳しいらしい。オオカワさんが凄いデカい声で喝を入れてた。とてもこわい。
それならオオカワさんも参加すればいいじゃんと言ったら、オオカワさん片目だからボールの距離感が掴めないとか、ヒザに弾を受けてしまったとかで球技は無理らしい。切ない。
帰りにオオカワさんからラーメンをオゴってもらったが、やっぱりここのメシ屋も油でギットギトだ。小盛りで頼んだのに私の知る普通のラーメンの大盛りぐらいあるし。
なのにオオカワさんはモヤシとニンニクが山みたいにトッピングされた特盛を完食してた。ヤバい。』
「球技はダメなんだ。オオカワさんかわいそう……」
針妙丸は自身より数十倍は大きなオオカワさんに悲しげな表情を向けた。
「名誉の負傷です。全身の傷痕は格闘士の誇りなのですよ」
「今のところ飯が油だらけで臭いってのとオオカワさんの話しか出てないじゃんか。次だぜ次」
『霜月 二十四日
あまり見られちゃいけない特別なヤクの取引があるということで組長自ら現場入り。私らは深夜までずっと見張りだ。
何でもパワーで劣るウチの組員の為に調合した特別なドーピング剤らしい。一本打てば一晩は絶対に眠れないとか。
だが張り込んでたのかは知らんが、頸牙組の連中が引き渡しの時を狙って殴り込んで来やがった。
あっちの組長のクロコマとかいう奴は気に入らん。あいつも「持ってる」側の存在だ。
私と組長とオオカワさんでなんとかぶっ飛ばしてやったが結構な数のヤクが台無しだ。おかげで組長の機嫌が悪い。
私も一晩寝てないってのにぶちまけられたヤクをちょっと吸っちまったせいで目がギンギンだ。クソが。
これを書き終えたらむりやり横になるとしよう。』
「おー、いいじゃん。ヤクザっぽい展開になってきたぜ」
「良くありません。こういう薬は一本無駄にするだけでも大損害なのです。あれ以上の被害が出ていたら組員の給料にも影響が出ていましたし」
極道らしいドンパチにご機嫌の魔理沙だが、その時を思い出してしまった当の吉弔の顔は不愉快そのものだ。
「薬物の取引かぁ。正邪がどんどん引き返せないところまで落ちていくねえ……」
幻想郷の転覆を謀ってお尋ね者となった身では今更だが、友人としては複雑だ。もっとも、針妙丸が友達と言おうものなら正邪は頑として否定するだろうが。
『霜月 二十七日
あまり気にしないようにしていたがここの団地の人妻どもはどうなってるんだ。
四六時中ずっとどこかで盛る声が聞こえてきてたまの休みが台無しだ。のんびり昼寝もできやしない。
上から下から横からアンアンパンパン鳴らしやがってここはアンパン工場か。中にたっぷりなのはあんこじゃなくてクリームだよ。言わせんなクソが。
何が怖いって部屋から聞こえる女の声は同じだけど男の方が毎回違うんだよ。テーソーが狂ってやがる。地獄かよ。地獄だったわ。』
「……ええ、畜生界の団地妻はみんな不倫しています。何しろ畜生ですから。結婚という仕組みは知っていても、つがいという意識が薄いタイプも結構いるものでして」
「組長さんもそうなの? 男はとっかえひっかえの遊んでポイ?」
「ノーコメントです。お子様がこういう事に興味を持つんじゃありません」
ヤクザらしからぬ吉弔の発言だが、単なるチンピラと違って理性的な者であるほどカタギとは線を引くらしい。
「まったくけしからんなー。恋の魔法使いとして見過ごせん奴らだぜ」
「そういえば先程、小槌の複製に協力した男の話をした時の貴方は妙に嬉しそうでしたね。もしや貴方のコレですか」
吉弔がニヤついた表情で親指をピンと上に向ける。
「……ノーコメントだぜ」
『霜月 二十九日
ここに来て一週間ぐらい経ったが飯のマズさだけはどうにも耐えきれん。
スーパーで買ったマーマイトとかいうやつ、黒いからチョコっぽい味がするのかと思ったらやたら塩っぱくてクソまずい。
店で魚のパイを頼んだら魚が丸ごと何匹も突き刺さったゲテモノが出てくる始末だし、何なんだよここは天空ならぬ地底のグリニッジか。そんな所地獄にすんなよ。
本当に気が滅入りそうだ。』
『師走 一日
しんどい。抗争で人員が欠けたからって菓子工場に行かされた。
ずっと同じ作業を続けるだなんて天邪鬼として一番許されないことだ。
反逆したいが余計なことして工程を止めると私の給料が無くなるからそれもできん。クソが。
つーかこのスナック匂いがひでえ。機械も汚えしこんな所で作ってんだからそりゃ飯もマズいはずだ。
出来たてならちょっとはマシかと思ってつまみ食いしてみたらむしろ出来たての方が酷い。何入れてやがる。』
『師走 五日
あのクスリすげえ。一回キメるだけで疲れがポンと吹っ飛ぶぜ。
あれが無かったら本当にぶっ倒れてたかもしれん。』
「いよいよ危なくなってきたね……」
「ああ、事件発生まで五秒前って感じだな……」
日記の日付も飛び飛びになってきて余裕の無さが伺える。諸々の諸悪の根源である吉弔も額に手を当てた。
「それもこれも驪駒の馬鹿が考えなしに生産拠点に襲撃をかけるからで……ただでさえ人間霊があっちに取られて人手不足だのに……」
しかし畜生で極道である者達に建設的な運営などできるはずもなく。それが出来得るのは吉弔を除けばもっとも相容れぬあの勢力しかいないのだ。
『師走 九日
初めて動く埴輪と戦った。
付喪神みたいなもんかと思ったら埴安神とかいう奴が造ると何でも動き出すんだと。
ちくしょう、弱い人間霊の為に働く神だったら最初からあいつを誘って下剋上を企むんだった。クソが。』
『師走 十二日
霊長園の近くを通りかかったら中からキンキン声の妙ちきりんな歌が聞こえてきた。
歌詞は変だし埴輪を囲ってる奴らも気持ち悪い。
なのに何なんだ。あの歌がずっと耳に残って離れない。まるで呪いみたいだ。』
『師走 十五日
埴輪っていいな。ここのマズい飯を食わされずに済むんだもんな。』
『師走 十六日
最近夜空を見てないな。
流れ星を今見つけたら、私は何を祈るかな。
美味しいご飯が食べたいな。』
「おい、ポエミーな事言い出したぞ……」
「ご飯が美味しくなくて正邪の心が蝕まれていってる……」
「天邪鬼の舌の方がおかしいのですよ。或いは他人の逆張りで不味いと言っているだけでしょう」
後ろでオオカワさんが力強く頷く。二人もこの状況でお前らが馬鹿舌なんだろと言い出す蛮勇は流石に持っていないのだった。
『師走 二十日
とんでもない所に来てしまった。
私がしたかった反逆はこんなものだったのか。
どうしよう。私はこのままでいいのか。どうしよう。』
「字がブルブルだぜ。限界来ちゃってるじゃんか……」
「正邪にいったい何が……」
「クスリの横流しをした人間霊を地下で拷問した事でしょうか。そういえばだいぶ顔色が悪かったですからねえ」
吉弔は全く悪びれもせず言い放った。
彼女に思い当たったのがそれだっただけで、他にもいろいろと積み重なっているのは間違いない。空白の日付には書く気力を失う程度の出来事もあったはず。
魔理沙も針妙丸も、天邪鬼すら顔を真っ青にするような出来事など刺激が強すぎて詳細を聞く気にもなれなかった。
いや、たかが反抗期の少女が本当の悪を目の当たりにして現実を突きつけられたと言うべきなのだろうか。
そして次のページをめくった三人はまた、衝撃的な現実を知ることになる。
『ハニー! (ハニー!)
ハニー! (ハニー!)
私のこと忘れないで さびしい夜は思い出して
いつだって君の心には 土から生まれた偶像(アイドル)がいるんだから
杖刀偶! (上等GOOD!)
M・A・Y・U・M・I! (M・A・Y・U・M・I!)
絶望の闇に包まれる畜生界に舞い降りた 粘土生まれのあなたの天使(アイドル)
大事なあなたを守るため 私はいつでも全力なのダ☆』
・
・
・
◇
「ハニー!」
『ハニー!』
「ハニー!」
『ハニィィィィ!!』
白熱のスポットライトを浴びてステージの中央で歌う埴輪の兵士。彼女の歌に化学反応を起こしたかのように、埴輪の女の子がプリントされたシャツを汗で湿らせた人間霊達が甲高い奇声を上げる。これもまた現代の地獄絵図の一つである。
「杖刀偶!」
『上等GOOOOOOOOD!!』
そして脂ぎった観客達の中に、子鬼を思わせる小さな二本の角が生えた少女が一人。溜まったうっぷんを晴らさんと絶叫で飛び跳ねているのだった。
「エム・エー・ワイ・ユー・エム……!」
「楽しそうだね、正邪……」
「アイィィ!?」
正邪はぶったまげた。よく見知った小人と、かつて下剋上計画を阻止しに来た魔法使いが後ろに居たからである。
「ななななんで! どうしてお前らがここに居るんだ!?」
「どうもこうも、お前が家出したっていうからわざわざ探しに来てやったんだよ。私はお守りだがな。しかし、たまげたなあ……」
日記に記されていた『ラブリー☆ハニー伝説(作詞作曲・埴安神袿姫)』の歌詞から、二人は正邪が埴輪アイドルの杖刀偶磨弓の沼にハマッてしまっていると察して足を運んだのだった。
ちなみに歌詞に高評価を与えていたのは魔理沙のみで、他は地団駄を踏んだり机を蹴ったり唾を吐く真似をしたりと散々であった。
「それにしても正邪や、こういうのが好きだったなんて意外すぎたよ。お前って人気者が嫌いだと思ってたんだがねえ」
「べべべっべべ別に好きじゃねーし!? これはそう……あれだ、偵察だ! うちの組の敵がどんな活動をしてるか調べてたんだよ!!」
と、埴輪プリントの鉢巻や法被までしっかり身に着けた正邪が弁明する。はっきり言って何の説得力もない。
ちなみに磨弓ファンの者達は埴輪に人生をかけている事からハニライバーと呼ばれている。まるで鎧のように埴輪のアクセサリーで全身を固めている彼らは、元々底辺の人間霊の中でも最底辺の存在として知られているのだった。
「……まあ、気持ちはわかるぜ。人生に疲れてるとこういうファンシーなポエムが心に染み渡るもんな」
「うるせえぞポエマーが! この鬼人正邪様をお前みたいな人間の小娘と一緒にするんじゃない! 私は天邪鬼なんだ……って、おい待てよ……」
首を横にブンブン振って叫んで、意識が少し朦朧としたところで正邪は想像できてしまった。二人はどうして自分がここに居ると知れたのかと。
「も、もしかしてお前ら……私の部屋に入ったのか……?」
「入ってないよ、一歩たりとも。そもそも正邪の住んでる所なんて知らないし」
「嘘だ! 私はCDを買う時もばっちり変装してイヤホン付けて聞いてたんだぞ! 他の奴らが知れるわけがないんだ!」
つまりこっそりファンになってしまったと自白しているのだがもはやどうでもいい事だった。何を言い訳しようがバレバレなのは正邪だってわかっているのだから。
二人が正邪の居た団地を知らないのは本当だろう。なら鬼傑組の者が案内したのは自明である。
終わった。何もかもが終わった。
自分が日記に記した組長やオオカワさんの悪口も、疲れた心でうっかり書いてしまったポエムも、あと一人寂しい自分を慰めるために夜の畜生メトロポリスで買ったあれやこれやも。全部見られたに違いない。
どっちにしろ組から逃げ出した私を消そうと吉弔が刺客を送ってくるはずだ。いや、この二人が刺客なんだ。そうに決まってる。
恥ずかしさと怒りと焦りが正邪の心の中でぐるぐると渦を巻き、冷静な思考を奪っていく。
「私は別に正邪がこういうの好きでも気にしないからさあ、とりあえず一緒に帰ろう? 組長さんの所にも一緒に土下座してあげるから……ね?」
こいつらは私を突き出す気だ。殺される。
──ぷつっ。
「チっクショオォォォォォォォォォォォ!!」
正邪の中の何かが切れた。
こいつらを殺して私も死ぬ。もうそれしかない。
勝手に覚悟をキメてしまった正邪の目に映った物があった。
打ち出の小槌。
針妙丸の虫籠ハウスに取り付けられた打ち出の小槌だ。
もちろん正邪が使ってもただの鈍器にしかならないが、しかし鈍器にはなるのだ。こいつらを殺すだけなら十分。
正邪は迷うことなく『虫籠の打ち出の小槌』を掴み取った。掴み取ってしまったのだった。
「あ」
「あっ」
「あ……!?」
建物一つは軽く木っ端微塵にできるダミー小槌が、真っ白な閃光を放った──。
◇
「……お目覚めですか。こんなに軽いくせに頑丈ですね」
小刻みな上下の揺れが魔理沙の意識を引き戻す。立ち並ぶ毒々しい色のネオン街の隙間から見える赤黒い空。ここは間違いなく地獄の光景だ。
魔理沙が目を覚ましたのは吉弔の腕というベッドの上だった。
「……うえっ!? お前、どうして……」
「謎の爆発事故が霊長園で発生したと報告を受ければ様子を見に行くに決まってるでしょう。原因が貴方達であることは予想できますし」
あの時魔理沙がとっさに放ったのは冷風の魔法だった。彼女が肌身離さず持っているミニ八卦炉には風を送り出す機能が付いている。その力で爆弾小槌を上空に打ち上げ、さらに凍結させることで爆発の威力を減衰させたのだ。
もっとも、崩れ落ちてきた瓦礫が運悪く頭に降ってきてしまった二人は仲良くおねんねと相成ったのであるが。
「組長さんが気絶してる魔理沙を運んでくれたんだよ、お姫様抱っこで」
魔理沙の腹に座って針妙丸が愉快に笑っていた。彼女は体の小ささを生かし、瞬時に魔理沙の影に隠れて事なきを得たのだ。
「悪く思わないでくださいよ。私の背中は見ての通り、人を背負うには向いていないですから」
「悪くはないが……何だかなあ。こういう運ばれ方をするならもうちょっと相手は選びたかったぜ。まあありがとうよ」
魔理沙は反重力の魔法で腕からふわりと降り立ち、自分の足で元気に歩き出した。
彼女の脳裏に浮かんだ理想の相手は誰だったのか。それはご想像にお任せする。
そして気になる正邪はというと──。
「む……うー……フガッ!?」
筋骨隆々とした背中に顔を埋めていた息苦しさで目を覚ました。
「こ、このむさ苦しさは……オオカワさんか!?」
ご明答。正邪をおんぶで運んでいたのは吉弔と共に来ていたオオカワさんだった。寝起きの第一声でむさ苦しいと言われてしまってちょっぴり悲しそうな表情を浮かべている。
「おはようございます。まったく、心配して損しましたよ。まさか埴輪に夢中になっていたとは思いもしませんでした」
「く、組長……!」
正邪の顔から一瞬で血の気が引いた。思わず暴れて逃げようとするが、オオカワさんにがっちりと足を掴まれていて全く抜け出せない。
「わ、私は別に組が嫌になって逃げたとかそういうのじゃなくて、ですね……」
「このまま畜生界の境目まで運んであげますから安心して帰っていいですよ。それぐらいの功はありますからね」
「は……? 私に功が……?」
「霊長園の天井が崩落して埴輪にもいくらか被害が出たようで、いい気味ですよ。気分が良いので今回はこれでチャラにして差し上げます。ありがたく思うように」
「は、はっ……!」
吉弔の能力で逆らう気を失った正邪は、ただただ赦しを得られた事に安堵のため息をついた。
今頃は驪駒か饕餮が爆発騒ぎに便乗して襲撃をかけている頃だろう。この後の計画が吉弔の脳内で踊っていた。
「正邪……私から言いたいのはこれだけだよ」
さて、後は針妙丸と正邪の問題だ。
針妙丸はオオカワさんの肩に飛び移って正邪を見下ろした。
「な、何だよ! 幻想郷には戻ってもお前の所には戻らねーからな!?」
「お届け物が来ています」
「……はあ?」
「自分で書き残したんでしょうが。万が一荷物が届いた時の為に行き先を知らせとくって。モクズガニの鍋セット、懸賞で当たってたよ。腐る前にさっさとうちで食べてって」
無論、大嘘である。そんな懸賞は応募したような気がしなくもなくもないが、空に浮いている輝針城に荷物を届けられるほど一般的な人間は万能ではない。
しかし、針妙丸にはアレがあった。何でも願いを叶えてくれる、便利な鬼の秘宝が。
「……しょ、しょうがねーな! 私のカニを食われるわけにもいかないから、ちょっとだけ帰ってやるとするかなあ!」
針妙丸と魔理沙は顔を見合わせてくすくすと微笑んだ。
食べ終わってしばらくしたら、代償として食べた分だけ空腹にはなるかもしれない。しかし皆で鍋をつつく多幸感だけは小槌でも取り返せないものだ。
「あ、そうだ。組長とオオカワさんも城に来るか? せっかくだしアンタらも一緒に鍋パーティーしようぜ?」
なぜ呼ばれてもない魔理沙が言うのか、それは魔理沙だからとしか言いようがない。吉弔は僅かに戸惑って間を置いたが、もう一度正邪の顔色を確認してから首を静かに横に振った。
「遠慮しておきますよ。天邪鬼も私と一緒ではせっかくの鍋が不味くて堪らないでしょうから」
上司が一緒の職場の宴会を苦痛に感じる若者が増えていることは吉弔だって知っている。正邪はもう自分の顔なんて見たくもないに違いない。そう決めつけた。
「おい、勝手なこと言ってんじゃねーよ!」
どこまでも一方的な考え方の吉弔に、先程までは怯えていた正邪が力強く反抗する。
「確かに組の仕事はクソだったけど……組長はいきなり組に飛び込んだ私を拾ってボロくて臭い団地に住ませてくれたし、オオカワさんは何度もクソ不味い飯を奢ってくれた! 今更アンタ達が居たところで不味い飯なんか慣れっこなんだよ!」
「……そうでしたか」
酷い言い草ではある。しかし発言したのが天邪鬼であるという事実から、吉弔は彼女の真意をおよそ汲み取った。
「……ちょっと寝る。アンタらのせいで私はずっと寝不足だったんだからな」
「おやおや……」
正邪がまたオオカワさんの背中に顔を埋めた。他の全てがバレてしまっても、今の顔だけは誰にも見られたくなかったのだった。
普段は鬼のような形相を崩さないオオカワの顔が緩んでいることに、吉弔が気付く。めったに起きない珍事に彼女も目を丸くした。
眠ったままでは地獄の道中は危なかろう。正邪は結局、オオカワさんに背負われたまま輝針城に送り届けられる事となる。
護衛となった魔理沙へのお礼と、正邪が迷惑をかけた鬼傑組へのお詫びは、合わせて打ち出の小槌一回分。
五人で囲む鍋の味に、正邪は久しぶりの笑顔で食べ物を口に運ぶのであった。
最近寒くなってきたからいつも裸足のお前はたまったもんじゃないだろう。風邪でもひいちまえ。バーカあーほ短小ドチビ。
鬼人正邪より
追伸
突然だがここを出ていくことにした。
お前はお尋ね者の私を見捨てないでまた輝針城に住まわせてくれた。そのことはありがたく思わなくもない。
だが私は天邪鬼だ。受けた恩には仇で返させてもらう。それに城での暮らしは快適すぎて、このままでは私の反骨精神が失われてしまうと思った。
ついでにだが、世間じゃ私のことを実はいい人だのお嫁さんの妖怪だの、テメェの都合が良すぎる妄想の人格で語るクソまで出てくる始末だ。
だから出ていく。あえて厳しい環境に身を置くことで自分のルーツを見つめ直そうと思う。
そして強くなって幻想郷をまたひっくり返すのだ。その時はお前も子分として使ってやってもいいぞ。
お前に言ったら止められるだろうか、いや止められないだろうな。お前だもんな。
とはいえ直接言って小言なんか言われるのもまっぴらごめんだから、こうして書き置きにしてこっそり去ることにする。悪く思うなよ。
私は別にお前の顔なんて見たくないが、もしお前の所に私宛の荷物が来た場合を考えて行き先を伝えておく。
私は畜生界に行く。
あそこは人間霊が動物霊に支配されているまさに下剋上世界らしい。最高だ。
次に会う時、お前は私の変わりようにたまげるだろう。今から刮目する準備をしておくんだな。』
「……というのがうちに残されてた書き置きなんだなあ」
小人族の末裔の少女である少名針妙丸は、自ら読み上げた手紙の上から退いて呆れた表情を浮かべた。
「……ははあ、それが発端であったわけですか。まあ事情は把握しましたよ。きっとどうすれば天邪鬼らしい文章になるかがんばって考えたのでしょうね」
吉弔八千慧は、本文と追伸が逆転した手紙にそれ以上の事がないかを数回確認してから一度、ゆっくりとため息をついた。
「最近寒いから風邪には気を付けろだとよ。とりあえず靴下でも履いたらどうだ?」
霧雨魔理沙は、針妙丸の感情が籠った朗読を何とも言い難い面持ちで聞いてそうコメントする。
地獄のお隣にあって、畜生霊同士で地獄の覇権争いを繰り広げる畜生界。そこの極道集団の一つである鬼傑組、組長の名は吉弔の八千慧。
彼女は家出した天邪鬼の件で針妙丸を呼びつけていた。またも虫籠サイズにまで縮んでいた小人一人で地獄の奥まで行くのは流石に危険だと、護衛として霧雨魔理沙を伴って。
『別にいいけどさあ、何で私なんだよ。天子とかにでも頼めばいいんじゃないか?』
『あの子が地獄になんて行ってくれると思う? 天邪鬼の説得ができると思ってるの? 霊夢に頼むのも考えたけどね、同じ家出少女の魔理沙の方が話をまともに聞いてくれそうじゃない』
『あー、天に恵まれてるヤツなんて天邪鬼が一番嫌いそうな人選ではあるな。まあ畜生界のお宝にはまだ興味があるしついでに行ってやるよ』
『流石は魔理沙! 異変じゃない時に頼りになるのはやっぱり魔理沙だねえ』
『一言余計だ。それと一応言っとくけど、私は持ち家もあって立派に自立してるんだぞ。家出とは一緒にしないでくれよ』
そんなやり取りを踏まえて、針妙丸と魔理沙の二人は吉弔とご対面と相成った。
「予想通りうちの正邪が何やらご迷惑をおかけしたようで、ええほんとすみませんと言いますか」
針妙丸は机の上で深々と土下座をする。
「いえ、こちらこそ。ここまで来ていただいて感謝しますよ。小人の姫君と魔法使い殿」
吉弔が椅子に座るように促す。魔理沙は応接セットのいかにも高級そうな皮張りの椅子に腰掛け、針妙丸は持参の虫籠ハウスから自分用の座布団を取り出して座った。
吉弔という人物を、魔理沙は身を持って知らされている。言葉遣いこそ丁寧だが、その実は畜生界で極道の長を務めるのに足る智力と冷酷さを持つ傑物だ。
何より恐れるは彼女の言葉には逆らう気力を失わせる効果がある事だ。その場合に備えてカウンターは用意してあるが、使わずに済むに越したことはない。
「……実は、こちらの方が貴方に謝りたく。こちらから出向ければ良かったのですが、おいそれとここを離れるわけにもいかない立場なもので」
「あなたから? 正邪が何かやっちゃった落とし前だと思ったんだけど違うの? 払う気はないけど」
妙に強気な小人に吉弔は力の無い笑みを向ける。
「それなら当人にきっちり払わせてます。遠い地の小人に払わせるほどうちは落ちぶれていませんよ」
「……ってぇことはだ、アンタのところが天邪鬼に何かやっちゃったんで、その詫びって事になるのか?」
「その通りです。実は……」
そこで吉弔は一つ溜めを作った。
「こちらでも家出して行方不明になってしまいまして……」
二人は吉弔の顔をまじまじと見た。
言い淀んだのは少からず鬼傑組の恥でもある出来事だからだろう。予想を裏切る結果に目を丸くしたまま、針妙丸は問う。
「逃げちゃったの? 正邪が?」
「ええ、まあ、そういうことになりますが……」
吉弔によると事情は次のようであった。
血風舞う死者の道を乗り越えて、正邪はやっとのことで畜生界に辿り着いた。
そこで特に大きな勢力は四つあったが、正邪は迷わず鬼傑組の門を叩いたらしい。
鬼傑組は戦闘能力で劣る部分を知略で補う集団だ。化け物揃いの幻想郷を道具と悪知恵で逃げ延びた正邪が親近感を覚えても不思議ではない。
下っぱの組員も天邪鬼がいきなり組に入れてくれと頼みこんでくれば流石に動揺したが、吉弔の鶴の一声でその望みは叶うことになる。
「実際彼女は有能でしたよ。物体をひっくり返す天邪鬼の能力は唯一無二ですし、何より生身の身体ですから憎き偶像へも有効打を与えられる」
「そりゃ良かったな。でも逃げられたんだろ?」
魔理沙は意地の悪い顔で吉弔に顔を寄せた。
「畜生界は生者が住むにはやはり辛かったということなのでしょうかね」
魔理沙の嫌味には見向きもせず、吉弔はただ白い壁の一点を見つめながら喋っていた。
「実は……彼女に与えていた団地の一室で部下が日記を見付けたのですよ」
「に、日記? あの正邪が?」
あの反逆児がそんな規則正しい行為を。針妙丸が自分の耳を疑うのも無理はない。
「ええ、このノートです。報告を受けたのはお二人がここに来るほんの数刻前で、私もまだ中を見ていません。さて……天邪鬼を探す手がかりが見つかるかもしれませんし、覗いてみますか?」
吉弔が机に置いたのはピンク色のシンプルなノートブックだ。畜生文房具店ならどこにでも売っている安物である。
思わず手が伸びる針妙丸を、魔理沙が一度制した。吉弔に問い詰める事があるからだ。
「待った。まずはっきりさせておこう。アンタの目的は正邪を組に復帰させる事なのか?」
「願わくはですが、こうなっては難しいでしょうね、天邪鬼ですし。それに組員だって脱走兵をまた特別待遇では納得しませんよ」
「アンタなら言葉で無理やり従わせる事もできたはずだが」
「所詮は一時的なもの。定期的に言葉をかけ続けるなんて面倒は御免ですよ」
それに言葉を介して洗脳する以上、かかりやすさは聞き手に依存する。ひねくれた受け取り方しかしない正邪には効き目も薄いのだ。
「……だったら、あいつを探して連れて帰れって事でいいんだな?」
「ええ、他の組の戦力になっては困りますから。ましてや偶像共の味方になられたら面倒この上ない」
「まさか、正邪がそんな扱いをされる日が来るなんてねえ……」
元同志の針妙丸は奇妙な感慨を覚えていた。どこでも爪弾きにされていた天邪鬼が一世界の均衡を揺るがしかねない重要人物とされていることに。
「いや、まだだ。他の戦力になったら困るってのならアンタ達で探しだして殺すか地上に送り返せばいいだろう。なのに針妙丸を呼び寄せて捜索の協力を頼んだ理由は……」
魔理沙は懐から一つの道具を取り出した。
「この打出の小槌じゃないのか?」
吉弔は眼を見開いた。振れば願いを叶えると言われる、小人族に受け継がれた鬼の秘宝、打出の小槌。
それだけならまだしも、その二個目が出てきたからだ。
「それは……贋作ですか」
針妙丸が持ってきた虫籠にも打出の小槌がくくりつけてある。そして魔理沙も懐に持っていた。どちらかが偽物に決まっている。
「へっへっへ。実はまだもう一つあるんだなあ~」
魔理沙はさらに帽子の中から小槌を取り出した。これで三つ目だ。
「小槌が狙いなんじゃないかと思ってな。知り合いのマジックアイテムの作成が得意な男に頼んだ、私か針妙丸以外が触ったら爆発する魔法付きの一品だぜ。こんな建物一つは木っ端微塵の威力さ」
三つの小槌と得意気に笑う魔理沙の顔を見比べて、吉弔は何かを悟ったようにふっと微笑んだ。
「そして、その三つの中に本物があるとも限らないのでしょう?」
「……ああ、その通りだな」
吉弔は一本の鍵を取り出して、机の引き出しの一番下に差し込んだ。
「何しろ本物はここにありますからね。部下が貴方を呼んだ時にすり替えさせていただきました」
机から出てきたのは紛れもなく針妙丸の物と同じ小槌であった。
「うそっ!?」
針妙丸が魔理沙の方を向く。その様子を、吉弔は一瞬たりとも見逃さない。
「ふふ。魔女の『左手』を見ましたね。つまりそちらにあるのが本物のつもりだった、ということです」
「あっ……!」
魔理沙があちゃーと言わんばかりの表情で針妙丸の頭を突っついた。
「いや、ありえん。小槌は莫大な魔力を秘めているから持てば違いはすぐわかる。待てよ……そうか、正邪が持っていたやつだな」
「……ふふ、理解が早くて助かりますよ。日記と同じく部屋に遺されていた物です。レプリカだったようで何の力もありませんがね」
魔理沙は二本の小槌を後ろ手に隠し、吉弔と不敵な笑みを交わし合う。
詐欺師対決は引き分け、といった趣にあった。
「はい、もういいよね」
針妙丸はポン、ポンと手を二回打った。
「どっちにしても小槌は小人族か本物の鬼じゃないと扱えないの。使えても反動が来るのが絶対の厄介物。欲望の為に使えば身を滅ぼす事になるよ。ま、詐欺に使うには絶好かもしれないけどね」
「ええ、まさに詐欺で使いたかったわけですが」
「アンタは頭が良いし口車に乗せるのは大得意なんだから小槌に頼るまでもないだろ。とりあえず話を進めないか? 私も日記が気になってきたぜ」
自分が最初に話を遮った事も忘れた振りをして、魔理沙がノートの表紙に指を伸ばした。
「そうだね、それがいい。あなたは正邪を引き取ってほしくて、私はその通りにする。今回の話はそれだけ、そうだよね?」
「……はい、まさしく」
吉弔がレプリカ小槌を引き出しに戻すと、それに合わせて魔理沙も服の内側に小槌を隠した。
「小槌の話は止めにしましょう。皆さんお待ちかねでしょうし、保護者立ち会いの下に日記鑑賞会といきますか」
人の日記を盗み見ることに何の罪悪感も持たない畜生達による公開処刑が今より始まる。
吉弔の目線を受けた魔理沙は満を持して、日記の最初のページを開くのだった。
『霜月 二十日
今日から日記を書くことにする。
天邪鬼の私が日記なんて我ながら笑えるが、あまりにも激変した環境の中で自分を見失わない為だ。
それに日記なんか書くわけがないと思われている私のイメージに反逆するのも悪くない。
もしかしたらこれが私の命綱となる日が来るかもしれないと思ってちょっとだけ続けてみることにする。
とりあえず疲れた。畜生界は血生臭くて息が詰まる。あと動物臭い。
でも鬼傑組の組長は悪知恵が働いて私とは気が合いそうな奴だ。ここを選んだのは間違いではないはず。
私は畜生界で自分を鍛え直して、地上をひっくり返してやる。
初心忘れるべからず。明日からがんばろう。』
「確かに畜生界は臭いよね。ここも野生の臭いがするし」
針妙丸は鼻をくんくんとひくつかせながら感想を述べた。
「ふむ、畜生界はヤブ医者ばかりだから組員には各自で衛生に気を付けるように言ってあるのですが……」
「まあ毛むくじゃらの奴らは厳しいよなあ。それより初日から結構書いてるし、こいつは中々の恥ずかしいもんが期待できそうだぜ」
人の秘密を覗き見るのが大好きな魔理沙は嬉々として次のページをめくった。
『霜月 二十一日
組長からこいつに付いて回ってここの掟を学べと幹部の一人を紹介された。
何だあいつヤバい。デカいし怖い。
オオカワウソのオオカワさんヤバい。
カワウソみたいないかにも弱っちそうな動物しかいないと思ってたのに、鬼傑組にあんな猛獣がいるだなんて聞いてないぞ。
でも飯はオゴってくれた。エンリョせずオレより高い物頼んでいいぞとか言われた。いいヤツだよ畜生。
そんなオオカワさんは私の五倍くらいヨユーで食うし。どんな高い物頼んでも超えられねえよ。とんだ肉食動物だよ。
あとあの店の魚のフライ、油ですごいギットギトなのにオオカワさんペロリと食うしヤバい。
他の奴らもこんなの美味そうに食ってるし舌が死んでるんじゃねえか。いや、舌どころか全身死んでたわ。』
「うん、とりあえずオオカワさんがヤバいのは伝わったよ」
「なあ、もしかして……私の後ろで凄いガン飛ばしてきてるおっちゃんがオオカワさんなのか? めちゃくちゃ怖いんだけど」
魔理沙が後ろを振り向くも、すぐ目を逸らす。今居る部屋の入り口には数名の組員が立っているのだが、その内の一人が他のカワウソ霊とは一線を画すオーラを放っていた。
まず体躯が違う。魔理沙が一番良く知る男性である森近霖之助と身長は同じくらいだが、横幅が二倍くらい広い。そして露出している顔の部分だけでも肌は傷だらけで片目は眼帯だ。頭もつるつるに剃っている。
悪鬼のような見た目にも関わらず、頭や腰にはカワウソらしい可愛い耳や尻尾が付いていたりして、それはもうギャップが酷い。
「その通り、彼がオオカワです。単純な殴り合いでは畜生界最強とも言われている豪傑ですよ」
「ヤバいじゃねえか! なんでそんなのを差し置いてアンタが組長やってるんだよ!」
「彼は純粋な戦闘員の方が性に合っているんですよ。それに畜生界は女尊男卑社会なので女というだけで全てにおいて優先されるのです」
「うわぁ……」
畜生界の地獄の一部を垣間見てしまったがまだ二日目だ。さらなる地獄を期待して次のページに目を移す。
『霜月 二十二日
ヤクザといっても年がら年中暴力ばっかりじゃないらしく、今日は鬼傑組が経営してる野球チームの視察に付いていった。
カワイイ系の動物が多い鬼傑のチームは見た目通り弱くて興行収入も厳しいらしい。オオカワさんが凄いデカい声で喝を入れてた。とてもこわい。
それならオオカワさんも参加すればいいじゃんと言ったら、オオカワさん片目だからボールの距離感が掴めないとか、ヒザに弾を受けてしまったとかで球技は無理らしい。切ない。
帰りにオオカワさんからラーメンをオゴってもらったが、やっぱりここのメシ屋も油でギットギトだ。小盛りで頼んだのに私の知る普通のラーメンの大盛りぐらいあるし。
なのにオオカワさんはモヤシとニンニクが山みたいにトッピングされた特盛を完食してた。ヤバい。』
「球技はダメなんだ。オオカワさんかわいそう……」
針妙丸は自身より数十倍は大きなオオカワさんに悲しげな表情を向けた。
「名誉の負傷です。全身の傷痕は格闘士の誇りなのですよ」
「今のところ飯が油だらけで臭いってのとオオカワさんの話しか出てないじゃんか。次だぜ次」
『霜月 二十四日
あまり見られちゃいけない特別なヤクの取引があるということで組長自ら現場入り。私らは深夜までずっと見張りだ。
何でもパワーで劣るウチの組員の為に調合した特別なドーピング剤らしい。一本打てば一晩は絶対に眠れないとか。
だが張り込んでたのかは知らんが、頸牙組の連中が引き渡しの時を狙って殴り込んで来やがった。
あっちの組長のクロコマとかいう奴は気に入らん。あいつも「持ってる」側の存在だ。
私と組長とオオカワさんでなんとかぶっ飛ばしてやったが結構な数のヤクが台無しだ。おかげで組長の機嫌が悪い。
私も一晩寝てないってのにぶちまけられたヤクをちょっと吸っちまったせいで目がギンギンだ。クソが。
これを書き終えたらむりやり横になるとしよう。』
「おー、いいじゃん。ヤクザっぽい展開になってきたぜ」
「良くありません。こういう薬は一本無駄にするだけでも大損害なのです。あれ以上の被害が出ていたら組員の給料にも影響が出ていましたし」
極道らしいドンパチにご機嫌の魔理沙だが、その時を思い出してしまった当の吉弔の顔は不愉快そのものだ。
「薬物の取引かぁ。正邪がどんどん引き返せないところまで落ちていくねえ……」
幻想郷の転覆を謀ってお尋ね者となった身では今更だが、友人としては複雑だ。もっとも、針妙丸が友達と言おうものなら正邪は頑として否定するだろうが。
『霜月 二十七日
あまり気にしないようにしていたがここの団地の人妻どもはどうなってるんだ。
四六時中ずっとどこかで盛る声が聞こえてきてたまの休みが台無しだ。のんびり昼寝もできやしない。
上から下から横からアンアンパンパン鳴らしやがってここはアンパン工場か。中にたっぷりなのはあんこじゃなくてクリームだよ。言わせんなクソが。
何が怖いって部屋から聞こえる女の声は同じだけど男の方が毎回違うんだよ。テーソーが狂ってやがる。地獄かよ。地獄だったわ。』
「……ええ、畜生界の団地妻はみんな不倫しています。何しろ畜生ですから。結婚という仕組みは知っていても、つがいという意識が薄いタイプも結構いるものでして」
「組長さんもそうなの? 男はとっかえひっかえの遊んでポイ?」
「ノーコメントです。お子様がこういう事に興味を持つんじゃありません」
ヤクザらしからぬ吉弔の発言だが、単なるチンピラと違って理性的な者であるほどカタギとは線を引くらしい。
「まったくけしからんなー。恋の魔法使いとして見過ごせん奴らだぜ」
「そういえば先程、小槌の複製に協力した男の話をした時の貴方は妙に嬉しそうでしたね。もしや貴方のコレですか」
吉弔がニヤついた表情で親指をピンと上に向ける。
「……ノーコメントだぜ」
『霜月 二十九日
ここに来て一週間ぐらい経ったが飯のマズさだけはどうにも耐えきれん。
スーパーで買ったマーマイトとかいうやつ、黒いからチョコっぽい味がするのかと思ったらやたら塩っぱくてクソまずい。
店で魚のパイを頼んだら魚が丸ごと何匹も突き刺さったゲテモノが出てくる始末だし、何なんだよここは天空ならぬ地底のグリニッジか。そんな所地獄にすんなよ。
本当に気が滅入りそうだ。』
『師走 一日
しんどい。抗争で人員が欠けたからって菓子工場に行かされた。
ずっと同じ作業を続けるだなんて天邪鬼として一番許されないことだ。
反逆したいが余計なことして工程を止めると私の給料が無くなるからそれもできん。クソが。
つーかこのスナック匂いがひでえ。機械も汚えしこんな所で作ってんだからそりゃ飯もマズいはずだ。
出来たてならちょっとはマシかと思ってつまみ食いしてみたらむしろ出来たての方が酷い。何入れてやがる。』
『師走 五日
あのクスリすげえ。一回キメるだけで疲れがポンと吹っ飛ぶぜ。
あれが無かったら本当にぶっ倒れてたかもしれん。』
「いよいよ危なくなってきたね……」
「ああ、事件発生まで五秒前って感じだな……」
日記の日付も飛び飛びになってきて余裕の無さが伺える。諸々の諸悪の根源である吉弔も額に手を当てた。
「それもこれも驪駒の馬鹿が考えなしに生産拠点に襲撃をかけるからで……ただでさえ人間霊があっちに取られて人手不足だのに……」
しかし畜生で極道である者達に建設的な運営などできるはずもなく。それが出来得るのは吉弔を除けばもっとも相容れぬあの勢力しかいないのだ。
『師走 九日
初めて動く埴輪と戦った。
付喪神みたいなもんかと思ったら埴安神とかいう奴が造ると何でも動き出すんだと。
ちくしょう、弱い人間霊の為に働く神だったら最初からあいつを誘って下剋上を企むんだった。クソが。』
『師走 十二日
霊長園の近くを通りかかったら中からキンキン声の妙ちきりんな歌が聞こえてきた。
歌詞は変だし埴輪を囲ってる奴らも気持ち悪い。
なのに何なんだ。あの歌がずっと耳に残って離れない。まるで呪いみたいだ。』
『師走 十五日
埴輪っていいな。ここのマズい飯を食わされずに済むんだもんな。』
『師走 十六日
最近夜空を見てないな。
流れ星を今見つけたら、私は何を祈るかな。
美味しいご飯が食べたいな。』
「おい、ポエミーな事言い出したぞ……」
「ご飯が美味しくなくて正邪の心が蝕まれていってる……」
「天邪鬼の舌の方がおかしいのですよ。或いは他人の逆張りで不味いと言っているだけでしょう」
後ろでオオカワさんが力強く頷く。二人もこの状況でお前らが馬鹿舌なんだろと言い出す蛮勇は流石に持っていないのだった。
『師走 二十日
とんでもない所に来てしまった。
私がしたかった反逆はこんなものだったのか。
どうしよう。私はこのままでいいのか。どうしよう。』
「字がブルブルだぜ。限界来ちゃってるじゃんか……」
「正邪にいったい何が……」
「クスリの横流しをした人間霊を地下で拷問した事でしょうか。そういえばだいぶ顔色が悪かったですからねえ」
吉弔は全く悪びれもせず言い放った。
彼女に思い当たったのがそれだっただけで、他にもいろいろと積み重なっているのは間違いない。空白の日付には書く気力を失う程度の出来事もあったはず。
魔理沙も針妙丸も、天邪鬼すら顔を真っ青にするような出来事など刺激が強すぎて詳細を聞く気にもなれなかった。
いや、たかが反抗期の少女が本当の悪を目の当たりにして現実を突きつけられたと言うべきなのだろうか。
そして次のページをめくった三人はまた、衝撃的な現実を知ることになる。
『ハニー! (ハニー!)
ハニー! (ハニー!)
私のこと忘れないで さびしい夜は思い出して
いつだって君の心には 土から生まれた偶像(アイドル)がいるんだから
杖刀偶! (上等GOOD!)
M・A・Y・U・M・I! (M・A・Y・U・M・I!)
絶望の闇に包まれる畜生界に舞い降りた 粘土生まれのあなたの天使(アイドル)
大事なあなたを守るため 私はいつでも全力なのダ☆』
・
・
・
◇
「ハニー!」
『ハニー!』
「ハニー!」
『ハニィィィィ!!』
白熱のスポットライトを浴びてステージの中央で歌う埴輪の兵士。彼女の歌に化学反応を起こしたかのように、埴輪の女の子がプリントされたシャツを汗で湿らせた人間霊達が甲高い奇声を上げる。これもまた現代の地獄絵図の一つである。
「杖刀偶!」
『上等GOOOOOOOOD!!』
そして脂ぎった観客達の中に、子鬼を思わせる小さな二本の角が生えた少女が一人。溜まったうっぷんを晴らさんと絶叫で飛び跳ねているのだった。
「エム・エー・ワイ・ユー・エム……!」
「楽しそうだね、正邪……」
「アイィィ!?」
正邪はぶったまげた。よく見知った小人と、かつて下剋上計画を阻止しに来た魔法使いが後ろに居たからである。
「ななななんで! どうしてお前らがここに居るんだ!?」
「どうもこうも、お前が家出したっていうからわざわざ探しに来てやったんだよ。私はお守りだがな。しかし、たまげたなあ……」
日記に記されていた『ラブリー☆ハニー伝説(作詞作曲・埴安神袿姫)』の歌詞から、二人は正邪が埴輪アイドルの杖刀偶磨弓の沼にハマッてしまっていると察して足を運んだのだった。
ちなみに歌詞に高評価を与えていたのは魔理沙のみで、他は地団駄を踏んだり机を蹴ったり唾を吐く真似をしたりと散々であった。
「それにしても正邪や、こういうのが好きだったなんて意外すぎたよ。お前って人気者が嫌いだと思ってたんだがねえ」
「べべべっべべ別に好きじゃねーし!? これはそう……あれだ、偵察だ! うちの組の敵がどんな活動をしてるか調べてたんだよ!!」
と、埴輪プリントの鉢巻や法被までしっかり身に着けた正邪が弁明する。はっきり言って何の説得力もない。
ちなみに磨弓ファンの者達は埴輪に人生をかけている事からハニライバーと呼ばれている。まるで鎧のように埴輪のアクセサリーで全身を固めている彼らは、元々底辺の人間霊の中でも最底辺の存在として知られているのだった。
「……まあ、気持ちはわかるぜ。人生に疲れてるとこういうファンシーなポエムが心に染み渡るもんな」
「うるせえぞポエマーが! この鬼人正邪様をお前みたいな人間の小娘と一緒にするんじゃない! 私は天邪鬼なんだ……って、おい待てよ……」
首を横にブンブン振って叫んで、意識が少し朦朧としたところで正邪は想像できてしまった。二人はどうして自分がここに居ると知れたのかと。
「も、もしかしてお前ら……私の部屋に入ったのか……?」
「入ってないよ、一歩たりとも。そもそも正邪の住んでる所なんて知らないし」
「嘘だ! 私はCDを買う時もばっちり変装してイヤホン付けて聞いてたんだぞ! 他の奴らが知れるわけがないんだ!」
つまりこっそりファンになってしまったと自白しているのだがもはやどうでもいい事だった。何を言い訳しようがバレバレなのは正邪だってわかっているのだから。
二人が正邪の居た団地を知らないのは本当だろう。なら鬼傑組の者が案内したのは自明である。
終わった。何もかもが終わった。
自分が日記に記した組長やオオカワさんの悪口も、疲れた心でうっかり書いてしまったポエムも、あと一人寂しい自分を慰めるために夜の畜生メトロポリスで買ったあれやこれやも。全部見られたに違いない。
どっちにしろ組から逃げ出した私を消そうと吉弔が刺客を送ってくるはずだ。いや、この二人が刺客なんだ。そうに決まってる。
恥ずかしさと怒りと焦りが正邪の心の中でぐるぐると渦を巻き、冷静な思考を奪っていく。
「私は別に正邪がこういうの好きでも気にしないからさあ、とりあえず一緒に帰ろう? 組長さんの所にも一緒に土下座してあげるから……ね?」
こいつらは私を突き出す気だ。殺される。
──ぷつっ。
「チっクショオォォォォォォォォォォォ!!」
正邪の中の何かが切れた。
こいつらを殺して私も死ぬ。もうそれしかない。
勝手に覚悟をキメてしまった正邪の目に映った物があった。
打ち出の小槌。
針妙丸の虫籠ハウスに取り付けられた打ち出の小槌だ。
もちろん正邪が使ってもただの鈍器にしかならないが、しかし鈍器にはなるのだ。こいつらを殺すだけなら十分。
正邪は迷うことなく『虫籠の打ち出の小槌』を掴み取った。掴み取ってしまったのだった。
「あ」
「あっ」
「あ……!?」
建物一つは軽く木っ端微塵にできるダミー小槌が、真っ白な閃光を放った──。
◇
「……お目覚めですか。こんなに軽いくせに頑丈ですね」
小刻みな上下の揺れが魔理沙の意識を引き戻す。立ち並ぶ毒々しい色のネオン街の隙間から見える赤黒い空。ここは間違いなく地獄の光景だ。
魔理沙が目を覚ましたのは吉弔の腕というベッドの上だった。
「……うえっ!? お前、どうして……」
「謎の爆発事故が霊長園で発生したと報告を受ければ様子を見に行くに決まってるでしょう。原因が貴方達であることは予想できますし」
あの時魔理沙がとっさに放ったのは冷風の魔法だった。彼女が肌身離さず持っているミニ八卦炉には風を送り出す機能が付いている。その力で爆弾小槌を上空に打ち上げ、さらに凍結させることで爆発の威力を減衰させたのだ。
もっとも、崩れ落ちてきた瓦礫が運悪く頭に降ってきてしまった二人は仲良くおねんねと相成ったのであるが。
「組長さんが気絶してる魔理沙を運んでくれたんだよ、お姫様抱っこで」
魔理沙の腹に座って針妙丸が愉快に笑っていた。彼女は体の小ささを生かし、瞬時に魔理沙の影に隠れて事なきを得たのだ。
「悪く思わないでくださいよ。私の背中は見ての通り、人を背負うには向いていないですから」
「悪くはないが……何だかなあ。こういう運ばれ方をするならもうちょっと相手は選びたかったぜ。まあありがとうよ」
魔理沙は反重力の魔法で腕からふわりと降り立ち、自分の足で元気に歩き出した。
彼女の脳裏に浮かんだ理想の相手は誰だったのか。それはご想像にお任せする。
そして気になる正邪はというと──。
「む……うー……フガッ!?」
筋骨隆々とした背中に顔を埋めていた息苦しさで目を覚ました。
「こ、このむさ苦しさは……オオカワさんか!?」
ご明答。正邪をおんぶで運んでいたのは吉弔と共に来ていたオオカワさんだった。寝起きの第一声でむさ苦しいと言われてしまってちょっぴり悲しそうな表情を浮かべている。
「おはようございます。まったく、心配して損しましたよ。まさか埴輪に夢中になっていたとは思いもしませんでした」
「く、組長……!」
正邪の顔から一瞬で血の気が引いた。思わず暴れて逃げようとするが、オオカワさんにがっちりと足を掴まれていて全く抜け出せない。
「わ、私は別に組が嫌になって逃げたとかそういうのじゃなくて、ですね……」
「このまま畜生界の境目まで運んであげますから安心して帰っていいですよ。それぐらいの功はありますからね」
「は……? 私に功が……?」
「霊長園の天井が崩落して埴輪にもいくらか被害が出たようで、いい気味ですよ。気分が良いので今回はこれでチャラにして差し上げます。ありがたく思うように」
「は、はっ……!」
吉弔の能力で逆らう気を失った正邪は、ただただ赦しを得られた事に安堵のため息をついた。
今頃は驪駒か饕餮が爆発騒ぎに便乗して襲撃をかけている頃だろう。この後の計画が吉弔の脳内で踊っていた。
「正邪……私から言いたいのはこれだけだよ」
さて、後は針妙丸と正邪の問題だ。
針妙丸はオオカワさんの肩に飛び移って正邪を見下ろした。
「な、何だよ! 幻想郷には戻ってもお前の所には戻らねーからな!?」
「お届け物が来ています」
「……はあ?」
「自分で書き残したんでしょうが。万が一荷物が届いた時の為に行き先を知らせとくって。モクズガニの鍋セット、懸賞で当たってたよ。腐る前にさっさとうちで食べてって」
無論、大嘘である。そんな懸賞は応募したような気がしなくもなくもないが、空に浮いている輝針城に荷物を届けられるほど一般的な人間は万能ではない。
しかし、針妙丸にはアレがあった。何でも願いを叶えてくれる、便利な鬼の秘宝が。
「……しょ、しょうがねーな! 私のカニを食われるわけにもいかないから、ちょっとだけ帰ってやるとするかなあ!」
針妙丸と魔理沙は顔を見合わせてくすくすと微笑んだ。
食べ終わってしばらくしたら、代償として食べた分だけ空腹にはなるかもしれない。しかし皆で鍋をつつく多幸感だけは小槌でも取り返せないものだ。
「あ、そうだ。組長とオオカワさんも城に来るか? せっかくだしアンタらも一緒に鍋パーティーしようぜ?」
なぜ呼ばれてもない魔理沙が言うのか、それは魔理沙だからとしか言いようがない。吉弔は僅かに戸惑って間を置いたが、もう一度正邪の顔色を確認してから首を静かに横に振った。
「遠慮しておきますよ。天邪鬼も私と一緒ではせっかくの鍋が不味くて堪らないでしょうから」
上司が一緒の職場の宴会を苦痛に感じる若者が増えていることは吉弔だって知っている。正邪はもう自分の顔なんて見たくもないに違いない。そう決めつけた。
「おい、勝手なこと言ってんじゃねーよ!」
どこまでも一方的な考え方の吉弔に、先程までは怯えていた正邪が力強く反抗する。
「確かに組の仕事はクソだったけど……組長はいきなり組に飛び込んだ私を拾ってボロくて臭い団地に住ませてくれたし、オオカワさんは何度もクソ不味い飯を奢ってくれた! 今更アンタ達が居たところで不味い飯なんか慣れっこなんだよ!」
「……そうでしたか」
酷い言い草ではある。しかし発言したのが天邪鬼であるという事実から、吉弔は彼女の真意をおよそ汲み取った。
「……ちょっと寝る。アンタらのせいで私はずっと寝不足だったんだからな」
「おやおや……」
正邪がまたオオカワさんの背中に顔を埋めた。他の全てがバレてしまっても、今の顔だけは誰にも見られたくなかったのだった。
普段は鬼のような形相を崩さないオオカワの顔が緩んでいることに、吉弔が気付く。めったに起きない珍事に彼女も目を丸くした。
眠ったままでは地獄の道中は危なかろう。正邪は結局、オオカワさんに背負われたまま輝針城に送り届けられる事となる。
護衛となった魔理沙へのお礼と、正邪が迷惑をかけた鬼傑組へのお詫びは、合わせて打ち出の小槌一回分。
五人で囲む鍋の味に、正邪は久しぶりの笑顔で食べ物を口に運ぶのであった。
どったんばったん大騒ぎな騒動に笑わせて頂きました。楽しかったです。
一瞬ポエマーになった正邪...
畜生界はちゃめちゃにイカれてて好きですめっちゃ笑いました
それで居て日記読んでるメンツの和気藹々もそう、腹の探り合いと言い日記へのツッコミと言い、オオカワウソの動物霊の方も顔緩まさせてくれましたし、ラストのハッピーエンドも良かった良かったと言ってしまいました。いやはや面白かったです。
日記を勝手に読んでおいて好き勝手言ってる針妙丸たちがよかったです
畜生界のダメな一面が垣間見えて素晴らしかったです
テンポよく進む軽妙な文章が面白かったです。急に電波ソングの歌詞がぶっこまれたらそら笑うよ。
隠してた日記も読まれ、恥ずかしい姿をも見られてしまう正邪可哀想…
魔理沙はいいなぁ…私も吉弔様にお姫様抱っこされたい…
よくある「正邪は実はいいやつ」「切ない話」ではなく、しかも読み応えあって大好きです。ストーリー展開も良かったです。
漫画化してみたい…と思ってしまいました。
オオカワの兄貴…!