地獄の1つ、畜生界。
動物霊の跋扈するこの地獄は三つの勢力がそれぞれの支配権を拡げており、互いの領域を侵食し、また侵食されを繰り返す乱世の時代が続いていた。
畜生から成る動物霊が支配するとはいえ、各勢力の組織により高度な社会を形成するこの世界では、住まう動物霊達もその社会性に準じて暮らしている。
社会性とは世が乱れる争乱とは対極に位置する概念とも言えるが、この畜生界では三つの勢力の均衡により常に争いが起きつつも安定しているという奇妙なバランスが成り立っており、動物霊達は小規模な小競り合いこそあれ、それを日常としていた。
そんな争いの絶えない畜生界だが、比較的平和な時期がある。それがこの時期、年の瀬である。
社会性を獲得した動物霊達は、争いの中に居ながらも安定を求めるようになる。その結果「たまには完全に争いのない、平和な時期がほしい!!」という空気が漂い始めていた。そこで、勢力争いをしている各組織の長も年の瀬を休戦期間と定め、この時期だけは如何なる場合も勢力争いとなるような抗争は起こさないよう、それぞれの配下に通達した。
組織というのはメンツにこだわる。メンツのない組織など、いくら力があっても誰も付いてはこないからである。それゆえ、この停戦協定は破った者は組織のメンツを潰した者として粛清されることとなり、各組織では幹部から末端のチンピラまでこの期間は絶対に他勢力に手出しをしなかった。一種の恐怖政治であるが、それ故に平和が担保された。
つまるところ、畜生界はいま、年に一度のクリスマス☆浮かれモード状態にあった。
簡単な霊力を使用し弾幕を応用した光の粒子が街の至るところを飾り付け、ここが地獄の一端であることを忘れるような明るさを演出している。
自身が動物霊だというのに動物の肉を加工した食品を販売している者もある。皆、短い平和な時間を満喫しようと意気込んでいるようであった。
畜生界全体が地獄とは思えないそんな明るいムードに包まれている中、鬼傑組の本部では配下の動物霊が忙しなく動いていた。
「急げ急げー!今日中に全て運び出すんだ!」
幹部と思われる動物霊が他の動物霊に指示を出している。動物霊たちはファンシーなラッピングに包まれた箱をあちらこちらへと運んでいる。地上を忙しく行きかう動物霊達はみな一様に赤い衣装に身を包んでおり、少し離れたところから見れば赤い大地が動いているかのようだ。
そんな蠢く赤い大地の様子を建物の高層階から眺める姿があった。
淡いグリーンのスカートから白く細い脚を覗かせるが、背の甲羅とそこから伸びる龍の尾、そして頭から生えた角が人間でも並の動物霊とも違うことを悟らせる。鬼傑組組長、吉弔八千慧である。
バサバサと彼女の傍に飛んできた側近のコウモリ霊が階下の近居を告げる。少し予定より遅れてはいるが予定に差支えはなさそうだ。
「盛大にやっていますね。善い事です」
「ええ、今年も全力ですぜ。今年は特に例の抗争で準備に使える人間霊も減っちまいましたからねぇ。他のとこと小競り合いなんてしてる暇なんて無いくらいでさぁ。」
「それは心強い、まぁこの時期に争いなんて起こされては困るのですけれどね。」
「争いは起こしやせんが……守りはちゃんと固めていますぜ。」
「良いでしょう。警戒は怠らないように。」
八千慧は目を細くして側近を見やる。表情は笑顔を成しているが瞳は冷たく相手の心の奥底を射るかのようだ。
「争いを起こさない、イコール何もしない……ではないですからね。火種になるようなことは慎みつつも、水面下での動きは途絶えさせぬよう。」
「勿論、そういうのはわれらが鬼傑組が十八番。お任せくださいな」
側近のコウモリ霊は一礼する。
「……しかし、争いを休止する、まではわかりますが、うちの組はなんでこんなにプレゼントを配りまくるんです?シマに住んでる奴らだけじゃない、シマに近い奴らにも配るなんて。」
「不思議ですか?」
「正直言うと、シマの奴らへの餌付けにしては大盤振る舞いではと思っちまいますね。」
少し遠慮がちにコウモリ霊は言う。
「ふふ、それくらいがいいのですよ。」
八千慧は子供をたしなめるように続ける。
「もしも他の組の者が彼らを懐柔しようとするなら、これより良い条件を出さないと彼ら懐柔できない。それはそうですよね。長年私達の配下に居れば居るほど“これ“が彼らの普通になっているんですから。」
「なるほど……文字通りの餌付けってことですかい。」
「それに、私達の配下に下ればこれだけの利点がある、というアピールにもなりますからね。」
「……なるほど、じゃあうちのシマじゃないとこに配っているのも……」
「そう、まぁ宣伝のようなものですね。特にこの時期はどこも抗争で領土を拡げられない。しかし抗争だけが領土拡大の手ではありませんから。」
コウモリ霊は自分のふとした疑問から返ってきた八千慧の言葉の多さに自身の考えのなさを痛感させられる。
「昔はうちの組長はお優しいとしか思ってませんでしたが……。いやぁ、さすが鬼傑組組長、ですな……何もかも計算のうちとは。」
「優しさでこんな粋狂をするほど愚鈍ではないですよ、私は。」
そういう八千慧は小さな声で呟く。
「……まぁ、これを始めたのは私が最初というわけではないんですけどね。」
その呟きはコウモリ霊には聞き取れない。
「え?」
「いえ、なんでもありません。……さて、そろそろ運び出しは終わり、各地への輸送開始ですかね。状況確認をお願いします。」
八千慧は背を向けてコウモリ霊へ指示を飛ばす。
「合点承知、お任せを。では。」
側近のコウモリ霊は八千慧の元を離れ、再び地階へと滑空する。
どこよりも、誰よりも高い場所には八千慧だけが残された。
「……」
「……驪駒様、何故こんなにプレゼントを配るんですか。」
「そりゃあ、うちの縄張りに居ることを自慢してもらいたいからな。勁牙組の縄張りは最高だぜってさ。あと、来年は縄張り拡げてもっと色んなもん配ってやるから期待しとけって意味もあるかな。」
「……勉強になります。」
「ま、私のシマのものは私のものだからさ。私のものになったからにはしっかり全部面倒見てやるのが筋ってもんだろ?」
「……」
もうずいぶんと昔のことなのに他愛のない会話すらずいぶんと鮮明に覚えているものだ、と自嘲する。
「……はぁ、たしかに合理的手段とは言え、やってること自体はあの馬鹿の真似事をしてるなんて、ね……。」
昔の記憶がよぎった自分の頭の中をかき消すように深い溜息を吐く。
(しかし……)
彼女の言葉や振る舞いを回想すればするほどに、彼女の力量というものを思い知る。
それは単純な腕力、能力だけではない。彼女にはあれで組織の長としてのなんたるかが備わっている。
それこそ、この畜生界を支配する器に足るかもしれないほどに。
そして、その器と対抗している……ことになっている自分は、まだ彼女に及ばないことを痛感させられる。
(……今も昔も、ただ後ろを追いかけているだけに過ぎない、か……)
建物の吹き抜けから月灯かりが差し込む。遠くに浮かぶ月に憐れまれているようで自分が惨めになる。
無論、自分は知略と策謀には絶対の自信を持っている。少なくともこの畜生界では他の者に負けてなどいない。それは長年の支配から盤石な組織を持っているわけでもなく、個としての圧倒的な力を持っているわけでもない自分が、こうして群雄割拠の畜生界の中でも最大とされるそ組織の1つで長を務めていることからも理解していた。
しかし、どれだけの知をもってしても、自分にはまだ圧倒的な力を組み伏せることができないのも、その知ゆえに理解していた。
「早鬼……」
憎いはずの敵の名も、まるで恋しくて呼んでいるようだ。
不意に、月光が消える。否、黒い影が八千慧を覆う。
「呼んだか?」
今、自分がその名を呼んだ、憎いはずの敵が、そこにいた。
驪駒早鬼は自由である。
畜生界では弱肉強食というルールなきルールがゆえに力無きには自由はないが、その中で早鬼は自身の強大な力をもって自由を振りかざしていた。
一組織のトップでありながらその責を蔑ろにするわけではなく、しかしその責に縛られず、畜生界を自由に駆け、飛び、戦う。それが彼女であった。
それだけ自由な彼女であるから、敵対組織の長にふらりと会いに来ることすら彼女の意のまま自由であった。
「呼んだか?」
ちょうど自分の名前を呼ばれたので思わず声をかけてしまった。
八千慧一瞬驚いたようだったが、すぐに早鬼を見上げて落ち着き払って挨拶をする。
「こんばんは。呼んでいませんよ、驪駒早鬼。」
何か、彼女の態度に引っかかるものがあったが、早鬼は気にしないことにした。
「そうか。ま、呼ばれてなくてもお邪魔するよ。」
天井からひょいと降りて八千慧の傍に着地する。
「そうですか。」
八千慧は隣に降り立った早鬼を目にも留めずスタスタと歩いていく。
「さっさと来てください。応接室は開けてありますから。」
「お呼びでないのに、いつも歓迎してもらって悪いねぇ。」
八千慧について早鬼も歩き出す。
「貴女みたいな人がうちの建物で平然と立ち話していてはこちらが困るんですよ。というか、悪いと思っているならせめて一報寄こしてほしいですね。勝手に来られると困るのは私じゃなくて部下なので。」
警戒態勢を敷いているはずなのに易々と突破され、しかもそれが敵対組織の長という最重要人物であるなど部下としては報告を挙げるのに胃も頭もを痛くしてしまうというものである。もちろん相手が規格外なのはわかりきっているので八千慧は部下にそれを咎めるようなことはしないのだが、それでも部下にとっては多大なストレスであるのは言うまでもない。
「いや、そうは言うけどいつ行けるかわからないからさ。私だって忙しいんだぞ。同じ組長ならわかるだろう?」
「わからない、じゃなくていつも予定を計画していないからでしょう。その場その場で行動されては、振り回される貴女の部下も可哀想ですよ」
それだけ自由奔放なのに部下が彼女をリーダーとしてついてくるのはひとえに彼女の力と魅力なのだろうな、とも思うがそんなことは言わない。
「う、うちの奴らと全く同じことを……」
ぐぬぬ、と早鬼が口を尖らせる。
「少しは部下ことも考えて動いた方がいいですよ。来年の目標にしてはどうです?」
「来年の事を言えば鬼が笑うって言うぞ?」
「鬼も畜生も怖くないくせに、よくもまぁ。」
そんなことを話しながら応接室に到着する。八千慧は傍で待機していた部下の動物霊にさっと耳打ちをしてもてなしの準備を進める。
「年の瀬ですので、良い酒も肴も揃っていますよ。」
「ん、肴は欲しいが酒は要らないよ。」
そういうと懐から酒を取り出す。
「ワインですか。珍しい。」
「うちの部下が贔屓にしている酒造の者が届けてくれてさ、今年のは『畜生界始まって以来の最高の出来』なんだってさ。」
「去年は?」
「えーと、『畜生界の歴史がこのワインで変わる』だったかな。」
「どっちが良いんです?」
「さぁ?美味しいなら良いんじゃない?」
そんな会話をしながら、部下にはワインに合いそうな肴を、と伝え、部屋には二人が残される。
「本当に何も考えてないんですね。そのうち騙されますよ。」
早鬼は遠慮なく椅子に腰かけ帽子を脱いで早くもくつろいでいた。
「まぁ騙されたら騙されたでその時だよ。そういう世界だろ?ここは。」
「……それを貴女が私に言うんですね。」
仮にも敵同士の間柄、しかも策略で名を馳せる鬼傑組組長を前にこの態度だ。
「例えば私が今この場で貴女を陥れようとしているとか」
すっかり油断しきっている早鬼に近づき、
「それどころか、私の術中に嵌っているとか」
彼女の顔を覗き込む。
「……そういうことを、考えないんですか?」
少しの沈黙の後、
「……考えないねぇ。全く。」
早鬼は楽しそうに笑う。
「考えない、じゃないな。考えられるから考えない、かな?」
「……は?」
よくわからない、と八千慧が気の抜けた声を出す。
「なんていうかな、私が考えられる程度のこと、お前が考えるはずないって言えばいいのかな?」
ポリポリと頭を掻きながら自分の考えの言語化に努める。
「そりゃ普通に考えれば騙し討ちの絶好の機会なんだろうけどさ、逆にそんな見え見えの機会を使うほど単純じゃないでしょ?」
「まぁ……そうですね。」
「本当に私のことを討ちたいなら、私が絶対に思いもよらない方法で、絶対に仕掛けられたくないタイミングで、確実に、やる。」
楽しそうに笑う早鬼の表情が一瞬、
「そうだろ?」
違う意味で、楽しそうな表情に変わった気がする。
「……ずいぶん私のことを評価していただいているようで、光栄ですね」
自分の心に一瞬生まれた畏怖を悟られないよう、同じように好戦的な笑顔で八千慧は返す。
「あぁ、お前は最高の好敵手だよ。この私が保証する!」
ああ、何故だろう。
倒すべき敵同士なのに、こいつは。
まだ全く追いつけていない私を、好敵手なんて、どうかしている。
「……ありがたく、お言葉頂戴しておきますよ。」
そして、そんな言葉をどこか嬉しく思ってしまう私も、どうかしている。
「というわけで、だ。」
と、早鬼は立ち上がって八千慧を指差し、宣言する。
「いまお前が私を襲ってくる可能性は、絶対にない!多分!」
「はぁ」
突然目の前の好敵手が只の馬鹿に戻ったので拍子抜けしてしまった。絶対なのに多分ってなんだそれは。
「そもそも今の期間は抗争禁止ですよ。」
「それもただの口約束だろ?」
「自組のメンツを潰すような騙し討ちでは畜生界全体を納得させられないですよ。それは意味がない。」
「なるほどね。……ほら、やっぱりここで謀られることはない、だろ?」
「どうでしょうね、わかりませんよ?」
ふふ、と意味ありげに微笑んで見せる。まぁもちろん意味はないのだけれども。
「ま、今夜はワインでも飲みながらゆっくりまったり過ごそうじゃないか。」
「もてなされる側が言うセリフではないですよ、それ。」
そんな話をしていると部屋のドアがノックされる。八千慧の部下が食事を運んできたようだ。
「ご苦労。……ワインに合うクリスマスディナーを御用意しました、だそうよ。」
「ありがと、あ、そうだ。もう1つプレゼント。」
ごそごそと早鬼は懐から包みを出して八千慧に渡す。
「……ワイングラス?」
包みの中身はペアのワイングラスだった
「そ、今夜みたいに二人で飲むのにいいかなって。」
「貴女にしてはなかなかロマンチックな演出をするんですね。」
さっそくグラスにワインを注ぐ。
「いや、私よくここ来るし、マイグラス置いといたほうが便利かなって。」
「割りますよ、グラス。」
早鬼のグラスに注ごうとした手を止める。
「冗談なのに~。」
そんな軽口を叩き合いながら、夜は更けていく。
戦乱吹き荒れる畜生界の、ひと時の平和な夜。
動物霊の跋扈するこの地獄は三つの勢力がそれぞれの支配権を拡げており、互いの領域を侵食し、また侵食されを繰り返す乱世の時代が続いていた。
畜生から成る動物霊が支配するとはいえ、各勢力の組織により高度な社会を形成するこの世界では、住まう動物霊達もその社会性に準じて暮らしている。
社会性とは世が乱れる争乱とは対極に位置する概念とも言えるが、この畜生界では三つの勢力の均衡により常に争いが起きつつも安定しているという奇妙なバランスが成り立っており、動物霊達は小規模な小競り合いこそあれ、それを日常としていた。
そんな争いの絶えない畜生界だが、比較的平和な時期がある。それがこの時期、年の瀬である。
社会性を獲得した動物霊達は、争いの中に居ながらも安定を求めるようになる。その結果「たまには完全に争いのない、平和な時期がほしい!!」という空気が漂い始めていた。そこで、勢力争いをしている各組織の長も年の瀬を休戦期間と定め、この時期だけは如何なる場合も勢力争いとなるような抗争は起こさないよう、それぞれの配下に通達した。
組織というのはメンツにこだわる。メンツのない組織など、いくら力があっても誰も付いてはこないからである。それゆえ、この停戦協定は破った者は組織のメンツを潰した者として粛清されることとなり、各組織では幹部から末端のチンピラまでこの期間は絶対に他勢力に手出しをしなかった。一種の恐怖政治であるが、それ故に平和が担保された。
つまるところ、畜生界はいま、年に一度のクリスマス☆浮かれモード状態にあった。
簡単な霊力を使用し弾幕を応用した光の粒子が街の至るところを飾り付け、ここが地獄の一端であることを忘れるような明るさを演出している。
自身が動物霊だというのに動物の肉を加工した食品を販売している者もある。皆、短い平和な時間を満喫しようと意気込んでいるようであった。
畜生界全体が地獄とは思えないそんな明るいムードに包まれている中、鬼傑組の本部では配下の動物霊が忙しなく動いていた。
「急げ急げー!今日中に全て運び出すんだ!」
幹部と思われる動物霊が他の動物霊に指示を出している。動物霊たちはファンシーなラッピングに包まれた箱をあちらこちらへと運んでいる。地上を忙しく行きかう動物霊達はみな一様に赤い衣装に身を包んでおり、少し離れたところから見れば赤い大地が動いているかのようだ。
そんな蠢く赤い大地の様子を建物の高層階から眺める姿があった。
淡いグリーンのスカートから白く細い脚を覗かせるが、背の甲羅とそこから伸びる龍の尾、そして頭から生えた角が人間でも並の動物霊とも違うことを悟らせる。鬼傑組組長、吉弔八千慧である。
バサバサと彼女の傍に飛んできた側近のコウモリ霊が階下の近居を告げる。少し予定より遅れてはいるが予定に差支えはなさそうだ。
「盛大にやっていますね。善い事です」
「ええ、今年も全力ですぜ。今年は特に例の抗争で準備に使える人間霊も減っちまいましたからねぇ。他のとこと小競り合いなんてしてる暇なんて無いくらいでさぁ。」
「それは心強い、まぁこの時期に争いなんて起こされては困るのですけれどね。」
「争いは起こしやせんが……守りはちゃんと固めていますぜ。」
「良いでしょう。警戒は怠らないように。」
八千慧は目を細くして側近を見やる。表情は笑顔を成しているが瞳は冷たく相手の心の奥底を射るかのようだ。
「争いを起こさない、イコール何もしない……ではないですからね。火種になるようなことは慎みつつも、水面下での動きは途絶えさせぬよう。」
「勿論、そういうのはわれらが鬼傑組が十八番。お任せくださいな」
側近のコウモリ霊は一礼する。
「……しかし、争いを休止する、まではわかりますが、うちの組はなんでこんなにプレゼントを配りまくるんです?シマに住んでる奴らだけじゃない、シマに近い奴らにも配るなんて。」
「不思議ですか?」
「正直言うと、シマの奴らへの餌付けにしては大盤振る舞いではと思っちまいますね。」
少し遠慮がちにコウモリ霊は言う。
「ふふ、それくらいがいいのですよ。」
八千慧は子供をたしなめるように続ける。
「もしも他の組の者が彼らを懐柔しようとするなら、これより良い条件を出さないと彼ら懐柔できない。それはそうですよね。長年私達の配下に居れば居るほど“これ“が彼らの普通になっているんですから。」
「なるほど……文字通りの餌付けってことですかい。」
「それに、私達の配下に下ればこれだけの利点がある、というアピールにもなりますからね。」
「……なるほど、じゃあうちのシマじゃないとこに配っているのも……」
「そう、まぁ宣伝のようなものですね。特にこの時期はどこも抗争で領土を拡げられない。しかし抗争だけが領土拡大の手ではありませんから。」
コウモリ霊は自分のふとした疑問から返ってきた八千慧の言葉の多さに自身の考えのなさを痛感させられる。
「昔はうちの組長はお優しいとしか思ってませんでしたが……。いやぁ、さすが鬼傑組組長、ですな……何もかも計算のうちとは。」
「優しさでこんな粋狂をするほど愚鈍ではないですよ、私は。」
そういう八千慧は小さな声で呟く。
「……まぁ、これを始めたのは私が最初というわけではないんですけどね。」
その呟きはコウモリ霊には聞き取れない。
「え?」
「いえ、なんでもありません。……さて、そろそろ運び出しは終わり、各地への輸送開始ですかね。状況確認をお願いします。」
八千慧は背を向けてコウモリ霊へ指示を飛ばす。
「合点承知、お任せを。では。」
側近のコウモリ霊は八千慧の元を離れ、再び地階へと滑空する。
どこよりも、誰よりも高い場所には八千慧だけが残された。
「……」
「……驪駒様、何故こんなにプレゼントを配るんですか。」
「そりゃあ、うちの縄張りに居ることを自慢してもらいたいからな。勁牙組の縄張りは最高だぜってさ。あと、来年は縄張り拡げてもっと色んなもん配ってやるから期待しとけって意味もあるかな。」
「……勉強になります。」
「ま、私のシマのものは私のものだからさ。私のものになったからにはしっかり全部面倒見てやるのが筋ってもんだろ?」
「……」
もうずいぶんと昔のことなのに他愛のない会話すらずいぶんと鮮明に覚えているものだ、と自嘲する。
「……はぁ、たしかに合理的手段とは言え、やってること自体はあの馬鹿の真似事をしてるなんて、ね……。」
昔の記憶がよぎった自分の頭の中をかき消すように深い溜息を吐く。
(しかし……)
彼女の言葉や振る舞いを回想すればするほどに、彼女の力量というものを思い知る。
それは単純な腕力、能力だけではない。彼女にはあれで組織の長としてのなんたるかが備わっている。
それこそ、この畜生界を支配する器に足るかもしれないほどに。
そして、その器と対抗している……ことになっている自分は、まだ彼女に及ばないことを痛感させられる。
(……今も昔も、ただ後ろを追いかけているだけに過ぎない、か……)
建物の吹き抜けから月灯かりが差し込む。遠くに浮かぶ月に憐れまれているようで自分が惨めになる。
無論、自分は知略と策謀には絶対の自信を持っている。少なくともこの畜生界では他の者に負けてなどいない。それは長年の支配から盤石な組織を持っているわけでもなく、個としての圧倒的な力を持っているわけでもない自分が、こうして群雄割拠の畜生界の中でも最大とされるそ組織の1つで長を務めていることからも理解していた。
しかし、どれだけの知をもってしても、自分にはまだ圧倒的な力を組み伏せることができないのも、その知ゆえに理解していた。
「早鬼……」
憎いはずの敵の名も、まるで恋しくて呼んでいるようだ。
不意に、月光が消える。否、黒い影が八千慧を覆う。
「呼んだか?」
今、自分がその名を呼んだ、憎いはずの敵が、そこにいた。
驪駒早鬼は自由である。
畜生界では弱肉強食というルールなきルールがゆえに力無きには自由はないが、その中で早鬼は自身の強大な力をもって自由を振りかざしていた。
一組織のトップでありながらその責を蔑ろにするわけではなく、しかしその責に縛られず、畜生界を自由に駆け、飛び、戦う。それが彼女であった。
それだけ自由な彼女であるから、敵対組織の長にふらりと会いに来ることすら彼女の意のまま自由であった。
「呼んだか?」
ちょうど自分の名前を呼ばれたので思わず声をかけてしまった。
八千慧一瞬驚いたようだったが、すぐに早鬼を見上げて落ち着き払って挨拶をする。
「こんばんは。呼んでいませんよ、驪駒早鬼。」
何か、彼女の態度に引っかかるものがあったが、早鬼は気にしないことにした。
「そうか。ま、呼ばれてなくてもお邪魔するよ。」
天井からひょいと降りて八千慧の傍に着地する。
「そうですか。」
八千慧は隣に降り立った早鬼を目にも留めずスタスタと歩いていく。
「さっさと来てください。応接室は開けてありますから。」
「お呼びでないのに、いつも歓迎してもらって悪いねぇ。」
八千慧について早鬼も歩き出す。
「貴女みたいな人がうちの建物で平然と立ち話していてはこちらが困るんですよ。というか、悪いと思っているならせめて一報寄こしてほしいですね。勝手に来られると困るのは私じゃなくて部下なので。」
警戒態勢を敷いているはずなのに易々と突破され、しかもそれが敵対組織の長という最重要人物であるなど部下としては報告を挙げるのに胃も頭もを痛くしてしまうというものである。もちろん相手が規格外なのはわかりきっているので八千慧は部下にそれを咎めるようなことはしないのだが、それでも部下にとっては多大なストレスであるのは言うまでもない。
「いや、そうは言うけどいつ行けるかわからないからさ。私だって忙しいんだぞ。同じ組長ならわかるだろう?」
「わからない、じゃなくていつも予定を計画していないからでしょう。その場その場で行動されては、振り回される貴女の部下も可哀想ですよ」
それだけ自由奔放なのに部下が彼女をリーダーとしてついてくるのはひとえに彼女の力と魅力なのだろうな、とも思うがそんなことは言わない。
「う、うちの奴らと全く同じことを……」
ぐぬぬ、と早鬼が口を尖らせる。
「少しは部下ことも考えて動いた方がいいですよ。来年の目標にしてはどうです?」
「来年の事を言えば鬼が笑うって言うぞ?」
「鬼も畜生も怖くないくせに、よくもまぁ。」
そんなことを話しながら応接室に到着する。八千慧は傍で待機していた部下の動物霊にさっと耳打ちをしてもてなしの準備を進める。
「年の瀬ですので、良い酒も肴も揃っていますよ。」
「ん、肴は欲しいが酒は要らないよ。」
そういうと懐から酒を取り出す。
「ワインですか。珍しい。」
「うちの部下が贔屓にしている酒造の者が届けてくれてさ、今年のは『畜生界始まって以来の最高の出来』なんだってさ。」
「去年は?」
「えーと、『畜生界の歴史がこのワインで変わる』だったかな。」
「どっちが良いんです?」
「さぁ?美味しいなら良いんじゃない?」
そんな会話をしながら、部下にはワインに合いそうな肴を、と伝え、部屋には二人が残される。
「本当に何も考えてないんですね。そのうち騙されますよ。」
早鬼は遠慮なく椅子に腰かけ帽子を脱いで早くもくつろいでいた。
「まぁ騙されたら騙されたでその時だよ。そういう世界だろ?ここは。」
「……それを貴女が私に言うんですね。」
仮にも敵同士の間柄、しかも策略で名を馳せる鬼傑組組長を前にこの態度だ。
「例えば私が今この場で貴女を陥れようとしているとか」
すっかり油断しきっている早鬼に近づき、
「それどころか、私の術中に嵌っているとか」
彼女の顔を覗き込む。
「……そういうことを、考えないんですか?」
少しの沈黙の後、
「……考えないねぇ。全く。」
早鬼は楽しそうに笑う。
「考えない、じゃないな。考えられるから考えない、かな?」
「……は?」
よくわからない、と八千慧が気の抜けた声を出す。
「なんていうかな、私が考えられる程度のこと、お前が考えるはずないって言えばいいのかな?」
ポリポリと頭を掻きながら自分の考えの言語化に努める。
「そりゃ普通に考えれば騙し討ちの絶好の機会なんだろうけどさ、逆にそんな見え見えの機会を使うほど単純じゃないでしょ?」
「まぁ……そうですね。」
「本当に私のことを討ちたいなら、私が絶対に思いもよらない方法で、絶対に仕掛けられたくないタイミングで、確実に、やる。」
楽しそうに笑う早鬼の表情が一瞬、
「そうだろ?」
違う意味で、楽しそうな表情に変わった気がする。
「……ずいぶん私のことを評価していただいているようで、光栄ですね」
自分の心に一瞬生まれた畏怖を悟られないよう、同じように好戦的な笑顔で八千慧は返す。
「あぁ、お前は最高の好敵手だよ。この私が保証する!」
ああ、何故だろう。
倒すべき敵同士なのに、こいつは。
まだ全く追いつけていない私を、好敵手なんて、どうかしている。
「……ありがたく、お言葉頂戴しておきますよ。」
そして、そんな言葉をどこか嬉しく思ってしまう私も、どうかしている。
「というわけで、だ。」
と、早鬼は立ち上がって八千慧を指差し、宣言する。
「いまお前が私を襲ってくる可能性は、絶対にない!多分!」
「はぁ」
突然目の前の好敵手が只の馬鹿に戻ったので拍子抜けしてしまった。絶対なのに多分ってなんだそれは。
「そもそも今の期間は抗争禁止ですよ。」
「それもただの口約束だろ?」
「自組のメンツを潰すような騙し討ちでは畜生界全体を納得させられないですよ。それは意味がない。」
「なるほどね。……ほら、やっぱりここで謀られることはない、だろ?」
「どうでしょうね、わかりませんよ?」
ふふ、と意味ありげに微笑んで見せる。まぁもちろん意味はないのだけれども。
「ま、今夜はワインでも飲みながらゆっくりまったり過ごそうじゃないか。」
「もてなされる側が言うセリフではないですよ、それ。」
そんな話をしていると部屋のドアがノックされる。八千慧の部下が食事を運んできたようだ。
「ご苦労。……ワインに合うクリスマスディナーを御用意しました、だそうよ。」
「ありがと、あ、そうだ。もう1つプレゼント。」
ごそごそと早鬼は懐から包みを出して八千慧に渡す。
「……ワイングラス?」
包みの中身はペアのワイングラスだった
「そ、今夜みたいに二人で飲むのにいいかなって。」
「貴女にしてはなかなかロマンチックな演出をするんですね。」
さっそくグラスにワインを注ぐ。
「いや、私よくここ来るし、マイグラス置いといたほうが便利かなって。」
「割りますよ、グラス。」
早鬼のグラスに注ごうとした手を止める。
「冗談なのに~。」
そんな軽口を叩き合いながら、夜は更けていく。
戦乱吹き荒れる畜生界の、ひと時の平和な夜。
振り回されている八千慧がかわいらしくてよかったです
ちゃんと百合やってるって感じかして心があったまりました。
さきやち、やっぱり最高です!