確かに私は生まれつき視界がないという差異を抱き生きてきたが、しかしそれでも、寺小屋に通っていた時分には授業中に糞を漏らしてこの世の全てに対して絶望したりする、等身大の女子であったと思う。後に、いわゆる大人になっていくにつれ、実はそれは大した出来事などではなく、どのような人間でも躓きうる、"そこそこ"置かれているただの石ころである事に気付いていくことも、まったくもって通り一遍であったと思う。そのようにして自らが様々な出来事に慣れ"恥知らず"になっていく様を自覚したのはごくごく最近のこと。
私は生まれつき視界がないということを差し引いても愚鈍な女であったから、自ら望んで早々に娼館に引き取ってもらった。特に恵まれた生活とは言えないまでも、私はそれなりに重用されて悪い気分ではなかった。次の石に躓くまでは。
犬に引かれて散歩をしていたら、悲鳴が聞こえたのだ。すぐ道の横だった。音から察するに、女が暴漢に犯し殺されており、私はそれを目撃、私はめくらだがとにかく、目撃した格好になった。男が口封じにか、私に襲い掛かってくるのを感じたので、杖で何度か突く真似をして自衛した。ずぶり、と嫌な感触があって、それは多分、私の杖が男の眼孔に突き刺さった感触だったのだが、そうやって、その場には明らかに私が殺したと思しき死体が二つ転がるのみとなった。犬は私に寄り縋るだけで、何の役にも立たなかった。
痴情のもつれか何かだろう、全くしたたかなめくらだと、格好の噂の的となった。私はすぐに捕まって人里を追放された。ただの人間にとってそれは実質的な死罪だった。
これは私の偏見交じりの話かもしれないが、女がする身の上話などというものは退屈で女々しくて、どうしたってつまらないものになるよなあと、振り返っていて思った。少なくとも私は、生業柄慣れていたからなのかもしれないが、色んな男の身の上話を聞いていて、いつも何処か勇ましく面白いと感じていたので、それを翻ってなんともずるいものだと思った。
杖に使えそうな棒を拾って暫く歩き、石の上に座って、杖の先を削って尖らせながら考え事をしていたら、"私と似たような身の上"のごろつき共に絡まれて、これ幸いと取り入った。以前に比べれば多少扱いは悪かったが、別にこれといって、やることは変わらないのだ。媚びを売る相手が変わっただけで。先に出会ったのが人食い妖怪でなく、ごろつき共であったことを喜ばねばなるまい。ああそう、その、だから、また少し大きな石に躓くまでは。
もはやごろつきとは呼べず、ただの身内でしかなくなった彼らは、私が少し用を足して戻ってくるまでの間に皆殺しにされていた。血の気配が夥しくて、それは、私たちがいつも人から奪い殺している時のような生易しいものではなくて、内臓やら脳味噌やら咀嚼せねばこのような音と匂いはすまいと確信できるような、口に入れずとも味がするような、そのような感覚だった。
私は、そうなったならばそれはそれで仕方のないことだと思った。両親は敬虔な仏教徒で、私はそれに倣って"きっと私を見ていてくださる何か"に対して、いつも「見てくださって居りますでしょうか、私の人生はこうです」と思って生きてきた。何だろうとかまわない。それが、別に仏様でなくとも一向によいのだ。それはどんな姿形であろうか。触ると堅いだろうか、柔らかいだろうか。髪が生えているとして、それが靡く音はどのようなものだろうか。そういった"もの"が「見ているよ」と一言下されば、私は私のこんな人生をきっとすべて受け入れて死ぬことができる。声だ、どのような声だ。その、仲間たちを殺した妖怪を前に私が流した涙は、殺された憎しみでも、殺される恐怖からでもない。私は"きっと私を見ていてくださる何か"の存在を、この幻想郷にありながら確信できず死ぬことに、泥濘をのたうつことに近い感慨を覚えているのだ。
「なんだ、あなたみたいのが居るならこいつらなんて食べるんじゃなかったなあ。でも、もうおなか一杯だからいいや」
しかしその時、私が聞いたその幼子の声は、確実にただの偶然だったのだろうが、私の日々思い描いていた"それ"と同じものだったのである。私は仲間たちを殺した妖怪であるはずのその子が立ち去るのを呼び止めて、散々今までの身の上を捲し立てた。
どうしたことだろう。彼女は不思議なことにそれをうんうんと言って聞いてくれた。
***
「あなたさま、あなたさまよ。見てくださって居りますでしょうか」
「見ているよ」
次の日になった。私は水場を横に寝転がって過ごすことにした。なにせ、あのような集まりにもう一度ありつき生きていけるような気まぐれは二度と起きぬだろうと考えられた。気配を感じれば、杖で川魚を突く程度の事はたやすかろう。この辺りは食べられそうな植物の香りも多い。
とはいえ、腹は空かず、喉も乾いていなかった。生きてきてこれほどまでに満ち足りた気分はなかった。何せ、私を見てくれるものがいた。彼女は見ているよと答えてくださる。彼女は何故か、私のそばにいて私の話を聞いた。他愛のない質問をしても答えた。
日の赤を嫌がって、何やら閉じこもっているらしい彼女に、赤色とは何かと聞くと、日の色、血の色、熱の色、命の色と答えた。実際、視界のある人というのは、赤に触れると温かいというのだから、私の横面にある、日の光を吸い込んだ石を掌いっぱいに触ってみたときに感じる"これ"が、或いは赤なのかもしれないと思った。
闇の黒に閉じこもっているらしい彼女に、黒色とは何かと聞くと、空気と音の良く通る色、洞窟の中にいるときの色、私の色と答えた。つまりそれは、私の感覚で言う所の夜のことを、おおよそ指しているらしかった。結局、この日と、その次の日は身じろぎひとつせず、ずっと彼女に話しかけて過ごした。季節が冬であれば既に凍えていた筈なのだが、初めから私はここで過ごすことが決まっていたかのごとく、ぽかぽかとした陽気に辺りは萌え色めいていた。
***
「あなたさま、あなたさまよ。見てくださって居りますでしょうか」
「見ているよ」
両親は敬虔な仏教徒であったが、ある日、なんとか寺とかいうのが台頭して、いくつかの人間だけの宗派は割を食って血生臭い諍いが絶えなくなった。めくらの娘を抱えているという面倒毎も手伝っていたと個人的には思うが、最後には私の前で殺しあって二人とも死んだ。不思議なことだが、私は二人を埋めて、その日に眼が見えなくとも色んな事がわかるようになった。
両親がおらず、めくらで女で、授業中に糞も漏らすと来たら、寺小屋では子供たちの残虐性の受け皿のような扱いだった。かまきりを喰わされたし、同じ部屋で教鞭を振るわれた中で私の顔を踏んだことのないものは居なかった。
娼館の主は中々話の分かる好々爺だったが、女が集まればその中には当然、派閥があった。特に、あの大御所様の寵愛を受けただのなんだのという立ち位置の奪い合いは殊更に熾烈で、細々とやっていきたいだけだった私は誰の味方もおいそれと出来ず、つまりは誰からも敵と見なされていた。飯に針が仕込まれていないか確認する術が日々上達した。私の行く先を守らせるための犬は慣れてきた頃を見計らって行方を眩ますので、あの唯一最後に生きてた役立たずは八代目だった。
とにかく、どこにいてもやることは同じで、舐められたら油をかけて燃やし、縄で何度も引っ叩き、利益をくれるなら媚び、自らを削る分にはどんな余興にも準じた。そうやって、どうにかこうにか居場所を得てきた。私は大体の場合やることをやってきていたので、やられたからと言ってあまり正義を掲げることもできなかった。とくに近頃は、何しろそうしなければ飢えて死ぬのだからといって同族を何人も何人も殺してかっぱいでいた。めくらの女なんて十中八九、野党が獲物を油断させるために使うものだと言って、私が誰より率先してやっていたし、男たちからはおっかない女だと笑われていた。
私は地獄に落ちるだろう。そのことに関しては、そうするしかなかったのだと思う。私は頭が良くなく、力も威厳もない。人づて寂しい。学が乏しい。それでもけそけそ端っこで、どうにかこうにか生きながらえてきたのだ。もっと良い方法があったのだろうにと、後悔する時間もないままに、気付けば今はこうして川辺で寝そべっている。
このようなことを彼女に、ずっと、ずっと話した。彼女は眠そうな声で相槌をうって聴いていた。時たま居なくなったと思ったら、血の香りを伴って帰ってきた。私を喰わぬのか聞いても、そんなに焦らなくてもいいよと言うばかりで、要領を得ない格好だった。
***
「あなたさま、あなたさまよ。見てくださって居りますでしょうか」
「見ているよ」
だんだん不思議になってきたのだが、水も口にしていないこの体で、喉も枯れず喋り続けている私とは一体なんなのだろうか。それはそれとして、これだけ喋っていれば、私は彼女に対する質問もかなりの数してきたのだが、色の事は教えてくれても彼女のことは何も教えてくれなかった。ただはぐらかして、まあまあ、私はきみを見ているよ、それでいいじゃないと、私を宥めすかした。
奇妙だ。私は何をしているのだろう。最近感覚が特に鋭敏で、川の音にまぎれて笑い声や後光の差す音、桜の香り、靄の触ってくる暖かさなどを感じる。それを彼女に話すと、あなたのやっていることってほとんど即身仏だよねと笑った。
実は私が今やっていることはすべて飢餓が見せる夢のようなもので、喋っていると勘違いしているだけで声にもならぬことをぱくぱくと捲くし立てているだけなのかもしれなかった。
程なく夜の帳が下りてくるのを感じた。私はここに転がってから、眠っているとき以外では初めて長いこと黙りこくった。その間、気配はずっと近くにあって、つまり彼女は離れず私のことを見ていると思われた。しかし私はこのような感覚を生きてきて味わったことはなかったので、そうであれば彼女は私を見てきたものではないのではないかと思い至った。
「気が変わったよ。私、最初はあなたの"ものおき"になってあげるつもりでいたのだけれど、すぐにでも死んじゃいそうだからさ」
「あなたさまは、私のおてんとさまではないのですか」
「おてんとさまなんていないよ」
***
ひとしきり葛藤や整理があって、もうよいだろうと今一度、何故私を喰わぬのかと尋ねると、彼女は面相のいい人間を見つけてはそれに懐いて付きまとう癖があって、山や森を住処にする退屈をそうやって紛らわしてきたのだという。私も、これまでたくさん潰してきた暇のひとつという訳だ。
「最初はおなかが空いたらすぐ食べちゃおうかとも思っていたけれど」
「でも、私はここから動くつもりはないよ」
「あらあ。木の実とか持ってきてあげてるんだけどなあ。食べたりしない?」
「おなかが空いてないんだ」
「ちぇー」
そもそもことの起こり、あの凄惨な現場でいい加減、私の正気は失われたのだと思われた。このような人食い幼女をおてんとさまと思い込むなど。それでも、ここ数日間の身を洗うような体験で一つの知見を得てはいた。それが依然として私を満足させてしまっており、この場から動こうという機をなくしている。
結局のところ、"おてんとさま"とは過去の自分の身の振り方に他ならないと言うことだ。しかし、人間というのは誰もが「自分のことは自分さえ知っていればよい」などと開き直った考えでは寂しくて居られないので、それを"おてんとさま"へ預ける。
私にはそれが最後の一線だった。これまで、いつだって私を見てくれるものはなかった。同時にそれは当たり前で、仕方のないことだと感じてもいた。なにせ、人間はされたことを返す生き物だ。ものを見ることができない私を、一体誰が見てくれるというのだろう。そうであれば、せめて"おてんとさま"が見ていて下さるのだと、そう楔打てば胸を張れないまでも惨めに生きてこられたのである。それに、いくら自分を悲劇的に語ってみたところで、皆が皆何かしら思い通りにならないことを嘆きながら生きているのだと思っていた。
ところが今目の前に居る、私に対して何のしがらみもない、ただ私の顔が好みだったからなどというふざけた理由で私の話をずっとうんうんと聴いていた彼女は、事実として私の全てを知っていた。私はさっきまでとは違う意味を含んで、私は私の終わりを彼女の腹の中としたいと感じたことは、そこまで不自然なことでもないように思われた。
***
目覚める前は聞こえていた喧騒がすっかりなくなって、懐かしく思った。ここに寝転がった頃の世界はこんな感じだったなと振り返させられた。突然喋るのが億劫になった。もう三、四回程度の台詞が限界だろう。今目が覚めたのもちょっと理に適わない、不思議なことだ。本来ならばとっくにくたばっているのが道理だと思った。
悲願が叶い暫くは満ち足りていたが、それが当たり前になってくると、もう少しもう少しと欲しくなってくるものだなあと自らの浅ましさを感じた。つまり、私は彼女へ、最後にねだりたいことがあった。
生業柄散々言い慣れて来たことの筈であったが、何せその相手が幼女であったから、勝手が違って妙に照れくさく感じられた。
「何? 何か言いたいことがあるの?」
しかし彼女は私のそんなもじもじとした様子を目敏く見付けて、早く言ってみろと催促してきた。畢竟、そんなものかもしれない。私はいつも何かの気まぐれに振り回されていたと思う。それが今は彼女だというだけの話で。私は観念して、彼女の名前を尋ねた。
「ルーミア」
「そうか、ルーミア。私を抱きしめてくれないか」
「しかたのない人だね」
それは今まで抱かれた如何な腕とも違った。というより、腕ではなかったのだ。私は突然、空気と音のよく通る感じがして、洞窟の中に居るような涼しい感覚になった。彼女のもたらすもの以外は、もはや何も感じなかった。私は彼女に喰われるだろうか。或いは鳥か獣に喰われるか。それともただ単に腐って膨れ広がるだろうか。いずれにしても悪くない。あなたさま、あなたさまよ。見てくださって居りますでしょうか。私の人生は、私の人生はこうです。見てくださって居りますでしょうか。
ルーミアがいつも持ってきてくれた木の実には結局一度も手を付けなかったので、それはつまり私の横に小さく積まれていた。私は自分の顔を見たことがないが、彼女に好かれる顔に生まれてこれたことは良かったなあと思った。
私は生まれつき視界がないということを差し引いても愚鈍な女であったから、自ら望んで早々に娼館に引き取ってもらった。特に恵まれた生活とは言えないまでも、私はそれなりに重用されて悪い気分ではなかった。次の石に躓くまでは。
犬に引かれて散歩をしていたら、悲鳴が聞こえたのだ。すぐ道の横だった。音から察するに、女が暴漢に犯し殺されており、私はそれを目撃、私はめくらだがとにかく、目撃した格好になった。男が口封じにか、私に襲い掛かってくるのを感じたので、杖で何度か突く真似をして自衛した。ずぶり、と嫌な感触があって、それは多分、私の杖が男の眼孔に突き刺さった感触だったのだが、そうやって、その場には明らかに私が殺したと思しき死体が二つ転がるのみとなった。犬は私に寄り縋るだけで、何の役にも立たなかった。
痴情のもつれか何かだろう、全くしたたかなめくらだと、格好の噂の的となった。私はすぐに捕まって人里を追放された。ただの人間にとってそれは実質的な死罪だった。
これは私の偏見交じりの話かもしれないが、女がする身の上話などというものは退屈で女々しくて、どうしたってつまらないものになるよなあと、振り返っていて思った。少なくとも私は、生業柄慣れていたからなのかもしれないが、色んな男の身の上話を聞いていて、いつも何処か勇ましく面白いと感じていたので、それを翻ってなんともずるいものだと思った。
杖に使えそうな棒を拾って暫く歩き、石の上に座って、杖の先を削って尖らせながら考え事をしていたら、"私と似たような身の上"のごろつき共に絡まれて、これ幸いと取り入った。以前に比べれば多少扱いは悪かったが、別にこれといって、やることは変わらないのだ。媚びを売る相手が変わっただけで。先に出会ったのが人食い妖怪でなく、ごろつき共であったことを喜ばねばなるまい。ああそう、その、だから、また少し大きな石に躓くまでは。
もはやごろつきとは呼べず、ただの身内でしかなくなった彼らは、私が少し用を足して戻ってくるまでの間に皆殺しにされていた。血の気配が夥しくて、それは、私たちがいつも人から奪い殺している時のような生易しいものではなくて、内臓やら脳味噌やら咀嚼せねばこのような音と匂いはすまいと確信できるような、口に入れずとも味がするような、そのような感覚だった。
私は、そうなったならばそれはそれで仕方のないことだと思った。両親は敬虔な仏教徒で、私はそれに倣って"きっと私を見ていてくださる何か"に対して、いつも「見てくださって居りますでしょうか、私の人生はこうです」と思って生きてきた。何だろうとかまわない。それが、別に仏様でなくとも一向によいのだ。それはどんな姿形であろうか。触ると堅いだろうか、柔らかいだろうか。髪が生えているとして、それが靡く音はどのようなものだろうか。そういった"もの"が「見ているよ」と一言下されば、私は私のこんな人生をきっとすべて受け入れて死ぬことができる。声だ、どのような声だ。その、仲間たちを殺した妖怪を前に私が流した涙は、殺された憎しみでも、殺される恐怖からでもない。私は"きっと私を見ていてくださる何か"の存在を、この幻想郷にありながら確信できず死ぬことに、泥濘をのたうつことに近い感慨を覚えているのだ。
「なんだ、あなたみたいのが居るならこいつらなんて食べるんじゃなかったなあ。でも、もうおなか一杯だからいいや」
しかしその時、私が聞いたその幼子の声は、確実にただの偶然だったのだろうが、私の日々思い描いていた"それ"と同じものだったのである。私は仲間たちを殺した妖怪であるはずのその子が立ち去るのを呼び止めて、散々今までの身の上を捲し立てた。
どうしたことだろう。彼女は不思議なことにそれをうんうんと言って聞いてくれた。
***
「あなたさま、あなたさまよ。見てくださって居りますでしょうか」
「見ているよ」
次の日になった。私は水場を横に寝転がって過ごすことにした。なにせ、あのような集まりにもう一度ありつき生きていけるような気まぐれは二度と起きぬだろうと考えられた。気配を感じれば、杖で川魚を突く程度の事はたやすかろう。この辺りは食べられそうな植物の香りも多い。
とはいえ、腹は空かず、喉も乾いていなかった。生きてきてこれほどまでに満ち足りた気分はなかった。何せ、私を見てくれるものがいた。彼女は見ているよと答えてくださる。彼女は何故か、私のそばにいて私の話を聞いた。他愛のない質問をしても答えた。
日の赤を嫌がって、何やら閉じこもっているらしい彼女に、赤色とは何かと聞くと、日の色、血の色、熱の色、命の色と答えた。実際、視界のある人というのは、赤に触れると温かいというのだから、私の横面にある、日の光を吸い込んだ石を掌いっぱいに触ってみたときに感じる"これ"が、或いは赤なのかもしれないと思った。
闇の黒に閉じこもっているらしい彼女に、黒色とは何かと聞くと、空気と音の良く通る色、洞窟の中にいるときの色、私の色と答えた。つまりそれは、私の感覚で言う所の夜のことを、おおよそ指しているらしかった。結局、この日と、その次の日は身じろぎひとつせず、ずっと彼女に話しかけて過ごした。季節が冬であれば既に凍えていた筈なのだが、初めから私はここで過ごすことが決まっていたかのごとく、ぽかぽかとした陽気に辺りは萌え色めいていた。
***
「あなたさま、あなたさまよ。見てくださって居りますでしょうか」
「見ているよ」
両親は敬虔な仏教徒であったが、ある日、なんとか寺とかいうのが台頭して、いくつかの人間だけの宗派は割を食って血生臭い諍いが絶えなくなった。めくらの娘を抱えているという面倒毎も手伝っていたと個人的には思うが、最後には私の前で殺しあって二人とも死んだ。不思議なことだが、私は二人を埋めて、その日に眼が見えなくとも色んな事がわかるようになった。
両親がおらず、めくらで女で、授業中に糞も漏らすと来たら、寺小屋では子供たちの残虐性の受け皿のような扱いだった。かまきりを喰わされたし、同じ部屋で教鞭を振るわれた中で私の顔を踏んだことのないものは居なかった。
娼館の主は中々話の分かる好々爺だったが、女が集まればその中には当然、派閥があった。特に、あの大御所様の寵愛を受けただのなんだのという立ち位置の奪い合いは殊更に熾烈で、細々とやっていきたいだけだった私は誰の味方もおいそれと出来ず、つまりは誰からも敵と見なされていた。飯に針が仕込まれていないか確認する術が日々上達した。私の行く先を守らせるための犬は慣れてきた頃を見計らって行方を眩ますので、あの唯一最後に生きてた役立たずは八代目だった。
とにかく、どこにいてもやることは同じで、舐められたら油をかけて燃やし、縄で何度も引っ叩き、利益をくれるなら媚び、自らを削る分にはどんな余興にも準じた。そうやって、どうにかこうにか居場所を得てきた。私は大体の場合やることをやってきていたので、やられたからと言ってあまり正義を掲げることもできなかった。とくに近頃は、何しろそうしなければ飢えて死ぬのだからといって同族を何人も何人も殺してかっぱいでいた。めくらの女なんて十中八九、野党が獲物を油断させるために使うものだと言って、私が誰より率先してやっていたし、男たちからはおっかない女だと笑われていた。
私は地獄に落ちるだろう。そのことに関しては、そうするしかなかったのだと思う。私は頭が良くなく、力も威厳もない。人づて寂しい。学が乏しい。それでもけそけそ端っこで、どうにかこうにか生きながらえてきたのだ。もっと良い方法があったのだろうにと、後悔する時間もないままに、気付けば今はこうして川辺で寝そべっている。
このようなことを彼女に、ずっと、ずっと話した。彼女は眠そうな声で相槌をうって聴いていた。時たま居なくなったと思ったら、血の香りを伴って帰ってきた。私を喰わぬのか聞いても、そんなに焦らなくてもいいよと言うばかりで、要領を得ない格好だった。
***
「あなたさま、あなたさまよ。見てくださって居りますでしょうか」
「見ているよ」
だんだん不思議になってきたのだが、水も口にしていないこの体で、喉も枯れず喋り続けている私とは一体なんなのだろうか。それはそれとして、これだけ喋っていれば、私は彼女に対する質問もかなりの数してきたのだが、色の事は教えてくれても彼女のことは何も教えてくれなかった。ただはぐらかして、まあまあ、私はきみを見ているよ、それでいいじゃないと、私を宥めすかした。
奇妙だ。私は何をしているのだろう。最近感覚が特に鋭敏で、川の音にまぎれて笑い声や後光の差す音、桜の香り、靄の触ってくる暖かさなどを感じる。それを彼女に話すと、あなたのやっていることってほとんど即身仏だよねと笑った。
実は私が今やっていることはすべて飢餓が見せる夢のようなもので、喋っていると勘違いしているだけで声にもならぬことをぱくぱくと捲くし立てているだけなのかもしれなかった。
程なく夜の帳が下りてくるのを感じた。私はここに転がってから、眠っているとき以外では初めて長いこと黙りこくった。その間、気配はずっと近くにあって、つまり彼女は離れず私のことを見ていると思われた。しかし私はこのような感覚を生きてきて味わったことはなかったので、そうであれば彼女は私を見てきたものではないのではないかと思い至った。
「気が変わったよ。私、最初はあなたの"ものおき"になってあげるつもりでいたのだけれど、すぐにでも死んじゃいそうだからさ」
「あなたさまは、私のおてんとさまではないのですか」
「おてんとさまなんていないよ」
***
ひとしきり葛藤や整理があって、もうよいだろうと今一度、何故私を喰わぬのかと尋ねると、彼女は面相のいい人間を見つけてはそれに懐いて付きまとう癖があって、山や森を住処にする退屈をそうやって紛らわしてきたのだという。私も、これまでたくさん潰してきた暇のひとつという訳だ。
「最初はおなかが空いたらすぐ食べちゃおうかとも思っていたけれど」
「でも、私はここから動くつもりはないよ」
「あらあ。木の実とか持ってきてあげてるんだけどなあ。食べたりしない?」
「おなかが空いてないんだ」
「ちぇー」
そもそもことの起こり、あの凄惨な現場でいい加減、私の正気は失われたのだと思われた。このような人食い幼女をおてんとさまと思い込むなど。それでも、ここ数日間の身を洗うような体験で一つの知見を得てはいた。それが依然として私を満足させてしまっており、この場から動こうという機をなくしている。
結局のところ、"おてんとさま"とは過去の自分の身の振り方に他ならないと言うことだ。しかし、人間というのは誰もが「自分のことは自分さえ知っていればよい」などと開き直った考えでは寂しくて居られないので、それを"おてんとさま"へ預ける。
私にはそれが最後の一線だった。これまで、いつだって私を見てくれるものはなかった。同時にそれは当たり前で、仕方のないことだと感じてもいた。なにせ、人間はされたことを返す生き物だ。ものを見ることができない私を、一体誰が見てくれるというのだろう。そうであれば、せめて"おてんとさま"が見ていて下さるのだと、そう楔打てば胸を張れないまでも惨めに生きてこられたのである。それに、いくら自分を悲劇的に語ってみたところで、皆が皆何かしら思い通りにならないことを嘆きながら生きているのだと思っていた。
ところが今目の前に居る、私に対して何のしがらみもない、ただ私の顔が好みだったからなどというふざけた理由で私の話をずっとうんうんと聴いていた彼女は、事実として私の全てを知っていた。私はさっきまでとは違う意味を含んで、私は私の終わりを彼女の腹の中としたいと感じたことは、そこまで不自然なことでもないように思われた。
***
目覚める前は聞こえていた喧騒がすっかりなくなって、懐かしく思った。ここに寝転がった頃の世界はこんな感じだったなと振り返させられた。突然喋るのが億劫になった。もう三、四回程度の台詞が限界だろう。今目が覚めたのもちょっと理に適わない、不思議なことだ。本来ならばとっくにくたばっているのが道理だと思った。
悲願が叶い暫くは満ち足りていたが、それが当たり前になってくると、もう少しもう少しと欲しくなってくるものだなあと自らの浅ましさを感じた。つまり、私は彼女へ、最後にねだりたいことがあった。
生業柄散々言い慣れて来たことの筈であったが、何せその相手が幼女であったから、勝手が違って妙に照れくさく感じられた。
「何? 何か言いたいことがあるの?」
しかし彼女は私のそんなもじもじとした様子を目敏く見付けて、早く言ってみろと催促してきた。畢竟、そんなものかもしれない。私はいつも何かの気まぐれに振り回されていたと思う。それが今は彼女だというだけの話で。私は観念して、彼女の名前を尋ねた。
「ルーミア」
「そうか、ルーミア。私を抱きしめてくれないか」
「しかたのない人だね」
それは今まで抱かれた如何な腕とも違った。というより、腕ではなかったのだ。私は突然、空気と音のよく通る感じがして、洞窟の中に居るような涼しい感覚になった。彼女のもたらすもの以外は、もはや何も感じなかった。私は彼女に喰われるだろうか。或いは鳥か獣に喰われるか。それともただ単に腐って膨れ広がるだろうか。いずれにしても悪くない。あなたさま、あなたさまよ。見てくださって居りますでしょうか。私の人生は、私の人生はこうです。見てくださって居りますでしょうか。
ルーミアがいつも持ってきてくれた木の実には結局一度も手を付けなかったので、それはつまり私の横に小さく積まれていた。私は自分の顔を見たことがないが、彼女に好かれる顔に生まれてこれたことは良かったなあと思った。
自分以外の誰かと抱えた苦しみを共有できる相手としての”おてんとさま”もおらず、所謂お天道様も盲いだから見えずだった主人公が、よりにもよって太陽とは真逆の存在でもあるルーミアに自分の境遇を打ち明けて満たされていく様は上手く言い表せない合致性を感じます。
またラストの闇に抱かれるシーンも、過去に娼館で抱いてきた男共と違って主人公の人となりをちゃんと聞いた上で、かつお天道様を遮る形のルーミアなりの抱き方だったんだろうかと思うと看取ったのがルーミアであって良かったのだなとすら考えさせられました。
流れるような会話に地の文での感情の緩やかな変化が気持ち良く読めて気付いたら終わってしまう面白さでした、ありがとうございました。
読んでいて楽しかったです!
個人的な解釈としては原作世界はもう少し優しいかなとは感じますが、違う解釈ながらこの世界の話は面白く読めました。
逆にルーミアの優しいキャラクターはしっくりときて、主人公との絡みも心地良い気持ちになれました。
有難う御座いました。
タイトルからラストまでちゃんと話に密着していてすごく好きです
辛い人生だったはずなのに妙に満たされていたような主人公の感情がよかったです
グロテスクなものは得てして一歩間違えればただ、嫌悪感を抱くだけに思えるのですが、そうならず、非常に美しいと思いました。
大変楽しんで読めました。
よかったです。