Coolier - 新生・東方創想話

赤いリボンの贈り物

2020/12/24 21:15:44
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 先代の先代の先代の……そのまた先代くらいの巫女の頃。
 幻想郷に大きな結界ができて、一頻りの騒動が終わる手前くらいの頃。
 博麗神社、ではなく、全然違う場所にある粗末な小屋に、その巫女さんは住んでいた。彼女は先代の巫女で、つまり、当時の当代の博麗の巫女の先代の巫女だから、先代の先代の先代の……そのまた先代くらいの巫女の、先代の巫女、ということになる。
 彼女は、もう働けない巫女さんだ。
 それも、役目を終えたのでなく、途中で脱落した。当代の巫女も含めて、誰も彼女を省みることが無い。元の名前も失って、博麗霊夢という名前まで返上した巫女さんには名前も無い。だから誰も彼女を呼ぶことが無い。無い、無い、無いで、無いものばかり。巫女さんは、このまま誰にも知られず、ひっそりと朽ちていくのだろうと思っていた。
「……ッ」
 習慣、と言うよりは習性として身に付いた動きで掃き掃除を繰り返していたのに、何の前触れも無く、巫女さんは奥歯が割れそうなほど強く噛み締めた。その表情にあるのは、悔しさ、怒り、憎しみ。許さない、必ず殺すという気持ち。そういう負の感情が、ルーミアを呼んだ。
「もし、この世界に神様がいるのなら」
「いるのなら?」
「必ず、殺してやるわ」
「巫女さんらしくもない」
「敬意が足りないって?」
「そーじゃない。貴方が言っている神は運命の擬人化……でもないな。世界全てが憎い時にとりあえず立てる、仮想敵のようなものだ。そしてそれは厳密に言うなら神じゃない。天にまします主の劣化した概念だよ」
「知らないわよ、そんなこと」
 本当に知らなかった。巫女さんには、幻想郷に来る以前の記憶が無い。ただ、そういう言葉が口をついて出て来たということは、知らないわけでもないのかも。この頃、日本にはいくつも教会が建てられている。だから巫女さんの無意識下には、神様や天使という概念があった。ひょっとすると洗礼を受けているか、でなくとも、孤児院の出身だったかも知れない。巫女さんはなんとなく、自分は身寄りの無い子供だったろうと予想していた。
 わけも分からない内に博麗神社の巫女をやっていて、大きな仕事があって、大きな戦いがあって、それ全部、わけの分からない内の出来事だった。それでまた、わけの分からない内にお払い箱になっていた。
 巫女さんは、美しい幻想郷のことが嫌いだった。自分が守った、なんていう感慨すら無い。だって、ただわけの分からない内に巻き込まれただけなんだから。もしもあったかも知れない穏やかな人生を想像すると、『巻き込んだ相手』を恨みたくなる。それだけのシンプルな構造の話。
「ところで、アンタ誰だっけ」
「嫌だなぁ、忘れちゃったの? 初対面のルーミアだよ」
 金髪と洋装の少女。
 巫女さんは、その頭の上のあたりをじっと見つめていた。かと思えば、容赦なく箒を一閃する。本来の力があれば、この一撃で妖怪を割って屠ることができたはず。バチンッ、となんかすごい痛そうな音は鳴ったけど。
「……痛いんだけど?」
「痛がれ。死ね」
 この巫女さんは、妖怪には容赦しないと評判だ。わけの分からない仕事だったけど、弱きを助け強きを挫く、そういう生き方は生来の気風に馴染んでいたのだった。

 その次の日も、ルーミアがやって来ては、追われていった。そのまた次の日も来た。そして次の次の日も来て、しばらくすると、巫女さんはルーミアの相手をするのに飽きてしまった。
 ルーミアは、家の土壁を削ったものを鍋に入れて茹でる巫女さんの姿を見ては、素直に鼻で笑った。もう相手しないと決めていた巫女さんだけど、ルーミアをあばら家の外に投げ飛ばす。

 この日は、色々あって干した小魚が手に入った。懲りずにやって来たルーミアの気配に、巫女さんは敏感に立ち上がる。
「アンタ酒持ってるでしょう!?」
 一秒で強奪し、巫女さんは小魚をじっくり火で炙る作業に戻った。
 ルーミアが持っていたのは瓶子に入った酒だった。熱燗にするつもりらしく、巫女さんは奪ったそれを火のそばに置く。
「汝、奪うことなかれ的なこと、習わなかった?」
「忘れたわ」
「ま、その魚、何をどうしたのかは知らないでおいてあげる。ちなみに私のお酒は、ちゃんと買ったものだよ?」
「人殺し以外なら何やっても良いのよ。私が決めた私の決まり事」
「……だからってコソ泥ねぇ」
「……何? 酒も魚もやらないわよ?」
「別に良いけど」
 季節は、年の暮れ。日に日に寒さが増していく。遠慮なく隙間風の吹き込む小屋は、外と大差ないくらいに寒い。
 もうこの冬を越すことはできないだろうと、巫女さんは悟っていた。今はまだ多少は健在だけれど、手足の力の萎えも感じている。
「私を喰うならさっさと喰いなさいよ」
 ふてくされたように呟いた巫女さんを、ルーミアは哀れなものを見る目で見下ろした。
「可哀そうに。熟成を待つという文化を知らないんだ。きっと、美味しいものを食べたことがないんだね。あー、私は人を喰う系の何かアレで良かったなー。人間は面倒臭いもんなー」
「退治するわよ?」
「もう何の力も無いくせに、よく言うよ。涙ぐましいね。微笑ましいのかな?」
 巫女さんは指をボキボキと鳴らした。確かに霊力は失った。だが、筋力はどうかな?
 ただ、酒もあって上機嫌だったから、ぐっと堪えてその軽口を聞き流した。腹が満ちているライオンが獲物を襲わないことに似ている。
「ところで、アンタは何だっけ」
「ルーミアだよ」
「あ、そう」
 まったくこれっぽっちも興味無いという顔で、巫女さんはそう言った。ルーミアの頭の上あたりに目をやって、顔も見やしない。
「アンタは神様っていると思う?」
 まったくこれっぽっちも興味無いという顔で、巫女さんはそうも言った。
「その神様は仮想敵としての神様? まあ、そこに連なっていくことになる神様なら、知り合いだよ」
「あ、そう」
 やっぱり、まったくこれっぽっちも興味無いという顔。眉一つ動かしていないけれど、興味津々、という顔。
「どんな奴だった?」
「詳しくは知らない。一言、口をきいただけだもん」
 光よ。あれ。と、神は言った。
 そーなのかー。と、ルーミアは言った。
 会話はそれでおしまいだった。ともあれ、そうして、ふたつでひとつだった光と闇は別たれた。
「貴方はどうなの? 神様のこと、どう思う?」
「会ったら殺す」
「あーあ、可哀そう。無関係な他人なのに」
「神なんざ名乗るからいけないのよ」
「全くその通りだね」
「……本当は、そんなものいないんじゃないの?」
「いるよ」
 と、ルーミアは言った。確信を伴って、言ったのだ。
「いつも見てるよ。貴方が捨てられた時も、攫われた時も、戦っていた時も、負けちゃった時も、いつもいつも、神様は貴方のことを空の上から見ていたよ。主は、見守っていてくださるものらしいからね?」
「それ、本当?」
 巫女さんは歯軋りしながら問い質した。これまでのものとは違う、本気の敵意が向いている。『自分を巻き込んだモノ』に向けていた怒りの一端が、今、ルーミアに突き付けられている。
「私が捨てられた時も、攫われた時も、戦っていた時も、負けそうになった時も、いつもいつも、神様は私のことを空の上から見ていたって言うの?」
 さりげなく、負けてないと訂正する巫女さん。ただ、そんな些細なことが気にならないくらい、強い憎しみの感情が込められた声音だった。
「何もしないで? 神様ってのは、救ってくれるもんじゃないの? この国にいるわけの分かんないカミと違って、天にまします主様ってのは、善なるものを保証するために存在するんじゃないの?」
 ルーミアは何も言わなかった。沈黙が十分な答えになる類いの問い掛けだった。
 不意に、それまでの興味の一切を失って、巫女さんは火元に視線を落とした。炙った魚が良い感じになってきた所だ。
「出てけ」
 後はもう、それしか言わない。



 偉そうな顔をした奴は大体敵だと思っていたから、その偉そうな奴にも即刻殴りかかった。
「待て待て待て、落ち着け。話し合おうじゃないか。私達は和解できる!」
 顔面を殴り、椅子から叩き落し、思う存分足蹴にした。できることなど、その程度だった。
「やれやれ、酷い目に遭ったよ。そういう反応、困るなぁ。私はどちらかと言うと、ゆか……あいつの、身寄りの無い子を攫って来て洗脳するようなやり口をどうかと思っている側だというのに」
 事情を知っている者が聞けば、どの口で、と言いたくなるような発言を、悪びれもせずにする。
「いや、あいつを責めないでやってくれ。あれはあれで、今は大変なんだよ。今もまだ、幻想郷は大事な時期だからな。実の所、私も暇じゃあないんだ」
 誰が大変とか、知ったことじゃなかった。だって一番大変だったのは……
 ──だって一番大変だったのは、私じゃないか。
 その弱い思考を矜持で打ち切って、弱音なんか死んでも口には出すものかと誓うのだ。
「ふーん、ほうほうほう、うん、これはもうダメだね」
 偉そうな奴は勝手なことを言って、それで、用事は済んだらしい。
「騒がせて悪かった。もう、何の用も無いよ」
 そいつは裏口の戸を開けて出て行った。すぐに後を追ったが、既に姿は見えない。
「……このッ!」
 適当な物に当たり散らす。できることなど、その程度だった。
 空を飛ぶことも、普通に生活することさえままならないから、今の巫女さんにできることなんて、たかだか暴力を振るうくらいのこと。ここの所の寒さで手の指は霜焼けで腫れていたし、足の指は壊死が始まっていた。腐った指は死んだミミズの色をしている。まともな食事も取っていない。雑草も生えない冬は、土の壁を剥がして茹でたものが主食だ。
 殺人を伴う略奪という行為を解禁すれば、冬を越せるだろうとは知っていた。
「ふざけんなよ……ちくしょう……」
「憎い? 何もかも殺してやりたい?」
「アンタは…………」
「ルーミアだよ。私は宵闇。貴方の心が、私を呼んだの」
「呼んでないわ」
「呼んだんだよ」
 確かに、呼んでいたんだよ。もう一度、同じ言葉を繰り返し、ルーミアは巫女さんの足元にマッチの束を転がした。昔の、それも海外の、箱入りではなく紐で束ねただけの黄燐マッチだった。
「あげるよ。暖かいストーブやガチョウの丸焼きの幻でも見えるかも知れないし、優しかったおばあさんに会えるかもね。ま、別に売っちゃっても良いけど」
「何の話?」
「知らない? アンデルセンの童話」
 巫女さんには覚えが無いようなので、ルーミアはそのお話を思い出して語り聞かせた。
 ──そう、それはとっても寒い夜のことでした。あたりもう真っ暗闇で、雪が降っていました。
 丁度、幻想郷にも雪が降る季節だった。山間部の寒さは厳しいものになる。
「ひどい話ね。どうして誰も、その子を助けてやらなかったのよ」
「そこはほら、そういうお話だし?」
「フン。じゃあ意味の分からない話」
「分かる人は、少ないだろうね。何しろ、少女が見た素晴らしいものを誰も知らないのです、と結ばれる話だもの。奇跡は頭の中だけに起きる。天国は貴方の中にある。そう読んでしまうのは、きっとまだ、浅い」
「神様って、いるの?」
「いるよ」
「天国って、あるの?」
「あるよ」
「神様は、天国にいるの?」
「厳密には……ううん、おおむねの所、イエス」
「じゃあ、私は天国へ行ける?」
「行って何をするつもり?」
「決まってるでしょ、そんなこと」
 真冬の早朝の空気よりも冷たく、澄んだ声。確実に殺すと決定したのなら、激昂する感情は邪魔になる。冷静に研ぎ澄まされた殺意こそが最も強い武器なのだと、巫女さんは知っているのだ。
 必殺。この二文字の他には何もいらない。
「……会ったこともない他人を恨んで、どうするんだか」
「だったら何を恨めば良いのよッ!? 私が憎いのは、世界とかッ、運命とかッ、そういうデカいものでしょッ!? 小物になんざ興味無いんだよッ!」
 必要な武器だろうが、かなぐり捨てる。それだけの怒りがあった。
「じゃあ世界を滅ぼせば良い」
「それはダメ」
 スッと落ち着く、巫女さん。
「私の流儀に反する。仕方ないから、私は神を殺すの。偉そうにしてるのが悪い」
「仕方ないで殺される神は不憫だねぇ」
「アンタ、神と知り合いなんでしょ。案内しなさいよ」
「いや、別に友達とかそういうのじゃないし。連絡先も知らないよ」
「どういう奴なのよ。貧しい女の子が凍えて死ぬ時、その時も、空の上から見ていたって言うの? 神なら助けてやんなさいよ」
 人が一人死んだ時にも、世界は決して、その表情を変えやしない。この星では毎秒ごとに人が死んでいくのに。
 巫女さんは、弱い奴は助けて強い奴はぶっ飛ばすのが当然だと思っているから、どうしてもこの世界の哀しさが許せなかった。事実、巫女さんは自分の手の届く範囲でならそのように実行してきたし、空を飛ぶ巫女さんの手の届く範囲は、決して狭いものではなかった。役目だから、仕事だから、そういうつまらない理屈で巫女をやっていたのでは、ない。巫女さんはきっと、生まれついての巫女だったからこそ、わけが分からなくたって戦ってきたのだ。
 だから断言する。巫女さんなら絶対に、その女の子を助けると。そして、もし上から目線で見殺しにするような奴がいたら、絶対にぶっ飛ばしてやると。もう何の力も無いだとか、そんなことは些事だった。
「ほんと、最悪な奴。神を名乗るくせに、人の不幸が好きなわけ?」
「だからさ、作り話に何を言っているんだか。言い換えて誤魔化す必要は無いんだ。マッチ売りの少女が、ではない。貴方だ。今ここで凍えているのは、他の誰かじゃない貴方だよね? 自覚しろ。認めろ。取り繕っても無駄だ。自分の心には暗い部分があるって、理解しろ」
 宵闇の少女は、その闇こそを糧にするのだろう。
 この手の妖怪は事あるごとに、人の心の脆さに付け込もうとする。その卑怯さが気に入らない。確かに人の心は弱い。だが、跳ね退けていくのも人だ。この矜持を挫こうとする類いの輩だけは捨て置けないものと、巫女さんは常々思っているのだ。
「素直に言いなよ。私が凍えて死ぬ時、アンタはどんな顔をしていやがるんだ、って」
「見たくもないわ、そんなツラ。私くらいになると目を瞑っていても戦えるから問題ない」
「ねぇねぇ、言っちゃおうよ」
「しつこいわね」
「暗い気持ち、全部吐き出しても良いんだよ。さっきの後戸にだって何か言ってやれば良かったの。例えばそう、ねぇ待ってよ、とか、私のことを思い出して、とか。見捨てないで、でも良いね。そうしたら、何かが変わったかも知れないよ?」
「ハッ」
 怒りを通り過ぎると呆れて物も言えなくなるのだと、巫女さんは初めて知った。怒りのバリエーションがどんどん豊富になっていく。
「どうして貴方は頑なに自分の弱さを認めないの? どうして人間はそんなに愚かなの? どんなに見ない振りをしたって、闇はそこにあるのに」
 ここで巫女さんはようやくマッチを拾った。そして、放り捨てた。
「いらないわ。こんなもの。……どうせ、神様はいないし天国も無いんだわ」

 この後、ルーミアが何を話し掛けても巫女さんは完全に無視を決め込むようになった。仕方なく、ルーミアは去ったと見せかけて、実は、まだ近くの暗がりで様子を窺っていた。
 ちゃんとマッチを擦る音が聴こえてから、今度こそ、ぽちゃりと影の中へ溶けていった。



「メリークリスマス。今日も、まだ生きてる?」
 返事が無かったから、ルーミアは巫女さんが死んだと思った。
 結局、一番美味しい状態にはならなかった。やっぱり調理は向いていない。手間暇かけても上手くいくとは限らないし、面倒事の方が多い。寝ているだけで食事が向こうからやって来てくれれば最高なのに。
 あーあ、と思って、油断していた。この前会った時には既に瀕死だった巫女さんが、よもや機敏に動くだなんて想像もしていなかった。
 腕を捩じられ、組み伏せられる。巫女さんの動きには容赦というものが無く、もしルーミアの腕に骨があったなら、間違いなく折れている角度まで捩じられていた。
 ルーミアは一旦溶けてから、粗末な小屋の反対側に立って、巫女さんの頭を見下ろした。
 この日、ルーミアは夜を待ってから訪れた。真っ暗な部屋にも、細い光が一筋、二筋と屋根や壁を貫いて差し込んでいる。それがまるで、この暗い部屋の外は満天の星空の下にあるのだと知らしめているみたいで、星の光だけでも十分過ぎるくらいの光源。夜は思いのほか明るいのだと、勘違いしてしまいそう。
「……生きてるの? 本能だけで戦ってるとか言わないよね?」
 巫女さんの目は虚ろだった。ひょっとすると、本当に本能だけで戦っているのかも知れない。
 覚束ない足取りで歩み寄り、ルーミアの肩を掴んだ所で、その場に崩れ落ちて膝をついてしまった。でも、死んだミミズ色に腐った指の力だけは、信じられないくらいに強いのだ。爪が食い込んで、血の代わりに謎の黒い汁が滴り落ちる。
「天国って、あるの?」
「あるよ」
「私はそこに行く。そこに、私の敵がいる」
 ルーミアは、巫女さんは天国に招かれないだろうと知っていた。
 ルーミアは神様に会ったことがあるから、少しだけ、神様の事情を知っている。天国は定員が決まっていて、とうの昔に閉店しているのだ。だから、本当の天国に行ける人間は、もういない。
「もうじき、私は死ぬ」
「むしろ、しぶといくらいだね。貴方の関係者って、もうとっくに貴方は死んだと思ってるんじゃないかな」
「私の人生は何だったの?」
 巫女さんの人生は、わけの分からないまま戦って、そして脱落しただけで終わった。
「ねぇ、神ってやつはさあ。私が捨てられた時、攫われた時、戦っていた時、負けそうになった時、そして、私が凍えて死ぬ時──そう、たった今だよッ! 今この瞬間にッ、アンタはどんな顔をしていやがるんだッ!」
 丁度その時、巫女さんはルーミアの顔を見た。

「ああ、そう。そんな顔をしていたのね」

 そして巫女さんは、すとんと簡単に納得した。
 そんな顔? そんな顔とは、どんな顔だ。何を、ルーミアの顔に見ているの?
 ルーミアは嗤っている。そのはずだ。巫女さんは何か変な勘違いをしている。絶対に有り得ないものを、ルーミアの顔に見ている。嗜虐的で、冷酷で、心の闇を煽る、そういう表情を、ルーミアはしているはずなのに。
「そっか。そうなのか。じゃあ、もう良いや」
 何やら満ち足りた表情で、巫女さんはそう言った。ルーミアは、少し戸惑う。
「……何? もう良いの?」
「うん、もう良い」
「何が……?」
 良いわけないだろ。
「私が苦しい時、そんな顔をしていたのね。だったらもう、別に良いと言っているの」
「意味が分からないわ。許さないって、言ってたじゃん」
「……神様、ね。言う程、悪い奴じゃないのか」
 巫女さんはそっと、ルーミアの頭の上に手を伸ばした。つまりその、金髪の頭の上に浮いている──赤い、光の輪に。
「ヘイローがどうかした?」
「これ、綺麗ね」
「……」
 光よあれと言葉がある以前、光と闇はふたつでひとつの双子だった。ルーミアが言って、ルーミアが受けて答えた。本当は会話じゃなくて、独り言。この世界をルーミアで満たそうとする試みの始まり。
「あー、そっかぁ。私が苦しい時には、神様さぁ、アンタも、苦しかったんだね。知らなかった」
「私は貴方が言うみたいな顔なんかしてない!」
 悲鳴みたいな絶叫。
 だって有り得ない。どんな顔をしているって言うんだ。それがどんな顔であれ、ルーミアは、嗤っていなければおかしいんだ。
 肩に食い込んだ手を振り払おうとしたら、ルーミアが思っていたより簡単に、巫女さんの手が外れた。
「ううん、良いのよ」
 だいじょうぶ。私はアンタのこと、何もかも分かってる。
 まるでそう言いたげな柔和な表情で、巫女さんは首を横に振った。
「あのね、私は貴方を食べに来たんだよ? 貴方から美味しそうな匂いがしたから」
「アンタさ、馬鹿でしょ。本当は人間を食べたくなんか、ないくせに」
「やめて」
 嗤っちゃうね。何を言っているんだろうね? ルーミアが人間を食べたくないとか有り得ないね。そういう勘違い、ルーミアは好きじゃないよ。
 悪いことをしている奴にも、隠している本心がある? 人を殺しておきながら、本当は後悔している? 何それ、ぬるい。ルーミアは死んでもそんなものになりたくない。嗤うのは良いけど、笑わせないで。
「私のために、そんな顔をしてくれてありがとう」
 だからそんな顔ってどんな顔さ。
 巫女さんは、この世界の何もかもを許しているみたいな屈託の無い顔で笑った。
「アンタ、良い奴ね」
 ルーミアは具合が悪くなった。熱が出た時みたいな悪寒に、ぞっとする。ルーミアは闇だから、明るいものには拒絶反応が出る。
「アンタは、人の心の弱い部分、暗い部分を、否定しないで唆す。……不思議ね。今にして思えば、認めろと繰り返していたアンタが正しかったようでもある。あの時のアンタは私を煽っているようでいて、素直になれと説得していたんだわ」
 違う。違う。絶対に違う。
「逆に言い返してやるわ。アンタこそ、認めろよ。アンタの心にも、優しい部分があるんだ」
 絶望にも似た感覚。ルーミアは、あ、終わる、と予感した。これ以上巫女さんに付き合っていれば、取り返しの付かないことになる。
「ルーミア。アンタは私の光だ」
 耳を塞いでのたうち回って、何も聴こえない振りをしていたかった。でもそうしないのは、ルーミアは嗤っていなければいけないからだ。ルーミアは巫女さんの妄言を軽く受け止め、哀れみと嘲けりを込めて見下した。そうに決まっている。
「嗤ってるもん。最悪な顔してるもん。嗤ってなかったら、私じゃないもん……」
「私は知ってる。アンタは悪ぶってるけど、面倒臭がりで、一日中寝ていられればそれで良いとか思ってる、ぐーたらな奴なんだって」
「寝ぼけたこと言わないでッ!」
 死にかけた人間が有りもしない幻覚を見ているにしたって、どうして、よりにもよって。
「あは、図星を突かれたからって、そんなに怒らないでよ」
 それから巫女さんは、自分のリボンをほどいて、ルーミアの髪に結び付けた。リボンと見えて、中にお札が仕込んである。とっておきの、最後の一枚、切り札。
「これは封印よ。もう二度と、アンタが悪いことできないように」
 意味のある枷では、ない。
 だけど、異物ではあった。闇に棲むルーミアが決して触れることができない類いの代物だ。どうか貴方が健やかでありますようにと、愛とか、祈りとか、ルーミアの大っっっ嫌いなもの。
「こんなもの、何の意味も無いよ」
 そう告げて、馬鹿にしたはずだった。でもその時には、力無く巫女さんの腕は落ちていて、息を引き取ったのだと知れた。
 膝は、屈していた。でも、地に倒れ伏してはいない。戦い続けた巫女さんの最期は、そういう死に様だった。
 あーあ、巫女さんは死んでしまいました。
 ルーミアは一瞬だけ、用意したシャンパンが無駄になったと思った。
 でも違う。別に全然、無駄になんかなっていない。ルーミアはこれから食事の時間だ。まずは目を開いたまま死んでいる巫女さんの瞳に口付けをして、ちゅぽっと吸い出した。
「えへへ、キス、しちゃった」
 反対側も同じようにした。普段は、そんなことしないのに。その次は痩せ衰えた細い腕を丸呑みして──えずいた。
 とってもクリーミー。砂糖よりも甘いキラキラ。しあわせの味。まるで本当の愛でも知ったみたい。甘くて、ほわほわで、こんなの喰えたものじゃない。この巫女さんは最前までルーミア好みの闇を抱えていたのに、怒った味もしないし、憎しみの味もしない。
 それでも、ここに至るまで手間暇が掛かっていたものだから、ルーミアも食い意地が張っていた。少し涙が浮かんで来たけれど、それは、呑み込めない食べ物を無理矢理に呑み下すつらさのせいだ。シャンパンをボトルのまま呷って、胃の底に押し流していく。血の一滴、髪の毛一本だって残さずにごちそうさま。

 ルーミアは邪魔くさいリボンを引きちぎってしまおうとして、どうしても、それができなかった。どうしてなのかな。とっても不思議。ルーミアには分からない。

「あーあ、嗤っちゃうねー」
 そう、嗤っちゃう。それでこそのルーミア。
「よーし、なんだか楽しくなってきたから、踊っちゃうぞ。ずんちゃか、ずんちゃか」
 食事を終えたルーミアは、ふわりと夜の空に飛び出した。
 おお。ルーミアが踊っているよ。

 巫女さんは巫女だから、つらいです、助けて欲しいですなんて、死んでも言わない。
 ルーミアは闇の化身だから、本当は貴方を救いたかったなんて、死んでも言わない。

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コメント



0.290簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
くそったれな現実の中に、美しいものが見えた気がした。
どうしようもなく血と絶望にまみれた話なのに、なぜか、尊い希望が込められた寓話のように感じてしまいました。
聖夜にふさわしい、素晴らしい作品でした。
2.90奇声を発する程度の能力削除
面白く良かったです
3.100名前が無い程度の能力削除
よかったです
4.100名前が無い程度の能力削除
とても良かったです
8.80名前が無い程度の能力削除
暗黒
9.100Actadust削除
淡々と語られる日常の中で描かれた、二人の揺らぎが素敵でした。面白かったです。
10.100名前が無い程度の能力削除
独自の解釈の魅力が詰まっていてよかったです
11.100南条削除
面白かったです
先代もルーミアもいい味出していました
12.90めそふらん削除
どう言う訳か読んだ後にじわじわ来る、どろどろと心に残る。
そんな感じで良かったです。
14.100サク_ウマ削除
不気味というか気味悪いんたけどそれが良いなあと思います
飄々としてるおんなのこが激情をあらわにするの好き、性癖です
良かったです