Coolier - 新生・東方創想話

好き好き好き好き大好き大好き、百億回でも好きと言わせて

2020/12/23 20:55:39
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 朝焼けの暖かさを浴びながら、ナズーリンのことを想う。自分は彼女の、どんなところを好きになったのだろう。
 一番に思い浮かぶのは表情だろうか。彼女はクールぶっているくせに、自分の前ではとても表情豊かだ。
 親しくなるほどに、色々な表情を見せてくれるようになった。それが魅力的で、もっとたくさんの顔を見せてほしくて、気が付くと目が離せなくなっていた。
 声も魅力的だ。幼く可愛らしい声――だというのに、口ぶりは高飛車だ。しかし傲慢ではなく、潤美と正面から眼を合わせて、色々な話を聞かせてくれる。ナズーリンは話が上手いので、つい話し込みたくなってしまう。食事を共にすることが多いのは、彼女の話を聞きたいからという理由もあった。
 それと、よく気が付くところ。彼女は如才が無い、細かいところまでよく自分を見てくれる――いや、自分だけを見てくれているわけではないだろうが。
 こちらの細かい変化に気が付き、声をかけてくれる。そんな小さな積み重ねが胸に降り積もって、気が付くと、ナズーリンの存在が大きくなっていた。
 目覚め前のおぼろげな意識でさえ、ナズーリンの表情の一つ一つがはっきりと瞼の裏に浮かんでくる。ただそれだけのことで、幸せと切なさで胸がいっぱいになる。
 そうか。
 自分はこんなにも、ナズーリンのことが好きだったのか。

 そんな夢うつつの思考から覚めて。目を開けると、一人だった。
 隣にナズーリンの姿が無い。布団を蹴飛ばして跳ね起きた。小さな家だ、探す場所なんてほとんど無い――昨日いたはずのナズーリンがいない、ただそれだけなのに激しく動揺してしまう。
 ちゃぶ台の上に書き置きが一つ。「失せ物探しとトレジャーハントに行ってくる。家の中の物は好きにしていいし勝手に帰ってもいい。鍵は気にしないでくれ、どうせ金目の物は置いてないから」
 色気も何もないシンプルな文面、これはこれでナズーリンらしい……昨晩、あんなことがあったというのに。
 たとえ金目の物が無いとしても――とりあえず、信頼されていることは間違いないらしい。そうでなければ、そもそも家に泊めたりしないだろう。
「泊めてくれたお礼に、掃除くらいはやってもいいよね」
 何かに言い訳するように言って、潤美は動き始めた。まずは昨日の鍋の残りで朝食の雑炊を作る。
 朝食と洗顔を済ませ、ようやく目が覚めてきた。昨日の酒宴で散らかり気味だった部屋を片づける頃には、いつも通りに体が動き始める。
 ――ナズーリンに振られた痛みは、まだ胸に刺さったままだ。それでも体を動かすことにした。落ち込んでいるところを、ナズーリンに見られたくはない。
 室内の拭き掃除を始める。元々、ナズーリンの家の家事を手伝うことは今までにもあった。家のつくりも掃除の要領もよくわかっている。
「我ながら、ナズーリンの世話はいっぱい焼いてきたからね……」
 今にして思うと、ただのご近所づきあいというには少し過剰なくらいにナズーリンに接してきた。友人としてナズーリンと共にいる時間が心地良かったというのが一番だろう。
 付け加えるなら、放っておけなかった、というのもある。無縁塚にぽつんと小さな家を建てて住み始めたナズーリン……宝探しのため、と本人は言っているし、実際それは本当だろう。そして事実、ナズーリンは賢くて有能だ。潤美の手助けなど無くても、何だかんだ上手くやってのけただろう。それでも……一人でいるナズーリンに話しかけると、表情豊かに反応してくれた。本当は寂しいのではないだろうか、もっと親切にしてあげた方が良いのでは、という考えも、少しはあったと思う。
「まあ、それもちょっと考えすぎだったのかもね……命蓮寺の仲間だったなんて、昨日までは知らなかったし」
 ぼやきつつ、掃除を進める。軽くだが家の中は一通り終わった、次は外だ。
 玄関先の掃き掃除をしながら引き続き考えるのは、やはりナズーリンのことだ。
 ナズーリンから、自分は友人として信頼されてはいるらしいが……この家に金目の物が無いというのも本当だろう。家の中は質素そのもので、贅沢からは縁遠い。
 書き置きにもあった通り、ナズーリン自身は失せ物探しとトレジャーハントを生業としている。前者は依頼を受けての探し物のこと、後者はナズーリン自身が個人的にやっている宝探しのことだ。
 実際、ナズーリンが生活に困っている様子は無い。昨晩の鍋も、酒は彼女が用意した。今までも食事を共にすることは何度もあったし、良い食材をナズーリンが提供することもあった。
 十分な貯蓄はあるのだ……とすると。
「この家じゃなくて、別の場所に蓄えているってことか」
 宝探しが得意なナズーリン、宝の隠し場所を見つけ出すことがお手の物というなら、逆に宝の隠し方にも精通しているのかも知れない。
 まだまだナズーリンのことで知らないことは多いな、と思いながら、今度は窓ふきを始めようとしていたところに。
「あの……初めまして。少し、よろしいでしょうか?」
「はいはい? どちら様?」
 横合いから丁寧に声をかけられる。見ると、すらりと背筋の伸びた少女の姿があった。
「私は寅丸星と申します。この家に住んでいる、ナズーリンの上司をやっておりまして」
「これはご丁寧に。私は牛崎潤美。ナズーリンとは……友達、ってことになるね」
 珍しい感じの子だな、というのが第一印象だった。身なりが綺麗で派手だ、金と黒の髪、紅白と金の衣装。見るからに気品がある。なのに、本人には偉ぶったところが微塵も無い。まっすぐに立っているだけの姿は堂々としている、それでいて態度は柔らかで物腰が低そうだ。
 感じられる気配からすると妖怪のはずだが――幻想郷で身分や格の高い妖怪というのは大抵、どこかしら底知れなさや威圧感をまとっているのが常だ。その点この少女は、どちらかというと親近感が強い。
「ナズーリンは、今は家にいないようですね……牛崎さんはナズーリンと一緒に住んでいるのですか?」
「潤美でいいよ。いや、昨日泊まらせてもらっただけさ、同居してるわけじゃない……寅丸さん、ナズーリンの上司、って言った?」
「はい。私のことも星でいいですよ。ナズーリンの友達なら、私も仲良くしておきたいですから」
「わかった。立ち話も何だし……私の家じゃないけど、中に入ろうか」
 家に入り、お茶を用意する。勝手知ったる友人の家、使った茶葉の分は、何かまた食材のおすそ分けで埋め合わせしよう。
 星は慣れた様子でくつろいでいた。潤美とは初対面だが、ここに来るのは初めてではないのだろう。くつろいでいると言っても、きちんと正座して居住まいを正してはいるが。
「粗茶ですが……って、ナズーリンの家の茶について私が言うのも変だけど。上等なお茶の淹れ方なんか知らないから、勘弁しておくれ」
「お気遣いなく。いただきます……うん、美味しい。それで、あなたはナズーリンのお友達という話ですが」
「うん、まあ」
「ナズーリンが言っていました、最近は友人も出来て毎日が充実していると……仲良くしてくれているのですね。私がこう言うのもおかしいかも知れませんが、ありがとうございます。とても嬉しい」
 その言葉だけで。どくん、と胸の内が跳ねた。熱が顔まで登ってきて、冬だというのに一気に温度が上がった気がした。
 ――浮かれすぎだ、と自覚はする。「友達として大切だと思ってくれている」――そう聞いただけで、喜びと愛しさが込み上げてしまう。
「そ、そう。私も――その、ナズーリンには良くしてもらってるからお互い様さ。あの子、いい子だよね」
「はい。私にとってもナズーリンはかけがえの無い仲間であり、友人です。今までにも何度も助けてもらってきた……そんなナズーリンが幸せでいてくれるなら、これ以上に喜ばしいことはありません」
 気負いのない、自然に出てくる本音だろう。星がナズーリンのことを話す様子からは、慈愛と誇りが感じられた。
「星、ナズーリンの上司ってことは……あんたは命蓮寺のお偉いさん、ってことになるのかい?」
「はい。恥ずかしながら、毘沙門天の代理をやらせてもらっています」
 代理。昨晩のナズーリンの話にも出ていた。命蓮寺建立の際に聖白蓮と共に現れたという毘沙門天の化身。
 話を聞いていた時は軽く流していたが、代理というのは仏像と同じ――ご本尊ということだろう。寺の内部の力関係まではわからないが、一般的に見るなら聖白蓮よりもさらに上の地位になるのではないだろうか。
「へぇー、ご本尊様……という割には、失礼かも知れないけど、結構話しやすい感じだね?」
「寺の信徒たちからもよく言われます、威厳が無いと。不甲斐ない限りですが、話しやすいと言ってもらえるのは嬉しいと思います。出来ることなら立場と関係無く、私もあなたの友になれれば、と思っています」
 ああ、と潤美は内心で嘆息した。
 ――これは、綺麗なひとだ。
 口ぶり、所作、その一つ一つがまっすぐに礼儀正しく、それらが板についている。無駄な力みが無いから、こちらも肩の力を抜いて話すことができる。
 それでいて、口にする言葉や星自身の態度に嫌味が無い。彼女自身の等身大の朴訥さと謙虚さによるものだろうか。
 それなのに――矛盾するようだが、神聖さもうっすらと感じるのだ。
 例えるなら控えめな花の香りのようだ。香水ほどの濃さでさえない、気付くか気付かないかという程度に放たれる神々しさ――生来のものか、それとも長年の生き方によって染みついたものか、どちらなのかは潤美にはわからないが。
「光栄、って言うのも変な感じだね。でも、嬉しいよ。あんたがいいなら私も、対等の友人としてあんたのことを見るさ」
「ええ、ありがとうございます。ナズーリンと共通の友人が持てた、ナズーリンのことを大切に思ってくれる友人を……今日は良い日になりました」
 最初は気付かないままに話し込み、気が付くと、そのにじみ出る神聖さに目が離せなくなっている。こんなにも清らかなひとが、自分と同じ目線で語りかけてくる。
 なるほどこれは傑物だ、と潤美は頷いた。この妖怪がご本尊なら、命蓮寺の信徒たちも安心していられることだろう。
「ところで星は、今日はやっぱりナズーリンに会いに?」
「はい。以前はナズーリンの方からもっと頻繁に寺に顔を出してくれていたのですが、寺の運営が軌道に乗ってからは安心したのか、顔を見せる回数が減ってしまって……最近では、私の方から様子を見に来ることが多くなったのです」
 打ち解けてからも、自然と話題は二人の共通の友人、ナズーリンのことになった。
「毘沙門天の使い、ってあの子は言ってたね。どういう立場かは私にはよくわからないけど、お寺のみんなからは頼りにされてるんだ?」
「そうですね、皆がナズーリンを頼りにしています。能力、見識、機転、人柄……彼女を頼る理由はいくらでもあります。今までに彼女が積み上げた功績は大きいし、これからももっと頼りにさせてほしいと思っています。私がこう言うと、ナズーリンの方は、距離を置こうとするのですが」
 しかし――昨日振られたばかりだというのに、こうして好きな相手の話題で、談笑している。
 ――好きなのだ。一度振られたのに、まだ。振り切らなければならないはずなのに、そんな気持ちになれない。
 ナズーリンの名前が出るたびに、ここにはいない彼女のことを想って、愛しさが込み上げてくる。
 自分はここまで諦めの悪い妖怪だっただろうかと、潤美自身が驚いている。
「へえ、そんなに……距離を置こうとするっていうのは、なんでだろうね?」
「それは……ナズーリンからたびたび言われるのですが、寺の本尊が特定の部下に頼り切りでは他の信徒たちに示しがつかないだろう、と」
「ああ、ナズーリンの考えそうなことだね……変なところで細かい。ある程度は『なるようになる』でいいと、私なんかは思っちゃうんだけど」
「ですが、そんなナズーリンの深慮に何度も助けられて私はここまでやってこれました……彼女には頭が上がらないんですよね。そういうところも、示しがつかないと言われる理由なのでしょうけど」
 星と差し向かいで話していると、如実に伝わってくることがある。
 ――ナズーリンへの信頼が、凄い。
 ただ上司と部下という関係なだけでは、こうはなるまい。言葉の端々からも察せられる――
「ナズーリンと星は、長いの?」
「そうですね、千年来の付き合いになります」
「おお……千年は凄いね」
 桁違いの数が返ってきた。予想していたより遥かに長い――自分たち妖怪は寿命が長く時間の感覚も人間より大らかではあるが、それでも千年というのは途方もなく長い。
「このあたりの事情は、ナズーリンはまだ話していませんでしたか? 聖が封印され、他の仲間たちも地底に閉じ込められている間、私とナズーリンは、地上でずっと暮らしていました。寺を再興することもできず、ただ修行を続けて信心を失わないように――寺を持たない本尊を、ナズーリンは、ずっと支えてくれていたのです」
 簡潔にではあるが、星は語ってくれた。星とナズーリンのいきさつを。
 隠れ潜むように生きてきた千年、辛かっただろうと潤美にも想像がつく。星はその千年を、実に懐かしそうに語ってくれた。
 二人が寄り添いあって生きてきたこと。
 辛いことがあっても、互いに助け合うことができたこと。
 その果てに、昔の仲間たちと、聖白蓮との再会が待っていたこと――
「……これ、勝ち目が」
「ん、どうしました?」
「あ、いや、何でもないよ」
 ――潤美の心に、重く分厚いナイフが食い込んでいく。
 話を聞けば聞くほど、星の言葉の説得力が突き刺さる。ナズーリンと星がお互いに無くてはならない存在だったということが、ひしひしと伝わってくる。
 もし――潤美がナズーリンを好きなように、いや、それよりももっと強く――この二人が、互いを想い合っているとしたら。
 想像しただけで、嫌な汗が噴き出してきて止まらない。
「あ……あの、さ。凄い話を聞かせてもらった上で、こういうこと聞くの、我ながらどうかと思うんだけど」
「はい、どうかしましたか? 何でも言ってください」
 本当に、浅ましいと潤美自身が思う――どうしても気になるのだ。この、星からナズーリンへの絶大な信頼、強烈なほどの親愛の情が。
 果たして――ただそれだけであってくれるのか。それとも――
「星は、ナズーリンのこと……好きなの?」
「はい、大好きです。聖と同じくらい尊敬しているし、敬愛しています」
「いや、そうじゃなくて……下世話な話で本当に申し訳ないんだけど、色恋の相手としては、どうなのか、って」
「ああ……そういう意味でなら」
 そこで、星は一息ついた。
 手にした湯飲みを傾けて茶を飲む――ごく普通の、自然な動作。
 ただそれだけの動作が、潤美には随分と長く感じられた。痛いほどに胸が高鳴る。長い一拍の後に、全く気負うことなく、星は答えてくれた。
「私とナズーリンは、そういう関係ではないですよ。私たちはあくまで、強い絆で結ばれた最高の仲間――本当に、ただそれだけです」
 その言葉に、潤美が安堵しようとした。その前に。
 ぎい、と扉が開いた。
 驚いて潤美は振り返る、玄関は潤美の背後にあった。完全に不意を突かれた。
 入り口の向こうには――この小さな家の主、先ほどまで話題の中心だった、ネズミの少女の姿があった。
「おかえりなさい、ナズーリン。いつものダウジングの仕事と聞いていましたが、それにしては早かったですね」
 星は茶を飲みながら平然としている、こちらはナズーリンの帰宅に気が付いていたらしい。
「あ……ああ、ただいま。仕事は、手早く済ませてきたんだ。ちょっと、早く帰ってこないと、いけなくなって」
 ナズーリンは――有り体に言うと、様子がおかしかった。
 一番に目につくのは、濡れ鼠のようにぐっしょりと濡れた姿だ。目に見えて汗だく、肌寒い季節なものだから汗がうっすらと湯気になって立ち昇っている。息もだいぶ苦しそうだ。
 ――かなり急いで帰ってきた? 息も絶え絶えになるほどに?
「早く、ですか? 家のことなら特に変わりないですよ。こうして平和に、潤美と挨拶と世間話を交わしていたくらいです」
「そうだね、そのようだ……はは、いや、それならいいんだ、うん……」
 へたり込むように畳に座り込むナズーリン。よほど疲れているか――もしくは、もっと別の理由で力が抜けたのか。
 例えば――今、星が潤美に言った答えに脱力した、というようにも見えなくはない。
「ナズーリン……もしかしてあんた、星が家に来るの、わかってた――じゃなくて、えっと……出かけてる最中に、気付いたの? どうやって?」
「ああ、それなら私にもわかりますよ」
 と、これはナズーリンではなく、星が答えた。
「ナズーリンは自分の部下のネズミを、幻想郷の色々な場所に配置しているんです。だから、ネズミたちが情報を持ってくることがある……そうでしたよね、ナズーリン?」
「その通りだけど、ご主人は平然と答えすぎだ。相手が潤美だからいいけど、誰彼構わずそういうこと言ってないだろうね?」
「大丈夫です、ナズーリンの個人情報をそんな簡単に言いふらしたりはしていません、潤美に話したのが初めてですよ。潤美、ここだけの話ということにしておいてください」
 ナズーリンがたしなめるのも当然か、妖怪ネズミの件は悪く言うとスパイ行為だ。その気になれば探し物だけではなく、もっと幅広く使うことができるだろう。あまり対外的に広めたい話ではない。
「しかしナズーリン、早く帰ってきたのだから、すぐに玄関をくぐれば良かったじゃないですか。どうして入ってこずに待っていたんですか?」
「君たちが楽しげに話し込んでいたから、話がひと段落してから入った方がいいかと思ってね……それに、息も上がってたから」
 潤美は気付かなかったが、ナズーリンはしばらく玄関の前にいたらしい。ナズーリンの答えは、確かに筋は通っている。
 ――話を立ち聞きしていた、ということに変わりはない。話の切れ目を待っていただけ? 本当に?
「じゃあナズーリンは、星が家に来るのを知って……それで、なんで慌てて帰ってきたのさ?」
 そこも気になる。星を待たせたくなかった? だとしても、ここまで大慌てで戻ってくるほどのことだろうか。
「い、いや、それは」
 潤美に問われ、ナズーリンが口ごもった。落ち着かない様子で目を泳がせている。いつも賢しく振舞うナズーリンがこういう態度を取ると、かなりあからさまになる。
「それは?」
「だから……それは、君がいたからだよ、潤美」
「私? どういうこと?」
 ――何かがおかしい、潤美は思う。認識の食い違い、齟齬がある気がする。これは、誰と誰との間の齟齬だ?
 潤美とナズーリン? 潤美と星? 星とナズーリン?
 いいや、真実は――どれも違う。
「だからさ、潤美、察しておくれよ――昨日、あんなことがあったじゃないか。そんな相手が上司に会うの、まずいだろう? 何か話がこじれやしないかって、気が気じゃなかったんだよ」
 それが答えだ。それを聞いて――
 潤美の頭の中で、いくつもの理解が繋がっていく。次から次へと、連鎖的に。
 ――普通、そんなこと気にしない。「自分が振った相手が、色恋と何の関係も無い上司に会うことを、気まずいと思う」なんて。
 仮に、潤美がナズーリンに振られたことをナズーリンの上司にこぼしたとしても――少し気まずくなる程度だろう。星の人の好さを考えれば慰めてさえもらえるかも知れない。どちらにしろ、ナズーリンが慌てるほどのことにはならない。
 だとしたら、考えられるのは。
「ナズーリン、あんた……」
「ん……何だい、潤美? 幽霊でも見たような顔になっているけど、何かあったのか?」
 怪訝げに潤美の顔を覗き込むナズーリン。汗に濡れた顔がまだ紅潮しているが――それ以上におかしなところは無い。
 ナズーリン自身が、気付いていないのだ。その事実に、潤美は心の底から戦慄する。
 ――「色恋と何の関係も無い上司と潤美が会う」のが問題ではないのなら、答えは一つだ。「色恋と、関係がある」。しかし、ここに大きな食い違いがある。
 星もナズーリンも、嘘をついていないのだ。
 星は「自分とナズーリンはかけがえの無い仲間で、色恋の関係ではない」と言った。
 ナズーリンは「自分には今は好きな相手はいない」と言っておきながら、「潤美が星と会ったら、話がこじれやしないか心配になった」と言った。
 ナズーリンの反応は過剰だ。潤美がナズーリンに振られたこと――もっと言うと、潤美がナズーリンに恋をしていることを、星に知られたくなかった。
 それは――ナズーリンが星に気があるから、ということではないのか。
「誤解されたく、なかったんだ?」
「え……そりゃまあ、そうだろう。私たちはあくまで友人同士なんだから、変な誤解なんてさせないに越したことはないじゃないか」
 平然と。それが普通の反応だと、ナズーリンは本気で思って言っている。
 ナズーリンは、そういう意味で気になる相手として星を強く意識しているのに――星を強く意識している自分の気持ちに、気付いていないのだ。食い違いはそれだ。ナズーリン自身が自分の中で齟齬を起こしている。
(いや、でも――そんなこと、ある!? 千年以上も一緒にいて!?)
 幼い人間の恋とはわけが違う、長い年月を生きた妖怪の恋だ。どんな複雑怪奇な経緯をたどればそんなことになるというのか。
 千年。あまりに長い。千年間かけて――ナズーリンの心は、どうしてそんな深い迷路に迷い込んでしまったのか。
 どれだけ衝撃的だとしても答えは変わらない。今、目の前にいるナズーリンの様子が雄弁に物語っている。今も星と潤美を見比べ、そわそわと落ち着かないままのナズーリンの姿が。
 星とナズーリン、二人がどうしてこんなことになったのか、正確なところは潤美にはわからない。
 長年寄り添って生きてきて、片想いが変質してしまったのか。それともストイックな主従関係を続けているうちにおかしなことになったのか。推測はできても、断定はできない。まだ潤美が知らない事情も、きっとあるのだろう。
 そして。
 この事実を知って、潤美にできることは何だろうか。
「あのさ、星」
「はい、何でしょう」
 振り返る。星は変わらない様子で、ゆったりとお茶を飲んでいた。ナズーリンの反応のおかしさには気付いていないのだろうか? もしかしたら、そういうおかしなナズーリンの様子も、日常として見慣れてしまっているのかもしれない。
「星とナズーリンは友達で、私と星は友達。そうだよね?」
「そうですね。友達という単語だけで言い切ってしまうと味気ないですが、二人とも私の大切な友人です」
 にこやかに答えてくれる――裏表のない様子だが、星自身の気持ちはどうなのだろう。本当に星の言う通りでしかないのかも知れない。ナズーリンのように自分の気持ちに気付いていないという可能性もある――あくまで可能性でしかない。そして、どちらだとしても。
 潤美は、もう決めてしまった。
「でもね、私とナズーリンは、ちょっと違うんだ」
「潤美!? ちょっと待って――」
 ナズーリンが割って入ろうとする、何を言おうとしたか察したのだろう。
 潤美は止まらない。慌てて歩み寄ってきたナズーリンを――
「駄目だよ、ナズーリン。そんなに近づかれたら、ほら、簡単に止められる。ナズーリンは腕力はからっきしなんだから」
「もがっ!?」
 待ってましたとばかりに両腕で抱き留めて、胸の中に捕まえてしまう。
 ナズーリンの体温を心地よく感じながら。内心でナズーリンに、少しだけ罪悪感を覚える。
 潤美が本当に友達を思いやるのなら……ナズーリンを、応援するべきなのだ。ナズーリンの思い違いに気付かせてあげて、背中を押してあげるべきだった。
 あなたは星が好きなんだ、好きになってもいいんだと。
 そうしてナズーリンを送り出して、幸せに結ばれるナズーリンと星を見届けて、祝福するべきだったのだろう――
「星。私は、ナズーリンのことが好きなんだ。恋をする相手として、ナズーリンを愛してる。告白もした。ナズーリンには断られちゃったけど……まだ諦めきれない。これから先、頑張って、ナズーリンを振り向かせてみせる」
 ――潤美は、そこまで「いいひと」にはなれない。
 目の前に、自分の腕の中にナズーリンがいるのだ。まだ誰のことが好きなのかもわからない、誰とも結ばれていないナズーリンが。
 それを大人しく見過ごすなんて、出来ない。
 ナズーリンが、自分の恋が何なのかもわからなくなっているというのなら――自分に恋をさせて、強引にでもわからせてやる。
「もが、もがー!」
「うわ……熱烈ですね、潤美。聞いているこっちが恥ずかしくなってしまいます」
「う……言わないでよ、私だって物凄く恥ずかしいんだから」
 潤美の胸の中でもがくナズーリンを尻目に、のんびりとした反応を返す星。やはり――ナズーリンのように、目に見えて慌てたりはしない。
「っぷは! いや、待ってくれご主人、潤美の勇み足なんだ! 私には本当にそのつもりは無くてだね、私たちはただの親友同士であってそういう変な関係じゃないしそうなる予定も無い! だから今までもこれからも友達同士の私たちだと思ってくれていいから、ご主人には変な誤解はしないでほしいんだ、わかってくれるだろう!?」
「ええ。ですから、今のナズーリンはまだ良い返事を返せないけど、潤美が頑張ってナズーリンをその気にさせるという話ですよね? いいじゃないですか、私は応援しますよ」
「ご主人んんんんんんんん!」
 ようやく潤美の胸から顔を引きはがしたナズーリンが慌てて抗弁するが、星には届かない。慈愛に満ちた眼差しで、ナズーリンと潤美を見守っている。
 星自身の本当の気持ちがどこにあるかは置いておくとしても――寅丸星が、ちょっと天然入っているというのはありそうだ。ナズーリンも、星のこの性格には色々と苦労させられてきたに違いない。
「思えば、ナズーリンには苦労をかけてきました。随分と長い間私を支えてくれて、聖が復活してからも命蓮寺のために尽力してくれた……そろそろ、ナズーリン自身の幸せを手に入れてもいいと私は思います。そして、その相手が潤美だったならとても喜ばしい。ナズーリンに相応しい相手だと思います」
「何を勝手に話を進めようとしているんだご主人、結婚まで考えてやしないだろうね!? だ、大体私は毘沙門天の使いなんだぞ、おいそれと誰かと一緒になるなんて出来るわけがないじゃないか!」
「毘沙門天様はそんな狭量なお方ではありませんよ、それはナズーリンが一番よく知っているじゃないですか。寺の門下から結ばれる信徒が現れたなら、ナズーリンだって喜んで祝福するでしょう」
「そ、それはそうかも知れないけど! 他の信徒の場合と役職付きとでは立場が違うというか、例えばご主人や聖が誰かと結婚するとなったら政治的な問題も絡んでくるというか……!」
 なおも悪あがきするナズーリンに対し、星はあくまで微笑ましく見守るのみだ。のれんに腕押し、という言葉がぴったり当てはまる。
 ナズーリンには悪いとは思うが――これ相当面白いな、と潤美は思ってしまった。こういうナズーリンもまた、滑稽でありながらも大変可愛らしい。
「もちろん、いざ結ばれるということになれば障害は付き物でしょう……大丈夫です。私は、二人の味方ですよ」
「今、私の味方をしてくれご主人! お、おいちょっと待て、なぜ立ち上がる、どこに行こうとしているんだご主人!」
「いえ、邪魔者は退散しようかと……潤美、頑張ってください。ナズーリンは頑固かも知れませんが、どんな話でもきちんと付き合ってくれる子ですから、根気よく話せばきっとわかってくれますよ」
「何を世話焼きおばさんみたいなことを……ご主人! ちょっと、潤美もいい加減手を放してくれ……あ、待って、待ってくれご主人、ご主人ーーーー!!」
 断末魔のように呼び止めるナズーリンと、なおもナズーリンを放そうとしない潤美に笑いかけながら――星は、一礼して家を出て行った。出て行くだけでも、とても絵になる妖怪だな、と潤美は思った。
 そして、ナズーリンと潤美の二人が残される。
「ナズーリン……」
「……何だい、潤美」
「大丈夫? 泣いてない?」
「泣いてるわけないだろう! 怒ってるんだよ! なんであんなことしたんだ! 君がこんな聞き分けの無い妖怪だったなんて知らなかったよ!」
 もはや脱出することは諦めたのか、潤美の腕に抱かれたまま怒るナズーリン。
 ――本気で怒ってないとわかる。
 いや、怒っていること自体は嘘ではないのだが、怒り方が甘いのだ。それはつまり、ナズーリン自身の気性の甘さであり、同時に潤美に向ける親愛の情の表れでもある。
 ――そういうことがわかってしまうから、好きな気持ちが止まらなくなる。もっと離れられなくなってしまうのだ。
「ごめんね、ナズーリン……でも、言ったことは全部、本当さ」
 腕を緩め、ナズーリンの顔と少しだけ距離を置く。ナズーリンの眼を見て、正面から話すために。
「私はナズーリンが好きだ。一回振られたくらいじゃ諦められないくらいに。ナズーリンに振り向いてもらうまで、何度でも好きって言い続けるよ。何度振られたって、絶対に諦めないから」
「君は……自分が何を言っているかわかっているのかい? 下手をするとそれは、ストーカーと呼ばれる行為だぞ?」
「ナズーリンが嫌がることは、絶対しないさ。だから、嫌なら嫌って言ってほしいんだ」
「……そういう言い方は、卑怯だ。君のことは親友だと思っているし、今まで良くしてもらった恩もある。魅力的だと思ってるのも……本当だ。拒絶なんて、できない」
 今、また一つ、ナズーリンのことがわかった。
 どれほど自分が無防備か、どれほど自分の魅力に無頓着かをナズーリンはわかっていない。そんな、羞恥に頬を染めながらそっぽを向くなんて……暴力的なほどの愛おしさが胸の奥から溢れ出てくる。本当にこの子は、どうしてくれようか。
「もう一つ、ごめん。ナズーリン……もう、我慢できない」
「へ? いや、ちょっと待って、いきなりは駄目っ……!」
 ナズーリンが反応しきれないうちに。
 隙だらけのナズーリンの顔へ。
 潤美の顔が、まっすぐに寄せられて。
 ――ナズーリンの可愛らしい鼻の頭に。唇が、一瞬だけ触れた。
「……うわ、これ、すごいね……あはは。顔、真っ赤になっちゃう」
「は、鼻? う、潤美、君、いきなりそんな」
 自分でも、やらかしたと思った。胸が爆発しそうなくらいに暴れだして、苦しいくらいだ。今までにないくらいに愉快な気持ちが、興奮と共に押し寄せてきて、止まらない。
「ねえ、ナズーリン……嫌だった?」
「い、いや、そんな……びっくりして、何が、何やら」
「唇じゃなくて、がっかりした?」
「はしたないぞ潤美! びっくりしただけだって言ってるだろう! がっかりとか、そんなことわかるもんか!」
 ああ、良かった。
 顔を真っ赤にして抗弁するナズーリンを見て、安堵する。本気で嫌がられたらどうしようかと心配したが……この反応なら、上々だろう。
 昨晩、ナズーリンは言った。「魅力的だ」「助平な眼で見ていた」と。どうやら、当てにして良さそうだ。
 もっと魅力的だと思わせてやる、助平でもなんでも望むところだ。潤美も恋愛については得意でもなんでもないが、だからこそ、なりふりなんて構っていられるものか。
 ナズーリンに、好きだと言ってもらえるようになるまで――何万回でも、自分の「好き」を、叩きつけてやる。
「大好きだよ、ナズーリン。これから楽しくなりそうだね」
「これ以上はしたないのは駄目だからな、絶対だぞ……」
「私からするのが駄目でも……ナズーリンから助平なことするのは、ちょっと恥ずかしいけど、いつでも歓迎だからね?」
「しない、しない、しない! 不邪淫戒っていう戒律に抵触するんだ、そういうのは結婚するまでは駄目だからな!」
 必死に抗議してくるナズーリンを見て、潤美は笑った。もう後には引けない、全力でナズーリンと駆け抜けるだけだ。
 素敵な恋の日々が、今、幕を開けた。幸せになるための、最高の毎日の始まりだった。
後日の話。命蓮寺にて。

一輪「おめでとう、ナズーリン! 手伝えることがあるなら何でも言って。出来る限り力になるからね!」
村紗「牛崎潤美って、三途の川にいる妖怪よね? いやー、ナズーリンもいい趣味してるね。あんないい子を捕まえてくるなんて、隅に置けないわー」
ぬえ「へっへっへ、いつもは毘沙門天の使いでござい、なんてお高く止まってるくせに、とんだドスケベ妖怪がいたもんだわ。それで、どこまで進んだの?」
響子「式はいつ挙げるんですか? 私、結婚式を見るのって初めてなので楽しみです!」
白蓮「ナズーリン……私たちはこれからもずっと仲間です。あなたがそれで良しとしたなら、全力で応援します。幸せになってくださいね」

ナズーリン「喋ったなご主人ーーーー! しかも話が捻じ曲がっているぞ! 私たちはまだ両想いじゃない!」

一か月くらい頑張って誤解を解こうとしましたが、完全には解ききれませんでした。どっとはらい。





やった、やったぞ! 今年中に投稿できた! 子年のうちに! 間に合った!
新機軸に挑戦してみました。潤美とナズーリンです。
無縁塚と三途の川ってご近所だよな、というところから思いつきました。干支も子年と丑年で隣同士、投稿するなら今しかないと思い、何とか間に合わせました。
実際書いてみると、かなり相性の良い組み合わせだと思いました。今後も推していきたいと思います。
勿論、他の方にこの二人で書いていただけるなら大歓迎です。是非読ませていただきます。

ここまでお読みいただきありがとうございました。少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。

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コメント



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1.90奇声を発する程度の能力削除
雰囲気が良くて面白かったです
2.100サク_ウマ削除
びっくりするほどごくあまでした。大変よろしいかと思います。ごちそうさまでした。
3.100Actadust削除
甘々ですが、潤美が入ることによってほんのりビターなのが素敵でした。
ナズ星はくっついて欲しいですが潤美さんもナズーリンを追いかけていて欲しい。
4.100クソザコナメクジ削除
ご馳走様でした
5.100転箸 笑削除
とっても、とっても良かったです。
6.100名前が無い程度の能力削除
甘みが利いていて良きでした