Coolier - 新生・東方創想話

盲点の星詠み

2020/12/18 21:59:55
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 ざん、ざざん、と、脚を引き摺り込んでいく海砂に合わせて、ぱちぱちと眩い光が散った。波が砕けるとともに、虫たちは我先にと一瞬の群光を撒いて、海に戻っていく。水が引き、取り残された砂の上には、埃のような矮小な光が点在するだけだった。

 極圏に存在するという、空に浮かぶ光のカーテン。少女はかつてそれを見たことがあったが、この海の劇場に勝ることは無いと確信していた。

 波間に一。空の貝殻の脇に二。そうしてまた新たな波がやってきて、大量の星を投げ付けて。

 流木に引っ付いて一、二。空き瓶の中に数匹残って。そうしてまた、ざぁん、と、新たな星座が形作られる。

 まだ消えてはいない。眼を持った個は、まだ、星を見ている。星座を眼で象っている。そう、信じられることが、少女にとってこの波打ち際の意味であった。

 光る生物、と言うものは、少女が持つ世界にとって殊更重要なものだった。境界線があやふやな中で、自分は此処だと、私は此処だと自ら主張してくれる存在は、全く少女にとって救いであった。こうして、夜光虫が放つ青い光と、自分の視界を紡ぎ合わせる作業をしている時間だけが、少女の救いであった。

 幾筋もの光の帯を纏った沖の向こうに浮かんだうたかたが、弾け飛びながら口を利いた。

「やあ、またやっている」

 かぷ、かぷ、と波が笑った。

 少女は足元の虫達から目を離して、何処までも続く海原へと顔を向けた。

「あなたもまだここに居たの。そろそろ埋め立てられるそうだから、別の住処を見つけた方が良いんじゃない」

「お気遣いありがとう。けれども、君は私の心配をしている場合じゃないんじゃないかい」

「それこそ余計なお世話だわ。私は決して強制された訳ではなくて、自分の意思で星を数えているのだから。それに……」

「それに?」

「このまま、波に攫われて、星の砂になって海を旅するのも、また乙なものなのではないかしら」

 くぷ、ぷ。と、波が笑った。

「また、そんな。似合わないことを。そこまで追い詰められるものなのかい……光を失う、ということは」

 少女の背後の草場で、浜大根の葉がさらさらと揺れた。夜光虫しか灯りが存在しない夜に、その葉擦れはただただ闇を縁取る影でしかなかった。



 少女には、元々死もなく永遠の生もなかった。ただ、暁の狭間で、泡沫の波間で、星降る夜の揺り籠に揺さぶられるだけの存在であった。いつからだろうか、昼と夜というものが分たれたのは。一体誰だろうか、少女に息を与えてしまった者は。

 暗闇の中に点々と存在する、欠落のような点。それが、白、いや、光というものだと知った時、少女はもう波に揉まれるだけで気を休めることは出来なかった。



「愛とは、恋とは、盲目だと。誰かが言っていたことがあるわ。あなたは、その意味を知っている?」

「人間のそういう感情の機微は、海にいると全く分からないなぁ。ただ、嵐の狭間で最後の言葉として愛を捧ぐ言葉を聞いたくらいだ」

「そう、でしょうね。私も分からないもの」



 少女を光の世界に連れ出してくれたのは、少女よりもずうっと大きな、大きな、輝き。夜を惑うどころか、その昼夜を形作る舞台装置そのもの。無限に広がる、透明なる永久の流体、エーテルの海を、巨大な巨大な体躯で駆け巡る、二つの星。太陽、太陰、その両者であった。天球上を永遠に円運動する、日と月であった。

 いつしか、少女はその二者と共に空を巡るようになった。エーテルの渦動に巻き込まれて、二人が起こす奔流に巻き込まれたまま、固定された天球に張り付くだけの運命は大きく動き出した。

 昼を飛び、夜を飛び、雲の中を飛び、雪の下を飛び、虹を潜り抜けて、星は飛んだ。

 人々の生活を、揶揄い混じりに見ることもあった。光を捻じ曲げて虚像を見せたり、音を消してこっそり背後に回り込んだり。

 動く星々を追いながら。少女はそんな生活が楽しくて仕方がなかった。



「世界が全て、あなたのような鏡映しの水面なら。天を全て飲み込んでしまうほど巨大なら。こんなつらい想いをしなくても良かっただろうに」

「それでは、本当に像として移すべきものが分からなくなってしまうじゃあ、ないか。狭い範囲に映っているものが大事だから、皆は鏡を使うのだろう。こんな、捉え所のない海に生きるのは、私だけで十分さ」

「……そう、そう、ね。それでも、考えずにはいられないの」



 星には、月にも太陽にも勝てる程の輝きが無いことを少女は知っていた。こうして行動を共にしていても、いつか追いつけなくなり、二者に引きずられ、最後には醜く火を上げて爛れ落ちてしまうのだろう、と予想していた。それでも、少女は焦がれずにはいられなかった。その暖かい天光に。



「……どうするんだい、これから。また、延々とこの浜を辿って、虫達と戯れて数遊びでもするのかい」

「……ううん、それはもう、辞めることにしたわ。光の帯に巻かれて、ぼうっとするのも、今日が最後。名残惜しいから、会いに来たの」



 陽が沈み、月が昇り。星が巡り、また朝が来る。何度も何度も、光と人は出逢い、別れ、それを繰り返してまた年月が送られる。

 そうして、その天動の世界には、必ず宇宙の果てが現れる。



「船に乗ってみることにしたの。動き続ける場所から、延々と星を眺めてみようと思って」

「船、か。それも、また、面白そうな眼の訓練だね」



 船乗り達が、どの星が北極星なのか、と問答し合うようになった時。少女の姿は、再び闇に消えていた。太陽と月が、幾ら呼び掛けても。少女が幾ら助けを呼んでも。その声は届くことは無かった。

 太陽と月は悲しみに暮れ、姿を見せない日々が続いた。それでも、少女と共に過ごした時間よりも、ずうっと長い時が経過した時。再び、天にはその巨大な軌道を有する、圧倒的な光量を持つ二つの星が飛んでいた。

 忘れてしまった訳ではない。二人の記憶から、少女が消えてしまった訳ではない。ただ、星の数よりも多い記憶に、埋もれてしまっただけで。



「私ね。もっと、もっと。遠くの光も見てみたいの。遠くの星を見付けられるようになりたいの。この狭い星の何処に居たって、見つけられるように。二人の元へ飛んで行けるように。次の北極星の巡りが始まるまでの時間を、無駄にしないように」

「……健気なことだね。けれどさ、それで良いのかい。君はそれで。天の北極が、動かぬ星が、動き始めた時。太陽と月には、同じ星空は巡ってこない。同じ姿の星空は巡ってこない。何度再会したって、二人にとって君は全く別の輝きを放つ星じゃあないか」



 少女が再び二人の光を見つけた時、同じ関係が結ばれることは無かった。その次も、その又次も。何度少女が二人に出会っても、少女は同じ姿をとることは無かった。



「そうかもね。でも、良いじゃない。私は二人と一緒に居るだけで、幸せなんだから」

「……例えば、太陽と月があんたが見えない間に、大地とつるんでたらどうするのさ」

「……そうねぇ、その時は……」

「……その時は?」

「…………うふ、ふ」

「やめろ、やめろ。悍ましい顔を浮かべるんじゃない」

「冗談。何もしないわよ。それならそれで、ただ顔を合わせるだけでも良い。不動の星が動く迄に、二人の姿を一目見られたなら、私はそれで我慢出来るわ」

「……はぁ?……随分と穏当な意見だな。一体何を狙っているんだ」

「……待っているの」

「待つ?」

「ええ、天の北極の、星の巡りを。本当の意味で『同じ星空』が、また巡ってくるまで」



 こぐま座。ケフェウス座。はくちょう座。こと座。ヘルクレス座。りゅう座。そうして又こぐま座へと巡って。

 太陽と月に惹かれた大地は、見えない綱を渡る独楽のように。くるくると、くるくると、その軸を回して。そうして、星々は北極に像を結ぶ。その度に、旅人達は星座の中に不動の点を探していた。



「……ちょっと待て。それは、幾ら何でも、狂っているなぁ。何千年、いや、何万年待つつもりなんだい?」

「あら、あなたも知っているでしょう、こう見えて、私、一人遊びが得意なんだから……」

「……でも。でも!……君が待つことが幾ら得意でも、万年単位で星の巡りを待った後に、二人が君に応えてくれるとは、限らないじゃあないか!」

「それなら、それで良いの。私の、ほんの儚い気持ちを賭けた片想いなんだから。実らなかったなら、それで良い。また、北極星が輝く間だけ、二人を瞳に焼き付けるだけよ」



 海の向こうに見えた突起が、少女の目に映る地平線からどんどんと伸びていって、いつの間にかそこには船の影が形作られた。

「……そう、そうか。君の決意は分かった。なら、言うことはないさ。良い船旅を。楽しむと良い」

「……ありがとう。本当に。夜が来る度に、話してくれて嬉しかった」

「……はっ」

 海の底から噴き出す泡が途絶え、最後の泡がぱちりと弾けた。

「盲目になっているのは、まさに君だな」

 夜光虫の群れはいつのまにか、沖に移動してしまい、そうして、夜が明けるまで、少女は闇に沈む地平線を眺め続けた。






「うわぁ、綺麗……」

 淡い光を明滅させながら闇に放られた点が、一つ、又一つ。じんわりと熱い空気が漂いながらも、渓流と共に流れる地表近くの空気がサニーミルクの脚を冷やした。

「蛍達が羽化して、こんな大群を観れるのも、夏の短い間だけなんてね」

 指先に一匹の蛍を止まらせながら、ルナチャイルドが寂しそうに言った。

「そうねぇ、ホント。光を操る者として、勉強させて貰いたい位なんだけど、すぐに居なくなっちゃうのよねぇ」

 水面近くで、二つの光がチカチカと呼応するように、二度瞬いた。さらさらと流れる川の飛沫に隠されたのか、瞬きなのかは分からないが、それは蛍達が会話をしている様にも見えた。

「きれー……って、うぷ、鼻に入った!?」

 サニーミルクが顔をペカペカ光らせながら鼻を掻きむしったので、ルナチャイルドはそれが面白くて仕方がなかった。

「あはは!……傷付けないようにね、虫の女王様を怒らせたら堪らないわよ。家中にゴキブリが住み着くようになるかも」

「やめてやめて!……想像するだけで怖い事を言わないでちょうだい」

「はいはい……それにしても、本当に綺麗ね……何千、いや、何万匹の蛍が居るのかしら。星の数よりも多いんじゃない?」

「どっちが多いんだろうねー」

「あ、そっか。もしかして、知ってるんじゃない?」

「知ってる?……誰がよ。私は知らないけど」

「サニーじゃなくて、ほら……あの……」

「……ああ、あの……」

「……居たじゃない、私達ずっと……」

「……」

「……」

「ずうっと……」

「一緒に……居たわよ、ね?」



 ちか、ちか、と、目の前を過って行く蛍に像が結ばれて、緑色の光が瞳に散った。虫たちは自分こそがこの渓流の踊り子なのだと、輝かしい舞を川の上で踊っては、葉の上に戻っていく。

 石の上に一。脇の高草に二、三。そうしてまた、異性を求めた新たな集団ががやってきて、大量の星を投げ付けて。

 交尾のように引っ付いて飛び回る一、二。空高く、天球の星に名乗りを上げている数匹。そうしてまた、川の流れと同期した風が、新たな星座を形作る。

 まだ諦めた訳ではない。何度繰り返していたって、自分は、まだ、星を見ている。星座を眼で象っている。そう、信じられることが、少女にとってこの光林の意味であった。

 光る生物、と言うものは、少女が持つ星空にとって、今もなお重要な者だった。線引きがあやふやな中で、俺は此処だと、あたしは此処だと自ら主張してくれる存在は、全く少女にとって救いであった。こうして、蛍が放つ緑の蛍光と、自分の視界を繋ぎ合わせる作業をしている時間だけが、少女の救いであった。

「ねぇ」

 星を幾度眺めただろうか。幾度、自分の手で天球を廻せたら、と思っただろうか。

「そんなところで。一人ぼっちで、何してるのよ」

「一緒に、蛍を見ましょう。三人で!」



「……二人とも、私の姿が見えるの?……私の名前を覚えているの?」

「勿論」

「ねえ、当たり前じゃない」

「だって私達、」

「三人揃って、光の三妖精じゃないの!」



『スター!』



 ぽた、ぽた、と。少女から滴り落ちた海水は、星を描いた青い生地を、濃い藍色に染めた。


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コメント



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1.90奇声を発する程度の能力削除
雰囲気が良くて面白かったです
2.100名前が無い程度の能力削除
綺麗でした……
4.100モブ削除
ただひたすらに、綺麗だなあと。あと世界の重なりを表現しているように感じられて、とても素敵でした。ご馳走様でした。面白かったです。
5.100ヘンプ削除
良かったです!
6.100めそふらん削除
ひたすらに綺麗な話でした。
色々な解釈が考えられる話で、まるで天地開闢とその後の星々の憂いを表現しているようでした。
作品全体が美しい表現で満ちていて、とても良かったです。
7.100サク_ウマ削除
一回休みのその後はどうやったって元の自分にはなれなくて。なら何度だってリセットし直せばいいだなんて、本当に不滅の存在らしい素敵な発想だなって思います。
素敵でした。大好きです。
8.100名前が無い程度の能力削除
めっちゃ煌めいてる描写濃くてよかったです
9.80名前が無い程度の能力削除
良かったです。
10.80クソザコナメクジ削除
良かった
11.100名前が無い程度の能力削除
妖精の在り方というか自然の権化としての畏れを感じさせる一方で、三妖精の少女らしさも感じられるとても綺麗な話でした。
13.100ホプレス削除
北極星というのは特異な星で、天にあって廻り続ける星々のうち唯一動かない様に見える光。それ故に彼女は月と日に肩を並べる存在たり得たんでしょうね。
けれど、それは動かないようにみえるだけ。人にとってはあまりに長く、永遠に生と死を繰り返す妖精にあってはそうでもない歳月の果てに、極と彼女は分かたれ、彼女は船に乗って。無数の星々と同じように極を回る光の一つになった彼女はもはや日や月には見つけられず、次に極の座に納まった光は二人が知るそれではなかったのでしょう。
けれど、天の星は巡るのです。月や日が季節を巡るように、長い長い年月をかけて。
数え切れない夜の果てに、彼女はようやく帰り着いた。ポラリスの光を心の片隅に残し続けていた友の元へ。

まるで神話のように壮大で美しい物語をありがとうございました。