何となしに読んでみた幻想郷縁起の妖怪の項目、その中の夜雀についての記述になかなか素敵な一文があった。
―屋台を始めたと言う噂もある。
夜雀が曳く屋台がどういった風体なのか、私は興味を持ったのだけど、偶々やって来た阿求に見咎められた。なぜ貴女はわざわざ危険なものに向かうのかと。
それでも人間存在というものは行くなと言われると行きたくなるもので、私はその夜に人里をこっそりと抜け出すことにした。今夜は夜雀が屋台をだしているのかなど、考えもしなかった。それに、せっかく特別な人間の一員になったのだから、少しは我儘を言えるはずだ。だって、私は強くなったから。
私の心は既に夜の森を歩いていて、店番の仕事にも力は入らなかったが、幸いと言うべきか、阿求の他にお客さんは来なかった。
———
枕元のランタンの火を、息を吹きかけて消す。既に夜は更けて、俗にいう逢魔が時という時刻になっていた。いちおう念には念をということで縁起を読み返していたのだが、何だか夜雀には勝てそうだという根拠のない自信が湧き上がってくるだけだった。
布団から出てみると、その空気の冷やっこさに驚いた。夏の夜というのはこんなに冷えるものだったかと、首を傾げる。だけど気温なんてものは日によって変わるもので、今夜はそうだというだけだろう。別にこんなのは躊躇う理由にはならない。
いざという時には走れるように、袴を穿き、襷を懐に入れた。巻物を腰に差し、音も立てずに扉を開ける。そこには夜に沈んだ人里がある。今までに見たことはあっても、やはり実際に立ってみると違うようで、灯りも、音もない。人の温かさというものが無いのだ。夜は妖怪の時間だというのが、少し理解できた。別に急いでるでもないけれど、ちょっと速足で人里を往く。
門番はいなかった。いつも居ないのか今夜たまたま居ないのかはわからない。
何にせよ私にとっては好都合なもので、楽々と外に出ることが出来た。といっても、これからが重要なのだが。
夜雀が屋台を出しているか否か。出していなかったらすぐに帰り、布団にくるまって眠ろう。もし出ていたら、その時は何か頼んでみよう。いったいどんな御品書きなのか興味あるし。
しかし、人里の外というのは広いもので。
そもそも夜雀が何処で屋台を出すのかとかも知らないので、あてどなく探すしかないのだ。途方もない。無理がある。いくらなんでも、それは莫迦のする事だ。あるかも判らないものを探して、夜に人里の外を歩くなど。
でも不思議なことに、私はまるでセイレーンの歌声に誘われるようにして、夜の闇に飛び込んだ。チリンと髪留めが鳴る。
———
足の骨が痛む。私のすね小僧は意固地になって私に痛みを伝えている。
歩き続けてどれだけ経ったのだろう。もしかしたら、今にも夜が明けようとしているとか、それくらいの時刻かもしれない。それとも、必死になり過ぎてそう感じるだけだろうか。落ち着いて考えてみると、まだそんなに歩いていない気がしてきた。どれだけ適当なのだ、私の体内時計。
しかし、今はどれだけの時間なのだろう。もしかしたら撤退も視野に入れなければいけないかもしれない。空を見上げる。今夜は月が出ていない。だから今夜はこんなに暗いのか。
俄に、何処からか歌が聴こえてくる。ルーイッ、ルーイッ、ルゥ、という、独特な歌声だ。もしやと睨む。これは、夜雀の歌声ではないだろうか。だとすると、この声を辿っていけば屋台に辿り着くはずだ。いやしかし、思いとどまる。吟っているのならば、屋台など出していないのではないか。ならば、他の妖怪に見つからない内に帰ったほうがいいのではないか。
夜道の真ん中で考える。単純な天秤比べだ。命の危険か、好奇心か。答えなど決まっていた。
———
パチパチパチ。
都合一人分の拍手が、それほど大きくない音を立てる。
「どうだったかしら?久しぶりに喉をつかったけれど」
「いいねぇ。すっかり酒を飲む手が止まっちまったよ」
ときどき吹く風に竹が躰を揺らす。その度にサワサワ、と音が鳴り、それに合わせて提灯の灯りがグラついた。赤い光が立て掛けられた鎌の刃にあたり、ピカリと反射する。
「それは困るわね、もっと沢山飲んでもらわないと」
「勘弁してよミスティア、いま持ち合わせが少ないのさ」
二人の談笑がふと途絶えた。その視線は暗い小径に向けられている。その内、リン、という鈴の音がきこえてくる。
「いらっしゃい。一名様?」
「は、はい」
促されるまま、小鈴は席についた。その心境は、恐怖半分、わくわく半分。
ここは妖怪の屋台だ。ということは、隣に座っている女性も妖怪か、なんにせよ人外だろう。人外との同席。それが恐ろしくて、楽しくて仕方ない。ほどほどにしなければ、この夜遊びはクセになってしまいそうだ。
「何にします?」
「ええ、と」
置かれた御品書きを見てみる。八ッ目鰻、小ガニの素揚げ、おでん、エトセトラエトセトラ。何から頼もうかと考えていると、隣の女性がいきなり笑いだした。
誰かと話しているようだが、女性の声以外に声は聞こえない。いったい誰と話しているのだろう。もしくは誰とも話していないのか。
とりあえずソレは置いておいて注文。雀酒とやらと八ッ目鰻を。
———
雀酒は想定していたより強く、くらりと首が左右する。鰻のタレの絶妙なしょっぱさに、米の甘さを強く感じるこのお酒が進んでしまう。皿の上でてらてらと光る蒲焼きは見ることすら楽しく、それに竹の器に注がれた濁った雀酒が調和する。口に当たる竹の感触と温度もまた楽しい。
そうして、すっかり私は出来上がってしまった。頬が紅潮しているのが自分でもわかる。いつもならちゃんと制止するところを、貪欲であさましい私の舌がより愉しもうと気を緩めてしまっていた。
酔って気が大きくなったからか、隣に座っている人の方をジロジロと見てしまう。そして気づく。いま此処に座っているのは、死神の小野塚小町だと。そう気づいてからより不躾な視線を送ってしまう。やはり一人で呑んでいるように見える。
「何だい?さっきからジッと見遣ってきて…」
案の定気づかれた。
「いやその、死神さんを身近に見たことなかったもので」
「ふぅん。それにしても、こんな刻にこんな屋台で一人酒かい?」
「ちょっと。こんな屋台って何よ」
「いやいや、ただの言葉の綾さね」
どうやら夜雀と死神さんは仲がいいらしい。
「まぁ、私のことは置いておいて。死神さんこそどうしてこんな時間に」
「仕事だよ」
仕事。屋台で鰻を肴に酒を呑むことが?
流石にそれはないだろう。死神といえど、そこまで暇ではないはずだ。死神には暇であって欲しいけれど。普通に考えて、仕事終わりということだろう。
「死神さんの仕事って、具体的にはどんなのがあるんですか?」
雀酒のせいで口が滑らかになってしまっている。思った事をそのまま口に出して訊いてしまった。
「聞いてもつまらんと思うよ」
そう前置きしながら、死神稼業についての話が始まる。とはいっても小町さんのそれはサボりが主な内容だった。やれ仙人様の家に入り浸ってるだの、彼岸は寂しい所だが仮眠には適した気候だの、そんな内容だった。もしかしたら生者である私に配慮してるのかもしれないとも思ったが、いかにも楽しげに話すのでどうやら本当にサボってばかりいるらしい。
「だから、いつかはアンタの魂を運ぶことになるかもねぇ」
そんな台詞で話は締め括られる。最後の言葉を吐いた時、小町さんの顔はすこし悲しそうに見えた。
「死神の仕事って、辛そうですね」
やはり口が滑る。言わなくてもいい筈のことが、どうしてこうも飛び出てしまうのか。言ってしまって後悔する。
「そうだねぇ。辛い時もあるかもね」
でも小町さんは気にした様子もなく、そんなことを言った。
———
「食べ終わったようだね」
「え?」
鰻にかぶりつきながら、そんな素っ頓狂な声をだす。私の目の前には置かれたばかりの皿があった。
「いや、こっちの話」
徐に小町さんが立ち上がる。そこで気がついたのだが、小町さんの隣には人魂のようなものが鎮座していた。
幽霊?
確か、霊夢さんが夏に冷房代わりにしていた覚えがある。冷っこいから抱きしめたときの心地が好いとか言っていた。もしかして、小町さんが話していた相手というのは、この幽霊だったのだろうか。
「心配するな、あたいが先導してやるからさ」
小町さんの呼びかけに反応して、ふわり、と幽霊が浮かび上がる。立て掛けられていた鎌を持って、小町さんは言う。
「コイツが最期に鰻が食いたいって言うから、無理して連れてきたんだよ」
鰻を食べたがる幽霊。なんだか妙な響きだ。死んでも食べたがるのだから、生きている内はこの屋台の常連だったに違いない。
小町さんはふと私の目を覗いた。
「アンタはさっき、死神の仕事は辛そうだと言ったね」
いい事だってあるさ。
そう言い残して、小町さんは幽霊をつれて去って行った。人魂の淡い光がほんの少し夜道を明るくしていた。
私はしばらくの間なにも思考しないで、それから小町さんの死神矜持を胸に入れた。空になった竹の器を見ていると、無性に鰻串が食べたくなった。しかし財布を確かめてみると、どうやらそこまでの余裕はないようだ。
「すいません、お会計お願いします」
「……」
すっ、とお会計が書かれた紙が差し出された。しかしどう考えても多い、私はこんなに頼んでいない。
「あの、小町の分も…」
「……」
開いた口が塞がらないとは、きっと今の私のことを云うのだろう。
———
酒が廻っているからか、寒さは殆ど感じない。もっとも懐は今しがた冷えてしまったわけだけども。まぁそれはいい。どうせ使う予定もなかったお金だ。
それより問題は、夜があける前に、抜け出していたことがバレる前に布団に帰らないといけないことだ。急がなければ、夏の夜は短いのだ。
結局、その焦りがいけなかったんだろう。
いや、私が驕っていたせいでもあるだろう。
妖怪。それは人を食べる。それは幻想郷において人間の仇敵。
でも、皆が皆そうじゃない。ともすれば人間より人間じみた者もいる。だから、ちゃんと見極めないといけない。果たして目の前にいるのは。
「なーんて偉そうに阿求に言ってたのになー」
阿求は度々私を知恵足らずだと言った。その通りだ。
貴女は調子に乗り過ぎるとも言っていた。その通りだ。
己惚れていたんだ。霊夢さんや魔理沙さんと同じ立場に立てたと思っていた。
でも違った。私に、相手を見極めるほどの余裕なんて在るわけが無かった。
「あぁ、凄い人たちだったんだなぁ…」
願わくば、今度生まれ変わったら。あんな人たちになれたらなぁ。
バキバキと音がする。私が出した付喪神が踏まれている。そうして私の力の象徴を踏み潰しながら、それは近づいてくる。もう私には、震えるだけの力すら搾り出せない。
ぴかりと、視界の片隅に銀色が光る。
「大丈夫!?」
「…小町さん…?」
どうしてこんな所に、と訊こうとして止めた。もっと他に言うべきことがある。
「助けて」
「任せな」
———
小町さん。
なんだい?
どうして来てくれたんですか?
あぁ…勘定してなかったのを後で思い出したのさ。莫迦したもんだよ。
小町さん。
なんだい?
私、小町さんみたいになりたいです。
恰好つけて勘定を忘れるような奴に憧れちゃダメだよ。
小町さん。
なんだい?
立て替えた分、いつか払ってくださいね。
わかってるよ…
小町さん。
なんだい?
もう大丈夫です。歩けます。それに、もうじき家に着きます。
これで懲りなよ。叱ってくれる人がいる限りは、その人等を失望させちゃダメだ。
はい。
———
今夜は夜雀の歌は聴こえない。また聴きたいのだけど、そんな事をしていると客を待たせることになるから、していないらしい。それが夜雀の、ミスティア・ローレライの矜持だろうか。
「じゃあ、もう一本頼むから歌って!」
「注文は嬉しいけど、ダメ」
「いいじゃない、他にお客さん居ないんだから」
「バカにしてる?」
「いやいやよく聞いて。客商売で客が来ない時っていうのは、一番自分を出せる時なのよ」
「理由になっていないのだけど」
今夜も鈴が鳴る。
―屋台を始めたと言う噂もある。
夜雀が曳く屋台がどういった風体なのか、私は興味を持ったのだけど、偶々やって来た阿求に見咎められた。なぜ貴女はわざわざ危険なものに向かうのかと。
それでも人間存在というものは行くなと言われると行きたくなるもので、私はその夜に人里をこっそりと抜け出すことにした。今夜は夜雀が屋台をだしているのかなど、考えもしなかった。それに、せっかく特別な人間の一員になったのだから、少しは我儘を言えるはずだ。だって、私は強くなったから。
私の心は既に夜の森を歩いていて、店番の仕事にも力は入らなかったが、幸いと言うべきか、阿求の他にお客さんは来なかった。
———
枕元のランタンの火を、息を吹きかけて消す。既に夜は更けて、俗にいう逢魔が時という時刻になっていた。いちおう念には念をということで縁起を読み返していたのだが、何だか夜雀には勝てそうだという根拠のない自信が湧き上がってくるだけだった。
布団から出てみると、その空気の冷やっこさに驚いた。夏の夜というのはこんなに冷えるものだったかと、首を傾げる。だけど気温なんてものは日によって変わるもので、今夜はそうだというだけだろう。別にこんなのは躊躇う理由にはならない。
いざという時には走れるように、袴を穿き、襷を懐に入れた。巻物を腰に差し、音も立てずに扉を開ける。そこには夜に沈んだ人里がある。今までに見たことはあっても、やはり実際に立ってみると違うようで、灯りも、音もない。人の温かさというものが無いのだ。夜は妖怪の時間だというのが、少し理解できた。別に急いでるでもないけれど、ちょっと速足で人里を往く。
門番はいなかった。いつも居ないのか今夜たまたま居ないのかはわからない。
何にせよ私にとっては好都合なもので、楽々と外に出ることが出来た。といっても、これからが重要なのだが。
夜雀が屋台を出しているか否か。出していなかったらすぐに帰り、布団にくるまって眠ろう。もし出ていたら、その時は何か頼んでみよう。いったいどんな御品書きなのか興味あるし。
しかし、人里の外というのは広いもので。
そもそも夜雀が何処で屋台を出すのかとかも知らないので、あてどなく探すしかないのだ。途方もない。無理がある。いくらなんでも、それは莫迦のする事だ。あるかも判らないものを探して、夜に人里の外を歩くなど。
でも不思議なことに、私はまるでセイレーンの歌声に誘われるようにして、夜の闇に飛び込んだ。チリンと髪留めが鳴る。
———
足の骨が痛む。私のすね小僧は意固地になって私に痛みを伝えている。
歩き続けてどれだけ経ったのだろう。もしかしたら、今にも夜が明けようとしているとか、それくらいの時刻かもしれない。それとも、必死になり過ぎてそう感じるだけだろうか。落ち着いて考えてみると、まだそんなに歩いていない気がしてきた。どれだけ適当なのだ、私の体内時計。
しかし、今はどれだけの時間なのだろう。もしかしたら撤退も視野に入れなければいけないかもしれない。空を見上げる。今夜は月が出ていない。だから今夜はこんなに暗いのか。
俄に、何処からか歌が聴こえてくる。ルーイッ、ルーイッ、ルゥ、という、独特な歌声だ。もしやと睨む。これは、夜雀の歌声ではないだろうか。だとすると、この声を辿っていけば屋台に辿り着くはずだ。いやしかし、思いとどまる。吟っているのならば、屋台など出していないのではないか。ならば、他の妖怪に見つからない内に帰ったほうがいいのではないか。
夜道の真ん中で考える。単純な天秤比べだ。命の危険か、好奇心か。答えなど決まっていた。
———
パチパチパチ。
都合一人分の拍手が、それほど大きくない音を立てる。
「どうだったかしら?久しぶりに喉をつかったけれど」
「いいねぇ。すっかり酒を飲む手が止まっちまったよ」
ときどき吹く風に竹が躰を揺らす。その度にサワサワ、と音が鳴り、それに合わせて提灯の灯りがグラついた。赤い光が立て掛けられた鎌の刃にあたり、ピカリと反射する。
「それは困るわね、もっと沢山飲んでもらわないと」
「勘弁してよミスティア、いま持ち合わせが少ないのさ」
二人の談笑がふと途絶えた。その視線は暗い小径に向けられている。その内、リン、という鈴の音がきこえてくる。
「いらっしゃい。一名様?」
「は、はい」
促されるまま、小鈴は席についた。その心境は、恐怖半分、わくわく半分。
ここは妖怪の屋台だ。ということは、隣に座っている女性も妖怪か、なんにせよ人外だろう。人外との同席。それが恐ろしくて、楽しくて仕方ない。ほどほどにしなければ、この夜遊びはクセになってしまいそうだ。
「何にします?」
「ええ、と」
置かれた御品書きを見てみる。八ッ目鰻、小ガニの素揚げ、おでん、エトセトラエトセトラ。何から頼もうかと考えていると、隣の女性がいきなり笑いだした。
誰かと話しているようだが、女性の声以外に声は聞こえない。いったい誰と話しているのだろう。もしくは誰とも話していないのか。
とりあえずソレは置いておいて注文。雀酒とやらと八ッ目鰻を。
———
雀酒は想定していたより強く、くらりと首が左右する。鰻のタレの絶妙なしょっぱさに、米の甘さを強く感じるこのお酒が進んでしまう。皿の上でてらてらと光る蒲焼きは見ることすら楽しく、それに竹の器に注がれた濁った雀酒が調和する。口に当たる竹の感触と温度もまた楽しい。
そうして、すっかり私は出来上がってしまった。頬が紅潮しているのが自分でもわかる。いつもならちゃんと制止するところを、貪欲であさましい私の舌がより愉しもうと気を緩めてしまっていた。
酔って気が大きくなったからか、隣に座っている人の方をジロジロと見てしまう。そして気づく。いま此処に座っているのは、死神の小野塚小町だと。そう気づいてからより不躾な視線を送ってしまう。やはり一人で呑んでいるように見える。
「何だい?さっきからジッと見遣ってきて…」
案の定気づかれた。
「いやその、死神さんを身近に見たことなかったもので」
「ふぅん。それにしても、こんな刻にこんな屋台で一人酒かい?」
「ちょっと。こんな屋台って何よ」
「いやいや、ただの言葉の綾さね」
どうやら夜雀と死神さんは仲がいいらしい。
「まぁ、私のことは置いておいて。死神さんこそどうしてこんな時間に」
「仕事だよ」
仕事。屋台で鰻を肴に酒を呑むことが?
流石にそれはないだろう。死神といえど、そこまで暇ではないはずだ。死神には暇であって欲しいけれど。普通に考えて、仕事終わりということだろう。
「死神さんの仕事って、具体的にはどんなのがあるんですか?」
雀酒のせいで口が滑らかになってしまっている。思った事をそのまま口に出して訊いてしまった。
「聞いてもつまらんと思うよ」
そう前置きしながら、死神稼業についての話が始まる。とはいっても小町さんのそれはサボりが主な内容だった。やれ仙人様の家に入り浸ってるだの、彼岸は寂しい所だが仮眠には適した気候だの、そんな内容だった。もしかしたら生者である私に配慮してるのかもしれないとも思ったが、いかにも楽しげに話すのでどうやら本当にサボってばかりいるらしい。
「だから、いつかはアンタの魂を運ぶことになるかもねぇ」
そんな台詞で話は締め括られる。最後の言葉を吐いた時、小町さんの顔はすこし悲しそうに見えた。
「死神の仕事って、辛そうですね」
やはり口が滑る。言わなくてもいい筈のことが、どうしてこうも飛び出てしまうのか。言ってしまって後悔する。
「そうだねぇ。辛い時もあるかもね」
でも小町さんは気にした様子もなく、そんなことを言った。
———
「食べ終わったようだね」
「え?」
鰻にかぶりつきながら、そんな素っ頓狂な声をだす。私の目の前には置かれたばかりの皿があった。
「いや、こっちの話」
徐に小町さんが立ち上がる。そこで気がついたのだが、小町さんの隣には人魂のようなものが鎮座していた。
幽霊?
確か、霊夢さんが夏に冷房代わりにしていた覚えがある。冷っこいから抱きしめたときの心地が好いとか言っていた。もしかして、小町さんが話していた相手というのは、この幽霊だったのだろうか。
「心配するな、あたいが先導してやるからさ」
小町さんの呼びかけに反応して、ふわり、と幽霊が浮かび上がる。立て掛けられていた鎌を持って、小町さんは言う。
「コイツが最期に鰻が食いたいって言うから、無理して連れてきたんだよ」
鰻を食べたがる幽霊。なんだか妙な響きだ。死んでも食べたがるのだから、生きている内はこの屋台の常連だったに違いない。
小町さんはふと私の目を覗いた。
「アンタはさっき、死神の仕事は辛そうだと言ったね」
いい事だってあるさ。
そう言い残して、小町さんは幽霊をつれて去って行った。人魂の淡い光がほんの少し夜道を明るくしていた。
私はしばらくの間なにも思考しないで、それから小町さんの死神矜持を胸に入れた。空になった竹の器を見ていると、無性に鰻串が食べたくなった。しかし財布を確かめてみると、どうやらそこまでの余裕はないようだ。
「すいません、お会計お願いします」
「……」
すっ、とお会計が書かれた紙が差し出された。しかしどう考えても多い、私はこんなに頼んでいない。
「あの、小町の分も…」
「……」
開いた口が塞がらないとは、きっと今の私のことを云うのだろう。
———
酒が廻っているからか、寒さは殆ど感じない。もっとも懐は今しがた冷えてしまったわけだけども。まぁそれはいい。どうせ使う予定もなかったお金だ。
それより問題は、夜があける前に、抜け出していたことがバレる前に布団に帰らないといけないことだ。急がなければ、夏の夜は短いのだ。
結局、その焦りがいけなかったんだろう。
いや、私が驕っていたせいでもあるだろう。
妖怪。それは人を食べる。それは幻想郷において人間の仇敵。
でも、皆が皆そうじゃない。ともすれば人間より人間じみた者もいる。だから、ちゃんと見極めないといけない。果たして目の前にいるのは。
「なーんて偉そうに阿求に言ってたのになー」
阿求は度々私を知恵足らずだと言った。その通りだ。
貴女は調子に乗り過ぎるとも言っていた。その通りだ。
己惚れていたんだ。霊夢さんや魔理沙さんと同じ立場に立てたと思っていた。
でも違った。私に、相手を見極めるほどの余裕なんて在るわけが無かった。
「あぁ、凄い人たちだったんだなぁ…」
願わくば、今度生まれ変わったら。あんな人たちになれたらなぁ。
バキバキと音がする。私が出した付喪神が踏まれている。そうして私の力の象徴を踏み潰しながら、それは近づいてくる。もう私には、震えるだけの力すら搾り出せない。
ぴかりと、視界の片隅に銀色が光る。
「大丈夫!?」
「…小町さん…?」
どうしてこんな所に、と訊こうとして止めた。もっと他に言うべきことがある。
「助けて」
「任せな」
———
小町さん。
なんだい?
どうして来てくれたんですか?
あぁ…勘定してなかったのを後で思い出したのさ。莫迦したもんだよ。
小町さん。
なんだい?
私、小町さんみたいになりたいです。
恰好つけて勘定を忘れるような奴に憧れちゃダメだよ。
小町さん。
なんだい?
立て替えた分、いつか払ってくださいね。
わかってるよ…
小町さん。
なんだい?
もう大丈夫です。歩けます。それに、もうじき家に着きます。
これで懲りなよ。叱ってくれる人がいる限りは、その人等を失望させちゃダメだ。
はい。
———
今夜は夜雀の歌は聴こえない。また聴きたいのだけど、そんな事をしていると客を待たせることになるから、していないらしい。それが夜雀の、ミスティア・ローレライの矜持だろうか。
「じゃあ、もう一本頼むから歌って!」
「注文は嬉しいけど、ダメ」
「いいじゃない、他にお客さん居ないんだから」
「バカにしてる?」
「いやいやよく聞いて。客商売で客が来ない時っていうのは、一番自分を出せる時なのよ」
「理由になっていないのだけど」
今夜も鈴が鳴る。
小町もとても良いキャラでした。ご馳走様でした。
妖怪、大人へのあこがれ。小鈴の感情が淡々とながらもしっかりと描かれており、惹き付けられました。
懲りてない小鈴が小鈴らしくてとてもよかったです
小町との絡みや妖怪がしっかり恐ろしいものという表現が良かったです。
そして屋台で遭遇した一風変わった幻想風景に、妖怪の襲撃へと至って小町が救援に入るまでの物語の起伏もまた良くて、だからこそかその後の小町と小鈴の会話が鍵括弧を使われずに書かれているのもなんともニクい表現だと思わされたものです。
酒のようにスッと入り込んでくる物語の構成に小鈴ちゃんの色々が混ざり込んで面白い味が出ていたように思えます。最後のあきゅすず含めご馳走様でした。