茜に染まった夕景が、紅魔の館を照らしている。
館に存在する数少ない硝子に、色相に見合った熱を持つ陽光が差し込んでいた。
虹霓にも似た異形の翼を携えるその淡黄髪の少女は、薄陽に触れない様に、そして何処かその暖かさを羨む様にして、それを眺めていた。
「綺麗ね」
「……そうね」
少女に話し掛けたのは、彼女の姉であった。
姉も少女と同様にして窓から漏れ入る赤光には触れようとはしない。
触れようとはしなかったが、恰も斜陽が放つ輝きを反射した様な紅瞳で、それを一心に見つめていた。
彼女らは、自らの敵を前にして疎むでも恐る事もなく、各々の想いを眼前の夕景に委ねている様だった。
お互いに一言を交わしてから、暫しの時間が経っていた。
日没は迫り、姉の姿は薄暗く映る。
それは少女の姿も同様だった。
自らと姉を染めていく夜を追随する様にして、少女の顔に戸惑いと焦りを孕んだ色が現れ始めた。
少女の迷いは姉が原因だった。
少女の隣で穏やかに佇む姉には、言わなければならない事があったのだ。
空を彩る溢れんばかりの光彩が淡くなっていくのとは反対に、少女の迷いは色濃くなっていく。
少女は姉を垣間見た。
姉は少女とは違って晴々とした顔を見せていた。
窓枠の中に広がる光景の美しさに目を奪われているにしては、余りにも嬉々とした表情であった。
少女の双眸には、それが不思議に映った。
どうして姉は、こうも愉しげに私と夕焼けを見ているんだろうと。
「お姉様、随分楽しそうね」
「まぁね。あんたとこうしてのんびりしてる事なんて、今まで無かったからさ」
姉が不意に此方を向いた。
少女は夕景に目を向ける振りをして、姉から目を逸らした。
何となく、ただ何となく自分に良く似た姉の紅眼を見る気には無れなかった。
気恥ずかしい、とでも言うのだろうか。
「昔は夕焼けなんて興味なかったのになぁ。人間に染まり過ぎたのかもね」
「そうねぇ。お姉様、生活リズム真反対になったもんね」
少女のからかいに、姉はけらけらと笑って応えた。
姉は、良く吸血鬼としての誇りを主張する癖に吸血鬼らしい生活を送る事には無頓着であるという自身の矛盾をも愉しんでいる様だった。
「そういう貴方は、今日は早起きなのね。何時もはもっと暗くなってから起きるでしょう?」
「別に、目が覚めたらこの時間だっただけよ。お姉様も今日はちゃんとした時間に起きてきてるじゃない」
「ま、こうなる運命が見えたからね」
「まーたそういうこと言う」
静寂を保っていた館に、少女達の笑い声が響く。
そうしてお互いに笑みが溢れた後は、暫く言葉が続かなかった。
それでも、今この場を再度支配する沈黙に気不味さは感じられない。
紅茶の熱が体に染み渡った時の余韻に浸る様な、そんな心地の良いものだった。
陽光が持つ暖かさが、少女を満たしていた。
少女はもう一度日暮れに目を向ける。
その場景を見つめている時は、少女は迷いを忘れられた。
窓から漏れ出る薄日は、いつの間にか消えていた。
人とそれ以外を繋ぐ逢魔の時も、夜という暗幕によって終わりを告げようとしていた。
茜色の空が館に与えていた仄かな熱は、その残滓すらも消えていて、もう夕焼けと呼べるものは何一つ残ってはいなかった。
少女は、この場を去る事にした。
この場にいる限り、姉との言葉が続く事は無いだろう。
先程までの姉との遣り取りは、あの景色によって繋ぎ止められていたからこそ成り立っていたのだと、そう確信めいたものを感じたからだ。
普段から何か切っ掛けが無いとろくに会話をする事もない。
少女はそれに特別不満を覚える事は無く、寧ろそれに慣れてしまってはいた。
言うなれば、切っ掛け無しに会話が始まらないと言う事だ。
姉は如何に感じているかは分からないが、少女はそれを実感していたのだ。
だからこそ、夕暮れという媒介を失った今、少女は離去る事にしたのだ。
話題も余韻も何も無い無粋な時間を送らない為に。
「ねえ、もう行くの?」
思い掛けない、声がした。
終ぞ聴く事の無かった、少女を引き止める姉の願望が。
姉が放った声に、惹かれる様にして少女は振り返る。
姉が少女の双眼を見つめていた。
無駄な光が失われた今、夜目が効く彼女らの視界は先程よりも明瞭に広がっている。
お互いがお互いの姿を、はっきりと捉えていた。
二人の視線は交錯し、そして少女は、今度は目を逸らさなかった。
余計なものが消え、クリアになった為だろうか。少女は瞳に映った姉の姿の美麗さに目を奪われていた。
「そりゃ特に居る意味も無いからね。まぁ離れる意味も無いけどさ」
「じゃあ良いじゃん、まだ此処に居なよ」
「……なんか、今日は随分積極的ね」
「そういう気分なのよ。それに、フランがなんか言いたそうだったからね」
あぁ、お手上げだ。
少女は仄かな諦めを含んだ笑みを姉へと向ける。
姉が持つ聡明さに少女は降伏せざるを得なかった。
「よく、分かったね。流石はお姉様」
「そりゃ、あんたがそんな顔してれば誰でも分かるわよ」
少女は、目を見開いた。
自分が思っていたよりも自身が表情豊かであると聞かされて意外だったのだ。
そんなに顔に出るタイプだったのかと少女は少しだけ、その白い頰を赤らめた。
「それでさ、なんか私に言いたい事があるんでしょ?」
「まぁ、そうね。言うかどうかはまだ迷ってるけど」
「……そう。貴方が迷うってのはよっぽどの事なのね。でも大丈夫よ、姉である私にどんとぶつけてみなさいな」
姉は、少女に向けて穏やかな微笑を浮かべてみせた。
今日の姉は何処かおかしかった。
姉は気分だと話したが、その気分とやらはいったい何処から来たのだろう。
少女はその疑問を拭えないままに姉を見つめていた。
姉の姿を見続けている内に、ふと少女の瞳に、赤く、赤く染まったあの情景が思い起こされた。
光彩の暴力ともとれる程の、鮮やかで美しいあの夕景を。
気づくと少女は、もう無くなったと思った夕焼けの残渣を、姉の中に幻視した。
もしかしたら、あの夕焼けは未だ残っているのかもしれない。
あの熱はまだ残っていて、それこそ姉を包む、そういう気分というものとして、在り続けている。
そうして、姉はあの空からの熱に酔わされているのだと、少女はそう思った。
自分の迷いが溶けた様な気がした。
まるで姉の中に残るあの熱が、少女にも伝わったかの様に。
少女は、姉に自らの想いを伝える事に決めた。
「分かったわ。言わせてもらう」
「うんうん、それでいいのよ。貴方はもっと姉に頼るべきなんだから」
少女と姉の視線が、再び交錯した。
「会った時に気付いたんだけど、その服裏返しよ」
「ええっ! 嘘でしょ!?」
館に存在する数少ない硝子に、色相に見合った熱を持つ陽光が差し込んでいた。
虹霓にも似た異形の翼を携えるその淡黄髪の少女は、薄陽に触れない様に、そして何処かその暖かさを羨む様にして、それを眺めていた。
「綺麗ね」
「……そうね」
少女に話し掛けたのは、彼女の姉であった。
姉も少女と同様にして窓から漏れ入る赤光には触れようとはしない。
触れようとはしなかったが、恰も斜陽が放つ輝きを反射した様な紅瞳で、それを一心に見つめていた。
彼女らは、自らの敵を前にして疎むでも恐る事もなく、各々の想いを眼前の夕景に委ねている様だった。
お互いに一言を交わしてから、暫しの時間が経っていた。
日没は迫り、姉の姿は薄暗く映る。
それは少女の姿も同様だった。
自らと姉を染めていく夜を追随する様にして、少女の顔に戸惑いと焦りを孕んだ色が現れ始めた。
少女の迷いは姉が原因だった。
少女の隣で穏やかに佇む姉には、言わなければならない事があったのだ。
空を彩る溢れんばかりの光彩が淡くなっていくのとは反対に、少女の迷いは色濃くなっていく。
少女は姉を垣間見た。
姉は少女とは違って晴々とした顔を見せていた。
窓枠の中に広がる光景の美しさに目を奪われているにしては、余りにも嬉々とした表情であった。
少女の双眸には、それが不思議に映った。
どうして姉は、こうも愉しげに私と夕焼けを見ているんだろうと。
「お姉様、随分楽しそうね」
「まぁね。あんたとこうしてのんびりしてる事なんて、今まで無かったからさ」
姉が不意に此方を向いた。
少女は夕景に目を向ける振りをして、姉から目を逸らした。
何となく、ただ何となく自分に良く似た姉の紅眼を見る気には無れなかった。
気恥ずかしい、とでも言うのだろうか。
「昔は夕焼けなんて興味なかったのになぁ。人間に染まり過ぎたのかもね」
「そうねぇ。お姉様、生活リズム真反対になったもんね」
少女のからかいに、姉はけらけらと笑って応えた。
姉は、良く吸血鬼としての誇りを主張する癖に吸血鬼らしい生活を送る事には無頓着であるという自身の矛盾をも愉しんでいる様だった。
「そういう貴方は、今日は早起きなのね。何時もはもっと暗くなってから起きるでしょう?」
「別に、目が覚めたらこの時間だっただけよ。お姉様も今日はちゃんとした時間に起きてきてるじゃない」
「ま、こうなる運命が見えたからね」
「まーたそういうこと言う」
静寂を保っていた館に、少女達の笑い声が響く。
そうしてお互いに笑みが溢れた後は、暫く言葉が続かなかった。
それでも、今この場を再度支配する沈黙に気不味さは感じられない。
紅茶の熱が体に染み渡った時の余韻に浸る様な、そんな心地の良いものだった。
陽光が持つ暖かさが、少女を満たしていた。
少女はもう一度日暮れに目を向ける。
その場景を見つめている時は、少女は迷いを忘れられた。
窓から漏れ出る薄日は、いつの間にか消えていた。
人とそれ以外を繋ぐ逢魔の時も、夜という暗幕によって終わりを告げようとしていた。
茜色の空が館に与えていた仄かな熱は、その残滓すらも消えていて、もう夕焼けと呼べるものは何一つ残ってはいなかった。
少女は、この場を去る事にした。
この場にいる限り、姉との言葉が続く事は無いだろう。
先程までの姉との遣り取りは、あの景色によって繋ぎ止められていたからこそ成り立っていたのだと、そう確信めいたものを感じたからだ。
普段から何か切っ掛けが無いとろくに会話をする事もない。
少女はそれに特別不満を覚える事は無く、寧ろそれに慣れてしまってはいた。
言うなれば、切っ掛け無しに会話が始まらないと言う事だ。
姉は如何に感じているかは分からないが、少女はそれを実感していたのだ。
だからこそ、夕暮れという媒介を失った今、少女は離去る事にしたのだ。
話題も余韻も何も無い無粋な時間を送らない為に。
「ねえ、もう行くの?」
思い掛けない、声がした。
終ぞ聴く事の無かった、少女を引き止める姉の願望が。
姉が放った声に、惹かれる様にして少女は振り返る。
姉が少女の双眼を見つめていた。
無駄な光が失われた今、夜目が効く彼女らの視界は先程よりも明瞭に広がっている。
お互いがお互いの姿を、はっきりと捉えていた。
二人の視線は交錯し、そして少女は、今度は目を逸らさなかった。
余計なものが消え、クリアになった為だろうか。少女は瞳に映った姉の姿の美麗さに目を奪われていた。
「そりゃ特に居る意味も無いからね。まぁ離れる意味も無いけどさ」
「じゃあ良いじゃん、まだ此処に居なよ」
「……なんか、今日は随分積極的ね」
「そういう気分なのよ。それに、フランがなんか言いたそうだったからね」
あぁ、お手上げだ。
少女は仄かな諦めを含んだ笑みを姉へと向ける。
姉が持つ聡明さに少女は降伏せざるを得なかった。
「よく、分かったね。流石はお姉様」
「そりゃ、あんたがそんな顔してれば誰でも分かるわよ」
少女は、目を見開いた。
自分が思っていたよりも自身が表情豊かであると聞かされて意外だったのだ。
そんなに顔に出るタイプだったのかと少女は少しだけ、その白い頰を赤らめた。
「それでさ、なんか私に言いたい事があるんでしょ?」
「まぁ、そうね。言うかどうかはまだ迷ってるけど」
「……そう。貴方が迷うってのはよっぽどの事なのね。でも大丈夫よ、姉である私にどんとぶつけてみなさいな」
姉は、少女に向けて穏やかな微笑を浮かべてみせた。
今日の姉は何処かおかしかった。
姉は気分だと話したが、その気分とやらはいったい何処から来たのだろう。
少女はその疑問を拭えないままに姉を見つめていた。
姉の姿を見続けている内に、ふと少女の瞳に、赤く、赤く染まったあの情景が思い起こされた。
光彩の暴力ともとれる程の、鮮やかで美しいあの夕景を。
気づくと少女は、もう無くなったと思った夕焼けの残渣を、姉の中に幻視した。
もしかしたら、あの夕焼けは未だ残っているのかもしれない。
あの熱はまだ残っていて、それこそ姉を包む、そういう気分というものとして、在り続けている。
そうして、姉はあの空からの熱に酔わされているのだと、少女はそう思った。
自分の迷いが溶けた様な気がした。
まるで姉の中に残るあの熱が、少女にも伝わったかの様に。
少女は、姉に自らの想いを伝える事に決めた。
「分かったわ。言わせてもらう」
「うんうん、それでいいのよ。貴方はもっと姉に頼るべきなんだから」
少女と姉の視線が、再び交錯した。
「会った時に気付いたんだけど、その服裏返しよ」
「ええっ! 嘘でしょ!?」
しょうもないオチ好き。
でも幸せならOKです
ふたりがいい生活をおくっててよかったです
やられた……!
だからこそ、オチで全てひっくり返して今まで浮かんだ情景の服装の部分が全て間違っていた事に気付かされてしまうのはもうただただ笑えてしょうがありませんでした。三人称という信頼出来ない書き手の性質が何よりも現れていて脱帽の一言。
雰囲気以外の要素も入れて短編の枠にキッチリと詰め込まれていて、本当に凄い一作でした…。一回目に全てを賭けて読むタイプの作品だからこそもう一度記憶を消して同じ感想を抱きたいぐらいです。ありがとうございました。
ここまでタメにタメてこれかよってツッコミを入れたくなりました
素晴らしいオチでした
お互い軽口を叩きながらもどこか緊迫と信頼感のある会話も大好きです。楽しませて頂きました。
オチは笑っちゃった。