へえ、それはもうここ一年ぐらい、寝ても覚めてもお酒のことを考えている訳ですよ。飲んでる時はお酒旨いなー、刺身とか食いたいなーって感じですし、飲んでない時はお酒飲みたいなー、でもまだ昼間だからなーってな塩梅で。つまみがなかったらお塩舐めてましたよ。そうあの塩です。壺の中に手を突っ込んで指に着いたのぺろぺろって。そしてしょっぱいのが口の中に残った隙にぐびっとやる訳ですね。これが中々いけるんですよ。この世の塩辛いもの全ては酒を飲むためにあるかもしれません。
初めは別にこんなに好きじゃなかったんですよ。はい、居酒屋で少しの間働いていたんですよ。そこで何人も破滅してく人を見ましたからね。借金してまで飲んでましたからね、彼らは。それでこわーい借金取りが店まで押しかけたりして。当時は信じられなかったけど、今ならその気持ちも分かりますよ。
そうだ、妖怪も来てましたね。妖怪はいいですねー、あいつらだって病気にならないんでしょ。朝昼晩飲んでても問題ない訳ですからね。羨ましいよ。だって明らかに常に酔っぱらってるやつとかいますもん。
そうそう、一回だけ妖怪に酌をしてもらったことがあるんですよ。凄い美人でね。絹のような綺麗な長い黒髪をばさーって。だけどどこか浮世離れしてるというか、背筋の凍るような美女ってああいうのを言うんでしょうね。そいつがこっち見ながら、言うわけですよ。
「そこのお兄さんお酌してあげる」
って。こんなの誰だって逆らえませんよ。しかし私もその時仕事中でしてね。どうしても飲むわけにはいかなかったんですよ。いくら妖怪が怖いといっても親方の方が怖いに決まってますからね。
「お姉さん、ご勘弁ご勘弁。今、仕事中で、へえ」
すると、その妖怪が私のことぐっと睨むわけですよ。美宵ちゃん、妖怪は恐ろしいものですよ、あなた気を付けなくちゃいけませんよ。あんなに恐ろしい顔ならず者にだってできません。蛇に睨まれた蛙ってやつです。元々小心者ですからね、私。それですっかり縮み上がっちゃって。
「じゃあ、一杯だけ」
っていう具合で、へえ。一杯だけなら問題ないと思ったんですよ。そしたらね、その妖怪コップ一杯並々注ぐんですよ。私がもういいからって言っても止めないで。「ほうらどうぞ」って。私緊張して酒を味わう暇も無かったですからね。こう、ぐいっといってね、私急いでましたから。
「それじゃ、急いでますんで。ありがとう」
「お兄さん、いい飲みっぷりだけど、ちゃんと味わっていないでしょ。これはいいお酒なのよ。それをあなたは水みたいに飲んで。今度は味わって飲みなさいよ。ほうらもう一杯」
と、また酒をコップの淵まで注ぐんですよ。たまったもんじゃないですよ、こっちは。
「いや、もう本当に、無茶ですよ。勘弁してください」
「一膳飯は縁起が悪いっていうでしょう。それに酒は米の水とも。大体、女が無茶言うのはかぐや姫以来の決まりごとじゃないの。いいから飲みなさい」
と、さっきの怖い顔でまた私のこと睨むんですよ。もう泣きたくなりましたね。今度は言われた通りゆっくり飲みました。
「それじゃあ、私はこれで」
「駆けつけ三杯って言葉があるでしょう、もう一杯だけ」
全く酷い話です。そんな感じで結局ぶっ倒れるまで飲まされましてね。起きた時には身ぐるみ剥がされて、道端で寝そべってましたよ。その後は親方に大目玉くらうわで、へえ。
しかし、一体いつからでしょうな。私がこんなに酒浸りになってしまったのは。家内にも沢山迷惑かけてしまいまして。そこそこあった筈の貯金も今ではすっかり私の腹の中ですよ。ですが不思議なことに振り返ってみるときっかけが分からないんです。あー、でも酒を夜以外に飲み始めたのが原因かもしれませんね。ほらね、迎え酒ってあるでしょう、嘘だと思うかもしれませんが、あれ凄い効くんです。こう具合が悪いのがすっと引いていく感じで。最初に発見した人は凄いね、まったく。それで夜と朝に飲むようになって、そしたら当然、昼にも飲むようになるじゃないですか。今風に言うと科学的に考えてってやつですかね。
そうなってくると私の人生は酒を中心に回ってるわけじゃないですか。明かりの周りを虫がぐるぐる回るあれですよ。あいつらも死ぬと分かっていて火に飛び込むわけですから、よくよく考えたら私と一緒ですね。自分を虫に例えるのはどうも具合が悪いですが、ともかく私の趣味は酒になったわけですよ。すると、やっぱりできるだけ美味しいお酒を飲もうとするのが人情なわけで。趣味ってのは極めるべきですからね。
まあそれでここだけの話、私地底にいったんですよ、へえ。より安く、より強く、より美味しいお酒を求めるわけですね。あ、これ誰にもいってはいけませんよ。どんな噂されるかたまったもんじゃないですから。今考えたら自殺行為ですよね。それでも地底ってのは水のような値段で上等なお酒が飲めるらしいですから。こうしちゃいられないって友達誘って。まあ、でも皆嫌がるわけですよ。よくよく考えたら普通ですよね。人間なんかがいったら鬼にもぐもぐ食べられちゃいますからね。
当時の私は全く狂人ですよ。手ぬぐい頭にぐるぐる巻きましてね、どっかの屋台で買った鬼のお面を被るんです。それで臭い消しに彼岸花すり潰したのを体に塗りたくって。人間には無臭ですが、人外には何かしら同類の臭いがするらしいですね、昔何かの本で読みましたよ。水筒の中に多量に焼酎を入れてね、家宝の小判を懐に忍ばせて向かう訳ですよ。やっぱ酔っぱらっている時はなんか万能感があるじゃないですか。その気になれば何でもできるぞみたいな、そうあの感覚ですよ。くらくらーっと良い気分になってね、そういえば一回無銭飲食もやりましたよ。便所行くふりして全速力で走るんですよ。大の大人が全速力って外から見たら滑稽ですが、あれはあれで中々いいもんですよ。え? いやもうしないよ。捕まってボロ雑巾みたいになるまで殴られたからね。
まあ話は戻りますが、それで歌でも歌いながら地底に向かうわけですよ。知ってます美宵ちゃん? 地底行く時の曲。地獄への坂ええ坂か二十一丁目の酒屋の坂かってやつ。知らない? それで、気分良く地底に向かって歩くわけですよ。
野を超え山超え、坂を下っていくとね、おかしなことに真っ昼間だっていうのに段々と辺りが暗くなってくるんです。しかしまるで夜みたいな様子なのにお月さんもお星さんも見えないわけだ。提灯持ってくればと後悔しながらそれでもとぼとぼ歩く。お家に帰りたくなってくる。そうこうしているうちにね、妖怪が横からばっと飛び出してこないか不安やら緊張やらでやたらと喉が乾いて来るんです。それで時々お面外しながら、持ってきたお酒をごくごく飲んでいたらね、もうべらぼうに酔っ払っちゃいまして、へへ。辺りもちょうどいい具合に暗くなってるでしょ。だから私その場でごろんと横になってそのまますやすやと眠っちゃったんですよ。いや、分かりますよ? あなたの言いたいこと。でもそんな目で私を見なくてもいいじゃないですか。しかしこうして五体満足で入られるのが全く不思議なくらいです。
寝てる間は何だか楽しい夢を見ていた気がします。それで、目が覚めたら親切な鬼が地底まで運んでくれて
「よう、あんちゃん。あんなところで寝ていたら風を引くぜ。ほら一緒に飲もう飲もう」
とかだったらもう言うことなしだったんですがね、そんな上手い話はありませんよ。実際起きても辺りは相変わらず真っ暗ですし、今何時かも分かりません。ですから気を取り直して水筒の中身をとりあえず飲むわけですね。
それから暫く歩きました。それはもうかなり歩きました。何が一番つらいって進んでいるか全く分からないことですよ。辺りはだだっ広くて何も見えないですからね。目印とかもないですし。もう不安でしょうがないですよ。同じとこころずっとぐるぐる回ってるかもしれないんですから。
ですが、捨てる神あれば拾う神ありですよ、美宵ちゃん。物事は最後まで諦めるべきじゃありませんね。ぼんやりとですがね、見えてきたんですよ明かりが。私はしめたと思って全力でそっちに向かって走っていきます。するとどんどん光が大きくなってですね、天の川のような、言葉では説明しにくいんですがね、光の線の集まりみたいなのが見えてくるんですよ、へえ。何かなと思って近づいてみますとね、どうやら橋のようなんです。橋の手すりに燭台がありまして、律儀に蝋燭が並べてあるんです。さらに近づいていきますとね、何やら小柄な女の人が橋の上でこう、もたれかかってるんですよ。ねえ、橋の上でもたれ掛かってやることと言ったらもう一つじゃないですか。吐いてるに違いありません。ついにやって来たぞと私、わくわくしながら、さらに近づいてその人物に話しかけるんですよ。
「飲んでますねーお嬢さん。やっぱり地底の人は皆酒飲みなんですね、私安心しましたよ。具合悪いところ申し訳ないんですが、この辺りに宿とかありませんかね」
すると彼女、今私のことに気づいたみたいで、驚いたような顔で私の方を見るんですよ。
「ちょっといきなり話かけないでよ。びっくりするじゃない」
「面目ありません。いやあ、恥ずかしい話ですが道に迷っちゃいましてね。どうやら噂によると地底には大きな都があるとかないとか。どうか道案内お願いできませんかね?」
「そんな変なお面して、あなた人間でしょう」
「そんなことはありません。私生まれも育ちも生粋の地底人です」
「酒臭いわね、酔ってるでしょあなた。さっさと帰りなさい。ここは人間のくるところじゃないの」
とまあ全然取り合ってくれないんです。ですがこの先に酒屋があるのは私の勘によると間違いないんです。それで誰か別の人にでも案内を頼もうと思いまして、私は彼女を無視して進むわけですね。ところがですよ、彼女私の着物の裾をね、「ここは通さない」ってこう指先で掴むんですよ。私もね水筒の中身が無くなりかけてて、若干苛立ってた節がありましたから、こう乱暴に振りほどこうとするわけですよ。けれどもこれが全く離れない。それはもう、まるで万力に締め上げられているような塩梅でして、へえ。それで私ピンと来るわけですよ。この女実は鬼じゃないかって。私こう見えてもそろばんできるんで、実は頭がよろしいんです。
それで私振り向いてその女の姿をもう一度まじまじと見てみるんですね。背が低く頭にこう、茶色の頭巾を被っていますから中々に顔が判別しにくい。しかし、顔を覗いてみますと翡翠のような大きな目玉が二つ確認できる。それに気がつくと私は急に恐ろしくなりました。やはり想像と実物では全く違うんですね。さっきまで気持ちよく酔っ払っていたのに急に冷めて。私は一体何をしてるんだって感じですよ。足はがくがく震えてきますし、冷や汗で脇がぐっしょり濡れてるのが分かります。もうそこからは平謝りですね。
「ひいいいいいいい食べないでください!」
「そんな謝られても困るのだけど」
「すみません、すみません。実は地上からやってきたんです。どうかご勘弁を。地底の人たちに危害を加えようなんて毛頭ありません。どうかご勘弁を」
恥ずかしい話私凄い取り乱してですね、それに対して相手は始終冷めた反応なんですよ。その内にね、私も馬鹿じゃありませんから気がつくんですね。この鬼ひょっとして話の分かるやつじゃないかって。すると私安心したからか知りませんが急に酒が欲しくてたまらなくなるんですよ。
「通るのが駄目ならそれで構いません。それならば一つこれでおつかいを頼まれてはくれませんか」
私は懐から持ってきた小判を取り出して彼女に押し付ける。振り返ってみるとかなりもったいない気がしますが、それぐらいお酒が欲しかったんですね。それで何か飲むものを買って来るようお願いするわけです。すると渋ると思っていたのですが彼女、以外にも二つ返事で了承してくれましてね。じゃあお願いします、ここで待ってますということで彼女は橋の向こう側へ消えてしまうわけですね。
私は待ちました。長い時間です。まともに考えたら持ち逃げされても文句は言えない状況です。しかしですよ美宵ちゃん、戻ってきたんですよ彼女。こう両手に大事そうに酒瓶抱えて。鬼というのは案外義理堅い生き物なのかもしれませんね、へえ。私は彼女に丁寧にお礼を言うと、ほくほく顔で地上に戻りました。
帰りの足取りは行きとは比べ物にならないくらい軽いものです。坂道だって何のそのですよ。貰った瓶は透明でね、中に雪のような真っ白な液体が入ってるんですよ。彼女曰く「地底ではかなり貴重な飲み物」だそうで。『とぶろくにしては嫌に透き通ってるな。これはひょっとしたらとんでも無いお宝に違いない。よし、小判の代わりにこれを家宝にするぞ』って私決心して。そして忍耐、我慢ですよ。落ちていた木の枝を口に咥えてぐっと誘惑を断ち切ろうと頑張ってたんですよ。
しかし外が明るくなったぐらいにですよ。こう沈みかかった太陽が私をおぼろげに照らしてですね、さらに外の爽やかな気持ちの良い風に当たって気が緩んだんでしょうな。途中からもう心の中で、『我慢、忍耐、堪忍、隠忍、自重、我慢、忍耐、堪忍、隠忍、自重』と念仏のように唱えていた私ですが、とうとう辛抱できなくなって飲んじゃったんですよ。目の前に極楽があるのに耐えられるかって。しかし口の中に飛び込んでも、あの酒特有のかっぽかっぽ踊るような感触が全く感じられないんですね。これはおかしいと思って私、今度はもっと味わって飲んでみる。すると何てことはない、中身は唯の牛乳でしたよ。まあ、私の頼み方が悪かったんでしょうけど、もうちょっとこう、ねえ。
酒についての失敗談はもう数え出したら切りがありません。それで失敗するたびに心に誓う訳です、私。『もう、お酒はよそう』と。しかし、どうしても飲んじゃうんです。“喉元過ぎれば熱さを忘れる”というあの人生を見透かしたような憎いことわざに頼っちゃうんですよ。情けない話です。ですから私、決心しましたよ。石のように、いや、金剛石じみた固い決心です。長々とお話したのも全てはこの為なんです。へえ、ですから漢壱八ここに宣言しやす。これっきりでもう鯢呑亭とは…… え、店の奢り? あー悪いね美宵ちゃん、おっとっと、へへへ……
初めは別にこんなに好きじゃなかったんですよ。はい、居酒屋で少しの間働いていたんですよ。そこで何人も破滅してく人を見ましたからね。借金してまで飲んでましたからね、彼らは。それでこわーい借金取りが店まで押しかけたりして。当時は信じられなかったけど、今ならその気持ちも分かりますよ。
そうだ、妖怪も来てましたね。妖怪はいいですねー、あいつらだって病気にならないんでしょ。朝昼晩飲んでても問題ない訳ですからね。羨ましいよ。だって明らかに常に酔っぱらってるやつとかいますもん。
そうそう、一回だけ妖怪に酌をしてもらったことがあるんですよ。凄い美人でね。絹のような綺麗な長い黒髪をばさーって。だけどどこか浮世離れしてるというか、背筋の凍るような美女ってああいうのを言うんでしょうね。そいつがこっち見ながら、言うわけですよ。
「そこのお兄さんお酌してあげる」
って。こんなの誰だって逆らえませんよ。しかし私もその時仕事中でしてね。どうしても飲むわけにはいかなかったんですよ。いくら妖怪が怖いといっても親方の方が怖いに決まってますからね。
「お姉さん、ご勘弁ご勘弁。今、仕事中で、へえ」
すると、その妖怪が私のことぐっと睨むわけですよ。美宵ちゃん、妖怪は恐ろしいものですよ、あなた気を付けなくちゃいけませんよ。あんなに恐ろしい顔ならず者にだってできません。蛇に睨まれた蛙ってやつです。元々小心者ですからね、私。それですっかり縮み上がっちゃって。
「じゃあ、一杯だけ」
っていう具合で、へえ。一杯だけなら問題ないと思ったんですよ。そしたらね、その妖怪コップ一杯並々注ぐんですよ。私がもういいからって言っても止めないで。「ほうらどうぞ」って。私緊張して酒を味わう暇も無かったですからね。こう、ぐいっといってね、私急いでましたから。
「それじゃ、急いでますんで。ありがとう」
「お兄さん、いい飲みっぷりだけど、ちゃんと味わっていないでしょ。これはいいお酒なのよ。それをあなたは水みたいに飲んで。今度は味わって飲みなさいよ。ほうらもう一杯」
と、また酒をコップの淵まで注ぐんですよ。たまったもんじゃないですよ、こっちは。
「いや、もう本当に、無茶ですよ。勘弁してください」
「一膳飯は縁起が悪いっていうでしょう。それに酒は米の水とも。大体、女が無茶言うのはかぐや姫以来の決まりごとじゃないの。いいから飲みなさい」
と、さっきの怖い顔でまた私のこと睨むんですよ。もう泣きたくなりましたね。今度は言われた通りゆっくり飲みました。
「それじゃあ、私はこれで」
「駆けつけ三杯って言葉があるでしょう、もう一杯だけ」
全く酷い話です。そんな感じで結局ぶっ倒れるまで飲まされましてね。起きた時には身ぐるみ剥がされて、道端で寝そべってましたよ。その後は親方に大目玉くらうわで、へえ。
しかし、一体いつからでしょうな。私がこんなに酒浸りになってしまったのは。家内にも沢山迷惑かけてしまいまして。そこそこあった筈の貯金も今ではすっかり私の腹の中ですよ。ですが不思議なことに振り返ってみるときっかけが分からないんです。あー、でも酒を夜以外に飲み始めたのが原因かもしれませんね。ほらね、迎え酒ってあるでしょう、嘘だと思うかもしれませんが、あれ凄い効くんです。こう具合が悪いのがすっと引いていく感じで。最初に発見した人は凄いね、まったく。それで夜と朝に飲むようになって、そしたら当然、昼にも飲むようになるじゃないですか。今風に言うと科学的に考えてってやつですかね。
そうなってくると私の人生は酒を中心に回ってるわけじゃないですか。明かりの周りを虫がぐるぐる回るあれですよ。あいつらも死ぬと分かっていて火に飛び込むわけですから、よくよく考えたら私と一緒ですね。自分を虫に例えるのはどうも具合が悪いですが、ともかく私の趣味は酒になったわけですよ。すると、やっぱりできるだけ美味しいお酒を飲もうとするのが人情なわけで。趣味ってのは極めるべきですからね。
まあそれでここだけの話、私地底にいったんですよ、へえ。より安く、より強く、より美味しいお酒を求めるわけですね。あ、これ誰にもいってはいけませんよ。どんな噂されるかたまったもんじゃないですから。今考えたら自殺行為ですよね。それでも地底ってのは水のような値段で上等なお酒が飲めるらしいですから。こうしちゃいられないって友達誘って。まあ、でも皆嫌がるわけですよ。よくよく考えたら普通ですよね。人間なんかがいったら鬼にもぐもぐ食べられちゃいますからね。
当時の私は全く狂人ですよ。手ぬぐい頭にぐるぐる巻きましてね、どっかの屋台で買った鬼のお面を被るんです。それで臭い消しに彼岸花すり潰したのを体に塗りたくって。人間には無臭ですが、人外には何かしら同類の臭いがするらしいですね、昔何かの本で読みましたよ。水筒の中に多量に焼酎を入れてね、家宝の小判を懐に忍ばせて向かう訳ですよ。やっぱ酔っぱらっている時はなんか万能感があるじゃないですか。その気になれば何でもできるぞみたいな、そうあの感覚ですよ。くらくらーっと良い気分になってね、そういえば一回無銭飲食もやりましたよ。便所行くふりして全速力で走るんですよ。大の大人が全速力って外から見たら滑稽ですが、あれはあれで中々いいもんですよ。え? いやもうしないよ。捕まってボロ雑巾みたいになるまで殴られたからね。
まあ話は戻りますが、それで歌でも歌いながら地底に向かうわけですよ。知ってます美宵ちゃん? 地底行く時の曲。地獄への坂ええ坂か二十一丁目の酒屋の坂かってやつ。知らない? それで、気分良く地底に向かって歩くわけですよ。
野を超え山超え、坂を下っていくとね、おかしなことに真っ昼間だっていうのに段々と辺りが暗くなってくるんです。しかしまるで夜みたいな様子なのにお月さんもお星さんも見えないわけだ。提灯持ってくればと後悔しながらそれでもとぼとぼ歩く。お家に帰りたくなってくる。そうこうしているうちにね、妖怪が横からばっと飛び出してこないか不安やら緊張やらでやたらと喉が乾いて来るんです。それで時々お面外しながら、持ってきたお酒をごくごく飲んでいたらね、もうべらぼうに酔っ払っちゃいまして、へへ。辺りもちょうどいい具合に暗くなってるでしょ。だから私その場でごろんと横になってそのまますやすやと眠っちゃったんですよ。いや、分かりますよ? あなたの言いたいこと。でもそんな目で私を見なくてもいいじゃないですか。しかしこうして五体満足で入られるのが全く不思議なくらいです。
寝てる間は何だか楽しい夢を見ていた気がします。それで、目が覚めたら親切な鬼が地底まで運んでくれて
「よう、あんちゃん。あんなところで寝ていたら風を引くぜ。ほら一緒に飲もう飲もう」
とかだったらもう言うことなしだったんですがね、そんな上手い話はありませんよ。実際起きても辺りは相変わらず真っ暗ですし、今何時かも分かりません。ですから気を取り直して水筒の中身をとりあえず飲むわけですね。
それから暫く歩きました。それはもうかなり歩きました。何が一番つらいって進んでいるか全く分からないことですよ。辺りはだだっ広くて何も見えないですからね。目印とかもないですし。もう不安でしょうがないですよ。同じとこころずっとぐるぐる回ってるかもしれないんですから。
ですが、捨てる神あれば拾う神ありですよ、美宵ちゃん。物事は最後まで諦めるべきじゃありませんね。ぼんやりとですがね、見えてきたんですよ明かりが。私はしめたと思って全力でそっちに向かって走っていきます。するとどんどん光が大きくなってですね、天の川のような、言葉では説明しにくいんですがね、光の線の集まりみたいなのが見えてくるんですよ、へえ。何かなと思って近づいてみますとね、どうやら橋のようなんです。橋の手すりに燭台がありまして、律儀に蝋燭が並べてあるんです。さらに近づいていきますとね、何やら小柄な女の人が橋の上でこう、もたれかかってるんですよ。ねえ、橋の上でもたれ掛かってやることと言ったらもう一つじゃないですか。吐いてるに違いありません。ついにやって来たぞと私、わくわくしながら、さらに近づいてその人物に話しかけるんですよ。
「飲んでますねーお嬢さん。やっぱり地底の人は皆酒飲みなんですね、私安心しましたよ。具合悪いところ申し訳ないんですが、この辺りに宿とかありませんかね」
すると彼女、今私のことに気づいたみたいで、驚いたような顔で私の方を見るんですよ。
「ちょっといきなり話かけないでよ。びっくりするじゃない」
「面目ありません。いやあ、恥ずかしい話ですが道に迷っちゃいましてね。どうやら噂によると地底には大きな都があるとかないとか。どうか道案内お願いできませんかね?」
「そんな変なお面して、あなた人間でしょう」
「そんなことはありません。私生まれも育ちも生粋の地底人です」
「酒臭いわね、酔ってるでしょあなた。さっさと帰りなさい。ここは人間のくるところじゃないの」
とまあ全然取り合ってくれないんです。ですがこの先に酒屋があるのは私の勘によると間違いないんです。それで誰か別の人にでも案内を頼もうと思いまして、私は彼女を無視して進むわけですね。ところがですよ、彼女私の着物の裾をね、「ここは通さない」ってこう指先で掴むんですよ。私もね水筒の中身が無くなりかけてて、若干苛立ってた節がありましたから、こう乱暴に振りほどこうとするわけですよ。けれどもこれが全く離れない。それはもう、まるで万力に締め上げられているような塩梅でして、へえ。それで私ピンと来るわけですよ。この女実は鬼じゃないかって。私こう見えてもそろばんできるんで、実は頭がよろしいんです。
それで私振り向いてその女の姿をもう一度まじまじと見てみるんですね。背が低く頭にこう、茶色の頭巾を被っていますから中々に顔が判別しにくい。しかし、顔を覗いてみますと翡翠のような大きな目玉が二つ確認できる。それに気がつくと私は急に恐ろしくなりました。やはり想像と実物では全く違うんですね。さっきまで気持ちよく酔っ払っていたのに急に冷めて。私は一体何をしてるんだって感じですよ。足はがくがく震えてきますし、冷や汗で脇がぐっしょり濡れてるのが分かります。もうそこからは平謝りですね。
「ひいいいいいいい食べないでください!」
「そんな謝られても困るのだけど」
「すみません、すみません。実は地上からやってきたんです。どうかご勘弁を。地底の人たちに危害を加えようなんて毛頭ありません。どうかご勘弁を」
恥ずかしい話私凄い取り乱してですね、それに対して相手は始終冷めた反応なんですよ。その内にね、私も馬鹿じゃありませんから気がつくんですね。この鬼ひょっとして話の分かるやつじゃないかって。すると私安心したからか知りませんが急に酒が欲しくてたまらなくなるんですよ。
「通るのが駄目ならそれで構いません。それならば一つこれでおつかいを頼まれてはくれませんか」
私は懐から持ってきた小判を取り出して彼女に押し付ける。振り返ってみるとかなりもったいない気がしますが、それぐらいお酒が欲しかったんですね。それで何か飲むものを買って来るようお願いするわけです。すると渋ると思っていたのですが彼女、以外にも二つ返事で了承してくれましてね。じゃあお願いします、ここで待ってますということで彼女は橋の向こう側へ消えてしまうわけですね。
私は待ちました。長い時間です。まともに考えたら持ち逃げされても文句は言えない状況です。しかしですよ美宵ちゃん、戻ってきたんですよ彼女。こう両手に大事そうに酒瓶抱えて。鬼というのは案外義理堅い生き物なのかもしれませんね、へえ。私は彼女に丁寧にお礼を言うと、ほくほく顔で地上に戻りました。
帰りの足取りは行きとは比べ物にならないくらい軽いものです。坂道だって何のそのですよ。貰った瓶は透明でね、中に雪のような真っ白な液体が入ってるんですよ。彼女曰く「地底ではかなり貴重な飲み物」だそうで。『とぶろくにしては嫌に透き通ってるな。これはひょっとしたらとんでも無いお宝に違いない。よし、小判の代わりにこれを家宝にするぞ』って私決心して。そして忍耐、我慢ですよ。落ちていた木の枝を口に咥えてぐっと誘惑を断ち切ろうと頑張ってたんですよ。
しかし外が明るくなったぐらいにですよ。こう沈みかかった太陽が私をおぼろげに照らしてですね、さらに外の爽やかな気持ちの良い風に当たって気が緩んだんでしょうな。途中からもう心の中で、『我慢、忍耐、堪忍、隠忍、自重、我慢、忍耐、堪忍、隠忍、自重』と念仏のように唱えていた私ですが、とうとう辛抱できなくなって飲んじゃったんですよ。目の前に極楽があるのに耐えられるかって。しかし口の中に飛び込んでも、あの酒特有のかっぽかっぽ踊るような感触が全く感じられないんですね。これはおかしいと思って私、今度はもっと味わって飲んでみる。すると何てことはない、中身は唯の牛乳でしたよ。まあ、私の頼み方が悪かったんでしょうけど、もうちょっとこう、ねえ。
酒についての失敗談はもう数え出したら切りがありません。それで失敗するたびに心に誓う訳です、私。『もう、お酒はよそう』と。しかし、どうしても飲んじゃうんです。“喉元過ぎれば熱さを忘れる”というあの人生を見透かしたような憎いことわざに頼っちゃうんですよ。情けない話です。ですから私、決心しましたよ。石のように、いや、金剛石じみた固い決心です。長々とお話したのも全てはこの為なんです。へえ、ですから漢壱八ここに宣言しやす。これっきりでもう鯢呑亭とは…… え、店の奢り? あー悪いね美宵ちゃん、おっとっと、へへへ……
パルスィの優しさもなんだかいいですね
こんな大人にならないように教訓にします。
酒のために地底まで行く根性がすごかったです
根本的な部分が狂っているようです
水のようにすらすらと読めました
そして何よりもオチ。タグの美宵ちゃんの活かし方もそうですが、やっぱり酒クズな語り部のソレが凝縮されていて。おあとがよろしいようで、という一文が後ろに付いているのかと思わせてくる程の物語でした。
ただただ楽しく酔える作品でした。面白かったです、ご馳走様でした。