「ねえ、文屋さん。列車が人を轢くところを見たことはあるかしら」
その言葉はまるで誰に向けるでもないただの独り言のようで、文は少し戸惑った。
言葉の主であるフランドール・スカーレットは文の方を見向きもせず、椅子に腰掛けて手元の本に視線を落としている。
仄暗くオレンジ色に揺れている、燭台の火だけがブックライトとして機能していた。
夜目が利く種族とはいえ、こんな頼りない灯りだけで文字を追うなんて正気の沙汰じゃない。
鳥目の文は尚更そう思う。
(もっとも、正気ではないんですけど)
あるいは暗闇ですらない、僅かな灯が照らす以外にはただ無が一面に広がっているような空ろさこそが、この部屋がフランドール・スカーレットの住まう地下室たる証左なのかもしれなかった。
「列車、ですか」
「ええ。あの四角で硬そうな乗り物よ」
文は八雲紫が使っていたスペルカードを思い浮かべる。
「八雲紫がスペルカードで使っているあれでしょう。あれが天人やらを轢くところも何度も見たことがありますよ」
「あれはレプリカよ。あれはあくまでもただの魔弾のバリエーション。本物の列車ではないわ。文屋さんは列車というものを知っている?」
馬鹿にされているような気がして、文は眉間に皺を寄せた。
「列車くらい知っていますよ。博麗大結界の施行前に、横浜に現物も見に行きました。あんな鉄の塊が人を載せて運ぶものとはと、驚きもしましたがね」
口早に返事する。
「しかし、八雲紫の使うスペルカードの列車は、私が見たものよりももっと進歩しているもののようですね。如何せん、この幻想郷の中では外の情報を得る手段は限られています。もし貴方の指す列車が、現代のそれであれば、知らない、という答えになりますねぇ」
それが望んだ答えだろう、とばかりに皮肉めいた口調で文が言う。
「しかし」
顔を上げないフランドールをじっと睨みつけて、
「それは貴方も同じでは?」
文は問う。
フランドールは本をぱたんと閉じて、初めて文の方を向いて言った。
「そうね」
その表情には、悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。
文はげんなりして表情を歪める。
この笑い方、姉の方が自分をからかってくるときに浮かべるものと全く同じだ。
今更になって文はフランドールの部屋に入り込んだことを後悔する。
紅魔館はネタの宝庫だ。しかしどうやっても収穫が無い時はある。
そんな時に、藁を掴む心持ちでこの部屋に潜り込んでみたりした。
今もそう。
果たしてそれで何か収穫を得られたことは一度もない。
フランドールとの話はまったく狂人の話に付き合っていると言うに相応しいそれで、文章にできるような情報を得られたことは一度もなかった。
それでは何故、収穫がないばかりか命すら保証されていないその場所に、今度こそと期待して何度も飛び込んでしまうのか。
部屋から滲んでいる狂気にあてられてでもいるんだろうか、などと文は考える。
「列車そのものはこの話の本質ではないの」
そうして今も、そんな狂人の話に付き合わされている。
「訊きたいのは、列車が人間を轢いたときに轢かれた人間はどうなる? ってこと」
「はあ、それは」
「人間が列車に轢かれたところを見たことは、無いわよね」
「……無いですねぇ。スペルカードを除けば」
「でしょう」
「でも、想像はできますよ。人間が列車に轢かれたらどうなるかくらい」
フランドールがどういうつもりで話しているのかわからないが、この話はあんまり気持ちの良い話ではない。
「死ぬでしょう。人があんなでかい車に轢かれりゃ」
「死ぬわね。原型も留めないくらい、車輪に皮膚も臓腑も巻き込まれてズタズタになってそれはもう目を背けたくなるほどの惨状になるはず」
「……」
怪訝な顔をする文の反応を受けて、フランドールは滔々と台本を読むように語る。
「そう、普通はそれを誰も見たいとは思わない」
愉快そうな顔で、文の反応を伺うように。
「けれど、例えば、その哀れな屍体が、後ろ暗い文脈の中にあったとする」
「……」
「その屍体の正体は、ある地方の大地主の娘。都会の煌めきに欲望を煽られて家を飛び出した後、狡猾な若い医学士たちに誘惑されて、妊娠までしてしまう。面子を潰された家には帰れない、医学士は素知らぬ顔。世を儚んだ娘は鉄道に自らの運命を委ねる」
言いながら、文の顔が戸惑いと厭悪の色を増していくのを静かに観察する。
「さて、あなたはその娘が今まさに鉄道に飲み込まれようとするシーンを目の当たりにしている。あなたは彼女の鉄道自殺を止めるかしら」
「止めるに決まってるじゃないですか」
「どうして?」
「誰だって目前で無意味に死なれたら目覚めが悪いでしょう。単純に」
「確かに、そうね。でも、例えばその時、あなたは明日の一面にも困窮するくらいに話の種が枯渇しているとする」
「……」
「あなたは止めるかしら」
「……止めますよ」
「センセーショナルな話題を手にするチャンスが目の前に転がっているというのに? 彼女を助けられればそれはそれは気分が良いでしょうね。でも、それは美談にもならない。対して、彼女が死ねばあなたは彼女の素性を何ら気兼ねなく彼女の身につけていたものから割り出して、先に言ったことを記事にできる。ある種の報道狂であれば、目を剥いて飛びつく話でしょうね。妊娠美人の鉄道自殺、娘の素性はどうたら、相手方はこうたら」
次第にスピードを上げていくフランドールの言葉を文は強引に切り離した。
「……私が、そういった話題を種にする、ふしだらな報道記者だと?」
声色に含まれている僅かな苛立ちを素知らぬ顔でフランドールは受け流す。
「そう言いたいわけじゃない。私はあなたがこの話について、どういった感想を抱くかを知りたいのよ。嫌悪でもいい。逡巡でもいい。至極純粋な興味でね」
「私は人死にを記事にしたがる程落ちぶれてはいませんよ」
これは自分の報道に対する姿勢を糾弾されているのだろうか。
文は苛立ちを隠せずに早口で言い返す。
殺人や自殺の話なんて、書いてどうするつもりだろう。
誰が悼むというのか、誰が面白がるというのか。
それを書くくらいなら事実無根の法螺話の方がまだマシだろう。
「でも、人死にとその顛末だって立派な事実よ。あなたがやっているのは真実を暴き出すことでしょう? そういう時に生者の声は邪魔になることだってあるわよね。手を下す必要すらなく、人が一人死ぬだけで対価が得られるなんて安いものだと思わない?」
「……さすが、人間をお茶請けにしか思っていない方の言葉は違いますね」
「あら、私は人間の書く小説が大好きよ。それにあなたは人間を食い物にはしていないのかしら」
「否定はしませんが」
文は声を落として言った。
「ただ、ひとの命を蔑ろにするということは、ひどくつまらないことだと思いませんか」
苛立ちと困惑の中で動揺する文を、フランドールはお気に入りのおもちゃのように眺め回しては言葉を続ける。
「まあ、あなたはそういう性質よね。それにあなたの場合は道楽だし」
「……道楽。私は、そんなつもりでは」
「道楽だけど、命を掛けている。そう言いたいのね」
「……」
薄く笑ってフランドールは言う。
「殊勝なことね。尊いことだわ。私は道楽に命を掛ける人々を尊敬しているのよ。あなたも含めてね。私はそんな道楽がないと生きていけないもの。この退屈な地下室では」
道楽に命を掛ける人々、という言葉に文はふと思い当たって、半ば無意識に言葉を返す。
「……貴方のお姉様も、そういう方ですね?」
その言葉にフランドールは初めて張り付かせていた笑みを崩した。
「……あいつの話はいいじゃない」
予期せぬ言葉にペースを崩されて、フランドールは不満そうに口を尖らせた。
文は自分が何気なく放った言葉にペースを崩されているフランドールを見て、ぱちぱちと目を瞬かせる。
……今まで、正気の存在には理解できない不条理な論理で言葉を投げかける人形と話していたのが、いきなり実体を持つ一人の少女になったような感覚。
その霧が急に晴れるような感覚に、文自身もそれまでの会話から放り出された気分になる。
だから、今が会話のペースを握るチャンスだったと文が気づいたときにはもう、フランドールは気を取り直して会話を続けていた。
「でも。例えばそれが本職であって、書かねば食べていけないという状況であれば、そんなゴシップをネタにしないと言い切れるのかしら」
また目の前の少女が霧散したような心地になって、文は目眩さえ覚えながら辿々しく言葉を紡ごうとする。
「なんでそんなことを訊くんです……そんなもしもの話……私をいじめてるんですか?」
「いつもお姉さまたちのことをいじめているでしょう? お返し」
けらけらと笑う少女に文は眉間にぐりぐりと指を当てて頭痛を癒そうとした。
「結局、意趣返しってことですか。それにしてはあまりに悪趣味な」
「積もり積もったツケがあるからね」
「私は、ハイエナのようにセンセーショナルな話の種を漁って、罪悪感と惨めさに蝕まれながら生きていくくらいなら、餓死を選びますよ」
「そう言って、センセーショナルな話の種をでっちあげてたりとかしてるじゃない?」
「誰が。私は誰にもおもねることなく真実のみをお伝えする清く正しい文々。新聞の責任者ですよ」
「そうかなぁ……」
「私は誇り高い新聞記者です。天狗である前に」
いつも言葉にしているプライドが、今はなんだか頼りなく聞こえて、文は自分の言葉だというのに不安になる。
「……」
寄る辺無さに襲われる文を、フランドールは目を細めて見ていた。
「本当にそう思っているのか、鼓舞しているのかわからないけど、文屋さんのそういう虚勢は可愛くて大好き」
「……なんなんですか? 貴方たちは」
「たちって?」
「貴方のお姉様もそうですが……貴方たちの話は全く意味がわからない」
「でしょうね。あんたごときに理解されたら困るわ」
「……」
フランドールは目を瞑って微笑んで、足をぱたぱたとばたつかせて言う。
「私は結構好きよ。文屋さんの新聞。そこに矜持があるとしたら、読む方の感慨も更にひとしおね」
「……この流れで突然褒められても、戸惑うだけですねぇ」
そうだった。そういえばこの人はこの館で唯一自分の新聞をまともに読んでくれている人だった。普通に内容を褒めてくれたりもする。その褒め方は7割くらい意味不明だけど。
果たして上客を失うことと狂人の話に付き合わされるのとではどっちがよりデメリットが少ないのだろうか、文は本気で考える。
「でもね」
じいっと、フランドールは文の顔を見つめる。
「その娘は結局、親にも相手の医学士にも見捨てられて、身元不明の名も無き骸として葬られてしまった。その新聞記事にだけ、名を残してね」
「……え」
「果たして、ハイエナのようにセンセーショナルな話の種を漁ることは絶対悪かしら」
文の返事を待たずに、
「八雲紫のスペルカードを見る度に、この話を思い出してみるといいわ。おまけに格好のパラソルも付いてる」
フランドールはそう言って話を結んだ。
文は頭の中をぐちゃぐちゃにかき混ぜられたまま、半ば思考停止してフランドールをまじまじと見つめる。
ふと、フランドールの手にある本に目が行った。
「……なにかの、小説のお話ですか?」
そういえば前も、なにかの小説に出てくる喩えで振り回された気がする、と文は思い出した。
「あら。気づいてくれたのね」
フランドールが目をきらきらと輝かせて弾んだ声を上げる。
「読む?」
「読みません」
「えぇ、読んでよう」
ぷくー、と頬を膨らませた。
「貴方の読む小説、全部悪趣味じゃないですか」
「それはそうね。でも、読んでくれたら嬉しいのだけど」
「嫌です」
フランドールが、手元の本の背表紙をそっと指で擦る。
「こんなところにいると、文筆に携わるひとと話す機会が無くてね」
フランドールの声色には、どこか寂しさが滲んでいた。
「文屋さんと、好きな本や文章について話せたら、楽しいだろうなって思ったの」
そう感じたのは、文の勘違いだったか。
「そう、何が言いたかったかっていうと、私は考える人の書く文章が好きなの。だから、考え続けてね」
「……」
「あなたの目に映る世界を描きたいのなら。あなたは単なるカメラではないのだから」
結論まで至っても訳の分からない不条理な話に、文は盛大な溜め息を吐く。
「意味がわかりませんね。そんなこと言われなくたって私はいつも考えてます。いかにして真実をモノにして、人様を驚かせてやろうかとね。勿論、不幸話は抜きで」
フランドールは微笑んで返す。
「それでいいのよ。私が言ってるのは、ずっと退屈させないでね、ってこと。そのためならこの館のやつらなんていくらだって記事の種にしてやっていいわ。だって、」
あなたの書く新聞が好きだから。
なんて、自分のキャラ的に言えないなあ、と思ってフランドールはそこで留めた。
「…………だって?」
「なんでもなぁい」
「…………はぁ……そうですか……」
やっぱりこの吸血鬼あたまおかしい。
文は頭痛に悩まされながら、この部屋に入り込んでしまったことを毎度のことながら後悔する。
欲しい言葉を伝えてもらえなかった不幸さには終ぞ気づかず。
然してその頭のおかしい吸血鬼は、お気に入りの小説の魅力をお気に入りの妖怪に伝えられなかったことを口惜しく思いつつ、なんだか良い気分になって陽気に羽根と足をばたつかせていた。
その言葉はまるで誰に向けるでもないただの独り言のようで、文は少し戸惑った。
言葉の主であるフランドール・スカーレットは文の方を見向きもせず、椅子に腰掛けて手元の本に視線を落としている。
仄暗くオレンジ色に揺れている、燭台の火だけがブックライトとして機能していた。
夜目が利く種族とはいえ、こんな頼りない灯りだけで文字を追うなんて正気の沙汰じゃない。
鳥目の文は尚更そう思う。
(もっとも、正気ではないんですけど)
あるいは暗闇ですらない、僅かな灯が照らす以外にはただ無が一面に広がっているような空ろさこそが、この部屋がフランドール・スカーレットの住まう地下室たる証左なのかもしれなかった。
「列車、ですか」
「ええ。あの四角で硬そうな乗り物よ」
文は八雲紫が使っていたスペルカードを思い浮かべる。
「八雲紫がスペルカードで使っているあれでしょう。あれが天人やらを轢くところも何度も見たことがありますよ」
「あれはレプリカよ。あれはあくまでもただの魔弾のバリエーション。本物の列車ではないわ。文屋さんは列車というものを知っている?」
馬鹿にされているような気がして、文は眉間に皺を寄せた。
「列車くらい知っていますよ。博麗大結界の施行前に、横浜に現物も見に行きました。あんな鉄の塊が人を載せて運ぶものとはと、驚きもしましたがね」
口早に返事する。
「しかし、八雲紫の使うスペルカードの列車は、私が見たものよりももっと進歩しているもののようですね。如何せん、この幻想郷の中では外の情報を得る手段は限られています。もし貴方の指す列車が、現代のそれであれば、知らない、という答えになりますねぇ」
それが望んだ答えだろう、とばかりに皮肉めいた口調で文が言う。
「しかし」
顔を上げないフランドールをじっと睨みつけて、
「それは貴方も同じでは?」
文は問う。
フランドールは本をぱたんと閉じて、初めて文の方を向いて言った。
「そうね」
その表情には、悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。
文はげんなりして表情を歪める。
この笑い方、姉の方が自分をからかってくるときに浮かべるものと全く同じだ。
今更になって文はフランドールの部屋に入り込んだことを後悔する。
紅魔館はネタの宝庫だ。しかしどうやっても収穫が無い時はある。
そんな時に、藁を掴む心持ちでこの部屋に潜り込んでみたりした。
今もそう。
果たしてそれで何か収穫を得られたことは一度もない。
フランドールとの話はまったく狂人の話に付き合っていると言うに相応しいそれで、文章にできるような情報を得られたことは一度もなかった。
それでは何故、収穫がないばかりか命すら保証されていないその場所に、今度こそと期待して何度も飛び込んでしまうのか。
部屋から滲んでいる狂気にあてられてでもいるんだろうか、などと文は考える。
「列車そのものはこの話の本質ではないの」
そうして今も、そんな狂人の話に付き合わされている。
「訊きたいのは、列車が人間を轢いたときに轢かれた人間はどうなる? ってこと」
「はあ、それは」
「人間が列車に轢かれたところを見たことは、無いわよね」
「……無いですねぇ。スペルカードを除けば」
「でしょう」
「でも、想像はできますよ。人間が列車に轢かれたらどうなるかくらい」
フランドールがどういうつもりで話しているのかわからないが、この話はあんまり気持ちの良い話ではない。
「死ぬでしょう。人があんなでかい車に轢かれりゃ」
「死ぬわね。原型も留めないくらい、車輪に皮膚も臓腑も巻き込まれてズタズタになってそれはもう目を背けたくなるほどの惨状になるはず」
「……」
怪訝な顔をする文の反応を受けて、フランドールは滔々と台本を読むように語る。
「そう、普通はそれを誰も見たいとは思わない」
愉快そうな顔で、文の反応を伺うように。
「けれど、例えば、その哀れな屍体が、後ろ暗い文脈の中にあったとする」
「……」
「その屍体の正体は、ある地方の大地主の娘。都会の煌めきに欲望を煽られて家を飛び出した後、狡猾な若い医学士たちに誘惑されて、妊娠までしてしまう。面子を潰された家には帰れない、医学士は素知らぬ顔。世を儚んだ娘は鉄道に自らの運命を委ねる」
言いながら、文の顔が戸惑いと厭悪の色を増していくのを静かに観察する。
「さて、あなたはその娘が今まさに鉄道に飲み込まれようとするシーンを目の当たりにしている。あなたは彼女の鉄道自殺を止めるかしら」
「止めるに決まってるじゃないですか」
「どうして?」
「誰だって目前で無意味に死なれたら目覚めが悪いでしょう。単純に」
「確かに、そうね。でも、例えばその時、あなたは明日の一面にも困窮するくらいに話の種が枯渇しているとする」
「……」
「あなたは止めるかしら」
「……止めますよ」
「センセーショナルな話題を手にするチャンスが目の前に転がっているというのに? 彼女を助けられればそれはそれは気分が良いでしょうね。でも、それは美談にもならない。対して、彼女が死ねばあなたは彼女の素性を何ら気兼ねなく彼女の身につけていたものから割り出して、先に言ったことを記事にできる。ある種の報道狂であれば、目を剥いて飛びつく話でしょうね。妊娠美人の鉄道自殺、娘の素性はどうたら、相手方はこうたら」
次第にスピードを上げていくフランドールの言葉を文は強引に切り離した。
「……私が、そういった話題を種にする、ふしだらな報道記者だと?」
声色に含まれている僅かな苛立ちを素知らぬ顔でフランドールは受け流す。
「そう言いたいわけじゃない。私はあなたがこの話について、どういった感想を抱くかを知りたいのよ。嫌悪でもいい。逡巡でもいい。至極純粋な興味でね」
「私は人死にを記事にしたがる程落ちぶれてはいませんよ」
これは自分の報道に対する姿勢を糾弾されているのだろうか。
文は苛立ちを隠せずに早口で言い返す。
殺人や自殺の話なんて、書いてどうするつもりだろう。
誰が悼むというのか、誰が面白がるというのか。
それを書くくらいなら事実無根の法螺話の方がまだマシだろう。
「でも、人死にとその顛末だって立派な事実よ。あなたがやっているのは真実を暴き出すことでしょう? そういう時に生者の声は邪魔になることだってあるわよね。手を下す必要すらなく、人が一人死ぬだけで対価が得られるなんて安いものだと思わない?」
「……さすが、人間をお茶請けにしか思っていない方の言葉は違いますね」
「あら、私は人間の書く小説が大好きよ。それにあなたは人間を食い物にはしていないのかしら」
「否定はしませんが」
文は声を落として言った。
「ただ、ひとの命を蔑ろにするということは、ひどくつまらないことだと思いませんか」
苛立ちと困惑の中で動揺する文を、フランドールはお気に入りのおもちゃのように眺め回しては言葉を続ける。
「まあ、あなたはそういう性質よね。それにあなたの場合は道楽だし」
「……道楽。私は、そんなつもりでは」
「道楽だけど、命を掛けている。そう言いたいのね」
「……」
薄く笑ってフランドールは言う。
「殊勝なことね。尊いことだわ。私は道楽に命を掛ける人々を尊敬しているのよ。あなたも含めてね。私はそんな道楽がないと生きていけないもの。この退屈な地下室では」
道楽に命を掛ける人々、という言葉に文はふと思い当たって、半ば無意識に言葉を返す。
「……貴方のお姉様も、そういう方ですね?」
その言葉にフランドールは初めて張り付かせていた笑みを崩した。
「……あいつの話はいいじゃない」
予期せぬ言葉にペースを崩されて、フランドールは不満そうに口を尖らせた。
文は自分が何気なく放った言葉にペースを崩されているフランドールを見て、ぱちぱちと目を瞬かせる。
……今まで、正気の存在には理解できない不条理な論理で言葉を投げかける人形と話していたのが、いきなり実体を持つ一人の少女になったような感覚。
その霧が急に晴れるような感覚に、文自身もそれまでの会話から放り出された気分になる。
だから、今が会話のペースを握るチャンスだったと文が気づいたときにはもう、フランドールは気を取り直して会話を続けていた。
「でも。例えばそれが本職であって、書かねば食べていけないという状況であれば、そんなゴシップをネタにしないと言い切れるのかしら」
また目の前の少女が霧散したような心地になって、文は目眩さえ覚えながら辿々しく言葉を紡ごうとする。
「なんでそんなことを訊くんです……そんなもしもの話……私をいじめてるんですか?」
「いつもお姉さまたちのことをいじめているでしょう? お返し」
けらけらと笑う少女に文は眉間にぐりぐりと指を当てて頭痛を癒そうとした。
「結局、意趣返しってことですか。それにしてはあまりに悪趣味な」
「積もり積もったツケがあるからね」
「私は、ハイエナのようにセンセーショナルな話の種を漁って、罪悪感と惨めさに蝕まれながら生きていくくらいなら、餓死を選びますよ」
「そう言って、センセーショナルな話の種をでっちあげてたりとかしてるじゃない?」
「誰が。私は誰にもおもねることなく真実のみをお伝えする清く正しい文々。新聞の責任者ですよ」
「そうかなぁ……」
「私は誇り高い新聞記者です。天狗である前に」
いつも言葉にしているプライドが、今はなんだか頼りなく聞こえて、文は自分の言葉だというのに不安になる。
「……」
寄る辺無さに襲われる文を、フランドールは目を細めて見ていた。
「本当にそう思っているのか、鼓舞しているのかわからないけど、文屋さんのそういう虚勢は可愛くて大好き」
「……なんなんですか? 貴方たちは」
「たちって?」
「貴方のお姉様もそうですが……貴方たちの話は全く意味がわからない」
「でしょうね。あんたごときに理解されたら困るわ」
「……」
フランドールは目を瞑って微笑んで、足をぱたぱたとばたつかせて言う。
「私は結構好きよ。文屋さんの新聞。そこに矜持があるとしたら、読む方の感慨も更にひとしおね」
「……この流れで突然褒められても、戸惑うだけですねぇ」
そうだった。そういえばこの人はこの館で唯一自分の新聞をまともに読んでくれている人だった。普通に内容を褒めてくれたりもする。その褒め方は7割くらい意味不明だけど。
果たして上客を失うことと狂人の話に付き合わされるのとではどっちがよりデメリットが少ないのだろうか、文は本気で考える。
「でもね」
じいっと、フランドールは文の顔を見つめる。
「その娘は結局、親にも相手の医学士にも見捨てられて、身元不明の名も無き骸として葬られてしまった。その新聞記事にだけ、名を残してね」
「……え」
「果たして、ハイエナのようにセンセーショナルな話の種を漁ることは絶対悪かしら」
文の返事を待たずに、
「八雲紫のスペルカードを見る度に、この話を思い出してみるといいわ。おまけに格好のパラソルも付いてる」
フランドールはそう言って話を結んだ。
文は頭の中をぐちゃぐちゃにかき混ぜられたまま、半ば思考停止してフランドールをまじまじと見つめる。
ふと、フランドールの手にある本に目が行った。
「……なにかの、小説のお話ですか?」
そういえば前も、なにかの小説に出てくる喩えで振り回された気がする、と文は思い出した。
「あら。気づいてくれたのね」
フランドールが目をきらきらと輝かせて弾んだ声を上げる。
「読む?」
「読みません」
「えぇ、読んでよう」
ぷくー、と頬を膨らませた。
「貴方の読む小説、全部悪趣味じゃないですか」
「それはそうね。でも、読んでくれたら嬉しいのだけど」
「嫌です」
フランドールが、手元の本の背表紙をそっと指で擦る。
「こんなところにいると、文筆に携わるひとと話す機会が無くてね」
フランドールの声色には、どこか寂しさが滲んでいた。
「文屋さんと、好きな本や文章について話せたら、楽しいだろうなって思ったの」
そう感じたのは、文の勘違いだったか。
「そう、何が言いたかったかっていうと、私は考える人の書く文章が好きなの。だから、考え続けてね」
「……」
「あなたの目に映る世界を描きたいのなら。あなたは単なるカメラではないのだから」
結論まで至っても訳の分からない不条理な話に、文は盛大な溜め息を吐く。
「意味がわかりませんね。そんなこと言われなくたって私はいつも考えてます。いかにして真実をモノにして、人様を驚かせてやろうかとね。勿論、不幸話は抜きで」
フランドールは微笑んで返す。
「それでいいのよ。私が言ってるのは、ずっと退屈させないでね、ってこと。そのためならこの館のやつらなんていくらだって記事の種にしてやっていいわ。だって、」
あなたの書く新聞が好きだから。
なんて、自分のキャラ的に言えないなあ、と思ってフランドールはそこで留めた。
「…………だって?」
「なんでもなぁい」
「…………はぁ……そうですか……」
やっぱりこの吸血鬼あたまおかしい。
文は頭痛に悩まされながら、この部屋に入り込んでしまったことを毎度のことながら後悔する。
欲しい言葉を伝えてもらえなかった不幸さには終ぞ気づかず。
然してその頭のおかしい吸血鬼は、お気に入りの小説の魅力をお気に入りの妖怪に伝えられなかったことを口惜しく思いつつ、なんだか良い気分になって陽気に羽根と足をばたつかせていた。
文の新聞の事が好きって伝えるだけなのにめちゃくちゃ回りくどくてそれがフランちゃんっぽくて最高でした。
文もフランちゃんにペースを握られっぱなしで普段の調子が出せていないのが可愛くて本当に良かったです。
そして最後の最後にデレに持っていく展開がお見事でした。
面白かったです、ありがとうございました。