「ねぇフランちゃん、もし朝起きて毒虫に成ってたらどうする?」
私がレタスをバリバリ音を立てて咀嚼しているときに、こいしはそんな事を訊いてきた。レタスを呑み込んで、質問に答える。
「まず、私は朝には起きない」
「あー、そういえばフランちゃんって吸血鬼だったね」
忘れてたのか。無意識で考えてたらそういう事もあるのかもしれない。
「そして、毒虫になってても何も変わらないと思う」
「何も?」
「何も」
「まぁ、フランちゃんはそうだろうねぇ」
こいしは“は”の部分を強調して、そんな事を言った。
「他の人が変わるって?」
「話がはやいなぁ」
私は黒パンを齧りながら、話の続きを待った。すると、フォークを持ったこいしの手が伸びてきて、カプレーゼを勝手に食べ始めた。
「えっと、それでね」
「食べ終わってから話して」
「わかった」
私はこいしの食事を観察してみた。スライストマトと、小さく千切られたモッツァレラチーズを交互に食べている。時々パンでドレッシングを拭っては、それを口に運んでいた。
「そんなに見られると、恥ずかしいな」
「心が無いのに恥ずかしいの?」
「心が無くても恥ずかしいの」
こいしはぱくぱくと健啖に食べ終え、ナプキンで口周りを拭いた。それでもちょっと汚れが残っていたから、私がハンカチで拭いた。
「それで、何だったっけ」
「他の人の反応について」
「そうそう、ソレだ。フランちゃんが変わったら、他の人が変わるって話」
ワインの瓶を持って、開けていい?と暗に訊くこいし。構わないとアイサインで答えると、ソムリエナイフでコルクが抜かれた。
ワイングラスは一つしかなかったけど、こいしは瓶から直接飲むようだった。手に持ったグラスから、それなりに芳醇なワインの香りがする。黒パンを齧って、少しだけ飲んだ。
「だって、毒虫に成ったんだよ。そりゃ、周りは困惑するでしょ」
「そうかな。少なくとも、アイツはそれも運命だ、とか言うと思うよ」
それは確信を持って言える。アイツは、何かしら面白いものがあると、これは私が運命で引き寄せたのだ、とのたまうのだ。
「ちなみに、それっていっきに毒虫になるの?じわじわなるの?」
「そこまでは考えてなかったなー」
そう言って、ワインで口を湿らせるこいし。どうやら、頭に思いついた質問を投げてみただけらしい。いざその特異な状況を考えるのなら、進行具合も重要だろう。
「じゃあ、最初は下半身だけ毒虫になってて、後からじわじわって感じで」
それはすっかり毒虫に成っているより、ずいぶん残酷に思えたが、まぁいい。
問題は、私は毒虫になる前から暗くてジメジメしたような場所が好きだということだ。だから、毒虫になっても何も変わらない。
「でも、メイドさんとかは吃驚するんじゃない?」
「いや、咲夜は驚かないよ」
あら、虫になってしまったのですね、お体に気をつけて、とか言いそうだ。咲夜も、アレはアレで飛んでいる方だ。だからこそこんな館に仕えているのだろうが。
「じゃあ、ほんとに何も変わらないのね」
「変わらないねぇ」
グラスを傾け、一息に乾した。もう一杯飲んだら、こいしがずっと瓶を持っていたからか、ワインはぬるくなっていた。
———
そんな会話をしたからだろう。私はその朝、夢をみた。
夢の中で、私は毒虫に成っていた。始まりは棺桶を出たところだった。どうやら下半身だけじゃなくて、全身がすっかり虫のものに成り替わっているようだった。
まずは、複眼で見る景色に慣れなければいけなかった。あまりに視覚情報が多すぎて、それなりに困惑した。なんとか慣れたあと、外骨格を動かす訓練をした。それは妙な感覚で、ただ骨を動かすよりも難しく感じた。
そうして、すっかり虫の身体に慣れてしまったので、外に出ることにした。
ドアを開けるのに少々難儀して、やっと隙間ができたので這い出るようにして部屋を出る。六本の脚を動かすたびに、カチャカチャと擦れた音がした。腹、というより脚の接合部分にカーペットの感触を感じた。
そして、ドアがあった。アイツの部屋だ。
少し考える。もしかしたら、入って来た虫が私だと判らないかもしれない。汚い存在だと、潰してしまうかもしれない。それでもいいかと、ドアを開けようとした。
「あら、フラン」
目の前でドアが開き、お姉様が顔を出した。
私は部屋に招き入れられた。椅子に座ることは出来なかったけど。お姉様は咲夜を呼んで、私用のお茶菓子を持ってこさせた。それはちょっと腐りかけて、ドロドロと液状化した部分のある野菜だった。普段なら顔を歪めるような醜悪な臭いがくるハズなのだが、今の私には、その腐りかけの野菜はひどく美味しそうに見えた。
「おぉ、食ってる食ってる。美味しい?」
返事は出来なかった。虫の口では声を出せないから。
———
館を這いずり回り、ふとこいしに逢いたいと思った。いつもなら絶対に思わない事なのに、こんな状況になってから思ってしまった。多分、毒虫になった私を見たこいしが、どんな反応をするのか見たいのだろう。そう分析した。
だが、何処に行っても、こいしは見つからない。もしかしたら今日は来てないのかもしれない。別にいいか、と思って、地下室に帰ることにした。
階段を降りると、ドアが全開になっていた。私が出ていった時は少し開けただけだったから、誰かが来たのかもしれない。部屋を覗くと、こいしが立っていた。私は全力で這って、こいしの前に出ようとした。どうしてこんなにこいしに見てもらいたいのか、自分でも解らなかった。こいしが私を見た。
———
目が覚めたとき、私は手に違和感を覚えた。いや、それは手だけではなかった。足も胴体も同様だった。ひどく、動かしづらい。夢の続きを見ているのかと身構えると、違うということがすぐにわかった。
こいしが、寝ている私にぴったり重なるようにして眠っていた。私の腕にはこいしの腕が載っていて、私の脚にはこいしの脚が載っていた。そして、唇があわや重なりそうなところで静止していた。
「重い」
力任せに投げ飛ばすと、こいしはふぎゃ、とか言いながら床に落ちた。
「あ、おはようフランちゃん」
「おそよう」
こいしは何が可笑しいのか、ぽやぽやとした笑顔を浮かべていた。それが何だか嫌だったので、私は質問をしてみた。
「こいし、もし私が毒虫になってたら、貴女はどうする?」
こいしは顎に手を当て、考え込むような素振りを見せる。それは一瞬だけで、すぐにまた笑顔に戻った。
「何も変わらないね、うん」
「そう」
私がレタスをバリバリ音を立てて咀嚼しているときに、こいしはそんな事を訊いてきた。レタスを呑み込んで、質問に答える。
「まず、私は朝には起きない」
「あー、そういえばフランちゃんって吸血鬼だったね」
忘れてたのか。無意識で考えてたらそういう事もあるのかもしれない。
「そして、毒虫になってても何も変わらないと思う」
「何も?」
「何も」
「まぁ、フランちゃんはそうだろうねぇ」
こいしは“は”の部分を強調して、そんな事を言った。
「他の人が変わるって?」
「話がはやいなぁ」
私は黒パンを齧りながら、話の続きを待った。すると、フォークを持ったこいしの手が伸びてきて、カプレーゼを勝手に食べ始めた。
「えっと、それでね」
「食べ終わってから話して」
「わかった」
私はこいしの食事を観察してみた。スライストマトと、小さく千切られたモッツァレラチーズを交互に食べている。時々パンでドレッシングを拭っては、それを口に運んでいた。
「そんなに見られると、恥ずかしいな」
「心が無いのに恥ずかしいの?」
「心が無くても恥ずかしいの」
こいしはぱくぱくと健啖に食べ終え、ナプキンで口周りを拭いた。それでもちょっと汚れが残っていたから、私がハンカチで拭いた。
「それで、何だったっけ」
「他の人の反応について」
「そうそう、ソレだ。フランちゃんが変わったら、他の人が変わるって話」
ワインの瓶を持って、開けていい?と暗に訊くこいし。構わないとアイサインで答えると、ソムリエナイフでコルクが抜かれた。
ワイングラスは一つしかなかったけど、こいしは瓶から直接飲むようだった。手に持ったグラスから、それなりに芳醇なワインの香りがする。黒パンを齧って、少しだけ飲んだ。
「だって、毒虫に成ったんだよ。そりゃ、周りは困惑するでしょ」
「そうかな。少なくとも、アイツはそれも運命だ、とか言うと思うよ」
それは確信を持って言える。アイツは、何かしら面白いものがあると、これは私が運命で引き寄せたのだ、とのたまうのだ。
「ちなみに、それっていっきに毒虫になるの?じわじわなるの?」
「そこまでは考えてなかったなー」
そう言って、ワインで口を湿らせるこいし。どうやら、頭に思いついた質問を投げてみただけらしい。いざその特異な状況を考えるのなら、進行具合も重要だろう。
「じゃあ、最初は下半身だけ毒虫になってて、後からじわじわって感じで」
それはすっかり毒虫に成っているより、ずいぶん残酷に思えたが、まぁいい。
問題は、私は毒虫になる前から暗くてジメジメしたような場所が好きだということだ。だから、毒虫になっても何も変わらない。
「でも、メイドさんとかは吃驚するんじゃない?」
「いや、咲夜は驚かないよ」
あら、虫になってしまったのですね、お体に気をつけて、とか言いそうだ。咲夜も、アレはアレで飛んでいる方だ。だからこそこんな館に仕えているのだろうが。
「じゃあ、ほんとに何も変わらないのね」
「変わらないねぇ」
グラスを傾け、一息に乾した。もう一杯飲んだら、こいしがずっと瓶を持っていたからか、ワインはぬるくなっていた。
———
そんな会話をしたからだろう。私はその朝、夢をみた。
夢の中で、私は毒虫に成っていた。始まりは棺桶を出たところだった。どうやら下半身だけじゃなくて、全身がすっかり虫のものに成り替わっているようだった。
まずは、複眼で見る景色に慣れなければいけなかった。あまりに視覚情報が多すぎて、それなりに困惑した。なんとか慣れたあと、外骨格を動かす訓練をした。それは妙な感覚で、ただ骨を動かすよりも難しく感じた。
そうして、すっかり虫の身体に慣れてしまったので、外に出ることにした。
ドアを開けるのに少々難儀して、やっと隙間ができたので這い出るようにして部屋を出る。六本の脚を動かすたびに、カチャカチャと擦れた音がした。腹、というより脚の接合部分にカーペットの感触を感じた。
そして、ドアがあった。アイツの部屋だ。
少し考える。もしかしたら、入って来た虫が私だと判らないかもしれない。汚い存在だと、潰してしまうかもしれない。それでもいいかと、ドアを開けようとした。
「あら、フラン」
目の前でドアが開き、お姉様が顔を出した。
私は部屋に招き入れられた。椅子に座ることは出来なかったけど。お姉様は咲夜を呼んで、私用のお茶菓子を持ってこさせた。それはちょっと腐りかけて、ドロドロと液状化した部分のある野菜だった。普段なら顔を歪めるような醜悪な臭いがくるハズなのだが、今の私には、その腐りかけの野菜はひどく美味しそうに見えた。
「おぉ、食ってる食ってる。美味しい?」
返事は出来なかった。虫の口では声を出せないから。
———
館を這いずり回り、ふとこいしに逢いたいと思った。いつもなら絶対に思わない事なのに、こんな状況になってから思ってしまった。多分、毒虫になった私を見たこいしが、どんな反応をするのか見たいのだろう。そう分析した。
だが、何処に行っても、こいしは見つからない。もしかしたら今日は来てないのかもしれない。別にいいか、と思って、地下室に帰ることにした。
階段を降りると、ドアが全開になっていた。私が出ていった時は少し開けただけだったから、誰かが来たのかもしれない。部屋を覗くと、こいしが立っていた。私は全力で這って、こいしの前に出ようとした。どうしてこんなにこいしに見てもらいたいのか、自分でも解らなかった。こいしが私を見た。
———
目が覚めたとき、私は手に違和感を覚えた。いや、それは手だけではなかった。足も胴体も同様だった。ひどく、動かしづらい。夢の続きを見ているのかと身構えると、違うということがすぐにわかった。
こいしが、寝ている私にぴったり重なるようにして眠っていた。私の腕にはこいしの腕が載っていて、私の脚にはこいしの脚が載っていた。そして、唇があわや重なりそうなところで静止していた。
「重い」
力任せに投げ飛ばすと、こいしはふぎゃ、とか言いながら床に落ちた。
「あ、おはようフランちゃん」
「おそよう」
こいしは何が可笑しいのか、ぽやぽやとした笑顔を浮かべていた。それが何だか嫌だったので、私は質問をしてみた。
「こいし、もし私が毒虫になってたら、貴女はどうする?」
こいしは顎に手を当て、考え込むような素振りを見せる。それは一瞬だけで、すぐにまた笑顔に戻った。
「何も変わらないね、うん」
「そう」
何気ない会話群や食事風景に、信頼感というかいい意味でお互い力を抜いて接している感じが出ていて、とても好きなこいフラでした。
紅魔館は、というか幻想郷は常識外れの奴が多いでしょうから、確かに虫に変身したくらいでは態度が変わらなそう。
まずもってカフカを下敷きにこいフラを描くっていうコンセプトの時点で結構好きです
レミフラもちゃっかり挟んでくるのは助かるしずるい。そしてこの何があっても誰もが動じなさそうな空間がこれぞ求めていた幻想郷という味わいで素晴らしいかと思います。
ありがとうございました。御馳走様でした。好きです。
動じないレミリアたちがそれらしかったです
楽しませて頂きました。
カフカの『変身』の作中で主人公のグレゴール・ザムザくんは最初虫になった時に部屋の鍵を開けようとしなかった訳ですが、フランちゃんはそんな事お構い無しに『それでもいいか』ですよ、好き。
登場人物の良さが抽出されきった、ザ・短編な話でした。面白かったです。