一
翠色の髪が風にそよいだ。
春の陽だまりのなかで幽香の紅い瞳が彩度を淡くして柔和に細まる。
きめ細やかな手のひらが膝の上の少女の金髪を静かに撫でる。少女の頭の上の紅いリボンが揺れる。
桜の花びらがはらはらと零れ落ち、少女の黒い服を薄桃で染めていく。
「春ねえ……」
愛しそうに少女を撫でながら、幽香は幸福そうにため息をついた。
幻月は言った。
「誰よその女!」
二
「誰よその女!」
誰よその女……誰よその女……誰よその女……。
見知らぬ少女の弾けた鈴のような言葉がメディスン・メランコリーの耳介を突き刺し外耳道を通り抜け鼓膜を叩き槌骨・砧骨・鐙骨を震わせ蝸牛を蹴り上げて聴神経を潜り大脳そして聴覚中枢へと到達した。
メディスンは衝撃を受けた。
「(“誰よその女”。確かにそうだ。私は一体誰であるのか? メディスン・メランコリー。それはそうだ。メディスン・メランコリーとは誰であるのか? それは私だ。では私とは? こんなものは堂々巡りでしかない。私が誰であるのかなど誰も保証しない。しかし私自身の自我は私に依る。誰も私の自我を認められなくても私だけは認めることができる。あー、コギト・エルゴ・スム。コギト・エルゴ・スム。コギト・エルゴ・スム。流れ星が流れますように! 流れ星が流れますように! 流れ星が流れますように! コギト・エルゴ・スム。この子がなんと言おうと私は私。メディスン・メランコリー。それは一方方向だが有効だ。有効なんです。わかったか。ええっ……)」
幽香が目を見開いて明らかに動揺の色が含まれる音声を発する頃にはメディスンはふくれ面になっていた。
「幻月……。こっちに……来られるようになったの……」
「ふん、今日は、たまたまよ。僥倖なのよ。運が良かったのよ」
桜の中でメディスンを膝に抱き風呂敷に座っている幽香の前で、幻月はいっそ背中の羽を誇示するように腕を組んで宙に浮かび、幽香を見下ろしていた。
金色の瞳がぎょろりとメディスンに向けられる。
金髪……紅と黒を貴重とした服装……紅いリボン……これらの特徴……。
幻月はぎょろりと瞳の矛先を幽香に戻した。
「………………ずいぶんと……」
幻月は、言いかけて、やめた。──私は嫉妬や憤怒を口にするためにここまでやってきたのではない……。かぶりを振ると、続きを変更して言った。
「……久しぶりじゃない?」
「そうねぇ」
幽香が動揺していたのはほんの一瞬きりで、もう元ののんきかつ隙のない雰囲気に戻っていた。
「夢月は?」
「お留守番よ。どっちかが残っていないと、世界を維持できないんだって。それでいつもは私がお留守番だったから……」
「たまには、って、出してもらえたわけ?」
「ま、ね……」
「よかったじゃない」
「会えてうれしい?」
「うれしいわ」
「なら、いいんだけど……」
どこか釈然としない様子で、幻月は幽香を見たり、メディスンを見たり、地面を見たりした。メディスンは、幽香がげんげつと呼んだこの子が世界の維持だとか言って、いったいどういったスケールの生活をしているのか気になった。
「あ。そうそう」
思い出したように言いながら幻月が宙に手をかざすと、幻月の手にかわいらしいラッピングの袋がどこからともなく発現した。
「夢月からクッキーを託されてきたの。再会を祝してお茶会にしましょうよ」
「…………」
幽香は渋い顔をした。
嫌な予感がして幻月の表情がこわばった。
「なによ……」
「いやその」
幽香は、ものすごく言いづらそうに言った。
「このあと、アリスとお茶会する予定があって……」
幻月は爆発した。
「誰よアリスって!」
三
結局、幽香はアリスとの先約を優先して、桜の下に幻月とメディスンと風呂敷を残し去ってしまった。
「日が落ちる頃にはここに戻るから〜。ほんとごめんねぇ幻月。じゃあとでね」
メディスンは衝撃を受けた。
「(ゆ、幽香が謝った)」
「なにが、じゃあとでね、よ!」幽香が去っても幻月はまだ爆発していた。「私がどんなに苦労してこっちまで来たと思ってるのよっ。何人の目を盗んで来たと思ってんのっ。ばかばかっ。ありえないっ。ふざけんなっ。原子の霧にしてくれるわっ」
知らない人が怒っているところというのはあまり見たくないものだ。怖いし特に用もないのでメディスンはもう帰ろうと思った。
だが、次の瞬間にはメディスンの目の前に幻月が立っていた。コマ落ちした映像みたいに不自然な現象だった。
意外と背が低いな、とメディスンは思った。現実逃避だった。
「あんな友達甲斐のないやつもうしらないっ。あんた、誰だかしらないけど、クッキー食べない? あいつに食わせたくなくなっちゃったわ。二人で食べちゃおう」
「いいの?」対象への恐怖とクッキーへの興味の狭間でおそるおそるメディスンは言った。「幽香に渡すために持ってきたんじゃないの」
「いいの」
眉を寄せた複雑な笑みを浮かべながら幻月はラッピングを乱暴にほどいた。メディスンの隣に座ると、ひとくちサイズのクッキーを口に放り込んで、さくさくと咀嚼し、袋をメディスンに差し出した。
「ほら。ふたりぶんだから。私一人には多いわ」
確かに、袋の中身はぎっしりとしていて、全部食べるとなると夕飯前に腹が膨れてしまいそうだった。
幻月はこう付け加えた。「私は幻月ですわ。まぼろしのつきと書きます」
「まぼろし」メディスンはまじまじと幻月を見た。実体がありそうに見えた。「幽霊なの?」
「悪魔なの」
「ふーん」
幻月の背中にあるふわふわとした綿菓子のような白い羽はどちらかといえば天使のようだったが、メディスンは天使も悪魔もよく知らなかったので別段どうとも思わなかった。
メディスンは幻月の隣に座りなおした。
「私はメディスン・メランコリー。人形開放運動をしているわ」
「人形開放運動をしているメディスン・メランコリーね」メディスンの言ったことをなぞるようにして言ってみてから、幻月は頭を掻いた。「だめだ、絶対覚えらんないわ。メディでいい?」
メディスンはクッキーを手に取った。チョコチップが入っていたのでメディスンは少しお得な気分になってニマニマとした。
「いいよ」
「人形開放運動ってなに?」
「私達人形は人間に精神的にこき使われて辟易してるのよ。だから人間の手から人形を開放するの。奴隷でいるのをやめ、自由を得るのよ」
「メディは人形なんだ」
「うん」
「大変なのね」
「うん……」
「幽香とは……」幻月はあまり言いたくなさそうに言った。「知り合い……なの?」
「まあ……」メディスンはかじったクッキーを飲み込んだ。「そうね」
「あまり、あいつと親しくしないほうがいいよ」
「どうして?」
「友達をほっぽり出して勝手にどっか行っちゃうような奴だからよ」
低く細く這うような声色で幻月は言った。
泣くんじゃないか、とメディスンは思った。
だが幻月は眉を潜めているだけだった。
メディスンはやはりおそるおそる言った。
「……ほっぽり出された友達って、幻月?」
幻月はクッキーを噛み砕いた。
「そうよ」
幻月はクッキーを噛み砕いた。
「あいつは捨てたのよ」
幻月はクッキーを噛み砕いた。
「私を捨て、夢月を捨て、エリーを捨て、くるみを捨て、館を捨て、世界を捨てた!」
幻月はクッキーを噛み砕いた。
メディスンの脳髄を、迫力、という二文字が埋め尽くした。
幻月はクッキーを飲み込み、息を吐いて、吸って、吐いた。
「でも、いいの。自由にできるなら、自由にするべきだもの。メディ、あなたが人形を開放するのと同じようにね」
風呂敷の上に散り落ちた桜の花びらを指で弄びながら、ゆっくりと幻月は言った。メディスンのなかで幻月が“いいやつ”カテゴリに入れられた瞬間だった。
メディスンは、幻月は喋りたそうだから喋らせてやろう、と思い、人形開放運動については語らず黙って幻月の話を聞くことにした。
幻月は続けた。
「あいつの役割はあいつの残滓の人魂が受け継いだ。だからあいつがいなくなっても私たちはぜんぜんへーき。何も問題はない。でも……」
弄んでいた桜の花びらを宙に放す。風に拾われて飛んでいく。他の花びらにまぎれ、どれだかわからなくなってしまう。
「でも……そういうことじゃないのよね………」
数多の薄紅色の花弁が空を包んで、降りしきり、二人の肩やスカートの窪みにペタペタと落ちる。
幻月は言った
「気持ち悪い。なぜ、こんなにピンク色にする必要があるのかしら。七色に光ってたら面白いのに。においもヘンだし」
メディスンは、桜を気持ち悪いと評する幻月の精神に驚嘆し、心中で賞賛した。いいんだ、と思った。
「ねえメディ」
「ん」
「いまって、春ってやつなんでしょ」
「そうだけど。春を知らないの」
「夢幻世界は季節なんてないのよー。ずっとちょっと寒いのよ」
「過ごしやすくてよさそう。ここはね、もうすぐ、この桜が全部落ちる頃には狂ったように暑い夏が来るわ」
「大変なのね」
「うん。衣替えもしないといけないし」
「衣替えなんて、したことないわ、私」
「引きこもりなんだ」
「そう……」
幻月は目を細めて空を見上げた。そしてその横顔をメディスンは見た。悪魔の横顔……金髪……紅と黒を貴重とした服装……紅いリボン……これらの特徴……。メディスンは自分の自我について強く想った。幻月を見ているとなぜだかそうしなければならないような気がした。
「幽香と二人でいるのを邪魔しちゃったわね」
眉を寄せた複雑な笑みを浮かべて幻月は言った。メディスンは首を横に振った。
「ううん。いいの。今日はたまたま会っただけだから」
「あいつ、気まぐれだから、付き合うの大変でしょ」
「そうかなぁ」
メディスンは断言を避けた。幽香を気まぐれと断ずるほどに深い付き合いでも長い付き合いでもないし、また人形経験において自分は他人の人格を論じることができるレベルに達していないと思った。
メディスンは幽香のことを本気で“知り合い”だと思っていた。
幻月は目を閉じ、眉間の皺をいっそう深くして、震えた声を喉の奥から発した。
「私って……」
言葉が詰まる。会話が止まる。桜のさざめく音だけが聞こえる。今日知り合ったばかりのメディスンに、続く言葉を押し測れるはずがない。
幻月はメディスンの方を向いて、はっきりと言った。
「クッキーおいしい?」
「うん」急に話題を変えた幻月に戸惑いながらもメディスンは適応した。「おいしいよ。チョコチップすき」
「ふふ。よかった」
幻月は微笑んだ。
「夢月って言ってね。双子の妹なんだけど。そいつが作ったの。メディがおいしいって言ってたって伝えたらきっと喜ぶわ」
「そうかなぁ……」
メディスンは断言を避けた。会ったこともない“メディ”のひとことふたことの感想を夢月というやつは果たして喜ぶだろうかと思った。
「夢月はずっとメイド服着てるの。メイドの仕事してるわけでもないのに。全然メイドじゃないのにずっと着てるの。変よね。きっとヘンタイなんだわ」
メイド服を着てる奴はヘンタイなのかな、とメディスンは思った。
そういえば前に会ったメイド服を着たやつの言動は、毒のパワーがマックスのスーさんを指して“美味しいお茶が作れそう”などと言い出すいかにもヘンタイのそれだったな、と思った。
メディスンの頭蓋の中でメイド服とヘンタイがイコールで結び付けられたのと同じ時、メディスンはスーさんの存在と永遠亭との契約を思い出した。
四
日が落ちる。
五
「おや」
薄紅色の桜の花弁は暗い青に沈殿しながら漂っている。膝を抱えて不愉快そうに風呂敷に座っている幻月の目の前にふわりと降り立つと、幽香はきょろきょろと辺りを見回した。
「メディスンは?」
幻月は唇を尖らせた。
「私を待たせといて開口一番がそれなわけ?」
「ご機嫌斜めね」
「メディなら帰ったわ。スーさんがもうすぐ満開になるから、採取の準備をしなきゃいけないんだって。スーさんって知ってる?」
「知ってるわ」
「鈴蘭の毒のことよ」
「知ってるって」
「鈴蘭の毒をスーさんって呼んで慕ってるんだって。毒を擬人化して愛しているんだわ。すごい感性よ。メディって毒を操れるんだってね」
「………………」
「あんた、よく今まで毒殺されずに生きて来られたわね」
知ったばかりの知識を口に出して脳に保存しようとする幻月の動きはメディスンに少し似ていると幽香は思った。メディスンと話していると時折強い既視感を覚えることがあったが、その源流が幻月にあると気付き、幽香は一人得心した。
「(無知ゆえの探究心の強さが共通しているんだわ)」
幽香は幻月の隣に座った。
「私がつよーいこと知ってるでしょ。あいつの毒なんかじゃ死なない、死なない」
ニコニコと幽香がそう言うと、幻月は俯いた。
「少しくらい、死んだほうがいいのよ」
棘のある、落ち着いた、厭な口調だった。幽香は、幻月の美しい憂い顔に見惚れた。
幽香は幻月の悪魔性と天使性をカラメルソースで煮詰めたような甘ったるい顔面が憂鬱に翳るその一瞬の退廃的な美しさを愛していた。
「アリスって」幽香を見ずに幻月は言った。「誰なの?」
「面識ないんだっけ? 魔界から来た人形遣いのお嬢さんよ」
「魔界ってなに?」
「…………」
幽香は頭の後ろで手を組んで、ぼすっ、背中から風呂敷に倒れ込んだ。
「あんたの教育を夢月ひとりに任せたのは失敗だったわねぇ」
「なにいってんのよ。私が夢月を教育してんじゃない」
「はいはい、幻月お姉様」
軽口を叩く幽香に、幻月は文句を言おうと思ったが、ほかに思いついたことがあったのでそちらを言うことにして、ニタニタとした笑みを浮かべた。
「当ててあげようか?」
「なにを?」
「アリスってやつ……」幻月はニタニタとした笑みを横たわる幽香に向けて、金色の瞳をギラギラとさせた。「金髪でしょ」
「…………なんでそう思うの?」
「そして、紅いリボンをしている」
「なんで?」
「……」幻月は幽香から顔を背けた。「メディがそうだったから」
「それは、あんた……」眩しいものを見るように幽香は目を細めた。「……私のこと意識しすぎでしょ」
「意識もするでしょう!」
吐き捨てるように幻月が言った。
「あんた、何も言わずに出ていっちゃうんだもん! それが、私と似たような子とばっかりつるんでたら、私はいらなくなったんだな、私は、おもちゃだったんだな、とか思うでしょ!」
「おもちゃよ」
にべもなく幽香は言った。
「幻月あんたもメディスンもアリスも、みーんなおもちゃよ」
幻月は絶句した。
幽香は続けた。
「あんただって同じでしょ。私をおもちゃだと思ってるし、世界をおもちゃ箱にして遊んでるでしょ」
「私はいいのよ」
「なんでよ」
「夢月がいいって言ってるから」
幽香は絶句した。──この横暴さ!
「(無垢にもほどがあるわ……幻月……)」
「私の代わりなんて誰にも務まらないとわかることだわ、幽香」
「似てないって。メディスンは瞳が青くて髪も小麦色だし。アリスはリボンじゃなくてカチューシャだし服は青系よく着てるし。あんたはストレートだけど他の二人はウェーブがかっているし。羽生えてるのあんただけだし」
「…………」
「言っているでしょ。あんた私を意識しすぎ」
「…………」腹の底で幻月は低くか細い声で言った。「非道い……」
今に始まった話か? と幽香は思い、苦笑をした。
「何も言わずに出て行って。久しぶりに会えたと思ったら知らない誰かと一緒にいて。お茶に誘ったら断った上にまた別の知らない誰かのところに行っちゃって。こんな気持ち悪いところでいつまでも待たせて。挙げ句の果てにやっと二人になれたら説教ばっかり! あーいやだ! やはり原子の霧になるべきだわ! あんたなんて!」
「ちょっと待って」むくり。幽香は上体を起こした。「どこが気持ち悪いところだって? なにが気持ち悪いっての?」
「花」
「花が……?」
「なんか、ふわふわしてていっぱいあって気持ち悪いじゃない。弾幕に囲まれる方がマシよ」
「あんた……」
幽香は幻月の感性にケチをつけようと思ったが、やめた。優雅じゃないし、“あんたは説教ばっかり”という説教を受けたばっかりだ。もっとうまいやり方があるだろう。そう、例えば……。
「気持ち悪いって思う時はね、観察すれば気持ち悪いだけじゃないのよ。たとえば、虫の……いいわ。幻月、あんたがお花以外で気持ち悪いって思うものってある?」
「幽香」
「……………………」
幽香は黙ってしまった。
気持ち悪いものはよく見れば美しくも見えるものだ、と続けようとしていたからだ。
“そう、この私のようにね”と自信満々で続けてもよかったのだが、その時の幻月の表情の気味悪さと美しさの頂点を射抜いた底知れぬ魅力の前に、なにも言えなくなってしまったのである。
夜桜が月光を受け、輝き、花びらは降りそそぎ続けていた。
六
「なんであんたこんなところに長居してるの?」「こっちにはいつ帰ってくるの?」「私がなんのためにわざわざ会いに来たと思ってんの?」──そういったことばを幻月が幽香に半ば駄々っ子のような様子で浴びせかけ、その度に幽香が、
「うん」
とか、
「いやあ」
とか、
「まあその」
とかいった、はっきりしない返答をする、というやり取りを繰り返しているうちに、幻月はうとうとと眠りについてしまった。
幽香は幻月を膝枕してあげて、月の光がよく透き通る金髪を撫でた。
「(悪魔なんだから、夜なんて一番活発そうなのに。昼から現れてたし、徹夜なのかしら)」
すうすうと寝息を立てる幻月は実に可愛らしい。幽香は顔を綻ばせた。
「(それとも、幻想郷の風土が肌に合わなかったのかな)」
幻月の存在は、今日に限って言えば、不自然だった。周囲の桜だけでなく、遠くの山や、空や、メディスンからも、どこか剥離しているようで、浮遊しているようで、まるで編集ソフトで無理やりねじこまれたようだった。
「(それならば、私、尚更帰るわけにはいかないわ)」
幻月の言い放った“僥倖”という単語がリフレインされる。きっと、夢月が留守番してくれている、というのはウソなのだろう、と幽香は思った。過保護な夢月が、おいそれと幻月を夢幻世界から出すわけがない。クッキーだって、幻月ひとりのために作ったのだろう。
幽香は思った。──やっぱり幻月は夢月といるのが相応しいわ。私は喋りすぎてしまう。なにも教えない夢月と二人で一緒に引きこもっているからこそ、幻月の無垢さは保たれるのだから──。
「私、あなたを信仰しているのよ……」
幽香は幻月の髪をかきあげると、額に口づけをした。
夜桜の香りに乗って、懐かしい匂いが漂ってくる。
幻月とよく似た旧い匂い。
今日はじめて嗅ぐ旧い匂い。
きっと、夢月が幻月を迎えに来たのだ。
幻月が夢月のもとに帰ったら、次はいつ会えるか果たしてわからない。
幽香は、それでこそ、今日の出来事を尊ぶこともできる、と心に誓った。
夢の終わり。
幽香は目を閉じた。
【了】
翠色の髪が風にそよいだ。
春の陽だまりのなかで幽香の紅い瞳が彩度を淡くして柔和に細まる。
きめ細やかな手のひらが膝の上の少女の金髪を静かに撫でる。少女の頭の上の紅いリボンが揺れる。
桜の花びらがはらはらと零れ落ち、少女の黒い服を薄桃で染めていく。
「春ねえ……」
愛しそうに少女を撫でながら、幽香は幸福そうにため息をついた。
幻月は言った。
「誰よその女!」
二
「誰よその女!」
誰よその女……誰よその女……誰よその女……。
見知らぬ少女の弾けた鈴のような言葉がメディスン・メランコリーの耳介を突き刺し外耳道を通り抜け鼓膜を叩き槌骨・砧骨・鐙骨を震わせ蝸牛を蹴り上げて聴神経を潜り大脳そして聴覚中枢へと到達した。
メディスンは衝撃を受けた。
「(“誰よその女”。確かにそうだ。私は一体誰であるのか? メディスン・メランコリー。それはそうだ。メディスン・メランコリーとは誰であるのか? それは私だ。では私とは? こんなものは堂々巡りでしかない。私が誰であるのかなど誰も保証しない。しかし私自身の自我は私に依る。誰も私の自我を認められなくても私だけは認めることができる。あー、コギト・エルゴ・スム。コギト・エルゴ・スム。コギト・エルゴ・スム。流れ星が流れますように! 流れ星が流れますように! 流れ星が流れますように! コギト・エルゴ・スム。この子がなんと言おうと私は私。メディスン・メランコリー。それは一方方向だが有効だ。有効なんです。わかったか。ええっ……)」
幽香が目を見開いて明らかに動揺の色が含まれる音声を発する頃にはメディスンはふくれ面になっていた。
「幻月……。こっちに……来られるようになったの……」
「ふん、今日は、たまたまよ。僥倖なのよ。運が良かったのよ」
桜の中でメディスンを膝に抱き風呂敷に座っている幽香の前で、幻月はいっそ背中の羽を誇示するように腕を組んで宙に浮かび、幽香を見下ろしていた。
金色の瞳がぎょろりとメディスンに向けられる。
金髪……紅と黒を貴重とした服装……紅いリボン……これらの特徴……。
幻月はぎょろりと瞳の矛先を幽香に戻した。
「………………ずいぶんと……」
幻月は、言いかけて、やめた。──私は嫉妬や憤怒を口にするためにここまでやってきたのではない……。かぶりを振ると、続きを変更して言った。
「……久しぶりじゃない?」
「そうねぇ」
幽香が動揺していたのはほんの一瞬きりで、もう元ののんきかつ隙のない雰囲気に戻っていた。
「夢月は?」
「お留守番よ。どっちかが残っていないと、世界を維持できないんだって。それでいつもは私がお留守番だったから……」
「たまには、って、出してもらえたわけ?」
「ま、ね……」
「よかったじゃない」
「会えてうれしい?」
「うれしいわ」
「なら、いいんだけど……」
どこか釈然としない様子で、幻月は幽香を見たり、メディスンを見たり、地面を見たりした。メディスンは、幽香がげんげつと呼んだこの子が世界の維持だとか言って、いったいどういったスケールの生活をしているのか気になった。
「あ。そうそう」
思い出したように言いながら幻月が宙に手をかざすと、幻月の手にかわいらしいラッピングの袋がどこからともなく発現した。
「夢月からクッキーを託されてきたの。再会を祝してお茶会にしましょうよ」
「…………」
幽香は渋い顔をした。
嫌な予感がして幻月の表情がこわばった。
「なによ……」
「いやその」
幽香は、ものすごく言いづらそうに言った。
「このあと、アリスとお茶会する予定があって……」
幻月は爆発した。
「誰よアリスって!」
三
結局、幽香はアリスとの先約を優先して、桜の下に幻月とメディスンと風呂敷を残し去ってしまった。
「日が落ちる頃にはここに戻るから〜。ほんとごめんねぇ幻月。じゃあとでね」
メディスンは衝撃を受けた。
「(ゆ、幽香が謝った)」
「なにが、じゃあとでね、よ!」幽香が去っても幻月はまだ爆発していた。「私がどんなに苦労してこっちまで来たと思ってるのよっ。何人の目を盗んで来たと思ってんのっ。ばかばかっ。ありえないっ。ふざけんなっ。原子の霧にしてくれるわっ」
知らない人が怒っているところというのはあまり見たくないものだ。怖いし特に用もないのでメディスンはもう帰ろうと思った。
だが、次の瞬間にはメディスンの目の前に幻月が立っていた。コマ落ちした映像みたいに不自然な現象だった。
意外と背が低いな、とメディスンは思った。現実逃避だった。
「あんな友達甲斐のないやつもうしらないっ。あんた、誰だかしらないけど、クッキー食べない? あいつに食わせたくなくなっちゃったわ。二人で食べちゃおう」
「いいの?」対象への恐怖とクッキーへの興味の狭間でおそるおそるメディスンは言った。「幽香に渡すために持ってきたんじゃないの」
「いいの」
眉を寄せた複雑な笑みを浮かべながら幻月はラッピングを乱暴にほどいた。メディスンの隣に座ると、ひとくちサイズのクッキーを口に放り込んで、さくさくと咀嚼し、袋をメディスンに差し出した。
「ほら。ふたりぶんだから。私一人には多いわ」
確かに、袋の中身はぎっしりとしていて、全部食べるとなると夕飯前に腹が膨れてしまいそうだった。
幻月はこう付け加えた。「私は幻月ですわ。まぼろしのつきと書きます」
「まぼろし」メディスンはまじまじと幻月を見た。実体がありそうに見えた。「幽霊なの?」
「悪魔なの」
「ふーん」
幻月の背中にあるふわふわとした綿菓子のような白い羽はどちらかといえば天使のようだったが、メディスンは天使も悪魔もよく知らなかったので別段どうとも思わなかった。
メディスンは幻月の隣に座りなおした。
「私はメディスン・メランコリー。人形開放運動をしているわ」
「人形開放運動をしているメディスン・メランコリーね」メディスンの言ったことをなぞるようにして言ってみてから、幻月は頭を掻いた。「だめだ、絶対覚えらんないわ。メディでいい?」
メディスンはクッキーを手に取った。チョコチップが入っていたのでメディスンは少しお得な気分になってニマニマとした。
「いいよ」
「人形開放運動ってなに?」
「私達人形は人間に精神的にこき使われて辟易してるのよ。だから人間の手から人形を開放するの。奴隷でいるのをやめ、自由を得るのよ」
「メディは人形なんだ」
「うん」
「大変なのね」
「うん……」
「幽香とは……」幻月はあまり言いたくなさそうに言った。「知り合い……なの?」
「まあ……」メディスンはかじったクッキーを飲み込んだ。「そうね」
「あまり、あいつと親しくしないほうがいいよ」
「どうして?」
「友達をほっぽり出して勝手にどっか行っちゃうような奴だからよ」
低く細く這うような声色で幻月は言った。
泣くんじゃないか、とメディスンは思った。
だが幻月は眉を潜めているだけだった。
メディスンはやはりおそるおそる言った。
「……ほっぽり出された友達って、幻月?」
幻月はクッキーを噛み砕いた。
「そうよ」
幻月はクッキーを噛み砕いた。
「あいつは捨てたのよ」
幻月はクッキーを噛み砕いた。
「私を捨て、夢月を捨て、エリーを捨て、くるみを捨て、館を捨て、世界を捨てた!」
幻月はクッキーを噛み砕いた。
メディスンの脳髄を、迫力、という二文字が埋め尽くした。
幻月はクッキーを飲み込み、息を吐いて、吸って、吐いた。
「でも、いいの。自由にできるなら、自由にするべきだもの。メディ、あなたが人形を開放するのと同じようにね」
風呂敷の上に散り落ちた桜の花びらを指で弄びながら、ゆっくりと幻月は言った。メディスンのなかで幻月が“いいやつ”カテゴリに入れられた瞬間だった。
メディスンは、幻月は喋りたそうだから喋らせてやろう、と思い、人形開放運動については語らず黙って幻月の話を聞くことにした。
幻月は続けた。
「あいつの役割はあいつの残滓の人魂が受け継いだ。だからあいつがいなくなっても私たちはぜんぜんへーき。何も問題はない。でも……」
弄んでいた桜の花びらを宙に放す。風に拾われて飛んでいく。他の花びらにまぎれ、どれだかわからなくなってしまう。
「でも……そういうことじゃないのよね………」
数多の薄紅色の花弁が空を包んで、降りしきり、二人の肩やスカートの窪みにペタペタと落ちる。
幻月は言った
「気持ち悪い。なぜ、こんなにピンク色にする必要があるのかしら。七色に光ってたら面白いのに。においもヘンだし」
メディスンは、桜を気持ち悪いと評する幻月の精神に驚嘆し、心中で賞賛した。いいんだ、と思った。
「ねえメディ」
「ん」
「いまって、春ってやつなんでしょ」
「そうだけど。春を知らないの」
「夢幻世界は季節なんてないのよー。ずっとちょっと寒いのよ」
「過ごしやすくてよさそう。ここはね、もうすぐ、この桜が全部落ちる頃には狂ったように暑い夏が来るわ」
「大変なのね」
「うん。衣替えもしないといけないし」
「衣替えなんて、したことないわ、私」
「引きこもりなんだ」
「そう……」
幻月は目を細めて空を見上げた。そしてその横顔をメディスンは見た。悪魔の横顔……金髪……紅と黒を貴重とした服装……紅いリボン……これらの特徴……。メディスンは自分の自我について強く想った。幻月を見ているとなぜだかそうしなければならないような気がした。
「幽香と二人でいるのを邪魔しちゃったわね」
眉を寄せた複雑な笑みを浮かべて幻月は言った。メディスンは首を横に振った。
「ううん。いいの。今日はたまたま会っただけだから」
「あいつ、気まぐれだから、付き合うの大変でしょ」
「そうかなぁ」
メディスンは断言を避けた。幽香を気まぐれと断ずるほどに深い付き合いでも長い付き合いでもないし、また人形経験において自分は他人の人格を論じることができるレベルに達していないと思った。
メディスンは幽香のことを本気で“知り合い”だと思っていた。
幻月は目を閉じ、眉間の皺をいっそう深くして、震えた声を喉の奥から発した。
「私って……」
言葉が詰まる。会話が止まる。桜のさざめく音だけが聞こえる。今日知り合ったばかりのメディスンに、続く言葉を押し測れるはずがない。
幻月はメディスンの方を向いて、はっきりと言った。
「クッキーおいしい?」
「うん」急に話題を変えた幻月に戸惑いながらもメディスンは適応した。「おいしいよ。チョコチップすき」
「ふふ。よかった」
幻月は微笑んだ。
「夢月って言ってね。双子の妹なんだけど。そいつが作ったの。メディがおいしいって言ってたって伝えたらきっと喜ぶわ」
「そうかなぁ……」
メディスンは断言を避けた。会ったこともない“メディ”のひとことふたことの感想を夢月というやつは果たして喜ぶだろうかと思った。
「夢月はずっとメイド服着てるの。メイドの仕事してるわけでもないのに。全然メイドじゃないのにずっと着てるの。変よね。きっとヘンタイなんだわ」
メイド服を着てる奴はヘンタイなのかな、とメディスンは思った。
そういえば前に会ったメイド服を着たやつの言動は、毒のパワーがマックスのスーさんを指して“美味しいお茶が作れそう”などと言い出すいかにもヘンタイのそれだったな、と思った。
メディスンの頭蓋の中でメイド服とヘンタイがイコールで結び付けられたのと同じ時、メディスンはスーさんの存在と永遠亭との契約を思い出した。
四
日が落ちる。
五
「おや」
薄紅色の桜の花弁は暗い青に沈殿しながら漂っている。膝を抱えて不愉快そうに風呂敷に座っている幻月の目の前にふわりと降り立つと、幽香はきょろきょろと辺りを見回した。
「メディスンは?」
幻月は唇を尖らせた。
「私を待たせといて開口一番がそれなわけ?」
「ご機嫌斜めね」
「メディなら帰ったわ。スーさんがもうすぐ満開になるから、採取の準備をしなきゃいけないんだって。スーさんって知ってる?」
「知ってるわ」
「鈴蘭の毒のことよ」
「知ってるって」
「鈴蘭の毒をスーさんって呼んで慕ってるんだって。毒を擬人化して愛しているんだわ。すごい感性よ。メディって毒を操れるんだってね」
「………………」
「あんた、よく今まで毒殺されずに生きて来られたわね」
知ったばかりの知識を口に出して脳に保存しようとする幻月の動きはメディスンに少し似ていると幽香は思った。メディスンと話していると時折強い既視感を覚えることがあったが、その源流が幻月にあると気付き、幽香は一人得心した。
「(無知ゆえの探究心の強さが共通しているんだわ)」
幽香は幻月の隣に座った。
「私がつよーいこと知ってるでしょ。あいつの毒なんかじゃ死なない、死なない」
ニコニコと幽香がそう言うと、幻月は俯いた。
「少しくらい、死んだほうがいいのよ」
棘のある、落ち着いた、厭な口調だった。幽香は、幻月の美しい憂い顔に見惚れた。
幽香は幻月の悪魔性と天使性をカラメルソースで煮詰めたような甘ったるい顔面が憂鬱に翳るその一瞬の退廃的な美しさを愛していた。
「アリスって」幽香を見ずに幻月は言った。「誰なの?」
「面識ないんだっけ? 魔界から来た人形遣いのお嬢さんよ」
「魔界ってなに?」
「…………」
幽香は頭の後ろで手を組んで、ぼすっ、背中から風呂敷に倒れ込んだ。
「あんたの教育を夢月ひとりに任せたのは失敗だったわねぇ」
「なにいってんのよ。私が夢月を教育してんじゃない」
「はいはい、幻月お姉様」
軽口を叩く幽香に、幻月は文句を言おうと思ったが、ほかに思いついたことがあったのでそちらを言うことにして、ニタニタとした笑みを浮かべた。
「当ててあげようか?」
「なにを?」
「アリスってやつ……」幻月はニタニタとした笑みを横たわる幽香に向けて、金色の瞳をギラギラとさせた。「金髪でしょ」
「…………なんでそう思うの?」
「そして、紅いリボンをしている」
「なんで?」
「……」幻月は幽香から顔を背けた。「メディがそうだったから」
「それは、あんた……」眩しいものを見るように幽香は目を細めた。「……私のこと意識しすぎでしょ」
「意識もするでしょう!」
吐き捨てるように幻月が言った。
「あんた、何も言わずに出ていっちゃうんだもん! それが、私と似たような子とばっかりつるんでたら、私はいらなくなったんだな、私は、おもちゃだったんだな、とか思うでしょ!」
「おもちゃよ」
にべもなく幽香は言った。
「幻月あんたもメディスンもアリスも、みーんなおもちゃよ」
幻月は絶句した。
幽香は続けた。
「あんただって同じでしょ。私をおもちゃだと思ってるし、世界をおもちゃ箱にして遊んでるでしょ」
「私はいいのよ」
「なんでよ」
「夢月がいいって言ってるから」
幽香は絶句した。──この横暴さ!
「(無垢にもほどがあるわ……幻月……)」
「私の代わりなんて誰にも務まらないとわかることだわ、幽香」
「似てないって。メディスンは瞳が青くて髪も小麦色だし。アリスはリボンじゃなくてカチューシャだし服は青系よく着てるし。あんたはストレートだけど他の二人はウェーブがかっているし。羽生えてるのあんただけだし」
「…………」
「言っているでしょ。あんた私を意識しすぎ」
「…………」腹の底で幻月は低くか細い声で言った。「非道い……」
今に始まった話か? と幽香は思い、苦笑をした。
「何も言わずに出て行って。久しぶりに会えたと思ったら知らない誰かと一緒にいて。お茶に誘ったら断った上にまた別の知らない誰かのところに行っちゃって。こんな気持ち悪いところでいつまでも待たせて。挙げ句の果てにやっと二人になれたら説教ばっかり! あーいやだ! やはり原子の霧になるべきだわ! あんたなんて!」
「ちょっと待って」むくり。幽香は上体を起こした。「どこが気持ち悪いところだって? なにが気持ち悪いっての?」
「花」
「花が……?」
「なんか、ふわふわしてていっぱいあって気持ち悪いじゃない。弾幕に囲まれる方がマシよ」
「あんた……」
幽香は幻月の感性にケチをつけようと思ったが、やめた。優雅じゃないし、“あんたは説教ばっかり”という説教を受けたばっかりだ。もっとうまいやり方があるだろう。そう、例えば……。
「気持ち悪いって思う時はね、観察すれば気持ち悪いだけじゃないのよ。たとえば、虫の……いいわ。幻月、あんたがお花以外で気持ち悪いって思うものってある?」
「幽香」
「……………………」
幽香は黙ってしまった。
気持ち悪いものはよく見れば美しくも見えるものだ、と続けようとしていたからだ。
“そう、この私のようにね”と自信満々で続けてもよかったのだが、その時の幻月の表情の気味悪さと美しさの頂点を射抜いた底知れぬ魅力の前に、なにも言えなくなってしまったのである。
夜桜が月光を受け、輝き、花びらは降りそそぎ続けていた。
六
「なんであんたこんなところに長居してるの?」「こっちにはいつ帰ってくるの?」「私がなんのためにわざわざ会いに来たと思ってんの?」──そういったことばを幻月が幽香に半ば駄々っ子のような様子で浴びせかけ、その度に幽香が、
「うん」
とか、
「いやあ」
とか、
「まあその」
とかいった、はっきりしない返答をする、というやり取りを繰り返しているうちに、幻月はうとうとと眠りについてしまった。
幽香は幻月を膝枕してあげて、月の光がよく透き通る金髪を撫でた。
「(悪魔なんだから、夜なんて一番活発そうなのに。昼から現れてたし、徹夜なのかしら)」
すうすうと寝息を立てる幻月は実に可愛らしい。幽香は顔を綻ばせた。
「(それとも、幻想郷の風土が肌に合わなかったのかな)」
幻月の存在は、今日に限って言えば、不自然だった。周囲の桜だけでなく、遠くの山や、空や、メディスンからも、どこか剥離しているようで、浮遊しているようで、まるで編集ソフトで無理やりねじこまれたようだった。
「(それならば、私、尚更帰るわけにはいかないわ)」
幻月の言い放った“僥倖”という単語がリフレインされる。きっと、夢月が留守番してくれている、というのはウソなのだろう、と幽香は思った。過保護な夢月が、おいそれと幻月を夢幻世界から出すわけがない。クッキーだって、幻月ひとりのために作ったのだろう。
幽香は思った。──やっぱり幻月は夢月といるのが相応しいわ。私は喋りすぎてしまう。なにも教えない夢月と二人で一緒に引きこもっているからこそ、幻月の無垢さは保たれるのだから──。
「私、あなたを信仰しているのよ……」
幽香は幻月の髪をかきあげると、額に口づけをした。
夜桜の香りに乗って、懐かしい匂いが漂ってくる。
幻月とよく似た旧い匂い。
今日はじめて嗅ぐ旧い匂い。
きっと、夢月が幻月を迎えに来たのだ。
幻月が夢月のもとに帰ったら、次はいつ会えるか果たしてわからない。
幽香は、それでこそ、今日の出来事を尊ぶこともできる、と心に誓った。
夢の終わり。
幽香は目を閉じた。
【了】
それぞれのキャラの考え方や言動がとても面白くキャラが立っているので読んでて楽しいです。
それにしても幽香りんはやっぱり金髪フェチなのでは??
怒涛の勢いでメディスンに迫る幻月がとてもよかったです
本当に何しにきたんだ
みんなキャラ可愛いくて実に楽しませて頂きました。面白かったです。
面白かったです。
幽香が心配しないように夢月がお留守番してるから、とか言い訳しちゃって結局夢幻世界を抜け出してこっそり幽香の家に遊びに来てるのかわいいけど本当に何しに来たんだ!!!!会いたかっただけか!!!!かわいい。