Coolier - 新生・東方創想話

2020/10/16 14:23:52
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「別にそんな湿っぽい話がしたいわけじゃなくてさ」
 誰に向けたものでもない言い訳を呟きながら、橋の下で私は目覚めた。初夏の河川敷はいつも白く燃えている。日陰ばかりに慣れた私の目はそうした炎にたやすく焼かれてしまって、起きてしばらくは道路がひどく歪んで見える。なのに、人々はそこを平然と走り抜けたりあるいは座り込んで各々の社交を繰り広げたりしていくからなんというか奇妙な気分になってしまう。偶然手に入れた安酒で調子に乗って寝過ごしたある昼の光景なんかはたぶん最も幻覚的で、ひたすら眩しい光の中で人々は抽象的な図形になってあちこちで磔にされていた。私はそれを見てどう思っただろうか。おびただしい粛清の結果のみがそこにあったから、困惑の後で私は真っ先に自問したかもしれない。嬉しい? と。答えを思いつくよりも先に、私はなぜか転落する。ずるり。顔を上げてみると光景は元通りになっている。単純な話、私はただ自分が逆さになっていたことに気付いていなかっただけだったのだ。
 それでほんの少し前のことを思い出せたわけだけど、今朝の私はきっと神様がいなくなったときの夢を見ていた。数日前にもそれを見た。数ヶ月間は見ていない。原型はおそらく十年ほど前に遡る。
 私はもうその瞬間そのものについては語れなかったが、代わりにその周縁については語るための言語を持っていた。それはありきたりな話だからだ。
 おおまかなあらすじはたぶんこのようなものだろう。公園に浮浪者がいた。近所の子供たちは、特徴的な外見から彼を神様と呼んでいた。ある日神様は消えた。間もなく子供たちは彼を忘れた。あるいは、興味を失った。本当にありきたりな話なので覚える必要は無いし、私もあえてそうしていない。個人的な周縁(こちらの方がはるかに重要だ)の話をすると、まず私にとって神様は先住者だった。たぶん何度も経験することになるちょっとした行き違いの結果として、妹と暮らしていた部屋から抜け出した夕方に、私はその公園に住もうと思ったのだ。そして、子供たちに囲まれる彼を見かけて、断念した。路上に連帯は無い――少なくとも、路上には……。私は結局、隣の区域の川べりを差し当たっての拠点とした。別に初めてのことではなかったし、定住をいっさい諦めてしまえば、生存は想像よりもずっと楽なものだ。
 当然のことだが、生存というのはこの世界に生まれ落ちてはじめて始まるものなので、望むと望まざるとにかかわらず、その終わりへはただちには辿り着けない。要はこの自由落下の始まりと終わりの時間差が寿命で、私たちはけっして関知できないその伸び縮みに支配されている。
 だから、正確に言いあらわすならば生存に楽も何も無い。ただ果ても見えないままひたすら重力のみに引きずられた者が逆説的に陥る無重力の錯覚のように、生と死のあいだで宙吊りにされている感覚が、私にとっての生存だった。とうに足場を踏み外しているが、完全には落ちていない。それだけの話だ。

 じ、とプロジェクターが唸り、白い壁をわずかに照らした。視界の端で女苑が眉をひそめるのが分かった。女苑は、私が触れたものは遅かれ早かれ壊れてしまうだろうと思い込んでいた。
「これ、映画見れるやつでしょ」と私は無知を装って呼びかけた。
「さあね」
 女苑の誘いで、この頃の私たちは失踪した俳優の部屋に棲みはじめていた。部屋はとても小ぢんまりとしていて、彼の知名度に見合ったものとは思えなかったけれども、本格的に姿を消す前から家主はろくに帰っていなかったらしく、最低限の家具はおろかカーテンすら用意されていなかった。そうした空白の中心にぽつんと置かれていたのが例のプロジェクターで、私はつい嬉しくなってスイッチを押してしまった。
 じ、とプロジェクターが唸る。
 よく知らないいくつかのロゴの表示、それから数瞬の暗闇の後、たぶんそれなりに見知った風景が映し出された。たぶんというのは、よく見えないからだ。部屋は、照明どころかインフラ全般が切れていたけれども、日光が直に入ってくる真夏の昼に映画を見ようというのは無理があった。
 それでも、いくらかのあいだ目を凝らしてみた後に、私は諦めてプロジェクターを切った。カーテンを買いに行けば、と思ったけれども、買い物という行為の決定権はつねに女苑にあり、さらに言えば女苑は私がプロジェクターを触ることを良く思っていないようだったので、結局その計画は生まれなかった。

 橋のたもとにしゃがみこんで、それなりに惨めなふりをしてみる。都合よく何か恵んでもらえると思っているわけでもないけど、人目は一定の安全を保障してくれるから。往来の邪魔にさえならなければ、少なくともあからさまな八つ当たりの対象になることはそんなに無い。そもそも昼間にこの辺りを出歩けるような人間の興味は、たいてい川や空、もしくはその向こう側の街に向いているものだ。
「猛暑日なんだってさ、今日」と誰かが話していた。たぶん、それはわりあい深刻な概念なのだろうけど、結局のところ夏なんてものはとうの昔から厳しいものなので、それが特定の名前に紐付けられると相対的にましに思えてくる。あるいはそうした深刻さを共有できる集団の広がりを私は喜んだのかもしれない。だからといって、別に彼らが私に同情してくれるわけでもないのだけれども……。
 ――路上で暮らすコツは、固有名詞を使わないでおくことだ。
 かつて神様はそんな教えを説いていた。私たちのあいだに生じた数少ないやり取りの中で、ひときわ記憶に残っている言葉。それは同じ境遇の者同士でしか交わす価値の無いちょっとした冗談だったのかもしれないし、神様という呼称の迂遠な拒否だったのかもしれない。でも、それはまさしく彼の教条だと私は思った。私にとって彼はその一言で神様たりえていた。
 とはいえ、それで改宗したわけではない。それは私の既存の生き方の言語化にすぎなかったから。だから、彼が私にもたらしたものの大半は自覚だった。すべて、替えのきかないものなど無いという生き方の。
 つまり、昨日見かけた野良猫と今日のそれの同一性を問題にしないということ。この川と向こうの川を区別しないということ。今日や明日といった概念そのものについても同じことが言える。認識はつねに散発的で、その時々の私を起点とした相対的なものだ。ごく小さな周辺としての世界が点いたり消えたりしている……点けたり消したりかもしれない。たとえば次のような断片を私は覚えている。

 季節は確か春の初めの頃だったと思う。いつものように乞食をやっていると、男が目の前で立ち止まった。期待せずにうつむいたままでいると、彼は私だけに届くような声でこう言った。完全な食事を研究しているんだ、と。
 かんぜん、と私は乾いた唇で繰り返す。本当は、完全という響きよりも、凡庸な、食事という単語の方に惹かれたけれども、口を動かしたのはそちらの方だった。彼は私の反応を受け取ったのか一度頷いて円筒型の容器を取り出した。私は期待した。
 けれども、私はすぐにがっかりした。容器から出てきたのは泥だった。それはできそこないの黄金みたいにきらきらと光ったり光らなかったりしていた。
「これが……ええと、完全?」と私は尋ねた。男は頷いた。いつ食べてもいいけれども、できるだけ空腹のときがいいと彼は言った。完全でない食事もそうではないのかとか、空腹に「できるだけ」なんて指標がありうるのだろうかとか、疑問は尽きなかったけれども、私は黙って曖昧に頷いて泥を受け取った。
 また通りがかったときにでも感想を聞くよと言って男は去った。
 私は二度とその男とは会わなかった。まもなく女苑が気まぐれを起こしたからだ。私の住処は移り変わって、また元通りに空腹ばかりになった。泥は女苑に処分された。

 当時の私がどうだったかは知らないが、いまの私は、泥は本当に完全な食事だったのだと信じている。そして、だから得られなかったのだ、とも。くだらない物なら失くさないでいられてもよかったはずだから。天界の桃のようなものだ。決して私の手に入らない物だとしても、世界には良い物がいくらでもあって、それを手にできる善い人々もどこかに存在している……そうした伝説を信じられなければ惨めにもなれない。別に私がその位置に立ちたいわけではないけれども。誰だって、屋根の無い家には住みたがらないだろう。そういうことだ。

 夜、ひっそりと目覚めた私はふたたびプロジェクターに手を伸ばしてみた。しかし、昼間のようにそれが応えることは無かった。それから私はしばらくの日々をその仕組みの研究に費やしはじめた。もちろん、女苑には内緒で。移住に際してひとたび住居さえ決まれば満足してしまう私とは違って、女苑はより良い生活を手にすることに熱心だったから、その目を盗むのは全然難しいことではなかった。
 女苑曰く、人には器というものがあるらしい。そして、その集合体である街にも。疫病神は、そうした器を過ぎて零れたごうつくばりの財貨を回収して、余所の涸れた器を満たしてまわっているにすぎないという。それなら、とせがんでみたけれども、姉さんは器が小さいから、と突っぱねられた。しかし、それを言うなら女苑の器だって変わらないだろうと私は思う。というのも、彼女を飾る財貨はたえず流転しているのだから、その大きさはどうあれ、きっと器の底には穴があいている。だから、たとえ小さな器だとしても、私はただその底で待っていればいい。
 そう言い訳をしながら、私は静まりかえった部屋に一人こもりつづけていた。昼になるとプロジェクターはまた問題無く動いてくれたが、夜はもっぱら沈黙していた。私はプロジェクターに覆いかぶさってみたりあるいは移動させてみたりしながら、それが動作するときとそうでないときとを観察しつづけた。そうして、私は一つの結論に達した。
 このプロジェクターは、どうやら太陽の光で動いているらしい。だから、電気の切れた部屋でこれだけが唯一生き残っているのだろう。
 私はプロジェクターを元の位置に戻した。日当たりはそこがちょうど良い。機械の横に寝転んで、白い表面を眺めてみる。曲面に沿って引き伸ばされた私の顔の反射と目が合う。自分の容姿なんてろくに気にしたことも無かったけれども、改めて見てみるとそのみすぼらしさがいやに目につく。しばしば女苑が悪態をつきたがるのも当然のことなのかもしれない。だからといって、改心するわけでもないのが私なのだけれども。
 私はそのまま目を閉じて、眠った。

 神様がいなくなった後、私はあの公園を訪れた。子供たちの集会所であることに変わりはないけれども、もはやその中心に神様はいない。それでも彼らは何事も無かったかのように過ごしていた。そして思っていたとおり、私を新しい神様にすることもなかった。
 子供たちが彼をそう信じていたのはもっぱらその外見によるもので、つまり、言ってしまえば神様は世襲制だった。そしてすべての世襲制がそうであるように途絶えた。私と神様は似ていなかったのだ。
 彼は実のところ野外で暮らしているという一点を除けば清潔に見えたし、ときおり(彼が神様と呼ばれる由来である)長髪と髭が絡まっているのも単に生来の癖によるものでしかなかった。
 そんな神様の不在は、ひどく凡庸な衰弱の末に生じた。少なくとも、見かけ上は。たぶん流行り病だろうと彼は言っていたけれども、いまの私にはその衰弱の意味するところが理解できた。きっと、神様は死神に憑かれていたのだ。後で天人様に聞いた話と神様の様子は妙に一致していたから。
 子供たちから距離を置いて、公園と道路の境界の、茂みと茂みのあいだに分け入る。ここはちょっとしたアジールになっていて、かつては打ち棄てられたソファが寝床として使えると知られていたが、今は廃墟みたいな自動車がその位置を占めていた。車は長く放置されていたのか、中身まで土と植物にまみれていた。見るにそこそこ上等だったはずのシートもすっかり気が抜けていて、まるで自然にあらゆる水分を吸い尽くされたように見える。せめて一席だけでも無事だったならばあのソファの跡を継げただろうに。
 私は諦めて車にもたれかかった。ソファとは比べ物にならないほど硬く、快適とは程遠かったけれども、変わらないことも一つある。ここに日が差すことはめったに無い。私はあくびを一つして眠ろうとした。だが、間もなく私は目覚めなければならなかった。茂みのあいだを縫って、日が強く差してきたからだ。

 じ、じ、とプロジェクターが唸る。あるいはそれに焼かれた壁が。女苑は夜まで帰ってこないと言っていたから、私は一人でその微かな声を聞いた。光の示す方を私は見た。
 まっさらな壁に映し出された光景はきっと街だった。定点カメラで撮影された、誰もいない交差点。その端を一人の人間が歩いているのが見える。たぶん、失踪中だという例の俳優だ。彼はひたすらカメラに背を向けたまま画面の端を渡り終えて、どこかへと消えてゆく。中央にそびえる巨大な街頭スクリーンとは目も合わせずに。映像はどこか大げさな葬儀めいていたが、彼はもちろん誰かを悼んで黙り込んでいたわけではなかった。
 プロジェクターは唸りつづける。
 俳優が去ってからも、葬儀が終わってからも、交差点が元通り人で溢れかえりはじめてからも。
 もうプロジェクターの光が太陽の中に沈むことはなかった。私はすべての光景を認識できた。街も人も営みも、私の見知った物は何一つそこには無いのだと、私はようやく理解できた。
 だからとうに夏は終わっていた。

 私は部屋を出た。街を見た。それから二度と帰らなかった。
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コメント



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1.90奇声を発する程度の能力削除
雰囲気が良くて面白かったです
2.100サク_ウマ削除
ぼんやりとした世界の輪郭と驚くほどに近くに感じる息遣いがたいへん素敵でした。良かったです。
3.100名前が無い程度の能力削除
文章はかっこよくて、それでいて乾いていて湿っぽくて良かったです
4.100南条削除
面白かったです
ふらふらと何しているかわからないような紫苑の捉えどころのなさにある種の神様らしさを感じました
5.100水十九石削除
退廃という言葉がやけに似合う作品だったと思います。俳優の失踪跡、浮浪者の衰弱、完全食の喪失、街を廻る金の底、そして太陽で動くだけのプロジェクター。それらが他の人になら彩られた様に見えるであろう世界の中で、ひたすらにモノクロームで虚無な雰囲気を纏って鎮座していた様に思えます。
本当に貧乏神としての流転する虚無を舐め回してその日暮しをしている紫苑はある意味超然的で地に足付いたようで、衰勢の序破急をなぞるかのようでした。面白かったです。
6.100終身名誉東方愚民削除
紫苑はこれからも流れていくんでしょうか 紫苑は何も干渉しないであるがままのようで受け止めているようなのにその視点から切り取られていく人々の営みや在り方がその中で何か致命的な指摘をされてどれも力尽きていくようで不思議な感じがしました