仙人にも様々だ、というのは言うまでもなく当たり前の話。
不老不死を目指した者、人知を超えた力を欲した者、ただ俗世から切り離されたかった者、ならざるを得なかった者。私もこれまでいろいろな人物を目にしてきた。
そのような色とりどりの中でも、幻想郷で出会った仙人達が特等の変わり者であったことは自信を持って断言できる。
もっとも、端から見れば私だって十分な『ゲテモノ』であるのは理解しているつもりだけれども。
大陸文化にも影響を受けたのであろう豪華絢爛な建物は、本人の気質をそのまま表しているのか、かつての栄華を忘れられぬのか。私が山中に迷路のような結界を張り巡らせて自分の世界を持っているのと同様に、この者達も独自の空間を築き上げていた。
豊聡耳神子。それがここ、神霊廟の主の名だ。
そして私、茨木華扇はその正門の所に立っていた。
「ごめんください。どなたかいらっしゃいますか?」
大扉を叩くも返事はなく、静かだった。
神子は人里から弟子を募って何人かを修行させているという話なので、居るなら弟子の鍛練の声ぐらい聞こえてきてもいいだろう。
留守か、あるいは今日は休みなのか。
せっかく来たのに無駄足だったかしらと愚痴りつつ、気分転換に人里の甘味処にでも寄ろうかと扉に背を向けた直後だった。
首筋に当たる、冷たい吐息。
「はあ、誰かと思ったら貴方か。いらっしゃい」
「ひょわっ!?」
思わず変な声を上げてしまう。不覚。
「あ、ああ、済まない。扉を開けるのも面倒だったのでつい」
「びび、びっくりしたぁ~……」
扉を開ける音も、足音も、生き物の気配すらも無かった。それもそのはずだ、目の前に居る人物は生きていないのだから。
「……自分の家だからって扉をすり抜けるのは感心しないわね、屠自古」
「来客の正体も分からず開けるほど愚かではないよ。太子様は要人中の要人だからね」
彼女の名前は蘇我屠自古。物部布都と並んで神子の部下の一人でもある。しかし彼女の一番の特徴といえばやはり足がないことだろう。何しろ彼女は怨霊なのだから。
「とにかく、私とわかったなら開けてもらえるわよね。借りていた本を返しに来たのだけど……神子は留守かしら?」
「ああ、太子様も布都も留守だよ。それぞれ人里で好き放題やってるんじゃないかねえ、まったく……というかその本、青娥が勝手に持っていったヤツじゃないか?」
「そうなのよ。貸してほしいって頼んだら、それ神霊廟から借りたものだからついでに返しておいて~、って。しょうがない人なんだから」
「いや、返ってきただけありがたいさ。いつもだったら私がわざわざ出向いて取り戻しに行くんだからな」
私も向こうも苦笑いを浮かべた。ここの三人が今の状況になるきっかけであった邪仙、霍青娥に悩まされているのは身内といえど同じらしい。
「ま、そういう事なら上がっていきなよ。ただ、扉は自分で開けてほしい。これ重いんだよ。凄く、とても」
二回も強調詞を後付けしてまで客人に開門させる扉とは、と試しに片手を置いた瞬間にその異常さが伝わった。
切り立った崖の真下で岩壁に手を当てているような光景が脳裏に浮かぶ。
確かに常人ではびくともしない、まさに鉄壁の守りと言えるだろう。つまりこの扉を開けられるのは非常識な力を持つ者のみということだ。
すなわちここの主や私のような存在だけが。
「さすが、軽々と。この扉も鬼の怪力の前では紙同然だな」
「……え?」
私が振り返ると、屠自古はばつの悪そうな表情を浮かべた。
「あー……すまん。とにかく居間に案内するよ。ちょうどおやつタイムでさ、お茶菓子ぐらいは用意できるから」
「それは仕方ありませんね。ご馳走になっていきましょう」
扉を開けてから漂っていた甘い香りは間違いなく生クリーム。仙人の鼻は誤魔化せない。人の好意を無下にしては失礼だし遠慮なくいただこう。
「ぅ、おー、やっぱり華扇かー! この匂いは華扇だと思ったぞ!」
「ん、知り合いだったのか? まあそりゃそうか、青娥と交友があるんだもんな」
そこに居たのは口の周りにクリームでできた白ヒゲを生やした芳香だった。それより私はそんなに匂うのだろうか。女の子として清潔にしているつもりだけれど。
「ご無沙汰ね、芳香。貴方は相変わらず元気そうで何より」
「私はぁ、青娥がいる限り元気だぞぉ!」
逆に言えば青娥がいなくなれば力を失うということでもある。宮古芳香は青娥に操られるキョンシーだ。ただ実態はこの通り、青娥がいない所でも元気に好き勝手やっている。
「今日は貴方だけなのね。青娥はどうしたの?」
「幻想郷の外にお買い物に行ってしまったぞ! 私は退屈だから屠自古と遊んでやろうと思ったのでなー」
「つまり青娥が居なくて寂しいからこっちに来たって事だ」
「そうとも言う!」
それは仲が良くて何よりだ。死人同士、何かと気が合うこともあるのだろうか。
それよりも。
「……私のケーキは?」
ちゃぶ台の皿を見ればそれなりの大きさのケーキがワンホール丸々置かれていたのは想像できる。しかし今はクリームの跡とスポンジのカスしか残っていないではないか。
「はぁー? これは全部私のケーキなのだが?」
「ああー……すまん、芳香のペースが思ったより早かったらしい」
「遅かろうが分けてはやらんぞ!」
芳香は勝ち誇ったように自分のお腹を撫でていた。
「食いしん坊なのはわかってたけどまさか一度に丸ごと全部食うとはな……」
「いえ、それは普通だと思うけど」
「……すまん、常人の基準をお前達にも当てはめようとしたのが間違いだった」
仙人は霞だけで生きていると思われることもあるけど大間違いだ。私が食いしん坊なのではなく、人の十倍くらいは平らげても身体を維持するのも修行の一環だ、ということにしてほしい。
「まあいいさ、菓子はまだいっぱいあるからな。青娥がここに寄るたび持ってくるんでね。孫に会いに来た婆さんかってんだよ、なあ」
「そこだけ聞くなら良いお婆ちゃんじゃない。まあ……そこ以外の事は聞くまでもないけど」
横目で芳香をちらりと見る。死体を可愛がる趣味を理解できる人物は幻想郷の妖怪まで含めてもごく少数だろう。
「しっかり防腐の術までかけて渡すから古くなったのを理由に捨てるのもできないんだよなあ。とにかく持ってくるから座っててくれな」
屠自古は空いている座布団を指差すと、台所にふよふよと飛んでいった。
「食べ物を無駄にする気はないのよね。立派な怨霊さんだわ」
「良いヤツだろぉ? 私の自慢の友人だぞー。いや、友霊か?」
芳香が屈託のない笑顔で語る。
呼び方はともかく、屠自古がこの中で一番『話が通じる』人物なのは疑いようがない。怨みを糧にこの世に留まっているとは思えないほどに。
そして芳香も、死体を好き勝手に弄くられる冒涜を完全に受け入れて現在を謳歌している。そもそも冒涜とも思っていないのかもしれない。
二人についていろいろと考えを巡らせたかったのだが、それは芳香の唐突な無作法によって断念せざるを得なかった。皿に残ったクリームをべろんべろんと犬食いで舐めだしたのだ。そういうのは一人で居る時だけにしなさいと流石に注意していた最中、屠自古が追加の洋菓子と紅茶を運んで戻ってくる。
山盛りのクッキーだ。これも青娥が持ってきたのだろうか。
「青娥曰く、パティシエを任せようと婆さんの死体を蘇らせたらな、そいつがひたすらクッキーばっかり焼いたんだとさ。ちょっと出掛けてた間に工房がクッキーで溢れてたとか」
「クッキーババア事件だぞぅ……あの時は酷かった……」
「はあ、そうなの……あ、味は大丈夫なのよね?」
「美味いから青娥も捨てるに捨てられなかったのだぞ……」
試しに一つ口に運んでみる。バターの香りと優しい甘さが口の中に広がり、冷めていてもサクサクの軽やかな歯ざわりだ。
「お、美味しい……プロの味だわ……!」
「だろー?」
経緯はさておき、美味しいならご馳走になる私が文句など付けられるはずもない。屠自古が淹れてくれた紅茶と共に、私たちはしばらくティータイムを楽しんだ。
「一つ、聞いてもいいかしら?」
クッキー山をようやく半分まで切り崩したところで、私は屠自古に話を切り出した。
「なんだ、おかわりか?」
「……まだあるの?」
「見たら貴方でも引くぐらいは」
そうまで言われると怖いもの見たさが湧いてくるけども。
「遠慮しておきます。そうではなくてね、私の種族の事よ。青娥から聞いたの?」
「いんや、あいつは他人の素性の話はしないよ。何しろ自分が一番だからな。ついでに言うなら芳香でもない」
「う、む。キョンシーは口が堅いぞ。身体も硬いしなぁ」
キョンシー特有の死体ジョークだ。言うと思った。
まあ、芳香でないのは間違いないだろう。自分から他人の噂を広げるタイプとも思えない。
「……渡辺某だったか。そんな名前の奴に腕を切られた鬼の話は、当時の青娥から聞かされた。あとは名前と雰囲気でなんとなく察したよ」
その名を思い起こされた瞬間、ズクン、とがらんどうのはずの右腕が痛む感覚に襲われた。忘れられようもない、私が己の邪と切り離されて今の私になった人生の分岐点だ。
「……そっか。貴方も当時の人だったわね」
「私は廟から出なかったから全部青娥が情報元の話になってしまうけどね」
「それはまた、何というか……」
「少なくとも今の話は本当だったろう。太子様が眠っていた間の事を語れるようになれ、と言われてさ。この際あいつが教えてくれる事が嘘でも本当でもどうでもよかった。実際、何もしないと本当に気が狂いっぱなしになってたからなあ」
屠自古が自嘲気味に笑った。私もここの者達が幻想郷に来た経緯は聞いている。今こそ笑ってはいるが、決して笑い事では済まない話だったろう。笑えるだけ大したものだと言うべきか。
「んむ? 華扇よ、そんな顔しなくていいぞ。死人には時間のムダ使いなんてないからなー」
「んまあ、芳香の言う通りだな。私がここにいるの自体が人生のおまけみたいなものだ。おまけだから狂いっぱなしでも別に良かったんだよ。死ぬわけでもないし」
確かに、二人は寿命というリミットから解き放たれた存在だ。生きる為にやむを得ず取らなければならない行動も不要で、死ぬまでにやっておきたい、なんて願望に囚われることもない。
「とにかく、私の事を知っていたのは納得したわ。お願いだからむやみに言い広めないでね?」
「やる意味もないさ。貴方はあの邪仙と違って人様に迷惑をかける人じゃないだろうし」
ほっと一息ついて、カップに残る冷めた紅茶を飲み干した。
私がカップを置くと、屠自古がすかさず紅茶のおかわりを注ぐ。その様子で何となくわんこそばを思い出してしまって今度食べに行こうかな、などと考え出していた矢先だった。
「一つ、私からも貴方に聞いていいだろうか」
屠自古は自分のカップにも紅茶を注ぎながら、神妙な面持ちで私に問いかけた。
「先に私が質問した以上、答えてあげないわけにはいかないわね」
「いやいや、強制するようなものじゃないよ。答えたくないなら答えなくていいって」
「華扇はマジメだな。もっと肩の力を抜いても良いんだぞー? 私は抜こうとすると肩ごと抜けちゃうけどなぁ」
「ぶっ」
屠自古が口を抑えてうつむいた。芳香の死体ギャグは死人にはウケるようだが生きている私には今一つ。
「……オホン。いやまあ、単純な質問だよ。どうして仙人になんてなろうと思ったんだ?」
「それは貴方や他の二人だってそうだったんでしょう? 仙人なんて、って言い方はないんじゃない?」
神霊廟の三人は青娥の指導の下で仙人になろうとしていた者達だ。屠自古だけは諸事情で怨霊になってしまっているけれど、邪魔が入らなければ彼女も仙人だったはず。
「私達は人間だ。生きられても長くて一世紀だし、私達の時代なんか半世紀も生きられなかったものさ。しかし貴方はたとえ鬼の心を失ってもその体は不老長寿のはずだ。なのにどうしてわざわざ死神から命を狙われなければならない生き方を選んだのか、それを聞きたくて」
私はしばらく間を置いて、紅茶を一口すすった。
「……思ったより突っ込んでくるじゃない」
「あー、すまないな。普段から人との距離感が皆無の奴に付き合わされてるせいかも」
「そうやって何でもかんでも青娥のせいにするのも良くないわよ? いくら邪仙と呼ばれていても」
「待てい華扇。そこで青娥を真っ先に挙げるとはどういう事じゃ。豊聡耳かもしれんし物部かもしれんだろう」
ひたすらクッキーを貪っていた芳香がここだけは目の色を変えて私に食いついてきた。
「芳香出てる、本性出てる」
「うぉっと。あー、まだまだ全然お腹空いたなー!?」
屠自古の指摘を受けた芳香は白々しくクッキーに手を伸ばし直す。まあ、距離感がおかしいのは青娥以外もなのは同意見だ。神子は大前提として自分が万人に受け入れられると思っているフシがあるし、布都はもう、なんかもう。そもそも射程圏内に入ったらとりあえず弾を撃つ人達ばかりの幻想郷で距離感もへったくれもなかった。
「そうね……自分の右腕を探すためには仙人を名乗る方が都合が良かった。これは否定しないわ」
「それは、そうだろうな。切られた腕を探してる鬼です~なんて公言してたら本物のバカだ」
「かといって一般人のフリをするには私はちょっと強すぎるしね」
「そうだな。鬼だしな」
事実を言っただけなのだけど、屠自古がちょっぴり呆れているような気がする。それはともかく話を続けよう。
「罪滅ぼし、と言えばそうなのかもしれない。鬼の私はあまりにも多くの人を殺めてしまったから、仙人として人を救い、導こうとしたのか……」
「かもしれないが、貴方が人を殺すのは食うためだろう。他の生命を食って生きるのは生き物全ての業で、それを罪とするのは食う側の都合に過ぎない。食われる側はただ抵抗するだけさ、貴方も一度殺されかけたように。あるいは他の者が食われますようにってな。それに、罪は滅ぼそうと思って滅ぼせるものじゃない。怨霊の私がここにいる事が何よりの証明だと思わないか?」
屠自古が怨霊と化す程の裏切り行為。その恨みを糧にして千年以上も現世に留まってきた者の発言は重い。
『覆水盆に返らず』という言葉がある。屠自古を裏切った相手がどんなに頭を下げたとしても屠自古が元に戻ることはないのだ。もっとも、あの子がそのような行為を取るとは想像できないが。
「……そうね。贖罪したくても、私は食べた相手の顔も覚えていない」
「そうだな。食ったことの贖罪をしたいと言うのなら、それはこれ以上は食わない事かもしれないぞ?」
「私はそんな人生耐えられんぞー?」
「お前は死んでるくせに食い過ぎなんだよ! このただの食いしん坊が!」
特技は何でも食べることだと自称する芳香も生命維持の為の活動を必要としないはず。この子を突き動かすものはただ一つ、『欲』なのだろう。
「結局、仙人じゃないとダメだったなんて事はないのよね……今の自分に向いているのはこれだったってぐらいなのかしら」
「かもな。でも職業選択なんてそんなものだ。それに動機や本心がどうであれ、貴方の活動に感謝している人間は少なくないだろう。私から見れば貴方は誰よりも立派な仙人だと思うよ」
「そうだなー。華扇は立派だぞ! まあ青娥ほどじゃないけどなー!」
芳香はすぐ青娥をものさしにする。お小言を言いたくもなるけど、また眠っている子を起こしかねないので止めておくことにした。
「死神に命を狙われるのすらも悪くは思わなかった。私の身体はとっても長生きだから……こうやって命を狙われている方が逆に生きている実感が湧いてくるの」
「青娥と同じこと言ってるな。あいつも死神の襲撃をイベントのように扱っていたよ。むしろ次はどうやって自分を殺しに来るのか楽しむ始末だった」
「竹林に住む蓬莱人も同じなのかしらね。あの人達は本物の不死だから、殺し合いでもしていないと生きていながら死んでもいる……そんな存在になりたくなかったのかもしれないわ」
「一度青娥に聞いたことがあるんだ、不老不死を目指すなら蓬莱人じゃ駄目なのかって。そうしたらこう言ったよ、私自身が絶対に死なない身体になったらつまらないって」
「……ふふ、あの人らしいわね」
仙人は人生を楽しむプロフェッショナルでもある。その点では青娥の右に出る仙人はいないのだろう。
「一つ、確かに言えることがあるとすれば、こうやって仙人の仲間同士で意見を交わし合ったり……」
「私達は仙人じゃないよ」
「もう! 目指してたんでしょ? 話の腰を折らない!」
せっかく良いことを言おうとしていたのに、やっぱりここの人達とは絶妙に会話が噛み合わない。
「ええとそれから……人里で美味しいものを食べ歩いたり、みんなでお酒を呑んだり、霊夢がだらしないのをお説教したり……今のそんな生き方は悪くないわ」
「だがそれは仙人でなくてもできるよな? それこそ、鬼でも」
「まあまあ。つまりだなぁ、華扇は根がマジメなのだ。鬼だと、鬼だから、鬼らしく振るまわずにはいられないのだ……と青娥も言っていた」
「うっ……」
芳香も決して悪く言ってはないけれど、この子からそのように分析されるとちょっぴり複雑だ。
「だいたい屠自古だってマジメだろー? 足だって普通に生やせるのに大根みたいにしてるのはマジメにお化けをやろうとしてるからじゃろうが」
「ぐっ……」
屠自古もしっかり言われてしまった。ただ、大根は流石にどうかと思うけど。
「我が主も同じよ。邪仙と呼ばれているからこそ、あえて邪術を好んで用いて努めて邪仙たらんとしておる。まったく可愛いのう……」
「お前はキョンシーのフリを忘れてるみたいだけどな」
「ぬぉっと。あー? なんだっけー?」
それまで腕を組んで頷いていたくせに、急に腕をピンと伸ばして口をだらしなく開けた。マジメに演じているのはこの子だって同じだ。
「青娥にバラしちゃおうかしらね、今の事」
「あー無駄無駄。芳香の行動は全部青娥に筒抜けだから密告するまでもないよ」
「またやってしまったー。おーこーらーれーるー!」
「でもさあ、青娥に怒られるのも好きなんだろ?」
「まーな」
芳香はしれっと言い放った。
何の事はない。この子が一番の役者だったんじゃないか。
私達はしばらく無言で紅茶の風味を楽しんだ。三人寄ればかしましいと言うけれど、クールダウンの時間は必要だ。それに私も私自身を反省する間が欲しかった。
「貴方は、青娥とは仲良くやってるのか?」
ところがその時間すら許されず、屠自古が次の爆弾を放り込んできたのだった。
「げほっ、ぅぐッ……!」
紅茶が私の器官の入ってはいけない方に流れ込んでしまった。
「す、すまん。そんなこと聞かれたくないよな。私だってそうだし」
「な、仲良くって、ごほっ……!」
一体どこまでの話をしているのか、と喉元まで出かけたがそこは懸命に堪えた。
「屠自古もなー。青娥と仲良しって言われると怒るんだよなー。事実のくせに」
「お前はデブを気にしてる奴にデブって言うのか?」
「青娥はスタイル良いぞ。ボン、キュッ、ボンじゃぞ」
「そういう事じゃないしまた出てる。助平親父出てきてる」
二人は私がむせている間も漫才を繰り広げていた。もしくは、私が立ち直るまでの時間を作るためにわざとやってくれているのか。流石に考えすぎだろうか。
「……で、その辺りはどうなんよ?」
「べ、別に普通よ。たまに見かけたら一緒にご飯食べるくらいの!」
「そりゃ何よりだ。あいつには苦労させられると思うけど、ペットの猫を世話してるぐらいのつもりで気を付けてやってくれ」
「え、ええ……」
「よろしく頼むな」
屠自古は顔色を全く変えずに紅茶をもう一口飲んだ。
「……………………?」
「そ、それだけ……?」
「それだけだが……?」
「何を期待しとったんじゃ華扇」
芳香が呆れ顔でクッキーを咥える。
「別に何もありません! 急に聞くから何かあるのかと思っただけだし!」
「じゃあやっぱり期待してたんじゃろー」
「揚げ足を取るんじゃありません!」
「足を取られてる奴ならここに居るけど」
「あー! もー! この人達は!!」
めんどくさい。とてもめんどくさい。青娥も大概だけどこの人達も大概だ。こんなだから死んでも死にきれなかったんだ、そうに違いない。
「……ふふ、悪かったよ。ただ、話してたら何となくあいつと似たようなところを感じてさ。だから気が合うのかなあと」
「う……似てる? 私と青娥、そんなに?」
「待てい、青娥はこんな奴とは全然違うぞ!」
「ああはいはい、青娥の方が万倍可愛いな。だから大人しくこれでも食らってろ」
屠自古がクッキーを十枚ほどまとめて芳香の口に突っ込んだ。流石の芳香も咀嚼がままならぬほどの大口ではもがもがと身悶えするしかないようだ。
「……で、他人におせっかいは焼くけど自分の領域には踏み入らせないところとか、欲望には逆らえないところとか。思い当たるフシはあるだろう?」
「不本意ながら、あるわね」
「だろ? だからさ、何を思ったのかっていうとだ……」
屠自古がカップを置いて照れくさそうに微笑んだ。
「私も仲良くなれるんじゃないかなって」
はにかむ屠自古の顔は、普段のしっかりものでちょっと怒りっぽい彼女とは全く異なる魅力を放っていた。
「へっほふほへはひーははっはんはほーは。ほんほほひほはふんへへはほー!」
「うるさいなあ。私だっていろいろあるんだよ」
クッキーを詰まらせたまま発言した芳香の台詞は私には解読不可能であった。屠自古は今ので理解できたのだろうか。
「……それで、貴方はどうなんだ?」
「……華扇よ」
「へ?」
「いつまでも『貴方』なんて他人行儀な呼び方してないで、華扇って呼べばいいじゃない」
本当に屠自古も真面目だ。幻想郷なんて失礼な人だらけなのに、大昔の怨霊のはずの彼女は呼び捨てにしてくれないのだから。もっとも、それが彼女の良いところでもあるのだろう。
「……へへ、ありがとうな、華扇。改めてよろしく頼むよ」
「こちらこそ。よろしくね、屠自古」
「……ぷはぁ! 私もだぞ!」
芳香も手をバタバタと振り回してようやくクッキーを飲み込めた。
鬼の身でありながら仙人として天道を歩む私と、かつて仙人を目指していた怨霊に死体。あまりにも変わり者の三人だけど、こういうゲテモノも受け入れてくれるのが幻想郷の良いところだ。腕を切られてから苦悩も葛藤もいろいろあったけど、私は今の環境を本当に心から楽しんでいると思う。
やっぱり人間は面白い。あの邪仙のようにいつまで経っても天界に行こうとしない仙人がいる、その理由が私にも少し理解できたような気がした。
「そうそう、仲良くなったついでなんだが……」
屠自古は台所に引っ込むと、ある大きな物を担いで帰ってきた。
箱だ。
それは人が一人入れそうな程の巨大な箱だった。
「華扇なら持てるよな? 貰っていってくれよ」
確かにこれぐらいなら片手でも持てるけど、私はその前に訝しみながら中身を確認した。
古来から大きな箱の中身というのはろくなものじゃない。大きなつづらを選んだ老婆はどうなっただろうか。この状況で箱に怨念を込めるとも思えないけど気になってしまう。ダンジョンに設置された宝箱の如く、恐る恐る箱を開いた私の視界に飛び込んできたものは──。
クッキー。
クッキーにクッキーとクッキーのクッキーがクッキーでクッキーはクッキーをクッキーもクッキー。
そこには私もドン引きするほどのクッキーが詰め込まれていた。
「華扇なら食べ切れるよな? 友人として処理に協力してくれるよな?」
「華扇! お前ならやれるぞー! ファイトだぞー!」
本当にもう、この人達は……。
「あんた達とは絶交よッ!!」
私は力いっぱいに叫んだ。
その後、私はまたここにお茶とお菓子をご馳走してもらいに来ると約束して、身軽に神霊廟を去るのだった。
不老不死を目指した者、人知を超えた力を欲した者、ただ俗世から切り離されたかった者、ならざるを得なかった者。私もこれまでいろいろな人物を目にしてきた。
そのような色とりどりの中でも、幻想郷で出会った仙人達が特等の変わり者であったことは自信を持って断言できる。
もっとも、端から見れば私だって十分な『ゲテモノ』であるのは理解しているつもりだけれども。
大陸文化にも影響を受けたのであろう豪華絢爛な建物は、本人の気質をそのまま表しているのか、かつての栄華を忘れられぬのか。私が山中に迷路のような結界を張り巡らせて自分の世界を持っているのと同様に、この者達も独自の空間を築き上げていた。
豊聡耳神子。それがここ、神霊廟の主の名だ。
そして私、茨木華扇はその正門の所に立っていた。
「ごめんください。どなたかいらっしゃいますか?」
大扉を叩くも返事はなく、静かだった。
神子は人里から弟子を募って何人かを修行させているという話なので、居るなら弟子の鍛練の声ぐらい聞こえてきてもいいだろう。
留守か、あるいは今日は休みなのか。
せっかく来たのに無駄足だったかしらと愚痴りつつ、気分転換に人里の甘味処にでも寄ろうかと扉に背を向けた直後だった。
首筋に当たる、冷たい吐息。
「はあ、誰かと思ったら貴方か。いらっしゃい」
「ひょわっ!?」
思わず変な声を上げてしまう。不覚。
「あ、ああ、済まない。扉を開けるのも面倒だったのでつい」
「びび、びっくりしたぁ~……」
扉を開ける音も、足音も、生き物の気配すらも無かった。それもそのはずだ、目の前に居る人物は生きていないのだから。
「……自分の家だからって扉をすり抜けるのは感心しないわね、屠自古」
「来客の正体も分からず開けるほど愚かではないよ。太子様は要人中の要人だからね」
彼女の名前は蘇我屠自古。物部布都と並んで神子の部下の一人でもある。しかし彼女の一番の特徴といえばやはり足がないことだろう。何しろ彼女は怨霊なのだから。
「とにかく、私とわかったなら開けてもらえるわよね。借りていた本を返しに来たのだけど……神子は留守かしら?」
「ああ、太子様も布都も留守だよ。それぞれ人里で好き放題やってるんじゃないかねえ、まったく……というかその本、青娥が勝手に持っていったヤツじゃないか?」
「そうなのよ。貸してほしいって頼んだら、それ神霊廟から借りたものだからついでに返しておいて~、って。しょうがない人なんだから」
「いや、返ってきただけありがたいさ。いつもだったら私がわざわざ出向いて取り戻しに行くんだからな」
私も向こうも苦笑いを浮かべた。ここの三人が今の状況になるきっかけであった邪仙、霍青娥に悩まされているのは身内といえど同じらしい。
「ま、そういう事なら上がっていきなよ。ただ、扉は自分で開けてほしい。これ重いんだよ。凄く、とても」
二回も強調詞を後付けしてまで客人に開門させる扉とは、と試しに片手を置いた瞬間にその異常さが伝わった。
切り立った崖の真下で岩壁に手を当てているような光景が脳裏に浮かぶ。
確かに常人ではびくともしない、まさに鉄壁の守りと言えるだろう。つまりこの扉を開けられるのは非常識な力を持つ者のみということだ。
すなわちここの主や私のような存在だけが。
「さすが、軽々と。この扉も鬼の怪力の前では紙同然だな」
「……え?」
私が振り返ると、屠自古はばつの悪そうな表情を浮かべた。
「あー……すまん。とにかく居間に案内するよ。ちょうどおやつタイムでさ、お茶菓子ぐらいは用意できるから」
「それは仕方ありませんね。ご馳走になっていきましょう」
扉を開けてから漂っていた甘い香りは間違いなく生クリーム。仙人の鼻は誤魔化せない。人の好意を無下にしては失礼だし遠慮なくいただこう。
「ぅ、おー、やっぱり華扇かー! この匂いは華扇だと思ったぞ!」
「ん、知り合いだったのか? まあそりゃそうか、青娥と交友があるんだもんな」
そこに居たのは口の周りにクリームでできた白ヒゲを生やした芳香だった。それより私はそんなに匂うのだろうか。女の子として清潔にしているつもりだけれど。
「ご無沙汰ね、芳香。貴方は相変わらず元気そうで何より」
「私はぁ、青娥がいる限り元気だぞぉ!」
逆に言えば青娥がいなくなれば力を失うということでもある。宮古芳香は青娥に操られるキョンシーだ。ただ実態はこの通り、青娥がいない所でも元気に好き勝手やっている。
「今日は貴方だけなのね。青娥はどうしたの?」
「幻想郷の外にお買い物に行ってしまったぞ! 私は退屈だから屠自古と遊んでやろうと思ったのでなー」
「つまり青娥が居なくて寂しいからこっちに来たって事だ」
「そうとも言う!」
それは仲が良くて何よりだ。死人同士、何かと気が合うこともあるのだろうか。
それよりも。
「……私のケーキは?」
ちゃぶ台の皿を見ればそれなりの大きさのケーキがワンホール丸々置かれていたのは想像できる。しかし今はクリームの跡とスポンジのカスしか残っていないではないか。
「はぁー? これは全部私のケーキなのだが?」
「ああー……すまん、芳香のペースが思ったより早かったらしい」
「遅かろうが分けてはやらんぞ!」
芳香は勝ち誇ったように自分のお腹を撫でていた。
「食いしん坊なのはわかってたけどまさか一度に丸ごと全部食うとはな……」
「いえ、それは普通だと思うけど」
「……すまん、常人の基準をお前達にも当てはめようとしたのが間違いだった」
仙人は霞だけで生きていると思われることもあるけど大間違いだ。私が食いしん坊なのではなく、人の十倍くらいは平らげても身体を維持するのも修行の一環だ、ということにしてほしい。
「まあいいさ、菓子はまだいっぱいあるからな。青娥がここに寄るたび持ってくるんでね。孫に会いに来た婆さんかってんだよ、なあ」
「そこだけ聞くなら良いお婆ちゃんじゃない。まあ……そこ以外の事は聞くまでもないけど」
横目で芳香をちらりと見る。死体を可愛がる趣味を理解できる人物は幻想郷の妖怪まで含めてもごく少数だろう。
「しっかり防腐の術までかけて渡すから古くなったのを理由に捨てるのもできないんだよなあ。とにかく持ってくるから座っててくれな」
屠自古は空いている座布団を指差すと、台所にふよふよと飛んでいった。
「食べ物を無駄にする気はないのよね。立派な怨霊さんだわ」
「良いヤツだろぉ? 私の自慢の友人だぞー。いや、友霊か?」
芳香が屈託のない笑顔で語る。
呼び方はともかく、屠自古がこの中で一番『話が通じる』人物なのは疑いようがない。怨みを糧にこの世に留まっているとは思えないほどに。
そして芳香も、死体を好き勝手に弄くられる冒涜を完全に受け入れて現在を謳歌している。そもそも冒涜とも思っていないのかもしれない。
二人についていろいろと考えを巡らせたかったのだが、それは芳香の唐突な無作法によって断念せざるを得なかった。皿に残ったクリームをべろんべろんと犬食いで舐めだしたのだ。そういうのは一人で居る時だけにしなさいと流石に注意していた最中、屠自古が追加の洋菓子と紅茶を運んで戻ってくる。
山盛りのクッキーだ。これも青娥が持ってきたのだろうか。
「青娥曰く、パティシエを任せようと婆さんの死体を蘇らせたらな、そいつがひたすらクッキーばっかり焼いたんだとさ。ちょっと出掛けてた間に工房がクッキーで溢れてたとか」
「クッキーババア事件だぞぅ……あの時は酷かった……」
「はあ、そうなの……あ、味は大丈夫なのよね?」
「美味いから青娥も捨てるに捨てられなかったのだぞ……」
試しに一つ口に運んでみる。バターの香りと優しい甘さが口の中に広がり、冷めていてもサクサクの軽やかな歯ざわりだ。
「お、美味しい……プロの味だわ……!」
「だろー?」
経緯はさておき、美味しいならご馳走になる私が文句など付けられるはずもない。屠自古が淹れてくれた紅茶と共に、私たちはしばらくティータイムを楽しんだ。
「一つ、聞いてもいいかしら?」
クッキー山をようやく半分まで切り崩したところで、私は屠自古に話を切り出した。
「なんだ、おかわりか?」
「……まだあるの?」
「見たら貴方でも引くぐらいは」
そうまで言われると怖いもの見たさが湧いてくるけども。
「遠慮しておきます。そうではなくてね、私の種族の事よ。青娥から聞いたの?」
「いんや、あいつは他人の素性の話はしないよ。何しろ自分が一番だからな。ついでに言うなら芳香でもない」
「う、む。キョンシーは口が堅いぞ。身体も硬いしなぁ」
キョンシー特有の死体ジョークだ。言うと思った。
まあ、芳香でないのは間違いないだろう。自分から他人の噂を広げるタイプとも思えない。
「……渡辺某だったか。そんな名前の奴に腕を切られた鬼の話は、当時の青娥から聞かされた。あとは名前と雰囲気でなんとなく察したよ」
その名を思い起こされた瞬間、ズクン、とがらんどうのはずの右腕が痛む感覚に襲われた。忘れられようもない、私が己の邪と切り離されて今の私になった人生の分岐点だ。
「……そっか。貴方も当時の人だったわね」
「私は廟から出なかったから全部青娥が情報元の話になってしまうけどね」
「それはまた、何というか……」
「少なくとも今の話は本当だったろう。太子様が眠っていた間の事を語れるようになれ、と言われてさ。この際あいつが教えてくれる事が嘘でも本当でもどうでもよかった。実際、何もしないと本当に気が狂いっぱなしになってたからなあ」
屠自古が自嘲気味に笑った。私もここの者達が幻想郷に来た経緯は聞いている。今こそ笑ってはいるが、決して笑い事では済まない話だったろう。笑えるだけ大したものだと言うべきか。
「んむ? 華扇よ、そんな顔しなくていいぞ。死人には時間のムダ使いなんてないからなー」
「んまあ、芳香の言う通りだな。私がここにいるの自体が人生のおまけみたいなものだ。おまけだから狂いっぱなしでも別に良かったんだよ。死ぬわけでもないし」
確かに、二人は寿命というリミットから解き放たれた存在だ。生きる為にやむを得ず取らなければならない行動も不要で、死ぬまでにやっておきたい、なんて願望に囚われることもない。
「とにかく、私の事を知っていたのは納得したわ。お願いだからむやみに言い広めないでね?」
「やる意味もないさ。貴方はあの邪仙と違って人様に迷惑をかける人じゃないだろうし」
ほっと一息ついて、カップに残る冷めた紅茶を飲み干した。
私がカップを置くと、屠自古がすかさず紅茶のおかわりを注ぐ。その様子で何となくわんこそばを思い出してしまって今度食べに行こうかな、などと考え出していた矢先だった。
「一つ、私からも貴方に聞いていいだろうか」
屠自古は自分のカップにも紅茶を注ぎながら、神妙な面持ちで私に問いかけた。
「先に私が質問した以上、答えてあげないわけにはいかないわね」
「いやいや、強制するようなものじゃないよ。答えたくないなら答えなくていいって」
「華扇はマジメだな。もっと肩の力を抜いても良いんだぞー? 私は抜こうとすると肩ごと抜けちゃうけどなぁ」
「ぶっ」
屠自古が口を抑えてうつむいた。芳香の死体ギャグは死人にはウケるようだが生きている私には今一つ。
「……オホン。いやまあ、単純な質問だよ。どうして仙人になんてなろうと思ったんだ?」
「それは貴方や他の二人だってそうだったんでしょう? 仙人なんて、って言い方はないんじゃない?」
神霊廟の三人は青娥の指導の下で仙人になろうとしていた者達だ。屠自古だけは諸事情で怨霊になってしまっているけれど、邪魔が入らなければ彼女も仙人だったはず。
「私達は人間だ。生きられても長くて一世紀だし、私達の時代なんか半世紀も生きられなかったものさ。しかし貴方はたとえ鬼の心を失ってもその体は不老長寿のはずだ。なのにどうしてわざわざ死神から命を狙われなければならない生き方を選んだのか、それを聞きたくて」
私はしばらく間を置いて、紅茶を一口すすった。
「……思ったより突っ込んでくるじゃない」
「あー、すまないな。普段から人との距離感が皆無の奴に付き合わされてるせいかも」
「そうやって何でもかんでも青娥のせいにするのも良くないわよ? いくら邪仙と呼ばれていても」
「待てい華扇。そこで青娥を真っ先に挙げるとはどういう事じゃ。豊聡耳かもしれんし物部かもしれんだろう」
ひたすらクッキーを貪っていた芳香がここだけは目の色を変えて私に食いついてきた。
「芳香出てる、本性出てる」
「うぉっと。あー、まだまだ全然お腹空いたなー!?」
屠自古の指摘を受けた芳香は白々しくクッキーに手を伸ばし直す。まあ、距離感がおかしいのは青娥以外もなのは同意見だ。神子は大前提として自分が万人に受け入れられると思っているフシがあるし、布都はもう、なんかもう。そもそも射程圏内に入ったらとりあえず弾を撃つ人達ばかりの幻想郷で距離感もへったくれもなかった。
「そうね……自分の右腕を探すためには仙人を名乗る方が都合が良かった。これは否定しないわ」
「それは、そうだろうな。切られた腕を探してる鬼です~なんて公言してたら本物のバカだ」
「かといって一般人のフリをするには私はちょっと強すぎるしね」
「そうだな。鬼だしな」
事実を言っただけなのだけど、屠自古がちょっぴり呆れているような気がする。それはともかく話を続けよう。
「罪滅ぼし、と言えばそうなのかもしれない。鬼の私はあまりにも多くの人を殺めてしまったから、仙人として人を救い、導こうとしたのか……」
「かもしれないが、貴方が人を殺すのは食うためだろう。他の生命を食って生きるのは生き物全ての業で、それを罪とするのは食う側の都合に過ぎない。食われる側はただ抵抗するだけさ、貴方も一度殺されかけたように。あるいは他の者が食われますようにってな。それに、罪は滅ぼそうと思って滅ぼせるものじゃない。怨霊の私がここにいる事が何よりの証明だと思わないか?」
屠自古が怨霊と化す程の裏切り行為。その恨みを糧にして千年以上も現世に留まってきた者の発言は重い。
『覆水盆に返らず』という言葉がある。屠自古を裏切った相手がどんなに頭を下げたとしても屠自古が元に戻ることはないのだ。もっとも、あの子がそのような行為を取るとは想像できないが。
「……そうね。贖罪したくても、私は食べた相手の顔も覚えていない」
「そうだな。食ったことの贖罪をしたいと言うのなら、それはこれ以上は食わない事かもしれないぞ?」
「私はそんな人生耐えられんぞー?」
「お前は死んでるくせに食い過ぎなんだよ! このただの食いしん坊が!」
特技は何でも食べることだと自称する芳香も生命維持の為の活動を必要としないはず。この子を突き動かすものはただ一つ、『欲』なのだろう。
「結局、仙人じゃないとダメだったなんて事はないのよね……今の自分に向いているのはこれだったってぐらいなのかしら」
「かもな。でも職業選択なんてそんなものだ。それに動機や本心がどうであれ、貴方の活動に感謝している人間は少なくないだろう。私から見れば貴方は誰よりも立派な仙人だと思うよ」
「そうだなー。華扇は立派だぞ! まあ青娥ほどじゃないけどなー!」
芳香はすぐ青娥をものさしにする。お小言を言いたくもなるけど、また眠っている子を起こしかねないので止めておくことにした。
「死神に命を狙われるのすらも悪くは思わなかった。私の身体はとっても長生きだから……こうやって命を狙われている方が逆に生きている実感が湧いてくるの」
「青娥と同じこと言ってるな。あいつも死神の襲撃をイベントのように扱っていたよ。むしろ次はどうやって自分を殺しに来るのか楽しむ始末だった」
「竹林に住む蓬莱人も同じなのかしらね。あの人達は本物の不死だから、殺し合いでもしていないと生きていながら死んでもいる……そんな存在になりたくなかったのかもしれないわ」
「一度青娥に聞いたことがあるんだ、不老不死を目指すなら蓬莱人じゃ駄目なのかって。そうしたらこう言ったよ、私自身が絶対に死なない身体になったらつまらないって」
「……ふふ、あの人らしいわね」
仙人は人生を楽しむプロフェッショナルでもある。その点では青娥の右に出る仙人はいないのだろう。
「一つ、確かに言えることがあるとすれば、こうやって仙人の仲間同士で意見を交わし合ったり……」
「私達は仙人じゃないよ」
「もう! 目指してたんでしょ? 話の腰を折らない!」
せっかく良いことを言おうとしていたのに、やっぱりここの人達とは絶妙に会話が噛み合わない。
「ええとそれから……人里で美味しいものを食べ歩いたり、みんなでお酒を呑んだり、霊夢がだらしないのをお説教したり……今のそんな生き方は悪くないわ」
「だがそれは仙人でなくてもできるよな? それこそ、鬼でも」
「まあまあ。つまりだなぁ、華扇は根がマジメなのだ。鬼だと、鬼だから、鬼らしく振るまわずにはいられないのだ……と青娥も言っていた」
「うっ……」
芳香も決して悪く言ってはないけれど、この子からそのように分析されるとちょっぴり複雑だ。
「だいたい屠自古だってマジメだろー? 足だって普通に生やせるのに大根みたいにしてるのはマジメにお化けをやろうとしてるからじゃろうが」
「ぐっ……」
屠自古もしっかり言われてしまった。ただ、大根は流石にどうかと思うけど。
「我が主も同じよ。邪仙と呼ばれているからこそ、あえて邪術を好んで用いて努めて邪仙たらんとしておる。まったく可愛いのう……」
「お前はキョンシーのフリを忘れてるみたいだけどな」
「ぬぉっと。あー? なんだっけー?」
それまで腕を組んで頷いていたくせに、急に腕をピンと伸ばして口をだらしなく開けた。マジメに演じているのはこの子だって同じだ。
「青娥にバラしちゃおうかしらね、今の事」
「あー無駄無駄。芳香の行動は全部青娥に筒抜けだから密告するまでもないよ」
「またやってしまったー。おーこーらーれーるー!」
「でもさあ、青娥に怒られるのも好きなんだろ?」
「まーな」
芳香はしれっと言い放った。
何の事はない。この子が一番の役者だったんじゃないか。
私達はしばらく無言で紅茶の風味を楽しんだ。三人寄ればかしましいと言うけれど、クールダウンの時間は必要だ。それに私も私自身を反省する間が欲しかった。
「貴方は、青娥とは仲良くやってるのか?」
ところがその時間すら許されず、屠自古が次の爆弾を放り込んできたのだった。
「げほっ、ぅぐッ……!」
紅茶が私の器官の入ってはいけない方に流れ込んでしまった。
「す、すまん。そんなこと聞かれたくないよな。私だってそうだし」
「な、仲良くって、ごほっ……!」
一体どこまでの話をしているのか、と喉元まで出かけたがそこは懸命に堪えた。
「屠自古もなー。青娥と仲良しって言われると怒るんだよなー。事実のくせに」
「お前はデブを気にしてる奴にデブって言うのか?」
「青娥はスタイル良いぞ。ボン、キュッ、ボンじゃぞ」
「そういう事じゃないしまた出てる。助平親父出てきてる」
二人は私がむせている間も漫才を繰り広げていた。もしくは、私が立ち直るまでの時間を作るためにわざとやってくれているのか。流石に考えすぎだろうか。
「……で、その辺りはどうなんよ?」
「べ、別に普通よ。たまに見かけたら一緒にご飯食べるくらいの!」
「そりゃ何よりだ。あいつには苦労させられると思うけど、ペットの猫を世話してるぐらいのつもりで気を付けてやってくれ」
「え、ええ……」
「よろしく頼むな」
屠自古は顔色を全く変えずに紅茶をもう一口飲んだ。
「……………………?」
「そ、それだけ……?」
「それだけだが……?」
「何を期待しとったんじゃ華扇」
芳香が呆れ顔でクッキーを咥える。
「別に何もありません! 急に聞くから何かあるのかと思っただけだし!」
「じゃあやっぱり期待してたんじゃろー」
「揚げ足を取るんじゃありません!」
「足を取られてる奴ならここに居るけど」
「あー! もー! この人達は!!」
めんどくさい。とてもめんどくさい。青娥も大概だけどこの人達も大概だ。こんなだから死んでも死にきれなかったんだ、そうに違いない。
「……ふふ、悪かったよ。ただ、話してたら何となくあいつと似たようなところを感じてさ。だから気が合うのかなあと」
「う……似てる? 私と青娥、そんなに?」
「待てい、青娥はこんな奴とは全然違うぞ!」
「ああはいはい、青娥の方が万倍可愛いな。だから大人しくこれでも食らってろ」
屠自古がクッキーを十枚ほどまとめて芳香の口に突っ込んだ。流石の芳香も咀嚼がままならぬほどの大口ではもがもがと身悶えするしかないようだ。
「……で、他人におせっかいは焼くけど自分の領域には踏み入らせないところとか、欲望には逆らえないところとか。思い当たるフシはあるだろう?」
「不本意ながら、あるわね」
「だろ? だからさ、何を思ったのかっていうとだ……」
屠自古がカップを置いて照れくさそうに微笑んだ。
「私も仲良くなれるんじゃないかなって」
はにかむ屠自古の顔は、普段のしっかりものでちょっと怒りっぽい彼女とは全く異なる魅力を放っていた。
「へっほふほへはひーははっはんはほーは。ほんほほひほはふんへへはほー!」
「うるさいなあ。私だっていろいろあるんだよ」
クッキーを詰まらせたまま発言した芳香の台詞は私には解読不可能であった。屠自古は今ので理解できたのだろうか。
「……それで、貴方はどうなんだ?」
「……華扇よ」
「へ?」
「いつまでも『貴方』なんて他人行儀な呼び方してないで、華扇って呼べばいいじゃない」
本当に屠自古も真面目だ。幻想郷なんて失礼な人だらけなのに、大昔の怨霊のはずの彼女は呼び捨てにしてくれないのだから。もっとも、それが彼女の良いところでもあるのだろう。
「……へへ、ありがとうな、華扇。改めてよろしく頼むよ」
「こちらこそ。よろしくね、屠自古」
「……ぷはぁ! 私もだぞ!」
芳香も手をバタバタと振り回してようやくクッキーを飲み込めた。
鬼の身でありながら仙人として天道を歩む私と、かつて仙人を目指していた怨霊に死体。あまりにも変わり者の三人だけど、こういうゲテモノも受け入れてくれるのが幻想郷の良いところだ。腕を切られてから苦悩も葛藤もいろいろあったけど、私は今の環境を本当に心から楽しんでいると思う。
やっぱり人間は面白い。あの邪仙のようにいつまで経っても天界に行こうとしない仙人がいる、その理由が私にも少し理解できたような気がした。
「そうそう、仲良くなったついでなんだが……」
屠自古は台所に引っ込むと、ある大きな物を担いで帰ってきた。
箱だ。
それは人が一人入れそうな程の巨大な箱だった。
「華扇なら持てるよな? 貰っていってくれよ」
確かにこれぐらいなら片手でも持てるけど、私はその前に訝しみながら中身を確認した。
古来から大きな箱の中身というのはろくなものじゃない。大きなつづらを選んだ老婆はどうなっただろうか。この状況で箱に怨念を込めるとも思えないけど気になってしまう。ダンジョンに設置された宝箱の如く、恐る恐る箱を開いた私の視界に飛び込んできたものは──。
クッキー。
クッキーにクッキーとクッキーのクッキーがクッキーでクッキーはクッキーをクッキーもクッキー。
そこには私もドン引きするほどのクッキーが詰め込まれていた。
「華扇なら食べ切れるよな? 友人として処理に協力してくれるよな?」
「華扇! お前ならやれるぞー! ファイトだぞー!」
本当にもう、この人達は……。
「あんた達とは絶交よッ!!」
私は力いっぱいに叫んだ。
その後、私はまたここにお茶とお菓子をご馳走してもらいに来ると約束して、身軽に神霊廟を去るのだった。
率直な屠自古はかわいい
さて、クッキーをクリックする作業に戻るか……
面々の中良さそうな感じがたいへん良いですね。ありがとうございました。
鬼でありつつも調和を選ぼうとする華扇を中心に仙人になりきれなかった二人のそれぞれも軽く触れられていて感傷的になりそうで、でもクッキーという清涼剤を含んだコメディタッチな会話劇で。その談笑が伝わって来るようなテンポの文章でした。屠自古ちゃんもお化けであろうとしてわざわざ大根風な足にしてるとか良いですよね…。良いんですよ。
文章の途中で軽く話題に登った青娥評も何気に好き。蓬莱人になってはつまらないとか敢えて邪仙たろうとしてる部分とか良いよね…。そして筒抜けな芳香ちゃんもかわいい。素敵な霊廟の日常風景をありがとうございました。
芳香の死体ジョークを交えながらの3人のやりとりは可愛かったです。
これからも3人で仲良くやって欲しい、そう思えました。
クッキーババア事件の詳細が待たれます
死体ジョークも冴えていました
これからも三人には仲良くしててほしい。素敵な作品でした。