みいん、みいん
「はあー、あっつ……うるさ……」
ここは真夏の幻想郷。暑い日差しに項垂れて、早苗さんはたまらず川へ涼みにやってきていました。膝から下を川につければ、暑さなんて何のその。ひんやりとした感覚が早苗さんの頬を緩めてくれます。
「ふん、ふん、ふふーん」
さっきまではやかましいと思っていた蝉の鳴き声も、少しだけクリアになった今の心には、なんとも風情があると早苗さんの心に沁みます。ちょっと現金な気もしますが、それはそれ、これはこれです。暑いものは暑いのですから。
段々気分が上向いて、早苗さんは昔よく聞いていた歌を口ずさみながら、足をぱたぱたと動かします。足が水面を出入りするたびに、微かな水しぶきが舞います。空を見上げれば入道雲は大きく佇んでいて、早苗さんはさっきまでは嫌っていたこの暑さに、確かに夏の良さを感じていました。
そうして空を見上げていたせいでしょうか、川を流れてくるものに早苗さんは気が付きませんでした。早苗さんの踵が、ごちんと手ごたえならぬ足ごたえを感じたのです。
「痛ってええっ!」
ざばんと大きな音を立て、現れたのは河童妖怪。早苗さんもよく知る、河童のにとりさんでした。
「何しやがるんだい……って守矢様んとこの巫女さんじゃないか」
「あら、にとりさんこんにちは。ただ私は巫女ではなく……まあいいです。暑いですし、面倒だし。しかし、何をしていたんです? まさか本当に河童の川流れとか?」
「すげえなこいつ、一片も悪びれてねえ」
早苗さんの言葉に、にとりさんは蹴られた後頭部をさすりながら、事の次第を話してくれました。なんでも、この辺りに見たことが無いものがあるのだと。
「仲間内から聞いただけなんだけどさ、なんでも金属っぽかったって聞いてね。ちょいと探しに来たって訳さ」
「河童も知らない、見たこともないモノ、ねえ。もしかしたらロボットとか」
「ロボットくらい私だって作れらい! それにアンタらも作ってたろ。外の世界にはそういうのがあるらしいじゃんか。なんでも音を置き去りにするくらい早く飛んだり、それこそ山のような大きさの鉄の船とかもあるんだろ? 一度でいいから見てみたいね」
「ああー、確かにそういうのはありますが、こう、ロボットはね、違うんですよ。もっとこう、なんというか……」
そうして早苗さんは、近くの木陰で幹を背にして座っているロボットを指差しました。
「そう、こんな感じの」
「へえ、こんな感じなんだ」
みいん、みいんと蝉の声が、青空に響いています。
「ロボだこれぇ!」
そこに早苗さんの叫びが加わるのでした。
誰かが夢見た機械人形
早苗さんの叫びから少し。二人は発見したロボットらしきものをにとりさんの工房へと持ち帰りました。
持ち帰ってもまるで反応しないそのロボットは、まるでドラム缶か寸胴か。そんな言葉を思いつくような円筒型の胴体に、申し訳程度に蛇腹のケーブルが伸びて手足となっています。その円筒の先端はまるで蓋のように盛り上がっており、そこについた二つのライトが目なのだと、早苗さんは直感しました。
ロボットの身長は早苗さんとそう変わらない程度です。金属質の見た目をしていたため最初は持ち運ぶのに難儀するかと思われましたが、意外なことに早苗さんと同じくらいの重さしか無かったため、こうして運ぶことが出来ました。どのくらいの重さだったのでしょうね。
「ほへえ、見れば見るほど、ロボットですねえ。しかもデザインが古いというのがなんともまた」
「見るだけでわかるもんなのかい。しかし、仲間たちの言っていたことは本当だったんだねえ……どれ、ちょっくら調べてみるか」
「大丈夫なんですか? 起きたらいきなり攻撃してきたりとか、しません?」
「そんときゃあ川底に沈めてやるから安心しなよ」
にとりさんはそう言うやロボの身体を調べ始めました。どうやら身体の円筒部分は外側を取り外せるようで、中に収められていたケーブルの束や機械の基盤を眺めます。
早苗さんはその様子を後ろから眺めていましたが、そのうちに興味がにとりさんの工房にある様々な創作物に移っていきました。そうして様々な創作物を見ているうちに、外で鳴いていた蝉の声は、いつしか蛙の合唱に変わっていました。
「で、にとりさん。動きそうですか?」
「待ちなよ、多分もうちょっとだと思うんだけどなあ、これがこうで、ここがなんでここに繋がっているんだ? よくわからんなあ」
「今日はこの辺にしましょうよ。きっと動かないでしょうし」
「おほほいおほほい、早苗さんや。それはどういう意味ですかい?」
早苗さんの言葉に他意はありません。善意も悪意もなく、早苗さんは思ったことを言ったのですが、それがどうやらにとりさんの心のどっかの線に触れてしまったのでしょう。風を読むのとはまた違い、コミュニケーションは空気を読まなくてはいけません。
「え。今日はもうやめて、頭とかをすっきりさせてからやっても、いいんじゃなかいかなあって思ったんです」
「アンタ、私の腕を信用していないな?」
「そんなことないですよ! ……できるんですか?」
「できらぁ!」
「……本当に?」
「やってやろうじゃねえかよお前この野郎!」
「野郎じゃないんだけどなあ」
ぷりぷりと怒りながら、にとりさんは作業を再開します。さて一体どうなることやらと、早苗さんもまた待つことにしました。
「できねえーっ」
できませんでした。
こうして次の日になりました。日差しの強さに耐えかねて、蝉たちはまた鳴き始めます。ぐっすり休んでやる気十分なにとりさんを尻目に、早苗さんの目は半分に切った椎茸の傘のようになっています。
(今日もきっと動かないんだろうなあ……)
「今日もきっと動かないんだろうなあ」
「おほーい、聞こえてる、聞こえてる、心の声が聞こえてる」
そうしてやいのやいのとしていましたが、本当にロボットは動く気配がありません。しばらくの格闘の後に、にとりさんは工具を放り出して寝転んでしまいました。
「だあ、駄目だあ」
「そんなに難しいんですか」
「んん、難しいっていうか、なんていうかこいつ、『おもちゃっぽい』んだよ」
「……? どういうことです?」
早苗さんの疑問に応えるべく、にとりさんはロボットの胴体部分の金属を取り外しました。昨日見たように、そこにはどんな目的でつけられているかわからないケーブルや基盤、ハート型のバッテリーのようなものも見えます。
「すごいですね。未だに機械音痴という言葉が存在するのも頷けます。何が何だかわからないですもん」
「そう、まさにそれなんだ! コイツの中身をどう見ても、なんというか理解が出来なくてさ。最初は私の理解が足りないのかなと思ったんだけど……ほら、例えばここの部分とかさ、意味が無いように見えるだろ?」
にとりさんの指し示した場所を見てみると、バッテリーのようなものから伸びているケーブルが繋がっていなかったり、はたまた骨の代わりであろう腕のフレームに意味もなく張り付いています。そうして早苗さんもロボットの中を見てみると、確かによくわからない構造になっていました。
一通り見終わった早苗さんに、にとりさんは真剣な表情を向けます。そこにあったのは、最初にロボットを発見した時のようなワクワクとしたものではなく、技に携わる者としての様々な感情が含まれているようにも見えます。
昨日ロボットを発見した場所は、天狗や河童もよく行きかう場所で、早苗さんも人里からの帰路の際に休憩場所として使っています。そんな場所にいたロボットを、誰も気が付かないということも中々に難しい話です。張りぼてのような中身もそうですが、このちぐはぐな状況には、普段ほわんぽわんとしている早苗さんも自然と表情が真面目になります。
「誰かが面白半分で造ったにしちゃあ、ガワが出来すぎてるし、知識のあるやつが造ったにしては、中身がお粗末すぎる。こいつは一体何なんだろうなあ……ってどうしたのさ、アンタまで難しい顔しちゃって」
「昨日、デザインが古臭いって言ったじゃあないですか。確かにこんな感じの人型っぽいロボットは外の世界でも見られました。ただ、もっと人間に近かったり、機械的でももっと先進的なデザインが多かったんです」
早苗さんはそこで一度唇の動きを止めます。その言葉には続きがあることに、にとりさんは気付きます。もし早苗さんが造ったのではないのなら、このロボットは外の資料を持っているものが造ったか、外からやってきたものが造った、ということになるのです。そんなものが、妖怪の山に捨て置かれている。それはとても大きなことを意味しているのです。
そうして真面目な顔をしていた早苗さんでしたが、集中力が切れたのでしょうか、普段のようにぽわんとした表情になると、うふふと笑います。にとりさんが笑った訳を尋ねると、まあなるようになるだろうと早苗さんは返します。そんな少女の返答に、にとりさんは出会ってきた他の人間たちの姿を早苗さんの背後に見ました。もう、早苗さんは立派に幻想郷の一員なのだと。
「ま、それもそうか。なんだかなあ、動きでもしてくれればもっと面白くなりそうなもんなんだけど」
「意外とこういうものは簡単なことで動くかもしれませんよ。例えば、こんな感じに……」
そう言いながらそろりそろりとロボットに近づいた早苗さんは、えいやっという可愛らしい声と共に、ロボットの頭と思われる部分をチョップしました。ぺちんという音が、工房内に響きます。手を痛めた早苗さんに呆れていたにとりさんでしたが、思わぬ気配に振り向くと、なんとロボットが小刻みに揺れているではありませんか。
ピポパポピ
ピロリロリー
「嘘ぉ!?」
「これこそ奇跡! しかしまあ、なんと音まで古臭い!」
ドゥルルル、ブルンブルン
グモッチュイーーン
「なんかしちゃいけない音までしてる気がするんだけど、大丈夫これ? 爆発したりしない?」
「さあ?」
次の瞬間、ロボットは甲高い金属の摩擦音を響かせなら激しく振動し始めました。にとりさんは早苗さんの背中を押して、工房から飛び出します。まるで猿叫のようなその音はしばらく続き、早苗さんたちの耳が平穏を取り戻すまでに数分を要しました。
恐る恐る、一人と一匹は工房内に足を踏み入れます。先程までの怪しい起動音はどこへやら、寝転がされていたロボットが、その場で直立していました。固まる早苗さんたちを余所に、なんとロボットは独りでに動き出したではありませんか。その動きは油が差さっていないようにぎこちないものですが、自身の身体を確かめるように、ゆっくりと動いています。
そうして、横を向いたロボットと、早苗さんの視線が合いました。
「こ、こんにちは……ハロー……ボンジョール? バームクーヘン?」
「それ焼き菓子じゃねえ?」
早苗さんと目があったロボットはピポパポとした音を鳴らします。すると、胸部についていた黒い板が光りました。それはモニターだったのです。そこには、カタカナが浮かんでいました。
『コンニチハ』
なんと、ロボットはこちらと意思を疎通できたのです。その事実に早苗さんは微かに惑いましたが、その後ろに隠れていたにとりさんは、鼻息荒く大興奮です。
「うほおー、本当に動いたよコイツ。しかもこんにちはだってさ! わたしはにとり、コイツは早苗。お前の名前は何て言うんだい、教えてくれないか?」
『ピーガガピー…… ニトリ サナエ データベース二 トウロクシマシタ ワタシノナマエハ ロボ ト イイマス ドーゾ ヨロシク』
「声まで聞こえますよ。スピーカーも内蔵していたんですね」
どうやらロボに敵意が無いと分かった早苗さんたちは、機械人形に色々と質問を投げかけていきました。ロボは時折考えているかのようにフリーズしながらも、わかる範囲で答えていきます。
曰く、自分を造られた存在であるということ。自分は人を助けるために生まれたのだということ。ただし、ここで目を覚ます以前の記憶も記録も存在しないということ。
一体誰がこのロボを造ったのか。それは分からずじまいのままです。しかし、先程早苗さんが言っていたように、にとりさんもまた笑っていました。そんなことは後からついてくるものだと。
さて、真剣な空気が薄れてくると、興味湧くのが人の常。にとりさんも早苗さんも、どうしても聞きたかった質問を投げかけました。
「なあ、なあロボよ、お前はなにか武器とか無いのかい?」
『ブキ? ブキ…… シヨウカノウ ナイゾウカキ ケンサク……イクツカ アリマス』
「気になりますね! どういうものがあるんですか?」
『ロケットパンチ トカ アリマス』
「……飛ぶのか?」
『ハイ ソレハモウ アト メカラ ビーム トカ デマス』
「すげえ! なあ、ちょっとやってみてくれないか? ここなら爆発とかあっても大丈夫だからさ」
『ピー ピー エネルギー フソク』
「おめえはよお! ここまで期待させといてよお!」
目の前でぎゃいぎゃいと騒ぐにとりさんとロボを見て、早苗さんは不意に、子供の頃を思いだしていました。
まだ幼い時分、早苗さんの世界には不思議が溢れていました。それは例えば休日の朝に大好きな両親と一緒に見る特撮だったりアニメだったり、時には空を飛ぶ不思議な物体だったり、絵本の中に出てきた少年と旅をするロボットだったり、早苗さんの世界にはそこら中にワクワクがあったのです。それを話すたびに両親も、二柱の神様も、笑ってくれました。
思い出が視界を走り終えて、早苗さんは目の前の景色に意識を戻します。そこにいるのは、あの時、子供の頃にきっといると信じて疑わなかった妖怪とロボットなのです。
『マニュアルモ アリマス ミマスカ?』
「マニュアルだあ? あるなら見せておくれよ。何か大切なことが書かれているかもしれん」
『ショウショウ オマチクダサイ ピーガガピー…… ドウゾ』
口であろう部分からでろでろでろと吐き出される長い紙に、にとりさんは目を落とします。そのちょこんとした頭の後ろから、早苗さんも覗き込みました。
エネルギー むげん大
パワー すごい!
ひっさつわざ ロケットパンチ すごいビーム 頭突き
「雑ゥー!」
にとりさんの叫びに応えるように、工房の中を微かな風が通り抜けました。それは確かに、早苗さんの心に甘い痛みとワクワクを届けるのでした。
ちなみに後日ロケットパンチを撃つと、その腕はごとんと地面に落ち、目から出したビームは、懐中電灯の光でした。しかし、頭突きだけは一丁前でした。
「で、あれが噂のロボットだと」
「そうなんですよ」
「なんともまあ、ロボーッって感じをしているな」
カンカン照りの太陽の下。陽光浴びるは博麗神社。景色もゆらめく暑さの中で、機械人形は箒を使って参道の砂埃を掃いています。
縁側で、お茶を啜るは神社の巫女さん。その名は博麗霊夢さん。そして一緒にいるのはとんがり帽子がキュートな霧雨魔理沙さんです。
ロボと河童と風祝のファーストコンタクトから数日が経ちました。簡単な検査を行い、ロボの身体に現時点では異常がないこと、人間や妖怪に害を為すような機能がないことなどを確認し終えると、早速ロボは己の願いを早苗さんに話したのです。それは、人助けがしたいというものでした。
にとりさんの調べにより、ロボは太陽の光でエネルギーを得ているということは判りました。しかし、ロボはそれ以外にも人助けが必要なのだと言うのです。一体どういうことなのか早苗さんもにとりさんも、ちょこっとだけ首をかしげましたが、とりあえず様子を見るためにこうして博麗神社へとやってたのです。
怪しげな風祝さんが連れてきた、これまた怪しげなロボットを見て、最初こそすわ何事かと目を据わらせた霊夢さんですが、事情を聴き終わる頃には普段ののほほんとした雰囲気に戻っていました。隣で聞いていた魔理沙さんは、まるでにとりさんのように目を輝かせていました。
そうして霊夢さんが頼んだのは、境内の掃除でした。こうも日差しが強くては、おちおち下を向くこともできません。霊夢さんの頼みを、ロボは快く受けたのです。草を抜き、小枝をまとめ、一緒に狛犬のあうんさんと遊び、参道を掃き終わる頃には、ちょうどお昼の時間になっていました。
『ピーガガピー…… オソウジ カンリョウシマシタ』
「はい、お疲れ様でした」
「お疲れ様。ありがとうね。最近の暑さには本当に参っていたから、ちょうどよく休むことが出来たわ」
「なあなあ、今度は私の家の掃除をお願いできないか? 最近なんか埃っぽくなってきてな」
霊夢さんのお礼を聞いた時です。ロボの身体が、少しだけ光りました。ただしそれは一瞬で、みんなが目を開くと、もう光は収まってしまいました。その光が何だったのか、どうやらロボは心当たりがあるようで、ぎこちなく自身の手を握っては締めていました。
暴れん坊な太陽がその顔を山に隠そうかという頃、早苗さんとロボは、にとりさんの工房への帰路についていました。結局お昼ご飯の準備だったり、後片付けだったりまでロボは手伝いました。そのたびに、ロボの身体が淡く光るのを、早苗さんは見逃さなかったのです。
早苗さんが空を飛ぶのに合わせて、ロボも背中からプロペラを出して空を歩きます。その姿はどう考えても物理法則を無視しているようにしか見えませんが、そういえば自分も空を飛んでいるしなあと、早苗さんは考えるのを止めます。かわりに博麗神社では聞かなかったことを、ロボに尋ねました。
「ねえ、ロボ」
『ナンデ ショウ』
「さっき、何回か身体が光っていたけど、あれがあなたの言うエネルギーなの」
『ハイ ソウデス スコシズツ エネルギーガ タマッテイマス』
前を飛んでいた早苗さんは、後ろを振り返り、出会ったばかりの機械人形をその瞳に捉えます。一体この存在は何なのだろうかと。
造られるということは、感情から生まれた願いの発露でもあるのだと、早苗さんは己のまだまだ走り始めたばかりの人生で感じています。
自然に対する畏敬が、願いとなって信仰を産んだように。大地を早く駆けたいという憧れが、鉄の蛇を産み出したように。このロボットは何者が、どのような感情をと願いをもって産んだのでしょう。
しかし早苗さんがどれだけ目を凝らそうとも、ロボの姿はロボのままでした。やはり今の段階ではそれも難しいようだと、肩をすくめるその少女に、ロボはノイズを出して一つ、お願いをするのでした。
『サナエ オネガイガ アリマス』
「……どうしました?」
「しかし、お前は本当にロボットらしくないなあ」
『ソウデショウカ ワタシ パワー スゴイデスヨ』
「本当かあ?」
『ハイ ワタシノ パワー ハ スゴイデス カラ』
「雑ゥー! もう返答が雑ゥ!」
早苗さんと別れて帰ってきたロボは、早苗さんから譲り受けたものをにとりさんに見せました。それは外の筆記具の一つである鉛筆とスケッチブック。
それを見たにとりさんはロボに問いました、何をするのかと。ロボは返します。絵を描こうと思うと。その言葉に、にとりさんは目を丸くするのでした。
簡素なイーゼルを組み立てて、器用にスケッチブックを立てかけます。ロボは鉛筆を器用につまむと、真っ白な世界に線を引いていきます。それが一体どのような形を見せてくれるのか。ロボは微かな駆動音を出しながら動くその腕とは対照的なほどに、滑らかに線を引いていきます。
「何を描く気なんだい?」
『キョウ ジンジャノ エイゾウヲ キロクシタノデス ソレヲ カコウト』
「……記録っていうと、お前の頭にはその景色が刻まれているんだよね」
『ハイ』
「じゃあ、なんでそれを描こうとしているんだ? お前が憶えているのなら、それで十分じゃあないのかい?」
にとりさんはある考えをもってそう尋ねました。この質問にどう回答するのか。ともすれば、それは疑いというものに見えるのかもしれません、しかし、にとりさんの中にあるのは純粋な技への探求だけでした。
ロボの身体を最初に見て、にとりさんは早苗さんに言いました、おもちゃのようだと。それが突然、意思を持って動き始めたのです。それがそういうことなのか、にとりさんは純粋に知りたがっていたのです。
工房の入り口は洞穴のようになっていて、入り口に扉もありません。昼間に騒いでいた鳥や虫たちの声は、風のざわめきと滝の音に変わっています。それまで動いていたロボの腕が止まり、にとりさんを見据えました。敵意のようなものは、感じられません。ピポパポと不明瞭な機械音を出しながら止まっているその姿は、まるで生き物のようににとりさんには感じられました。
『マスター』
「ますたー? ああ、製作者のことか」
『マスター二 ミセヨウト オモッタノデス モチロン ニトリ アナタニモ』
「何か、思い出したのか」
『ピピガガ…… マスターハ コドモ ダッタコロ オカラダガ ヨワカッタノデス』
「ふむ、昔の記憶みたいだね。それで?」
『マスターハ イツモ ソトニ アコガレテイマシタ ダカラ ワタシハ カクノデス』
一瞬、風が止みました。音を運んでいた風が無くなって、滝の音は途端にか細くなります。にとりさんはロボの答えに、ゆっくりと微笑んで、そうか、とだけ返しました。
にとりさんが自身の寝床に戻った後も、ロボはただただ、線を引き続けます。他に誰もいないはずの工房で、突然、ロボの身体が光りました。確認すると、エネルギーも増えているのです。それが一体誰の思いだったのか、結局ロボにはわかりませんでした。
そうして次の日、まだお日様も額ほどしか出していない時間に、にとりさんは工房へやってきました。ロボの姿はありません。どうやら太陽の光を浴びに行ったのでしょう、足跡だけが工房の外へ続いています。
昨夜は敢えて見なかった、ロボの描いていた作品に視線を移します。そこには白の世界に縁側で佇む三人の少女が、とても繊細に描かれています。
ロボは言いました。マスターだけでなく、にとりさんにも見せたいと。何か残して伝えるということは、それが形のあるものか無いものかに関わらず、創造するということに他なりません。
己の記憶領域にある何かを伝えたくて、線を引いていたロボの姿は、まるで人間のようだと、にとりさんは思うのでした。
さて、勝手に動く人助けが好きな機械人形は、表向きには早苗さんの神徳によって動く奇跡の産物だということになっていました。人里でどんな質問をされようとも、早苗さんは奇跡の力だと、入信すればあなたにも奇跡が、なんて言っていたりもしました。奇跡、凄いですね。
早苗さんたちがロボと出会ってしばらくが経った頃、その噂を聞きつけたのでしょう、一体の妖怪が早苗さんのもとを訪れました。人形を扱う妖怪、都会派のアリスさんです。
アリスさんは早速ロボと早苗さんに頼みごとをしました。荷物や資材をアリスさんの館に運ぶといった内容で、早苗さんもロボも、二つ返事で引き受けました。
たくさんの木材や布。館に運ばれたそれを、アリスさんの指示でてきぱきと倉庫に詰めていきます。一通りの仕事を終えたころには、持ってきた作業着代わりのシャツは汗だくになっていました。
「ありがとう、助かったわ」
「いえいえ、ちょうどいい運動になりましたよ」
「ちょっと過ぎちゃったけれど、お昼でもどう?」
「わあ、いいんですか」
腕によりをかけて作ってくれたアリスさんの料理は、早苗さんの疲れた体にしみわたります。食後に出された紅茶を飲んで一心地。早苗さんは至福を感じていました。
「しかしあのロボット、本当に貴女が遠隔操作とかをしているわけではないのね。実は仕事をお願いしておいてなんだけど、貴女が操っているんじゃないのかって少し見張っていたのよ」
「だから言ったじゃないですか。本当に自分の意志で動いているんですよ」
そう言ってアリスさんが視線を向けた先には、庭で上海人形たちと花壇の水やりをするロボの姿が見えます。ぎこちなく、しかしきちんと水をあげていくその姿は、まさにロボット然としているように早苗さんには映ります。
アリスさんは指を柔らかく動かす度に、人形たちもまた意思を持つように動きます。くるくると人形たちが動けば、ロボはそれをぎこちなく追うのです。その景色がまるで童話のようで、早苗さんは微かな幸せを舌と心に感じるのです。
「貴女はあのロボット、何者だと思う?」
アリスさんには、ちょっとした思惑がありました。噂になっている機械人形を見れば、自身の目標である自律人形の制作になにかアイデアが湧くのではないかと思っていたのです。しかし、こうして人形たちと戯れるロボットの姿を見ても、何も湧いてきませんでした。
アリスさんの問いかけに、早苗さんはしばらく視線を天井に向けていましたが、突然に紅茶を一口飲み、言います。わかりませんと。その答えがなんだか妙にしっくりきて、アリスさんも思わず納得してしまうのでした。
数日後に行われた人形劇は、いつも以上に人々が集まり、大成功に終わりました。それを遠くから眺めていたロボの身体が、煌々と光るのです。その光はアリスさんの分だけではありません。きっと、もっとたくさんの人々の光が集まっていたのです。それを知るのは、誰もいません。
人形劇が終わったその夜に、ロボはまた絵を描きました。真っ白な背景に、人形劇をするアリスさんと、それを見守る里の人々。その顔は皆が笑顔を浮かべていました。
まだまだ夏の日差しに翳りが見えないある日のことでした。ロボから差し出された紙を見て、にとりさんは渋面を浮かべています、そこには、こどもが描いたにしても中々に独創的な、模様というか記号を複数重ねたものというか、そんなものが描かれていました。
「……で、これはなんだ? 新手の呪いの印か何かか?」
『コレハ サナエガ カイタ クルマイス トイウモノ デス』
「守矢の嬢ちゃん、ここまで絵が下手くそだったのか……聞かなかったことにしておこう。うん」
『ニトリ テツダッテ クレマセンカ』
ロボから聞いた話では、寺子屋の少年から頼まれたらしいのです。その少年には足を悪くした祖母がおりましたが、死ぬまでにどうしても行きたい場所があるらしく、その願いをどうにかして叶えたいと、サナエさんもロボもサムズアップして答えたのです。
このお話を聞いた時、ロボはおばあさんを背負って目的の場所へ連れて行こうとしました。しかし、早苗さんはそれを止めました。確かにそれでもいい気はしますが、出来ることならおばあさんにも相談をしてくれた少年にも、いい思い出を作ってあげたいと思ったのです。
「……で、この車椅子とかいうのを作ろうって話になったわけだ」
『ハイ テラコヤノ センセイニ キイタトコロ ホカニモ アルクコトガ ムズカシイ カタガ イルミタイ ナノデス』
「なるほど、そいつを作っておけば色んな人が使えるかもしれないってわけだ……で、私が作るの?」
『ゼンブデハ アリマセン タダ ニトリニモ テツダッテ イタダキタイノデス』
「ええ~、面倒だなあ。どうすっかなあ」
にとりさんは小さな身体で大きなため息を吐きました。別に手伝うこと自体はやぶさかでもないのですが、自分を通さなかったことが、少しだけ面白くなかったのです。ロボのメンテナンスをするのはにとりさんの役目だったことも、一因なのかもしれません。
しかし、ロボもまた目を覚ましてから、にとりさんと過ごした時間が長いのです。だからこそロボット的な頭脳は、にとりさんのやる気に火をつけるために、一つの方法を導き出します。
『ピピガガ…… デキナイナラ シカタアリマセン サナエト ガンバリマス』
「はあー!? 出来ないなんて言ってねえだろがい!」
『デキルノデスカ?』
「できらぁ!」
『……ホントウニ?』
「やってやろうじゃねえかよお前この野郎! おめえ手伝えよ! 私にかかればこんなん、ちょちょいのちょいだっつーの!」
『ハイ』
そうしてぷりぷりと怒りながら、にとりさんは作業を開始します。その後ろ姿を見ていると、ロボはどうしてでしょうか、幼い、男の子の姿が浮かんでくるのです。記憶領域にはないはずの映像が、自身のカメラアイなのか何処なのかわからないところに、あやふやに映るのです。
その現象は一体何と名をつければよいのか。それもまた、いつか自分を造ってくれたマスターに聞いてみようと、ロボは思うのでした。
河童と機械人形は、まるで魔術書のような設計図を見ながら、車椅子の制作に取り掛かります。組み合わせたり、ばらばらにしたり、くっつけたり、離したり。そうして何回かお日様とお月様が廻ったころでした。
「できたぁー!」
そこにはとても立派な車椅子が出来がっていました。
ほんとうに、ありがとうございます
「いえいえ、構いませんよ」
「作ったのは私とロボだけどな……なあ、本当に行くのかい?」
痛いくらいだった陽射しがほんの少しだけ収まり始めた夏の日。件の老婆を自慢の車椅子に乗せ、早苗さんたちは少しだけでこぼこな道を歩いています。あれほどやかましかった蝉の声は、段々と朝と夕には鳴りを潜めて、少しずつですが、夏が終わっていくのを早苗さんは感じていました。
目指していた場所は、黄色を基調として様々な色で装飾されていました。それは車輪が一度回るたびに少しずつ大きくなっていき、車輪の音が止まる頃、開けた青空の下で皆の視線を染め上げます。
黄金の海、太陽の畑。辺り一面の向日葵が夏独特の重い風に揺れて、それはまるで波のように皆の視線を縫い付けるのです。そんな海を割るように均された道に、一つの影があるのを早苗さんは見つけます。
「こんなところに大所帯なんて、珍しいわね」
向日葵畑の女王様、幽香さんです。その姿を見るやいなや、にとりさんは持ってきていた光学迷彩で姿を消してしまいました。とっても気が短いとか、、強い者いじめをするとか、そのついでに色々なものをいじめたりとか、幽香さんの噂に暇はありません。にとりさんが姿を隠すのも仕方がないのです。
そんなとっても怖い女王様に、早苗さんは何も物怖じをせずに歩み寄ります。幻想郷に来た頃に固まっていた常識や緊張は、もうありません。どんなものが相手にでも踏み込める今の早苗さんは、とってもすっぴんの早苗さんなのです。
「こんにちは」
「貴女は確か山の上の……何の用かしら? というか、後ろの金属の塊とおばあさんは何?」
『ロボ』
「実はですね、幽香さんに会いたいという方がいらっしゃいまして」
老婆は幽香さんに頭を下げます。幽香さんはしばらく首をかしげていましたが、何かを思い出したのか、ああ、あの時の、と手を叩くのでした。
まだ、早苗さんも生まれていない昔々のことでした。幻想郷のとある小さな集落に、一人の少女がおりました。少女はとても器量がよく、すくすくと成長していきました。
さて、日々を一所懸命に生きていた少女でしたが、許婚がおりました。親たちは少女にさっさとくっつかないかと日々せっついておりました。許婚の男は、同じ里のもので、少女と共に成長したのです。お互いが、お互いを思いあっていました。
ある日、少女は里を飛び出しました。親の小言が五月蠅かったのでしょうか。それとも、本当は許婚と一緒になりたくなかったのでしょうか。それはもうわかりません。
夜に里を飛び出た少女は、ひたすら無心に野山を駆け回りました。まだ、スペルカードルールの概念など無かった時代です。群れを飛び出してしまった羊のように、少女はあっさりと人喰い妖怪に出会ってしまいます。
心に諦めの火がともる瞬間、少女は幽香さんと出会ったのです。
幽香さんが少女を助けたのは、本当に気まぐれでした。それこそ少女を襲っていた人喰い妖怪よりもたくさんの人間や妖怪を土に還してきたのですから。
妖怪たちから助け出された少女は、幽香さんの館へと案内されました。日が昇って見えたのは見たことも無いほどの広大な花畑、そこに住む妖怪に少女は身の上を話します。それは少女にとって、たった一度の、自分への反抗だったのです。
幽香さんはそんな少女の話を、ただただ聞いていました。時を経た妖怪にとって、人間の情は上等な暇つぶしでもあったのです。妖怪は決して人間の生に共感することはありません。ただ、少女の気持ちに少しばかり理解を示すことが出来たのは、善かれ悪かれ人間と接することが多かったからかもしれません。
少女が全てを吐き出し終えたのを見て、幽香さんは少女を里の近くまで送っていきました。少女が全てを投げだした一晩の冒険は、こうして終わったのです。
里には憔悴しきった両親が待っていました。しばらくすると、寝ずに捜していた許婚も帰ってきました。少女は夫婦になり、気が付くと母になり、母は老婆になったのです。
あの時助けていただいたからこそ、この命があるのです
老婆はただただ深く、幽香さんに祈りを捧げます。その祈りを見る幽香さんの表情は、時を経ても変わらずに美しく、少女だった老婆を見るのです。
老婆の横顔を見て、早苗さんは自身の心がどこか暖かくなるのを感じました。それは不安の裏返しだったのです。自分は、老婆によいことをしてあげられたのだろうかと。そうして隣にいたロボもまた、己の身体にエネルギーが満たされていくのを感じたのです。
「暖かい?」
『ピーガガ……ハイ』
早苗さんの言葉に、ロボは微かな駆動音を鳴らしながら身体を震わせました。ロボは人間ではありません。しかし、エネルギーと仮定しているこの何かが満ちるこの感覚を、確かに暖かいと認識できたのです。ロボは、回路のどこかにノイズのようなものを感じるのでした。
その日の夜に、ロボは定位置である工房の角にある椅子に座り、紙に線を引いていきました。太陽の畑を訪れた時とはうってかわって、空は沢山の雷と雨を落としています。外は本当に真っ暗で、まるで人を飲み込みそうなほどです。
雨の音に乗って、その線は段々と景色をなしていきます。描かれるのは沢山の向日葵と、歓談する老婆と女。線を引くたびに、その姿がどんどんと浮かび上がります。しかし、その手は途中で止まってしまうのでした。
「んお? もう描き終わったのか?」
『イイエ』
「んじゃあ、今日はもう終わりか」
『ピピガガ…… ニトリ』
「んん?」
『マスター二 アイタイ』
機械人形の胸の中には、確かによくわからない何かが走っていました。それをなんと名付ければよいのか、どう整理をすればよいのか、それは誰にもわかりません。
話したいことがありました。記憶領域に眠る子どもの横顔に、ロボは沢山のことを語り掛けたいと思っていました。自分を拾ってくれた愛すべき隣人たちだったり、本当にいた人形遣いの話だったり、黄金の海に佇む女王様の話だったり。
話したいのは勿論でした。しかし、そうではないのです。きっとこの胸に走る何かこそが、とても大切なものなのだと。それをとにかく話したくて、見せたくてたまらなかったのです。
椅子の背もたれに腕をかけて、にとりさんは機械人形の独白に耳を傾けます。
『マスター ハ タクサンノ ケシキニ アコガレテイマシタ』
「うん」
『ワタシ ハ マスターノ カワリニ トテモ タクサンノ ケシキヲ ミマシタ』
「うん」
『ハナシテ アゲタイノデス ミセテ アゲタイノデス』
「なあ、ロボ」
ざあざあと鳴る雨の音が、まるでロボの心持ちのように聞こえて、にとりさんはそれでもにっかと笑うのでした。
「雨が止んだら、捜してみるか。アンタを造ったご主人様をさ」
『……ハイ』
ざあざあと鳴る雨音は、強さを増していました。
それからも雨は何日も、幻想郷の空を覆いました。蝉の声も聞こえなくなり始めた日のことです。ロボは早苗さんと一緒に里で困っている人にその手を差し伸べていました。
今回の長雨は、夏に夕立が多かったせいもあったのでしょう、恵み以上に災いを持ってくることが多かったのです。ある家では床の上まで水が迫り、またある家では風で戸板が吹き飛ばされたりもしていました。
そんな家々のお手伝いをしていた早苗さんとロボでしたが、丁度お昼時という頃に、事件は起こりました。甲高い叫びが、曇天の人里に鳴り響いたのです。
「……なにかしら」
みたらし団子を頬張っていた早苗さんは声の方へと足を向けます。既にできていた人垣をかき分ると、増水している川流れの中に何かが見えました。それが流木につかまっている少年だと気づくのに、時間はかかりませんでした。
どうして少年は川に流されたのか。周りに誰かいなかったのか、そんなことは今はどうでもよいことで。最も必要なのは、少年を助けるための方法、それだけなのです。早苗さんは空を飛ぶことこそできますが、空を飛んだまま少年を急流から無事に引き上げられるか、と考えると、知らず知らずのうちに足がブレーキをかけます。
何人かが川に入って助けようともしましたが、あまりの流れに少年のもとまで向かうこともできません。少年の母親なのでしょう、必死に呼びかけている女性を見て、早苗さんは一歩を踏み出そうとして、その身体は優しく制されました。
「ロボ?」
『ピーガガ…… ワタシ ガ タスケマス』
そう言って、ロボは己の右腕を少年に向けました。何時かの時に言っていたロボの言葉を、早苗さんは思い出します。それは目からビームが出せるとか、ロケットパンチが撃てるとか、そんなことを言っていたことを。ですが、前にはただ腕が地面に落ちただけだったのです。
ロボの横顔は真剣でした。どうしてでしょうか、ロボの身体は金属で、もちろんその顔から表情がわかるはずもありません。しかし、早苗さんはそのロボの横顔に、確かに意思を感じたのです。
『ロケット パンチ』
言葉は一瞬でした。爆音と白煙を吐き出して飛び出したロボの右腕は、少年の襟首を器用に掴み、無事に川から引っ張り上げたのです。
最初こそは里の人々も、それこそ早苗さんも何が起こったのかと固まって今したが、少年の安堵の泣き声で、事態を察しました。誰かが上げた歓声が、そのまま広がっていきました。
こうして珍奇な目で見られていたロボは、一躍有名人となったのです。しかしロボは早苗さんと一緒にそそくさと里を後にしました。一体どうしたのかと早苗さんが尋ねると、ロボは普段よりも小さな音声で、言います。
『ナンダカ ハズカシクテ』
その言葉が、あまりにもロボという人物を語っているように思えて、早苗さんは笑ってしまうのでした。
「アンタたちが里とかで人助けをしている時にさ、調べたんだ。ロボを造った奴の情報が何かないかってさ」
ロボが少年を救ってからしばらく経ったある日のことです。何日も続いた雨も止み、蝉の声も随分と小さくなった日のことでした。早苗さんとにとりさんは、ロボと初めて出会ったあの川にやってきました。
にとりさんはロボが眠っていた場所から、林の中へと分け入っていきます。早苗さんはロボが押しのけてくれた道を歩きながら、木々が擦れる音を意識の外に追いやりながら、にとりさんの声に耳を傾けます。
「そうしたら、仲間たちからこんな噂を聞いてさ。誰だか知らないやつの家が建っているって」
「なんですそれ?」
「その場所が私たちの中でもあまり足を踏み入れるような場所じゃなくてさ。念のために天狗様にも聞いたんだけどそんな話は聞いたことがないって。だからさ、行ったんだよ。椛と一緒にさ」
「あの白狼天狗さんですか?」
そうそうと応えたのを最後に、早苗さんたちの会話は無くなります。普段ならば話したいことがすらすらと出てくるはずなのに、早苗さんの頭も口もどうしてでしょうか、動きませんでした。
どれほどの間、林の中へ歩を進めたでしょうか。勝手知ったると思っていた妖怪の山々には、まだ自分が知らない場所もあるのだと早苗さんは視線を動かします。結局にとりさんが次に口を開いたのは、目的の場所に着いた時でした。
「あったあった、あの建物さ。ロボには見覚えがないかい?」
『アア……』
そこに見えたのは、幻想郷には似つかわしくないトタンで出来た平屋。林の中にポツンと建つその姿は、どこか寂しく見えます。
ゆらりゆらりと、ロボは家へと向かっていきます。玄関の前で一度止まると、たっぷりとした時間をかけて、その戸を開くと中へ入っていくのでした。
「おかしいとは思っていたんだ」
「何がです?」
「全部さ。だってそうだろう。そもそも私の知る知識では、あいつは動くような造りをしていないんだ。アンタだって中身を見ただろ?」
にとりさんの言葉に、早苗さんはどきりとしました。たしかに見た目こそ金属でできているロボですが、一体どういう仕組みで動いているのか。それはわかっていません。ですが、あの移動する時に鳴る駆動音も、上手く油の差さっていないぎこちない動きも、確かにロボットなのだと、早苗さんは思っていました。
「この前、言ってたよな? ロケットパンチで里の子供を助けたって。まあ見たかったけどさ。多分、最初の頃は実際に使えなかったと思うんだ。それが、人助けによって力を持って……どんな力かなのかまでは判らないけれど。とにかく、それで撃てるようになったんじゃないかって」
「じゃあ、ロボは」
「まあ、機械じゃないよ。多分そう見えるだけで、あれはもっと私たちに近い奴だ」
早苗さんの脳裏に、一匹の妖怪が浮かびました。唐笠お化けのその妖怪は、人々の驚きを糧にしていました。糧の種類こそ違えど、それは一緒の行為なのではないか、早苗さんの頭の中が見えたのでしょうか、にとりさんは早苗さんの考えが収まるのを待って、家の中に入らないかと誘います。
外はあんなにも太陽が輝いているはずなのに、電気の点かない家の中は、とても暗いのです。玄関から伸びる廊下の突き当り、右側の襖が開いています。きっと誰にも聞こえてはいないでしょう、お邪魔しますと呟いて、早苗さんとにとりさんは家の中へ上がります。
「……!」
「なんだい、こりゃあ」
入ってすぐ左手は茶の間でした。そこには人影がありました、それは文字通りの影だったのです。真っ黒な人間。それが卓袱台に肘をかけながら、何も映っていないテレビを眺めているのです。
「思い出なんだ、これ」
「誰のさ?」
にとりさんの言葉に応えず、早苗さんは奥へと進みます。知らずに足音を殺しているのに気づいたとき、開いていた襖から、聞きなれたロボの音声が聞こえてきます。こっそりと覗き込もうとした早苗さんたちを笑うように、廊下がきゅうっと鳴ります。
『マスター スゴインデスヨ ソコニハタクサンノ ヒマワリガ アッタノデス』
ロボは早苗さんたちに気づいていないのでしょう、マスターに今までに遭った思い出を語っています。
六畳ほどの畳張りの部屋。そこにあったのは布団と勉強机だけ。布団の横にあった盆の上には、落書き帳と何冊かの本。それは昔々の児童書でした。
ロボは必死にマスターに思い出を語って聞かせます。先程茶の間で見たような真っ黒な影に、まるで生きているのだと疑わないように、言い聞かせるように語って聞かせるのです。
窓からは、妖怪の山の林が見えます。きっとマスターと呼ばれる少年は、ここから様々な景色を眺めていたのでしょう。
『マスター』
ロボは決してマスターには触らず、ただただ思い出を語っていきます。にとりさんは腰を下ろしていて、早苗さんも正座をしてロボの思い出に耳を傾けます。それは、ロボが目覚めてからの全てでした。
不思議な人間と機械いじりの得意な河童に出会ったこと。人間は空を飛び、河童はよく怒ったり笑ったりしたこと。
目を覚ました場所は、まるで昔の時代にタイムスリップしてしまったような場所だったこと。
本物の人形遣いや、魔法使いや、不思議な巫女と出会ったこと。
そして、沢山の人を助けたこと。
ロボはゆっくりと、自分に言い聞かせるように語り掛けます。ロボの音声が止むころには、太陽は随分と西に傾いていました。
この暗い家こそ、少年と、そしてロボの思い出だったのです。この薄暗い部屋から見える外の景色を見せたくて、ただその願いのみで、ロボは産まれたのです。
「ロボ」
早苗さんの呼びかけに、ロボはマスターと呼ばれる人影に向けていたそのカメラアイを、ゆっくりと上げます。そのぎこちない動きは、やはり早苗さんが遠い子どもの頃に思い描いていたロボットの姿に似ているのです。
早苗さんは言葉を続けません。ですが、その意味をロボは理解していました。窓から入る西日はロボの姿すらも陰にします。
『ピピガガピー…… サナエ ニトリ アリガトウ ゴザイマシタ』
ぼおん、ぼおんと柱時計が鳴ります。にとりさんが向けた視線の先では、時計の針が狂ったような速度で回っているのです。ひっ、という早苗さんの声に視線を戻すと、それまで全く動かなかった子どもの影が、ゆっくりとですが、大きくなっていたのです。
『ピーガガ…… コレヲ』
ロボは、早苗さんたちにあるものを差し出しました。色紙で包まれた、手のひらほどの小さい箱。マジックかなにかで、網目のようなものが引かれています。
「これは?」
『ツウシンキ デス』
「通信機だあ? これが?」
『ハイ』
おもちゃの通信機からは、技術の香りを感じることは出来ません。しかし、ロボが嘘を吐いているようには、どうしても見えなかったのです。
『マスターが よんでくれました』
「お前、声が」
『いつか、また会いにきます。その通信機からよびかけます。その時には、また一緒にこの場所を廻りましょう』
ロボの音声が段々とクリアに、流暢になっていきます。
『どうか、忘れないでいてくれると嬉しいです。さあ、行って』
声に促され、早苗さんたちは玄関へと向かいます。ロボは廊下の奥で、二人を見つめるのです。あの聞きなれた機械音も、作り物くさい音声も、もうありません。
「ロボ」
『さようなら。貴女たちに拾ってもらえてよかった。本当に』
「……まあ、河童の生は長いからさ。またな」
『ええ、また何時か』
玄関を越えて、早苗さんは背後をふり返ります。そこにあったはずの家は、もうありませんでした。あのロボは一体何者だったのか。何をしに幻想郷へやってきたのか。それもわからぬまま、とある夏のお話は終わりを告げるのでした。
このお話には続きがあります。
機械人形と過ごしていた頃よりも随分と朝が涼しくなった、とある秋の日のことです。その日、早苗さんは妖怪の山を駆けていました。それはもう矢のごとしです。助けるべき友人はいませんでしたが、メロスもかくやという速度で、早苗さんはにとりさんの工房に飛び込むのでした。
「にとりさあん! いらっしゃいますかあ!」
「……なあ嬢ちゃん。河童の私が言うのもなんだが、アンタはもうちょっと慎みとか淑やかさを持った方がいいと思うよ」
「そんなものいりません! それよりこれ、これですよ!」
そう言って早苗さんは持っていたものをばばっと広げます。それは隙間妖怪さんが持ってきてくれた、外の世界の新聞でした。
「んん、なになに……オオーター=ジュンヤコフ、十七・五冠達成? なんのだ?」
「そこじゃありません! ここですよ! こーこっ!」
早苗さんが押し付けてきた場所に、にとりさんは視線を合わせます。載せられていた写真を見て、にとりさんは目を開きました。
『RO=BO ついに起動!』
そう銘打たれた記事には、造られたものの何故か起動しなかった人型ロボットが完成するまでの顛末が書かれていました。撮影された写真には、あの時確かにここにいた、寸胴のちょっと不細工な機械人形の姿が確かに写っているのです。
「本当に呼ばれていたんだなあ」
「すごいですよね。それにほら、ここも」
早苗さんの指先には、その機械人形の不思議なエピソードが綴られていました。起動したそのロボットは、誰も教えていないはずなのに、何人かの名前や思い出を答えたというのです。それはほんの少しの恐怖と、たくさんの不思議を人々に与えているようでした。
「こりゃあ、あの通信機、残しておいた方がいいかもしれないね」
「おばあちゃんになるまでに来てくれたら嬉しいなあ。あ、そうだ。私たちでもロボット作りませんか? お友達になれるかも!」
「それ、大半が私の仕事になるだろう」
「出来ないんですか?」
「はあー!? 出来るし! ただちょっとアイデアとかが足んねえだけだっつーの!」
「……本当に?」
「やってやろうじゃ……やっぱり今はやめとくよこの野郎!」
「野郎じゃないんだけどなあ」
ぎゃいぎゃいと、一人と一匹は遥か未来を語ります。きっといつか、誰かが夢見て、そして現実になった機械人形と一緒に幻想郷をめぐる未来を。
早苗さんの部屋には、今もおもちゃの通信機が置いてあります。いつかきっと、そこからワクワクする音声が聞こえてくると信じて。
「はあー、あっつ……うるさ……」
ここは真夏の幻想郷。暑い日差しに項垂れて、早苗さんはたまらず川へ涼みにやってきていました。膝から下を川につければ、暑さなんて何のその。ひんやりとした感覚が早苗さんの頬を緩めてくれます。
「ふん、ふん、ふふーん」
さっきまではやかましいと思っていた蝉の鳴き声も、少しだけクリアになった今の心には、なんとも風情があると早苗さんの心に沁みます。ちょっと現金な気もしますが、それはそれ、これはこれです。暑いものは暑いのですから。
段々気分が上向いて、早苗さんは昔よく聞いていた歌を口ずさみながら、足をぱたぱたと動かします。足が水面を出入りするたびに、微かな水しぶきが舞います。空を見上げれば入道雲は大きく佇んでいて、早苗さんはさっきまでは嫌っていたこの暑さに、確かに夏の良さを感じていました。
そうして空を見上げていたせいでしょうか、川を流れてくるものに早苗さんは気が付きませんでした。早苗さんの踵が、ごちんと手ごたえならぬ足ごたえを感じたのです。
「痛ってええっ!」
ざばんと大きな音を立て、現れたのは河童妖怪。早苗さんもよく知る、河童のにとりさんでした。
「何しやがるんだい……って守矢様んとこの巫女さんじゃないか」
「あら、にとりさんこんにちは。ただ私は巫女ではなく……まあいいです。暑いですし、面倒だし。しかし、何をしていたんです? まさか本当に河童の川流れとか?」
「すげえなこいつ、一片も悪びれてねえ」
早苗さんの言葉に、にとりさんは蹴られた後頭部をさすりながら、事の次第を話してくれました。なんでも、この辺りに見たことが無いものがあるのだと。
「仲間内から聞いただけなんだけどさ、なんでも金属っぽかったって聞いてね。ちょいと探しに来たって訳さ」
「河童も知らない、見たこともないモノ、ねえ。もしかしたらロボットとか」
「ロボットくらい私だって作れらい! それにアンタらも作ってたろ。外の世界にはそういうのがあるらしいじゃんか。なんでも音を置き去りにするくらい早く飛んだり、それこそ山のような大きさの鉄の船とかもあるんだろ? 一度でいいから見てみたいね」
「ああー、確かにそういうのはありますが、こう、ロボットはね、違うんですよ。もっとこう、なんというか……」
そうして早苗さんは、近くの木陰で幹を背にして座っているロボットを指差しました。
「そう、こんな感じの」
「へえ、こんな感じなんだ」
みいん、みいんと蝉の声が、青空に響いています。
「ロボだこれぇ!」
そこに早苗さんの叫びが加わるのでした。
誰かが夢見た機械人形
早苗さんの叫びから少し。二人は発見したロボットらしきものをにとりさんの工房へと持ち帰りました。
持ち帰ってもまるで反応しないそのロボットは、まるでドラム缶か寸胴か。そんな言葉を思いつくような円筒型の胴体に、申し訳程度に蛇腹のケーブルが伸びて手足となっています。その円筒の先端はまるで蓋のように盛り上がっており、そこについた二つのライトが目なのだと、早苗さんは直感しました。
ロボットの身長は早苗さんとそう変わらない程度です。金属質の見た目をしていたため最初は持ち運ぶのに難儀するかと思われましたが、意外なことに早苗さんと同じくらいの重さしか無かったため、こうして運ぶことが出来ました。どのくらいの重さだったのでしょうね。
「ほへえ、見れば見るほど、ロボットですねえ。しかもデザインが古いというのがなんともまた」
「見るだけでわかるもんなのかい。しかし、仲間たちの言っていたことは本当だったんだねえ……どれ、ちょっくら調べてみるか」
「大丈夫なんですか? 起きたらいきなり攻撃してきたりとか、しません?」
「そんときゃあ川底に沈めてやるから安心しなよ」
にとりさんはそう言うやロボの身体を調べ始めました。どうやら身体の円筒部分は外側を取り外せるようで、中に収められていたケーブルの束や機械の基盤を眺めます。
早苗さんはその様子を後ろから眺めていましたが、そのうちに興味がにとりさんの工房にある様々な創作物に移っていきました。そうして様々な創作物を見ているうちに、外で鳴いていた蝉の声は、いつしか蛙の合唱に変わっていました。
「で、にとりさん。動きそうですか?」
「待ちなよ、多分もうちょっとだと思うんだけどなあ、これがこうで、ここがなんでここに繋がっているんだ? よくわからんなあ」
「今日はこの辺にしましょうよ。きっと動かないでしょうし」
「おほほいおほほい、早苗さんや。それはどういう意味ですかい?」
早苗さんの言葉に他意はありません。善意も悪意もなく、早苗さんは思ったことを言ったのですが、それがどうやらにとりさんの心のどっかの線に触れてしまったのでしょう。風を読むのとはまた違い、コミュニケーションは空気を読まなくてはいけません。
「え。今日はもうやめて、頭とかをすっきりさせてからやっても、いいんじゃなかいかなあって思ったんです」
「アンタ、私の腕を信用していないな?」
「そんなことないですよ! ……できるんですか?」
「できらぁ!」
「……本当に?」
「やってやろうじゃねえかよお前この野郎!」
「野郎じゃないんだけどなあ」
ぷりぷりと怒りながら、にとりさんは作業を再開します。さて一体どうなることやらと、早苗さんもまた待つことにしました。
「できねえーっ」
できませんでした。
こうして次の日になりました。日差しの強さに耐えかねて、蝉たちはまた鳴き始めます。ぐっすり休んでやる気十分なにとりさんを尻目に、早苗さんの目は半分に切った椎茸の傘のようになっています。
(今日もきっと動かないんだろうなあ……)
「今日もきっと動かないんだろうなあ」
「おほーい、聞こえてる、聞こえてる、心の声が聞こえてる」
そうしてやいのやいのとしていましたが、本当にロボットは動く気配がありません。しばらくの格闘の後に、にとりさんは工具を放り出して寝転んでしまいました。
「だあ、駄目だあ」
「そんなに難しいんですか」
「んん、難しいっていうか、なんていうかこいつ、『おもちゃっぽい』んだよ」
「……? どういうことです?」
早苗さんの疑問に応えるべく、にとりさんはロボットの胴体部分の金属を取り外しました。昨日見たように、そこにはどんな目的でつけられているかわからないケーブルや基盤、ハート型のバッテリーのようなものも見えます。
「すごいですね。未だに機械音痴という言葉が存在するのも頷けます。何が何だかわからないですもん」
「そう、まさにそれなんだ! コイツの中身をどう見ても、なんというか理解が出来なくてさ。最初は私の理解が足りないのかなと思ったんだけど……ほら、例えばここの部分とかさ、意味が無いように見えるだろ?」
にとりさんの指し示した場所を見てみると、バッテリーのようなものから伸びているケーブルが繋がっていなかったり、はたまた骨の代わりであろう腕のフレームに意味もなく張り付いています。そうして早苗さんもロボットの中を見てみると、確かによくわからない構造になっていました。
一通り見終わった早苗さんに、にとりさんは真剣な表情を向けます。そこにあったのは、最初にロボットを発見した時のようなワクワクとしたものではなく、技に携わる者としての様々な感情が含まれているようにも見えます。
昨日ロボットを発見した場所は、天狗や河童もよく行きかう場所で、早苗さんも人里からの帰路の際に休憩場所として使っています。そんな場所にいたロボットを、誰も気が付かないということも中々に難しい話です。張りぼてのような中身もそうですが、このちぐはぐな状況には、普段ほわんぽわんとしている早苗さんも自然と表情が真面目になります。
「誰かが面白半分で造ったにしちゃあ、ガワが出来すぎてるし、知識のあるやつが造ったにしては、中身がお粗末すぎる。こいつは一体何なんだろうなあ……ってどうしたのさ、アンタまで難しい顔しちゃって」
「昨日、デザインが古臭いって言ったじゃあないですか。確かにこんな感じの人型っぽいロボットは外の世界でも見られました。ただ、もっと人間に近かったり、機械的でももっと先進的なデザインが多かったんです」
早苗さんはそこで一度唇の動きを止めます。その言葉には続きがあることに、にとりさんは気付きます。もし早苗さんが造ったのではないのなら、このロボットは外の資料を持っているものが造ったか、外からやってきたものが造った、ということになるのです。そんなものが、妖怪の山に捨て置かれている。それはとても大きなことを意味しているのです。
そうして真面目な顔をしていた早苗さんでしたが、集中力が切れたのでしょうか、普段のようにぽわんとした表情になると、うふふと笑います。にとりさんが笑った訳を尋ねると、まあなるようになるだろうと早苗さんは返します。そんな少女の返答に、にとりさんは出会ってきた他の人間たちの姿を早苗さんの背後に見ました。もう、早苗さんは立派に幻想郷の一員なのだと。
「ま、それもそうか。なんだかなあ、動きでもしてくれればもっと面白くなりそうなもんなんだけど」
「意外とこういうものは簡単なことで動くかもしれませんよ。例えば、こんな感じに……」
そう言いながらそろりそろりとロボットに近づいた早苗さんは、えいやっという可愛らしい声と共に、ロボットの頭と思われる部分をチョップしました。ぺちんという音が、工房内に響きます。手を痛めた早苗さんに呆れていたにとりさんでしたが、思わぬ気配に振り向くと、なんとロボットが小刻みに揺れているではありませんか。
ピポパポピ
ピロリロリー
「嘘ぉ!?」
「これこそ奇跡! しかしまあ、なんと音まで古臭い!」
ドゥルルル、ブルンブルン
グモッチュイーーン
「なんかしちゃいけない音までしてる気がするんだけど、大丈夫これ? 爆発したりしない?」
「さあ?」
次の瞬間、ロボットは甲高い金属の摩擦音を響かせなら激しく振動し始めました。にとりさんは早苗さんの背中を押して、工房から飛び出します。まるで猿叫のようなその音はしばらく続き、早苗さんたちの耳が平穏を取り戻すまでに数分を要しました。
恐る恐る、一人と一匹は工房内に足を踏み入れます。先程までの怪しい起動音はどこへやら、寝転がされていたロボットが、その場で直立していました。固まる早苗さんたちを余所に、なんとロボットは独りでに動き出したではありませんか。その動きは油が差さっていないようにぎこちないものですが、自身の身体を確かめるように、ゆっくりと動いています。
そうして、横を向いたロボットと、早苗さんの視線が合いました。
「こ、こんにちは……ハロー……ボンジョール? バームクーヘン?」
「それ焼き菓子じゃねえ?」
早苗さんと目があったロボットはピポパポとした音を鳴らします。すると、胸部についていた黒い板が光りました。それはモニターだったのです。そこには、カタカナが浮かんでいました。
『コンニチハ』
なんと、ロボットはこちらと意思を疎通できたのです。その事実に早苗さんは微かに惑いましたが、その後ろに隠れていたにとりさんは、鼻息荒く大興奮です。
「うほおー、本当に動いたよコイツ。しかもこんにちはだってさ! わたしはにとり、コイツは早苗。お前の名前は何て言うんだい、教えてくれないか?」
『ピーガガピー…… ニトリ サナエ データベース二 トウロクシマシタ ワタシノナマエハ ロボ ト イイマス ドーゾ ヨロシク』
「声まで聞こえますよ。スピーカーも内蔵していたんですね」
どうやらロボに敵意が無いと分かった早苗さんたちは、機械人形に色々と質問を投げかけていきました。ロボは時折考えているかのようにフリーズしながらも、わかる範囲で答えていきます。
曰く、自分を造られた存在であるということ。自分は人を助けるために生まれたのだということ。ただし、ここで目を覚ます以前の記憶も記録も存在しないということ。
一体誰がこのロボを造ったのか。それは分からずじまいのままです。しかし、先程早苗さんが言っていたように、にとりさんもまた笑っていました。そんなことは後からついてくるものだと。
さて、真剣な空気が薄れてくると、興味湧くのが人の常。にとりさんも早苗さんも、どうしても聞きたかった質問を投げかけました。
「なあ、なあロボよ、お前はなにか武器とか無いのかい?」
『ブキ? ブキ…… シヨウカノウ ナイゾウカキ ケンサク……イクツカ アリマス』
「気になりますね! どういうものがあるんですか?」
『ロケットパンチ トカ アリマス』
「……飛ぶのか?」
『ハイ ソレハモウ アト メカラ ビーム トカ デマス』
「すげえ! なあ、ちょっとやってみてくれないか? ここなら爆発とかあっても大丈夫だからさ」
『ピー ピー エネルギー フソク』
「おめえはよお! ここまで期待させといてよお!」
目の前でぎゃいぎゃいと騒ぐにとりさんとロボを見て、早苗さんは不意に、子供の頃を思いだしていました。
まだ幼い時分、早苗さんの世界には不思議が溢れていました。それは例えば休日の朝に大好きな両親と一緒に見る特撮だったりアニメだったり、時には空を飛ぶ不思議な物体だったり、絵本の中に出てきた少年と旅をするロボットだったり、早苗さんの世界にはそこら中にワクワクがあったのです。それを話すたびに両親も、二柱の神様も、笑ってくれました。
思い出が視界を走り終えて、早苗さんは目の前の景色に意識を戻します。そこにいるのは、あの時、子供の頃にきっといると信じて疑わなかった妖怪とロボットなのです。
『マニュアルモ アリマス ミマスカ?』
「マニュアルだあ? あるなら見せておくれよ。何か大切なことが書かれているかもしれん」
『ショウショウ オマチクダサイ ピーガガピー…… ドウゾ』
口であろう部分からでろでろでろと吐き出される長い紙に、にとりさんは目を落とします。そのちょこんとした頭の後ろから、早苗さんも覗き込みました。
エネルギー むげん大
パワー すごい!
ひっさつわざ ロケットパンチ すごいビーム 頭突き
「雑ゥー!」
にとりさんの叫びに応えるように、工房の中を微かな風が通り抜けました。それは確かに、早苗さんの心に甘い痛みとワクワクを届けるのでした。
ちなみに後日ロケットパンチを撃つと、その腕はごとんと地面に落ち、目から出したビームは、懐中電灯の光でした。しかし、頭突きだけは一丁前でした。
「で、あれが噂のロボットだと」
「そうなんですよ」
「なんともまあ、ロボーッって感じをしているな」
カンカン照りの太陽の下。陽光浴びるは博麗神社。景色もゆらめく暑さの中で、機械人形は箒を使って参道の砂埃を掃いています。
縁側で、お茶を啜るは神社の巫女さん。その名は博麗霊夢さん。そして一緒にいるのはとんがり帽子がキュートな霧雨魔理沙さんです。
ロボと河童と風祝のファーストコンタクトから数日が経ちました。簡単な検査を行い、ロボの身体に現時点では異常がないこと、人間や妖怪に害を為すような機能がないことなどを確認し終えると、早速ロボは己の願いを早苗さんに話したのです。それは、人助けがしたいというものでした。
にとりさんの調べにより、ロボは太陽の光でエネルギーを得ているということは判りました。しかし、ロボはそれ以外にも人助けが必要なのだと言うのです。一体どういうことなのか早苗さんもにとりさんも、ちょこっとだけ首をかしげましたが、とりあえず様子を見るためにこうして博麗神社へとやってたのです。
怪しげな風祝さんが連れてきた、これまた怪しげなロボットを見て、最初こそすわ何事かと目を据わらせた霊夢さんですが、事情を聴き終わる頃には普段ののほほんとした雰囲気に戻っていました。隣で聞いていた魔理沙さんは、まるでにとりさんのように目を輝かせていました。
そうして霊夢さんが頼んだのは、境内の掃除でした。こうも日差しが強くては、おちおち下を向くこともできません。霊夢さんの頼みを、ロボは快く受けたのです。草を抜き、小枝をまとめ、一緒に狛犬のあうんさんと遊び、参道を掃き終わる頃には、ちょうどお昼の時間になっていました。
『ピーガガピー…… オソウジ カンリョウシマシタ』
「はい、お疲れ様でした」
「お疲れ様。ありがとうね。最近の暑さには本当に参っていたから、ちょうどよく休むことが出来たわ」
「なあなあ、今度は私の家の掃除をお願いできないか? 最近なんか埃っぽくなってきてな」
霊夢さんのお礼を聞いた時です。ロボの身体が、少しだけ光りました。ただしそれは一瞬で、みんなが目を開くと、もう光は収まってしまいました。その光が何だったのか、どうやらロボは心当たりがあるようで、ぎこちなく自身の手を握っては締めていました。
暴れん坊な太陽がその顔を山に隠そうかという頃、早苗さんとロボは、にとりさんの工房への帰路についていました。結局お昼ご飯の準備だったり、後片付けだったりまでロボは手伝いました。そのたびに、ロボの身体が淡く光るのを、早苗さんは見逃さなかったのです。
早苗さんが空を飛ぶのに合わせて、ロボも背中からプロペラを出して空を歩きます。その姿はどう考えても物理法則を無視しているようにしか見えませんが、そういえば自分も空を飛んでいるしなあと、早苗さんは考えるのを止めます。かわりに博麗神社では聞かなかったことを、ロボに尋ねました。
「ねえ、ロボ」
『ナンデ ショウ』
「さっき、何回か身体が光っていたけど、あれがあなたの言うエネルギーなの」
『ハイ ソウデス スコシズツ エネルギーガ タマッテイマス』
前を飛んでいた早苗さんは、後ろを振り返り、出会ったばかりの機械人形をその瞳に捉えます。一体この存在は何なのだろうかと。
造られるということは、感情から生まれた願いの発露でもあるのだと、早苗さんは己のまだまだ走り始めたばかりの人生で感じています。
自然に対する畏敬が、願いとなって信仰を産んだように。大地を早く駆けたいという憧れが、鉄の蛇を産み出したように。このロボットは何者が、どのような感情をと願いをもって産んだのでしょう。
しかし早苗さんがどれだけ目を凝らそうとも、ロボの姿はロボのままでした。やはり今の段階ではそれも難しいようだと、肩をすくめるその少女に、ロボはノイズを出して一つ、お願いをするのでした。
『サナエ オネガイガ アリマス』
「……どうしました?」
「しかし、お前は本当にロボットらしくないなあ」
『ソウデショウカ ワタシ パワー スゴイデスヨ』
「本当かあ?」
『ハイ ワタシノ パワー ハ スゴイデス カラ』
「雑ゥー! もう返答が雑ゥ!」
早苗さんと別れて帰ってきたロボは、早苗さんから譲り受けたものをにとりさんに見せました。それは外の筆記具の一つである鉛筆とスケッチブック。
それを見たにとりさんはロボに問いました、何をするのかと。ロボは返します。絵を描こうと思うと。その言葉に、にとりさんは目を丸くするのでした。
簡素なイーゼルを組み立てて、器用にスケッチブックを立てかけます。ロボは鉛筆を器用につまむと、真っ白な世界に線を引いていきます。それが一体どのような形を見せてくれるのか。ロボは微かな駆動音を出しながら動くその腕とは対照的なほどに、滑らかに線を引いていきます。
「何を描く気なんだい?」
『キョウ ジンジャノ エイゾウヲ キロクシタノデス ソレヲ カコウト』
「……記録っていうと、お前の頭にはその景色が刻まれているんだよね」
『ハイ』
「じゃあ、なんでそれを描こうとしているんだ? お前が憶えているのなら、それで十分じゃあないのかい?」
にとりさんはある考えをもってそう尋ねました。この質問にどう回答するのか。ともすれば、それは疑いというものに見えるのかもしれません、しかし、にとりさんの中にあるのは純粋な技への探求だけでした。
ロボの身体を最初に見て、にとりさんは早苗さんに言いました、おもちゃのようだと。それが突然、意思を持って動き始めたのです。それがそういうことなのか、にとりさんは純粋に知りたがっていたのです。
工房の入り口は洞穴のようになっていて、入り口に扉もありません。昼間に騒いでいた鳥や虫たちの声は、風のざわめきと滝の音に変わっています。それまで動いていたロボの腕が止まり、にとりさんを見据えました。敵意のようなものは、感じられません。ピポパポと不明瞭な機械音を出しながら止まっているその姿は、まるで生き物のようににとりさんには感じられました。
『マスター』
「ますたー? ああ、製作者のことか」
『マスター二 ミセヨウト オモッタノデス モチロン ニトリ アナタニモ』
「何か、思い出したのか」
『ピピガガ…… マスターハ コドモ ダッタコロ オカラダガ ヨワカッタノデス』
「ふむ、昔の記憶みたいだね。それで?」
『マスターハ イツモ ソトニ アコガレテイマシタ ダカラ ワタシハ カクノデス』
一瞬、風が止みました。音を運んでいた風が無くなって、滝の音は途端にか細くなります。にとりさんはロボの答えに、ゆっくりと微笑んで、そうか、とだけ返しました。
にとりさんが自身の寝床に戻った後も、ロボはただただ、線を引き続けます。他に誰もいないはずの工房で、突然、ロボの身体が光りました。確認すると、エネルギーも増えているのです。それが一体誰の思いだったのか、結局ロボにはわかりませんでした。
そうして次の日、まだお日様も額ほどしか出していない時間に、にとりさんは工房へやってきました。ロボの姿はありません。どうやら太陽の光を浴びに行ったのでしょう、足跡だけが工房の外へ続いています。
昨夜は敢えて見なかった、ロボの描いていた作品に視線を移します。そこには白の世界に縁側で佇む三人の少女が、とても繊細に描かれています。
ロボは言いました。マスターだけでなく、にとりさんにも見せたいと。何か残して伝えるということは、それが形のあるものか無いものかに関わらず、創造するということに他なりません。
己の記憶領域にある何かを伝えたくて、線を引いていたロボの姿は、まるで人間のようだと、にとりさんは思うのでした。
さて、勝手に動く人助けが好きな機械人形は、表向きには早苗さんの神徳によって動く奇跡の産物だということになっていました。人里でどんな質問をされようとも、早苗さんは奇跡の力だと、入信すればあなたにも奇跡が、なんて言っていたりもしました。奇跡、凄いですね。
早苗さんたちがロボと出会ってしばらくが経った頃、その噂を聞きつけたのでしょう、一体の妖怪が早苗さんのもとを訪れました。人形を扱う妖怪、都会派のアリスさんです。
アリスさんは早速ロボと早苗さんに頼みごとをしました。荷物や資材をアリスさんの館に運ぶといった内容で、早苗さんもロボも、二つ返事で引き受けました。
たくさんの木材や布。館に運ばれたそれを、アリスさんの指示でてきぱきと倉庫に詰めていきます。一通りの仕事を終えたころには、持ってきた作業着代わりのシャツは汗だくになっていました。
「ありがとう、助かったわ」
「いえいえ、ちょうどいい運動になりましたよ」
「ちょっと過ぎちゃったけれど、お昼でもどう?」
「わあ、いいんですか」
腕によりをかけて作ってくれたアリスさんの料理は、早苗さんの疲れた体にしみわたります。食後に出された紅茶を飲んで一心地。早苗さんは至福を感じていました。
「しかしあのロボット、本当に貴女が遠隔操作とかをしているわけではないのね。実は仕事をお願いしておいてなんだけど、貴女が操っているんじゃないのかって少し見張っていたのよ」
「だから言ったじゃないですか。本当に自分の意志で動いているんですよ」
そう言ってアリスさんが視線を向けた先には、庭で上海人形たちと花壇の水やりをするロボの姿が見えます。ぎこちなく、しかしきちんと水をあげていくその姿は、まさにロボット然としているように早苗さんには映ります。
アリスさんは指を柔らかく動かす度に、人形たちもまた意思を持つように動きます。くるくると人形たちが動けば、ロボはそれをぎこちなく追うのです。その景色がまるで童話のようで、早苗さんは微かな幸せを舌と心に感じるのです。
「貴女はあのロボット、何者だと思う?」
アリスさんには、ちょっとした思惑がありました。噂になっている機械人形を見れば、自身の目標である自律人形の制作になにかアイデアが湧くのではないかと思っていたのです。しかし、こうして人形たちと戯れるロボットの姿を見ても、何も湧いてきませんでした。
アリスさんの問いかけに、早苗さんはしばらく視線を天井に向けていましたが、突然に紅茶を一口飲み、言います。わかりませんと。その答えがなんだか妙にしっくりきて、アリスさんも思わず納得してしまうのでした。
数日後に行われた人形劇は、いつも以上に人々が集まり、大成功に終わりました。それを遠くから眺めていたロボの身体が、煌々と光るのです。その光はアリスさんの分だけではありません。きっと、もっとたくさんの人々の光が集まっていたのです。それを知るのは、誰もいません。
人形劇が終わったその夜に、ロボはまた絵を描きました。真っ白な背景に、人形劇をするアリスさんと、それを見守る里の人々。その顔は皆が笑顔を浮かべていました。
まだまだ夏の日差しに翳りが見えないある日のことでした。ロボから差し出された紙を見て、にとりさんは渋面を浮かべています、そこには、こどもが描いたにしても中々に独創的な、模様というか記号を複数重ねたものというか、そんなものが描かれていました。
「……で、これはなんだ? 新手の呪いの印か何かか?」
『コレハ サナエガ カイタ クルマイス トイウモノ デス』
「守矢の嬢ちゃん、ここまで絵が下手くそだったのか……聞かなかったことにしておこう。うん」
『ニトリ テツダッテ クレマセンカ』
ロボから聞いた話では、寺子屋の少年から頼まれたらしいのです。その少年には足を悪くした祖母がおりましたが、死ぬまでにどうしても行きたい場所があるらしく、その願いをどうにかして叶えたいと、サナエさんもロボもサムズアップして答えたのです。
このお話を聞いた時、ロボはおばあさんを背負って目的の場所へ連れて行こうとしました。しかし、早苗さんはそれを止めました。確かにそれでもいい気はしますが、出来ることならおばあさんにも相談をしてくれた少年にも、いい思い出を作ってあげたいと思ったのです。
「……で、この車椅子とかいうのを作ろうって話になったわけだ」
『ハイ テラコヤノ センセイニ キイタトコロ ホカニモ アルクコトガ ムズカシイ カタガ イルミタイ ナノデス』
「なるほど、そいつを作っておけば色んな人が使えるかもしれないってわけだ……で、私が作るの?」
『ゼンブデハ アリマセン タダ ニトリニモ テツダッテ イタダキタイノデス』
「ええ~、面倒だなあ。どうすっかなあ」
にとりさんは小さな身体で大きなため息を吐きました。別に手伝うこと自体はやぶさかでもないのですが、自分を通さなかったことが、少しだけ面白くなかったのです。ロボのメンテナンスをするのはにとりさんの役目だったことも、一因なのかもしれません。
しかし、ロボもまた目を覚ましてから、にとりさんと過ごした時間が長いのです。だからこそロボット的な頭脳は、にとりさんのやる気に火をつけるために、一つの方法を導き出します。
『ピピガガ…… デキナイナラ シカタアリマセン サナエト ガンバリマス』
「はあー!? 出来ないなんて言ってねえだろがい!」
『デキルノデスカ?』
「できらぁ!」
『……ホントウニ?』
「やってやろうじゃねえかよお前この野郎! おめえ手伝えよ! 私にかかればこんなん、ちょちょいのちょいだっつーの!」
『ハイ』
そうしてぷりぷりと怒りながら、にとりさんは作業を開始します。その後ろ姿を見ていると、ロボはどうしてでしょうか、幼い、男の子の姿が浮かんでくるのです。記憶領域にはないはずの映像が、自身のカメラアイなのか何処なのかわからないところに、あやふやに映るのです。
その現象は一体何と名をつければよいのか。それもまた、いつか自分を造ってくれたマスターに聞いてみようと、ロボは思うのでした。
河童と機械人形は、まるで魔術書のような設計図を見ながら、車椅子の制作に取り掛かります。組み合わせたり、ばらばらにしたり、くっつけたり、離したり。そうして何回かお日様とお月様が廻ったころでした。
「できたぁー!」
そこにはとても立派な車椅子が出来がっていました。
ほんとうに、ありがとうございます
「いえいえ、構いませんよ」
「作ったのは私とロボだけどな……なあ、本当に行くのかい?」
痛いくらいだった陽射しがほんの少しだけ収まり始めた夏の日。件の老婆を自慢の車椅子に乗せ、早苗さんたちは少しだけでこぼこな道を歩いています。あれほどやかましかった蝉の声は、段々と朝と夕には鳴りを潜めて、少しずつですが、夏が終わっていくのを早苗さんは感じていました。
目指していた場所は、黄色を基調として様々な色で装飾されていました。それは車輪が一度回るたびに少しずつ大きくなっていき、車輪の音が止まる頃、開けた青空の下で皆の視線を染め上げます。
黄金の海、太陽の畑。辺り一面の向日葵が夏独特の重い風に揺れて、それはまるで波のように皆の視線を縫い付けるのです。そんな海を割るように均された道に、一つの影があるのを早苗さんは見つけます。
「こんなところに大所帯なんて、珍しいわね」
向日葵畑の女王様、幽香さんです。その姿を見るやいなや、にとりさんは持ってきていた光学迷彩で姿を消してしまいました。とっても気が短いとか、、強い者いじめをするとか、そのついでに色々なものをいじめたりとか、幽香さんの噂に暇はありません。にとりさんが姿を隠すのも仕方がないのです。
そんなとっても怖い女王様に、早苗さんは何も物怖じをせずに歩み寄ります。幻想郷に来た頃に固まっていた常識や緊張は、もうありません。どんなものが相手にでも踏み込める今の早苗さんは、とってもすっぴんの早苗さんなのです。
「こんにちは」
「貴女は確か山の上の……何の用かしら? というか、後ろの金属の塊とおばあさんは何?」
『ロボ』
「実はですね、幽香さんに会いたいという方がいらっしゃいまして」
老婆は幽香さんに頭を下げます。幽香さんはしばらく首をかしげていましたが、何かを思い出したのか、ああ、あの時の、と手を叩くのでした。
まだ、早苗さんも生まれていない昔々のことでした。幻想郷のとある小さな集落に、一人の少女がおりました。少女はとても器量がよく、すくすくと成長していきました。
さて、日々を一所懸命に生きていた少女でしたが、許婚がおりました。親たちは少女にさっさとくっつかないかと日々せっついておりました。許婚の男は、同じ里のもので、少女と共に成長したのです。お互いが、お互いを思いあっていました。
ある日、少女は里を飛び出しました。親の小言が五月蠅かったのでしょうか。それとも、本当は許婚と一緒になりたくなかったのでしょうか。それはもうわかりません。
夜に里を飛び出た少女は、ひたすら無心に野山を駆け回りました。まだ、スペルカードルールの概念など無かった時代です。群れを飛び出してしまった羊のように、少女はあっさりと人喰い妖怪に出会ってしまいます。
心に諦めの火がともる瞬間、少女は幽香さんと出会ったのです。
幽香さんが少女を助けたのは、本当に気まぐれでした。それこそ少女を襲っていた人喰い妖怪よりもたくさんの人間や妖怪を土に還してきたのですから。
妖怪たちから助け出された少女は、幽香さんの館へと案内されました。日が昇って見えたのは見たことも無いほどの広大な花畑、そこに住む妖怪に少女は身の上を話します。それは少女にとって、たった一度の、自分への反抗だったのです。
幽香さんはそんな少女の話を、ただただ聞いていました。時を経た妖怪にとって、人間の情は上等な暇つぶしでもあったのです。妖怪は決して人間の生に共感することはありません。ただ、少女の気持ちに少しばかり理解を示すことが出来たのは、善かれ悪かれ人間と接することが多かったからかもしれません。
少女が全てを吐き出し終えたのを見て、幽香さんは少女を里の近くまで送っていきました。少女が全てを投げだした一晩の冒険は、こうして終わったのです。
里には憔悴しきった両親が待っていました。しばらくすると、寝ずに捜していた許婚も帰ってきました。少女は夫婦になり、気が付くと母になり、母は老婆になったのです。
あの時助けていただいたからこそ、この命があるのです
老婆はただただ深く、幽香さんに祈りを捧げます。その祈りを見る幽香さんの表情は、時を経ても変わらずに美しく、少女だった老婆を見るのです。
老婆の横顔を見て、早苗さんは自身の心がどこか暖かくなるのを感じました。それは不安の裏返しだったのです。自分は、老婆によいことをしてあげられたのだろうかと。そうして隣にいたロボもまた、己の身体にエネルギーが満たされていくのを感じたのです。
「暖かい?」
『ピーガガ……ハイ』
早苗さんの言葉に、ロボは微かな駆動音を鳴らしながら身体を震わせました。ロボは人間ではありません。しかし、エネルギーと仮定しているこの何かが満ちるこの感覚を、確かに暖かいと認識できたのです。ロボは、回路のどこかにノイズのようなものを感じるのでした。
その日の夜に、ロボは定位置である工房の角にある椅子に座り、紙に線を引いていきました。太陽の畑を訪れた時とはうってかわって、空は沢山の雷と雨を落としています。外は本当に真っ暗で、まるで人を飲み込みそうなほどです。
雨の音に乗って、その線は段々と景色をなしていきます。描かれるのは沢山の向日葵と、歓談する老婆と女。線を引くたびに、その姿がどんどんと浮かび上がります。しかし、その手は途中で止まってしまうのでした。
「んお? もう描き終わったのか?」
『イイエ』
「んじゃあ、今日はもう終わりか」
『ピピガガ…… ニトリ』
「んん?」
『マスター二 アイタイ』
機械人形の胸の中には、確かによくわからない何かが走っていました。それをなんと名付ければよいのか、どう整理をすればよいのか、それは誰にもわかりません。
話したいことがありました。記憶領域に眠る子どもの横顔に、ロボは沢山のことを語り掛けたいと思っていました。自分を拾ってくれた愛すべき隣人たちだったり、本当にいた人形遣いの話だったり、黄金の海に佇む女王様の話だったり。
話したいのは勿論でした。しかし、そうではないのです。きっとこの胸に走る何かこそが、とても大切なものなのだと。それをとにかく話したくて、見せたくてたまらなかったのです。
椅子の背もたれに腕をかけて、にとりさんは機械人形の独白に耳を傾けます。
『マスター ハ タクサンノ ケシキニ アコガレテイマシタ』
「うん」
『ワタシ ハ マスターノ カワリニ トテモ タクサンノ ケシキヲ ミマシタ』
「うん」
『ハナシテ アゲタイノデス ミセテ アゲタイノデス』
「なあ、ロボ」
ざあざあと鳴る雨の音が、まるでロボの心持ちのように聞こえて、にとりさんはそれでもにっかと笑うのでした。
「雨が止んだら、捜してみるか。アンタを造ったご主人様をさ」
『……ハイ』
ざあざあと鳴る雨音は、強さを増していました。
それからも雨は何日も、幻想郷の空を覆いました。蝉の声も聞こえなくなり始めた日のことです。ロボは早苗さんと一緒に里で困っている人にその手を差し伸べていました。
今回の長雨は、夏に夕立が多かったせいもあったのでしょう、恵み以上に災いを持ってくることが多かったのです。ある家では床の上まで水が迫り、またある家では風で戸板が吹き飛ばされたりもしていました。
そんな家々のお手伝いをしていた早苗さんとロボでしたが、丁度お昼時という頃に、事件は起こりました。甲高い叫びが、曇天の人里に鳴り響いたのです。
「……なにかしら」
みたらし団子を頬張っていた早苗さんは声の方へと足を向けます。既にできていた人垣をかき分ると、増水している川流れの中に何かが見えました。それが流木につかまっている少年だと気づくのに、時間はかかりませんでした。
どうして少年は川に流されたのか。周りに誰かいなかったのか、そんなことは今はどうでもよいことで。最も必要なのは、少年を助けるための方法、それだけなのです。早苗さんは空を飛ぶことこそできますが、空を飛んだまま少年を急流から無事に引き上げられるか、と考えると、知らず知らずのうちに足がブレーキをかけます。
何人かが川に入って助けようともしましたが、あまりの流れに少年のもとまで向かうこともできません。少年の母親なのでしょう、必死に呼びかけている女性を見て、早苗さんは一歩を踏み出そうとして、その身体は優しく制されました。
「ロボ?」
『ピーガガ…… ワタシ ガ タスケマス』
そう言って、ロボは己の右腕を少年に向けました。何時かの時に言っていたロボの言葉を、早苗さんは思い出します。それは目からビームが出せるとか、ロケットパンチが撃てるとか、そんなことを言っていたことを。ですが、前にはただ腕が地面に落ちただけだったのです。
ロボの横顔は真剣でした。どうしてでしょうか、ロボの身体は金属で、もちろんその顔から表情がわかるはずもありません。しかし、早苗さんはそのロボの横顔に、確かに意思を感じたのです。
『ロケット パンチ』
言葉は一瞬でした。爆音と白煙を吐き出して飛び出したロボの右腕は、少年の襟首を器用に掴み、無事に川から引っ張り上げたのです。
最初こそは里の人々も、それこそ早苗さんも何が起こったのかと固まって今したが、少年の安堵の泣き声で、事態を察しました。誰かが上げた歓声が、そのまま広がっていきました。
こうして珍奇な目で見られていたロボは、一躍有名人となったのです。しかしロボは早苗さんと一緒にそそくさと里を後にしました。一体どうしたのかと早苗さんが尋ねると、ロボは普段よりも小さな音声で、言います。
『ナンダカ ハズカシクテ』
その言葉が、あまりにもロボという人物を語っているように思えて、早苗さんは笑ってしまうのでした。
「アンタたちが里とかで人助けをしている時にさ、調べたんだ。ロボを造った奴の情報が何かないかってさ」
ロボが少年を救ってからしばらく経ったある日のことです。何日も続いた雨も止み、蝉の声も随分と小さくなった日のことでした。早苗さんとにとりさんは、ロボと初めて出会ったあの川にやってきました。
にとりさんはロボが眠っていた場所から、林の中へと分け入っていきます。早苗さんはロボが押しのけてくれた道を歩きながら、木々が擦れる音を意識の外に追いやりながら、にとりさんの声に耳を傾けます。
「そうしたら、仲間たちからこんな噂を聞いてさ。誰だか知らないやつの家が建っているって」
「なんですそれ?」
「その場所が私たちの中でもあまり足を踏み入れるような場所じゃなくてさ。念のために天狗様にも聞いたんだけどそんな話は聞いたことがないって。だからさ、行ったんだよ。椛と一緒にさ」
「あの白狼天狗さんですか?」
そうそうと応えたのを最後に、早苗さんたちの会話は無くなります。普段ならば話したいことがすらすらと出てくるはずなのに、早苗さんの頭も口もどうしてでしょうか、動きませんでした。
どれほどの間、林の中へ歩を進めたでしょうか。勝手知ったると思っていた妖怪の山々には、まだ自分が知らない場所もあるのだと早苗さんは視線を動かします。結局にとりさんが次に口を開いたのは、目的の場所に着いた時でした。
「あったあった、あの建物さ。ロボには見覚えがないかい?」
『アア……』
そこに見えたのは、幻想郷には似つかわしくないトタンで出来た平屋。林の中にポツンと建つその姿は、どこか寂しく見えます。
ゆらりゆらりと、ロボは家へと向かっていきます。玄関の前で一度止まると、たっぷりとした時間をかけて、その戸を開くと中へ入っていくのでした。
「おかしいとは思っていたんだ」
「何がです?」
「全部さ。だってそうだろう。そもそも私の知る知識では、あいつは動くような造りをしていないんだ。アンタだって中身を見ただろ?」
にとりさんの言葉に、早苗さんはどきりとしました。たしかに見た目こそ金属でできているロボですが、一体どういう仕組みで動いているのか。それはわかっていません。ですが、あの移動する時に鳴る駆動音も、上手く油の差さっていないぎこちない動きも、確かにロボットなのだと、早苗さんは思っていました。
「この前、言ってたよな? ロケットパンチで里の子供を助けたって。まあ見たかったけどさ。多分、最初の頃は実際に使えなかったと思うんだ。それが、人助けによって力を持って……どんな力かなのかまでは判らないけれど。とにかく、それで撃てるようになったんじゃないかって」
「じゃあ、ロボは」
「まあ、機械じゃないよ。多分そう見えるだけで、あれはもっと私たちに近い奴だ」
早苗さんの脳裏に、一匹の妖怪が浮かびました。唐笠お化けのその妖怪は、人々の驚きを糧にしていました。糧の種類こそ違えど、それは一緒の行為なのではないか、早苗さんの頭の中が見えたのでしょうか、にとりさんは早苗さんの考えが収まるのを待って、家の中に入らないかと誘います。
外はあんなにも太陽が輝いているはずなのに、電気の点かない家の中は、とても暗いのです。玄関から伸びる廊下の突き当り、右側の襖が開いています。きっと誰にも聞こえてはいないでしょう、お邪魔しますと呟いて、早苗さんとにとりさんは家の中へ上がります。
「……!」
「なんだい、こりゃあ」
入ってすぐ左手は茶の間でした。そこには人影がありました、それは文字通りの影だったのです。真っ黒な人間。それが卓袱台に肘をかけながら、何も映っていないテレビを眺めているのです。
「思い出なんだ、これ」
「誰のさ?」
にとりさんの言葉に応えず、早苗さんは奥へと進みます。知らずに足音を殺しているのに気づいたとき、開いていた襖から、聞きなれたロボの音声が聞こえてきます。こっそりと覗き込もうとした早苗さんたちを笑うように、廊下がきゅうっと鳴ります。
『マスター スゴインデスヨ ソコニハタクサンノ ヒマワリガ アッタノデス』
ロボは早苗さんたちに気づいていないのでしょう、マスターに今までに遭った思い出を語っています。
六畳ほどの畳張りの部屋。そこにあったのは布団と勉強机だけ。布団の横にあった盆の上には、落書き帳と何冊かの本。それは昔々の児童書でした。
ロボは必死にマスターに思い出を語って聞かせます。先程茶の間で見たような真っ黒な影に、まるで生きているのだと疑わないように、言い聞かせるように語って聞かせるのです。
窓からは、妖怪の山の林が見えます。きっとマスターと呼ばれる少年は、ここから様々な景色を眺めていたのでしょう。
『マスター』
ロボは決してマスターには触らず、ただただ思い出を語っていきます。にとりさんは腰を下ろしていて、早苗さんも正座をしてロボの思い出に耳を傾けます。それは、ロボが目覚めてからの全てでした。
不思議な人間と機械いじりの得意な河童に出会ったこと。人間は空を飛び、河童はよく怒ったり笑ったりしたこと。
目を覚ました場所は、まるで昔の時代にタイムスリップしてしまったような場所だったこと。
本物の人形遣いや、魔法使いや、不思議な巫女と出会ったこと。
そして、沢山の人を助けたこと。
ロボはゆっくりと、自分に言い聞かせるように語り掛けます。ロボの音声が止むころには、太陽は随分と西に傾いていました。
この暗い家こそ、少年と、そしてロボの思い出だったのです。この薄暗い部屋から見える外の景色を見せたくて、ただその願いのみで、ロボは産まれたのです。
「ロボ」
早苗さんの呼びかけに、ロボはマスターと呼ばれる人影に向けていたそのカメラアイを、ゆっくりと上げます。そのぎこちない動きは、やはり早苗さんが遠い子どもの頃に思い描いていたロボットの姿に似ているのです。
早苗さんは言葉を続けません。ですが、その意味をロボは理解していました。窓から入る西日はロボの姿すらも陰にします。
『ピピガガピー…… サナエ ニトリ アリガトウ ゴザイマシタ』
ぼおん、ぼおんと柱時計が鳴ります。にとりさんが向けた視線の先では、時計の針が狂ったような速度で回っているのです。ひっ、という早苗さんの声に視線を戻すと、それまで全く動かなかった子どもの影が、ゆっくりとですが、大きくなっていたのです。
『ピーガガ…… コレヲ』
ロボは、早苗さんたちにあるものを差し出しました。色紙で包まれた、手のひらほどの小さい箱。マジックかなにかで、網目のようなものが引かれています。
「これは?」
『ツウシンキ デス』
「通信機だあ? これが?」
『ハイ』
おもちゃの通信機からは、技術の香りを感じることは出来ません。しかし、ロボが嘘を吐いているようには、どうしても見えなかったのです。
『マスターが よんでくれました』
「お前、声が」
『いつか、また会いにきます。その通信機からよびかけます。その時には、また一緒にこの場所を廻りましょう』
ロボの音声が段々とクリアに、流暢になっていきます。
『どうか、忘れないでいてくれると嬉しいです。さあ、行って』
声に促され、早苗さんたちは玄関へと向かいます。ロボは廊下の奥で、二人を見つめるのです。あの聞きなれた機械音も、作り物くさい音声も、もうありません。
「ロボ」
『さようなら。貴女たちに拾ってもらえてよかった。本当に』
「……まあ、河童の生は長いからさ。またな」
『ええ、また何時か』
玄関を越えて、早苗さんは背後をふり返ります。そこにあったはずの家は、もうありませんでした。あのロボは一体何者だったのか。何をしに幻想郷へやってきたのか。それもわからぬまま、とある夏のお話は終わりを告げるのでした。
このお話には続きがあります。
機械人形と過ごしていた頃よりも随分と朝が涼しくなった、とある秋の日のことです。その日、早苗さんは妖怪の山を駆けていました。それはもう矢のごとしです。助けるべき友人はいませんでしたが、メロスもかくやという速度で、早苗さんはにとりさんの工房に飛び込むのでした。
「にとりさあん! いらっしゃいますかあ!」
「……なあ嬢ちゃん。河童の私が言うのもなんだが、アンタはもうちょっと慎みとか淑やかさを持った方がいいと思うよ」
「そんなものいりません! それよりこれ、これですよ!」
そう言って早苗さんは持っていたものをばばっと広げます。それは隙間妖怪さんが持ってきてくれた、外の世界の新聞でした。
「んん、なになに……オオーター=ジュンヤコフ、十七・五冠達成? なんのだ?」
「そこじゃありません! ここですよ! こーこっ!」
早苗さんが押し付けてきた場所に、にとりさんは視線を合わせます。載せられていた写真を見て、にとりさんは目を開きました。
『RO=BO ついに起動!』
そう銘打たれた記事には、造られたものの何故か起動しなかった人型ロボットが完成するまでの顛末が書かれていました。撮影された写真には、あの時確かにここにいた、寸胴のちょっと不細工な機械人形の姿が確かに写っているのです。
「本当に呼ばれていたんだなあ」
「すごいですよね。それにほら、ここも」
早苗さんの指先には、その機械人形の不思議なエピソードが綴られていました。起動したそのロボットは、誰も教えていないはずなのに、何人かの名前や思い出を答えたというのです。それはほんの少しの恐怖と、たくさんの不思議を人々に与えているようでした。
「こりゃあ、あの通信機、残しておいた方がいいかもしれないね」
「おばあちゃんになるまでに来てくれたら嬉しいなあ。あ、そうだ。私たちでもロボット作りませんか? お友達になれるかも!」
「それ、大半が私の仕事になるだろう」
「出来ないんですか?」
「はあー!? 出来るし! ただちょっとアイデアとかが足んねえだけだっつーの!」
「……本当に?」
「やってやろうじゃ……やっぱり今はやめとくよこの野郎!」
「野郎じゃないんだけどなあ」
ぎゃいぎゃいと、一人と一匹は遥か未来を語ります。きっといつか、誰かが夢見て、そして現実になった機械人形と一緒に幻想郷をめぐる未来を。
早苗さんの部屋には、今もおもちゃの通信機が置いてあります。いつかきっと、そこからワクワクする音声が聞こえてくると信じて。
ロボットと早苗さんの組み合わせがぴったりはまっていて面白かったです
駄目ですよ、卑怯です。そんなひと夏の不思議体験とか人間と妖怪とロボの友情とか人の願いを叶えるロボだとか。そんなの心の琴線に触れまくるに決まってるじゃないですか。なんなの、人の涙腺を殺しに来てるの。
はい、こういうの弱いです。多少ベタなオチ気味ですがそれも含めて大好きです。話し言葉で物語を書く、というコンセプトもこのストーリーをより寓話的な物語に昇華せしめることに一役買っていて◎でした。
いいですよね、ロボ。
体が弱くて外に出れなかった筈なのに、願った夢は人を助けるロボットだったというのがその人がどんなに優しい人であったかが想像出来ますね。
どうかこの幻想が現実になったときも優しさで溢れたものであって欲しいなと思いました。
早苗さんは外から入ってきたものの完全に幻想郷に溶け込み馴染んだという感じが念入りに描かれていて、幻想郷由来で無い技術に対して敏感になりつつも、未知のワクワクに目を躍らせたりロボを布教に使ったり、幽香と老婆と車椅子について安堵を抱いたり、幻想郷の機微を心から楽しむ幻想少女の姿がそこにはありました。
にしてもにとりの性格も読んでて楽しいもので。スーパーくいしん坊を思い起こさせる『できらぁ!』の連鎖が職人気質で頑固で、一人だけギャグの世界観の住人かと勘違いさせられてしまう程。
で、この物語の主題は誰がどう言おうと機械人形で。
最初は玩具の様な見た目と性能と、旧時代のおしゃべりロボを思い返す様なそれらで笑わされたものですが、意志を持ち太陽光発電のみならず人助けをエネルギーとする性質は寧ろ幻想寄りの存在。
縁側や人形劇の景色を己に焼き付け巧緻に表現する様も、過去を思い返してそれに抱いた感情を明文化しようとする様も、近代技術に宿った付喪神かと思わられて、されどその働きはまるで個に宿った魂が意思を明確にしようとする成長譚。それらが『マスター』への思い一心でひた走っていたと気付かされる中盤の山場は本当に美しく。
だからこそ、その直後の救出劇で早苗の手を離れ一人で少年を助けようと奮起したその姿にはロボの成長を心から祝うと共に、子供が親離れするかの様な一抹の寂しさを与えられてしまいました。
『誰かが夢見た機械人形』、他でもない『マスター』の夢でもあり機械人形自身の夢でもあったのでしょう。終盤の思い出が詰まったトタン小屋に還るシーン、通信機を渡す際に発声が明瞭になっていくのが文字でも伝わってくるシーン。成長した後の別れという事実が合わさったのか、それらで寂寥感が響いてしまったのを感じずにはいられませんでした。
そしてその感情を吹き飛ばしてくれるかの様なラスト。
夢を見る番が早苗とにとりに回ってきたようなこの爽快感がとても好きですね。
外の世界の出来事が新聞となって幻想郷に遅れて入ってくる感じも雰囲気があって。
にとりが言い直すシーンもすき。オオーター=ジュンヤコフもっとすき。十七・五冠の剛欲異聞はまだですか…?
夏場のひと時の幻想体験を秋深まる時期に感じさせてくれる、面白く笑えてちょっぴり涙腺が緩む作品でした。
なんと言いますか、絵本の様な暖かさとでも表現しましょうか。トタン小屋の中にあった児童書、とでも言いたげに連綿と紡がれていた語り口調の地の文は実際絵本の様で、それに準ずる様なハートフルな物語が構築されていたのだと思います。
ありがとうございました。またいつかの夏の日に聞けると良いな。
できらあ! ←好き
おめえはよう! ←好き
できらぁ!
ひと夏の思いで、その言葉のイメージが詰まった作品でした。