Coolier - 新生・東方創想話

映せる花の色なかりせば

2020/09/30 21:08:19
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「貴方はどうして天仙にならないんですか? できることが増えるのなら、それを楽しいと思わない貴方ではないでしょう?」

 豊聡耳様は、酷なことを仰る。
 その暴言の理由は分かる。彼女はどうやら私のことを、仮にも師匠に当たるから、という事情を抜きにしても高く買っている節がある。
 もしかすると、あの聖徳王ともあろう者が、自分より上の存在として認識しているかも。もちろん普段はそんな風には思っていないでしょう。程々に尊敬はしつつ、自分という存在の高さは忘れない。その辺りが無難だろう。ただ、深層心理は厄介だ。彼女は自分で思っている以上に、霍青娥という女のことを上に見ている。
 すると不如意に、存在としての格の違いが気になってきたりする。そんな所。それ故の暴挙、暴言。

「邪仙でいることが楽しい、というのも分かりますけれど」

 それは当たっている。自由奔放さの度合いで言うのなら、今くらいが丁度良いとも思っている。

「でもやはり私としては……ああ」

 深く、溜め息を吐いた。彼女らしくない仕草のようでいて、その聡明さは彼女ならではのものだった。

「……私は自分で思っている以上に、貴方のことを尊敬していたのですね」

 そこに気付けるものですか?
 きっと、直視したくもない己の内面のはずなんですよ?

「青娥。私は貴方に、私の想像なんて及びも付かない、格上の存在であって欲しいんだ。初めて出逢った時の、あの、この世のものとは思えないほど美しかった唐衣の天女の姿に、憧れたままでいたいんだ……」

 ごめんなさい。無理ですわ。
 私はそう言った。
 無理、とは?
 首を傾げる聖徳王。人には問うまでもない。そういったことが常である彼女が、らしくもなく私に問うてきたのだ。余程、問いの答えは理解の埒外に置かれることらしい。

「だから、成れないんですってば」

 胸に痛みは感じない。悔しさに歯噛みする季節は、とうに過ぎたのだから。どうせ私は最初から、仙術の数々のことを、人を驚かせる手品の仕掛けくらいにしか思っていない。
 私は邪仙でいる私のことが好き。その気持ちに嘘偽りは無いし、今のままの適度に自由で適度に不自由な自分を愉しむためなら、今よりも強い力を手に入れる千載一遇の機会があるとしても、あっさり拒絶するだろうとも思えた。
 それでも、成れないものは、成れない。

「仙骨、足りてないですからね」



 日増しに、朝夕には冷え込みを感じるようになってきた。残暑がいつの間にか過ぎて、夜には蟋蟀や鈴虫の鳴き声を耳にする。
 まだ浅い夜。どこに潜んでいるのか、それとも音色だけの残響なのか、白玉楼の庭にも虫の音は聴こえている。
 そんな時季である。白玉楼庭園の池には、花の筏が流れていた。
 控え目な湖ほどに大きな池には小島が浮かび、架かる橋で行き来することができる。夜の空は暗く、紺よりもずっと深いけれど黒一色にまでは染まらない。そして、夜の空を映す池の水面は、白かったのだ。いや、白一色にまでは染まらずに、ほんの風合い程度に朱が差した、ほのかな白。桜だ。桜の花弁が、散り敷いているのだ。
 仏様が乗っていらっしゃるのではないか。眺めやる邪仙の胸にさえも、ふと、そんな感慨が去来する。

「今日は、満開ですよ。嬉しいです。こんな夜を、私と貴方で二人占めだなんて」

 毛氈に座した少女が、酒の雫を転がして微笑む。
 ほんのりと頬が赤い。妙な色香もある。すぐに酔い潰れる酒乱という噂だから、きっと、奇跡のような時間なのだろう。
「桜が、咲いているんですね」
 何故だか私は、季節外れの桜に納得していた。庭園のそこかしこの桜の木に咲いた花が、冷たい月の光を受けて淡い光を帯びている。目に霞むような、霞んだ光。
「幻ですよ」
 と、妖夢。
「庭の機嫌が良いと、花弁の幻が散る日があるんです」
「まあ、それで」
 池を桜色に埋め尽くす桜色の塊は、実体があるようにしか見えない。本当に乗ることができそうだ、とさえ思う。もちろん、仮に実体があるとしても、花の筏に乗ることが叶うのは、仏様だけであろう。折しも、風向きは西方に向けて流れていた。花の筏の途切れた隙間に、紫色の雲が映っている。
「何かありますね。あれは?」
 もう一つ、奇妙なものが浮かんでいるのが見えた。風で流れて行こうにも、運悪く、桜の花弁に引っ掛かって堰き止められている、といった具合である。それがまた、奇妙と言うか珍妙で。遠目には、白い皿を割ったような物。もっと踏み込んで言うのなら、水面に映る満月を二つに切って分けたような……? でも月だとすると不思議だ。少し欠けた満月が、全然違う場所に浮かんでいる。
「えっと、水月ですね。ああ、昨夜斬ったものが、桜に引っ掛かっちゃっているんですね。いつもなら、夜が明けた時にはどこかに流れて消えているんですけど」
「……水に映った月って、斬れるのね」
 見たものは、見たままだった。
「斬れますよ」
 何を当然のことを、とでも言いたげな顔。この子はちょっと、こういう所がある。『持ってる側』の言い草をする子だ。
「あ、空に浮かんでいるあのお月様は、まだ斬れませんよ? 半人前ですから」
 はにかむ顔は、可愛らしいのだけれど。
 だいぶ、ぐびぐびいくのね。
「水の色は」
 酒を含んで、静かに目を細めている。
 不思議な魅力のある表情だった。涼しい顔のように見えるのに、その表情それ以上に、面白がっているように見えるのだ。顔が笑っているのでなく、その気配、纏う空気が、ほんのりと微笑んでいるような、そんな具合の、淡い笑みである。
「似てますか?」
 唇まで出掛かった言葉を取りやめにして、妖夢は今度こそ笑った。
「似てる、とは?」
「貴方の真似をしたんですよ?」
「……私、そんな顔をしています?」
「してますよ」
 やっぱり、妖夢は笑う。
「とても、魅力的な表情です。天女のようです」
「本物の天女は、私のようには笑いません」
「それならきっと、貴方は本物よりも綺麗なんでしょう」
 涼しい顔で、そんなことをのたまう。酔いが回っているのだろう。
「……最近、口説かれることが多いですわ。ええ、いいえ、別に? 初心なわけでもないので、簡単には照れませんが。それより、先ほどは何を言い掛けたので?」
「不思議ですね、という話です」
「水の色が?」
「だってほら、手に掬った水は透明なのに、池に溜まった水は、空の色を映します。そして今は、桜の色をしている」
「……花の筏、ですね」
「そう言えば、花筏、というのは古語のようでいて、古い歌に詠まれた例は無いんですよ」
「そうなんですの? は、な、い、か、だ。ちょうど五文字なので、組み込みやすいかと思っていましたけれど」
 少し、考えて。
「風のかけたるしがらみは……」
「流れもあへぬ紅葉なりけり、ですか? 山川に、の歌ですね」
「そうです。それ」
 山川に風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり。
 桜と紅葉という違いはあれ、水面に散り敷く光景を詠んだ歌。題材としては近いものがある。
「こういう歌は、他に無いのでしょうか」
「ありますよ。桜なら、『花さそふ嵐や峰をわたるらん桜なみよる谷川の水』とか。梅の花には、『年をへて花の鏡となる水はちりかかるをや曇るといふらむ』があります」
 花さそふ、の歌は、上流から桜の花弁が流れてくる光景。
 そして、花の鏡となる水は。水を古い鏡に喩えているのなら、まさに、水の色の話だ。
「妖夢は、歌を詠むことはあるのですか?」
 最初、くすくすと鈴を転がすお手本通りの笑みは、次第に、お腹を抱えた笑いに変わっていった。
「詠みませんってば」
 だ、そうだ。
「花筏、花筏……んー、何か、できそうな気がしますのに。御仏のー、うーん、違いますね」
「んー、妙に筏にこだわりますね。その、花の筏が乗り物だというのも、どこから来た発想なんです? 筏と言っても言うだけで、誰が乗るとかそういう喩えではなかったと思いますけど」
 言われて、きょとん、となった。
 花筏と聞いて、率直に何者かの乗る様を連想するものなのかどうか。
「だって、筏でしょう? 仏でなくとも、誰かの乗るものです」
「まあ、それはそうかも知れませんね」
 もう一度、今度は少し長めに押し黙って考えると、一つの出来事が思い出される。
「見たことがあるんです」
 何のことはなかった。見たのだ。
「風のかけたるしがらみと、花の筏を」
 不思議と言うよりは、胸に疑問を残した不可解な出来事。今でもまだ記憶の片隅に、それこそしがらみとなって、引っ掛かっちゃっている。
 半分に斬られた水月の向きが、少しだけ傾いた。流れるか流れないかの瀬戸際で留まっている。
 吹き抜けた風は、妖夢の前髪を揺らす。少女がおとなびて見える瞬間があるのなら、今がまさに、そうだ。
「是非、聴かせてくださいまし」
 妖夢は、微笑んだ。妖艶な美少女の真似をした微笑みは、その瞬間だけは、奇跡のような出来映えだったと言えるだろう。



 秋に色付く山麓で遊行していました折、その奇妙な生き物に出くわしました。

 渓流ながら川幅の広い場所で、流れはとても静かでした。川岸には豊富な巨岩が転がっています。そして、その巨岩群にさえ覆い被さるように、紅葉が山を覆っているのです。
 そんな山の中のことです。なんだか妙に胴体の間伸びした、毛足の長い犬。だらしのないダックスフント。顔は見えない。毛に埋もれている。
 その犬、犬……? が、ちょうど舞台のようになった平たい岩の上で、自分の尻尾を追い掛けながら、くるくると回っているんですよね。駄犬感、全開で。
 とは言え、可愛らしく感じられるのも、私という存在もまた邪悪であるがため。常人の感性で言うのなら、理性の均衡を損なう類いのモノであったことでしょう。

 渾沌。

 その眷属と見ました。
 四凶の一。悪人を好むと伝えられる、怪物です。
「もうし、そこのワンちゃん。ここ掘れワンワン、ということでよろしいのかしら?」
 私は実に馴れ馴れしく声を掛けました。
 胴の長い犬は回ります。回ります。くるくるくる……。
「……もしもーし」
 無視ですよ。
「飼い主は、どこでしょう」
 きょろきょろと辺りを見回したのは、仕草だけのことでした。仙境に踏み入った山奥に、人の気配はありません。
 首輪代わりの符呪の痕跡も見えて、どうやら飼い犬らしい。私ではない他の仙人が四凶の一を喚び出して、だけど飼い主は何処かへ消えてしまった。そういう状況。
 まず知り合いの仕業かと疑った。同郷では私程度の仙人は珍しくもない。こちらの国へ渡って来た同類とも、一部、交流がある。けれども面識のある中では、飼い犬を放置するような顔に心当たりは無かった。私とて、芳香に留守番をさせるとしても、そう長く寂しい思いをさせたことは無い……はずです。
 邪仙なら性格の悪いことも当然為す。だからこそで、放置はおかしい。嘆き悲しむ様を鑑賞するのなら、特等席に座っていなければ意味が無いのだから。
「ま。それも邪仙なら、の話ですけれど」
 生憎、ただの仙人がこの邪悪な怪物を呼び出した場合については、想像ができない。
 仙人でも邪悪な怪物は呼ぶ。そもそも、渾沌は邪悪だという説もあるだけで、決して邪悪な存在とは限らない。
「どちらにしても、貴方は寂しいですね」
 犬はくるくると回っている。駄犬感、満載で。
 結局、犬が私に応えることは無かった。渾沌が悪人を好むなんて、嘘ですね。私だって結構な悪人なのに。

 次の日も、私は犬を、渾沌の様子を見に行きました。
 以来、定期的に渾沌に会いに行く日々は続きました。

 一度だけ、川の流れていく先を見つめて項垂れている姿を見た。
 からくれないに水くくる美しい川面を、哀しそうに見つめていた。そう見えたのは、私の気のせいだったかも知れない。単に、偶然そちら側を向いたまま、動きを止めていただけなんだろう。

「私と、来ますか?」

 渾沌に私の声は聴こえないようでした。
 元々、そういうものです。何しろ耳が無いのですから。

「渾沌七竅に死す。あるいは、渾沌に目鼻を付ける。という言葉を知っていますか?」
 と、ここで肝心な所を確認してみる。
 渾沌とは何ぞや。
「え?」
 妖夢はものすごく可愛い顔で小首を傾げる。
 ちゃんと話を聞いてもらえていたか、不安になった。
「こんな話です」

 むかしむかしある所に、渾沌がおりました。
 ある日のことです。南の海を支配する儵(シュク)と、北の海を支配する忽(コツ)が、渾沌の元を訪れ、大変な歓待を受けました。
 儵と忽はお礼を考えます。

『人間には皆、目、鼻、耳、口の全部で七つの孔が備わっていて、これらの孔で、見たり聞いたりすることができる。だけど渾沌には一つも孔がない。じゃあ、渾沌にも私達と同じ孔を空けてあげよう』

 それは、大変素晴らしい考えのように思えました。
 儵と忽は、一日に一つ、七日間かけて、渾沌の顔に七つの孔を空けました。

 七日後、渾沌は死んでしまいましたとさ。

「へー」
「不思議な話、でしょう?」
「そうですか?」
「…………」
 予想は、していた。
 きっと妖夢は、この話を不思議には思わない。
「どこか不思議なんですか?」
「何故、渾沌は死んでしまったのか」
「孔が空いたその時に初めて、渾沌は人間の世界に生を受けたのでしょう? 生まれたら、死ぬ。私はその辺りの感覚が稀薄ですけど、不思議なことではないと思いますが」
 生きている生き物は死ぬんですよ、と。
「生きるのは大変だから、生きていたら死んじゃうんです。渾沌は、物とか考えてないで、いつも無意識、頭からっぽ、自由にぽけーっとしてるやつなんです。あくせくと生きるのには向いてない」
「そうそう、そうなんです」
「渾沌は、いわゆる生きているという意味で生きている生き物じゃなかったんですね。生きているか生きていないか曖昧な存在だった。半分生きてて、半分死んでる」
 その通りだ。私も同じように思う。そう思えるようになるまで、どれくらいの時間を要しただろう。
「一般に、この逸話は、人が無為自然を理解する際の警句と考えられています。渾沌に目鼻を付けるとは、おおよそ、余計なことをして自然元来の良さを失わせるな。自分達の尺度、狭い了見で傲慢な行動を起こすな。道理の付かない物事もあると弁えろ。といったような意味の慣用句でしかありません」
 閉じた目を無理に抉じ開けても、良い結末は望めない。
「私は、こういう風にも感じました。儵と忽が余計なことをしたという例え話でなく、儵と忽の登場によって今の世界が始まったという例え話なんだ。儵と忽が渾沌を殺すことで、五感で現実を認識することによって成り立つ今の世界が始まったのだ、と」
 天地開闢。そしてきっと、この神話はもう一文続く。渾沌が死んで、その死骸からは草木が芽生え、命が生まれました、とでも。死んだ巨人は大地になる。神話の典型の一つ。

 渾沌は死んだ。それが、ありのままの世界の、ありのままの在り様だ。

 だから、渾沌七竅に死すとは、渾沌を、無為自然を殺してはいけないという戒めではない。とっくの昔に渾沌が死んでいることを受け入れろという話。
 七つの孔の空いた生き物は、盲目無音無味無臭の世界から分かたれている。理解しようとしても無駄なことだ。道家を志す者よ。まず、認め難い事実を認めなさい。
 もう、渾沌は死んじゃったんだよ。心の交流なんてできないんだよ。ちゃんと、そのことを分かろう? 話は、その後にしようね。そうしたら、閉じた目を開く以外の答えを、教えてよ。
「渾沌に私の声が届かなかった理由も、そういうことだったのでしょうね。世界の相を共有していないのですから、触れ合える道理が無い」
 今更になって、分かった。
 渾沌を召喚したのは天仙だ。自然と同一になった天仙でなければ、無為自然そのものの具象には触れられない。
「だから結局、何だったのでしょうね。私の声がきっかけとなったような……別に関係は無かったような……」

 季節は移り変わる。山の色も紅葉色から桜色に変わっている。半年か、一年半か、それ以上なのか、もう忘れた。日がな一日、相変わらず犬はくるくると回っている。時折、空を見るように上を向いては、甘えるように、くぅんと喉を鳴らす。
 私はいつしか犬の様子に注視するのをやめていた。近くの手頃な岩場に腰掛けて、犬と同じように川面を見下ろしたり、空を見上げたりしていた。
 岩場からは、渓流は見下ろす位置にある。絶えず、桜が散っていた。散って、散って、まだ散っていて、その量は無限とも思える。風が吹いたら桜が散ってしまうから憂鬱だとか、桜の花が儚い題材として歌に詠まれる理由が分からなくなってくる。山中で桜の嵐に晒される身からすれば、ただただ桜は、圧倒的だ。
 むしろ、儚いのは私の方。強い風が吹き付けて桜の波が一斉に押し寄せれば、この身が残っているかどうか知れたものじゃない。桜吹雪なんて、綺麗なだけで濁流と変わらない。
 紅葉が染めていた山川に、その面影は無い。桜色、一色。

「風さそふ山の錦のしがらみさへ」

 柵と見えたのは、流れもあへぬ紅葉であった。
 今は、もう違う。桜の色が流れていく。川の水も、時間も、留めておくことはできない。

「花の筏よ春をゆく水」

 しがらみは、流れて消えた。季節も、私の身も、流れて消えていく。
 流れて何処へ行くのか。何も無い所だ。時間の生まれ来る場所で、やがて時間の還り着く場所だ。

 ふっと気が付いた時、岩場から渾沌の姿は消えていた。花の筏に乗って、視界の果てまで消えていく所だった。胴の長い犬が流されていく、としか言いようがない。何かの冗談みたいな光景を前に、茫然とする。他にどうしろと言うのです。
 主人の所へ行ったのだろうか。行くことが、できたのだろうか。結局、この出来事が何を意味していたのかさえも胡乱な私には、無事を祈ることさえ覚束無いことだった。

「……ほんとに、何だったんでしょう」
 白玉楼の桜は、仙境に勝るとも劣らない。目を伏せ過去の出来事を脳裏に描きながら述懐し、そして話を終えて目を開けた時、まだ想い出の中にいるかと錯覚するほどだ。記憶の桜と、今まさに見ている幻想は二重写しになって、更に尚、私のことを戸惑わせる。
「歌を詠んだから、ですよ。……あ、出来映えの程は、言わぬが華ですね?」
 妖夢は、簡単過ぎるくらい簡単に、そんな風に言った。
 こんなことも知らないんですか? と、だめなおとなを笑うように。
 そうですよ。知らないんですよ。難しく考え過ぎちゃって、簡単じゃないんです。そのくせ、だめなおとなは諦めることだけは得意なんですけど。
「歌……?」
「ええ、歌です。歌なら、届きますよ。ゆくと詠んだのなら、行ったのでしょうね」
「……」
 やや憮然とする私。
 簡単なことなのにと、笑う妖夢。
「歌にはそういう力があるんですよ。師匠がそう教えてくれました」
「師、ですか」
 剣の師ではない方の師。
「もちろん自由に会えるわけじゃないです。でもきっと、庭の機嫌が良い日には──桜の花弁が散っている時には、見えなくてもそこにいるんだと思います。だって師匠は、桜の人ですから」
 ざあっと、桜が鳴った。風も無いのに。
「最近、こう思うようになったんです。西行桜とは別だけど、この庭の桜は、全部、彼の樹なんだって」
 そうか。
 歌はそういうものだと、歌聖がそう言ったのなら、そうなのか。
 この子がそうだと言ってくれるなら、そうなんだ。
 犬は還るべき所に還った。それなら、もう良い。安心した。



 その後、妖夢は一頻り暴れて、寝た。
 夜も更けた。桜の花弁は散り終えた。庭園の池に散り敷いた桜の花弁さえも、一片も残さず消えてしまった。こちらも筏に乗ったのか、半分の水月も見当たらない。

 今は無心で、膝の上に乗せた可愛い子の頭を撫でる。
 それと、背中に何かもぞもぞと動くものを押し付けられているような気がするのだけれど、私は知っている。視線を転じた時、そこには何もいないことを。
 だから空想するのに留めるだけ。駄犬感だだ漏れの胴の長い犬が、かまってかまってとご主人に顔を擦り寄せている。渾沌は悪人に懐くという話、本当だったんだ。私の無意識は、いつだって私のそばにいて、でも気付かないでいただけだ。人は、無意識を意識できない。
 私は、天仙には成れない。
 何故って仙骨が足りていない。仙骨の有無は見る者が見れば分かることで、私には仙骨を見る目くらいならある。
 仙骨なんてどうだって良いと思っていた。その認識は正しい。どうだって良い。知ったことかと思う。楽しくやれさえすえば他のことはどうだって良くて、事実、私は浮世を愉しんでいた。邪仙でいる自分に満ち足りていた。
 ずっと、自分の色は水色だと思っていた。
 水色。淡い青。だから、無色透明の、本当の水の色とは、違う。
 でも、ただ水色というわけでも、ないようだった。
「可愛い子……」
 貴方みたいに綺麗な女性になりたいです。
 と、この子が私に、そう言った。
 私の水色を綺麗だと、霍青娥は外道だけど、とっても素敵なお姉さんだ、と。
 その時の私は、思いの外、平静ではなかったのだ。水色ではいられなかった。きっと頬には桜色が差していた。で、私はそのことを必死で隠して、余裕ぶっていた。全然、自然体でも自由でもない。嘘偽りだらけだ。だけどある意味、それはそれで自然なこと。だって自分を慕ってくれる少女の前だもの、お姉さんは格好付けるものなのです。
 この子の前で、格好悪いことはできない。むしろ、おのずからにして、格好良い私でいられるような気がしたのだ。

 髪を撫でる。頬に触れる。澄んだ感情が私の中を通り過ぎる。
 喩えるのなら、泥濘を清い水で洗い流した後、砂金の粒が残っているみたいにして。三十一文字、自分の中に残っていた。

 水の色は色々に移り変わる。夜の池の水は黒くとも、月明かりの下、桜の散り敷いた池は桜色であったように。水は鏡だ。もしも水の色が美しいのなら、その時、映っているものこそが美しいだけ。

 水の色はうつろふ心あだなりし
 映せる花の色なかりせば
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コメント



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1.100転箸 笑削除
綺麗ですね。
2.90奇声を発する程度の能力削除
雰囲気が良かったです
3.100サク_ウマ削除
相変わらず美しさの極まった良い作品でした。仙骨が足りないと語る青娥の諦めきった雰囲気がたいへんに好きです。当然のように冗談みたいなことをしている妖夢も。
4.100終身削除
浮かんでくる景色もその中の会話やふれあいもとても綺麗に感じました 妖夢の方は迷いの少なそうで特に水月や渾沌をそういうものだからって言い切ってしまえるようなところとかとても印象に残りました だからなのかその中で気づきや心の動きを受け取っているような青娥がなんだかとても表情と心のよく変わるように段々と見えてくるみたいでその傍だからこそのよく揺れる水の色だったのかなと思いました
6.100熱燗ロック削除
すきー