『このゲームも私の勝ちね。えー、ズルなんてしてないよ』
『綺麗な桜だね。ね、いつか地上でもお花見出来るかな?』
『お姉ちゃん待って、それ塩じゃなくて重曹! 砂糖ですらないよ! あぁもう、私がやるから!』
◆ ◇ ◆
湖のほとりに聳え立つ洋館、紅魔館。
そこが私の家だ。
外から見ると窓が少ないように見えるが、内側から見てもやっぱり窓が少ない。
紅い色彩が恐ろしく目に悪いこの欠陥住宅には、それ相応の恐ろしい悪魔達が棲んでいる。
具体的には誇り高き吸血鬼を自称する子供舌レミリア・スカーレットや、磨き抜かれた魔法技術で当主のディナーを全てタイヤ味に変える知識と日陰の魔女パチュリー・ノーレッジなど。
どうだ、恐ろしかろう。
悪魔の棲む館と呼ばれてはいるものの、当主様……もとい私のお姉様は面白いものを好む性癖を抱えている。
だから来客は普通に迎え入れるし、パーティを開催して自分から人を集めることもある。
私はいつもその様子を魔法で遠巻きに観察し、外の情報を仕入れつつ、お姉様が口へ運んだ料理をゴーヤに変えたりするのだ。
そのために魔法を習得したと言っても過言ではない。苦みに悶えるお姉様はとても愉快な顔をする。
そんなわけで館への来客は多い方だ。その上図書館を目指して元気いっぱいガラスをぶち破る飛行強盗も健在だし、時折パチュリーがロビーを外の世界の同人イベント会場と繋げたりもするので、賑やかさには事欠かない。
今日も紅魔館は元気いっぱいだ。
私の部屋は地下にある。
地上部分の賑やかさとは無縁の私の聖域だ。
私はお姉様ほど異文化交流には飢えてないので、もっぱら落ち着く自室に籠もっている。
かれこれ大体五百年ほど……ずうっとここで過ごしてきたが何一つ不自由したことは無い。
家具も一通り揃っており、なんか妙に怖い人形も飾ってある。本が欲しければパチュリーがおすすめの薄い本をくれるし、館の様子が探りたいならわざわざ部屋から出ずとも魔法で事足りる。魔法の触媒だって欲しい分だけ庭から収穫してくれば良いのだ。うちの庭には七色に光る草がたくさん生えている。
そんなわけでこの部屋は、私が望めば快適なベッドルームにも読書スペースにも、お姉様を監視するモニタールームにもなり得る無敵の空間なのだ。
そして今日の私の部屋は姉用魔法実験施設となっている。
魔法吸血鬼たる私の探究心は誰にも止められない。
今、私は魔法薬精製の重要な局面と向き合っていた。
「うふふ……うふふふふぇ」
魔法薬の完成が近づくにつれ気持ちが高まり、あまり人には聞かれたくない感じの笑みが漏れてしまう。
私はテーブルの上に色とりどりの薬品を多数並べ、繊細な調合作業を繰り返していた。
今精製しているのは吸血鬼にすら通用するほどの強力な媚薬である。
これが完成したら勿論姉の紅茶に仕込む。流石のお姉様もこれを飲んでしまったらひとたまりもないだろう。そうなった時の行動データを採取するのが今回の目的だ。
これは学術的な魔法実験なので、やましい気持ちがあるわけではない。決して。
「うふぇふぇ……ふぅ」
煩悩と戦いながらプルップルの手で繰り返した調合作業は、ついに最後の薬品を調合するのみとなった。
難しい作業ではないが、とにかく慎重に混ぜる必要がある。
もし一気に混ぜてしまうと、急激な魔力反応によりその場で大爆発する。
私の部屋は一瞬にして魔法実験施設から事故現場にジョブチェンジすることになるだろう。それだけは避けねばならない。
それでも万が一の事態が発生した場合、緊急転移魔法によって、爆発そのものが図書館で発生する手筈となっている。本当はお姉様の部屋まで飛ばしてやりたかったのだが、転移範囲の都合上こうするしかなかった。こればかりは仕方ない。
ごめんねパチュリー。きっと貴女なら大丈夫よ。
私は一度深呼吸を挟んでから、意を決して薬品の入った試験管をその手に取った。
そして今、もう一方の試験管にゆっくりとその中身を注ぎ入れ――
「お邪魔します」
「んゃ」
図書館の方から爆発音がした。
突然の来訪者にビクリと震えた私の手元は狂いに狂い、試験管の中身はほとんどパチュリーの元へと旅立ってしまった。
私の夢溢るるお姉様ごにょごにょ計画が……!
……だが今はそんなことより。
「本当にお邪魔してしまったようですね。すみません」
扉の方から物静かな謝罪の声が聞こえてくる。
そちらに目をやると、右手に白い手提げ袋を持った紫の癖っ毛少女が眠たそうな目で佇んでいた。
その体からは特徴的な赤いコードが幾本も延びている。タコ足配線は良くないと思う。
その姿を見た私は、本日二度目のびっくりを提供されることとなった。
彼女のことはある程度知っているが、まさか私を訪ねてくるとは思わなかった。
「大丈夫、気にしないで。実験に犠牲は付き物よ」
「ありがとうございます。お優しいのですね」
そう、誤解されがちだが私はお優しい。
お姉様ごにょごにょ計画は延期。
彼女は先日館でパチュリー殺人(?)事件が発生した際にやってきた探偵だ。
身内の犯行も疑われ大層困惑する愉快なお姉様の元へ、向こうから接触してきた。
ユニークな浮遊眼球が特徴的な彼女はサトリという種族の妖怪で、人の心を読むのだそうだ。
じっとりとした目線のまま古明地さとりと名乗った彼女は、その能力によって見事事件を解決に導いた。
結局真犯人だった怨霊は行方を眩ませてしまったので厳密には解決していないのだが、私達的にはそれで十分……お姉様も一安心したようだ。パチュリーもなんか生き返った。
最初こそあまり信用されていなかったものの、その一件でそれなりにお姉様と親しくなったっぽいさとりは、最近たまにうちに訪れてはお姉様とお茶をしている。
私と同じ引きこもり系少女なのかと思っていたが、妖怪は見かけによらないものである。それとも何か企んでいるのだろうか?
もしそうなら是非知りたいところであるので、私はいつも魔法でお茶会の様子を盗み見するのだ。
回を重ねる毎に親しげになっていくお姉様が気になるとかそういうのではない。ほんと。
しかしそんな彼女が何故私の部屋に?
「新聞勧誘かしら」
「ええ、その通り。古明地さとりと申します。よろしくお願いしますね、フランドールさん」
新聞勧誘だった。
……いや、心を読んで私のさとり解説の方に返答したようだ。分かりにくい。
心を読んでくれるのならば会話いらずで便利なのかもしれないが、全てが筒抜けというのはなかなかやりづらいものがある。
「私に隠し事は一切出来ませんよ。何故なら、貴女の考えている事が全て聞こえてきてしまうのですから……」
そう言ってにやりと笑う彼女から電波のようなアイコンが出た。どうやっているんだろう。
幻想郷には不思議がいっぱいだ。
「じゃあ隠し事の出来ない新聞屋さん、一部貰えるかしら」
「品切れです」
平然とさとりが答える。
この人ほんと何しに来たの?
「遊びに来ました」
私の脳内ツッコミを読んださとりが何食わぬ顔で明らかな嘘を叩きつけてきた。
自慢じゃないが、理由もなく私の元へ遊びに来る奴なんて居ない。ただの一人もだ。よって、ここに来た奴には間違いなく別の目的がある。
……あれ、なんかちょっと涙が出てきた。
「あら、一緒に遊んでくれるのかしら……ぐす」
「はい、お友達になりましょう。……ハンカチをどうぞ」
「ありがと」
さとりから受け取ったハンカチで目元を拭う。
なんだ、サトリ妖怪って良いやつじゃないか。
……いや、流石にハンカチ一枚で買収される私ではない。
ちょっと陥落しかけたが、一緒に遊んでくれると言うのなら是非もない。
お望み通り楽しく遊びながら、探りを入れてやるとしよう。
「探らないでください」
「探るわ」
さとりがまたにやりと笑い電波のようなアイコンを出し始めた。
その表情が私に隠し事は一切出来ませんよと言葉なく語りかけてくる。中々の強敵だ。
「私に隠し事は一切出来ませんよ」
言葉でも語りかけてきた。
この短時間で三連打である。
「私は隠し事なんてしたことないわ」
「なるほど……先程フランドールさんが精製されていた薬品はレミ」
「ん゛ん゛い゛!!!!!!!!」
咄嗟に投擲した二つの試験管が視認出来ない速度でさとりの頬をかすめ、混ざり合うように壁に着弾した。
図書館の方から爆発音がした気がする。
「遊びましょうか」
「ええ、そうしましょう……ちょっと待ってくださいね」
腰を抜かして地面に崩れ落ちたさとりが尻餅をついたまま答えた。
脚がガクガクと震えている。生まれたてだ。
脚は生まれたてになっているが、表情はじっとりとしたにやり顔をキープしているところに、サトリ妖怪としての誇りと意地が垣間見える。
それにしても、やはり人の腹の内を探るなんて良くない。忌むべき行為だ。
よって、今は何も考えず珍しい客人と楽しく遊ぶことにした。
なんだかんだでずっと部屋に居ると体はなまる。
それに、丁度庭で新鮮な大弾が穫れたところなのだ。
では早速……
「弾幕ごっこ以外でお願いします」
「えー」
ぐいっと体を捻ってほぐし、私愛用のぐねぐねした棒を構えようとしたところでさとりに拒否されてしまった。
パターン作りごっこはお気に召さなかったようだ。
残念だが、新鮮な大弾をお披露目することは叶わなかった。
「すみません。お相手したいのは山々ですが……ちょっと下半身が故障しておりまして」
「しょうがないなぁ……ほら、私の肩に掴まって」
「助かります」
未だ地べたでガクガクしているさとりに歩み寄り、肩を貸してその華奢な体を支える。
私の方が背が低いので、さとりは腰の曲がったおばあちゃんのような姿勢になった。
「おばあちゃんではないです」
抗議の声を上げるおばあちゃんを無視し、手を貸しながらお気に入りの椅子に座らせる。
私に絡みついていたおばあちゃんが無事着陸したのを見届けてから、私もその対面に腰を下ろした。
魔法実験会場として試験管やら七色に光る草やらが散乱していたテーブルは、いつの間にか綺麗に片付いている。
それどころか、小洒落たテーブルクロスの上に二人分の紅茶とクッキー、そしてティーポットが用意されていた。
どうやらうちのメイドがセッティングしてくれたようだ。
うちには小心者で片付け好きの優秀なメイドが居る。優秀なのだが、大真面目に福寿草を仕込んだ紅茶で心臓を刺激してきたりするので、姉の気苦労は絶えない。
「うふふ、改めてようこそ私の部屋へ。歓迎するわ、さとりさん」
「はい、ありがとうございます……ふぅ」
互いに紅茶を飲んでほっと一息。
基本的に心臓に効くお茶はお姉様にしか振る舞われないので安心だ。
さとりやパチュリーに福寿草なぞ飲ませようものならそれこそ殺人事件である。
一息ついて足腰も安定してきたさとりが、やはり眠たそうな表情のまま小さな口を開いた。
「今日はお近づきの印にお土産を持ってきました」
「鶏かしら」
さとりがずっと持っていた白い手提げ袋から何やら包みを取り出す。
初手買収ときた。
一体何を渡され、何を対価として要求されるのか。
やはり鶏か?
あれは捌いたり出来ない人でも美味しく頂ける。
「鶏ではないですが……どうぞ」
「あら、これは……」
さとりが優しく包みを開くと、中から可愛らしい人形が出てきた。
緑がかったふわふわの髪にぱっちりした目、さとりと似た服。そして何よりその体から延びるサードアイ。これは……!
「こいしちゃん人形です」
誇らしげにさとりが言い放つ。
事もあろうに自分の妹の人形をプレゼントしてきた。
これには流石の私も驚きだ。
でも実際のところ私の部屋にある妙に怖い人形より遥かに可愛いので、悔しいが嬉しい。
ありがたく頂くとしよう。
「かわいい……」
「そうでしょう」
さとりがとても満足げな顔でふんぞり返る。
特に対価を要求されることも無いようだ。
そんなに妹が好きか。
それは大変微笑ましくはあるが、お姉様と妹トークで盛り上がるのだけは勘弁して欲しい。
お姉様が私の可愛いところなぞを容赦なく上げ連ね、盗み聞きしている私も気が気でなかった。
茹でダコになるかと思った。
「貴女もかわいいですね」
「ぎゃあ!」
読むな!
「こ、この人形は確かにかわいいけど……何か細工でもしてあるんじゃない?」
そうだ。対価は要求されなかったにせよ、この人形自体に何か仕掛けがあるかもしれない。
警戒はするべきだ。
妹のかわいさを利用して油断させ、爆弾なぞ仕込んでいる可能性だってある。
森の洋館にも、自慢の人形に火薬を仕込んで粉々にするのが趣味の人形遣いが住んでいると聞いたことがある。飛行強盗から。
「……よく分かりましたね」
「え、ほんとに?」
警戒してみたものの、心のどこかではなんかもういいかなって気もしていた私に、この答えは少々予想外だ。
疑われてはもう隠せないと踏んだのか、さとりはあっさりと細工があることを明かした。
この可愛いこいしちゃん人形に一体どんな罠が――
「おしりを撫でるとサードアイが光るんですよ」
「……」
目を細めたさとりがこいしのおしりを愛おしそうに撫でさする。それに応じて、閉じたサードアイの中心部分がぼやっと光り始めた。
ドン引きだった。
「フランドールさんも如何ですか?」
「いや、私はいいかな……」
「遠慮しなくてもいいんですよ。ほら」
「妹のおしりをもっと大事にしてあげて……」
光り輝くサードアイから目を背け、共犯の誘いを蹴る。尚もおしりを弄ばれ続けるこいしちゃん人形から助けを求める声が聞こえた気がした。
お近づきの印が発生する度に撫でさすられるこいしのおしりを想い、涙を飲む。
「まぁその……ありがとう。後で他の人形と一緒に飾っておくわ」
私はさとりの手からこいしちゃん人形を救出し、テーブルの端にそっと仮置きした。さとりが名残惜しそうに手をわきわきしている。この人は思ったよりやばいかもしれない。
「さて、それでですね……実はここへ来る前にパチュリーさんから遊び道具を借りてきたんですよ」
「遺品ね」
無事私にお土産を渡し終えたさとりが、また手提げ袋の中をごそごそやり始めた。
どうやら中にはパチュリーからの刺客が入っているらしい。
パチュリーの居る図書館は先程謎の爆発に見舞われて事故現場にジョブチェンジしたのだが、彼女の心配は無用だ。パチュリーは死んでも蘇生する。
「まずはこれなんかどうでしょう」
「あぁ、それは……」
さとりが取り出したのは、樽のようなものに小さな人形が乗ったおもちゃと無数の小さなナイフ。
そう、パチュひげ危機一髪だ。
図書館にある遊び道具はほとんどパチュリーが生み出したもので、どれも盛り上がること間違いなしだ。
最近はあまりパチュリーとも遊んでいなかったので、これを見るのも久しぶりである。
なんだか楽しくなってきた。
「……パチュひげ危機一髪っていうんですかこれ。私の知るゲームとは違うようです」
「パチュひげを知らないなんて珍しいね。私も数年ぶりに遊ぶけど、肩慣らしに丁度良いわ」
「喜んで頂けたようで何よりです」
「楽しいことは好きよ?新鮮だしね」
こういう遊びの相手はいつもパチュリーなので、違った相手とこの手の遊びをするのは初めてだ。
おまけに相手はサトリ妖怪。ルール説明の必要も無い。勝手に私の心を読んで把握してくれる筈だ。
そうよね?
「ええ、分かって頂けましたか。どんな相手にも通用する最高の能力だと」
「あら、私も」
「やめてください」
妙に高い自己評価に対抗すべく、私の能力も見せてやろうとしたのだが、右手をきゅっとする前に止められてしまった。テーブルの上でさとりの両手が私の右手に覆い被さる。……ちょっとドキッとした。
「かわいいですね」
「うるさい!」
最悪な能力だ!
私は渋々さとりに握られた右手を引っ込め、引っ……放せ!
「あら残念」
「貴女って意外とこう…………なんでもないわ」
こんな話題はさっさと切り替えて、パチュひげ危機一髪でもやろう。
ルールは簡単。
樽の穴にナイフを刺していって、パチュひげが飛び出したら負け。シンプルなゲームだ。
私は樽にパチュひげをセットし、テーブルの中央に置いた。
パチュひげはパチュリーのコスプレをしたヒゲ面のおっさんだ。パジャマのような衣装と紫色のウィッグが彫りの深い顔面と不協和音を奏で、異様な空気を放っている。
さとりとパチュひげのファーストコンタクトを見守ろう。
「さぁ、さとりさんからどうぞ?」
「分かりました……えい」
「ッ゛ッ゛……グゥ゛……ッ゛」
樽に拘束されたパチュひげが苦悶の表情で呻く。
さとりから見て正面の穴に深々とナイフが突き刺さっている。
私達に心配をかけまいと歯を食いしばる姿は立派な漢だった。
「……あの……」
「何か?」
さとりが何か言いたげな視線をこちらへ向ける。
「お手洗いは向こうの突き当たりよ」
「いえ……何でもありません」
まだ緊張しているのだろうか。
だとしても、ゲームを進めていれば自然と緊張もほぐれるというものだ。
躊躇せず、一思いに。それがこのゲームのコツである。
私も小さなナイフを手に取り、正面右側の穴に突き刺した。
「ヌ゛ウ゛ゥ゛……!!!」
「セーフね」
「セーフなんですか」
さとりが相変わらず何か言いたげにしている。
恥ずかしがらなくてもお手洗いくらい行けばいいのに。ゲーム中だから遠慮してるのかもしれない。
このゲームはあくまでパチュひげが飛び出したら負けだ。それまで交互にこれを続ける。
シンプルがゆえに熟練度の差も出ないので、誰とでも楽しめる優秀なゲームだ。
「さぁ、さとりの番よ」
「……ごめんなさい」
「グウ゛ア゛ァ゛ァ゛……!!!」
――ゲームは順調に続いた。手番が進むにつれ残りの穴の数は少なくなっていき、ハズレを引く確率も上がっていく。
パチュひげの体力もそろそろ限界に近い。呻き声もどんどん余裕の無いものへと変わっていき、樽からは体液が染み出していた。ここらが勝負の分かれ目になるだろう。
そしてついに六度目のさとりの手番が回ってきた。
「てい」
「ア゛ガァ゛ッ゛!!!!!!!」
「きゃ!」
大分慣れてきたさとりが穴にナイフを突き入れたその瞬間、パチュひげが一際大きく鳴いた。
「ウ゛ア゛ガッ゛……ウ゛ウ゛ウ゛ッ゛……!」
彼は樽から逃れるように大きく身を乗り出し、両手で淵を掴んだ。そのまま力任せに体を引き抜くと、最後の力を振り絞るように樽の側面を転がり落ちていき、ドチャリと音を立ててテーブルに沈んだ。
「――――グフッ……」
「「パチュひげーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!」」
彼はそのまま動かなくなった。
一手ごとに体を貫く激痛に耐えながら、最期までパチュひげとしての役割を全うしたのだ。
ありがとうパチュひげ。君こそが本当のパチュリーだ。
「さとりの負けね」
「……そうですか……」
負けてしまったのが悔しいのか、さとりは疲れ切った顔をしている。勝負事の世界は残酷なのだ。勝者と敗者はくっきり分かれる。だが次が無いわけではない。今度こそは勝者の側に立てるよう、また挑んできて欲しいと思う。パチュひげもきっとそれを願っているから。
「楽しかったね」
「ええ……片付けましょうか」
テーブルは染み出した体液とパチュひげの遺体で汚れてしまっている。楽しく遊んだ後は片付けまでしっかりやってこその遊びというものだ。
しかし生憎遺体を入れるような袋など私の部屋には無い。とりあえずまとめて転移魔法で図書館へ送り返した。
「片付いたね。完全に」
「はい。完全に片付きました」
さとりが何かから目をそらすように明後日の方向を向き、紅茶を啜る。何か不都合でもあっただろうか。
「次は何して遊ぶ?」
パチュリーの遊び道具は多岐に渡り、パチュひげもその一角でしかない。
しかしさとりがここに居られる時間は限られているので、私は急かすように次のゲームを要求した。
クッキーをぽりぽりやりながら一休みしていたさとりは、また一口紅茶を啜ってから、白い手提げ袋の中に手を突っ込んだ。
「そうですね……こちらなんかはどうでしょう」
さとりが次に取り出したのはボードゲームだった。
誰でもよく知っている、オーソドックスなパチュ棋だ。
パチュ棋盤上に並べた様々な駒を駆使し、敵将を討ち取った方の勝利である。
動きのパターンが無数に存在し高度な頭脳戦となるため、心を読むさとりには有利なゲームとなるが、私もそう簡単に負けはしない。パチュ棋三級の実力を持つ私の華麗な駒さばきを見せてやろう。
「これ将棋ではないんですか」
「パチュ棋よ」
パチュ棋。
「やったことないの? パチュ棋」
「すみません、やったことないです」
まさか幻想郷にパチュ棋未経験者が居るとは。
いや、確か彼女は地底界の住民だったか。
最近まで地底と地上は不可侵の関係にあったようだ。
それなら地上の文化に疎くても仕方あるまい。
ここは地上の先輩として、さとりにパチュ棋の基本をレクチャーしてやろう。
「……地底をご存知なのですか?」
こちらから地底界の名を口に出してきたのが(出してないが)意外だったのか、さとりは相変わらず眠そうな表情のままそう聞いてきた。
彼女の目が見開くことはあるのだろうか。
「ここが地底よ?」
忌み嫌われた妖怪達が地上から逃れ、地面の下に築き上げた別の社会。本で読んだことがある。
それに以前間欠泉騒ぎが起きた時、何やらパチュリーが妖怪の賢者と悪だくみをしていたし、その後の話もパチュリー本人から聞いている。
「私に隠し事は一切出来ないわよ」
さとりの真似をしてにやりと笑ってみる。しかし電波のようなアイコンは出なかった。なかなか難しい。
地上を捨て地の底で暮らす者達の存在は、なんだか親近感を覚えるものでさえある。
どうやら地面の下には個性的な厄介者が集まる傾向があるらしい。
……そんなはみ出し者達をまとめる存在。
それがさとりだ。
「ええ、私がさとり。地霊殿の主です」
さとりはほんの少しの間、片目を閉じて何かを思案するような素振りを見せたが、すぐににやりと笑うとやはり電波のようなアイコンを飛ばし始めた。
本人も気に入っているらしい。
今度やり方を教えてもらおうと思う。
「折角地底の主様が遊びに来てくれたんだから、歓迎しないとね」
「はい、歓迎してください」
歓迎される準備は万端のようだ。
少し話が脱線してしまったが、気を取り直してパチュ棋盤を広げ、駒を手に取る。
パチュ棋初心者のさとりにも伝わるよう、どの駒がどう動くかを心に浮かべながらそれらを配置した。
動きを思い浮かべる度にさとりが説明しがたい複雑な表情になっていったが、恐らくこれから始まるパチュ棋に胸を躍らせているのだろう。
私も楽しみだ。
「随分その……変わった動きをする駒達ですね」
「うん。それに基本ルールを覚えていても、毎回ランダムイベントが発生するからどうなるかは分からないの」
何が起きるかは遊んでみてのお楽しみだ。
ゲーム作成者のパチュリー曰く、パチュ棋盤内部に気まぐれな埴輪が住んでいて、AI技術による自動制御に成功したらしい。
それにより常に隣に立ち手動でランダムイベントを発生させる職に就いていたメイド妖精は職を失う羽目になった。今は元気に外で遊んでいる。
「さぁ、準備出来たわ。いつでもどうぞ?」
全ての駒を並べ終えた私は、パチュ棋初心者のさとりに先攻を譲り、ゲームの開始を告げた。デスゲームの幕開けだ。互いにライフポイントは4000。
「では、私はこの歩パチェを前進させます」
「ほう」
さとりが歩パチェを手に取り、一歩前へ進めた。
堅実な一手目だ。
しかし、ぱちりと音を立て無事着地したかのように見えた歩パチェが何やらそわそわしている。
すると次の瞬間、その歩パチェは接地面にめり込みパチュ棋盤に貼り付いてしまった。
その姿からは、意地でもここを動かないぞという強い意思が感じられる。
一部始終を見届けたさとりが不思議そうな顔でこちらを見てきた。
「あの……歩パチェがめり込んでしまったのですが」
「歩パチェだからねぇ」
歩パチェはパチュ棋において最も数が多く、常に前進のみを行うシンプルな駒だ。だがその重労働ゆえ一歩進む毎に体力が限界に達し、その場で力尽きてしまう。彼女(?)が力を取り戻すまで、大体二巡ほどかかる。
歩パチェはめり込んでしまったが、さとりが駒を進めたので次は私の手番だ。
「私も歩パチェを前に……あっ!」
「ムキュ!!!!!」
私が歩パチェを前進させたその瞬間、パチュ棋盤からカチリと音が鳴り、持っていた歩パチェが爆散してしまった。駒から聞こえた断末魔が耳に残る。
歩パチェが居たところには綺麗なクレーターだけが残った。
少々迂闊だったか。
「あちゃー……地雷を踏んでしまったわ」
「思ったよりバイオレンスなランダムイベントですね」
さとりが何かを理解したように頷く。パチュ棋の本質がだんだん掴めてきたようだ。明日は我が身である。
「では私はその穴をついて美車を突撃させます」
「あっ!」
「飛花落葉!」
私の歩パチェが死んだのを見るや否や、さとりは迷うことなく美車(めーしゃ)で跳び蹴りをかまし、私の陣地でスペルカードをぶっ放した。
初心者とは思えない大胆かつ的確なプレイング……流石は地霊殿の主と言わざるを得ない。
今の一撃でかなりの歩パチェが溶けてしまった。
「ふふん」
さとりがしてやったりと言わんばかりににやりと笑う。だが私も黙ってやられるほど未熟ではない。
「なかなかやるわね……でも私にはこの駒が残っているのよ!」
「えっ……!」
私はこちらの陣地へ突撃してきた美車の背後にメイド将を移動させた。
メイド将は美車が何かやらかした時に背後を取る性質がある。今まさに大暴れした美車の背後で、彼女(?)は物言わぬ威圧感を放っていた。
「美鈴、持ち場を離れて何をしているの?」
物言った。メイド将は普通に喋った。
美車の背後を取ったまま、冷たいナイフを突き付けているかのような錯覚を覚える。
「違うんです!えー……これはですね……その……」
美車も喋った。汗をダラダラ流している。駒なのに。
「すみません、持ち場に戻ります」
さとりの美車は私のメイド将に屈した。
駒が寝返り、さとりの敵となる。
こちらにメイド将が居るのに突撃してきたのが仇となったのだ。これがパチュ棋五級の実力だ。
「ふふ、これで私の優勢ね」
「くっ、やりますね……!」
華麗な返しに胸を張って見せるが、まだ勝負は始まったばかり。ここからどう転ぶかはまだまだ分からない。
さぁ、次はさとりの手番だ。
ここからどう返してくるか見物である。
「ふむ……では私は……」
「あっ! ちょっと待って!」
「えっ? なんですか?」
私の静止にさとりが動きを止める。
突然の待ったに怪訝な顔をするさとりだったが、彼女もすぐに異変に気付いた。
盤上をよく見ると、互いの陣地の飛チュパカブラの駒がプルプルと震えている。まずい!
「「あっ!!!!!」」
プルプルと震えていた互いの飛チュパカブラは、さとりの手番だというのに勝手にそれぞれの陣地を飛び出し、盤上を高速で駆け回り始めた。脱走だ!
「まずいわ。盤上が滅茶苦茶に!」
これがパチュ棋の恐ろしさだ。脱走した飛チュパカブラを追って、角ゴブリンと小悪馬までもが飛び出していった。早く捕まえないと姉将が泣いてしまうからだ。
そうこうしているうちに、あれよあれよの大騒ぎである。
「大変なことになってしまいましたね……」
結局互いのメイド将が飛チュパカブラを捕獲し事なきを得たものの、双方被害は甚大だ。
飛チュパカブラを巡って駒同士は勝手に交戦状態となり、ほとんどの駒が倒れてしまった。
美車や小悪馬、ウルトラダイナマイト吉岡といった強力な駒ももう動かすことは出来ない。
勝負はすでに終盤戦。騒ぎを静めるべく随分駒と手番を使ってしまったから、残っているのは飛チュパカブラを押さえ込むメイド将と数名の歩パチェ、そして互いの姉将、妹将のみ。
必然的に姉将と妹将が一騎打ちする形だ。
パチュ棋は相手の姉将妹将を討ち取ることで決着する。ライフポイントは特に関係ない。
「ふふ……楽しいわね」
荒れる盤上。駆け回る駒達。紅魔館でよく見る光景そのものだ。
地雷もたまにパチュリーが仕掛ける。
「大丈夫なんですかこの館」
「大丈夫じゃないよねぇ」
さとりが何か爆発物でも見るかのような視線をこちらへ向けてくるが、大体これが紅魔館の日常なので仕方がない。
精々帰りは足元に気をつけるがいい。
「でもそれが重要なのよ」
なんだかんだで結局最後にはどうにかなる。どうせどうにかなるのなら、変なロケットで月を侵略しに行くことも、部屋で探偵ごっこに講じることも、紅茶を飲んでのんびりすることも、結局は同じ日常なのだ。
そこにある違いは面白さの程度だけなのだから、楽しんだ者勝ちである。
「日常のどうでもいいことが重要になってくるの」
お姉様の受け売りだけど、私もそう思う。
面白いことは私も好きだ。今この瞬間も。
私はそう言いながら、このパチュ棋に決着をつけるべく自軍の姉将を手に取った。
今、さとりの妹将への道はガラ空き。
盤上に埋まっている地雷もさっきの騒ぎで全部踏んだ。
だからこれで王手、私の勝ちだ。
「お姉様を慕っているのですね」
「み゛ぇ゛」
拳の内部からぺきょりと小気味の良い音が鳴る。
粉々になった姉将が指のスキマからパラパラと舞い散り、雪のようにパチュ棋盤上に降り注いだ。
不覚。奇襲にも似たさとりの一言に、思わず姉将を握り潰してしまった……。
「んあ゛!!!!!!!!!」
「私の勝ちですね」
悔しいが、パチュ棋の勝利条件は相手の姉将妹将を討ち倒すこと。その姉将が小麦粉みたいになってしまった以上、素直に負けを認める他あるまい。不本意ながら。
「ぐぬぬ」
「すみませんね、心が読めて」
得意げなさとりが右手で控えめなピースをしつつ勝ち鬨を上げる。おのれ……まさかパチュ棋七級の私が初心者に敗れてしまうとは……!
「仕方ない。次やる時は負けないわよ」
「次出来るんですか……?」
さとりが終戦直後のパチュ棋盤に目を向ける。
激しい戦火に包まれたパチュ棋盤は地雷とスペルカードによって黒焦げの穴だらけ。タコ焼き器を彷彿とさせるそれは最早再起不能であるかのように見えた。
「心配無いよ。次までに直るわ」
今すぐには無理だが、しばらく放っておけばパチュ棋盤内部の埴輪が残業して修復工事を行ってくれる。
無茶な計画と納期に追われる埴輪達の顔が日に日にやつれていくのが恒例行事だ。最後にしわ寄せを食らうのはいつだって現場である。
「……優しくしてあげてくださいね」
「あら、慈悲深い」
流石は地霊殿の主。埴輪にも情けをかけてやるようだ。パチュ棋盤をタコ焼き器にリフォームしたのは他ならぬ自分達であるので罪悪感を感じているのかもしれない。
「何もしていないのに酷い目に合うのは悲しいことですよ」
「まるで自分がそうだったみたいな口ぶりね?」
私はタコ焼き器を図書館に強制送還しながらそう言った。
しかし忘れてはならない。ランダムイベントで地雷を仕掛けたのは他ならぬ埴輪どもだ。
「さとりという種族はその能力ゆえに周囲から疎まれますから。優秀すぎるのも考え物ですね」
さとりはやれやれ、と息をついてそう答えた。
なんだか諦めたような口調ではあるものの、如何せん自己評価が高い。
さとりの胸中はさとりのみぞ知る。
「ねぇ、さっきから私ばかり心を読まれてフェアじゃないと思わない?」
「思いません」
このやろう……!
さとりはなかなか手強い。だが、だからこそ私は今、目の前のボサボサ紫に興味がある。
「誰がボサボサ紫ですか」
「ねぇ、ゲームも良いけど、ここらでちょっと休憩しましょ?貴女のお話を聞きたいわ」
さとりの抗議を無視し、一休みの提案をする。
今は純粋に、彼女のことが知りたかった。
「ええ、構いませんよ」
向こうも大分疲れていたようで、二つ返事で了承が帰ってきた。
それを聞いた私はうんうんと頷き、二人分のティーカップに紅茶のおかわりを注ぐと、一度席を立つ。
「こんな時に丁度良いものがあるの」
「丁度良いもの?」
たったっと軽い足取りで妙に怖い人形の乗っているデスクに近付き、下の引き出しを開ける。
そこからあるものを取り出し、それがまだ変わらぬ形を保っていることを確認すると、うきうきとまたさとりの待つお茶会の席へ戻った。
「箱庭霊界~」
「あら素敵」
テーブルに置いたそれの美しさに、さとりも感嘆の声を漏らす。作ったのは私ではないが、なんだか私も誇らしげな気分になった。
箱庭霊界は、いつかの異変の時パチュリーがお姉様のために作ったお陀仏インテリアだ。
霊界の粘土と本物の霊を使用したパチュリー渾身の一作。はらはらと舞う桜の花びらは、模型とは思えない美しさと儚さを演出していた。
「これがあれば、いつでも部屋でお花見が出来るのよ」
ちなみに今は真秋。
「本当に綺麗です……パチュリーさん、まともなものも作れたんですね」
まるでパチュリーが変なものばかり作るかのような物言いだが、パチュリーは変なものばかり作るので反論の余地は無い。
今は新ゲーム「パヂュェンガ」の作成中らしい。
無数の角材パチェで組み上げられたタワーからパチェを抜き、上に積み上げていく。崩してしまった方の負けだ。
これも読まれているはずだが、さとりに言及されることは無かった。
触れたくないようだ。
パヂュェンガを無視せざるを得ないほどの妖しい魅力を放つ箱庭霊界と、それを見るさとりを鑑賞しながら、私も紅茶を手に取った。
……しばし無言で箱庭霊界を眺め、紅茶を啜る。
言葉は無くとも、二人で桜を見て感傷に耽る時間は悪くない。
たっぷりと沈黙すること、大体十分。
ふと思いついたように、さとりが口を開いた。
「この箱庭霊界は、パチュリーさんがレミリアさんの為に作ったんですよね?」
「ええ、そうよ」
あの時のお姉様は大層はしゃいでいた。
ずっと雪が降り続いていたから、その反動もあったのだろう。
「……それが、何故今フランドールさんの元に?」
「あぁ……ふふ、簡単よ」
桜を眺めながら、さとりの質問に答える。
「お姉様は神社へ本物の桜を見に行くからね。わざわざこんな箱庭でお花見する必要なんて無いのよ」
箱庭霊界の中で地縛霊が呻く。
本当にそこから動けないらしい。
「だからお姉様もすぐに飽きちゃって。それで、パチュリーが私にくれたのよ。私はお花見に行けないからね」
「……」
さとりが片目を閉じて物憂げな顔をする。
どうやら彼女は考え事をする時に片目を閉じる癖があるようだ。
その表情の裏で何を思っているのか、私が窺い知ることは出来ない。
私は吸血鬼であって、さとり妖怪ではないのだ。
「私は貴女と違って心は読めないのよ。ちゃんと聞こえる言葉でお願い」
「……!」
私の言葉を聞いたさとりの表情が少しだけ変わったような気がした。……そんなに変なことを言ったつもりは無いのだけど。
「……貴女はそれでいいのですか?」
「それって?」
分かっていながら聞き返す。
「本当は貴女も外に出てみたいのでしょう?」
「うふふ……そうかもね」
箱庭霊界の中で十分の一スケールの怨霊が飛び回る。
彼にとって箱庭の中が全てらしい。
幸せなやつめ。
「まぁ、そのうちどうしても出たくなったら出るよ」
さとりはいまいち納得のいかないような、珍妙な反応をした。そりゃそうか。
今はまだ、お姉様の言いつけ通り館で大人しくしていてやろうと思う。ここは快適だし。利害の一致というやつだ。
そう、お姉様。お姉様と言えば。
「ねぇ、今日ここに遊びに来たのって、お姉様の差し金でしょ」
「何のことでしょう?」
さとりがスピスピフスフスと口笛を吹いて誤魔化す。いや、吹けていない。嘘も口笛も信じられないほど下手だった。
逸らした目線が怪しさ満天だ。
「隠さなくて良いよ。今日は魔法実験に夢中で気付かなかったけど、どうせお茶会でそういう話になったんでしょう?」
「……内緒にするよう念を押されてたんですけどね……」
さとりが首を横に振り、両手を見せて降参の意を示す。
彼女が如何に心理戦に長けていても、お姉様の分かりやすい提案に乗った時点でバレるのは必定だ。
お姉様は以前にも私の部屋に家庭教師を送り込もうとしていた。未遂に終わったようだが。
「お姉様って意味分かんないよねぇ。私にここを出るななんて言っておいて、たまに変なお節介を焼くのよ」
「姉心は複雑なのですよ」
「ふーん……」
私は箱庭霊界のスキマから、細かくちぎったゴーストフードをポトポトと落とし入れた。
愛らしい地縛霊が苦悶の表情を浮かべながら、親の仇を噛み砕くかのようにエサを貪り食う。
地縛霊のエサやりは箱庭霊界の激アツコンテンツだ。
「あ、私もやりたいです」
「じゃあはい、エサ」
予想外にさとりが食いついてきた。
ゴーストフードをさとりに手渡すと、ちょっと頬を上気させながら嬉しそうにポトポトし始めた。今日見てきた中で一番楽しそうだ。そんなに好きか。エサやり。
「妹がね、好きだったんですよ。エサやり」
「へぇ?」
さとりの妹、古明地こいし。
さとりはその妹を随分気にかけているようだ。
お姉様とお茶会をする時、さとりの一言目はいつだって『こいしがこちらへ来ていませんか?』から始まる。
どうやら、幻想郷中の至る所で妹の居場所を聞いて周っているらしい。
なにやら複雑な事情がありそうだが、私がこいしについて知っている情報は、お茶会でさとりが語ったこと……つまりさとり目線のこいしの可愛いところのみである。何も参考にならない。
「ちょっと私とレミリアさんのお茶会を覗きすぎでは? 変態ですか?」
「常に人の心を覗いてる人に言われたくないわ」
私は良いのだ。覗いても。
それよりも今はさとりの口からこいしについての話が聞きたい。純粋な好奇心だ。
「エサやりが好きだった、なんて今はそうじゃないみたいな口ぶりね」
「ええ、昔はよく一緒にペットのエサやりをしたものですが……今ではすっかり」
ゴーストフードをポトポトし終えたさとりが手を引っ込めた。
エサがたくさん貰えて良かったね、地縛霊。
「エサやりに飽きたの?」
「飽きたというより、分からなくなってしまったのです」
ゴーストフードで汚れた手を拭きつつ、じっとりとこちらを見据えてさとりが答える。
「分からなくなったって、エサやりの方法が?」
「いいえ。何が好きで、自分がどう思っているのか、その感情の全てがです」
やはり何かがあったようだ。
私は無言でさとりの話に耳を傾け、続きを促す。
彼女は紅茶を口に運び、一呼吸置いてから話を続けた。
「こいしは自身のサトリとしての能力を疎み、自らその瞳を閉じました。読心のせいで人から嫌われてしまうのをずっと悲しんでいましたからね」
さとりは話を続けながらテーブルの端のこいしちゃん人形を手元へ持ってくると、その体から延びる閉じた瞳をそっと撫でた。
「能力だけ綺麗に捨て去るなんて、そう簡単には出来ません。瞳を閉じた時、心も一緒に閉ざしてしまったようです」
さとりの手の中で楽しそうに笑うこいしちゃん人形の表情が、どこか悲しげなものに見える。
「それからこいしは、何も考えず動くようになりました。心そのものを閉じてしまったのですから私も読心は出来ませんし、常に意識の外に居るあの子は認識するだけでも一苦労です……全く、困った妹ですね」
一通り話し終えたさとりが、それでも愛おしくてたまらないのだと言うようにこいしちゃん人形のおしりを撫でる。激しく発光する閉じた瞳。全てが台無しだった。
「なるほどね。色々と合点がいったわ」
話を聞き終え、私も紅茶を一口飲んだ。
今もこいしは幻想郷中を気ままに動き回っていて、さとりはそれを心配しているのだろう。確かに困った妹だ。私を見習うといい。
さとりは尚もこいしのおしりを撫でていた。
仮にも私にお土産として持ってきたものだったはずだが、送り主が一番楽しんでいる。
話の内容はなかなか悲しいものだったように思うが、その様子から読み取れるのはさとりの性癖だけである。
「悲観する必要はありません。こいしの心は眠っているだけなのですから、起こすまでです。こいしは朝に弱いのでよく私が起こしたものです」
「頼もしいね」
流石は地霊殿の主。能力に見合ったしたたかさだ。
「そういうわけなので、もしこいしと出会ったら仲良くしてあげてくださいね」
「考えておくわ」
確かに、誰にも気付かれず無意識でフラフラしているのなら私の部屋まで辿り着く可能性もゼロではない。
思わぬところで楽しみが増えた。
ここにこいしが現れる日を気長に待つとしよう。
私はクッキーを口に放り込み、箱庭霊界の様子を見た。
桜の木の下から人の手のような何かが這い出ている。たぶんセミかなんかだろう。
「さて、じゃあバレンタインチョコクッキングと洒落込みましょうか」
「えっ何?」
突然の私の言葉に驚いたさとりがこちらを見る。
仕方のないやつめ。
「バレンタインチョコクッキングと洒落込みましょうか」
「聞こえなかったわけではありません」
なんだ、バレンタインチョコも知らないのか。
やはりまだ地底には地上の文化が浸透していないらしい。
しっかりさとりに伝えてパチュリーのゲーム達と一緒に持ち帰ってもらおう。
「今は二月ではありませんよ」
「それが何か?」
バレンタインは大切な相手に想いを伝えるイベントだ。
相手に何かを伝えたい時。例えば決闘がしたい時などは、果たし状をチョコレートでコーティングし、相手の下駄箱にぶち込む。
そうすれば、糖分で活性化した相手の脳に効率良くメッセージを刷り込むことが出来る。
そう、今のさとりに課せられた使命はバレンタインチョコ作りだ。
「想いは形にして言葉と共に送らないと伝わらないわ」
「貴女がそれを言うんですか?」
「何の話かしら」
今日のバレンタインの主役はさとりだ。こいしに想いを伝え、心を開かせるために。私の話はいいんだ。お姉様は関係ない。
「じゃ、行きましょうか」
私は立ち上がり、箱庭霊界を手に取った。
そしてそれを再びデスクの引き出しに片付ける。
抵抗するように地縛霊が呻いているが、残念ながら君の本来の居場所はこの引き出しの中だ。
「何処へです?」
「勿論、キッチンよ」
少し伸びをして体をほぐし、行き先を告げる。
私はさとりをバレンタインチョコ発生現場まで連れて行くべく、部屋の扉をギイと開けた。
紅魔館のキッチンは一階にある。
部屋を出て階段を昇り、廊下を進めばすぐにつく。
チョコの材料はキッチンで適当に見繕えばいいので、特に寄り道も必要無い。
キッチン目掛けて意気揚々と進軍し今まさに地上への階段を昇ろうとしていた私達に、不意に後ろから声がかけられた。
「妹様、ちょっと大事なお話があるのだけれど」
現れたのは我らが大図書館、パチュリー・ノーレッジその人だ。
しまった。図書館を爆発させたのをすっかり忘れていた。
「私は誰?」
「痴呆症のふりをしても無駄よ。爆発を皮切りにパチュひげの遺体やらタコ焼き器みたいになったパチュ棋やらが転送されてきたからね」
駄目か。やはりパチュリーに隠し事は出来ない。
隣のさとりが私にも隠し事は一切出来ませんよと訴えかけるようににやりと笑い、電波のようなアイコンを飛ばしてきた。静かにしていてほしい。
「本は保護魔法がかけてあるから無事だけど、図書館内が随分汚れてしまったわ。次からは気を付けてね」
「はぁい」
口頭注意だけで済ませてくれるようだ。流石パチュリー、話が分かる。爆発に巻き込まれたはずの本人も傷一つ無くピンピンしている。
随分汚れてしまったらしい図書館も、パチュリーなら指先ひとつで元通りだろう。彼女の魔法技術は私達の理解の三歩先を行く。
しかし汚してしまったのは事実なので、お詫びにこれから作る予定のバレンタインチョコをお裾分けしてあげようと思う。
「じゃ、私は図書館に戻るわ」
パチュリーはそれだけ告げると、いそいそと図書館へ帰って行った。この無駄のなさ。やはりパチュリーはかっこいい。
「面倒だっただけみたいですよ」
さとりの言葉を無視し、私はキッチンへ向けて階段を昇り始めた。
キッチンには誰も居なかった。
いや、誰も居なくなった。
入ってきた私達を見るや否や、そこに居た妖精メイド達はロケットのようなスピードで逃げ出し、方々へ消えたのだ。
やはり地霊殿の主、怨霊も恐れ怯む少女を見て恐れをなしたのか。情けないメイド達だ。
「いえ、あの子達はフラ」
「さー、バレンタインチョコ作りを始めるわよ!」
さとりの言葉を遮り、バレンタインの開幕を告げる。
これでもちょっとはキズついているのだ。
そんな悲しい事実より、今はバレンタインに目を向けるべきだ。
さて、チョコ作りを始める前に一応の確認をしておこう。
「さとりは料理出来る?」
「出来ません」
「うん、私も」
詰んだ。二人とも料理未経験者だった。
私が料理未経験なのはまだしも、さとりが未経験なのは何故だ。それでも地霊殿の主か。
「こいしが料理好きだった頃は私の出る幕なんてありませんでしたし、今はペットに全て任せています」
「うーん……まぁなんとかなるでしょ」
「はい、問題ありません」
私達は料理なんて出来ないが、やる気だけは誰にも負けない。これまで読んできた本にも、料理は愛情だと記載されていた。つまり愛情さえあれば料理は出来るのだ。何も心配はいらない。私達は今この瞬間からマスターシェフになるのだ。
「さて、材料は……これとかどう?」
「こっちもなかなか使えそうですよ」
さとりと共に冷蔵庫を漁り、食材を吟味する。
なんだかんだでさとりもノリノリだ。
二人で選んだ食材と調理器具をテーブルに配置し、いよいよ料理のスタートである。
食材に先手を打たれる前に先制攻撃をキメてやろう。
「とりあえずまな板で材料を切ればいいと思うんですよね」
「確かに、それっぽいわ」
数ある食材達を前に私が攻めあぐねていると、さとりが最初の一撃を提案する。
確かにまな板の上に材料を乗せ、華麗な包丁さばきを見せつけてやれば、食材どももかなり恐れ怯むだろう。
素晴らしい提案だ。やはりさとりは頼りになる。
私達は早速まな板に秋刀魚を乗せた。
「さて、まな板に乗せたまでは良いですが、どう切るのが正解なのでしょう」
「ふふ、私に任せて」
「知っているのですか?」
秋刀魚に有効打が決められずにいるさとりを見かねて、私が相手を買って出た。
私だって伊達に年中引き籠もっているわけではない。包丁の使い方くらい本で読んだような気がする。
「包丁の基本は猫の手よ」
「おぉ」
私は手を丸めて秋刀魚を抑えると、包丁でストストと細切れにした。
ふふ、初戦は私達の勝利だ。
秋刀魚は無事チョコに適した形になった。
「やりますね」
「ふふん」
得意げに胸を張る。もっと褒めてくれても良い。
さぁ、次だ。
「ここからどうすればいいんだろうね」
「次は私に任せて下さい」
私が秋刀魚と戦闘している間、すでにさとりは次の手を考えていたようだ。中々の策士である。
彼女は迷わずボウルを手に取りそこに水を入れると、続けてありったけの砂糖をぶち込んだ。
「チョコは甘いですからね」
「甘ければチョコってわけね」
やはり私の見込んだ通りだ。さとりには料理の才能がある。ボウルの中の水に対して、備え付けの四角い容器に入っていた砂糖を全て入れたので、これはもう間違いなく甘い。すなわちチョコレートそのものだ。
今の一撃で一気に完成に近付いたと言えよう。
ならば私はそのサポートをする。
私はチョコレートに具である秋刀魚とイカスミを優しく注ぎ入れた。
「チョコって茶色いよね」
「なるほど、確かに」
無色透明だったチョコレートに秋刀魚とイカスミが加わり、一気に黒い色に進化を遂げた。茶色にはならなかったが、黒と茶色なら誤差だろう。今回も私達の勝利だ。
「やれば出来るものですね」
「最後まで油断しちゃ駄目よ! さぁ、愛情を込めて!」
「任せてください。……せいっ……!」
私の激励を受け、こいしへの想いを伝えるべくさとりが動く。
さとりが放った塊のようなものが勢い良くボウルに着弾し、キッチンにチョコレートが飛び散った。
最後にチョコレートに沈めたのは、さとり必殺のハート弾だ。説明なんて要らない。ハート弾はハート弾である。これ以上に想いの伝わる弾があるだろうか。
「ふぅ……やりましたね」
「ええ、私達の勝利よ」
私達の力で、ついに完璧なチョコレートが完成した。ボウルの中の黒い液体には無数の肉片のようなものが浮かび、その奥にはハート弾が潜んでいる。後は固めるだけだ。たぶん凍らせたら良いんだと思う。
「パチュリーとお姉様にもお裾分けしたいから、ちょっと貰うね」
「はい、どうぞ」
私は二つの小さい容器に少しだけチョコレートを分けて貰った。秋刀魚の肉片がボトボトと混入する。
「じゃあ固めるね」
「お願いします」
さぁ、魔法吸血鬼たる私の出番だ。私の魔力から繰り出される氷結魔法は並大抵の威力ではない。
さとりにはキッチンの外に退避して貰った。
「えい」
私が魔法を放つと魔力の冷気がゴウと唸り、チョコレートの液体を勢いよく包み込んだ。余波でキッチン中に冷風が吹き荒れ、室内のあらゆるものがガタガタと揺れる。一瞬にして紅魔館のキッチンは氷室に転生した。
チョコレートも無事に固まったようだ。
くっついて取れないので、容器ごと持ち運ぶ必要がある。
「よーし、出来たわ!」
「ほぼ完璧ですね」
さとりが出来上がったチョコを見て感嘆の声を漏らす。初めてのクッキングは大成功だ。
「さ、後はこれを妹さんにプレゼントするだけよ」
「ありがとうございます。地霊殿に大切に保管しておいて、こいしが帰ってきたら渡しますね」
さとりはチョコレート入りのボウルを小脇に抱え、感謝の言葉を述べた。
「礼には及ばないわ。私も楽しかったからね」
「それは何よりです」
私も小さい容器のチョコレートを手に取り、満足げに微笑んだ。
時刻は夕暮れ。もうさとりも帰路につく頃合いだろう。
名残惜しいが仕方ない。
「はい、そろそろお暇させて頂かなければなりません。私も名残惜しいですが」
「残念ね」
「最後にレミリアさんに挨拶していきますので、ここでお別れですね」
「そう……なら、このチョコレートをお姉様に渡しておいて」
私はさとりにチョコレートの片方を預け、それぞれ溶けないようにマジックドライアイスを乗せた。
今日は楽しい一日だった。
思わぬ来訪者と、お姉様のお節介に一応感謝せねばなるまい。
これはその返礼だ。お姉様に気持ちを伝えるとかそういうのではない。
「確かに預かりました。ではフランドールさん、また会いましょう」
「えぇ、さようなら。またね」
友達に別れを告げ、互いに小さく手を振る。
そのままお姉様の部屋へ挨拶しに行くさとりを見送り、私も自分の部屋に向けて踵を返した。
いつもの日常に戻るとしよう。
これからの楽しみが増え、足取りも不思議と軽くなった。
さとりが居なくなり相対的にちょっぴり寂しさを感じさせる部屋に戻ってきた私は、やはりお気に入りの椅子に腰掛けた。
途中たまたま出会ったパチュリーに詫びチョコを渡してあげたところ、苦虫を噛み潰したような顔をして大喜びしていた。作った甲斐があったというものだ。
たまには良い行いをしてみるのも悪くない。
――残った紅茶とクッキーを嗜みながら一日を振り返る。しばらくの間そうしていた。
たぶん、さとりが私の元へ遊びに来たのはお姉様に頼まれたからなんかじゃない。
大方、お姉様がそう頼むようにさとりの方から誘導でもしたんだろう。そうでもないと私宛てのお土産が用意されているのはおかしい。
今頃さとりはどうしているだろうか。
新しく出来た友達に思いを馳せながら、私はこいしちゃん人形を手に取り、逆探知魔法をかけた。
◆ ◇ ◆
「うちの妹は可愛かったろう?」
「はい、それに聡明な方でした」
テーブルの向かい側に座るレミリアの問いかけに対して、正直な返答をする。
実際、予想していた以上にフランドールは優秀だった。
私に心を読まれても、動揺こそすれ恐怖を覚えることも、嫌悪することも無かった。
「そうでしょうそうでしょう。私の自慢の妹よ」
妹を褒められ、レミリアが上機嫌になる。
彼女ほど裏表の無い心ばかりならこいしも瞳を閉ざさずに済んだだろうか。
「ならそれを本人に伝えてあげてはどうですか?」
「ぐっ……それはそれよ」
そんなこと恥ずかしくて出来るか!とレミリアの心が叫ぶ。姉妹揃って変なところで奥手になるので、見ている分には面白い。
そうしてすれ違う姿が私とこいしを見ているようで少し辛くはあるけれど。妹のためにあれやこれや苦心する姿には親近感すら覚える。
「貴女こそ正直に妹に伝えたらいいじゃない。寂しいからどこにも行かないで、って」
「それはそれです」
レミリアが手元のこいし人形をいじいじしながら反撃してきた。
そんなこと恥ずかしくて出来るか。
「うちのフランドールほどじゃないけど、貴女の妹もなかなか愛らしいわね」
「自慢の妹ですから」
自慢の妹なのだが、最近はあまり家に帰ってきてくれないのが玉に瑕だ。だからちょっと手を打った。
今レミリアがいじいじしているこいし人形には秘密のこいし探知機が搭載されている。
以前人間が地霊殿に殴り込んできた時の通信機を応用したものだ。
これを各所に配置しておけば、こいしの反応を検知したところから私に通信が入り、定期的な安否確認が出来る。
開発に地底の予算の半分を使ったこだわりの逸品だ。
今回でフランドールの部屋にもこいし人形を配置することに成功し、捜索範囲は順調に広がっている。
勿論そんなことは微塵も知らないまましばらくこいし人形をいじいじしていたレミリアが、少し恥ずかしそうに口を開いた。
「……ありがとうね。フランドールと遊んでくれて」
「いえ、私も楽しかったですから。それに妹を心配する気持ちは私にも分かります」
私が今こうしているのも妹のためだ。
こいしの居場所を聞いて周っている……というのは建前。どうせ見つけたそばからフラフラとどこかへ行ってしまうのだから、探してもあまり意味は無い。
だからこそ安否確認の為にこいし人形なんてものを作って配り歩いてるわけだが。
わざわざ私が各地を渡り歩いて交友を広げているのは……
こいしの居場所を増やすため。
こいしを意識してもらうため。
こいしと友達になってもらうため。
こいしが目を開けた時、再び傷ついてしまわないよう……危険を見つけたら対処しておくため。
それだけだ。
私が望むのは平穏な暮らしと家族だけ。
日常のどうでもいいことを取り戻したいだけ。
「ねぇ、ところで……ずっと抱えているそれは何? 地獄はそこに移設したの?」
「あぁ、これはチョコレートですよ」
ついにレミリアが私の持つチョコレートにツッコミを入れた。
ずっと気になっていて、話を切り出すタイミングを伺っていたようだ。私に隠し事は一切出来ないというのに。
「私の知ってるチョコレートと違うんだけど」
「レミリアさんの分もありますよ」
「えっ」
満を持して、レミリアの前に小さな容器のチョコレートを差し出す。
あまりに黒く、そこかしこに肉片が見て取れるそれは小さな容器に移し替えても尚圧倒的な存在感を放っていた。
「フランドールさんからの手作りチョコですよ」
「えぇ嘘嫌……」
実刑判決を受け、レミリアが眉を顰める。
それはそうだろう。私もこれを食べろと言われたらそうなる。
かくいう私もこれをこいしに食べさせようとしているわけだが……ものは試し。ショック療法だ。
次にこいしが地霊殿に帰ってきた時、それがこいしの命日となる。
私にこれだけ寂しい想いをさせているのだから、それくらいの仕返しはしてもバチは当たらないはずだ。
フランドールの言う通り、私の想いを受け取って貰おう。
「貴女達がキッチンで暴れてるって報告があったけどこういうことだったのね……」
「暴れてませんよ。クッキングです」
「貴女、うちの妹に毒されてない?」
毒されてしまったかもしれない。
彼女と遊んでいる間、私は打算を抜きに楽しんでしまった。
はしゃぐ姿がかつてのこいしと重なって、まるで妹と遊んでいるかのような錯覚さえ覚えたのだ。
彼女に想起させられた、かつての日々。
……そう、昔はこいしと二人で……。
『今度はこっちのゲーム? ふふ、どのゲームでもお姉ちゃんには負けないよ』
変なゲームをして笑い合った。
『ね、地上の桜はひらひらしてるんだって。もし地上に出られたら二人で見に行こうね』
地底の石桜で花見もした。
『お姉ちゃんはいつまで経っても料理上手にならないね……。え、可愛い妹が作ってくれるからいいって? も、もう!』
滅茶苦茶な私の料理を止めて、代わりにこいしが夕飯を作ってくれた。
本当に久しぶりの感覚。
忘れかけていたそれが本当に楽しくて、嬉しくて。
友達としてまた遊びに来るのも悪くないなと思った。
「さぁ、最愛の妹からの手作りチョコですよ。食べてあげないとフランドールさんが泣いてしまいます」
「うぬぬ……」
レミリアにチョコレートを勧める。
単純にそれを食べた者の反応が見たかった。
「い、いただきます……マッズう゛ぇ゛ぇ゛!」
「あらあら」
意を決して地獄を口にしたレミリアがこれでもかと言わんばかりに顔をしかめて鳴く。心の中には強烈な甘みと秋刀魚の奇襲による混乱の色が満ち満ちていた。
あぁ、かわいそうに。これだから心を覗くのはやめられない。やはり最高の能力だ。
「う゛ぇ゛! う゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ん!」
口内を蹂躙されたレミリアが水と緊急避難先を求めて猛ダッシュで部屋を出て行った。
せめて客前で粗相はするまいという立派な志が見て取れる。妹と遊んでやってほしい、なんてささやかな願いの代償がこれなのだから世界は理不尽だ。
部屋に一人取り残され、静寂が訪れる。
さて……レミリアさんも居なくなってしまったし私もそろそろお暇しよう。
そう思い席を立ったその時。
私が懐に忍ばせているこいし探知用携帯端末にピリリと通信が入った。どこかのこいし人形がこいしを捕捉したか。もしこいしが見つかった場合、この端末に地名が表示されるシステムとなっている。
やれやれ、私の愛しい困った妹は今どこに居るのやら……。
私は携帯端末を取り出し、画面を確認した。
……しかしそこに表示されていたのは。
《今度は妹も連れて私に会いに来るといいわ。また遊びましょうね。友達ってそういうものでしょう?》
それは明らかに先程別れたフランドールからのメッセージ。
どうやら全部筒抜けだったらしい。挙句の果てにシステムまで利用されて、もう滅茶苦茶だ。
やはり油断ならない、新しく出来た私の友達。
こんな風に誘われてしまったら、とても無視なんて出来ないじゃないか。
今度はこいしも連れて、三人で。
それはとても魅力的な提案のように思えた。
そのためにまずはこいしを捕まえなければならない。
私はこれからのことを考え、自然と表情が柔らかくなるのを自覚しながらレミリアの部屋を後にした。
しっかりと想いを込めたチョコレートを抱えながら。
何処をどうつっこんだら良いのやら。大半が訳の分からないぶっ飛んだものでもう凄かったです。
フランドールとさとりのやり取りのイカれ具合が堪らないというか、溢れ出る狂気をしっかりと感じさせてもらいました。
次に遊びに来る時もパチュ棋はもう一回やってみたいですね。ランダムイベントが気になります。後は、フランちゃんとさとりは是非共同開発で他に類を見ない媚薬を開発して貰いたいですね。なんかの手違いでみんなで飲んで全員で悶えて欲しい。
面白かったです。有難うございました。
フランちゃん視点の状況説明でもセンスが溢れて零れて床一面に広がっていく程の言い回しで埋め尽くされていて、段落どころか一行読む度にツッコミを入れなければならない程のハイペースさは読む者全てを置いてけぼりにしていっている様に思えます。そこが好き。
そしてそんなフランちゃんに負けず劣らずのさとりも良くて。狂気の面では負けるものの言葉で自分のペースに丸め込もうとする姿とそれに対抗していくフランちゃんとの間に発生した謎の空気によって、次第に狂気と常識がなんなのかすら分からなくなってくる程の力場が紅魔館全域に発生していました。まだ治ってません。
しかしそんなこんなのテンポで続いているのに、終盤でとてもほんわかさせてくるこの展開の切り返しの巧さは本当に…本当に…なんなんでしょう…?読むサンマチョコレート…?
フラニウムの過剰摂取ありがとうございます。面白かったです…。
フランちゃんとお嬢様がなんやかんや両想い(?)なのが大変解釈にあっており素晴らしく、同時に相手への直接表現の方法もまたとても解釈通りでございました。
あーフランちゃんはこういうことする。するする。
若干パッチェさんが可哀想な気がしますが、まあパッチェさんだし仕方が無いですよね。そんなことされてもフランちゃんに好意的? なパッチェさんが良いと思いました。
心温まることもない狂気的ギャグと見せかけて、ちゃんとハートフルな所もあり大変面白かったです。
有難う御座いました。こいしちゃんが可愛そうになる所も見たいですね。とても。こいしちゃん人形ください。
さとりは聡明だけど天然さもある、フランちゃんは天然だけど聡明さもある、という感じでとても良いコンビなのかなと。遊びを通じた二人の会話がとても面白かったです。
またパチェの戯具が他にどんなものがあるか気になりますね。パチェ棋なんかは実際にやってみたくなりました。
異様なことがナチュラルに当たり前の出来事として書かれてたりすると変な笑いしか出ない
テンポも良く、終始笑わせて頂きました。面白かったです。
たまに入ってくる混沌と原作ネタが良いアクセントですし、突然見せる知性よりあふれ出るおフラみが美味しかったです。地底で寂しく暮らすフランちゃんかわいそうかわいい。もっと殻破って素直になろうね。
ボサボサ紫は11点のお姉ちゃん要素がところどころであってダメでした。そんなんだから地底の主なんだぞ。そのまま妹思いの優しい人でいてね。