なだらかな斜面の、色褪せた芝生の上で寝転びながら、私は眼を閉じていた。
横になり待ち続けている間、時折吹く夜風は穏やかで、紫色のワンピースの裾や袖、そしてブロンドヘアを優しく撫でていた。その肌触りは程良くひんやりとしていて、私を眠りへと誘わんばかりで。思わず、ふわ、と小さな欠伸が漏れてしまう。
「あら、メリーはもうお眠さんなのかしら?」
声と同時に、隣でガサガサと音がした。
もう一度出かけた欠伸を噛み殺し、代わりに軽く溜め息を吐き、緩んだ口元を誤魔化して。首を横に向けてから、瞼を開く。
私の隣に腰を下ろす、一人の少女。
黒のロングスカート、黒のショールに白いシャツ、白いリボンが巻かれた黒い帽子。
彼女を彼女たらしめる格好を身に纏った少女は、紛れもなく宇佐見蓮子であった。
彼女は飄々とした風合いで、寝転ぶ私を見下ろしていた。いたずらっぽい笑みを浮かべながら。目を閉じていたおかげか、暗くても彼女の表情はよく見えた。
「誰かさんのおかげで、もう少しで夢の世界に行ってしまうところだったわ。遅刻よ遅刻」
「集合時間なんて、決まっていないでしょう?」
彼女は帽子を脱いで側に置き、上空へ視線を移して、時を告げる。二十時二十分二十秒。何ら変わらない、蓮子の癖。
「私がここにこうして横になり始めたその瞬間が、まさに約束の時間なのよ」
「そりゃまた、手厳しい」
蓮子は肩をすくめながら、小さく笑う。私もつられて笑ってから、彼女と同じように、視線を空へと向けた。
眼前に広がる、満天の星々。
冥い街と呼ばれる京都市内で見るよりも、遙かに多くの星が、夜空を彩っていた。当然だろう。都心から遙か北、山中の開けたところに居るのだから。
「綺麗ね」
ぽつりと、独りごちてしまう。
秘封倶楽部の活動の度に見上げてきた夜空。それでも、その美しさが色褪せることは無くて。
「天頂のすぐ近くに、四角形があるでしょう? あれが秋の四辺形、ペガスス座ね。右下の線が、ペガススの首と頭部を表している。左上の星は、アンドロメダ座と共有していて、そこから伸びる弧の先に、ペルセウス座。傍にはケフェウス座にカシオペア座。カシオペア座、つまり、カシオペア妃はある日、愛娘であるアンドロメダを褒めちぎりすぎて、ポセイドンの怒りを買ってしまって――」
すると、蓮子は指を動かしながら、時刻を告げるのでは無く、星空の解説を始めた。
星と星とが、指と知識と言葉で結びつき、現れる。
古代の人々が思い描いた、神話の世界が。
神秘的な世界が。
幻想的な世界が。
私は歌うような語り口に耳を傾けながら、共に同じ言い伝えを空に投影する。
「――で、南の、少し低い位置にある、ちょっと暗い星で形作られている歪な三角形、あれが山羊座。私達にとっては重要な星座ね」
天蓋に無造作に散らばる星々から、意味のあるまとまりが生まれる。情報によって、意義が掬い取られる。一つの存在として、浮き上がる。
知識が世界とモノの境界を分かつ。
そう、私達は常にそうだった。
彼女が指を指し、得た知識を披露し、時には疑問を呈し、想いを伝え、それに私が共感し、世界が広がり、深まる。
そうして、秘密を解き明かしてきたのだ。
そうして、日常を過ごしてきたのだ。
そうして、生きてきたのだ。
「変わりないわね。星空も、貴方も」
いつの日も私達を見守ってきた星空は、大昔の人間が語り継いできたものと同じで。変わらなくて。
それは、変動し変容し、否が応でも忙しなく変わっていってしまう人の世とは、対称的で。
「あれでも一応、ほんの少しずつだけれど、動いているのよ? 地軸の歳差運動の所為でね」
「じゃあ、こうして秋に見る夜空も、変わってしまうのかしら」
「あくまでズレるだけだから、劇的な変化は無いだろうけど。そもそも幾万年先の話だし、私達どころか、人類が生き残ってるのかすら怪しいわ」
星空解説はお終いとばかりに、蓮子は私と同じように寝転んだ。色褪せた芝生が擦れ合う音が、鼓膜をくすぐった。
「にしても、秋の夜空って微妙なのよね。この時間帯だと、一応夏の星座だって見えるけれど、段々と西へ追いやられてしまっているし。秋の星座って、明るい星も少なくて、寂しい印象が拭えないわ」
「あら、中秋の名月とか、私は好きよ?」
「月なら今日は地平線の向こうに沈んでるけど。十五夜でもないし。まあ、今日みたいな普通じゃない星を見る分にはありがたいんだけどさ」
ほんの少し間を置いて、蓮子はふと問いかけてきた。
「メリーはどの季節の星空が良かった? やっぱり夏? 織り姫と彦星みたいな関係だからねぇ、私達」
「はいはい、それならもっとロマンチックだったかもね」
茶化すような軽口を、おざなりに受け流す。深い意味の無いやりとりだ。そうして、問題ないはずだった。けれど、心の中で、何かが小さく引っかかってしまって。考え事をしながら、星空から蓮子の方へ顔を向けた。今の私達の間に横たわっている物について……。
「……ねぇ、メリー。いつまで、こうしているつもり?」
少し遅れて、蓮子もまた私を見つめてきて、切り出した。
暖かい、けれど、諭すような口調で。傷つけないように、しかし触れなければいけない、不安定な部分を慈しむような、そんな声色で。
優しい気遣いが嬉しくて、いつもの軽い調子の彼女からは考えられないそれがおかしくて、だからあえてはぐらかしてしまう。
「朝が来るまで、かしら」
「そうじゃないわ。確かに私だって、こうして逢えるのは嬉しい。でも、」
「蓮子」
上半身を起こし、彼女の名を口にして、続きを諫める。
先は、言わなくても分かっている。分かっているつもりだ。だから、伝えて欲しくなかった。たとえ、それが心尽くしなのだとしても。
けれど、彼女は止まらなかった。彼女の意志は、硬かった。体をじりと私の方へ寄せ、瞳で私を捉え、逃がそうとしない。或いはそうして、自らを追い詰めているようにも映った。
「私以外にも、代わりなんて、いくらでも居るでしょう?
私に拘る必要なんて、無いでしょう?
私で無くとも、話は聞ける。私で無くても、オカルトの話は聞ける。私以外でも、秘封倶楽部は成り立つ。
……だから、こうしていることが、貴方のためになるとは――」
身を乗り出して、両の手で包み込むように、蓮子の手を掴んだ。流石の彼女も、押し黙る。
静寂が、私達を覆い尽くした。
身動きしない私達の隙間に、しじまが満ち満ちた。
星が無言で僅かずつ動いていく間、私は言葉を選んでいた。何を言うべきで、何を言わざるべきか。だが、伝えなければならない想いは――そして、彼女もそうだと解しているであろう想いは――少しも揺らぐこと無く、そこにあった。
蓮子から目線を逸らし、口を開く。
「……代わりは居るだなんて、言わないで」
結局、突いてでる言葉は、ありきたりな否定からだった。
「聞いて欲しいだけ、吐き出したいだけなら、オカルトの話が聞きたいだけなら、結界を暴きたいだけなら、確かに取って代えられる存在だわ。それこそ、誰でも良い。でも、それじゃ、駄目なのよ。誰でも良いって事は、誰が居ても、無意味、無価値という事なのだから。
想いを吐露出来ても、情報の共有が出来ても、秘封倶楽部らしい活動をしても、そこに共感が無ければならないの。そしてそれは、誰でも良いわけないものなのよ」
言葉を句切り、再び彼女の瞳を見て、すぅと眼を細めて。
「蓮子は。宇佐見蓮子は。
私の言葉に真摯に耳を傾けて、私の秘密を自らの秘密と引き換えに分かち合ってくれて、私の想いを初めて肯定し、誰よりも深く共感してくれた相手だから。だから私は、貴方でないといけないの。今までも、これからも」
たった一人からの共感だけで良いだなんて、普通の人の幸せからはほど遠いモノなのかも知れない。過去に囚われた哀れな奴だと、笑われるかも知れない。
得られる安堵にも似た心持ち以上に、冷ややかな目で見られているのかも知れない。人並みの幸せを、取りこぼしているのかも知れない。
彼女はそれを心配しているのだろう。
だからどうしたというのだろうか?
共に墓を暴き、カウンセリングをしてくれて、一緒に東京や放棄された人工衛星や地獄へ行き、カフェで雑談に花咲かせ、本を書き、呑んだくれる。
視る物を共有し、想いを共有し、言葉を交わし、共感する。
そんな事が出来る人間は、宇佐見蓮子以外に、居るわけがない。
彼女の存在は、唯一無二に他ならない。
私の中では、それは確かで絶対の真実なのだから。
この状態を、囚われているのだと、呪われているのだとは、思わない。彼女に首肯されて漸く、私は今、生きているのだと、初めて実感するようになってしまったのだから。たとえ、常に傍に居られなくなったとしても。こうして、ほんの少しでも、居られるのなら、私は満たされるのだ。
私という主観的世界で、そう完結しているのだ。それでいいじゃないか。
それは訊いた蓮子は、頬を緩め、嬉しそうだった。ほら、やはり彼女も分かっていたではないか。流石、私の相棒である。
「メリーがそれでいいなら、いいよ。貴方、自由気ままだけれど、こうだと想ったことは必ず貫く頑固者だったものね」
「強情者は、蓮子でしょ」
「そうだっけ?」
首を縦に振る代わりに、にっこりと笑って見せた。
……それからは、時が来るまで、四方山話に花を咲かせた。主に私が話題を振り、蓮子が見解や考察や知識を披露する。それもまた、変わりようが無い、私にとっての日常で。
しかし、そんな楽しい時間にも、常に終わりがあって。
今日のこの瞬間も、例外では無くて。
会話と会話の、ほんの少しの間。沈黙を割くように、ふいに星空を見据え、彼女が呟く。
「午後十時。そろそろかしら」
悲しい顔を見せないよう、声色に寂しさが混じらぬよう努めながら、返事をする。
「今年は、どれくらい見られると思う?」
「大量よ」
「根拠は?」
「乙女の勘」
口角をつり上げ、力強く言い切ると同時に、天蓋にすぅと一筋の光が流れた。
それを皮切りに、光の線が一つ、また一つ、更に一つと増えていき。
やがて、数え切れない、光の雨となる。
私達の夜空に、星が降っていた。
北の空を中心に湧き出でるように天を駆け巡る数多の光は、まるで、全てを塗りつぶさんばかりの勢いで。
「綺麗ね」
「ええ」
「それじゃ、私はこれで」
蓮子は徐に、すくと立ち上がった。私はそれを、見上げるばかりで。引き留めることは出来なかった。
「……ええ」
りゅう座を背に、山羊座の方へ手を伸ばす。
「さようなら。そして……また今度」
流れ星は音も無く全天を覆い尽くし、眩い光が周囲を、視界を、世界を埋め尽くし、彼女の姿が光の中へ溶け出していき。
「蓮子!」
たまらず、追うように立ち上がった瞬間。
流れ星は、ピタリと止んでしまった。
あたりは、さも当然かのように、暗闇と、星々のか細い光だけがあって。
普通の夜空に、戻っていた。
ジャコビニ流星雨は、跡形も無く消えていて。
彼女もまた、同様に。
でも、私は、独りでは無かった。
心の中には、暖かく、切なく、甘くて苦い感情が、蓮子により齎された想いが、確かにあった。
全ては納得があってのこと。それでも、名残惜しくて。
余韻に浸るため、余熱に触れるため、私は胸に手を当て、歩き出す。
彼女が居なくなってしまった日常へ、戻るために。
横になり待ち続けている間、時折吹く夜風は穏やかで、紫色のワンピースの裾や袖、そしてブロンドヘアを優しく撫でていた。その肌触りは程良くひんやりとしていて、私を眠りへと誘わんばかりで。思わず、ふわ、と小さな欠伸が漏れてしまう。
「あら、メリーはもうお眠さんなのかしら?」
声と同時に、隣でガサガサと音がした。
もう一度出かけた欠伸を噛み殺し、代わりに軽く溜め息を吐き、緩んだ口元を誤魔化して。首を横に向けてから、瞼を開く。
私の隣に腰を下ろす、一人の少女。
黒のロングスカート、黒のショールに白いシャツ、白いリボンが巻かれた黒い帽子。
彼女を彼女たらしめる格好を身に纏った少女は、紛れもなく宇佐見蓮子であった。
彼女は飄々とした風合いで、寝転ぶ私を見下ろしていた。いたずらっぽい笑みを浮かべながら。目を閉じていたおかげか、暗くても彼女の表情はよく見えた。
「誰かさんのおかげで、もう少しで夢の世界に行ってしまうところだったわ。遅刻よ遅刻」
「集合時間なんて、決まっていないでしょう?」
彼女は帽子を脱いで側に置き、上空へ視線を移して、時を告げる。二十時二十分二十秒。何ら変わらない、蓮子の癖。
「私がここにこうして横になり始めたその瞬間が、まさに約束の時間なのよ」
「そりゃまた、手厳しい」
蓮子は肩をすくめながら、小さく笑う。私もつられて笑ってから、彼女と同じように、視線を空へと向けた。
眼前に広がる、満天の星々。
冥い街と呼ばれる京都市内で見るよりも、遙かに多くの星が、夜空を彩っていた。当然だろう。都心から遙か北、山中の開けたところに居るのだから。
「綺麗ね」
ぽつりと、独りごちてしまう。
秘封倶楽部の活動の度に見上げてきた夜空。それでも、その美しさが色褪せることは無くて。
「天頂のすぐ近くに、四角形があるでしょう? あれが秋の四辺形、ペガスス座ね。右下の線が、ペガススの首と頭部を表している。左上の星は、アンドロメダ座と共有していて、そこから伸びる弧の先に、ペルセウス座。傍にはケフェウス座にカシオペア座。カシオペア座、つまり、カシオペア妃はある日、愛娘であるアンドロメダを褒めちぎりすぎて、ポセイドンの怒りを買ってしまって――」
すると、蓮子は指を動かしながら、時刻を告げるのでは無く、星空の解説を始めた。
星と星とが、指と知識と言葉で結びつき、現れる。
古代の人々が思い描いた、神話の世界が。
神秘的な世界が。
幻想的な世界が。
私は歌うような語り口に耳を傾けながら、共に同じ言い伝えを空に投影する。
「――で、南の、少し低い位置にある、ちょっと暗い星で形作られている歪な三角形、あれが山羊座。私達にとっては重要な星座ね」
天蓋に無造作に散らばる星々から、意味のあるまとまりが生まれる。情報によって、意義が掬い取られる。一つの存在として、浮き上がる。
知識が世界とモノの境界を分かつ。
そう、私達は常にそうだった。
彼女が指を指し、得た知識を披露し、時には疑問を呈し、想いを伝え、それに私が共感し、世界が広がり、深まる。
そうして、秘密を解き明かしてきたのだ。
そうして、日常を過ごしてきたのだ。
そうして、生きてきたのだ。
「変わりないわね。星空も、貴方も」
いつの日も私達を見守ってきた星空は、大昔の人間が語り継いできたものと同じで。変わらなくて。
それは、変動し変容し、否が応でも忙しなく変わっていってしまう人の世とは、対称的で。
「あれでも一応、ほんの少しずつだけれど、動いているのよ? 地軸の歳差運動の所為でね」
「じゃあ、こうして秋に見る夜空も、変わってしまうのかしら」
「あくまでズレるだけだから、劇的な変化は無いだろうけど。そもそも幾万年先の話だし、私達どころか、人類が生き残ってるのかすら怪しいわ」
星空解説はお終いとばかりに、蓮子は私と同じように寝転んだ。色褪せた芝生が擦れ合う音が、鼓膜をくすぐった。
「にしても、秋の夜空って微妙なのよね。この時間帯だと、一応夏の星座だって見えるけれど、段々と西へ追いやられてしまっているし。秋の星座って、明るい星も少なくて、寂しい印象が拭えないわ」
「あら、中秋の名月とか、私は好きよ?」
「月なら今日は地平線の向こうに沈んでるけど。十五夜でもないし。まあ、今日みたいな普通じゃない星を見る分にはありがたいんだけどさ」
ほんの少し間を置いて、蓮子はふと問いかけてきた。
「メリーはどの季節の星空が良かった? やっぱり夏? 織り姫と彦星みたいな関係だからねぇ、私達」
「はいはい、それならもっとロマンチックだったかもね」
茶化すような軽口を、おざなりに受け流す。深い意味の無いやりとりだ。そうして、問題ないはずだった。けれど、心の中で、何かが小さく引っかかってしまって。考え事をしながら、星空から蓮子の方へ顔を向けた。今の私達の間に横たわっている物について……。
「……ねぇ、メリー。いつまで、こうしているつもり?」
少し遅れて、蓮子もまた私を見つめてきて、切り出した。
暖かい、けれど、諭すような口調で。傷つけないように、しかし触れなければいけない、不安定な部分を慈しむような、そんな声色で。
優しい気遣いが嬉しくて、いつもの軽い調子の彼女からは考えられないそれがおかしくて、だからあえてはぐらかしてしまう。
「朝が来るまで、かしら」
「そうじゃないわ。確かに私だって、こうして逢えるのは嬉しい。でも、」
「蓮子」
上半身を起こし、彼女の名を口にして、続きを諫める。
先は、言わなくても分かっている。分かっているつもりだ。だから、伝えて欲しくなかった。たとえ、それが心尽くしなのだとしても。
けれど、彼女は止まらなかった。彼女の意志は、硬かった。体をじりと私の方へ寄せ、瞳で私を捉え、逃がそうとしない。或いはそうして、自らを追い詰めているようにも映った。
「私以外にも、代わりなんて、いくらでも居るでしょう?
私に拘る必要なんて、無いでしょう?
私で無くとも、話は聞ける。私で無くても、オカルトの話は聞ける。私以外でも、秘封倶楽部は成り立つ。
……だから、こうしていることが、貴方のためになるとは――」
身を乗り出して、両の手で包み込むように、蓮子の手を掴んだ。流石の彼女も、押し黙る。
静寂が、私達を覆い尽くした。
身動きしない私達の隙間に、しじまが満ち満ちた。
星が無言で僅かずつ動いていく間、私は言葉を選んでいた。何を言うべきで、何を言わざるべきか。だが、伝えなければならない想いは――そして、彼女もそうだと解しているであろう想いは――少しも揺らぐこと無く、そこにあった。
蓮子から目線を逸らし、口を開く。
「……代わりは居るだなんて、言わないで」
結局、突いてでる言葉は、ありきたりな否定からだった。
「聞いて欲しいだけ、吐き出したいだけなら、オカルトの話が聞きたいだけなら、結界を暴きたいだけなら、確かに取って代えられる存在だわ。それこそ、誰でも良い。でも、それじゃ、駄目なのよ。誰でも良いって事は、誰が居ても、無意味、無価値という事なのだから。
想いを吐露出来ても、情報の共有が出来ても、秘封倶楽部らしい活動をしても、そこに共感が無ければならないの。そしてそれは、誰でも良いわけないものなのよ」
言葉を句切り、再び彼女の瞳を見て、すぅと眼を細めて。
「蓮子は。宇佐見蓮子は。
私の言葉に真摯に耳を傾けて、私の秘密を自らの秘密と引き換えに分かち合ってくれて、私の想いを初めて肯定し、誰よりも深く共感してくれた相手だから。だから私は、貴方でないといけないの。今までも、これからも」
たった一人からの共感だけで良いだなんて、普通の人の幸せからはほど遠いモノなのかも知れない。過去に囚われた哀れな奴だと、笑われるかも知れない。
得られる安堵にも似た心持ち以上に、冷ややかな目で見られているのかも知れない。人並みの幸せを、取りこぼしているのかも知れない。
彼女はそれを心配しているのだろう。
だからどうしたというのだろうか?
共に墓を暴き、カウンセリングをしてくれて、一緒に東京や放棄された人工衛星や地獄へ行き、カフェで雑談に花咲かせ、本を書き、呑んだくれる。
視る物を共有し、想いを共有し、言葉を交わし、共感する。
そんな事が出来る人間は、宇佐見蓮子以外に、居るわけがない。
彼女の存在は、唯一無二に他ならない。
私の中では、それは確かで絶対の真実なのだから。
この状態を、囚われているのだと、呪われているのだとは、思わない。彼女に首肯されて漸く、私は今、生きているのだと、初めて実感するようになってしまったのだから。たとえ、常に傍に居られなくなったとしても。こうして、ほんの少しでも、居られるのなら、私は満たされるのだ。
私という主観的世界で、そう完結しているのだ。それでいいじゃないか。
それは訊いた蓮子は、頬を緩め、嬉しそうだった。ほら、やはり彼女も分かっていたではないか。流石、私の相棒である。
「メリーがそれでいいなら、いいよ。貴方、自由気ままだけれど、こうだと想ったことは必ず貫く頑固者だったものね」
「強情者は、蓮子でしょ」
「そうだっけ?」
首を縦に振る代わりに、にっこりと笑って見せた。
……それからは、時が来るまで、四方山話に花を咲かせた。主に私が話題を振り、蓮子が見解や考察や知識を披露する。それもまた、変わりようが無い、私にとっての日常で。
しかし、そんな楽しい時間にも、常に終わりがあって。
今日のこの瞬間も、例外では無くて。
会話と会話の、ほんの少しの間。沈黙を割くように、ふいに星空を見据え、彼女が呟く。
「午後十時。そろそろかしら」
悲しい顔を見せないよう、声色に寂しさが混じらぬよう努めながら、返事をする。
「今年は、どれくらい見られると思う?」
「大量よ」
「根拠は?」
「乙女の勘」
口角をつり上げ、力強く言い切ると同時に、天蓋にすぅと一筋の光が流れた。
それを皮切りに、光の線が一つ、また一つ、更に一つと増えていき。
やがて、数え切れない、光の雨となる。
私達の夜空に、星が降っていた。
北の空を中心に湧き出でるように天を駆け巡る数多の光は、まるで、全てを塗りつぶさんばかりの勢いで。
「綺麗ね」
「ええ」
「それじゃ、私はこれで」
蓮子は徐に、すくと立ち上がった。私はそれを、見上げるばかりで。引き留めることは出来なかった。
「……ええ」
りゅう座を背に、山羊座の方へ手を伸ばす。
「さようなら。そして……また今度」
流れ星は音も無く全天を覆い尽くし、眩い光が周囲を、視界を、世界を埋め尽くし、彼女の姿が光の中へ溶け出していき。
「蓮子!」
たまらず、追うように立ち上がった瞬間。
流れ星は、ピタリと止んでしまった。
あたりは、さも当然かのように、暗闇と、星々のか細い光だけがあって。
普通の夜空に、戻っていた。
ジャコビニ流星雨は、跡形も無く消えていて。
彼女もまた、同様に。
でも、私は、独りでは無かった。
心の中には、暖かく、切なく、甘くて苦い感情が、蓮子により齎された想いが、確かにあった。
全ては納得があってのこと。それでも、名残惜しくて。
余韻に浸るため、余熱に触れるため、私は胸に手を当て、歩き出す。
彼女が居なくなってしまった日常へ、戻るために。
囚われても呪われてもいないと主観で片付けようとしているメリーですが、やっぱり蓮子が居た過去を決別しつつも心の中でずっと燻らせるんでしょうか、そう思ってしまえるのが罪深いです。ありがとうございました。
こういうネタの秘封が良いですねー。
星々に想いを馳せながら、二人の行先に切なさを覚える、そんなお話でした。
良かったです。