いつのことだったか今ではもう正確には思い出せないけれど、蛍を見たから夏のことだったのかもしれない。川を泳ぐのがとても心地よかったし、そこで冷やしたキュウリも美味しかったから間違いない気がする。でも桜も見た。夏には忘れられる柔らかさで地上を包み込む日差しがあって、それで掬われるように立ち昇る花たちの香りにも出会ったから、春の気もする。秋ではなかった、寒くはなかったから。時節は春から夏にかけて。一年を一つの流れる水の筋に見立てて、体に染みついた記憶を頼りにすると、その出来事に私はやや春の終わりあたりに飛び込んで、あっという間に夏のど真ん中を突き抜けていった。水から揚がった後でも、当時心身を巻き込んだ流れの勢いがそのまま体に留まっているような出来事だった。そのはずなのに、海に辿り着いた時の冷たさ、行き場をなくした冷たさ、体内の内側のさらに奥深くにほがされた穴から漿液のように湧き出て、皮膚や血脈、あるいは血の通った臆病に圧迫されて発散できないままだった寒さを思えば、冬だったのかもしれない。当時の震えを想起するだけで、遠く過ぎ去った海からまだ残響しているかのように肉体が再現を始め、過去と幻想、同じく記憶の彼岸から生まれた振動波がちょうど一周期の位相差で共鳴してしまう。だから、あれは冬のことだったのかもしれない。そう強く思ってしまう。
これからの話は夏の前提で進めよう。
雨がとんと降らない珍しい天気が続いていた。夕立、つまり海からの速達すら届かないまま、夏は我先にと幻想郷に踏み入って、暑さだけを振りまく暴君になっていた。雨雲は中途半端な見てくれだけを拝ませながら夕陽を横切っていくばかりで、ランダムな空洞から生まれる紅い光の複雑な模様はちょっとした奇跡みたいだった。雨が降らなければ夏は太陽の独壇場で、あまりの水分不足に湿気も鳴りを潜めていた。後に八雲紫から聞いた話では、幻想郷にはとかく猛暑への愚痴がひしめいてばかりで、夏の風流は圧に負け、いよいよ夏空の青さも誰の目に映らなくなりかけたころ、人里の住民たちと本人たちのどちらが提案し賛同したのか分からないまま、二人の巫女がこぞって雨乞いをしたとか。唯一過ごしやすかった夜は風がいい塩梅で吹いていて、木の葉を揺らした音が神楽鈴になって昼間の過酷さを祓ってくれた。
連日の雨のない天候のおかげで川は穏やかで、土砂が流れないから水は澄んでいた。水位の低下も相まって川底の石を外から眺められるほどだった。これは私の冒険にとって、何にも代えがたい幸運だった。機を逃さないよう素早く、出だしでしくじらないよう念入りかつ丁寧に準備を整えた。あれが本当に集中している状態なんだろうね。世情が一丸となっていた夏への辟易を気にかける暇もなかったし、作業に一切の無駄がなかった。
最適化されて大きくも小さくもない遠征用リュックをしっかり背負って、私は早速出発した。まずは光学迷彩スーツの電源を点けるところから。私の視界に変化はないけど、よそでは透明になっている。景色に同化するこの隠れ方は、隠れるという行為につきまとう遮蔽物も可視化されないから、ポーズだけで筒抜けを許すこともない。私だけが客観的に私を見つけている点で認識が外回りに帰着する。自己完結、自己だけの完璧。浅はかながら、この優位性に私は心臓を高鳴らせていた。しかもこの時は隠れるべき目的があって、それに成功してるんだから、喜びもひとしおだった。興奮に呑まれないよう、抜き足差し足努めて決め込んで、道中の同胞たちを通り過ぎる。水遊びをしたり、暢気に酒に酔って騒いでいたり、制作物をいじっていたりして、そもそも私の方に視線を向けることはなかった。横目に見ながら、当時の私はそいつらが同胞であることをちょっとだけ受け入れがたく思っていたんだ。今じゃ恥ずかしいことだね。でも私は若かった。生きるということは真面目にこなすべきで、精進なくては腐るばかりと思っていたんだ。そこらへんでちょっと足の運びはそそっかしくなり、いくらか慎重さに欠けながらも川辺へ辿り着いた。
何度も首を巡らせたけれど、邪魔になりそうな事物は一つも見当たらない。事前の想定では必ず一つや二つ対処すべき問題が現れると思い込んでたから、逆に不安にすら思った。ま、疑っていても仕方ないし、やらなきゃいけないことはどんどんやっていかなければいけない。私はそろりと、足を片方ずつ水に入れた。からころと河原を乗り越え水打つ川の流れは透明な足に分かたれて、絹に指を滑らせるような優しさになった。いつもは適当に飛び込んでいるものだから、その勢いの弱さは新鮮だった。そうして地上から水中へ、体の属する世界を移し替えて、必要でもないのに大きく息を吸った。肺を胸いっぱい膨らまして、誰にも見つからないよう川の底すれすれまで一気に潜水して、しばらく這うように川を下った。
そうして、海を目指す私の冒険が始まった。
当時の私は若くて、体のひと回りくらい心が未熟だった(正しい比較ではないけれど、感覚は大事だ)。知識と経験が充実していく精神が、それらを一通り疑うような時期に差しかかっていた。つまり何ものでもない時期というわけさ。
私が生まれたころにはすでに幻想郷は結界に囲われていて、親の世代(人間の五倍か十倍くらいの換算)も海を知らなかった。老いた河童たちが海についての唯一にして最高の語り部で、知らないことをなんでも知りたがる無知な若者がせがむと誰もが喜んで口を開き、自信と達成感を前借りして自分勝手な海を並べ立てた。仏を信じている河童は無限そのものと、泳ぐのが好きな河童は最高の遊び場だと、仙人まがいの河童はすべての還るところであると言った。私の好奇心は海を捉えて離さなかった。そんなに広大で、水が今よりたくさんあって、素晴らしい場所じゃないか。でも誰彼も好き勝手なことを言い回るだけで、どれが本当の海だか分かったものじゃない。私はもっと具体的な海が欲しかったから、細部に至るまで語り部を問い質した。だけど、そういう疑り深い子どもは恍惚を恵む空想の大海に汚れを差すだけの存在で、邪険にされるか言いくるめられるか、果ては年の功で黙らせられるだけだった。
私は思ったよ、海の味も匂いも、中の景色に魚や植物も適当だらけで、ありのままの姿を知らないなんて。今まで誰も本当の海というものを知った試しがないみたいじゃないか。だから私は、私自身が海に行かなければいけないと決意した。それは一方的な盟約なのに、あたかも不遇の立場に追いやられた忘れられたものと一蓮托生しているかのように思っていた、未熟さゆえにね。私の憧れは常に狭き幻想郷の空の向こう、空を色づけると噂される彼方に向かっていた。
行くのは勝手だと思っていたのに、誰も海に行くのを勧めないどころか、反対されたときは頭に来たね。川と海は違う、河童の生存できる領域はない、そういうことを大した根拠もなく風潮されるだけ。ま、一応それなりの根拠もあるにはあったんだ。海には海の妖怪がいて、同じ河童でも川と海で暮らしぶりが違うとか、独自の集団社会を構築しているってね。それは確かだった。海に辿り着いた時、そこには全く知らない妖怪たちがいて、私はよそ者かまれびとの立場だった。私みたいなぽっと出が、考えなしに居座れるようなところじゃなかった。この目で確かめるまではどれも出まかせの域を超えなかったわけだけど。それに、こっちの方が重要かもしれないけれど、警告の文句を吹聴するのは、決まって老河童の毒牙に直接かかった親の世代だった。好奇心はあっても冒険心まで持ち合わせてる河童というのが珍しかったのか、直に言い含められてまで旅立つ者もいなかったわけだ。ただ、どんなもっともらしい諌め言葉も世代を、時間を跨げば風化する。同じ言葉が巡ってくるころには権力は弱まり、それを乗り越えるだけの気概—勇気という名の勢い—が私にはあった。
海に行くには独力で準備するしかないと早くに気づけたのはかろうじて収穫だった。だからこれから私なりに海を調べていくんだけど、まだ子どもと見なされて、能力も確かに未熟だった河童が自由に物を調べられる範囲なんて高が知れていた。しかしどの世にも例外というのは存在するみたいで、一体だけ海に行ったことのある河童と私は知り合うことができた。そいつは例の親世代でありながら、反抗心とそれに説得力を持たせるだけの賢さをもった変わり者で、つまり私と同類だ。ごくわずかな信頼できる仲間と結託して、親たちの神話を打ち崩さんとして、しれっと海に行って帰ってきた。私はそいつにかなり世話になった、というのも出会えてなかったら海に行く前に死んでいたぐらいだ。幻想郷の外に出るというのはそれだけ危険がつきまとう。そいつは海についてよく知っていた。それこそ、海の妖怪の話とかはそいつから聞いたんだ。だけど、あまりたいしたことは語ろうとしなかった。海と河童の付き合い方には中立的で、年寄りたちの警告は大げさだと言ったが、理解できることもあると言った。私は眉をひそめたけれど、一妖前になるとはそういうことだと丸め込まれた。若き私の心境は、年をとることはろくでもないな、だ。
だけど、海を目指した理由は純粋な憧れと好奇心だけではなかった。外に行くこと、今の場所より広い場所にいくこと、無償の安住の地から離れることが、そのまま自分の成長の糧となり、またその裏付けになると思っていたんだ。それには長者たちの盲目的な大海隠蔽の他に、幻想郷の実態を知ってしまったことがある。幻想郷は妖怪が生きるために閉ざされる必要があって、今は形骸化した人間との対立関係のなかで共生している。妖怪であれば、箱庭で自給自足が成り立つメカニズムは知らないといけなかった。まるでおままごとみたいだと思った。そして私の知らないやつらの、銘々の勝手な思惑に囲われていること、閉塞した常識、そういったものは反抗期には格好の攻撃対象だった。それだけのこと。単純で若かったんだ、今も実はそう変わってないかもしれないけれど。でも、現状に不満を抱いているなら、やっぱり動くしかない。特に若さだけが売りのころには。
序盤はひたすら川の流れに身を任せて進んだ。体は押しに押され、あえて乗っかって、ぐんぐんと水を切っていった。気もちも加速した。水に包まれた世界は静かで、変化に富んでいた。光は煙のようにくゆって、青と緑が緻密に折り合うのをさらに奥深いものにしていた。耳をふさぐ水圧の半透膜を通って、私を追い越していく水の音と私が追い越した水の音、二つの進行が私のなかにあり、そこに外の音—風や鳥、落ちてくる木の葉、夏の日差し—も滑り込んでくる。妖怪の山では池や湖、滝壺といった水の溜まり場で広々と泳いでたもんだから、川の起伏が激しいのは案外驚きだった。川の上流なんて元より、それなりに下ったと思っても大小様々な岩がごろごろ転がっていて、地上を歩かないといけない場合もあった。不便ではあったけれど、それもささやかながら確かな発見だった。
夜が近づくにつれて、水中の見通しは急速に悪くなった。濁るのとは違って、これから体が向かうべき場所に水そのものがなくなってしまうような感じだった。前後不覚からの感覚喪失。岩場の多さもあって、川下りは早めに切り上げて野営の準備をした。本当は夜もけっこう進むつもりでいたけれど、そうならないことも想像を働かせて事前に心得ていた事態だったから落ち込みはしなかった、むしろ未知の冒険を制御できている優越感を覚えた。この時に限らず、旅の間は常に早めの野営を心がけるようになった。それは知らない道を真っ暗なまま進んでも危険だからでもあるし、海の途中の場所もしっかり堪能するためでもあった。
冒険中の夜はきゅうりを頬張りながら一日を思い返していた。初日のこの日は、出発から今目の前で焚き火を起こすまでの動向に加えて、この好奇心の原点と出発の動機に、事態に付随する内心など、思い出すことがたくさんあった。私は「海だ」と呟いた。ペースは充分順調だった。だけど幻想郷を出るにはまだ至ってないと感じていた。なにも確証はなかったけれど、そんな気がしたんだ。幻想郷は思ったより広いらしい、それは悪くない発見だった。そして私の目的地はその広さ—限界の先にある。星を見逃すのが難しいくらい澄みきった夜にハンモックを拵えて、焚き火が自然と絶えるのに合わせて眠りについた。
冒険の始まりは一人で静かに行われた。それがどういうことか、あえて言えば、散々私を諌めてきた同族を出し抜くことができたということだ。そうして何の追求も来ないまま夜明けを迎えてしまうと、もう私の計画は完全に揺らぐことがないように思えてしまった。独特の寂しさの濃い出立の初夜を払う太陽が私自身の能力の証左、現実的な成功の象徴みたいに輝いていた。これからの道のりを考えればまだろくに進めてもいなかったのに、海がますます近づいている気になって、もう目の前にあるようですらあった。本当になんでもできそうな気がしていた。
しかし、冒険には予期しない出来事がつきものだ。初めて私と雛は出会うんだ。
岩場に差し掛かり、乾いた岩を徒歩で渡り歩いている時だった。人気のなかった自然の風景にぽつんと、雛の後ろ姿が現れた。なにかを覗き込んでいて、困っている様子は見て取れた。順調な旅路にすっかり気分を良くしていたものだから、私は考えるより先に声をかけていた。久々の、といっても一日しか経ってないんだけど、誰かと会話できる喜びに浮かれちゃったのさ。最初はちょっと驚かれた。まさかこんなところで声をかけられるなんて、誰だって思わないだろう。頭が空っぽだった私も思わずたじろいで、せっかくの気前の良さもすぐ臆病に変わりかけた、けれど、それも雛が謝るまでのことだった。それで安心。仕切り直し。お互いに納得のいく挨拶を交わした。
雛は、流し雛が岩の窪みに引っかかってどうしたものか、と悩んでいた。最初それが流し雛だと分からなかったから、私が「これなに?」と指差すと、「流し雛よ。絶対触っちゃダメ、絶対ね」と雛は強めに忠告してきた。なぜなら、実はこの流し雛、雛自身の厄を流すためのものだったんだ。他とは全く比べものにならないくらい危険な代物さ。当時の私は流し雛も厄も全く分かってなかったから、他者に自分の物を触ってほしくないんだなくらいにしか受け止めてなかった。なるべく自然のままに動き出してくれるのを根気強く待っているのも、彼女なりの主義に基づいた奇行なのかと思っていた。流し雛は絡み合って弱まった水流にあやされるように揺さぶられるだけで、一向に脱出する気配はなかった。結局、私の能力で川の流れをちょいといじって、流し雛を救い出した。後から、雛が触って動かすぶんには問題なかったと分かるんだけどね。とにかく、予想外の救出劇に雛は感動していた。
「すごい!」
喇叭のように溌剌な声だった。
「あなた、もしかして河童なの?」
「そうさ」私は得意げに言った。「非力な盟友には力を貸さないとね」
「盟友?」
「そうさ。あんた人間だろ?」
私は最初、雛を人間だと思っていたんだよ。笑えるだろう? 雛にも笑われた。あんまり私が得意げな様子なものだから、雛もあえて乗っかって、納得したように振舞っていたけれど耐えきれずに吹き出した。「私、妖怪よ」と言われた途端、私はすっかり言葉に迷ってしまった。冷静になってみると、おかしなことがいくつもあった。まずは出で立ち。紅くてヒラヒラしたドレスを身にまとっていて、見た目は綺麗だけど、どんな目的でもこんな山奥には似合わない格好だった。しかも川の上に浮いていた。他にも色々あるけど、なんにせよ少しでも気にかけていれば間違えなかったはずなのに、我ながら恥ずかしいことをしたもんだよ。人間だと勘違いした挙句、不用意に正体を晒して、私はいたく落ち込んだ。独りで冒険できているのを喜んでいたばかりなのに、自分で台無しにしてしまったわけだ。
お互い妖怪同士で、特に私の警戒した連中と結託しているようだったから良かったけれど、不運の持ち主にどう接したものか私は悩んだ。すると雛は慣れた様子で「そんなに強張らなくていいよ」と言ってくれた。そこでなんとなく、こいつは大丈夫なやつだと感じた。鍵山雛との邂逅はそんな感じだった。
「まず自己紹介しましょう。私は鍵山雛」
「河城にとり。にとりでいいよ。よろしく」
「よろしく。河童でいいのよね?」
「まあ、そうだね。そっちは?」
「厄を溜め込む妖怪。簡単に疫病神だと思って」
「え、本当? 様づけしないと祟られる?」
「あはは、普通に雛って呼んで。本当の神様じゃないし、祟るのが好きでもないし」
遅れた自己紹介をして、成り行きで一緒に歩いた。誰かと話せるのはやっぱり気もちが良かった。特に歩くのに余計な頭を使わなくて済む。雑談の話題が、流し雛は今どこにいるだろうとなったところで、ちょうど目の前に現れた。新たな入り組んだ岩場にまた堰き止められていた。私たちは二人で肩をすくめた。もう夜も近い頃合いだったし、その場でともに腰を落ち着けることになった。
その夜は雛と長い談話することになるんだけど、それが本当に楽しかった。周囲の林で拾い集めた木の枝で起こした焚き火を囲いながら、私たちは川下りの目的から幻想郷の生活、個人的なこと、集団的なこと、そんなたくさんのことを一晩中語りあった。妖怪に睡眠は必須じゃない、だから私たちはいくら夜が深まろうとも口が回る限り話して、そのまま朝を迎えた。川のせせらぎを横に、木製の湯呑みの煎茶を啜りながら、雛の顔を見て、目を合わせて、暗闇の大地に首を巡らせ、夜天を仰ぎ、明け日の出に青ばむ空に感嘆した。川下りの旅の間は夜更かしの会話がよく行われて、睡眠が会話にとって変わったみたいだった。火が途絶えて暗くなっても、薪を用意するのが億劫でそのまま話すこともあった。
雛は自らの厄を払うため、海へ向かっているそうだ。水の大きな循環が厄を清めてくれるらしい。流し雛は自らの厄のいくらかを負担させるためのものだった。いくら厄を溜め込むことが生きる糧とはいえ、危ない代物であることに変わりないので、定期的に浄化する必要があるらしい。私は単純な好奇心と冒険心から、海を見に行くのだと言い切った。雛はすぐに面白そうだと言わんばかりの笑顔を向けてきた。
「あなたって物好きなのね。海に興味ある者は多いけど、わざわざ冒険なんて」
「そうかな?」
「うん。素敵よ」
雛は些細なことでも自分が良いと思ったら遠慮なく褒めるところがあった。しかも下手な気遣いのない、全くの善意だったから、疑り深くて認めてもらいたがりな当時の私はすっかり雛に懐いてしまった。また違った意味でも、彼女は優しかった。疫病神と遭遇したからには厄払いをする必要があったけれど、お互いに気を許し始めた仲を台無しにするんじゃないかと思って私は躊躇っていた。中指と人差し指を軽く交差させた手を見せながら、私は煮え切らない態度で聞いた。雛は快く同意してくれた。「用心深くて結構」という後押しの言葉にも嫌味は混ざっていなかった。それがあまりになんてこともないふうだったから、つい私は「嫌じゃないの?」と聞き返してしまった、恥ずかしいね。でもさ、雛は答えてくれるんだ、なんの底意もなしに。
「嫌じゃないって言えば嘘だけど、それで不幸になられるくらいなら、いっそ冷酷にされたって構わない」雛はすらすら言葉を紡いだ。「私たちは妖怪で、人間より力があるけれど、人間より勝手が聞かない。特に種族の違いなんてさ、きっと個の違いより先んずることはないんだ。私はあなたと仲良くなれて嬉しいし、そういう個の繋がりを大切にするためにも、そこはきっちり割り切ってもらっていいよ。そうしてもらいたいな」
私の雛に対する印象はそれで決定した。雛は正真正銘の良いやつで、私が好きなやつだ。だから次の言葉はこうだ。えんがちょ。
奇妙な偶然から、海への川下りはそのまま雛と連れ立つことになった。最初こそ流し雛を先頭に進んでいたけれど、遮るものがないとどんどん先に流されていくものだから、日中の私たちは黙々と追いかけて周りを見る余裕もなかった。もっとゆっくり進もうという提案があって、流し雛は雛が所持しておくことになった。それで私の出しゃばりが余計なことだと判明して、また落ち込むわけだ。それからの旅は進行と休止のメリハリがあるものに変わった。雛はせっかくの同伴者に馴染みある海への道のりを楽しんで欲しかったようで、私が見えるものにいちいち反応するたび顔を綻ばせて、話を聞いてくれたり説明をしてくれたりした。
幸いなことに私たちは気が合うことも多くて、あっという間に打ち解けていた。最大の共通点は妖怪でありながら人間を友好的に思っているということで、この繋がりが私たちの今後を引き寄せてくれたといっても過言じゃないかもしれない。もちろん鏡写しのような相違ないものではなくて、特にその信念に基づく人間への態度は雛の方がより直接的かつ献身的で、私はまだ理想主義の絵空事に留まるのみだった。
「私だって特に何かをしたわけじゃないわ。人間の不幸を集めないと生きていけないから、近づくほかなかったんだもの」
「それでもすごいよ。私、遠くで眺めているだけだもん。うまくやりとりできる自信なんてないや」
「妖怪だって人間に会うのが怖いやつもいるわ。嫌われて敵視されてるって分かってるのに、真正面から向き合うなんて辛いじゃない」
「だったら会うことも不幸のひとつなのかも」
「ひどい」
「あはは」
幻想郷の結界を越えたのは、雛と一緒に出発した午後のことだった。境界は特に縄や敷居みたいな物理的な線引きがあるわけではなく、妖力の気配もほとんどなかったけれど、感覚的な訴えは確かにあった。静電気のような反発感か、朝霜と向日葵の温度差か、水面の表裏一体の疎外感か、あるいはその複数だ。実態のない越境の瞬間だけが体のなかでやけに膨らんでいって、水を掻き分ける手もつい強張ってしまった。すでになんども厄流しに赴いていた雛は慣れっこだと言っていたけれど、やはり緊張は免れ得なかったようで、神妙な顔立ちで正面を向いていた。お互いに予感が現界する衝撃に身構えていた。
見えないものは見えず、ないものは触れられず、まさしく境界に差し掛かったときも認識することはない。予感は群衆のように物量を増し、事が起きる一瞬を見逃さんとする衆目の檻に晒されながら、独り私は川を進む。そして、おそらく境界を越える瞬間、予感はついに弾けた。口にし難い変化が架空の痺れとなって私を震わせた。私は雛に顔を向けた、私の感じたものをすでに最初から同意していたというふうな顔つきで頷いた。しかし後にも先にもそれだけ、越境はそれくらい事もなくなされた。冒険の開始から三日ほど経っていた。
見立てよりは時間がかかったけれど、忘れられた箱庭の狭さをようやく実感をもって認識することができた。あとはもう広いだけの新天地、全てが私を養う糧だ。わくわくが止まらなかったね。その反面、幻想郷の境界が私たちの存続を保障するためのものだという、信じることでしか信じることのできなかった神話が、外に出てくることでようやく強く理解させられた。まるで山頂に向かっているみたいに、空気が薄くなった気がした。
そういえば、季節の曖昧さと同じで、海を巡る雛との同行が冒険か、それとも旅なのか、少し混同している。分かりづらいとは思うけれど、こればかりは私のなかでも折り合いがついてないから、語り聞かせるままなのを許してほしい。
旅か冒険か、とかく海を目指して出発したときから、天気は真っ当に夏らしくなっていた。それまで音沙汰のなかった夕立が初日の夕暮れにひょっこり訪れた。それは粋な見送り、あるいは海からの招待状にも思えるけれど、雨がないから出発したわけで、ちょっと意地の悪いレスポンスに映った。でも久々の雨だったのも確かで、降り注ぐ水滴はとても気もち良かった。雨雲は私をさっと通り抜けて、後ろに置いてきた故郷に向かっていった。
たった十日の旅の半日以上は雨が降った。思えば、それはそれでずいぶん勢いづいていた。きっと雨も降りたくて仕方なかったんだろう。そして大半は夕立だった。昼間はとにかくかんかん照りで、水中で快適に過ごした時もあればぬるま湯に身を浸しているような時もあったし、徒歩で河原の石と一緒にじりじりと焦がされる時もあった。夕立は葡萄のような雨玉を密に打ちつけてきて、目を開くのも痛いくらいだったけれど、私たちは高笑いしながら進み続け、一日の暑さを洗い落とした。一日中雨が降っていたのは二日だけだったけれど、どれもひどかった。夕立でもそうだけど、雨で体を蝕むほどに湿気が増し、それが一日中となると溺れたみたいに息苦しくなってくるんだ。しかも水場の近くで、草木も鬱蒼としているから一層水気が立ち込めた。それに川は荒れてしまうし、濁って前も見れやしないから、停滞を余儀なくされた。特に折り返しをすぎたころにとてつもない豪雨に襲われて、あれは八雲紫がいなかったらずぶ濡れのまま海に辿り着くことになっていたね。
そうだな、この流れでいけば確かに桜に出会う。それも冒険のなかで出会った数奇な偶然の一つだった。奇跡と言えば聞こえはいいが、限度を超えればただの異常にほかならない。雛ですら「都合の良いことには必ず裏があるのよ。呪いとかね」と訝しがっていたくらいだ。
幻想郷の境界に接近していたときから空は暗雲を立ち込めていた。先行きの暗喩を見いだすのは都合のいい解釈だろう。いつ降ってもおかしくなかった、すでにぽつぽつと水面に模様を浮かばせていた。越境の緊張は環境が受け取っていたぶんもあったかもしれない。それでも私たちが外に出るのを見計らうように、曇天は次の状態になるのを我慢していた。
降り出してみるとごく普通の長雨だった。一定の勢いで延々と水の降り走る音が長閑な安らぎをもたらして、水面で耳を澄ますと川の流れる音とよく馴染んでいた。私たちは雨が降り始めたところで停泊することにした。夜も絶え間なく続く水の音たちに囲まれながら夜を明かしたけれど、翌日も雨は降り続けて、初めて一日の停滞を経験することになった。
少しでも早く海に向かいたい気もちはあったけれど、停滞のおかげで周辺をじっくり散策する時間ができた。そうして二度目の夜は雨とともに明けた。
日を跨いで長く降りそぼった雨のおかげで、景観は霧を深く纏っていた。視界の悪さと川の複雑な蛇行が重なって、進むごとに視界が死角へ、死角が視界へと目まぐるしく移り変わっていくのにしか注意を傾けていなかった。水面からだと十分背丈の高い雑草と影絵のように大きく伸びた雑木が奥に隠していた丘に、その桜は手品みたいにぽっと現れた。遠目でも、異常ゆえか季節外れの賜物ゆえか、今まで見てきたどんな桜よりも美しかった。つい声が出た、見惚れた。儚さを謳う桃色のシルエットが霧に広く薄く引き伸ばされた姿は、手の届かない桃源郷を霞に投影しているようだった。それでも歩けば届いた。霧の夢じゃなかったわけだ。
まるで視界に飛び込んでくるような現れ方は深く好印象を刻んだけれど、もとより桜の存在感は一線を画していた。あえて言えば月と同じかもしれない。近づけばそれは一層強まっているはずなのに、依然としてどこか掴みかねるようなところを保ったままだった。磨りガラスの外の色彩が大きくなったようなもので、それは全て霧のせいというわけでもなさそうだった。幹の男性的な逞しさは腕で抱えきれないほどの太さと、木肌や瘤が不規則に波打つ荒々しさから生まれているようで、炭のような黒い艶を蓄えた体にどうしたら冬の夕立のような淡い花びらが自ずと備わるのか、てんで分からなかった。一度認識してしまうと、桜は意識の真ん中を占めた。あんまり綺麗なものだから、私はここで一晩を明かそうとした。雛も二つ返事で了承してくれた。
ここで八雲紫が出てくる。想像できないだろう。私にとっては初めての出会いだったから、予想もなにもあるはずがなく、まさしく無から突然よくないものが誕生したみたいな出来事だった。今はどう思ってるか? 別に良くも悪くもないよ。掘り下げても仕方ない話だ。
幾度となく風が地を撫でて、ようやく空気らしい空気を吸い込んでいる心地がするようになるほど、夜も深まっていたころだった。最初は河原で食事をしていた。川に浸したきゅうりを齧りながら、昼間に獲った鮎とイワナが焚き火に炙れていくのを眺めていた。切れ込みから油を滴らせ、火が弾けるにつれて旨味が増していくようだった。きゅうりがなくなると、今度は近場で採取したワラビとタラの芽を焼いて、それと魚の焼ける匂いを肴に雑談をしていた。
焼きあがった魚を一身に貪り、満たされた体と心をゆっくりと桜の木に移していった。丘は桜以外に空を遮るものがなくて、仰向けになれば星空が諸手を広げて迎えてくれた。お互い時間をかけて熟成された眠気に酔ったふうで、散発的になりつつあった会話をよそに、このまま心地よい睡眠が訪れるのを待っていた。
しかし急に、夜空が割れたのだ。本当に割れたという表現が正しい。もしこれが境界を操る妖怪のせいでなければ、私は超現実とかSFというものに傾倒するはめになっていたかもしれない。内部でドロドロと渦巻く紅い裂け目からにゅっと出てきた女も、この超常現象に付いて回る象徴的な符号なのかと思った。怪奇の主は気さくな挨拶をしてきた。私は声を出せずにいたけれど、雛は難なく返事をした。「今回もご苦労ね」と紫は労い、雛は「大切なことですから」と慇懃に応じた。両者はすでに知り合いだったんだ。
私も遅れて挨拶したけれど、私と紫の温度差はひどかった。なにしろ向こうは無断で境界を越えた愚か者である私を咎めるために来たから、当然の話だ。博麗大結界が生活を快適にしてくれる便利なものぐらいでしか体感していなかった私からすれば、境界の管理者がいることもろくに把握していなかった。八雲紫が詰問を仕掛けてきた時も、河童の仲間たちが追っ手を差し向けてきたのだと思っている節すらあったけれど、すぐに誤解だと気づいて、そして詰問は単なる尋問で、彼女は審判者として、つまりルールを破った者の意志に見向きもしない処刑道具としてここにいるのだとやっと気づいた。私は心底穏やかでいられなかった。
「自分がしていることの愚かしさを分かっているの?」
紫は愚かしさと断言した。
「あなたみたいな小童、外ではその忘却とともに、存在を失うだけよ」
激しい反論に、私が諦めまいと言い返した言葉は「海を見ようとしただけだ」だ。まるで子どもみたいに、明確な意思と我が儘を履き違えたまま、物事を推し進めようとしていたんだ。私は自分を守ることばかりに必死で、紫の言葉もろくに理解できていなかったし、理解しようともしていなくとも、計画を断念させる雑音に噛みつく程度のことしかしていなかった。だけど、そういう無知なところが良くも悪くも紫を折れさせるきっかけにはなったんだろう。急に黙り始めて、私はついに実力行使かと身構えていた。
そこで雛が助け舟を出してくれた。いろいろ言葉を尽くして説得してくれて、要するに「海に着いてから考えればいいじゃない」ということを伝えた。もちろん紫は反論を並べ立てた。威圧感を目眩しに、婉曲な言い回しで煙に巻く周到な語り口にやり込められず、雛はよく対応した。流し雛のように流れに気ままな姿が先行していたので、毅然とした態度に胸を打たれずにはいられなかった。言っている内容は依然として分からなかったけれど、ただ助けてくれていることに感謝していた。
「河童が海を知ると、井戸が広くなるのかしら?」
「にわか雨くらいは降らせられるでしょう。だから潤う。でしょう?」
決定打となる最後の問答はこんな感じだった。意味が分からない? そうだな。まあ難しい話なんだ。とにかく、そこで紫は肩をすくめて、私の川下りを許してくれた。冒険を続けられる喜びより大妖怪との対峙が終わった疲労感が優って、私は干物みたいになっていた。雛の対応には紫も驚くところがあったようで、素直に褒めていた。雛は理由をこう説明していた。
「警戒した人間の相手をしなきゃいけないからねぇ」
紫は「献身的なこと。ええ全く」と評価した。それから言葉少なに、特に何でもないようなことを話して紫は再び隙間へ消え去った。最初から最後まであっという間で、台風の最中に巻き込まれたようだった。私は真っ先に雛に礼を言ったよ。
「ありがとう」
「お構いなく。友だちでしょ」雛は言った。「あとはあなた次第よ」
この言葉は本当に的確だった。自分が始めた事なのに、少しでも障害が出るとすぐ臆病になって、意志薄弱になってしまう。助けられたのはありがたかったけれど、私自身としては全く不甲斐ない話として記憶に残った。やるからには最後まで気もちを固めていかないといけない。どんなことをしても、どんなことがあっても、最後まで意志を貫き通さなければいけない。私は気を引き締めた。奇しくも、そこは目的地までの折り返しだった。その先は覚悟なしにはとても進めない道のりだった。
私は寝つけなかった。八雲紫のことで目が冴えたこともあるけれど、主に密やかに勧められていた冒険がここに来て妨害にあったことで思っていた以上に気落ちしていた。また冷静に八雲紫の言動を反芻していると、その対応は脱走に対する糾弾というより、どこか私が見舞う危険への忠告のように思われて、真偽はどうあれ、攻撃的な態度を取るに取れなくなっていた。わざわざ口論なんてせずとも、やりようはいくらでもあったはずなのに。眠たかったかもしれないけれど、相談に雛は付き合ってくれた。そんなに私が目指しているものは褒められたものじゃないのかな? 雛はそんなことないと言った。はなから海に行くほかない雛は、境界の管理者からすでに実質の了承を得ていた。
「初めて会った時、私もにとりみたいに言われたものよ」
「そうなんだ、でも雛は仕方ないじゃん。どうしたの?」
「うん。だからすんなり収まったよ」
「いいな」
「ねえ、海に行きたいんでしょう?」
私はゆっくりと、徐々に自分のなかの凝り固まった懐疑心や反抗心を少しずつ削り出して、根底にある感情を引き出して、雛に打ち明けた。今語っているほどはっきりではないけれど、海に行く動機が本当に好奇心から成り立っているとは限らないと分かってきたんだ。雛はどんなに格好悪くても受け入れてくれた。そのうえで彼女は沈黙を守った。だから私が自分の意思を明確にするしかなかった。海を諦めることはできなかった。
翌朝、八雲紫はまた現れた。私は改めて意思をぶつけた。宣戦布告に近かったけれど、負けを喫した敵に対する気概を再獲得するというより、挫けかけた自分に向けているようだった。彼女はにべもなく納得した。多少は反駁されるとばかり思っていたので、意外な決着に肩透かしを食らうだけだった。しかも紫は同行するとすら言い出した。理由を尋ねても「せっかくの機会だし、旅は道連れ世は情け」と適当なことを言うだけだった。監視が目的かと睨んだけれど、それは副次的なものに過ぎないと感じた。なんにせよ、許されざる冒険を黙認された立場では否定できなかった。雛は賑やかになると純粋に喜んだ。
思えば、この瞬間にすでに結末の寂しさは生まれていたのだろう。でも、私は自分のことで精一杯だった、いつだって。旅の終わりについての想像は、まだ私の届くことのできないところにあった。
一日を丸ごと飲み込む長雨は消え去ったけれど、川には葉が散らされた濁流が押し寄せたり、土のぬかるみが深かったり、植物が露に濡れっぱなしだったりと、名残は濃く残っていた。例の桜も全身を濡らし、細く輝きを溜めた雫を枝や花に滴らせていた。快晴の蒼いキャンパスにくっきりと全容を映した。曇天の霧霞に溶け込ませていないのに、今度は陽光をすり抜けさせているようで、存在そのものの不確かさ、ある種の透明感はもはやこの桜の特質らしかった。それでも綺麗なもんは綺麗だ。私が見惚れている横で、紫は呟いた。
「これ、曰く付き、呪いよ」
「雛も言ってた、同じこと」
「あらそう。なら間違いないわね」
扇子で口元を隠しながら、紫は私をねめつけた。私は思わず視線を逸らした。危ないものに近づくなくらいの言い草だったのかもしれないが、当時の私には観賞に水を差す嫌がらせだと思った、あるいは雛との思い出をなぞるような嫌がらせ。私は言い返した。
「おっかないのは確かだけど、綺麗なものは綺麗じゃん」
紫は桜に顔を向けたまま私に視線を向けて、言葉を吟味するように黙って見つめ返してきた。なぜだか、その佇まいをガラスの窓みたいだと思った。人間的な反応、その印象の素朴さに、私は静かに言葉を待っていた。紡がれた言葉はこうだった。
「そうね。この桜、とても綺麗ね」
幽明の桜に対の眼差しを投げかけて、遠くから呼びかける雛の声で二人とも背を翻した。
旅の道連れは三つとなったけれど、私と雛で川下りをする今までの態勢には特に変わりはなかった。最後の参入者である紫は境界の隙間から気ままに現れて、合流と離脱を繰り返した。賑やかになることも気まずくなることもなく、川水が一通りに上から下へ流れ続けるような恙なさで海への旅を継続できたのは、さすがというか、紫の立ち回りの妙が冴えていた。一時は対立していた同伴者にいつでも馴染めなさを覚えてしまっていたけれど、意識の変わり目、緊張と弛緩の継ぎ目、休息を潤す安心に滑り込むように現場に合流するから、ハリネズミのように警戒することはあまりなかった。今だから言えること、だけど。
景観は一転した。幻想郷の賢者の出現をきっかけに、世界が次の舞台を持ってきたようですらあった。
川は低地に行くほど地を這うように歪曲し、これに沿って民家を散見するようになったと思うと、いつの間にか自然を置いてけぼりにして、私たちは市街地に踏み出していった。旅路のそれまでは慣れ親しんだ環境の延長に過ぎなかった。既知と未知の臨界点というのが確かにあるみたいで、真新しい環境に心身の全てが違和を主張した。外界に身を乗り出した時よりも、冒険の危機的側面に直面している気がした。ここからは全く知らない世界なのだと。
少し戻って、幻想郷の生活水準と照らし合わせれば、山間の集落ですら私の常識からの逸脱の気配をぞんぶんに漂わせていた。ゆとりある家の庭にいかにも金属質の箱や手押し車(前者は車で、後者は耕作用の機械だと八雲紫に教わった)が並んでいたり、屋根を突き破るような金属の樹(アンテナ)が生えたりしていたのが、ぱっと見で分かる変化だ。あと、妖怪だからこそ鋭敏に感知できる変化として、神社や道祖神の存在感のなさが挙げられる。私たちの知っているそれらは、毎日熱心に掃除に来たり参拝をしたりする人間がいたけれど、外界では苔と時代の風に晒され、もはや中身に何も宿していない空っぽの自然造形物に過ぎなかった。強力な形骸化の実例だ。私は薄ら寒さを覚えた。忘失の過程を辿った主体を私に置き換えることが、外の世界にいる当時の状況では容易にできたからだ。
コンクリートとやらで出来た不気味なほど平らかな道を除けば、山間部の自然環境はまだ私の馴染みあるものに近かった。水場の周りを開拓して、山あいのなかで長閑に暮らす人々がいて、昼間は子どもが河原や田畑で元気にはしゃぎ立てていた。田んぼや畑が豊穣を呼び込む鮮やかな色に染まり、夏の日差しをいっぱいに吸っているなかで、人々が隠れんぼをしていた。それでも海に近づくたび、夥しい民家を伴って風土と時代は変遷の波に飲まれていった。
外の世界は全体的に自然が少なく、すべてが人工物、それも加工が念入りに施されたコンクリートか金属に取って代わった。川は時々ひどく無機質な印象を帯びていた。それはコンクリートの土手やいかに壊れなさそうな橋が河川を危険なものとして隔離するように囲い込んでいるからだったかもしれない。川の孤立具合は海に近づくほど顕著で、土手に加えて柵まで設けられていた。もはや囚人みたいな扱いだ。河口という地形も山育ちの私には初めての景色だったけれど、感慨よりも人社会の密度に窮屈な気もちが強くわだかまった。まるで砂地獄のように川が人工物を引き寄せているようで、明らかな物量の多さにむしろ窮地に自ら追い込んでしまっているようだった。人間は安全な場所から川を見物したり、散歩だったり、道具を使って遊んだりするだけで、あえて水の中に入って遊ぶようなことはなかったし、川原に腰掛けるということはほとんどありえなかった。人間の生活を私は川面から眺めているだけで、河童の出る幕はいかにもなさそうだった。
外界の市街地に入り込んでいったのは冒険の七日目、旅の七日目だった。初めて見るあれこれに目を奪われ、心を奪われ、私は忙しなかった。これまで過ごしていた幻想郷の常識を明らかに逸脱した新しさ、革新性に深く関心はしたけれど、逆に空恐ろしさすら覚えもした。そんな私に喝を入れるかのように、天気は急激に悪くなった。慌ただしく横切っていく雲に夕立を思ったころには水滴が大きな音を立てて落ちてきて、雨宿りできる場所を探そうか、なんて悠長に語っている間に私たちはびしょ濡れにさせられて、赤子みたいにへばりついてくる服に苦しめられながら橋下に逃げ込んだ。紫曰く、ゲリラ豪雨と呼ばれる突発性の台風みたいなものらしい。湿気が火事のように荒れ狂い、瀑布のように俄雨が世界を取り囲んだ。隙間に逃げることもできたはずなのに、紫もなぜか濡れていて、よく携帯していた傘は何の役にも立っていなかった。雛は一番酷かった。紅いドレスは傾いだ鳥居みたいに垂れ下がって、体のラインが見えるほど張りついていた。四方八方にはねた若草の髪の毛は雨水を挿して翡翠のように輝いていたけれど、ドレスに重なると古ぼけたお札みたいに映った。リボンなんかは体に巻きついているのか、巻きつかせているのか見分けがつかないくらいだった。
あれはなに? と問えば、大抵は紫が答えてくれた。あれはなに? 自転車、堤防、橋、車、イヤホン、電柱、電線、飛行船、ネオン、ビル、船(幻想郷で使われないような大型)、携帯電話、飛び降り自殺の亡霊、水没の白い肉塊、怪獣みたいな焼却炉の塔、野球、サッカー、ランニング、スクーター、バイク、スケートボード、芒、ブラックバス、遡上する過去、廃屋みたいな下水管、酒を入れた缶の山、コロナエキストラ(メキシコという海外の酒)、煙草と吸い殻、ライター、犬のフン、猫のフン、飛行機、雀、鳩、烏、ヘッドホン、テレビ、こたつ、トラック、コンビニエンスストア、信号、明かり、明かりの明かり、明かりから光りだす明かり、子どもを妖怪に襲わせないためのチャイム、警察、パトカー、建築現場のいろいろ、ゴミ捨て場のいろいろ、捨てられた亀。雛は事物の厄について答えた。焼却炉は遠くでもそれなりに怨嗟が立ち込めていて、携帯電話は危険で、間に横たわる二つの死は最悪で、捨てられた亀は良好、私は上々だった。
夜が一様に明るいというのも、身震いを覚えた瞬間だった。明らかに自然色ではない光は白粉のようで、夜を窒息させかねないほどに手厚い化粧を仕掛けていた。かろうじて逃げ出した本当の夜というのは橋下の根元で蹲っていて、人工物に隠れているのは痛々しくもあった。私たちもそこで寝食を行なったけれど、どこに逃げても光は回り込んできて、眩しくて敵わなかった。車はうるさかったし、人間も平気で夜を歩き回っていた。こいつらも実は寝れなくて、妖怪が怖いから電気をつけっぱなしにしているだけなんじゃないかと思った。でも紫が言うには「明るいと便利だからよ」ということらしく、雛は「毎日がお祭りなのよ」と言った。
すでにはるか昔に思われる越境にしても、雛との遭遇にしても、決定的な瞬間というのは突然現れることはなく、現実という衝立の影からじりじりとその姿を映し始めて、揺らぎながら大きくなっていき、あたかも想定されうる未来に自分が重なっていくかのように、訪れる。
伝聞だけで構成された海は、風に運ばれてくる匂いとなって最初に接触してきた。水の匂いは大事なことだ。山の蓄えた水、雪解け水があって、滝の水、沢の水があって、草木の水、樹木の水があって、そのどれも些細な違いをもっていて、さらに季節の衣を纏う。その時は全く嗅いだことのない水の匂いを受け取った。私は匂いの意味をすぐに理解することができた。海に近づくたびに潮の香りは強まり、曖昧だった他の知覚も繊細に取り上げることができた。徐々に私のなかに積みあがる海の便りが、頭の中で実態を形成されるための前準備となり、またその骨肉になった。
ゲリラ豪雨で散々な目にあった日はそのまま曇りの夜を迎えた。旅が一週間も続けば流石に体力も明らかな減衰を逃れられなくて、眩しいとは言いつつも私は深く眠っていた。その頃には、もう海の風は距離に希釈されることなく私に届いていた。瞼を閉じながら、着実に寄り合う海へ私の心を夜の陸風に連れて行ってもらった。翌日の晴天に三者三様の喜びを湛えて、周囲を見渡しながら進んだ。私は妖怪の山からすいぶん広がった川幅とその結末を思い、一つ一つ橋をくぐり抜けた。
川が川であるならば、最後の一本道はどうしようもなく真っ直ぐだった。形のことじゃない、道を逸れることが絶対にないという意味の真っ直ぐだ。収まらない高揚とともに海に流されていった。それを何かに例えようとして、城主と顔を合わせるために廊下を歩くところを想像してみた。間違いではなかったけれど、どこか違和感があってやきもきしていた。でも最近、西洋の本を読んでようやくしっくり来る答えがあった。向こうの城は日本と違って石造りで、大広間に敷かれた長い赤い絨毯をまっすぐ進んで、王座に鎮座する王に謁見するらしい。まさしく、その赤い絨毯にいるみたいだったんだ。道中は確かにそうだった、でも最後はあっという間で、そいつは王みたいに仰々しくも礼儀に喧しくもなく、何事にも自然体だった。
海だ。
雨にしたって川にしたって、水は撚り糸のように形をまとめておかなければいけないものだと思っていた。そうでなければ、自由なまま拡散して、いずれ地に消されてしまうから。しかしそれは限られた世界での話、つまり狭隘な故郷の常識でしかなくて、境目を抜ければ川はもうどんなものにも手がつけられないほどに広がった。山奥住まいの私たちにとって空間を分かつ力は山々のものだったけれど、水平線ほど真っ直ぐに景色の端と端を分断するものは存在するように思えなかった。切り目のあまりの鋭さに、空と海の区別がつけられなくなりそうだった。波も、知っていたのは水の溜まった場所の押し広がる震え程度だったのに、ここでは大きな全が一つに寄せて岸に打ち付けていた。海の遠くは膜を張ったように静止しているようで、その複雑な煌めきと影のうねり、わだかまりがそのまま流れの模様であり、それらを全て乗り越えて、波は私たちの近くに届いた。
長い道のりの疲れがどっと押し寄せて、私は重力のままに腰を砂浜に落とした。砂浜はとても柔らかくて、勢いづいていた着座に少しも痛みを与えなかった。言葉を紡ぐことはできないというか、無駄に思えた。年寄りたちが口を揃えて「広い」「広い」と言っているのも景色一つだけで全てが納得できた。こんなに水が湛える場所があって大丈夫なのか、もしかしたら世界規模の洪水が起きて、あるべき土地が水没している非常事態なんじゃないかと思ったね。しかも紫によれば、私たちの生きている大地は地球という球状物体の表面で、ただでさえ海外という未知の領域がわんさかあるというのにも驚きなのに、海はその半分以上を埋め尽くして、諸大地を等しく囲っているらしい。いや、広すぎてたまったものじゃないね。
喜びは確かにあった。心は震えて、どうしてこんなものを知らないで生きてきたんだと思いながら、川の結末をただただじっと見つめていた。しかし、私にはそれどころではない不安が目の前の波のように押し寄せていた。掴みかねる正体を横に置きながら、まずは海を堪能することにした。なんてったて、自由だ。それに、ここには想像したこともないことがたくさん溢れていた。砂浜を走ってみよう。海辺を走って、それから潜ってみよう。行けるとこまで行ってみよう、生態系も気になるし、大型の漁船が密集する港やら漁師が魚をお披露目する魚河岸やらも気になる。川ほど見通しのよくない海中は深く広くなる一方で、拡張された身体の感覚が初めて水中の容量に追いつかなくなった。海の妖怪だってたくさん見た。距離を置いていたのは雛の存在あってだろう、いや紫もあるかもしれない。紫は相変わらずいたりいなかったりしたけれど、雛はとことん付き合ってくれた。それは友だちとして嬉しくもあり、楽しくもあり、不安でもあった。
「雛、これが海なんだね」
「そうよ。おめでとう! あなたは立派に冒険を果たしたのよ」
「うん、ありがとう。嬉しいよ」
私たちは海を眺めた。海辺の基調的な雰囲気は静かさと穏やかさに包まれていたけど、風はいつでも強かった。帽子が何度も吹き飛びそうになったし、雛の服はめちゃくちゃに暴れまわった、あと声を大きく張り上げないとろくに聞こえなかった。反面、波の音は優しかった。川の絶え間ない流れと違って、不規則ながら心地よい頻度で耳朶に染み込んでいった。私は気づいたらこう言っていた。
「雛はどこに行くんだい?」
それで不安が一気に正体を現して、私を震わせた。答えは目の前の海にあった。私の疑問に、気づいてしまったんだねという表情を浮かべた雛を、忘れられない。
「私は、海に出て、さまよって、いつか沈んでいくの」
「そのあとは?」
「海はとても深いの。川なんて比べ物にならないくらい、ずっとずっと……。そこを時間をかけて沈んでいく。その間、私はじっと眠りについて、ただ海の水の流れのままにしている。それでね、いつか、いつかふと起きるの。それは人里で雛流しなり、厄を祓うための催事が行われている時なの。私は呼ばれたように幻想郷に帰ってくる。そして清めて軽くなった体に、厄をまた溜め込んでいくの。そのために帰ってくる、帰るよう呼び寄せられる」
その話を聞いたのは初めてじゃなかった。しかし私は今まで出したこともない声色で「そうか」と答えることしかできなかった。
海を見るまではさ、雛との別れなんて幻想郷で道を別々の方向に曲がるくらいでしか考えてなかった。幻想郷なんて狭い場所なら、結局また会えるだろう? でも海を見てしまったら、それがとてもひどい思い違いだと言わざるをえない。私はここから踵を返して幻想郷に戻り、雛は果てしない広さへ呑み込まれていくのだ。私たちがともに歩んできた距離の何倍も流され、想像もつかない水の深く積もったところまで沈んでしまうのだ。胸がざわざわとかき乱された。たとえ幻想郷に帰ってくるとしても、これを一時の別れなんて生易しいものには思えなかった。しかも人間に求められて、距離や空間を隔てて現れるなんて、まるで神みたいじゃないか。私は雛のこれからを考えると、どんどん手の届かないような気がして、畏怖に近い感情すら覚えた。
しばらく私は黙りこくった。口を開けば、雛がこれから向かう深海が危険なところじゃないか思いつく限り確認した。溺れることはないよね? 恐ろしい妖怪はいない? また岩に引っかからない? どれにも雛はちゃんと答えて、最後に大丈夫と言って締めた。それでも私は臆病な優しさを抑え込むことができなかった。仕方ないことじゃないかと納得しようとして、彼女の口から弱音を吐き出させようとしていたのは、実は雛の臆病なところを掴んで私とそう変わらない立ち位置まで連れて行きたかったからなのだと思う。私は、友だちとして雛をとても好いているよ。だからこそ身近な存在であって欲しかったんだ。辛い話さ。しかし雛のこれから起こることへの覚悟が揺らぐことはなかった。当然さ。私は最後には黙って海の遠くを睨んでいることしかできなかった。
話が落ち着いてだいぶ経った頃、紫は現れた。彼女はまだ行かないの? と尋ね、雛はええ、まだ。明日の朝までは、と言った。紫はじっと私を見つめ、それから雛を見据えた。あえてのらりくらりと振る舞い続けた大妖怪の貫かんばかりの眼差しに、雛にもどうしたものか考えあぐねる様子だった。漣の音が幾度となく沈黙をさらうのにも狼狽えず、紫は時間をかけて私たちをその瞳に取り込んでいた。それから口を開いた時には強張った様子はもうなくなっていて、最初からそんなものなかったようでもあった。ささやかながら、今日は私が夕餉をご馳走しますと言った。
最後の晩餐は真新しい海の幸、懐かしき山の幸ときゅうりが使われていた。美味しいはずだし、実際とても美味しかったと思う。しかし私の気もちは沈んでいて、食べ物の味も分からなくなっていた。口に放り込む魚の身と唾液がいつまで経っても混ざらなくて、そのことばかり気になった。会話はなく、紫が料理の紹介をするなかで淡々と目の前の皿を片付けることしかできなかった。雛にしても、美味しそうな表情を振りまいていたけれど、それを言葉にすることはしなかった。
私は二つの大きな出来事に見舞われていた。まずは海にいるということ。これは本来の目的で、念願の達成を迎えることができた。旅の連れ合いも一つから三つに増え、充実したものになった。特に雛とは、心置きなく話せる別種族の妖怪として、また大切な友として巡り会えた。何一つ文句はない。手放しに喜んでいい、自慢したっていい。もう一つは雛との別れだ。彼女の本来の目的は私が砂浜で立ち止まるその先にあって、例え帰ってくるとは言われても、未曾有の別離に私はただ耐えるほかない。友を単身で見送って、私は何一つできないまま、海に辿り着いた満足感だけ幻想郷に持ち帰ればいいなんて、思うことはできなかった。
厄介なのは、喜びと悲しみに二分されるこれらが、表裏一体だったということだ。必ず両方が私たちの手元に来て、選択の余地も与えられずに遂行される。もちろん、それは捉え方の問題だ。雛はもともと裏のことだけ肝心だったし、紫にはどちらもおまけみたいなものだったろう。私は、出来ないとされたことを自分の力で実現させるために、海を目指していたんだ。なのに今、友の別離には打つ手がない。無力感が私の未熟なところを占拠した。
食事の後、疲れからか、すぐにうたた寝をしてしまった。紫と雛はなにか話しているようだったけれど、私はもう微睡みの淵から足を外してしまっていて、盗み聞きをするつもりもなかった。次に目覚めたのは夜半のことで、焚き火もすっかり眠り込んでいた。そこは暗かった。砂浜の外、市街地は燦々と輝いているのに、海はどこまでも黒かった。本当の夜が海の上で踊り、大きなうねりが風とともに耳へ踏み込んできた。あまりに極端な対比に呆れに近い感心を覚えた。容赦なく暗く、何も見据えることがない大海へ雛が流れて消えていくところを想像しても、すぐに闇と波間に見えなくなってしまった。本当にぞくりと背筋に寒気が走った。こんなにも広漠で、何もなくなるような場所を、澪標もなく漂い続けるのか? ただ流れるために流れて、どれくらい膨大な時間が費やされるのだろうか? ある意味では永遠に近似する、悠長な放浪を淡々と受け入れる心構えが、私にはなかった。
雛は起きていて、私の傍で腰掛けていた。雛なりの慰めだった。私と雛は延々と話した。短くも長くもない、旅の出来事を一つずつ拾い上げて、思い出としての装丁を施した。それだけが私たちにできる最後の共同作業だった。
「また会おうね」
雛が言った。ああ、私がその言葉を言えたなら、どれだけ良かっただろう! 雛は私のいろんなこと受け入れてくれたのにさ、私は結局雛のことを受け入れきれなかった。だから再会の言葉も先行きの不透明な旅立つ方に言わせて、戻るべき場所となる待つ方は臆病から伝えるべき言葉を、私が雛を暖かく送り出すべく言うべき言葉も言えなかった。不甲斐ない話さ。私はただ一心に祈るように相槌を打った。それを受け止めるべきは親しい友ではないはずなのに。
たとえ話が尽きようとも、私たちは眠ることなく海に向き合っていた。やがて背後から空が色づき始めた。日差しが舞い降りて、水平線に橙から蘇芳のグラデーションに舗装された光の一本道を作った。海はもう黒くない、空の色を反射して彩り豊かに輝いていた。山際から太陽の真円が現れる前に、雛は腰を上げた。
「行くね」
彼女は懐から流し雛を取り出した。私のために抱えられた好意に厄が注がれ、海に浮かべると自ずと水平線に向かって進んだ。雛は追いかけるように海に沈み込んでいき、腰のあたりまで浸かったところで立ち止まった。
空っぽな沈黙があった。周囲のざわめきを他所において、私たちはお互いの遠くにある顔にじっと目を凝らした。私は何か言わなければいけないと思った。実際、私は何か声をかけるべきだった。しかし海に溶けてしまいそうな—水のものとは思えない色彩にぽつんと佇む紅と翡翠の雛はどうあっても融けることはなかっただろう—姿に、声らしい声を忘れてしまっていた。早く太陽の日差しが欲しかった。私と同じように、雛も口を半開きにして、呼吸をするように声を失っていた。そこで初めて浮かべた辛そうな笑顔は、もしかしたら……。
言葉を頼れなかった私たちは手を振って別れを告げた。もしかしたら、波にさらわれて戻ってくるんじゃないだろうかと思った。でも、不思議なほどそんな気配を見せず、二つの雛はどんどん海の遠くに消えていき、二つの雛は離れていった。私は寒くなった。
後に残された私と紫は、雛がいなくなってもしばらく海を黙って眺めていた。紫がいつからいたのかは分からないけれど、見送りには最初からいたらしい。それだけ別れの瞬間は二人きりで執り行われていた。
「あの子、何も言わなかったわね」
私のことを言及しないのかと思いながら、私は頷いた。
「分からなくないわ」
紫は私と同じ方向を見やりながら言った。
「……戻ってきたとしても、置いていかれるのは辛いでしょう」
私は驚かずにいられなかった。紫みたいな大妖怪に、こんな心を理解するようなきっかけがあったのだろうか。私は素直に尋ねてみようかと思ったけれど、紫が次の言葉を紡ぐのが先だった。
「境界の件に関して、今回は許してあげる。次は自己責任でよろしくお願いします」
それは……今思えば、彼女なりの気遣いの一つだったのだろう。それから彼女はいつもの隙間を開いて、私を手招きした。雛を見送ってから時間はだいぶ経っていたから、踏ん切りがつくのは難しくはなかった。それでも何度も海に目をやり、空気を胸いっぱいに吸い込んだ。遅れて届いた太陽の煌めきの道と一緒に揺れている雛を、黒に染められてただ時を待つ雛を想いながら。あとは一瞬のことだった。隙間を潜ると私がこれからも生きていく故郷にすぐ差しかかって、完全に足を移し替えると、紐が切れたように今までの景色は消え去ってしまった。紫も同じように消えてしまって、しばらくはそのまま姿形も見かけなかった。
失意に打ちひしがれながら幻想郷に戻って、私はしばらく引きこもっていた。疲れもあったし、整理が追いついていないのもあった。姿を見かけなかったと話しかけてくる仲間には「やりたいことがあった」と言った。それでみんな納得した。
雛と再会するのは本当にあっという間で、呆気なかった。蝉と鈴虫がわずかな共演を果たす晩夏に人里で灯籠流しが行われ、運河を群れなして進む灯りに連れ添って、ふわふわと宙を浮いていたのだ。もちろん私は駆け寄った。雛も満面の笑みで私を迎えてくれた。
「おかえり、でいいのかな?」
「ただいま。そういってくれると嬉しいわ」
「早かったね」
「そうかな? いつも通りだよ」
「もう大丈夫なんだね」
「ええ」
それからも、私たちは仲良く過ごしている。時に真剣に語らい、時に愛おしき人間を助け、時に弾幕勝負をする。ともに海に向かった旅人として、長い旅路は何にも代えがたい礎となって、私たちの友情を支えている。
しかしそれでも、再会も、それからの不思議な友情も、素直に喜びきれない私がいる。雛から厄落としに行くのだと聞くと、あの日に私に取り憑いてしまった寂しさが大きくなり始める。私はしばらく海に行くつもりはなかったから、独りで旅立つ友を見送る。寂しさは一緒に旅立って、私の心を空っぽにする。
私たちはどれだけ仲良くなれたとしても、必ず一時的な別れを体験する。雛は大いなる儀式を経て、再び幻想郷に現界する。私にそんなことはできない、置いていかれて待っているだけ。肉体に執着しない存在のあり方、飄々としながらも現実を毅然と受け止めている姿が、私と同じ妖怪のようには見えなかった。あの海の旅で、私は私の未熟さを知り、弱さを受け入れてくれる友に出会い、その友に自分の未熟さを突きつけられてしまった。それは私が永遠になれない妖怪としての在り方だった。
たった十日ほどの旅から生まれた別離は埋めがたい距離を現出させた。連綿と紡がれていく友愛に胸を暖められる日々で、静かに横たわる遠い海をごまかすため、私は寂しさを影に隠すように微笑みを浮かべるようになった。それも海を巡る旅で手に入れたものの一つ。
これからの話は夏の前提で進めよう。
雨がとんと降らない珍しい天気が続いていた。夕立、つまり海からの速達すら届かないまま、夏は我先にと幻想郷に踏み入って、暑さだけを振りまく暴君になっていた。雨雲は中途半端な見てくれだけを拝ませながら夕陽を横切っていくばかりで、ランダムな空洞から生まれる紅い光の複雑な模様はちょっとした奇跡みたいだった。雨が降らなければ夏は太陽の独壇場で、あまりの水分不足に湿気も鳴りを潜めていた。後に八雲紫から聞いた話では、幻想郷にはとかく猛暑への愚痴がひしめいてばかりで、夏の風流は圧に負け、いよいよ夏空の青さも誰の目に映らなくなりかけたころ、人里の住民たちと本人たちのどちらが提案し賛同したのか分からないまま、二人の巫女がこぞって雨乞いをしたとか。唯一過ごしやすかった夜は風がいい塩梅で吹いていて、木の葉を揺らした音が神楽鈴になって昼間の過酷さを祓ってくれた。
連日の雨のない天候のおかげで川は穏やかで、土砂が流れないから水は澄んでいた。水位の低下も相まって川底の石を外から眺められるほどだった。これは私の冒険にとって、何にも代えがたい幸運だった。機を逃さないよう素早く、出だしでしくじらないよう念入りかつ丁寧に準備を整えた。あれが本当に集中している状態なんだろうね。世情が一丸となっていた夏への辟易を気にかける暇もなかったし、作業に一切の無駄がなかった。
最適化されて大きくも小さくもない遠征用リュックをしっかり背負って、私は早速出発した。まずは光学迷彩スーツの電源を点けるところから。私の視界に変化はないけど、よそでは透明になっている。景色に同化するこの隠れ方は、隠れるという行為につきまとう遮蔽物も可視化されないから、ポーズだけで筒抜けを許すこともない。私だけが客観的に私を見つけている点で認識が外回りに帰着する。自己完結、自己だけの完璧。浅はかながら、この優位性に私は心臓を高鳴らせていた。しかもこの時は隠れるべき目的があって、それに成功してるんだから、喜びもひとしおだった。興奮に呑まれないよう、抜き足差し足努めて決め込んで、道中の同胞たちを通り過ぎる。水遊びをしたり、暢気に酒に酔って騒いでいたり、制作物をいじっていたりして、そもそも私の方に視線を向けることはなかった。横目に見ながら、当時の私はそいつらが同胞であることをちょっとだけ受け入れがたく思っていたんだ。今じゃ恥ずかしいことだね。でも私は若かった。生きるということは真面目にこなすべきで、精進なくては腐るばかりと思っていたんだ。そこらへんでちょっと足の運びはそそっかしくなり、いくらか慎重さに欠けながらも川辺へ辿り着いた。
何度も首を巡らせたけれど、邪魔になりそうな事物は一つも見当たらない。事前の想定では必ず一つや二つ対処すべき問題が現れると思い込んでたから、逆に不安にすら思った。ま、疑っていても仕方ないし、やらなきゃいけないことはどんどんやっていかなければいけない。私はそろりと、足を片方ずつ水に入れた。からころと河原を乗り越え水打つ川の流れは透明な足に分かたれて、絹に指を滑らせるような優しさになった。いつもは適当に飛び込んでいるものだから、その勢いの弱さは新鮮だった。そうして地上から水中へ、体の属する世界を移し替えて、必要でもないのに大きく息を吸った。肺を胸いっぱい膨らまして、誰にも見つからないよう川の底すれすれまで一気に潜水して、しばらく這うように川を下った。
そうして、海を目指す私の冒険が始まった。
当時の私は若くて、体のひと回りくらい心が未熟だった(正しい比較ではないけれど、感覚は大事だ)。知識と経験が充実していく精神が、それらを一通り疑うような時期に差しかかっていた。つまり何ものでもない時期というわけさ。
私が生まれたころにはすでに幻想郷は結界に囲われていて、親の世代(人間の五倍か十倍くらいの換算)も海を知らなかった。老いた河童たちが海についての唯一にして最高の語り部で、知らないことをなんでも知りたがる無知な若者がせがむと誰もが喜んで口を開き、自信と達成感を前借りして自分勝手な海を並べ立てた。仏を信じている河童は無限そのものと、泳ぐのが好きな河童は最高の遊び場だと、仙人まがいの河童はすべての還るところであると言った。私の好奇心は海を捉えて離さなかった。そんなに広大で、水が今よりたくさんあって、素晴らしい場所じゃないか。でも誰彼も好き勝手なことを言い回るだけで、どれが本当の海だか分かったものじゃない。私はもっと具体的な海が欲しかったから、細部に至るまで語り部を問い質した。だけど、そういう疑り深い子どもは恍惚を恵む空想の大海に汚れを差すだけの存在で、邪険にされるか言いくるめられるか、果ては年の功で黙らせられるだけだった。
私は思ったよ、海の味も匂いも、中の景色に魚や植物も適当だらけで、ありのままの姿を知らないなんて。今まで誰も本当の海というものを知った試しがないみたいじゃないか。だから私は、私自身が海に行かなければいけないと決意した。それは一方的な盟約なのに、あたかも不遇の立場に追いやられた忘れられたものと一蓮托生しているかのように思っていた、未熟さゆえにね。私の憧れは常に狭き幻想郷の空の向こう、空を色づけると噂される彼方に向かっていた。
行くのは勝手だと思っていたのに、誰も海に行くのを勧めないどころか、反対されたときは頭に来たね。川と海は違う、河童の生存できる領域はない、そういうことを大した根拠もなく風潮されるだけ。ま、一応それなりの根拠もあるにはあったんだ。海には海の妖怪がいて、同じ河童でも川と海で暮らしぶりが違うとか、独自の集団社会を構築しているってね。それは確かだった。海に辿り着いた時、そこには全く知らない妖怪たちがいて、私はよそ者かまれびとの立場だった。私みたいなぽっと出が、考えなしに居座れるようなところじゃなかった。この目で確かめるまではどれも出まかせの域を超えなかったわけだけど。それに、こっちの方が重要かもしれないけれど、警告の文句を吹聴するのは、決まって老河童の毒牙に直接かかった親の世代だった。好奇心はあっても冒険心まで持ち合わせてる河童というのが珍しかったのか、直に言い含められてまで旅立つ者もいなかったわけだ。ただ、どんなもっともらしい諌め言葉も世代を、時間を跨げば風化する。同じ言葉が巡ってくるころには権力は弱まり、それを乗り越えるだけの気概—勇気という名の勢い—が私にはあった。
海に行くには独力で準備するしかないと早くに気づけたのはかろうじて収穫だった。だからこれから私なりに海を調べていくんだけど、まだ子どもと見なされて、能力も確かに未熟だった河童が自由に物を調べられる範囲なんて高が知れていた。しかしどの世にも例外というのは存在するみたいで、一体だけ海に行ったことのある河童と私は知り合うことができた。そいつは例の親世代でありながら、反抗心とそれに説得力を持たせるだけの賢さをもった変わり者で、つまり私と同類だ。ごくわずかな信頼できる仲間と結託して、親たちの神話を打ち崩さんとして、しれっと海に行って帰ってきた。私はそいつにかなり世話になった、というのも出会えてなかったら海に行く前に死んでいたぐらいだ。幻想郷の外に出るというのはそれだけ危険がつきまとう。そいつは海についてよく知っていた。それこそ、海の妖怪の話とかはそいつから聞いたんだ。だけど、あまりたいしたことは語ろうとしなかった。海と河童の付き合い方には中立的で、年寄りたちの警告は大げさだと言ったが、理解できることもあると言った。私は眉をひそめたけれど、一妖前になるとはそういうことだと丸め込まれた。若き私の心境は、年をとることはろくでもないな、だ。
だけど、海を目指した理由は純粋な憧れと好奇心だけではなかった。外に行くこと、今の場所より広い場所にいくこと、無償の安住の地から離れることが、そのまま自分の成長の糧となり、またその裏付けになると思っていたんだ。それには長者たちの盲目的な大海隠蔽の他に、幻想郷の実態を知ってしまったことがある。幻想郷は妖怪が生きるために閉ざされる必要があって、今は形骸化した人間との対立関係のなかで共生している。妖怪であれば、箱庭で自給自足が成り立つメカニズムは知らないといけなかった。まるでおままごとみたいだと思った。そして私の知らないやつらの、銘々の勝手な思惑に囲われていること、閉塞した常識、そういったものは反抗期には格好の攻撃対象だった。それだけのこと。単純で若かったんだ、今も実はそう変わってないかもしれないけれど。でも、現状に不満を抱いているなら、やっぱり動くしかない。特に若さだけが売りのころには。
序盤はひたすら川の流れに身を任せて進んだ。体は押しに押され、あえて乗っかって、ぐんぐんと水を切っていった。気もちも加速した。水に包まれた世界は静かで、変化に富んでいた。光は煙のようにくゆって、青と緑が緻密に折り合うのをさらに奥深いものにしていた。耳をふさぐ水圧の半透膜を通って、私を追い越していく水の音と私が追い越した水の音、二つの進行が私のなかにあり、そこに外の音—風や鳥、落ちてくる木の葉、夏の日差し—も滑り込んでくる。妖怪の山では池や湖、滝壺といった水の溜まり場で広々と泳いでたもんだから、川の起伏が激しいのは案外驚きだった。川の上流なんて元より、それなりに下ったと思っても大小様々な岩がごろごろ転がっていて、地上を歩かないといけない場合もあった。不便ではあったけれど、それもささやかながら確かな発見だった。
夜が近づくにつれて、水中の見通しは急速に悪くなった。濁るのとは違って、これから体が向かうべき場所に水そのものがなくなってしまうような感じだった。前後不覚からの感覚喪失。岩場の多さもあって、川下りは早めに切り上げて野営の準備をした。本当は夜もけっこう進むつもりでいたけれど、そうならないことも想像を働かせて事前に心得ていた事態だったから落ち込みはしなかった、むしろ未知の冒険を制御できている優越感を覚えた。この時に限らず、旅の間は常に早めの野営を心がけるようになった。それは知らない道を真っ暗なまま進んでも危険だからでもあるし、海の途中の場所もしっかり堪能するためでもあった。
冒険中の夜はきゅうりを頬張りながら一日を思い返していた。初日のこの日は、出発から今目の前で焚き火を起こすまでの動向に加えて、この好奇心の原点と出発の動機に、事態に付随する内心など、思い出すことがたくさんあった。私は「海だ」と呟いた。ペースは充分順調だった。だけど幻想郷を出るにはまだ至ってないと感じていた。なにも確証はなかったけれど、そんな気がしたんだ。幻想郷は思ったより広いらしい、それは悪くない発見だった。そして私の目的地はその広さ—限界の先にある。星を見逃すのが難しいくらい澄みきった夜にハンモックを拵えて、焚き火が自然と絶えるのに合わせて眠りについた。
冒険の始まりは一人で静かに行われた。それがどういうことか、あえて言えば、散々私を諌めてきた同族を出し抜くことができたということだ。そうして何の追求も来ないまま夜明けを迎えてしまうと、もう私の計画は完全に揺らぐことがないように思えてしまった。独特の寂しさの濃い出立の初夜を払う太陽が私自身の能力の証左、現実的な成功の象徴みたいに輝いていた。これからの道のりを考えればまだろくに進めてもいなかったのに、海がますます近づいている気になって、もう目の前にあるようですらあった。本当になんでもできそうな気がしていた。
しかし、冒険には予期しない出来事がつきものだ。初めて私と雛は出会うんだ。
岩場に差し掛かり、乾いた岩を徒歩で渡り歩いている時だった。人気のなかった自然の風景にぽつんと、雛の後ろ姿が現れた。なにかを覗き込んでいて、困っている様子は見て取れた。順調な旅路にすっかり気分を良くしていたものだから、私は考えるより先に声をかけていた。久々の、といっても一日しか経ってないんだけど、誰かと会話できる喜びに浮かれちゃったのさ。最初はちょっと驚かれた。まさかこんなところで声をかけられるなんて、誰だって思わないだろう。頭が空っぽだった私も思わずたじろいで、せっかくの気前の良さもすぐ臆病に変わりかけた、けれど、それも雛が謝るまでのことだった。それで安心。仕切り直し。お互いに納得のいく挨拶を交わした。
雛は、流し雛が岩の窪みに引っかかってどうしたものか、と悩んでいた。最初それが流し雛だと分からなかったから、私が「これなに?」と指差すと、「流し雛よ。絶対触っちゃダメ、絶対ね」と雛は強めに忠告してきた。なぜなら、実はこの流し雛、雛自身の厄を流すためのものだったんだ。他とは全く比べものにならないくらい危険な代物さ。当時の私は流し雛も厄も全く分かってなかったから、他者に自分の物を触ってほしくないんだなくらいにしか受け止めてなかった。なるべく自然のままに動き出してくれるのを根気強く待っているのも、彼女なりの主義に基づいた奇行なのかと思っていた。流し雛は絡み合って弱まった水流にあやされるように揺さぶられるだけで、一向に脱出する気配はなかった。結局、私の能力で川の流れをちょいといじって、流し雛を救い出した。後から、雛が触って動かすぶんには問題なかったと分かるんだけどね。とにかく、予想外の救出劇に雛は感動していた。
「すごい!」
喇叭のように溌剌な声だった。
「あなた、もしかして河童なの?」
「そうさ」私は得意げに言った。「非力な盟友には力を貸さないとね」
「盟友?」
「そうさ。あんた人間だろ?」
私は最初、雛を人間だと思っていたんだよ。笑えるだろう? 雛にも笑われた。あんまり私が得意げな様子なものだから、雛もあえて乗っかって、納得したように振舞っていたけれど耐えきれずに吹き出した。「私、妖怪よ」と言われた途端、私はすっかり言葉に迷ってしまった。冷静になってみると、おかしなことがいくつもあった。まずは出で立ち。紅くてヒラヒラしたドレスを身にまとっていて、見た目は綺麗だけど、どんな目的でもこんな山奥には似合わない格好だった。しかも川の上に浮いていた。他にも色々あるけど、なんにせよ少しでも気にかけていれば間違えなかったはずなのに、我ながら恥ずかしいことをしたもんだよ。人間だと勘違いした挙句、不用意に正体を晒して、私はいたく落ち込んだ。独りで冒険できているのを喜んでいたばかりなのに、自分で台無しにしてしまったわけだ。
お互い妖怪同士で、特に私の警戒した連中と結託しているようだったから良かったけれど、不運の持ち主にどう接したものか私は悩んだ。すると雛は慣れた様子で「そんなに強張らなくていいよ」と言ってくれた。そこでなんとなく、こいつは大丈夫なやつだと感じた。鍵山雛との邂逅はそんな感じだった。
「まず自己紹介しましょう。私は鍵山雛」
「河城にとり。にとりでいいよ。よろしく」
「よろしく。河童でいいのよね?」
「まあ、そうだね。そっちは?」
「厄を溜め込む妖怪。簡単に疫病神だと思って」
「え、本当? 様づけしないと祟られる?」
「あはは、普通に雛って呼んで。本当の神様じゃないし、祟るのが好きでもないし」
遅れた自己紹介をして、成り行きで一緒に歩いた。誰かと話せるのはやっぱり気もちが良かった。特に歩くのに余計な頭を使わなくて済む。雑談の話題が、流し雛は今どこにいるだろうとなったところで、ちょうど目の前に現れた。新たな入り組んだ岩場にまた堰き止められていた。私たちは二人で肩をすくめた。もう夜も近い頃合いだったし、その場でともに腰を落ち着けることになった。
その夜は雛と長い談話することになるんだけど、それが本当に楽しかった。周囲の林で拾い集めた木の枝で起こした焚き火を囲いながら、私たちは川下りの目的から幻想郷の生活、個人的なこと、集団的なこと、そんなたくさんのことを一晩中語りあった。妖怪に睡眠は必須じゃない、だから私たちはいくら夜が深まろうとも口が回る限り話して、そのまま朝を迎えた。川のせせらぎを横に、木製の湯呑みの煎茶を啜りながら、雛の顔を見て、目を合わせて、暗闇の大地に首を巡らせ、夜天を仰ぎ、明け日の出に青ばむ空に感嘆した。川下りの旅の間は夜更かしの会話がよく行われて、睡眠が会話にとって変わったみたいだった。火が途絶えて暗くなっても、薪を用意するのが億劫でそのまま話すこともあった。
雛は自らの厄を払うため、海へ向かっているそうだ。水の大きな循環が厄を清めてくれるらしい。流し雛は自らの厄のいくらかを負担させるためのものだった。いくら厄を溜め込むことが生きる糧とはいえ、危ない代物であることに変わりないので、定期的に浄化する必要があるらしい。私は単純な好奇心と冒険心から、海を見に行くのだと言い切った。雛はすぐに面白そうだと言わんばかりの笑顔を向けてきた。
「あなたって物好きなのね。海に興味ある者は多いけど、わざわざ冒険なんて」
「そうかな?」
「うん。素敵よ」
雛は些細なことでも自分が良いと思ったら遠慮なく褒めるところがあった。しかも下手な気遣いのない、全くの善意だったから、疑り深くて認めてもらいたがりな当時の私はすっかり雛に懐いてしまった。また違った意味でも、彼女は優しかった。疫病神と遭遇したからには厄払いをする必要があったけれど、お互いに気を許し始めた仲を台無しにするんじゃないかと思って私は躊躇っていた。中指と人差し指を軽く交差させた手を見せながら、私は煮え切らない態度で聞いた。雛は快く同意してくれた。「用心深くて結構」という後押しの言葉にも嫌味は混ざっていなかった。それがあまりになんてこともないふうだったから、つい私は「嫌じゃないの?」と聞き返してしまった、恥ずかしいね。でもさ、雛は答えてくれるんだ、なんの底意もなしに。
「嫌じゃないって言えば嘘だけど、それで不幸になられるくらいなら、いっそ冷酷にされたって構わない」雛はすらすら言葉を紡いだ。「私たちは妖怪で、人間より力があるけれど、人間より勝手が聞かない。特に種族の違いなんてさ、きっと個の違いより先んずることはないんだ。私はあなたと仲良くなれて嬉しいし、そういう個の繋がりを大切にするためにも、そこはきっちり割り切ってもらっていいよ。そうしてもらいたいな」
私の雛に対する印象はそれで決定した。雛は正真正銘の良いやつで、私が好きなやつだ。だから次の言葉はこうだ。えんがちょ。
奇妙な偶然から、海への川下りはそのまま雛と連れ立つことになった。最初こそ流し雛を先頭に進んでいたけれど、遮るものがないとどんどん先に流されていくものだから、日中の私たちは黙々と追いかけて周りを見る余裕もなかった。もっとゆっくり進もうという提案があって、流し雛は雛が所持しておくことになった。それで私の出しゃばりが余計なことだと判明して、また落ち込むわけだ。それからの旅は進行と休止のメリハリがあるものに変わった。雛はせっかくの同伴者に馴染みある海への道のりを楽しんで欲しかったようで、私が見えるものにいちいち反応するたび顔を綻ばせて、話を聞いてくれたり説明をしてくれたりした。
幸いなことに私たちは気が合うことも多くて、あっという間に打ち解けていた。最大の共通点は妖怪でありながら人間を友好的に思っているということで、この繋がりが私たちの今後を引き寄せてくれたといっても過言じゃないかもしれない。もちろん鏡写しのような相違ないものではなくて、特にその信念に基づく人間への態度は雛の方がより直接的かつ献身的で、私はまだ理想主義の絵空事に留まるのみだった。
「私だって特に何かをしたわけじゃないわ。人間の不幸を集めないと生きていけないから、近づくほかなかったんだもの」
「それでもすごいよ。私、遠くで眺めているだけだもん。うまくやりとりできる自信なんてないや」
「妖怪だって人間に会うのが怖いやつもいるわ。嫌われて敵視されてるって分かってるのに、真正面から向き合うなんて辛いじゃない」
「だったら会うことも不幸のひとつなのかも」
「ひどい」
「あはは」
幻想郷の結界を越えたのは、雛と一緒に出発した午後のことだった。境界は特に縄や敷居みたいな物理的な線引きがあるわけではなく、妖力の気配もほとんどなかったけれど、感覚的な訴えは確かにあった。静電気のような反発感か、朝霜と向日葵の温度差か、水面の表裏一体の疎外感か、あるいはその複数だ。実態のない越境の瞬間だけが体のなかでやけに膨らんでいって、水を掻き分ける手もつい強張ってしまった。すでになんども厄流しに赴いていた雛は慣れっこだと言っていたけれど、やはり緊張は免れ得なかったようで、神妙な顔立ちで正面を向いていた。お互いに予感が現界する衝撃に身構えていた。
見えないものは見えず、ないものは触れられず、まさしく境界に差し掛かったときも認識することはない。予感は群衆のように物量を増し、事が起きる一瞬を見逃さんとする衆目の檻に晒されながら、独り私は川を進む。そして、おそらく境界を越える瞬間、予感はついに弾けた。口にし難い変化が架空の痺れとなって私を震わせた。私は雛に顔を向けた、私の感じたものをすでに最初から同意していたというふうな顔つきで頷いた。しかし後にも先にもそれだけ、越境はそれくらい事もなくなされた。冒険の開始から三日ほど経っていた。
見立てよりは時間がかかったけれど、忘れられた箱庭の狭さをようやく実感をもって認識することができた。あとはもう広いだけの新天地、全てが私を養う糧だ。わくわくが止まらなかったね。その反面、幻想郷の境界が私たちの存続を保障するためのものだという、信じることでしか信じることのできなかった神話が、外に出てくることでようやく強く理解させられた。まるで山頂に向かっているみたいに、空気が薄くなった気がした。
そういえば、季節の曖昧さと同じで、海を巡る雛との同行が冒険か、それとも旅なのか、少し混同している。分かりづらいとは思うけれど、こればかりは私のなかでも折り合いがついてないから、語り聞かせるままなのを許してほしい。
旅か冒険か、とかく海を目指して出発したときから、天気は真っ当に夏らしくなっていた。それまで音沙汰のなかった夕立が初日の夕暮れにひょっこり訪れた。それは粋な見送り、あるいは海からの招待状にも思えるけれど、雨がないから出発したわけで、ちょっと意地の悪いレスポンスに映った。でも久々の雨だったのも確かで、降り注ぐ水滴はとても気もち良かった。雨雲は私をさっと通り抜けて、後ろに置いてきた故郷に向かっていった。
たった十日の旅の半日以上は雨が降った。思えば、それはそれでずいぶん勢いづいていた。きっと雨も降りたくて仕方なかったんだろう。そして大半は夕立だった。昼間はとにかくかんかん照りで、水中で快適に過ごした時もあればぬるま湯に身を浸しているような時もあったし、徒歩で河原の石と一緒にじりじりと焦がされる時もあった。夕立は葡萄のような雨玉を密に打ちつけてきて、目を開くのも痛いくらいだったけれど、私たちは高笑いしながら進み続け、一日の暑さを洗い落とした。一日中雨が降っていたのは二日だけだったけれど、どれもひどかった。夕立でもそうだけど、雨で体を蝕むほどに湿気が増し、それが一日中となると溺れたみたいに息苦しくなってくるんだ。しかも水場の近くで、草木も鬱蒼としているから一層水気が立ち込めた。それに川は荒れてしまうし、濁って前も見れやしないから、停滞を余儀なくされた。特に折り返しをすぎたころにとてつもない豪雨に襲われて、あれは八雲紫がいなかったらずぶ濡れのまま海に辿り着くことになっていたね。
そうだな、この流れでいけば確かに桜に出会う。それも冒険のなかで出会った数奇な偶然の一つだった。奇跡と言えば聞こえはいいが、限度を超えればただの異常にほかならない。雛ですら「都合の良いことには必ず裏があるのよ。呪いとかね」と訝しがっていたくらいだ。
幻想郷の境界に接近していたときから空は暗雲を立ち込めていた。先行きの暗喩を見いだすのは都合のいい解釈だろう。いつ降ってもおかしくなかった、すでにぽつぽつと水面に模様を浮かばせていた。越境の緊張は環境が受け取っていたぶんもあったかもしれない。それでも私たちが外に出るのを見計らうように、曇天は次の状態になるのを我慢していた。
降り出してみるとごく普通の長雨だった。一定の勢いで延々と水の降り走る音が長閑な安らぎをもたらして、水面で耳を澄ますと川の流れる音とよく馴染んでいた。私たちは雨が降り始めたところで停泊することにした。夜も絶え間なく続く水の音たちに囲まれながら夜を明かしたけれど、翌日も雨は降り続けて、初めて一日の停滞を経験することになった。
少しでも早く海に向かいたい気もちはあったけれど、停滞のおかげで周辺をじっくり散策する時間ができた。そうして二度目の夜は雨とともに明けた。
日を跨いで長く降りそぼった雨のおかげで、景観は霧を深く纏っていた。視界の悪さと川の複雑な蛇行が重なって、進むごとに視界が死角へ、死角が視界へと目まぐるしく移り変わっていくのにしか注意を傾けていなかった。水面からだと十分背丈の高い雑草と影絵のように大きく伸びた雑木が奥に隠していた丘に、その桜は手品みたいにぽっと現れた。遠目でも、異常ゆえか季節外れの賜物ゆえか、今まで見てきたどんな桜よりも美しかった。つい声が出た、見惚れた。儚さを謳う桃色のシルエットが霧に広く薄く引き伸ばされた姿は、手の届かない桃源郷を霞に投影しているようだった。それでも歩けば届いた。霧の夢じゃなかったわけだ。
まるで視界に飛び込んでくるような現れ方は深く好印象を刻んだけれど、もとより桜の存在感は一線を画していた。あえて言えば月と同じかもしれない。近づけばそれは一層強まっているはずなのに、依然としてどこか掴みかねるようなところを保ったままだった。磨りガラスの外の色彩が大きくなったようなもので、それは全て霧のせいというわけでもなさそうだった。幹の男性的な逞しさは腕で抱えきれないほどの太さと、木肌や瘤が不規則に波打つ荒々しさから生まれているようで、炭のような黒い艶を蓄えた体にどうしたら冬の夕立のような淡い花びらが自ずと備わるのか、てんで分からなかった。一度認識してしまうと、桜は意識の真ん中を占めた。あんまり綺麗なものだから、私はここで一晩を明かそうとした。雛も二つ返事で了承してくれた。
ここで八雲紫が出てくる。想像できないだろう。私にとっては初めての出会いだったから、予想もなにもあるはずがなく、まさしく無から突然よくないものが誕生したみたいな出来事だった。今はどう思ってるか? 別に良くも悪くもないよ。掘り下げても仕方ない話だ。
幾度となく風が地を撫でて、ようやく空気らしい空気を吸い込んでいる心地がするようになるほど、夜も深まっていたころだった。最初は河原で食事をしていた。川に浸したきゅうりを齧りながら、昼間に獲った鮎とイワナが焚き火に炙れていくのを眺めていた。切れ込みから油を滴らせ、火が弾けるにつれて旨味が増していくようだった。きゅうりがなくなると、今度は近場で採取したワラビとタラの芽を焼いて、それと魚の焼ける匂いを肴に雑談をしていた。
焼きあがった魚を一身に貪り、満たされた体と心をゆっくりと桜の木に移していった。丘は桜以外に空を遮るものがなくて、仰向けになれば星空が諸手を広げて迎えてくれた。お互い時間をかけて熟成された眠気に酔ったふうで、散発的になりつつあった会話をよそに、このまま心地よい睡眠が訪れるのを待っていた。
しかし急に、夜空が割れたのだ。本当に割れたという表現が正しい。もしこれが境界を操る妖怪のせいでなければ、私は超現実とかSFというものに傾倒するはめになっていたかもしれない。内部でドロドロと渦巻く紅い裂け目からにゅっと出てきた女も、この超常現象に付いて回る象徴的な符号なのかと思った。怪奇の主は気さくな挨拶をしてきた。私は声を出せずにいたけれど、雛は難なく返事をした。「今回もご苦労ね」と紫は労い、雛は「大切なことですから」と慇懃に応じた。両者はすでに知り合いだったんだ。
私も遅れて挨拶したけれど、私と紫の温度差はひどかった。なにしろ向こうは無断で境界を越えた愚か者である私を咎めるために来たから、当然の話だ。博麗大結界が生活を快適にしてくれる便利なものぐらいでしか体感していなかった私からすれば、境界の管理者がいることもろくに把握していなかった。八雲紫が詰問を仕掛けてきた時も、河童の仲間たちが追っ手を差し向けてきたのだと思っている節すらあったけれど、すぐに誤解だと気づいて、そして詰問は単なる尋問で、彼女は審判者として、つまりルールを破った者の意志に見向きもしない処刑道具としてここにいるのだとやっと気づいた。私は心底穏やかでいられなかった。
「自分がしていることの愚かしさを分かっているの?」
紫は愚かしさと断言した。
「あなたみたいな小童、外ではその忘却とともに、存在を失うだけよ」
激しい反論に、私が諦めまいと言い返した言葉は「海を見ようとしただけだ」だ。まるで子どもみたいに、明確な意思と我が儘を履き違えたまま、物事を推し進めようとしていたんだ。私は自分を守ることばかりに必死で、紫の言葉もろくに理解できていなかったし、理解しようともしていなくとも、計画を断念させる雑音に噛みつく程度のことしかしていなかった。だけど、そういう無知なところが良くも悪くも紫を折れさせるきっかけにはなったんだろう。急に黙り始めて、私はついに実力行使かと身構えていた。
そこで雛が助け舟を出してくれた。いろいろ言葉を尽くして説得してくれて、要するに「海に着いてから考えればいいじゃない」ということを伝えた。もちろん紫は反論を並べ立てた。威圧感を目眩しに、婉曲な言い回しで煙に巻く周到な語り口にやり込められず、雛はよく対応した。流し雛のように流れに気ままな姿が先行していたので、毅然とした態度に胸を打たれずにはいられなかった。言っている内容は依然として分からなかったけれど、ただ助けてくれていることに感謝していた。
「河童が海を知ると、井戸が広くなるのかしら?」
「にわか雨くらいは降らせられるでしょう。だから潤う。でしょう?」
決定打となる最後の問答はこんな感じだった。意味が分からない? そうだな。まあ難しい話なんだ。とにかく、そこで紫は肩をすくめて、私の川下りを許してくれた。冒険を続けられる喜びより大妖怪との対峙が終わった疲労感が優って、私は干物みたいになっていた。雛の対応には紫も驚くところがあったようで、素直に褒めていた。雛は理由をこう説明していた。
「警戒した人間の相手をしなきゃいけないからねぇ」
紫は「献身的なこと。ええ全く」と評価した。それから言葉少なに、特に何でもないようなことを話して紫は再び隙間へ消え去った。最初から最後まであっという間で、台風の最中に巻き込まれたようだった。私は真っ先に雛に礼を言ったよ。
「ありがとう」
「お構いなく。友だちでしょ」雛は言った。「あとはあなた次第よ」
この言葉は本当に的確だった。自分が始めた事なのに、少しでも障害が出るとすぐ臆病になって、意志薄弱になってしまう。助けられたのはありがたかったけれど、私自身としては全く不甲斐ない話として記憶に残った。やるからには最後まで気もちを固めていかないといけない。どんなことをしても、どんなことがあっても、最後まで意志を貫き通さなければいけない。私は気を引き締めた。奇しくも、そこは目的地までの折り返しだった。その先は覚悟なしにはとても進めない道のりだった。
私は寝つけなかった。八雲紫のことで目が冴えたこともあるけれど、主に密やかに勧められていた冒険がここに来て妨害にあったことで思っていた以上に気落ちしていた。また冷静に八雲紫の言動を反芻していると、その対応は脱走に対する糾弾というより、どこか私が見舞う危険への忠告のように思われて、真偽はどうあれ、攻撃的な態度を取るに取れなくなっていた。わざわざ口論なんてせずとも、やりようはいくらでもあったはずなのに。眠たかったかもしれないけれど、相談に雛は付き合ってくれた。そんなに私が目指しているものは褒められたものじゃないのかな? 雛はそんなことないと言った。はなから海に行くほかない雛は、境界の管理者からすでに実質の了承を得ていた。
「初めて会った時、私もにとりみたいに言われたものよ」
「そうなんだ、でも雛は仕方ないじゃん。どうしたの?」
「うん。だからすんなり収まったよ」
「いいな」
「ねえ、海に行きたいんでしょう?」
私はゆっくりと、徐々に自分のなかの凝り固まった懐疑心や反抗心を少しずつ削り出して、根底にある感情を引き出して、雛に打ち明けた。今語っているほどはっきりではないけれど、海に行く動機が本当に好奇心から成り立っているとは限らないと分かってきたんだ。雛はどんなに格好悪くても受け入れてくれた。そのうえで彼女は沈黙を守った。だから私が自分の意思を明確にするしかなかった。海を諦めることはできなかった。
翌朝、八雲紫はまた現れた。私は改めて意思をぶつけた。宣戦布告に近かったけれど、負けを喫した敵に対する気概を再獲得するというより、挫けかけた自分に向けているようだった。彼女はにべもなく納得した。多少は反駁されるとばかり思っていたので、意外な決着に肩透かしを食らうだけだった。しかも紫は同行するとすら言い出した。理由を尋ねても「せっかくの機会だし、旅は道連れ世は情け」と適当なことを言うだけだった。監視が目的かと睨んだけれど、それは副次的なものに過ぎないと感じた。なんにせよ、許されざる冒険を黙認された立場では否定できなかった。雛は賑やかになると純粋に喜んだ。
思えば、この瞬間にすでに結末の寂しさは生まれていたのだろう。でも、私は自分のことで精一杯だった、いつだって。旅の終わりについての想像は、まだ私の届くことのできないところにあった。
一日を丸ごと飲み込む長雨は消え去ったけれど、川には葉が散らされた濁流が押し寄せたり、土のぬかるみが深かったり、植物が露に濡れっぱなしだったりと、名残は濃く残っていた。例の桜も全身を濡らし、細く輝きを溜めた雫を枝や花に滴らせていた。快晴の蒼いキャンパスにくっきりと全容を映した。曇天の霧霞に溶け込ませていないのに、今度は陽光をすり抜けさせているようで、存在そのものの不確かさ、ある種の透明感はもはやこの桜の特質らしかった。それでも綺麗なもんは綺麗だ。私が見惚れている横で、紫は呟いた。
「これ、曰く付き、呪いよ」
「雛も言ってた、同じこと」
「あらそう。なら間違いないわね」
扇子で口元を隠しながら、紫は私をねめつけた。私は思わず視線を逸らした。危ないものに近づくなくらいの言い草だったのかもしれないが、当時の私には観賞に水を差す嫌がらせだと思った、あるいは雛との思い出をなぞるような嫌がらせ。私は言い返した。
「おっかないのは確かだけど、綺麗なものは綺麗じゃん」
紫は桜に顔を向けたまま私に視線を向けて、言葉を吟味するように黙って見つめ返してきた。なぜだか、その佇まいをガラスの窓みたいだと思った。人間的な反応、その印象の素朴さに、私は静かに言葉を待っていた。紡がれた言葉はこうだった。
「そうね。この桜、とても綺麗ね」
幽明の桜に対の眼差しを投げかけて、遠くから呼びかける雛の声で二人とも背を翻した。
旅の道連れは三つとなったけれど、私と雛で川下りをする今までの態勢には特に変わりはなかった。最後の参入者である紫は境界の隙間から気ままに現れて、合流と離脱を繰り返した。賑やかになることも気まずくなることもなく、川水が一通りに上から下へ流れ続けるような恙なさで海への旅を継続できたのは、さすがというか、紫の立ち回りの妙が冴えていた。一時は対立していた同伴者にいつでも馴染めなさを覚えてしまっていたけれど、意識の変わり目、緊張と弛緩の継ぎ目、休息を潤す安心に滑り込むように現場に合流するから、ハリネズミのように警戒することはあまりなかった。今だから言えること、だけど。
景観は一転した。幻想郷の賢者の出現をきっかけに、世界が次の舞台を持ってきたようですらあった。
川は低地に行くほど地を這うように歪曲し、これに沿って民家を散見するようになったと思うと、いつの間にか自然を置いてけぼりにして、私たちは市街地に踏み出していった。旅路のそれまでは慣れ親しんだ環境の延長に過ぎなかった。既知と未知の臨界点というのが確かにあるみたいで、真新しい環境に心身の全てが違和を主張した。外界に身を乗り出した時よりも、冒険の危機的側面に直面している気がした。ここからは全く知らない世界なのだと。
少し戻って、幻想郷の生活水準と照らし合わせれば、山間の集落ですら私の常識からの逸脱の気配をぞんぶんに漂わせていた。ゆとりある家の庭にいかにも金属質の箱や手押し車(前者は車で、後者は耕作用の機械だと八雲紫に教わった)が並んでいたり、屋根を突き破るような金属の樹(アンテナ)が生えたりしていたのが、ぱっと見で分かる変化だ。あと、妖怪だからこそ鋭敏に感知できる変化として、神社や道祖神の存在感のなさが挙げられる。私たちの知っているそれらは、毎日熱心に掃除に来たり参拝をしたりする人間がいたけれど、外界では苔と時代の風に晒され、もはや中身に何も宿していない空っぽの自然造形物に過ぎなかった。強力な形骸化の実例だ。私は薄ら寒さを覚えた。忘失の過程を辿った主体を私に置き換えることが、外の世界にいる当時の状況では容易にできたからだ。
コンクリートとやらで出来た不気味なほど平らかな道を除けば、山間部の自然環境はまだ私の馴染みあるものに近かった。水場の周りを開拓して、山あいのなかで長閑に暮らす人々がいて、昼間は子どもが河原や田畑で元気にはしゃぎ立てていた。田んぼや畑が豊穣を呼び込む鮮やかな色に染まり、夏の日差しをいっぱいに吸っているなかで、人々が隠れんぼをしていた。それでも海に近づくたび、夥しい民家を伴って風土と時代は変遷の波に飲まれていった。
外の世界は全体的に自然が少なく、すべてが人工物、それも加工が念入りに施されたコンクリートか金属に取って代わった。川は時々ひどく無機質な印象を帯びていた。それはコンクリートの土手やいかに壊れなさそうな橋が河川を危険なものとして隔離するように囲い込んでいるからだったかもしれない。川の孤立具合は海に近づくほど顕著で、土手に加えて柵まで設けられていた。もはや囚人みたいな扱いだ。河口という地形も山育ちの私には初めての景色だったけれど、感慨よりも人社会の密度に窮屈な気もちが強くわだかまった。まるで砂地獄のように川が人工物を引き寄せているようで、明らかな物量の多さにむしろ窮地に自ら追い込んでしまっているようだった。人間は安全な場所から川を見物したり、散歩だったり、道具を使って遊んだりするだけで、あえて水の中に入って遊ぶようなことはなかったし、川原に腰掛けるということはほとんどありえなかった。人間の生活を私は川面から眺めているだけで、河童の出る幕はいかにもなさそうだった。
外界の市街地に入り込んでいったのは冒険の七日目、旅の七日目だった。初めて見るあれこれに目を奪われ、心を奪われ、私は忙しなかった。これまで過ごしていた幻想郷の常識を明らかに逸脱した新しさ、革新性に深く関心はしたけれど、逆に空恐ろしさすら覚えもした。そんな私に喝を入れるかのように、天気は急激に悪くなった。慌ただしく横切っていく雲に夕立を思ったころには水滴が大きな音を立てて落ちてきて、雨宿りできる場所を探そうか、なんて悠長に語っている間に私たちはびしょ濡れにさせられて、赤子みたいにへばりついてくる服に苦しめられながら橋下に逃げ込んだ。紫曰く、ゲリラ豪雨と呼ばれる突発性の台風みたいなものらしい。湿気が火事のように荒れ狂い、瀑布のように俄雨が世界を取り囲んだ。隙間に逃げることもできたはずなのに、紫もなぜか濡れていて、よく携帯していた傘は何の役にも立っていなかった。雛は一番酷かった。紅いドレスは傾いだ鳥居みたいに垂れ下がって、体のラインが見えるほど張りついていた。四方八方にはねた若草の髪の毛は雨水を挿して翡翠のように輝いていたけれど、ドレスに重なると古ぼけたお札みたいに映った。リボンなんかは体に巻きついているのか、巻きつかせているのか見分けがつかないくらいだった。
あれはなに? と問えば、大抵は紫が答えてくれた。あれはなに? 自転車、堤防、橋、車、イヤホン、電柱、電線、飛行船、ネオン、ビル、船(幻想郷で使われないような大型)、携帯電話、飛び降り自殺の亡霊、水没の白い肉塊、怪獣みたいな焼却炉の塔、野球、サッカー、ランニング、スクーター、バイク、スケートボード、芒、ブラックバス、遡上する過去、廃屋みたいな下水管、酒を入れた缶の山、コロナエキストラ(メキシコという海外の酒)、煙草と吸い殻、ライター、犬のフン、猫のフン、飛行機、雀、鳩、烏、ヘッドホン、テレビ、こたつ、トラック、コンビニエンスストア、信号、明かり、明かりの明かり、明かりから光りだす明かり、子どもを妖怪に襲わせないためのチャイム、警察、パトカー、建築現場のいろいろ、ゴミ捨て場のいろいろ、捨てられた亀。雛は事物の厄について答えた。焼却炉は遠くでもそれなりに怨嗟が立ち込めていて、携帯電話は危険で、間に横たわる二つの死は最悪で、捨てられた亀は良好、私は上々だった。
夜が一様に明るいというのも、身震いを覚えた瞬間だった。明らかに自然色ではない光は白粉のようで、夜を窒息させかねないほどに手厚い化粧を仕掛けていた。かろうじて逃げ出した本当の夜というのは橋下の根元で蹲っていて、人工物に隠れているのは痛々しくもあった。私たちもそこで寝食を行なったけれど、どこに逃げても光は回り込んできて、眩しくて敵わなかった。車はうるさかったし、人間も平気で夜を歩き回っていた。こいつらも実は寝れなくて、妖怪が怖いから電気をつけっぱなしにしているだけなんじゃないかと思った。でも紫が言うには「明るいと便利だからよ」ということらしく、雛は「毎日がお祭りなのよ」と言った。
すでにはるか昔に思われる越境にしても、雛との遭遇にしても、決定的な瞬間というのは突然現れることはなく、現実という衝立の影からじりじりとその姿を映し始めて、揺らぎながら大きくなっていき、あたかも想定されうる未来に自分が重なっていくかのように、訪れる。
伝聞だけで構成された海は、風に運ばれてくる匂いとなって最初に接触してきた。水の匂いは大事なことだ。山の蓄えた水、雪解け水があって、滝の水、沢の水があって、草木の水、樹木の水があって、そのどれも些細な違いをもっていて、さらに季節の衣を纏う。その時は全く嗅いだことのない水の匂いを受け取った。私は匂いの意味をすぐに理解することができた。海に近づくたびに潮の香りは強まり、曖昧だった他の知覚も繊細に取り上げることができた。徐々に私のなかに積みあがる海の便りが、頭の中で実態を形成されるための前準備となり、またその骨肉になった。
ゲリラ豪雨で散々な目にあった日はそのまま曇りの夜を迎えた。旅が一週間も続けば流石に体力も明らかな減衰を逃れられなくて、眩しいとは言いつつも私は深く眠っていた。その頃には、もう海の風は距離に希釈されることなく私に届いていた。瞼を閉じながら、着実に寄り合う海へ私の心を夜の陸風に連れて行ってもらった。翌日の晴天に三者三様の喜びを湛えて、周囲を見渡しながら進んだ。私は妖怪の山からすいぶん広がった川幅とその結末を思い、一つ一つ橋をくぐり抜けた。
川が川であるならば、最後の一本道はどうしようもなく真っ直ぐだった。形のことじゃない、道を逸れることが絶対にないという意味の真っ直ぐだ。収まらない高揚とともに海に流されていった。それを何かに例えようとして、城主と顔を合わせるために廊下を歩くところを想像してみた。間違いではなかったけれど、どこか違和感があってやきもきしていた。でも最近、西洋の本を読んでようやくしっくり来る答えがあった。向こうの城は日本と違って石造りで、大広間に敷かれた長い赤い絨毯をまっすぐ進んで、王座に鎮座する王に謁見するらしい。まさしく、その赤い絨毯にいるみたいだったんだ。道中は確かにそうだった、でも最後はあっという間で、そいつは王みたいに仰々しくも礼儀に喧しくもなく、何事にも自然体だった。
海だ。
雨にしたって川にしたって、水は撚り糸のように形をまとめておかなければいけないものだと思っていた。そうでなければ、自由なまま拡散して、いずれ地に消されてしまうから。しかしそれは限られた世界での話、つまり狭隘な故郷の常識でしかなくて、境目を抜ければ川はもうどんなものにも手がつけられないほどに広がった。山奥住まいの私たちにとって空間を分かつ力は山々のものだったけれど、水平線ほど真っ直ぐに景色の端と端を分断するものは存在するように思えなかった。切り目のあまりの鋭さに、空と海の区別がつけられなくなりそうだった。波も、知っていたのは水の溜まった場所の押し広がる震え程度だったのに、ここでは大きな全が一つに寄せて岸に打ち付けていた。海の遠くは膜を張ったように静止しているようで、その複雑な煌めきと影のうねり、わだかまりがそのまま流れの模様であり、それらを全て乗り越えて、波は私たちの近くに届いた。
長い道のりの疲れがどっと押し寄せて、私は重力のままに腰を砂浜に落とした。砂浜はとても柔らかくて、勢いづいていた着座に少しも痛みを与えなかった。言葉を紡ぐことはできないというか、無駄に思えた。年寄りたちが口を揃えて「広い」「広い」と言っているのも景色一つだけで全てが納得できた。こんなに水が湛える場所があって大丈夫なのか、もしかしたら世界規模の洪水が起きて、あるべき土地が水没している非常事態なんじゃないかと思ったね。しかも紫によれば、私たちの生きている大地は地球という球状物体の表面で、ただでさえ海外という未知の領域がわんさかあるというのにも驚きなのに、海はその半分以上を埋め尽くして、諸大地を等しく囲っているらしい。いや、広すぎてたまったものじゃないね。
喜びは確かにあった。心は震えて、どうしてこんなものを知らないで生きてきたんだと思いながら、川の結末をただただじっと見つめていた。しかし、私にはそれどころではない不安が目の前の波のように押し寄せていた。掴みかねる正体を横に置きながら、まずは海を堪能することにした。なんてったて、自由だ。それに、ここには想像したこともないことがたくさん溢れていた。砂浜を走ってみよう。海辺を走って、それから潜ってみよう。行けるとこまで行ってみよう、生態系も気になるし、大型の漁船が密集する港やら漁師が魚をお披露目する魚河岸やらも気になる。川ほど見通しのよくない海中は深く広くなる一方で、拡張された身体の感覚が初めて水中の容量に追いつかなくなった。海の妖怪だってたくさん見た。距離を置いていたのは雛の存在あってだろう、いや紫もあるかもしれない。紫は相変わらずいたりいなかったりしたけれど、雛はとことん付き合ってくれた。それは友だちとして嬉しくもあり、楽しくもあり、不安でもあった。
「雛、これが海なんだね」
「そうよ。おめでとう! あなたは立派に冒険を果たしたのよ」
「うん、ありがとう。嬉しいよ」
私たちは海を眺めた。海辺の基調的な雰囲気は静かさと穏やかさに包まれていたけど、風はいつでも強かった。帽子が何度も吹き飛びそうになったし、雛の服はめちゃくちゃに暴れまわった、あと声を大きく張り上げないとろくに聞こえなかった。反面、波の音は優しかった。川の絶え間ない流れと違って、不規則ながら心地よい頻度で耳朶に染み込んでいった。私は気づいたらこう言っていた。
「雛はどこに行くんだい?」
それで不安が一気に正体を現して、私を震わせた。答えは目の前の海にあった。私の疑問に、気づいてしまったんだねという表情を浮かべた雛を、忘れられない。
「私は、海に出て、さまよって、いつか沈んでいくの」
「そのあとは?」
「海はとても深いの。川なんて比べ物にならないくらい、ずっとずっと……。そこを時間をかけて沈んでいく。その間、私はじっと眠りについて、ただ海の水の流れのままにしている。それでね、いつか、いつかふと起きるの。それは人里で雛流しなり、厄を祓うための催事が行われている時なの。私は呼ばれたように幻想郷に帰ってくる。そして清めて軽くなった体に、厄をまた溜め込んでいくの。そのために帰ってくる、帰るよう呼び寄せられる」
その話を聞いたのは初めてじゃなかった。しかし私は今まで出したこともない声色で「そうか」と答えることしかできなかった。
海を見るまではさ、雛との別れなんて幻想郷で道を別々の方向に曲がるくらいでしか考えてなかった。幻想郷なんて狭い場所なら、結局また会えるだろう? でも海を見てしまったら、それがとてもひどい思い違いだと言わざるをえない。私はここから踵を返して幻想郷に戻り、雛は果てしない広さへ呑み込まれていくのだ。私たちがともに歩んできた距離の何倍も流され、想像もつかない水の深く積もったところまで沈んでしまうのだ。胸がざわざわとかき乱された。たとえ幻想郷に帰ってくるとしても、これを一時の別れなんて生易しいものには思えなかった。しかも人間に求められて、距離や空間を隔てて現れるなんて、まるで神みたいじゃないか。私は雛のこれからを考えると、どんどん手の届かないような気がして、畏怖に近い感情すら覚えた。
しばらく私は黙りこくった。口を開けば、雛がこれから向かう深海が危険なところじゃないか思いつく限り確認した。溺れることはないよね? 恐ろしい妖怪はいない? また岩に引っかからない? どれにも雛はちゃんと答えて、最後に大丈夫と言って締めた。それでも私は臆病な優しさを抑え込むことができなかった。仕方ないことじゃないかと納得しようとして、彼女の口から弱音を吐き出させようとしていたのは、実は雛の臆病なところを掴んで私とそう変わらない立ち位置まで連れて行きたかったからなのだと思う。私は、友だちとして雛をとても好いているよ。だからこそ身近な存在であって欲しかったんだ。辛い話さ。しかし雛のこれから起こることへの覚悟が揺らぐことはなかった。当然さ。私は最後には黙って海の遠くを睨んでいることしかできなかった。
話が落ち着いてだいぶ経った頃、紫は現れた。彼女はまだ行かないの? と尋ね、雛はええ、まだ。明日の朝までは、と言った。紫はじっと私を見つめ、それから雛を見据えた。あえてのらりくらりと振る舞い続けた大妖怪の貫かんばかりの眼差しに、雛にもどうしたものか考えあぐねる様子だった。漣の音が幾度となく沈黙をさらうのにも狼狽えず、紫は時間をかけて私たちをその瞳に取り込んでいた。それから口を開いた時には強張った様子はもうなくなっていて、最初からそんなものなかったようでもあった。ささやかながら、今日は私が夕餉をご馳走しますと言った。
最後の晩餐は真新しい海の幸、懐かしき山の幸ときゅうりが使われていた。美味しいはずだし、実際とても美味しかったと思う。しかし私の気もちは沈んでいて、食べ物の味も分からなくなっていた。口に放り込む魚の身と唾液がいつまで経っても混ざらなくて、そのことばかり気になった。会話はなく、紫が料理の紹介をするなかで淡々と目の前の皿を片付けることしかできなかった。雛にしても、美味しそうな表情を振りまいていたけれど、それを言葉にすることはしなかった。
私は二つの大きな出来事に見舞われていた。まずは海にいるということ。これは本来の目的で、念願の達成を迎えることができた。旅の連れ合いも一つから三つに増え、充実したものになった。特に雛とは、心置きなく話せる別種族の妖怪として、また大切な友として巡り会えた。何一つ文句はない。手放しに喜んでいい、自慢したっていい。もう一つは雛との別れだ。彼女の本来の目的は私が砂浜で立ち止まるその先にあって、例え帰ってくるとは言われても、未曾有の別離に私はただ耐えるほかない。友を単身で見送って、私は何一つできないまま、海に辿り着いた満足感だけ幻想郷に持ち帰ればいいなんて、思うことはできなかった。
厄介なのは、喜びと悲しみに二分されるこれらが、表裏一体だったということだ。必ず両方が私たちの手元に来て、選択の余地も与えられずに遂行される。もちろん、それは捉え方の問題だ。雛はもともと裏のことだけ肝心だったし、紫にはどちらもおまけみたいなものだったろう。私は、出来ないとされたことを自分の力で実現させるために、海を目指していたんだ。なのに今、友の別離には打つ手がない。無力感が私の未熟なところを占拠した。
食事の後、疲れからか、すぐにうたた寝をしてしまった。紫と雛はなにか話しているようだったけれど、私はもう微睡みの淵から足を外してしまっていて、盗み聞きをするつもりもなかった。次に目覚めたのは夜半のことで、焚き火もすっかり眠り込んでいた。そこは暗かった。砂浜の外、市街地は燦々と輝いているのに、海はどこまでも黒かった。本当の夜が海の上で踊り、大きなうねりが風とともに耳へ踏み込んできた。あまりに極端な対比に呆れに近い感心を覚えた。容赦なく暗く、何も見据えることがない大海へ雛が流れて消えていくところを想像しても、すぐに闇と波間に見えなくなってしまった。本当にぞくりと背筋に寒気が走った。こんなにも広漠で、何もなくなるような場所を、澪標もなく漂い続けるのか? ただ流れるために流れて、どれくらい膨大な時間が費やされるのだろうか? ある意味では永遠に近似する、悠長な放浪を淡々と受け入れる心構えが、私にはなかった。
雛は起きていて、私の傍で腰掛けていた。雛なりの慰めだった。私と雛は延々と話した。短くも長くもない、旅の出来事を一つずつ拾い上げて、思い出としての装丁を施した。それだけが私たちにできる最後の共同作業だった。
「また会おうね」
雛が言った。ああ、私がその言葉を言えたなら、どれだけ良かっただろう! 雛は私のいろんなこと受け入れてくれたのにさ、私は結局雛のことを受け入れきれなかった。だから再会の言葉も先行きの不透明な旅立つ方に言わせて、戻るべき場所となる待つ方は臆病から伝えるべき言葉を、私が雛を暖かく送り出すべく言うべき言葉も言えなかった。不甲斐ない話さ。私はただ一心に祈るように相槌を打った。それを受け止めるべきは親しい友ではないはずなのに。
たとえ話が尽きようとも、私たちは眠ることなく海に向き合っていた。やがて背後から空が色づき始めた。日差しが舞い降りて、水平線に橙から蘇芳のグラデーションに舗装された光の一本道を作った。海はもう黒くない、空の色を反射して彩り豊かに輝いていた。山際から太陽の真円が現れる前に、雛は腰を上げた。
「行くね」
彼女は懐から流し雛を取り出した。私のために抱えられた好意に厄が注がれ、海に浮かべると自ずと水平線に向かって進んだ。雛は追いかけるように海に沈み込んでいき、腰のあたりまで浸かったところで立ち止まった。
空っぽな沈黙があった。周囲のざわめきを他所において、私たちはお互いの遠くにある顔にじっと目を凝らした。私は何か言わなければいけないと思った。実際、私は何か声をかけるべきだった。しかし海に溶けてしまいそうな—水のものとは思えない色彩にぽつんと佇む紅と翡翠の雛はどうあっても融けることはなかっただろう—姿に、声らしい声を忘れてしまっていた。早く太陽の日差しが欲しかった。私と同じように、雛も口を半開きにして、呼吸をするように声を失っていた。そこで初めて浮かべた辛そうな笑顔は、もしかしたら……。
言葉を頼れなかった私たちは手を振って別れを告げた。もしかしたら、波にさらわれて戻ってくるんじゃないだろうかと思った。でも、不思議なほどそんな気配を見せず、二つの雛はどんどん海の遠くに消えていき、二つの雛は離れていった。私は寒くなった。
後に残された私と紫は、雛がいなくなってもしばらく海を黙って眺めていた。紫がいつからいたのかは分からないけれど、見送りには最初からいたらしい。それだけ別れの瞬間は二人きりで執り行われていた。
「あの子、何も言わなかったわね」
私のことを言及しないのかと思いながら、私は頷いた。
「分からなくないわ」
紫は私と同じ方向を見やりながら言った。
「……戻ってきたとしても、置いていかれるのは辛いでしょう」
私は驚かずにいられなかった。紫みたいな大妖怪に、こんな心を理解するようなきっかけがあったのだろうか。私は素直に尋ねてみようかと思ったけれど、紫が次の言葉を紡ぐのが先だった。
「境界の件に関して、今回は許してあげる。次は自己責任でよろしくお願いします」
それは……今思えば、彼女なりの気遣いの一つだったのだろう。それから彼女はいつもの隙間を開いて、私を手招きした。雛を見送ってから時間はだいぶ経っていたから、踏ん切りがつくのは難しくはなかった。それでも何度も海に目をやり、空気を胸いっぱいに吸い込んだ。遅れて届いた太陽の煌めきの道と一緒に揺れている雛を、黒に染められてただ時を待つ雛を想いながら。あとは一瞬のことだった。隙間を潜ると私がこれからも生きていく故郷にすぐ差しかかって、完全に足を移し替えると、紐が切れたように今までの景色は消え去ってしまった。紫も同じように消えてしまって、しばらくはそのまま姿形も見かけなかった。
失意に打ちひしがれながら幻想郷に戻って、私はしばらく引きこもっていた。疲れもあったし、整理が追いついていないのもあった。姿を見かけなかったと話しかけてくる仲間には「やりたいことがあった」と言った。それでみんな納得した。
雛と再会するのは本当にあっという間で、呆気なかった。蝉と鈴虫がわずかな共演を果たす晩夏に人里で灯籠流しが行われ、運河を群れなして進む灯りに連れ添って、ふわふわと宙を浮いていたのだ。もちろん私は駆け寄った。雛も満面の笑みで私を迎えてくれた。
「おかえり、でいいのかな?」
「ただいま。そういってくれると嬉しいわ」
「早かったね」
「そうかな? いつも通りだよ」
「もう大丈夫なんだね」
「ええ」
それからも、私たちは仲良く過ごしている。時に真剣に語らい、時に愛おしき人間を助け、時に弾幕勝負をする。ともに海に向かった旅人として、長い旅路は何にも代えがたい礎となって、私たちの友情を支えている。
しかしそれでも、再会も、それからの不思議な友情も、素直に喜びきれない私がいる。雛から厄落としに行くのだと聞くと、あの日に私に取り憑いてしまった寂しさが大きくなり始める。私はしばらく海に行くつもりはなかったから、独りで旅立つ友を見送る。寂しさは一緒に旅立って、私の心を空っぽにする。
私たちはどれだけ仲良くなれたとしても、必ず一時的な別れを体験する。雛は大いなる儀式を経て、再び幻想郷に現界する。私にそんなことはできない、置いていかれて待っているだけ。肉体に執着しない存在のあり方、飄々としながらも現実を毅然と受け止めている姿が、私と同じ妖怪のようには見えなかった。あの海の旅で、私は私の未熟さを知り、弱さを受け入れてくれる友に出会い、その友に自分の未熟さを突きつけられてしまった。それは私が永遠になれない妖怪としての在り方だった。
たった十日ほどの旅から生まれた別離は埋めがたい距離を現出させた。連綿と紡がれていく友愛に胸を暖められる日々で、静かに横たわる遠い海をごまかすため、私は寂しさを影に隠すように微笑みを浮かべるようになった。それも海を巡る旅で手に入れたものの一つ。
それに加えてにとりの心情の移ろいと青さと言ったら、もうそれは感情移入の域に達しそうで一緒に川下りをしているのかとさえ錯覚させる程でした。
これはきっと単純明快に、忘れられない夏の思い出。ありがとうございました。
これは一種の成長譚なのでしょうか
にとりが若さに任せて海を目ざし 雛の価値観や段々と露わになる外の景色そして海 それらを見て変わってしまった
最後に再び去る雛について行けないにとりには なんだか無鉄砲な子供が大人になってしまうような寂しさを感じてしまいました
にとりの一人称による語りには、一人の河童からは川や雨や海といった水の世界はこのように知覚され、理解されるのだという説得力があり素晴らしかったです。
また外の世界に出た後に徐々に景色に人家が混じり、やがて人の住む街へと入っていく時のにとりの心情の動き、海を見たときの衝撃が本当ににとりの立場でその経験をしたような書きぶりで深く感じ入りました。
にとりや雛の出会いを描いた作品としても、旅の持つ喜びと寂寥感の両面を描いた作品としても、幻想郷の外の世界をつなぐ作品としても、あるいはそれらすべての総合として、大好きな作品です。
次回作も期待しています。
道中の景色が移り変わっていく様子は、海を目指す旅を通してにとりが持っていた価値観が変わっていくようにも感じられました。
読めて良かったです。有難うございました。
引き込まれたからこそ、念願の海を見ることが出来た喜び、一緒に冒険をした雛との別れの悲しさをにとりと一緒に感じることが出来ました。
素敵な体験をさせて頂きました。ありがとうございます。
回想形式のため時系列が語りと前後してしまうところがあったり、区切りが長かったりと少し読みづらい点があると感じましたが、全体的には最後まで楽に読み終えることができる良い文章だったと思います。
最後ににとりが得た感情はちょっと納得しがたいというか、個人的に説得力を感じることができませんでしたが、それでもこの作品のにとりが大きな体験をして得た感情だということが伝わってきてとても良かったです。
有難う御座いました。
川から海への流れ、というのが後戻りのできない日々の生活の移ろいのように感じました。そこで、雛という目的地を伴にする道連れと出会い、紫という旅の終わりを知っている先達と出会い……という構図が、どこか生涯を表しているように思いました。
そんな旅の終わりに、つらそうな表情を見せながら毅然と海へ進んでいくと雛と、自分の無力さを痛切に感じながらも言葉一つも出せなかったにとりの様子が印象的です。その様子は、人生における避けようのない別れを象徴しているように思い、言い表せられない感覚を味わいました。幻想郷で再会しても、旅路の時のような近しさを本当に感じられないのは、避けられない別れがずっと尾を引いているからなのかなと想像しました。
他者との関係は、どれだけ親密さと友愛を暖めても、川の果てに海が必ずあるように、突き詰めてしまえば必ず別れが待っている。個々の想いがどうあっても、にとりと雛が作中で「えんがちょ」をする必要があったように、河童と厄神は根本的に異なる存在で、本当にずっと一緒という訳にはいかない。そういう当たり前の別離という現実を前に、微笑みという精一杯の隠し方を覚えたにとりの成長。切実なお話でした。
本当に、良い作品でした。ありがとうございました。