「映姫様、随分と物憂げですね。何かあったんですか?」
「いえ、大したことではありません。気にしてもらう必要はありませんよ、小町」
映姫様は、私が声をかけた途端に、いつも通りの鉄仮面になった。けれど、私に不意に見せた表情があまりに儚げで、放っては置けなかった。お節介かね。まあ、それも悪くはないでしょう?
「大したことでなくとも、何かあったら相談にぐらいは乗りますよ。ほら、気兼ねなく打ち明けてみて下さいよ」
「ふむ……実は、次の罪人の事なのですが…」
そう言って、映姫様は私に書類を見せてくれた。見る限り、まだ幼い子供だ。流行病で、親を残して亡くなってしまったらしい。
「悩むことなんてありますかね。親に先立った子供なら、賽の河原で石積みでしょう。それほど難しい裁判になるとは思えませんが」
「いえ、そういう悩みではないんです」
ありゃ。なら、どういう悩みなんだろうか。
「幼い子供が親より先に亡くなることは、罪です。けれど、だからと言って、彼らを転生も許さず延々と河原で鬼に責め苛ませるのは……」
「胸が痛む、ですか? 映姫様の白黒はっきりつける程度の能力を使えば、悩みや葛藤なんて起こらないでしょ」
「私は仕事で能力は使いません。悩みや葛藤もまた仕事の内です。悩まない裁判長が欲しければ、カラクリ人形でも用意すればいいでしょう」
ああ、映姫様は元は地蔵様だったというし、きっと子供を苦しめることには抵抗があるんだろうね。その上で、悩みながら答えを出したいって訳かい。立派だねぇ。
「余りにも心がないと、小町は思いませんか? 年端も行かぬ幼子が、親より先に逝った童が、死後にすら救われないなんて。両親だって、我が子の幸せを祈っているでしょうに」
「映姫様。人の心で、人を裁くことは許されませんよ」
「しかし、人の心に沿わぬ法になど、何の意味があるのですか」
映姫様の鉄仮面が剥がれていた。これはプライベートな映姫様だね。仕事終わりの飲み会や、休日に買い出しをしている時の有様だ。
「人の心で裁かぬように、しかし、人の心に沿うように、法は定まってきたのですよ、映姫様」
「しかし小町、それならば何故こんな幼子がこんな責め苦を」
「幸福について考えましょうか」
「?」
首を傾げている映姫様。彼女は地蔵様から閻魔様になってからまだ永くないから、死神として永らく勤めてきた私がこうして相談相手になる事はままあった。
私と映姫様は、とても身分違いだけれど、あの世勤めでは私の方に一日の長がある。
「世界にとって善行とは、より多くの幸福をもたらすことです。分かりますよね?」
「ええ、勿論です」
「では、この罪人は幼くして亡くなったことで、自分が得るはずだった幸福も、人に与えるはずだった幸福も無くした上に、両親の幸福まで奪ったのです。これは、許されないことではありませんか?」
「しかし、その当人が故意に死んだ訳ではなく、流行病で仕方がなかったことです」
「ですので、地獄行きではなくて、賽の河原なのですよ映姫様」
それきり、映姫様は黙り込んでしまった。何も言えないのは、私の弁にすっきりと言い込められてしまったからだろうかね。
「難しいことは考えずに、法に従えば良いのですよ映姫様。法は存外に、人の心に沿っています。だからだだ、人の心で裁かぬように、私たちは細心の注意を払うだけで良いのです」
「私はそうは思いません」
「何故ですか?」
「この法が正しいと思えたのは、今私が疑ったお陰ですから」
「然り。返す言葉もございません」
「いえ、こちらこそ相談に態々付き合ってくれてありがとうございます。今度、仕事帰りにでも何処かに飲みに行きませんか?」
ありゃ、ラッキー。飲みに行くならガッツリ飯が食える飲み屋が良いです、なんてお願いしようかな。楽しみだねぇ。
「貴方の罪はご承知ですね。幼くして親に先立つ罪は、大変に重いのです」
私は幼い子供に、無感情に言葉を投げかけていた。
「あの……お母さんはどこ?」
「此処にはいません。貴方の母親は、今も現世で泣いています。貴方が死んでしまった事を悲しんでいるのです。人を悲しませて幸せを奪ったこと、それが貴方の罪です」
「閻魔様。お母さんに大丈夫だよって言ってきて良い?」
胸が痛かった。けれど、それだけだったので、私は普段通りに振る舞えたと思う。少なくとも顔には出ていなかったはず。
「貴方は少し、無邪気すぎる。賽の河原で、石を積みなさい。それがあなたの善行となる」
私は完璧だった。どう完璧かというと、多少の胸の痛みに目を瞑るだけで、この子供が永遠に近く責め苛まれる判決を下すことができていた。
既に小町との相談で納得を得ていた私は、この子供のことを気の毒だと感じながらも、自分の同情と憐憫を行動に結びつける回路を断ち切ることができた。
納得している事実に対しては、自分の感情を脇に置いて賛同する事は、仕事柄必須の技術だ。
「石を積んだら、お母さんに会えますか? あの、お母さんに元気でねって言ってあげたくて。バイバイって、さよならを言えなかったから」
私は子供の言葉を無視して法廷を去った。あの子はその後、鬼に連れられて河原に向かったらしい。
「ありゃ、あんまり飲むと明日に響きますよ映姫様」
私の希望通りの、仕事帰りの飲み会。珍しいこともあるもので、映姫様が酒をかっくらって酔いしれていた。こりゃあ、明日は槍でも降ってくるのかね。
「うるさいわねぇ、小町。貴女なんか死者を運ぶだけの船頭でしょう。私の悩みなんて分からないに決まってますわ」
映姫様ってこんなにも酒癖が悪かったかなぁ……。まあ、酔っ払いの戯言は忘れてあげるのが世の情けってヤツさね。適当に聞き流してあげましょう。
「私は……子供を守る地蔵菩薩だったのよ。どうして子供を賽の河原送りになんてしなきゃいけないのよ」
「まぁまぁ、映姫様。その若さで閻魔様だなんて、偉い出世じゃないですか」
「それはそうですが……」
「私みたいな一生ヒラの船頭から見れば、ご立派ですよ映姫様は。辛くても立派な仕事をしてるって、胸を張れば良いでしょう」
「小町がずっとヒラなのは、職務怠慢が知れ渡っているからです。貴女が有能な死神なのは皆知っています。マジメに仕事に取り組めば、出世だってすぐに」
「出世なんてしたくないですよ。偉くなればなるほど、気苦労が増えて不自由になる。割りにあいませんね。私は気軽で自由なのが好きです」
「またそんなことを……」
酔っ払いながらも説教癖は変わらないなんて、参ったねこりゃどーも……。
「私が閻魔に成り立ての頃は、貴方が一番やり手の死神だったじゃないですか。魂の回収のノルマもしっかりこなしてましたし、仙人のお迎えだってしてましたよね。貴女の噂で持ちきりでしたよ。天人のお迎えまでしてたって」
「天人様には敵いませんでしたがね」
「それでも大したものですよ」
あ、やっぱり酷く酔ってるね。普段の映姫様なら、私に気を遣って昔の話には触れずにいてくれていたのに。
「いつ貴女が鬼神長になるだの、獄卒長になるだのとまことしやかに噂になってましたよね。なのにどうして、三途の川の船頭なんかに?」
うん、記憶がなくなるまでお酒を飲ませてあげようかな。酔っ払いの記憶は、忘れさせてあげるのが世の情けって(ry
「私はただ、疲れただけですよ映姫様」
「疲れた?」
「いえ……忘れて下さい。あ、生のおかわり要りませんか?」
「あら、無くなってたんですね。すみません、生をピッチャーで2つお願いします」
「あ、私は結構ですよ映姫様。ウーロン茶飲むので」
「そう? なら、生をピッチャーで二つお願いします」
「あのー映姫様?」
「私が全部飲むので」
「…………」
頭が痛くて、二日酔いが酷い。昨日、小町と二人で飲みに行ってからの記憶がない。彼女に昨日何があったか聞いてみたけれど、お酒を飲み過ぎただけですよと、はぐらかされてしまった。
「うぅ……今日も仕事ですから、しっかりしなければ」
書類に目を通すと、私の酔いはきれいさっぱり醒めてしまった。仕事のスイッチが入っただとか、白黒ハッキリできたという話ではなくて、単純に酔いが醒めるほどの衝撃が私の心を打ったからだ。
「映姫様、どうしたんですか?」
小町が、私の顔色を見て気遣ってくれていた。けれど私は、彼女に無表情で書類を見せることしかできなかった。
「これは……昨日の……」
最悪の気分だった。微かなほろ酔い気分も消え失せて、二日酔いの気持ちの悪い感覚と、えもいわれぬ胸のムカつきだけをイヤに感じる。
「映姫様。こういうのは、よくある事ですよ」
「そんな事は知っていますよ。けれどこんな感じは……初めてです」
どうしようもない感情を抱えながら法廷に向かった。やはり、私は閻魔としては未熟者だと認めなければならない。私の担当する地域は幻想郷のみだし、それだって二交代制だ。
人は毎日のように死ぬが、あくまで日々の幻想郷の死者の半分しか私は裁いていない。だから私のこの感情も、経験不足からくる未熟さに過ぎないと、必死に自分に言い聞かせた。
それでも、私が法廷へ入った時の扉の開け方は、普段よりも乱暴になってしまっているなと、他人事のように思えた。
「貴女の罪はご承知ですね。親に先立つ罪が、大変に重いことも」
「はい。承知の上です」
「ならば、自らを殺す事は他人を殺す事と同じだけ罪深い事もご存知か!」
「承知しております」
私が以前裁いた幼子の母親だった。我が子の後追い自殺。実にありふれた、救えない話だ。
「何故ですか」
「私は我が子を流行病で亡くしました。あの子は、亡き夫の忘れ形見です。あの子の幸せだけを願って生きてきました。私にはもう、生きる理由がなくなった。それだけです」
「貴女は自殺をした。地獄に落ちるしかない。何故そんなことをしたのですか!」
記録官が声を荒げている私に、怪訝そうな視線を向けていた。今の態度が好ましくない事は、自分でも理解している。けれど理解している事を、うまく実感することができなかった。
「言ったはずです。生きる理由がなくなっただけだと」
「貴女の子供は貴女に会いたがっていた。貴女に会えないと理解してからは、貴女に自分は大丈夫だと伝えたがっていた。あの子は、貴女に元気になって欲しがっていた。貴女にさよならを言いたがっていた!」
「何故そんな事が閻魔様に分かるのですか」
「あの子を裁いたのは私です! 私が、あの子を賽の河原に送った! 私が貴女の子供を……私が……」
声が詰まった。言いたい事が多過ぎて、口が上手く動いてくれない。深呼吸をして、口に出したい事を選んだ。これは白、これは黒と、頭の中で言葉を仕分けする。
「誰も、貴女が死ぬことなんて望んでいなかった。どうして誰も幸せにならない事をするのですか」
「それは……」
「貴女は生きるべきだった。辛かろうが不幸せだろうが、貴女が生きる事を望むものがいたのだから。貴女は不幸を拡散し、我が子の思いを踏みにじったのです」
「地獄へ、堕ちなさい」
「映姫様、元気出しましょうよ。ほら、上司に怒られるなんてよくある事ですよ。私なんて毎日映姫様に怒られてるんですから」
「小町にそう慰められると、説得力が違いますね」
どうも映姫様は、件の一件で十王様達に注意を受けたらしい。まあ、これまで誰からも注意さえ受けたことのなかった映姫様としては、それなり以上にこたえているみたいだねぇ。
たまに怒られた優等生は、いつも怒られている不良よりも凹むもんだからね。
「小町、私はもう疲れました。貴女みたいに閑職でゆっくりとしたい。なんなら、地蔵様に戻りたいぐらいです」
「そりゃダメですよ映姫様。どうして誰も幸せにならない事をするんですか」
「私は救われますよ」
「嘘ですね。貴女は仕事を放り出して幸せになれるような人じゃない。私と違ってね」
「…………」
「映姫様は閻魔を続けるべきです。辛かろうが不幸せだろうが、それを望むものがいる限り」
「そうですね……その通りです」
というか、閻魔なんて役職を降りるなんて勿体ない。成ろうと思ったって成れるものじゃないんだから。とは言わない。こういう時は、どれだけ俗っぽい事を思っても相手の気持ちに寄り添うのが大事なのさ。
どこでそんな事を学んだのかって? そりゃあ、三途の河を渡る船の上でさ。
「いえ、大したことではありません。気にしてもらう必要はありませんよ、小町」
映姫様は、私が声をかけた途端に、いつも通りの鉄仮面になった。けれど、私に不意に見せた表情があまりに儚げで、放っては置けなかった。お節介かね。まあ、それも悪くはないでしょう?
「大したことでなくとも、何かあったら相談にぐらいは乗りますよ。ほら、気兼ねなく打ち明けてみて下さいよ」
「ふむ……実は、次の罪人の事なのですが…」
そう言って、映姫様は私に書類を見せてくれた。見る限り、まだ幼い子供だ。流行病で、親を残して亡くなってしまったらしい。
「悩むことなんてありますかね。親に先立った子供なら、賽の河原で石積みでしょう。それほど難しい裁判になるとは思えませんが」
「いえ、そういう悩みではないんです」
ありゃ。なら、どういう悩みなんだろうか。
「幼い子供が親より先に亡くなることは、罪です。けれど、だからと言って、彼らを転生も許さず延々と河原で鬼に責め苛ませるのは……」
「胸が痛む、ですか? 映姫様の白黒はっきりつける程度の能力を使えば、悩みや葛藤なんて起こらないでしょ」
「私は仕事で能力は使いません。悩みや葛藤もまた仕事の内です。悩まない裁判長が欲しければ、カラクリ人形でも用意すればいいでしょう」
ああ、映姫様は元は地蔵様だったというし、きっと子供を苦しめることには抵抗があるんだろうね。その上で、悩みながら答えを出したいって訳かい。立派だねぇ。
「余りにも心がないと、小町は思いませんか? 年端も行かぬ幼子が、親より先に逝った童が、死後にすら救われないなんて。両親だって、我が子の幸せを祈っているでしょうに」
「映姫様。人の心で、人を裁くことは許されませんよ」
「しかし、人の心に沿わぬ法になど、何の意味があるのですか」
映姫様の鉄仮面が剥がれていた。これはプライベートな映姫様だね。仕事終わりの飲み会や、休日に買い出しをしている時の有様だ。
「人の心で裁かぬように、しかし、人の心に沿うように、法は定まってきたのですよ、映姫様」
「しかし小町、それならば何故こんな幼子がこんな責め苦を」
「幸福について考えましょうか」
「?」
首を傾げている映姫様。彼女は地蔵様から閻魔様になってからまだ永くないから、死神として永らく勤めてきた私がこうして相談相手になる事はままあった。
私と映姫様は、とても身分違いだけれど、あの世勤めでは私の方に一日の長がある。
「世界にとって善行とは、より多くの幸福をもたらすことです。分かりますよね?」
「ええ、勿論です」
「では、この罪人は幼くして亡くなったことで、自分が得るはずだった幸福も、人に与えるはずだった幸福も無くした上に、両親の幸福まで奪ったのです。これは、許されないことではありませんか?」
「しかし、その当人が故意に死んだ訳ではなく、流行病で仕方がなかったことです」
「ですので、地獄行きではなくて、賽の河原なのですよ映姫様」
それきり、映姫様は黙り込んでしまった。何も言えないのは、私の弁にすっきりと言い込められてしまったからだろうかね。
「難しいことは考えずに、法に従えば良いのですよ映姫様。法は存外に、人の心に沿っています。だからだだ、人の心で裁かぬように、私たちは細心の注意を払うだけで良いのです」
「私はそうは思いません」
「何故ですか?」
「この法が正しいと思えたのは、今私が疑ったお陰ですから」
「然り。返す言葉もございません」
「いえ、こちらこそ相談に態々付き合ってくれてありがとうございます。今度、仕事帰りにでも何処かに飲みに行きませんか?」
ありゃ、ラッキー。飲みに行くならガッツリ飯が食える飲み屋が良いです、なんてお願いしようかな。楽しみだねぇ。
「貴方の罪はご承知ですね。幼くして親に先立つ罪は、大変に重いのです」
私は幼い子供に、無感情に言葉を投げかけていた。
「あの……お母さんはどこ?」
「此処にはいません。貴方の母親は、今も現世で泣いています。貴方が死んでしまった事を悲しんでいるのです。人を悲しませて幸せを奪ったこと、それが貴方の罪です」
「閻魔様。お母さんに大丈夫だよって言ってきて良い?」
胸が痛かった。けれど、それだけだったので、私は普段通りに振る舞えたと思う。少なくとも顔には出ていなかったはず。
「貴方は少し、無邪気すぎる。賽の河原で、石を積みなさい。それがあなたの善行となる」
私は完璧だった。どう完璧かというと、多少の胸の痛みに目を瞑るだけで、この子供が永遠に近く責め苛まれる判決を下すことができていた。
既に小町との相談で納得を得ていた私は、この子供のことを気の毒だと感じながらも、自分の同情と憐憫を行動に結びつける回路を断ち切ることができた。
納得している事実に対しては、自分の感情を脇に置いて賛同する事は、仕事柄必須の技術だ。
「石を積んだら、お母さんに会えますか? あの、お母さんに元気でねって言ってあげたくて。バイバイって、さよならを言えなかったから」
私は子供の言葉を無視して法廷を去った。あの子はその後、鬼に連れられて河原に向かったらしい。
「ありゃ、あんまり飲むと明日に響きますよ映姫様」
私の希望通りの、仕事帰りの飲み会。珍しいこともあるもので、映姫様が酒をかっくらって酔いしれていた。こりゃあ、明日は槍でも降ってくるのかね。
「うるさいわねぇ、小町。貴女なんか死者を運ぶだけの船頭でしょう。私の悩みなんて分からないに決まってますわ」
映姫様ってこんなにも酒癖が悪かったかなぁ……。まあ、酔っ払いの戯言は忘れてあげるのが世の情けってヤツさね。適当に聞き流してあげましょう。
「私は……子供を守る地蔵菩薩だったのよ。どうして子供を賽の河原送りになんてしなきゃいけないのよ」
「まぁまぁ、映姫様。その若さで閻魔様だなんて、偉い出世じゃないですか」
「それはそうですが……」
「私みたいな一生ヒラの船頭から見れば、ご立派ですよ映姫様は。辛くても立派な仕事をしてるって、胸を張れば良いでしょう」
「小町がずっとヒラなのは、職務怠慢が知れ渡っているからです。貴女が有能な死神なのは皆知っています。マジメに仕事に取り組めば、出世だってすぐに」
「出世なんてしたくないですよ。偉くなればなるほど、気苦労が増えて不自由になる。割りにあいませんね。私は気軽で自由なのが好きです」
「またそんなことを……」
酔っ払いながらも説教癖は変わらないなんて、参ったねこりゃどーも……。
「私が閻魔に成り立ての頃は、貴方が一番やり手の死神だったじゃないですか。魂の回収のノルマもしっかりこなしてましたし、仙人のお迎えだってしてましたよね。貴女の噂で持ちきりでしたよ。天人のお迎えまでしてたって」
「天人様には敵いませんでしたがね」
「それでも大したものですよ」
あ、やっぱり酷く酔ってるね。普段の映姫様なら、私に気を遣って昔の話には触れずにいてくれていたのに。
「いつ貴女が鬼神長になるだの、獄卒長になるだのとまことしやかに噂になってましたよね。なのにどうして、三途の川の船頭なんかに?」
うん、記憶がなくなるまでお酒を飲ませてあげようかな。酔っ払いの記憶は、忘れさせてあげるのが世の情けって(ry
「私はただ、疲れただけですよ映姫様」
「疲れた?」
「いえ……忘れて下さい。あ、生のおかわり要りませんか?」
「あら、無くなってたんですね。すみません、生をピッチャーで2つお願いします」
「あ、私は結構ですよ映姫様。ウーロン茶飲むので」
「そう? なら、生をピッチャーで二つお願いします」
「あのー映姫様?」
「私が全部飲むので」
「…………」
頭が痛くて、二日酔いが酷い。昨日、小町と二人で飲みに行ってからの記憶がない。彼女に昨日何があったか聞いてみたけれど、お酒を飲み過ぎただけですよと、はぐらかされてしまった。
「うぅ……今日も仕事ですから、しっかりしなければ」
書類に目を通すと、私の酔いはきれいさっぱり醒めてしまった。仕事のスイッチが入っただとか、白黒ハッキリできたという話ではなくて、単純に酔いが醒めるほどの衝撃が私の心を打ったからだ。
「映姫様、どうしたんですか?」
小町が、私の顔色を見て気遣ってくれていた。けれど私は、彼女に無表情で書類を見せることしかできなかった。
「これは……昨日の……」
最悪の気分だった。微かなほろ酔い気分も消え失せて、二日酔いの気持ちの悪い感覚と、えもいわれぬ胸のムカつきだけをイヤに感じる。
「映姫様。こういうのは、よくある事ですよ」
「そんな事は知っていますよ。けれどこんな感じは……初めてです」
どうしようもない感情を抱えながら法廷に向かった。やはり、私は閻魔としては未熟者だと認めなければならない。私の担当する地域は幻想郷のみだし、それだって二交代制だ。
人は毎日のように死ぬが、あくまで日々の幻想郷の死者の半分しか私は裁いていない。だから私のこの感情も、経験不足からくる未熟さに過ぎないと、必死に自分に言い聞かせた。
それでも、私が法廷へ入った時の扉の開け方は、普段よりも乱暴になってしまっているなと、他人事のように思えた。
「貴女の罪はご承知ですね。親に先立つ罪が、大変に重いことも」
「はい。承知の上です」
「ならば、自らを殺す事は他人を殺す事と同じだけ罪深い事もご存知か!」
「承知しております」
私が以前裁いた幼子の母親だった。我が子の後追い自殺。実にありふれた、救えない話だ。
「何故ですか」
「私は我が子を流行病で亡くしました。あの子は、亡き夫の忘れ形見です。あの子の幸せだけを願って生きてきました。私にはもう、生きる理由がなくなった。それだけです」
「貴女は自殺をした。地獄に落ちるしかない。何故そんなことをしたのですか!」
記録官が声を荒げている私に、怪訝そうな視線を向けていた。今の態度が好ましくない事は、自分でも理解している。けれど理解している事を、うまく実感することができなかった。
「言ったはずです。生きる理由がなくなっただけだと」
「貴女の子供は貴女に会いたがっていた。貴女に会えないと理解してからは、貴女に自分は大丈夫だと伝えたがっていた。あの子は、貴女に元気になって欲しがっていた。貴女にさよならを言いたがっていた!」
「何故そんな事が閻魔様に分かるのですか」
「あの子を裁いたのは私です! 私が、あの子を賽の河原に送った! 私が貴女の子供を……私が……」
声が詰まった。言いたい事が多過ぎて、口が上手く動いてくれない。深呼吸をして、口に出したい事を選んだ。これは白、これは黒と、頭の中で言葉を仕分けする。
「誰も、貴女が死ぬことなんて望んでいなかった。どうして誰も幸せにならない事をするのですか」
「それは……」
「貴女は生きるべきだった。辛かろうが不幸せだろうが、貴女が生きる事を望むものがいたのだから。貴女は不幸を拡散し、我が子の思いを踏みにじったのです」
「地獄へ、堕ちなさい」
「映姫様、元気出しましょうよ。ほら、上司に怒られるなんてよくある事ですよ。私なんて毎日映姫様に怒られてるんですから」
「小町にそう慰められると、説得力が違いますね」
どうも映姫様は、件の一件で十王様達に注意を受けたらしい。まあ、これまで誰からも注意さえ受けたことのなかった映姫様としては、それなり以上にこたえているみたいだねぇ。
たまに怒られた優等生は、いつも怒られている不良よりも凹むもんだからね。
「小町、私はもう疲れました。貴女みたいに閑職でゆっくりとしたい。なんなら、地蔵様に戻りたいぐらいです」
「そりゃダメですよ映姫様。どうして誰も幸せにならない事をするんですか」
「私は救われますよ」
「嘘ですね。貴女は仕事を放り出して幸せになれるような人じゃない。私と違ってね」
「…………」
「映姫様は閻魔を続けるべきです。辛かろうが不幸せだろうが、それを望むものがいる限り」
「そうですね……その通りです」
というか、閻魔なんて役職を降りるなんて勿体ない。成ろうと思ったって成れるものじゃないんだから。とは言わない。こういう時は、どれだけ俗っぽい事を思っても相手の気持ちに寄り添うのが大事なのさ。
どこでそんな事を学んだのかって? そりゃあ、三途の河を渡る船の上でさ。
彼女の脆さが返って強さとして現れていた、素敵な作品でした。
全体にわたって重い雰囲気ながらも読み易くて良かったと思います。
新人の映姫が悩み苦しむ様子は心にくるものがあって面白かったです