「おーい、ユカリ、生きてるか~」
魔理沙と出会った場所よりは開けた森の中、聞き覚えのある声がして、体中の痛みとともに私は目を覚ました。ぼんやりしていると再び生きているか確認する声がする。誰だっけ? チルノ、そうチルノだ。自身も細かい傷を作りながら、それでも私を心配そうに見つめていた。
「大丈夫よ、チルノは?」
「あたいは大丈夫、ユカリがかばってくれたから」
私はチルノの手を取って起き上がる。飛行機の残骸から煙がくすぶっていたが幸い火災には至っていない。しかし古着屋兼仕立屋で見繕ってもらった服がぼろぼろだ。作ってくれたおかみさんごめんね。なんでこうなったんだっけ? 記憶がはっきりしてくる、そうそう、私達は飛行機に乗っけてもらい、永遠亭へ戻ろうとしていて、そして……。
太陽の畑に着陸したにとりは飛行機のエンジンを止めて機体から降り、軽く会釈した後、商売っ気のある口調で乗ってきた機械の説明を始めた。
「またあったね、紫さんとチルノ。そしてこんにちは、太陽の畑の方々。いま私達は最小限の幻想の力で飛べる、飛行機のデモンストレーションをやって各地を回っているんだ。これが普及すれば人も妖怪も簡単に移動したり、物を運べるよ」
チルノとリグルは飛行機を興味深そうに見つめていたが、幽香はさほどの関心はなさそうだった。
「悪いけど、ここにはこんな物は必要ないから、他へ行って頂戴」
「つれないなあ、これで妖怪の山で品種改良した種苗や肥料なんかも運べる日が来るかもよ」
「心配ないわ、これまでも十分やってきたもの」
「無理にとは言わないさ、もし気が変わったら、最寄りの河童に相談してね」
そうだ、帰りはにとりの飛行機に乗せてもらおう。そうお願いすると、彼女は快諾してくれた、ラッキー。
「記念すべき旅客第一号だね。腕が鳴るなあ」
無邪気なにとりを見て、幽香が疑問をはさんだ。
「でも、随分貧弱そうな見た目じゃない、信じていいのかしら」
「確かに、改良の余地はあるさ。でもこの機体はいわば新芽、そのうち開花させて見せるよ。技術の進歩を甘く見ない方がいいよ」
にとりの強気な態度と植物のたとえに、幽香がまあ、と目を細めた。
「これが貴方の花……ずいぶんいびつだけど、なら咲かせてみなさい」
「おうよ」 と胸を叩く。
にとりが飛行機の方向を変えるのを手伝い、私とチルノはぎゅうぎゅうになりながら座席に座り、一番丈夫そうな飛行機の骨格を掴んだ。
にとりがエンジンをかけ、プロペラが周り、滑走を始める。
「じゃあ幽香、リグル、元気でね」 チルノが手を振った。
「また遊びにいらっしゃい」
「今度はルーミアもね」
「それじゃあ、失礼するわ」
飛行機の速度が上がっていき、やがて心地良い浮遊感がして、ぐんぐん地面が遠ざかっていく。上空の風は少し寒いが、夏は快適だろうね。
「ううむ、まだエンジンの出力が足りないな」
「それでも、自分でとぶよかずっと高く速く飛べている。なぜかすごく新鮮だよ」
チルノは結構満足しているみたい。それを聞いたにとりが得意そうにうなずく。
そうだ言い忘れていた事がある。
「にとり、魔理沙は無事だよ」
「本当? そうかそうか、生きていたかぁ。で、魔理沙は自力で飛べるのかい?」
「まだ無理っぽかった」
「じゃあ、今度魔理沙も乗せてやろう。今じゃ妖怪もろくに飛べないからな。魔理沙以外にもきっと飛行機の需要はあるぞ。今は貧弱でも、そのうちなんでも運べるようになるよ」
「河童の天下かあ、ちょっと不安」 私は思っていたことを口に出す。
「失敬な、別にみんなを奴隷にするとか考えていやしないさ」
「そうじゃなくて、山を崩落させてダムを作るとか、斜め上の開発しやしないか気になったの」
「ううむ、ダムの一件はやりすぎたと思っているさ」
この世界の幻想郷でもそういう騒動があったんだな。そんな会話をしていると、規則正しかったエンジンの音が何やらつっかえつっかえになってきている気がする。
「いや、気がしてるじゃなくて、にとり!」
「ん、どーした」
「エンジン不調! やっぱり重量オーバーか」
「やっぱりって何よ?」
「ギリ行けると思ったんだ」
エンジンの音が変になるにつれて、プロペラの回転も鈍くなっていく。私達なら落ちても『一回休み』ですむだろうけど、にとりがせっかく作った飛行機は壊れてしまう。
考えろ、私。
「そうだ、私がエンジンに妖力を注いでみる」
「そんな事ができるのか?」
「やってみなきゃわからないじゃない」
「あたいユカリ信じる」
私は機体の骨格から片手を放し、エンジンに両手をかざし、妖力をこめると。ぼん、と音がしてエンジンは元気になり、回転数が上がり、さらに回転数が上がり、もっと出力が増し、あまりに元気過ぎて……火を吹いたじゃない!
「わっわっどうしよどうしよ」
パニクる私。妖怪賢者の威厳もへったくれもないよ、でもどうしていいか分からない。
「アホ! 火災起こしてどうする!」 ごもっとも。
「ごめんチルノ、火を消して」
「任せろ」
「エンジンを凍らすってオチは無しだかんな! 火だけ消せ火だけ!」
チルノが冷気を吹きかけると、火は収まり、回転数も安定した。
エンジンは凍ってはいない。しかし今度は……。
Icing!!!!!
「舵が凍りやがった! 操縦が効かん!」
機体全体が着氷している。私達を乗せた飛行機はバランスを崩し、どこかの森へ突っ込んでいく。
「お前のせいだぞ」
「だってあたい火を消そうと」
森が見る見るうちに迫ってくる。落ちる瞬間、私はとっさにチルノを抱きしめて、直後に衝撃、暗転。
と、そういう経緯で、私たちはどっかの森に落ちていたというわけ。
「くそ、今日は厄日だ」 にとりが立ち上がって悪態をつく。
「ごめんなさい、私が妖力を調節できていればこうはならなかったのに」
「あたいが冷やしすぎたのも悪いよ、ごめん」
「さっきのは言い過ぎた、こちらこそ悪かったよ、もとはといえば私のエンジンに問題があったんだ」
「そもそも私達が無理言って乗せてもらったのが悪かったの」
「う~ん、でもそれを許可したのは機長である私だし。死人が出なくて良かったんじゃない」
とりあえずそれぞれ責任があったという事で仲直り、でいいと思う。
落ちていた背嚢も無事だった。それを拾って飛行機を後にすると、小さな道が見えた、ここをたどっていくことにしよう。
「あたい、ほんとバカばっかり、さいきょーさいきょー言ってもみんなに迷惑かけた」
「確かに、もうちょっと考えて動くべきだったな。でもあの状況、私もパニックになってたから人の事は言えんよ」
「あたいは、確かにバカだ」
「チルノ……」
にとりがフォローしてくれたが、彼女は相変わらずうなだれて歩いている、この子らしくもない。声をかけようかと思ったが、タイミングが分からない。何を言っても薄っぺらな励ましに聞こえてしまいそうで怖い。こんな悩みはいつ以来だろう。
それでも目の前の問題は消えない。永遠亭か、里への道を探さねば。しばらく歩くと一匹の蝶が飛んできて、私達の目の前の空間から離れずに舞っている。私達が歩を進めると、まるで道案内をしているようにすこし前方でひらひら飛んでいる。たしかリグル=ナイトバグが鈴仙を探すと言っていたっけ。
「このちょうちょ、道案内をしているみたい」
「きっとリグルだよ、鈴仙を見つけたんだ」
「何かの罠じゃないのか? 怪しいなあ」
不審がるにとりを説き伏せて進んでいくと、目の前の枝から一匹の大きな蜘蛛がすーっと降りてきて、蝶は驚いたのか逃げてしまう。
「おい邪魔すんなよ」
チルノが怒る。だが蜘蛛は地面に降り立つと、足の一本を持ち上げてくいくいと動かしてまた歩き出した。少し離れてまたこちらを向いてくいくい、その場を動かない私達を見て、さらに強く足をくいくい、と。
「なんかこれ……」
「ついてこいって言っているのか」
蜘蛛についていった先に山小屋が建っていた。古くはなさそうに見えるその小屋には、『古い蜘蛛の巣亭』の看板が。
宿だろうか、私がノックすると、土蜘蛛の妖怪が私達を出迎えた。彼女の名は確か黒谷ヤマメ。彼女の背後で、少し警戒心を持ってこちらを見ているのは、小柄なつるべ桶の妖怪だった。キスメと呼ばれていたはず。
「ようこそ、『古い蜘蛛の巣亭』へ、あなたは998人目のお客様です」
ヤマメはそのように挨拶した。
敵意はなさそうだし、ここで休憩させてもらおう。私に続いてにとりが入る、チルノは外で考え事をしている。まだ自分が許せないんだろうか?
「チルノ、入りましょう」
「うん」
なぜかヤマメが期待に胸を躍らせた表情で、チルノが小屋に入るのを今か今かと待っている。
「ワクワク、早く入ってくれないかなぁ」
チルノが小屋の入り口に向かうのをヤマメはもどかしそうに見ている。
「妖精のお客さんも、遠慮せずに入った入った」
ついにチルノが小屋の敷居をまたぐと、彼女はチルノの手を取り、おめでとうございます、と目を輝かせて祝福した。
「あんたは千人目のお客さんだよ」
「何だって?」
「キリのいい番号ゲットしたから、記念品をあげちゃう」
「よく知らないけど、ありがと」
急にヤマメのトーンが落ちた。
「と、言いたい所なんだけど、実は急病人が出ていて、今部屋で寝込んでいるの」
私は、黒谷ヤマメの種族を思い出す。土蜘蛛は病気を操るとか……。
受付の傍らに掲示板と書かれた黒板があって、そこに書かれた言葉にどきりとした。黒板には、『助けてください』とある。その急病人が書いたのかな。
「あーっ今失礼な想像したでしょ」
「いいえ、そんな事……」
「いいって、先に答えておくと、あなたが今思った疑問その一の答えはノー、私がもたらした病気じゃないし、正直その力もなくなっているのよ。んで、疑問その二の答え、掲示板の字はキスメ、この子が誰か力のある人に助けて欲しいと思って書いたもの」
「ぶしつけな事を考えてごめんなさい。それで、その病人の容体はどうなのかしら」
「今すぐ死にそうなほどではないみたい。その子は兎の妖怪でね、道で倒れていたところを眷属の蜘蛛の子が見つけて知らせてくれたの、それで、他の虫系妖怪の眷属も兎の子を探しているみたいなんだけど、あっちの眷属はこっちを怖がって、どう連絡付けたものかと困っていてね」
おそらく鈴仙だろう。彼女の寝ている部屋には当然ながら入ってはいけないと言われた。薬はあるのかというと、彼女が持っていた薬草を煎じて飲むと効きそうだが、妖力で火を起こすコンロが壊れているという。
「こりゃあ修理が必要だね」 コンロを見たにとりが言った。
「私が妖力こめると、またどかーんとか」
「うん、またどかーん」 硬い表情。重い沈黙。
「ユカリ、お湯を沸かさないとクスリにならないの?」
「ええ、薬草の成分をお湯に溶かして飲まないと効かないんだ」
「冷やすなら得意なのに、あたい、ちっとも役に立ててない」
にとりは受付のロビーの椅子に腰かけて一休みし、私もそれに倣う。ヤマメとつるべ桶の子は何か相談している。チルノはひとり床に足をこすりつけながら何かつぶやいている。いつものこの子らしくない。
「ねえにとり、冷やす機能を温める機能に変える事は出来ないの」
「う~ん、外界のクーラーの原理を応用すればいけるかもな」
「チルノの冷気を操る能力。物体への圧力を自在に変える能力なのかしら?」
「それとも、分子の振動を激しくしたり緩くしたりする能力かも」
う~ん、チルノの力って、もしかして……。
「こうなったら、私とキスメで薪を拾ってくるよ。マッチがあったはずだし」
出かけようとする二人を私は呼び止めた。
「私、ちょっと考えてみたんだけど。チルノもいい?」
私は鍋を借りて、井戸水を入れた。そしてチルノにお願いしてみる。
「チルノ、貴方はこの水を凍らせる事はできるよね」
「うん、でも今は役に立たないんでしょ」
「最後まで聞いて。凍った水を元に戻す事はできる?」
「カエルを凍らせて元に戻す遊びしているからできるよ」
「じゃあ、この水をすでに凍っているという事にして、これをさらに溶かすイメージをしてみて」
「何言ってんだユカリ。わけわかんない」
頬を膨らませるチルノもなかなか可愛い。でも今はそれどころじゃない。私はチルノの目を見て言った。
「あのね、もしかしたらあなたは病人を救えるかもしれないの。お願い」
「あたいが、助ける? できるの?」 彼女の目が見開かれる。
「私の仮説が正しければ」
チルノは考え込んでいたが、水の入った鍋を前に両手をかざす。
「それじゃあいくよ。これは氷、これは氷、溶けろ」
鍋の水は沈黙したまま、やっぱりだめか、と思っていると……。
ぼこ
「ん?」
ぼこぼこ
鍋の底から小さな気泡がわいてきて、次第に大きくなり、湯気が立ってきた。ヤマメが指先をちょいと鍋の中に入れる。
「熱っ!」
「信じられない、ヤマメ、これで薬草を煎じられるよ」 つるべ桶の妖怪、キスメが喜ぶ。
「こいつはすごいね、応用範囲は広そうだ」 にとりも興味しんしん。
「熱くなってる、これがあたいの力?」
チルノが新たな発見に驚いている。そう、これが貴方の力だよ。
「チルノ、あなたは自分が思っているより強いんだから、自信を持ちなさい」
「うん。でもこれは、ユカリが気づかせてくれたおかげ。あたいが最強なら、ユカリは天才だよ。ありがとね」
やっといつものテンションに戻ってくれた。彼女の雰囲気はこれに限る。
早速キスメが薬草を煎じ、温かい薬草のお茶を病室へ運んでいく。
鈴仙の容体は安定しているらしい。ひとまず安心できた。その後私は宿泊料を兼ねて夕食の準備を手伝った。ヤマメはお湯の提供だけで十分と言ってくれたが、私は特にする事がなかったのでテーブルを拭いたり、配膳の準備をさせてもらった。にとりはまだ、ありあわせの道具でコンロを直せないか試している。
「異変で地下都市に帰れなくなっちゃって。だからキスメと二人でこうして『古い蜘蛛の巣亭』を立ち上げて生活しているんだ」
彼女も異変の被害者だったのか。忘れていた胸の痛みがよみがえる。なぜだろう、ここにいるであろう、平行世界の私が異変に関わっているのは確かだとしても、私自身は関わっていないはず。掲示板の『助けてください』を思い出す。
「あんた、妖精の話だと記憶が無いんだって?」
「はい、自分が何者かは分かっているんだけど、力を失った前後の記憶がないの。だからこうして手がかりを探して幻想郷を旅しているのです」
チルノは鍋に手をかざしている。美味しそうな香りが漂っている。
「あたいは友達を探している途中にユカリに会ったんだ。で、一緒に行こうってなって、いろいろ危ない事もあったし、友達も全員は見つかってないけど、ユカリと旅して楽しい事もいっぱいあったんだ」
照れる、こちらはやりたいようにやっただけだよ。
「少なくともあんたの親切さと、この子の話しぶりからして、たぶん、あんたは良い奴なんだと思うよ」
「そうなのだと良いのだけど」
「記憶が飛んだのも、きっと悪事を働いたしっぺ返しとかじゃないと思う」
その一言に安心を覚えるが、次の言葉が妙に刺さった。
「でも、善人だからこそ、良かれと思って突っ走ってしまう時だってありうる」
「確かに……そうですね」
この世界の私は、どういう心境で異変に関与したのだろうか。
ヤマメが私の顔を見る。心の内を見透かされているような。
「突っ走ってしまった事に気づいたら、後悔して、反省して、それから自分にやれる事を見つけて欲しいと思う。そう思わないかい?」
あまりに真剣な顔、まるで私を咎めたい気持ちを押し隠しているようにさえ……。
しばらくしてヤマメがにっ、と笑った。
「いや、ちょっと考えて欲しいなって思っただけ、妖怪が妖怪を怖がってどうすんだ?」
「そんなに私、怖がっていた?」
「うん、ビビってた」
それからは以前の手伝いをして、夕食になった。ご飯はキノコや山菜の鍋料理。他にお粥も作られて、キスメが鈴仙のもとへ持っていった。戻ってきた彼女に効くと、かなり元気になってきているらしい。
その晩、力を使ったのかぐっすり寝ているチルノの横で、もし私がこの世界の八雲紫で、異変の首謀者だったとしたらどうするか、どう償うかと考えてなかなか寝付けなかった。
「ちょっと散歩しようかな」
廊下に出ると、受付の方がまだ明るい。見るとキスメがつるべ桶を足場代わりにして、掲示板に何かを書こうとしていた。しばらくその愛らしい様に見とれていると、私の存在に気付き、とことこと寄ってくる。
「お客さん、眠れないの?」
「うん、驚かせてごめんなさい、いろいろ考えちゃって」
「もしよかったらでいいけれど、見て欲しいものがあるの」
「じゃあ、見せてくれるかしら」
彼女はついてきて、と私の袖を引っ張って、『幻想歴史史料館』と書かれたプレートのあるドアの前で止まった。
「ここを見て欲しいの?」
「うん」
ドアに手をかける。
「ちょっと待った!」
心臓が跳ね上がった。振り返るとヤマメが居た。
「アハハ、ま~た妖怪が妖怪を怖がってる。いい顔」
「情けないです」
「ごめんなさい、このコンテンツはただいま工事中です。キスメもお客さんも、もう寝ましょう」
あまり詮索するのも失礼と思い、私は何も聞かずに二人に挨拶して寝室に戻った。ちらりとキスメが掲示板に何を書いたのかを見ると、また心が波打った。
『どうか思い出して下さい』
これは私宛、なんだろうか? 心にもやもやしたものを抱えながら部屋に戻ると、チルノが盛大な寝相になっていたので、私はあらあら、と少し笑いながら毛布を直してやった。ちょっとだけ気が晴れたように思う。私はやっぱりこの子に救われているな。
次の日、鈴仙はすっかり元気になっていて、チルノの沸かしたお湯のおかげだと知ると、驚きと感謝の気持ちを見せてくれた。
「そういう事だから、あんまり妖精をバカにしちゃだめよ」
「そうですね、まだまだ私の知らない事がいっぱいですね。ありがとうございます」
真面目にお礼を言われてチルノは少し照れた。
「いいって事よ、それより、あんたの病気はもういいの?」
「はい、念のため永遠亭でもっと詳しく診てもらいますので」
「じゃあ安心だな」
「では、ヤマメさん達にもお世話になりました。これはお代です」
「うん、生活厳しいから頂いておくわ。毎度あり」
にとりがコンロをリュックに詰め込んだ。
「じゃあ、コンロは持って行くよ、修理したらまた持ってくる」
「頼んだよ」
例の掲示板の言葉が気になって、キスメに尋ねてみようかとも思うのだけど、なんだかその勇気が出なかった。私は何を恐れているのだろうか。そして、あの部屋に入ろうとした私を止めたヤマメ。自分で思い出せという事なのか。
「あ~っ、あの部屋の事を気にしてるでしょ」
「えっ、いやそういうわけでは」
「あの部屋にはね……」 突如、地響きのような音とともに、妖力が削られるような、ぞっとした雰囲気が辺りを包んだ。
急いで外に出ると、例の幻想殺し、黒いもやが迫ってきていた。大きさは一軒家ほど、楕円の体にムカデのような無数の足が動いて、それで移動しているみたい。
「うちの旅館を怖しに来たのかよ」 ヤマメが箒を持って立ちはだかる。
そうだ、永遠亭で、私はこいつの説得に成功したんだ、今度もいけるはず。
「皆さん、ここは私が退治します。師匠に対策は習っていますから」
鈴仙が指を銃の形に構えて前に出た。
「待って、私がおとなしくさせる」
「紫さん、1人じゃ危険ですよ」
私は鈴仙の声を無視して、その存在に近づき、目(と思われる部位)と目を合わせた。恐れずに幻想殺しの体に手を触れ、幻想の力を返して、と念じ……。
「!!!」
いきなり体に痛みと衝撃が走り、一瞬だけ無重力を感じた。
「ユカリ!」
「あちゃ~なんて無謀な」
身体じゅうの痛みとともに気が付くと、私は地面に伏せていた。ちくしょう、前回の成功で甘く見てしまった。チルノが駆けよって私を助け起こしてくれる。
「ユカリ、あたいよりムボーだよ」
「ごめん、油断してたわ」
幻想殺しは小屋に迫り触手を伸ばす、ちょうど『幻想歴史資料館』のある部屋を破壊し、資料と思しき写真や文書が飛び散った。
「こらー旅館を壊すな。狙うなら私達を狙いな!」
ヤマメが蜘蛛の糸を手から放出して敵をからめとろうとするが、効果がない。
舞い散った資料の中には、全裸で踊る藍、八意永琳のファンたちが手を振り上げて応援している姿、居眠りしている紅魔館門番の額にナイフが刺さっていたり、果ては人形遣いがリズムよく藁人形に五寸釘を打ち込んでいたりする写真があり、その現物らしきナイフや藁人形も散乱していた。
そして幻想殺しはそれらを触手に絡めて体内に取り込み、消化、はせず吐き出した。
「吐くのかよ!」
「美味しい幻想じゃなかったみたい」 キスメが冷静にコメントしている。
幻想殺しの目に相当する部分がこっち向きやがった。だったら応戦するまで。
「私があいつを引き付けます。その間に」
「お願い、無理しないで」
「ユカリごめん、あたい朝ごはんもお湯を作ったから力が出ないよ」
「大丈夫、貴方は隠れていて」
鈴仙がジャンプを繰り返して幻想殺しの背後に回り込み、指を銃の形にして牽制の妖力弾を撃つ。誰かが注意を引き付けているうちに、別の誰かが撃ち、その人がターゲットにされたら別の誰かが引き付ける。経験上この方法が手堅い。
「ああっ、増えた!」
ヤマメが叫ぶ。幻想殺しの背後らしき部分が分離して鈴仙を狙う。鈴仙はジャンプしながら弾幕をぶつけて戦うが、残りの部分が私達に迫ってきた。
「地上の河童をなめるなよ」
にとりが片腕を伸ばして攻撃を試みるが、核が奥深くにあるのか突き刺さっただけで動きを止めない。
「そうだ!」
その時、私にある手段がひらめいた。妖力を振り絞ってスキマを開くと、スキマの向こうに幻想殺しの側面が移り、目のような部位がこちらを向く。
「こんにちは」 幻想殺しは私を狙おうと体を分裂させる。あらゆる方向にスキマを開き、幻想殺しを数体に分裂させた。
「お客さんさあ、敵を増やしてどうすんのよ」 とヤマメ。
「大丈夫よ」 と私が請け合う。
幻想殺しはさらに分裂し、数で私達を圧倒しようとしている……。
「ちっとも大丈夫じゃ……あっ! ははは」 私の言葉の意味を理解したにとりが苦笑した。
確かに幻想殺しは分裂して数を増やし、私達を取り囲もうとしたのだけど、悲しいかな、一体当たりの大きさも力も小さくなっちゃった。
「みんな、力の残っている子は全員で一個ずつ潰しましょう。まずはあっち」
「これならゴリ押しでいけるよ!」
私とヤマメ、キスメ、にとり、それから頑張っているチルノで、まず一体が消滅した。続いてもう一体。分裂後の個体同士の連携は下手だったようで、ほどなく各個撃破が進んでいく。一体やっつけるごとに貯めていた幻想分が放出されて、しだいにこちらの力が増していく。
「これでいっちょ上がり」
チルノが最後の個体をやっつける。幻想殺しはただの煙のように薄まって消えていった。妖力が減っていても手慣れたものね。
「皆さん、無事ですか」
鈴仙も最初に分離した部位をやっつけて、3メートルほどの跳躍を繰り返して戻ってくる。彼女にも怪我はない。上出来!
「ちょいと待ちな、あれ何だ?」
ヤマメの指さす方に、きつね色の何かが落ちている。もしかして、幻想殺しに取り込まれた未消化の……嫌だ、想像したくもない。でもきつね色のそれを良く見ると、袋の形をしていて、先端に赤い飾りのようなものが付いている。生物ではないようだ。何か見覚えがある。
「こりゃあなんとレアな」 しげしげと観察していたヤマメがつぶやく。
「いったい何なの?」
「悪霊の姫が使っていたという、『エビフライ型寝袋』じゃないか。実在したのかぁ」
その寝袋がもぞもぞと動いて、中から人影が現れ、ううむと伸びをした。この子も見覚えが……。
「助かった~」
「ルーミアじゃん!」 チルノが叫ぶ。
「チルノ? 久しぶり~。なんかこの私みたい黒いのに飲まれちゃって、ずっと眠ってたみたい」
「ルーミア、体はだいじょうぶなのか?」
「うん、この寝袋に入っていたのが功を奏したのか~」
チルノはルーミアの肩を抱いてポンポン叩いた。
「よかった、大ちゃんとみすちー、リグルも無事だよ。魔理沙もいたよ。それからそれから……」
私の腕を引っ張って、彼女に紹介した。
「ユカリがさくせん立てて、それでこの黒いやつやっつけたんだ、すごいでしょ」
「ありがとうお姉さん。チルノが私たち以外に懐くなんて滅多にない事だよ。この子を大事にね。けっこう危ない事もするから」
それは分かっている。というか、私も人の事は言えない。
一段落した後、半壊した旅館を見て、再建はできるのかと心配になった。
「大丈夫、あたしゃ大工もやってたから、これくらい立て直せるさ。幻想分も戻ってきたし、お客も増えると思うよ」
「ヤマメは強いんだから、きっとなんとかなるよ」 キスメも明るい。
ふと空を見ると、何か紙のような物がひらひら風に流されていた。新聞紙みたい。記事は何かな? 私が手を伸ばそうとしたとたん、蜘蛛の糸がそれを横取りした。ヤマメの手のひらから伸びたものだった。
「おおっと、これは未整理の史料だよ。あの部屋、史料館とは名ばかりでさ、適当に資料が詰め込んであって見せられたもんじゃないから、整理してから公開するつもりだったんだ」
彼女は優しい表情だったが、私の考えすぎなのか、心のうちに何かを隠しているような目に思えた。
「……そうでしたの。公開されたら見てみたいです。立て直しを手伝いたいのだけど、する事があるので、お世話になりました」
「またのお越しをお待ちしています」 互いにぺこり。
ルーミアは、『どこも私の寝床のようなものだから』と言い、そのままどこかへと飛んで行った。いちおう幻想殺しには近づいちゃダメ。幻想分が薄いと思ったら即引き返すように念を押しておいた。ヤマメがエビフライ型寝袋を譲ってくれないかと打診したが、これのおかげで助かったからと断られ、しぶしぶ諦めた。これでやっと4人で永遠亭に戻れる。道順は鈴仙が知っているとの事。
行こうとしたところで、ヤマメが何かを思い出し、あ~と声を上げた。
「何なのよ?」
「記念品、千人目のやつ忘れてた……何かあげようと思ったけど、ええっと、何がいいかなあ」
ヤマメはキスメと一緒にプレゼントの相談をしている。
「考えてなかったの?」
「ごめん、いろいろ立て込んでたから。そうだ、門番の額に刺さったナイフなんかどう?」
「物騒すぎるよ、それにあれ本当はメルラリで買った怪しいやつでしょ」
「綺麗なサイダー瓶があったなあ。ほら、昔知り合いと一緒に飲んだヤツ」
小屋に何かを探しに戻るヤマメをチルノが止めた。
「もうもらったからいいよ」
「どういう意味だい?」
「うん、鈴仙が病気になったのはかわいそうだったけど、ここに来たおかげでルーミアに会えたし、ユカリにヒントを貰って、あたいの力に大発見あったし」
「すまないね」
「いいのいいの。じゃあね、また泊まりに来るよ」
「では皆さんさようなら、良い旅を。紫さんも記憶が戻ると良いね」
「ありがとう」
あの新聞記事が気になる。一瞬だけ確かに文字が見えたのだ『博麗霊夢氏……』と。一体霊夢の身に何が? 疑問が残り、記憶も未だ戻らない。でもとりあえず誰も欠けなかっただけでも良しとしなければ。
「伝えなくていいの?」
「うん、自分でたどり着くべきだと思うから」
太陽の畑にて。
「ええっ、紫様はもう発った?」
「ええ、河童の機械に乗って永遠亭に帰ったわ」
「もしかして、慣れない音を出して飛んでいたあれか」
「焦らずハーブティでも飲んでいったらどう?」
「う~ん、頂きます」
花畑には新しい芽が伸びつつあった。
橙が芽を踏まないように気を付けながら、リグルと戯れていた。
「橙も無事だったんだね。私も夏にはきっと、蛍のショーを見せられると思うよ」
「にゃあ」
魔理沙と出会った場所よりは開けた森の中、聞き覚えのある声がして、体中の痛みとともに私は目を覚ました。ぼんやりしていると再び生きているか確認する声がする。誰だっけ? チルノ、そうチルノだ。自身も細かい傷を作りながら、それでも私を心配そうに見つめていた。
「大丈夫よ、チルノは?」
「あたいは大丈夫、ユカリがかばってくれたから」
私はチルノの手を取って起き上がる。飛行機の残骸から煙がくすぶっていたが幸い火災には至っていない。しかし古着屋兼仕立屋で見繕ってもらった服がぼろぼろだ。作ってくれたおかみさんごめんね。なんでこうなったんだっけ? 記憶がはっきりしてくる、そうそう、私達は飛行機に乗っけてもらい、永遠亭へ戻ろうとしていて、そして……。
太陽の畑に着陸したにとりは飛行機のエンジンを止めて機体から降り、軽く会釈した後、商売っ気のある口調で乗ってきた機械の説明を始めた。
「またあったね、紫さんとチルノ。そしてこんにちは、太陽の畑の方々。いま私達は最小限の幻想の力で飛べる、飛行機のデモンストレーションをやって各地を回っているんだ。これが普及すれば人も妖怪も簡単に移動したり、物を運べるよ」
チルノとリグルは飛行機を興味深そうに見つめていたが、幽香はさほどの関心はなさそうだった。
「悪いけど、ここにはこんな物は必要ないから、他へ行って頂戴」
「つれないなあ、これで妖怪の山で品種改良した種苗や肥料なんかも運べる日が来るかもよ」
「心配ないわ、これまでも十分やってきたもの」
「無理にとは言わないさ、もし気が変わったら、最寄りの河童に相談してね」
そうだ、帰りはにとりの飛行機に乗せてもらおう。そうお願いすると、彼女は快諾してくれた、ラッキー。
「記念すべき旅客第一号だね。腕が鳴るなあ」
無邪気なにとりを見て、幽香が疑問をはさんだ。
「でも、随分貧弱そうな見た目じゃない、信じていいのかしら」
「確かに、改良の余地はあるさ。でもこの機体はいわば新芽、そのうち開花させて見せるよ。技術の進歩を甘く見ない方がいいよ」
にとりの強気な態度と植物のたとえに、幽香がまあ、と目を細めた。
「これが貴方の花……ずいぶんいびつだけど、なら咲かせてみなさい」
「おうよ」 と胸を叩く。
にとりが飛行機の方向を変えるのを手伝い、私とチルノはぎゅうぎゅうになりながら座席に座り、一番丈夫そうな飛行機の骨格を掴んだ。
にとりがエンジンをかけ、プロペラが周り、滑走を始める。
「じゃあ幽香、リグル、元気でね」 チルノが手を振った。
「また遊びにいらっしゃい」
「今度はルーミアもね」
「それじゃあ、失礼するわ」
飛行機の速度が上がっていき、やがて心地良い浮遊感がして、ぐんぐん地面が遠ざかっていく。上空の風は少し寒いが、夏は快適だろうね。
「ううむ、まだエンジンの出力が足りないな」
「それでも、自分でとぶよかずっと高く速く飛べている。なぜかすごく新鮮だよ」
チルノは結構満足しているみたい。それを聞いたにとりが得意そうにうなずく。
そうだ言い忘れていた事がある。
「にとり、魔理沙は無事だよ」
「本当? そうかそうか、生きていたかぁ。で、魔理沙は自力で飛べるのかい?」
「まだ無理っぽかった」
「じゃあ、今度魔理沙も乗せてやろう。今じゃ妖怪もろくに飛べないからな。魔理沙以外にもきっと飛行機の需要はあるぞ。今は貧弱でも、そのうちなんでも運べるようになるよ」
「河童の天下かあ、ちょっと不安」 私は思っていたことを口に出す。
「失敬な、別にみんなを奴隷にするとか考えていやしないさ」
「そうじゃなくて、山を崩落させてダムを作るとか、斜め上の開発しやしないか気になったの」
「ううむ、ダムの一件はやりすぎたと思っているさ」
この世界の幻想郷でもそういう騒動があったんだな。そんな会話をしていると、規則正しかったエンジンの音が何やらつっかえつっかえになってきている気がする。
「いや、気がしてるじゃなくて、にとり!」
「ん、どーした」
「エンジン不調! やっぱり重量オーバーか」
「やっぱりって何よ?」
「ギリ行けると思ったんだ」
エンジンの音が変になるにつれて、プロペラの回転も鈍くなっていく。私達なら落ちても『一回休み』ですむだろうけど、にとりがせっかく作った飛行機は壊れてしまう。
考えろ、私。
「そうだ、私がエンジンに妖力を注いでみる」
「そんな事ができるのか?」
「やってみなきゃわからないじゃない」
「あたいユカリ信じる」
私は機体の骨格から片手を放し、エンジンに両手をかざし、妖力をこめると。ぼん、と音がしてエンジンは元気になり、回転数が上がり、さらに回転数が上がり、もっと出力が増し、あまりに元気過ぎて……火を吹いたじゃない!
「わっわっどうしよどうしよ」
パニクる私。妖怪賢者の威厳もへったくれもないよ、でもどうしていいか分からない。
「アホ! 火災起こしてどうする!」 ごもっとも。
「ごめんチルノ、火を消して」
「任せろ」
「エンジンを凍らすってオチは無しだかんな! 火だけ消せ火だけ!」
チルノが冷気を吹きかけると、火は収まり、回転数も安定した。
エンジンは凍ってはいない。しかし今度は……。
Icing!!!!!
「舵が凍りやがった! 操縦が効かん!」
機体全体が着氷している。私達を乗せた飛行機はバランスを崩し、どこかの森へ突っ込んでいく。
「お前のせいだぞ」
「だってあたい火を消そうと」
森が見る見るうちに迫ってくる。落ちる瞬間、私はとっさにチルノを抱きしめて、直後に衝撃、暗転。
と、そういう経緯で、私たちはどっかの森に落ちていたというわけ。
「くそ、今日は厄日だ」 にとりが立ち上がって悪態をつく。
「ごめんなさい、私が妖力を調節できていればこうはならなかったのに」
「あたいが冷やしすぎたのも悪いよ、ごめん」
「さっきのは言い過ぎた、こちらこそ悪かったよ、もとはといえば私のエンジンに問題があったんだ」
「そもそも私達が無理言って乗せてもらったのが悪かったの」
「う~ん、でもそれを許可したのは機長である私だし。死人が出なくて良かったんじゃない」
とりあえずそれぞれ責任があったという事で仲直り、でいいと思う。
落ちていた背嚢も無事だった。それを拾って飛行機を後にすると、小さな道が見えた、ここをたどっていくことにしよう。
「あたい、ほんとバカばっかり、さいきょーさいきょー言ってもみんなに迷惑かけた」
「確かに、もうちょっと考えて動くべきだったな。でもあの状況、私もパニックになってたから人の事は言えんよ」
「あたいは、確かにバカだ」
「チルノ……」
にとりがフォローしてくれたが、彼女は相変わらずうなだれて歩いている、この子らしくもない。声をかけようかと思ったが、タイミングが分からない。何を言っても薄っぺらな励ましに聞こえてしまいそうで怖い。こんな悩みはいつ以来だろう。
それでも目の前の問題は消えない。永遠亭か、里への道を探さねば。しばらく歩くと一匹の蝶が飛んできて、私達の目の前の空間から離れずに舞っている。私達が歩を進めると、まるで道案内をしているようにすこし前方でひらひら飛んでいる。たしかリグル=ナイトバグが鈴仙を探すと言っていたっけ。
「このちょうちょ、道案内をしているみたい」
「きっとリグルだよ、鈴仙を見つけたんだ」
「何かの罠じゃないのか? 怪しいなあ」
不審がるにとりを説き伏せて進んでいくと、目の前の枝から一匹の大きな蜘蛛がすーっと降りてきて、蝶は驚いたのか逃げてしまう。
「おい邪魔すんなよ」
チルノが怒る。だが蜘蛛は地面に降り立つと、足の一本を持ち上げてくいくいと動かしてまた歩き出した。少し離れてまたこちらを向いてくいくい、その場を動かない私達を見て、さらに強く足をくいくい、と。
「なんかこれ……」
「ついてこいって言っているのか」
蜘蛛についていった先に山小屋が建っていた。古くはなさそうに見えるその小屋には、『古い蜘蛛の巣亭』の看板が。
宿だろうか、私がノックすると、土蜘蛛の妖怪が私達を出迎えた。彼女の名は確か黒谷ヤマメ。彼女の背後で、少し警戒心を持ってこちらを見ているのは、小柄なつるべ桶の妖怪だった。キスメと呼ばれていたはず。
「ようこそ、『古い蜘蛛の巣亭』へ、あなたは998人目のお客様です」
ヤマメはそのように挨拶した。
敵意はなさそうだし、ここで休憩させてもらおう。私に続いてにとりが入る、チルノは外で考え事をしている。まだ自分が許せないんだろうか?
「チルノ、入りましょう」
「うん」
なぜかヤマメが期待に胸を躍らせた表情で、チルノが小屋に入るのを今か今かと待っている。
「ワクワク、早く入ってくれないかなぁ」
チルノが小屋の入り口に向かうのをヤマメはもどかしそうに見ている。
「妖精のお客さんも、遠慮せずに入った入った」
ついにチルノが小屋の敷居をまたぐと、彼女はチルノの手を取り、おめでとうございます、と目を輝かせて祝福した。
「あんたは千人目のお客さんだよ」
「何だって?」
「キリのいい番号ゲットしたから、記念品をあげちゃう」
「よく知らないけど、ありがと」
急にヤマメのトーンが落ちた。
「と、言いたい所なんだけど、実は急病人が出ていて、今部屋で寝込んでいるの」
私は、黒谷ヤマメの種族を思い出す。土蜘蛛は病気を操るとか……。
受付の傍らに掲示板と書かれた黒板があって、そこに書かれた言葉にどきりとした。黒板には、『助けてください』とある。その急病人が書いたのかな。
「あーっ今失礼な想像したでしょ」
「いいえ、そんな事……」
「いいって、先に答えておくと、あなたが今思った疑問その一の答えはノー、私がもたらした病気じゃないし、正直その力もなくなっているのよ。んで、疑問その二の答え、掲示板の字はキスメ、この子が誰か力のある人に助けて欲しいと思って書いたもの」
「ぶしつけな事を考えてごめんなさい。それで、その病人の容体はどうなのかしら」
「今すぐ死にそうなほどではないみたい。その子は兎の妖怪でね、道で倒れていたところを眷属の蜘蛛の子が見つけて知らせてくれたの、それで、他の虫系妖怪の眷属も兎の子を探しているみたいなんだけど、あっちの眷属はこっちを怖がって、どう連絡付けたものかと困っていてね」
おそらく鈴仙だろう。彼女の寝ている部屋には当然ながら入ってはいけないと言われた。薬はあるのかというと、彼女が持っていた薬草を煎じて飲むと効きそうだが、妖力で火を起こすコンロが壊れているという。
「こりゃあ修理が必要だね」 コンロを見たにとりが言った。
「私が妖力こめると、またどかーんとか」
「うん、またどかーん」 硬い表情。重い沈黙。
「ユカリ、お湯を沸かさないとクスリにならないの?」
「ええ、薬草の成分をお湯に溶かして飲まないと効かないんだ」
「冷やすなら得意なのに、あたい、ちっとも役に立ててない」
にとりは受付のロビーの椅子に腰かけて一休みし、私もそれに倣う。ヤマメとつるべ桶の子は何か相談している。チルノはひとり床に足をこすりつけながら何かつぶやいている。いつものこの子らしくない。
「ねえにとり、冷やす機能を温める機能に変える事は出来ないの」
「う~ん、外界のクーラーの原理を応用すればいけるかもな」
「チルノの冷気を操る能力。物体への圧力を自在に変える能力なのかしら?」
「それとも、分子の振動を激しくしたり緩くしたりする能力かも」
う~ん、チルノの力って、もしかして……。
「こうなったら、私とキスメで薪を拾ってくるよ。マッチがあったはずだし」
出かけようとする二人を私は呼び止めた。
「私、ちょっと考えてみたんだけど。チルノもいい?」
私は鍋を借りて、井戸水を入れた。そしてチルノにお願いしてみる。
「チルノ、貴方はこの水を凍らせる事はできるよね」
「うん、でも今は役に立たないんでしょ」
「最後まで聞いて。凍った水を元に戻す事はできる?」
「カエルを凍らせて元に戻す遊びしているからできるよ」
「じゃあ、この水をすでに凍っているという事にして、これをさらに溶かすイメージをしてみて」
「何言ってんだユカリ。わけわかんない」
頬を膨らませるチルノもなかなか可愛い。でも今はそれどころじゃない。私はチルノの目を見て言った。
「あのね、もしかしたらあなたは病人を救えるかもしれないの。お願い」
「あたいが、助ける? できるの?」 彼女の目が見開かれる。
「私の仮説が正しければ」
チルノは考え込んでいたが、水の入った鍋を前に両手をかざす。
「それじゃあいくよ。これは氷、これは氷、溶けろ」
鍋の水は沈黙したまま、やっぱりだめか、と思っていると……。
ぼこ
「ん?」
ぼこぼこ
鍋の底から小さな気泡がわいてきて、次第に大きくなり、湯気が立ってきた。ヤマメが指先をちょいと鍋の中に入れる。
「熱っ!」
「信じられない、ヤマメ、これで薬草を煎じられるよ」 つるべ桶の妖怪、キスメが喜ぶ。
「こいつはすごいね、応用範囲は広そうだ」 にとりも興味しんしん。
「熱くなってる、これがあたいの力?」
チルノが新たな発見に驚いている。そう、これが貴方の力だよ。
「チルノ、あなたは自分が思っているより強いんだから、自信を持ちなさい」
「うん。でもこれは、ユカリが気づかせてくれたおかげ。あたいが最強なら、ユカリは天才だよ。ありがとね」
やっといつものテンションに戻ってくれた。彼女の雰囲気はこれに限る。
早速キスメが薬草を煎じ、温かい薬草のお茶を病室へ運んでいく。
鈴仙の容体は安定しているらしい。ひとまず安心できた。その後私は宿泊料を兼ねて夕食の準備を手伝った。ヤマメはお湯の提供だけで十分と言ってくれたが、私は特にする事がなかったのでテーブルを拭いたり、配膳の準備をさせてもらった。にとりはまだ、ありあわせの道具でコンロを直せないか試している。
「異変で地下都市に帰れなくなっちゃって。だからキスメと二人でこうして『古い蜘蛛の巣亭』を立ち上げて生活しているんだ」
彼女も異変の被害者だったのか。忘れていた胸の痛みがよみがえる。なぜだろう、ここにいるであろう、平行世界の私が異変に関わっているのは確かだとしても、私自身は関わっていないはず。掲示板の『助けてください』を思い出す。
「あんた、妖精の話だと記憶が無いんだって?」
「はい、自分が何者かは分かっているんだけど、力を失った前後の記憶がないの。だからこうして手がかりを探して幻想郷を旅しているのです」
チルノは鍋に手をかざしている。美味しそうな香りが漂っている。
「あたいは友達を探している途中にユカリに会ったんだ。で、一緒に行こうってなって、いろいろ危ない事もあったし、友達も全員は見つかってないけど、ユカリと旅して楽しい事もいっぱいあったんだ」
照れる、こちらはやりたいようにやっただけだよ。
「少なくともあんたの親切さと、この子の話しぶりからして、たぶん、あんたは良い奴なんだと思うよ」
「そうなのだと良いのだけど」
「記憶が飛んだのも、きっと悪事を働いたしっぺ返しとかじゃないと思う」
その一言に安心を覚えるが、次の言葉が妙に刺さった。
「でも、善人だからこそ、良かれと思って突っ走ってしまう時だってありうる」
「確かに……そうですね」
この世界の私は、どういう心境で異変に関与したのだろうか。
ヤマメが私の顔を見る。心の内を見透かされているような。
「突っ走ってしまった事に気づいたら、後悔して、反省して、それから自分にやれる事を見つけて欲しいと思う。そう思わないかい?」
あまりに真剣な顔、まるで私を咎めたい気持ちを押し隠しているようにさえ……。
しばらくしてヤマメがにっ、と笑った。
「いや、ちょっと考えて欲しいなって思っただけ、妖怪が妖怪を怖がってどうすんだ?」
「そんなに私、怖がっていた?」
「うん、ビビってた」
それからは以前の手伝いをして、夕食になった。ご飯はキノコや山菜の鍋料理。他にお粥も作られて、キスメが鈴仙のもとへ持っていった。戻ってきた彼女に効くと、かなり元気になってきているらしい。
その晩、力を使ったのかぐっすり寝ているチルノの横で、もし私がこの世界の八雲紫で、異変の首謀者だったとしたらどうするか、どう償うかと考えてなかなか寝付けなかった。
「ちょっと散歩しようかな」
廊下に出ると、受付の方がまだ明るい。見るとキスメがつるべ桶を足場代わりにして、掲示板に何かを書こうとしていた。しばらくその愛らしい様に見とれていると、私の存在に気付き、とことこと寄ってくる。
「お客さん、眠れないの?」
「うん、驚かせてごめんなさい、いろいろ考えちゃって」
「もしよかったらでいいけれど、見て欲しいものがあるの」
「じゃあ、見せてくれるかしら」
彼女はついてきて、と私の袖を引っ張って、『幻想歴史史料館』と書かれたプレートのあるドアの前で止まった。
「ここを見て欲しいの?」
「うん」
ドアに手をかける。
「ちょっと待った!」
心臓が跳ね上がった。振り返るとヤマメが居た。
「アハハ、ま~た妖怪が妖怪を怖がってる。いい顔」
「情けないです」
「ごめんなさい、このコンテンツはただいま工事中です。キスメもお客さんも、もう寝ましょう」
あまり詮索するのも失礼と思い、私は何も聞かずに二人に挨拶して寝室に戻った。ちらりとキスメが掲示板に何を書いたのかを見ると、また心が波打った。
『どうか思い出して下さい』
これは私宛、なんだろうか? 心にもやもやしたものを抱えながら部屋に戻ると、チルノが盛大な寝相になっていたので、私はあらあら、と少し笑いながら毛布を直してやった。ちょっとだけ気が晴れたように思う。私はやっぱりこの子に救われているな。
次の日、鈴仙はすっかり元気になっていて、チルノの沸かしたお湯のおかげだと知ると、驚きと感謝の気持ちを見せてくれた。
「そういう事だから、あんまり妖精をバカにしちゃだめよ」
「そうですね、まだまだ私の知らない事がいっぱいですね。ありがとうございます」
真面目にお礼を言われてチルノは少し照れた。
「いいって事よ、それより、あんたの病気はもういいの?」
「はい、念のため永遠亭でもっと詳しく診てもらいますので」
「じゃあ安心だな」
「では、ヤマメさん達にもお世話になりました。これはお代です」
「うん、生活厳しいから頂いておくわ。毎度あり」
にとりがコンロをリュックに詰め込んだ。
「じゃあ、コンロは持って行くよ、修理したらまた持ってくる」
「頼んだよ」
例の掲示板の言葉が気になって、キスメに尋ねてみようかとも思うのだけど、なんだかその勇気が出なかった。私は何を恐れているのだろうか。そして、あの部屋に入ろうとした私を止めたヤマメ。自分で思い出せという事なのか。
「あ~っ、あの部屋の事を気にしてるでしょ」
「えっ、いやそういうわけでは」
「あの部屋にはね……」 突如、地響きのような音とともに、妖力が削られるような、ぞっとした雰囲気が辺りを包んだ。
急いで外に出ると、例の幻想殺し、黒いもやが迫ってきていた。大きさは一軒家ほど、楕円の体にムカデのような無数の足が動いて、それで移動しているみたい。
「うちの旅館を怖しに来たのかよ」 ヤマメが箒を持って立ちはだかる。
そうだ、永遠亭で、私はこいつの説得に成功したんだ、今度もいけるはず。
「皆さん、ここは私が退治します。師匠に対策は習っていますから」
鈴仙が指を銃の形に構えて前に出た。
「待って、私がおとなしくさせる」
「紫さん、1人じゃ危険ですよ」
私は鈴仙の声を無視して、その存在に近づき、目(と思われる部位)と目を合わせた。恐れずに幻想殺しの体に手を触れ、幻想の力を返して、と念じ……。
「!!!」
いきなり体に痛みと衝撃が走り、一瞬だけ無重力を感じた。
「ユカリ!」
「あちゃ~なんて無謀な」
身体じゅうの痛みとともに気が付くと、私は地面に伏せていた。ちくしょう、前回の成功で甘く見てしまった。チルノが駆けよって私を助け起こしてくれる。
「ユカリ、あたいよりムボーだよ」
「ごめん、油断してたわ」
幻想殺しは小屋に迫り触手を伸ばす、ちょうど『幻想歴史資料館』のある部屋を破壊し、資料と思しき写真や文書が飛び散った。
「こらー旅館を壊すな。狙うなら私達を狙いな!」
ヤマメが蜘蛛の糸を手から放出して敵をからめとろうとするが、効果がない。
舞い散った資料の中には、全裸で踊る藍、八意永琳のファンたちが手を振り上げて応援している姿、居眠りしている紅魔館門番の額にナイフが刺さっていたり、果ては人形遣いがリズムよく藁人形に五寸釘を打ち込んでいたりする写真があり、その現物らしきナイフや藁人形も散乱していた。
そして幻想殺しはそれらを触手に絡めて体内に取り込み、消化、はせず吐き出した。
「吐くのかよ!」
「美味しい幻想じゃなかったみたい」 キスメが冷静にコメントしている。
幻想殺しの目に相当する部分がこっち向きやがった。だったら応戦するまで。
「私があいつを引き付けます。その間に」
「お願い、無理しないで」
「ユカリごめん、あたい朝ごはんもお湯を作ったから力が出ないよ」
「大丈夫、貴方は隠れていて」
鈴仙がジャンプを繰り返して幻想殺しの背後に回り込み、指を銃の形にして牽制の妖力弾を撃つ。誰かが注意を引き付けているうちに、別の誰かが撃ち、その人がターゲットにされたら別の誰かが引き付ける。経験上この方法が手堅い。
「ああっ、増えた!」
ヤマメが叫ぶ。幻想殺しの背後らしき部分が分離して鈴仙を狙う。鈴仙はジャンプしながら弾幕をぶつけて戦うが、残りの部分が私達に迫ってきた。
「地上の河童をなめるなよ」
にとりが片腕を伸ばして攻撃を試みるが、核が奥深くにあるのか突き刺さっただけで動きを止めない。
「そうだ!」
その時、私にある手段がひらめいた。妖力を振り絞ってスキマを開くと、スキマの向こうに幻想殺しの側面が移り、目のような部位がこちらを向く。
「こんにちは」 幻想殺しは私を狙おうと体を分裂させる。あらゆる方向にスキマを開き、幻想殺しを数体に分裂させた。
「お客さんさあ、敵を増やしてどうすんのよ」 とヤマメ。
「大丈夫よ」 と私が請け合う。
幻想殺しはさらに分裂し、数で私達を圧倒しようとしている……。
「ちっとも大丈夫じゃ……あっ! ははは」 私の言葉の意味を理解したにとりが苦笑した。
確かに幻想殺しは分裂して数を増やし、私達を取り囲もうとしたのだけど、悲しいかな、一体当たりの大きさも力も小さくなっちゃった。
「みんな、力の残っている子は全員で一個ずつ潰しましょう。まずはあっち」
「これならゴリ押しでいけるよ!」
私とヤマメ、キスメ、にとり、それから頑張っているチルノで、まず一体が消滅した。続いてもう一体。分裂後の個体同士の連携は下手だったようで、ほどなく各個撃破が進んでいく。一体やっつけるごとに貯めていた幻想分が放出されて、しだいにこちらの力が増していく。
「これでいっちょ上がり」
チルノが最後の個体をやっつける。幻想殺しはただの煙のように薄まって消えていった。妖力が減っていても手慣れたものね。
「皆さん、無事ですか」
鈴仙も最初に分離した部位をやっつけて、3メートルほどの跳躍を繰り返して戻ってくる。彼女にも怪我はない。上出来!
「ちょいと待ちな、あれ何だ?」
ヤマメの指さす方に、きつね色の何かが落ちている。もしかして、幻想殺しに取り込まれた未消化の……嫌だ、想像したくもない。でもきつね色のそれを良く見ると、袋の形をしていて、先端に赤い飾りのようなものが付いている。生物ではないようだ。何か見覚えがある。
「こりゃあなんとレアな」 しげしげと観察していたヤマメがつぶやく。
「いったい何なの?」
「悪霊の姫が使っていたという、『エビフライ型寝袋』じゃないか。実在したのかぁ」
その寝袋がもぞもぞと動いて、中から人影が現れ、ううむと伸びをした。この子も見覚えが……。
「助かった~」
「ルーミアじゃん!」 チルノが叫ぶ。
「チルノ? 久しぶり~。なんかこの私みたい黒いのに飲まれちゃって、ずっと眠ってたみたい」
「ルーミア、体はだいじょうぶなのか?」
「うん、この寝袋に入っていたのが功を奏したのか~」
チルノはルーミアの肩を抱いてポンポン叩いた。
「よかった、大ちゃんとみすちー、リグルも無事だよ。魔理沙もいたよ。それからそれから……」
私の腕を引っ張って、彼女に紹介した。
「ユカリがさくせん立てて、それでこの黒いやつやっつけたんだ、すごいでしょ」
「ありがとうお姉さん。チルノが私たち以外に懐くなんて滅多にない事だよ。この子を大事にね。けっこう危ない事もするから」
それは分かっている。というか、私も人の事は言えない。
一段落した後、半壊した旅館を見て、再建はできるのかと心配になった。
「大丈夫、あたしゃ大工もやってたから、これくらい立て直せるさ。幻想分も戻ってきたし、お客も増えると思うよ」
「ヤマメは強いんだから、きっとなんとかなるよ」 キスメも明るい。
ふと空を見ると、何か紙のような物がひらひら風に流されていた。新聞紙みたい。記事は何かな? 私が手を伸ばそうとしたとたん、蜘蛛の糸がそれを横取りした。ヤマメの手のひらから伸びたものだった。
「おおっと、これは未整理の史料だよ。あの部屋、史料館とは名ばかりでさ、適当に資料が詰め込んであって見せられたもんじゃないから、整理してから公開するつもりだったんだ」
彼女は優しい表情だったが、私の考えすぎなのか、心のうちに何かを隠しているような目に思えた。
「……そうでしたの。公開されたら見てみたいです。立て直しを手伝いたいのだけど、する事があるので、お世話になりました」
「またのお越しをお待ちしています」 互いにぺこり。
ルーミアは、『どこも私の寝床のようなものだから』と言い、そのままどこかへと飛んで行った。いちおう幻想殺しには近づいちゃダメ。幻想分が薄いと思ったら即引き返すように念を押しておいた。ヤマメがエビフライ型寝袋を譲ってくれないかと打診したが、これのおかげで助かったからと断られ、しぶしぶ諦めた。これでやっと4人で永遠亭に戻れる。道順は鈴仙が知っているとの事。
行こうとしたところで、ヤマメが何かを思い出し、あ~と声を上げた。
「何なのよ?」
「記念品、千人目のやつ忘れてた……何かあげようと思ったけど、ええっと、何がいいかなあ」
ヤマメはキスメと一緒にプレゼントの相談をしている。
「考えてなかったの?」
「ごめん、いろいろ立て込んでたから。そうだ、門番の額に刺さったナイフなんかどう?」
「物騒すぎるよ、それにあれ本当はメルラリで買った怪しいやつでしょ」
「綺麗なサイダー瓶があったなあ。ほら、昔知り合いと一緒に飲んだヤツ」
小屋に何かを探しに戻るヤマメをチルノが止めた。
「もうもらったからいいよ」
「どういう意味だい?」
「うん、鈴仙が病気になったのはかわいそうだったけど、ここに来たおかげでルーミアに会えたし、ユカリにヒントを貰って、あたいの力に大発見あったし」
「すまないね」
「いいのいいの。じゃあね、また泊まりに来るよ」
「では皆さんさようなら、良い旅を。紫さんも記憶が戻ると良いね」
「ありがとう」
あの新聞記事が気になる。一瞬だけ確かに文字が見えたのだ『博麗霊夢氏……』と。一体霊夢の身に何が? 疑問が残り、記憶も未だ戻らない。でもとりあえず誰も欠けなかっただけでも良しとしなければ。
「伝えなくていいの?」
「うん、自分でたどり着くべきだと思うから」
太陽の畑にて。
「ええっ、紫様はもう発った?」
「ええ、河童の機械に乗って永遠亭に帰ったわ」
「もしかして、慣れない音を出して飛んでいたあれか」
「焦らずハーブティでも飲んでいったらどう?」
「う~ん、頂きます」
花畑には新しい芽が伸びつつあった。
橙が芽を踏まないように気を付けながら、リグルと戯れていた。
「橙も無事だったんだね。私も夏にはきっと、蛍のショーを見せられると思うよ」
「にゃあ」