黒い帽子の金髪の少女が片手を勢いよく振った。
あたりは静寂のままであった。少女は首を横に振るともう一度同じことを行った。
静寂
二度、三度と繰り返すがあたりは静まりかえったままだった。そして、ついに少女のその行動が二桁に達しようかというその時、
パタン
乾いた音が鳴った。
さびれたコンクリートにしみこむたった一つの音。それがしっかりとしみこむまで待って少女は閉じていた目をゆっくり開けた。澄んだ琥珀色の目が音のしたほうを捉える。
改札機であった。もはや人が通らなくなって久しいその改札機が自身の扉を閉めた音であった。
少女は音を立てることなく、その改札機の側へと立った。そして、音が鳴った改札機へと指を這わせた。埃の被ったその肌を長い美しい指がくすぐるように動いた。
改札機から手を離すと、今度はゆっくりと両手を振り上げた。
パタン、パタン
先ほどの改札機はまた動いた。彼女に触られたのが嬉しかったのか、それとも照れ隠しか勢いよくその扉を動かす。
いとおしそうにそれを眺めていた少女は再びその改札機へと指を伸ばした。そしてその指が再び肌に触れようとした時だった。
パタン
パタン、パタン
別の改札機が扉を鳴らし始めたのだ。それは嫉妬からなのかもしれない。初めはためらいがちだったが、一つが鳴り始めると次第にその動きは広がっていた。
終にはほとんどの改札機が動き出した。
中には、故障しているのか、扉がちゃんと閉まらない子もいた。片一方の扉だけしか残っていなくてそれでも必死に鳴らしている子もいた。
少女は目を閉じながら手を振り続けた。
初めは無秩序の集まりであったが、次第に統制が取れていく。改札機による拍手はある一定のリズム、少女の手によってなされるそれを刻んでいく。
暫く同じリズムを刻ませていた少女であったが、ふと手の動きが止まった。そして一つの改札機、最初に彼女に応えた改札機へと手のひらを差し出した。
先ほどまで刻んでいたリズムを正確に繰り返していく。すると彼女は別の改札機へと手を差し出した。
2重奏
全く同じリズム、だが、二台の間にはわずかなずれがあった。少女の手によって生み出されたそのずれはだんだん大きくなっていった。
それが拍手を音楽にする。
ちょうどズレが一周して重なったとき、少女は振っていた手を握りこみピタッと止めた。
再び訪れた静寂、改札機二台による見事なクラッピングミュージックであった。
少女があたりを見渡すと廃墟は再び静寂に満ちていた。だが、先ほどまでとは違った。死んだようなそう、終わってしまったような静けさではなかった。廃墟には似つかわしくない、これから始まることに期待しての静けさであった。その証拠に、あちらこちらでうずうずしているのが少女には肌で感じられた。
少女が再び手を構えた。
止まっていた広場の時計の秒針が震えだす。
消えていた蛍光灯は点滅し始める。
さび付いていたマネキンは自らの関節の状態を確かめる。
そう、人無き廃墟が待ち望んでいたのだ、その瞬間を。
充分にためられた彼女の手は勢いよく振り下ろされた。
【 廃墟のインプロヴィゼーション 】
少女はふと視線を感じて顔を上げた。そこには監視カメラがこちらを映していた。
少女は薄い唇に人差し指を当てると悪戯ぽっく微笑んだ。
一つ頷くと監視カメラはヒョイっと壁の方へと目を向けてしまった。
少女は手を振りながら廃墟を進む。音が廃墟を侵食し始める。
消えていた音が廃墟に戻ってきたのだ。
自動ドアは人もいないのに勝手に空いたりしまったりしている。
そしてレジは人がいないのをいいことに、レシートにでたらめな数字を並べては吐き出していた。
電光掲示板は見る人もいないのに音声を垂れ流している。
そして時計は見る人がいないのをいいことにでたらめに針を動かし始める。
それぞれが出せる限りの音を出していた。
そして少女は広場へと足を踏み入れた。あたりでは無秩序に音が溢れていた。
その真ん中で少女は目をつぶり手を振り上げた。
すると無秩序が音楽へと変わった。
時計は一人で三つの針を駆使して音を刻む。
自動ドアは少女の手の揺れに合わせて揺れる。
電子掲示板は責任重大だ。なにせ初めから音が出せるのだから。メインのリズムをしっかりと電子音で刻む。
色々な楽器未満が彼女によって似非楽器へとなっていった。
それに耐えきれなかったのか、少女の真上でひと際低い音がした。
そこは通気口が鳴る音であった。空調システムが少女に応えようとしていたのだ。
長年使われていなかったせいか、埃を吹き出しながらそれは必死に音を出そうそしていた。
真下にいた少女は被った埃を払おうともせずに、にっこりと笑うと手を振る速度を速めた。
周りもそれに合わせて刻むリズムを速める。
そう、全員が、彼が音を出すのを励ましていたのだ。
二度、三度埃の塊を吐き出したかと思うとそれは低い音を奏で始めた。時々息詰まりのように途絶えるそれは、この空間では唯一無二の音であった。
さらに少女は足を進める。
古びた大きなエスカレータはそのスクラッチまがいの挙動をしていた。上へと下への大騒ぎ。
もちろん整備のされていないそれは、異音をたてながら。
だが、それが相まってより味のある、スクラッチ音を刻み始める。
それを見ていた、箱を失ったエレベータは気もしない箱のためにチャイムを連打し始める。
二人を見て少女はクスリと笑った。
きっと二人は永遠のライバルであったのだろうか。
先では靴屋のショーウインドーに並べられた靴がタップを踏み始めていた。
履く人のいないそれは軽さのためか音に迫力がなかった。だがそこは質より量であった。
運動靴から、紳士靴、果てにはサンダルまでが思い思いのタップを刻み始める。
その中でひと際、異彩を放つのは赤い運動靴であった。
他は二人いと組であるのにその赤い運動靴は一人であった。だが、なお一層他の靴に負けじと激しく熱いタップを刻んでいた。
少女は気になって割れたショーウインドーをのぞき込み、納得した。
そこには彼の片割れが横たわっていた。割れたショーウインドーのガラスの破片によって彼の片割れはすでに破れていたのだ。
まだまだ少女は進む。
二台の警報器が競っていた。電子音と赤い鐘のベルが張り合うように音を上げていた。するとそれに参加したのは時計屋の時計たちであった。
目覚まし時計たちは電子音とベルに分かれてそれぞれの方へと次々に参加していく。掛け時計たちは初めは様子見をしていたが、それも束の間のことであった。音の質ではベルの方が上だが、音色の多彩さでは電子音が上回っているように少女には思えた。
かわいそうなのはベルも電子音もついていない時計たちであった。
困ったように針を震わせて必死に音を奏でていた。
時計屋の横のふくやではマネキンが動き始めた。
ボロボロの紳士服を来たマネキンは残っていた片腕を伸ばして恭しく向かい合っていたこれまたボロボロのドレスを着たマネキンにお辞儀をした。
二人はお互いの体に腕を回すとぎこちなく足を動かし始めた。
動きはぎこちなかったが息はぴったり合っていた。時計屋から聞こえる喧噪をよそに二人は自分たちの世界を横臥する。
その踊りを横目で見ていたのは案内用の上半身だけのロボットであった。
案内板に設置されていた彼は本場仕込みのロボットダンスを披露する。
思わず少女は笑ってしまうと、そのロボットの動きはさらに磨きがかかり洗練されたものへとなっていった。
ひと際大きな音がなった。
すると今までの音が止んでしまった。少女は音のした元へと足を運ぶ。
楽器店。
その中の真ん中では黒い大きなピアノが鎮座していた。さっきの音はおそらく彼が鳴らしたものであろう。
成程、一気に音が止んだのも頷ける。似非楽器共は彼の前では楽器たり得ないたった一音で彼はそのことを証明してしまったのだ。
まさに、眠れる獅子が起きてしまったのだ。
静寂の中、たたずむピアノの側に少女は立った。ピアノは申し訳なさそうに鍵盤の蓋を閉じようとしてしまう。
彼女は手を伸ばして蓋を制した。そして優しい笑顔でゆっくりと頷いた。
そしてまるで好きに演奏してみろというように両手を差し出す。
ピアノは意を得たというように勢いよく自らの鍵盤を揺らしていく。
廃墟は彼に圧倒された。久しく調律などされていなかったにもかかわらず彼は圧倒的な音楽を奏でる。
ピアノは少女の知らない曲を奏でていた。もしかしたら即興曲なのかもしれない。いや、そうだろう。そっちのほうがこの廃墟にはあっている。
圧倒的な音楽を奏で終えるとピアノは静かになってしまった。
次に音を鳴らすものには多大な勇気がいるのは明らかなことであった。静まり返ったその中で音を立てたのは意外にもピアノであった。
彼は鍵盤ではなくその巨体をゆすって音を鳴らしたのだ。
大御所が見せたその心意気に廃墟は再び活気を取り戻した。
少女は埃を散らしながら巨体をゆするピアノに口づけをした。それは感謝だったのか、ご褒美だったのかはたからはわからなかったが、ピアノはその巨体をより一層揺すった。
そんなピアノを壁から見ていたのはアコースティックギターであった。
何とか動こうとしたが、彼は頑丈にケースに入れられていてその上、鍵がかかっていてはどうしようもなかった。おそらく高級品なのだろう。その孤高さは彼の誇りでもあったのかどこ知れず、触れにくい気品をもっていた。
だが今、彼はその気品すらかなぐり捨ててケースの中で身をよじっていた。
ふと気が付つくとケースを眺める4つの目があった。
黒い服の少女とよく似た顔をした二人の少女はクスクス笑らうと人差し指を唇に当てた。
赤い服と白い服の二人の少女は壁からケースを外すと、鍵をこじ開ける。そして乱暴にケースから彼を引っ張り出して外へと放り投げた。地面に転がった彼はひと際大きく体をゆすると音の中へと混じっていった。
何曲奏でたのだろうか?曲として数えることは難しくともまとまりとしては20は言っただろう。
黒い服の少女の額には汗が流れていた。
だが、そんなことを気にする様子もなく、少女は手を振り続けた。
時には2拍子、マネキンたちの踊りを応援するかのような3拍子、さまざまに振り続けた。
機械が何かを噛んだ音がした。少女がはっとしてその音のもとへかけよると、そこでは先ほどのエスカレータの足場が歪んでいた。それでも彼は足場を上下に揺する。そしてついに少女の見ているまえでエスカレータの足場は脱線した。何かがこすれる音をけたたましく上げながらそれでも動き続ける。一段、二段、三段次々と脱線していって最後に何度かぎこちなく断続的に震えると完璧に止まった。
死んでしまっては音は奏でられない。
少女は目をゆっくりと閉じてもはやガラクタと化したその手すりをなでた。横ではより一層けたたましく、エレベータの到着音が鳴っていた。
さっきまでショーウインドで踊っていた靴たちもその数を減らしていた。ひと際、異彩を放っていたあの赤い靴も擦り切れてかっての相棒の横で静かに横たわっていた。
マネキンも終には両腕を失い足だけでステップ相変わらず踏んでいた。
楽しそうに体をゆすっていたピアノも終に片足がおれ、地に片膝をついていた。
だが、少女は腕を振るのをやめない。汗のしずくを飛ばしながらより一層大きく手を振った。
体をゆすることのできないピアノは蓋を開け閉めすることによって少女に応える。
ハンマーが折れてベルが叩けなくなった時計たちの分まで電子音の時計は音を立てていく。
腕のなくなったマネキンは相方のマネキンに支えられながら必死にステップを踏む。
それだけではない。ここにきてまだ新しい音がそれに加わっていく。
音の鳴らない、掲示板は自ら割れることで一度限りの音を鳴らした。あちらこちらでガラスが割れる音がする。
水の出なくなっている噴泉は元気のなくなった空調機の代わりに異音のするモーターの音を響かせる。
何も映せないテレビたちは灰色の画面を映しながら砂嵐の音を立て始める。
それでも確実に音を出せる似非楽器たちは減っていった。
少女の頬は赤く染まり、汗で服が肌にはりつく。でも彼女の手は止まらない。より一層無我夢中で腕を振り続けた。
そんな彼女の耳にふと異質な音が聞こえた。咄嗟に両手を振り上げたまま固まる。
こんなにも音にあふれる廃墟に唯一なかった音がしたのだ。
「ねぇ、ここって」
「ええ、そうよ。旧大阪駅よ」
二人の少女はそういいながら歩いていた。
「それにしても貴女、良く入り方を知っていたわね」
「表裏ルートをなめてもらっては困るわ」
二人の歩く音が古びたコンクリートにこだまする。
「あれ、何か音しない?」
「そう?私には何も」
そういって二人の少女は耳に手を当てて耳を澄ますが何も聞こえなかった。
「気のせいじゃないかしら」
「おかしいわね、確かに聞こえた気がするのよ」
そういいながら二人は足を進める。
「お、これって今は亡き店じゃない」
「そうね。あ、こら勝手に入ったら危ないわよ」
「平気よ、ただのコンビニなんだから」
少女達が入店すると、電気の通っていないはずのスピーカから音が流れた。
タ、タ、タ、タ、タタン~
二人の少女はぎょっとして顔を見合わせてしまう。
そんな様子を遠くで見ていた黒い服の少女はあきらめたようにため息をつくと吹っ切れたように勢いよく手を振り下ろした。
廃墟に音が響く
あたりは静寂のままであった。少女は首を横に振るともう一度同じことを行った。
静寂
二度、三度と繰り返すがあたりは静まりかえったままだった。そして、ついに少女のその行動が二桁に達しようかというその時、
パタン
乾いた音が鳴った。
さびれたコンクリートにしみこむたった一つの音。それがしっかりとしみこむまで待って少女は閉じていた目をゆっくり開けた。澄んだ琥珀色の目が音のしたほうを捉える。
改札機であった。もはや人が通らなくなって久しいその改札機が自身の扉を閉めた音であった。
少女は音を立てることなく、その改札機の側へと立った。そして、音が鳴った改札機へと指を這わせた。埃の被ったその肌を長い美しい指がくすぐるように動いた。
改札機から手を離すと、今度はゆっくりと両手を振り上げた。
パタン、パタン
先ほどの改札機はまた動いた。彼女に触られたのが嬉しかったのか、それとも照れ隠しか勢いよくその扉を動かす。
いとおしそうにそれを眺めていた少女は再びその改札機へと指を伸ばした。そしてその指が再び肌に触れようとした時だった。
パタン
パタン、パタン
別の改札機が扉を鳴らし始めたのだ。それは嫉妬からなのかもしれない。初めはためらいがちだったが、一つが鳴り始めると次第にその動きは広がっていた。
終にはほとんどの改札機が動き出した。
中には、故障しているのか、扉がちゃんと閉まらない子もいた。片一方の扉だけしか残っていなくてそれでも必死に鳴らしている子もいた。
少女は目を閉じながら手を振り続けた。
初めは無秩序の集まりであったが、次第に統制が取れていく。改札機による拍手はある一定のリズム、少女の手によってなされるそれを刻んでいく。
暫く同じリズムを刻ませていた少女であったが、ふと手の動きが止まった。そして一つの改札機、最初に彼女に応えた改札機へと手のひらを差し出した。
先ほどまで刻んでいたリズムを正確に繰り返していく。すると彼女は別の改札機へと手を差し出した。
2重奏
全く同じリズム、だが、二台の間にはわずかなずれがあった。少女の手によって生み出されたそのずれはだんだん大きくなっていった。
それが拍手を音楽にする。
ちょうどズレが一周して重なったとき、少女は振っていた手を握りこみピタッと止めた。
再び訪れた静寂、改札機二台による見事なクラッピングミュージックであった。
少女があたりを見渡すと廃墟は再び静寂に満ちていた。だが、先ほどまでとは違った。死んだようなそう、終わってしまったような静けさではなかった。廃墟には似つかわしくない、これから始まることに期待しての静けさであった。その証拠に、あちらこちらでうずうずしているのが少女には肌で感じられた。
少女が再び手を構えた。
止まっていた広場の時計の秒針が震えだす。
消えていた蛍光灯は点滅し始める。
さび付いていたマネキンは自らの関節の状態を確かめる。
そう、人無き廃墟が待ち望んでいたのだ、その瞬間を。
充分にためられた彼女の手は勢いよく振り下ろされた。
【 廃墟のインプロヴィゼーション 】
少女はふと視線を感じて顔を上げた。そこには監視カメラがこちらを映していた。
少女は薄い唇に人差し指を当てると悪戯ぽっく微笑んだ。
一つ頷くと監視カメラはヒョイっと壁の方へと目を向けてしまった。
少女は手を振りながら廃墟を進む。音が廃墟を侵食し始める。
消えていた音が廃墟に戻ってきたのだ。
自動ドアは人もいないのに勝手に空いたりしまったりしている。
そしてレジは人がいないのをいいことに、レシートにでたらめな数字を並べては吐き出していた。
電光掲示板は見る人もいないのに音声を垂れ流している。
そして時計は見る人がいないのをいいことにでたらめに針を動かし始める。
それぞれが出せる限りの音を出していた。
そして少女は広場へと足を踏み入れた。あたりでは無秩序に音が溢れていた。
その真ん中で少女は目をつぶり手を振り上げた。
すると無秩序が音楽へと変わった。
時計は一人で三つの針を駆使して音を刻む。
自動ドアは少女の手の揺れに合わせて揺れる。
電子掲示板は責任重大だ。なにせ初めから音が出せるのだから。メインのリズムをしっかりと電子音で刻む。
色々な楽器未満が彼女によって似非楽器へとなっていった。
それに耐えきれなかったのか、少女の真上でひと際低い音がした。
そこは通気口が鳴る音であった。空調システムが少女に応えようとしていたのだ。
長年使われていなかったせいか、埃を吹き出しながらそれは必死に音を出そうそしていた。
真下にいた少女は被った埃を払おうともせずに、にっこりと笑うと手を振る速度を速めた。
周りもそれに合わせて刻むリズムを速める。
そう、全員が、彼が音を出すのを励ましていたのだ。
二度、三度埃の塊を吐き出したかと思うとそれは低い音を奏で始めた。時々息詰まりのように途絶えるそれは、この空間では唯一無二の音であった。
さらに少女は足を進める。
古びた大きなエスカレータはそのスクラッチまがいの挙動をしていた。上へと下への大騒ぎ。
もちろん整備のされていないそれは、異音をたてながら。
だが、それが相まってより味のある、スクラッチ音を刻み始める。
それを見ていた、箱を失ったエレベータは気もしない箱のためにチャイムを連打し始める。
二人を見て少女はクスリと笑った。
きっと二人は永遠のライバルであったのだろうか。
先では靴屋のショーウインドーに並べられた靴がタップを踏み始めていた。
履く人のいないそれは軽さのためか音に迫力がなかった。だがそこは質より量であった。
運動靴から、紳士靴、果てにはサンダルまでが思い思いのタップを刻み始める。
その中でひと際、異彩を放つのは赤い運動靴であった。
他は二人いと組であるのにその赤い運動靴は一人であった。だが、なお一層他の靴に負けじと激しく熱いタップを刻んでいた。
少女は気になって割れたショーウインドーをのぞき込み、納得した。
そこには彼の片割れが横たわっていた。割れたショーウインドーのガラスの破片によって彼の片割れはすでに破れていたのだ。
まだまだ少女は進む。
二台の警報器が競っていた。電子音と赤い鐘のベルが張り合うように音を上げていた。するとそれに参加したのは時計屋の時計たちであった。
目覚まし時計たちは電子音とベルに分かれてそれぞれの方へと次々に参加していく。掛け時計たちは初めは様子見をしていたが、それも束の間のことであった。音の質ではベルの方が上だが、音色の多彩さでは電子音が上回っているように少女には思えた。
かわいそうなのはベルも電子音もついていない時計たちであった。
困ったように針を震わせて必死に音を奏でていた。
時計屋の横のふくやではマネキンが動き始めた。
ボロボロの紳士服を来たマネキンは残っていた片腕を伸ばして恭しく向かい合っていたこれまたボロボロのドレスを着たマネキンにお辞儀をした。
二人はお互いの体に腕を回すとぎこちなく足を動かし始めた。
動きはぎこちなかったが息はぴったり合っていた。時計屋から聞こえる喧噪をよそに二人は自分たちの世界を横臥する。
その踊りを横目で見ていたのは案内用の上半身だけのロボットであった。
案内板に設置されていた彼は本場仕込みのロボットダンスを披露する。
思わず少女は笑ってしまうと、そのロボットの動きはさらに磨きがかかり洗練されたものへとなっていった。
ひと際大きな音がなった。
すると今までの音が止んでしまった。少女は音のした元へと足を運ぶ。
楽器店。
その中の真ん中では黒い大きなピアノが鎮座していた。さっきの音はおそらく彼が鳴らしたものであろう。
成程、一気に音が止んだのも頷ける。似非楽器共は彼の前では楽器たり得ないたった一音で彼はそのことを証明してしまったのだ。
まさに、眠れる獅子が起きてしまったのだ。
静寂の中、たたずむピアノの側に少女は立った。ピアノは申し訳なさそうに鍵盤の蓋を閉じようとしてしまう。
彼女は手を伸ばして蓋を制した。そして優しい笑顔でゆっくりと頷いた。
そしてまるで好きに演奏してみろというように両手を差し出す。
ピアノは意を得たというように勢いよく自らの鍵盤を揺らしていく。
廃墟は彼に圧倒された。久しく調律などされていなかったにもかかわらず彼は圧倒的な音楽を奏でる。
ピアノは少女の知らない曲を奏でていた。もしかしたら即興曲なのかもしれない。いや、そうだろう。そっちのほうがこの廃墟にはあっている。
圧倒的な音楽を奏で終えるとピアノは静かになってしまった。
次に音を鳴らすものには多大な勇気がいるのは明らかなことであった。静まり返ったその中で音を立てたのは意外にもピアノであった。
彼は鍵盤ではなくその巨体をゆすって音を鳴らしたのだ。
大御所が見せたその心意気に廃墟は再び活気を取り戻した。
少女は埃を散らしながら巨体をゆするピアノに口づけをした。それは感謝だったのか、ご褒美だったのかはたからはわからなかったが、ピアノはその巨体をより一層揺すった。
そんなピアノを壁から見ていたのはアコースティックギターであった。
何とか動こうとしたが、彼は頑丈にケースに入れられていてその上、鍵がかかっていてはどうしようもなかった。おそらく高級品なのだろう。その孤高さは彼の誇りでもあったのかどこ知れず、触れにくい気品をもっていた。
だが今、彼はその気品すらかなぐり捨ててケースの中で身をよじっていた。
ふと気が付つくとケースを眺める4つの目があった。
黒い服の少女とよく似た顔をした二人の少女はクスクス笑らうと人差し指を唇に当てた。
赤い服と白い服の二人の少女は壁からケースを外すと、鍵をこじ開ける。そして乱暴にケースから彼を引っ張り出して外へと放り投げた。地面に転がった彼はひと際大きく体をゆすると音の中へと混じっていった。
何曲奏でたのだろうか?曲として数えることは難しくともまとまりとしては20は言っただろう。
黒い服の少女の額には汗が流れていた。
だが、そんなことを気にする様子もなく、少女は手を振り続けた。
時には2拍子、マネキンたちの踊りを応援するかのような3拍子、さまざまに振り続けた。
機械が何かを噛んだ音がした。少女がはっとしてその音のもとへかけよると、そこでは先ほどのエスカレータの足場が歪んでいた。それでも彼は足場を上下に揺する。そしてついに少女の見ているまえでエスカレータの足場は脱線した。何かがこすれる音をけたたましく上げながらそれでも動き続ける。一段、二段、三段次々と脱線していって最後に何度かぎこちなく断続的に震えると完璧に止まった。
死んでしまっては音は奏でられない。
少女は目をゆっくりと閉じてもはやガラクタと化したその手すりをなでた。横ではより一層けたたましく、エレベータの到着音が鳴っていた。
さっきまでショーウインドで踊っていた靴たちもその数を減らしていた。ひと際、異彩を放っていたあの赤い靴も擦り切れてかっての相棒の横で静かに横たわっていた。
マネキンも終には両腕を失い足だけでステップ相変わらず踏んでいた。
楽しそうに体をゆすっていたピアノも終に片足がおれ、地に片膝をついていた。
だが、少女は腕を振るのをやめない。汗のしずくを飛ばしながらより一層大きく手を振った。
体をゆすることのできないピアノは蓋を開け閉めすることによって少女に応える。
ハンマーが折れてベルが叩けなくなった時計たちの分まで電子音の時計は音を立てていく。
腕のなくなったマネキンは相方のマネキンに支えられながら必死にステップを踏む。
それだけではない。ここにきてまだ新しい音がそれに加わっていく。
音の鳴らない、掲示板は自ら割れることで一度限りの音を鳴らした。あちらこちらでガラスが割れる音がする。
水の出なくなっている噴泉は元気のなくなった空調機の代わりに異音のするモーターの音を響かせる。
何も映せないテレビたちは灰色の画面を映しながら砂嵐の音を立て始める。
それでも確実に音を出せる似非楽器たちは減っていった。
少女の頬は赤く染まり、汗で服が肌にはりつく。でも彼女の手は止まらない。より一層無我夢中で腕を振り続けた。
そんな彼女の耳にふと異質な音が聞こえた。咄嗟に両手を振り上げたまま固まる。
こんなにも音にあふれる廃墟に唯一なかった音がしたのだ。
「ねぇ、ここって」
「ええ、そうよ。旧大阪駅よ」
二人の少女はそういいながら歩いていた。
「それにしても貴女、良く入り方を知っていたわね」
「表裏ルートをなめてもらっては困るわ」
二人の歩く音が古びたコンクリートにこだまする。
「あれ、何か音しない?」
「そう?私には何も」
そういって二人の少女は耳に手を当てて耳を澄ますが何も聞こえなかった。
「気のせいじゃないかしら」
「おかしいわね、確かに聞こえた気がするのよ」
そういいながら二人は足を進める。
「お、これって今は亡き店じゃない」
「そうね。あ、こら勝手に入ったら危ないわよ」
「平気よ、ただのコンビニなんだから」
少女達が入店すると、電気の通っていないはずのスピーカから音が流れた。
タ、タ、タ、タ、タタン~
二人の少女はぎょっとして顔を見合わせてしまう。
そんな様子を遠くで見ていた黒い服の少女はあきらめたようにため息をつくと吹っ切れたように勢いよく手を振り下ろした。
廃墟に音が響く
そして、やはり怪異は人を驚かせるもの。最後のオチも素晴らしかったです。
音楽の根源的な力が高い純度で表現されていたと思います。お見事でした。
ルナサがとても愛しているように思って、とても良かったです。
廃墟に居続けた物たちは、壊れていきながら何を想って音を奏でていたんだろう、と考え始めると、なんだか不思議な心地になってきました。
しばらく咀嚼してみたくなるような作品、ありがとうございました。