「あら、どうしたの橙。何かあったの?」
橙の様子が可笑しい。夜中に一人、縁側で庭先を眺めて呆然としているなんて、彼女らしくない。
「あ、紫様。大丈夫です。何でもありません」
「そうかしら? 何もなければ、こんな深夜に一人で物思いに耽ったりはしないでしょう。言葉でどう取り繕っても、その行動が雄弁に語っているのが私には聞こえるわ」
橙は、口では何でもないと言っているけれど、その行動はどう考えても何かあるように見える。
首をツッコミ過ぎて嫌われたりしないかしら、なんて気にしながらも、根掘り葉掘り隠し事を暴かずにはいられない。流石は私ね、性格が悪い。
「その……寺子屋の友達に馬鹿にされてしまって」
よし、神隠ししましょう。私の可愛い橙を馬鹿にするなんて信じられないわ。そうでなくとも、友人を無意味に傷付ける言葉を吐くなんて、友達失格ですわ。スキマの中で反省してもらいましょう。
「あの、紫様、どちらへ?」
「上白沢慧音の所へ。貴女を馬鹿にした子供たちの名前を伺いに」
「それで、何をするつもりですか?」
「スキマ送りにしてこの世界から消えて貰うの」
「やめて下さい。そんな事をしたら、紫様ともう二度と口を聞きません!」
「えっ」
あら、怒られちゃった。顔を赤くして怒っている橙も可愛いわね……。
「鈴奈庵で借りた推理小説の話をしてたんです。主人公が頭が良くて格好良くて、憧れるなぁって話を」
へぇ。頭が良くて格好いいのに橙は憧れるのね。私なんてどうかしら? 頭は多少良いと思うし、格好も付けられますわ。憧れてくれても良いのよ?
「でも、小説なんて作り話じゃないですか。作り話に憧れるなんて、子供っぽいって馬鹿にされたんです。でも、考えてみたら確かにそうだなって思えてしまって」
「あら、作り話に憧れるなんて馬鹿らしいと橙も思ったの?」
「はい。私は紫様や藍様みたいに、強くて賢くならなくちゃならないのに、作り話なんかに憧れてしまうなんて、情けなくて……」
落ち込んでしまっている橙。真剣に悩んで、自分を恥じているのね。なら、私も真剣に相手をしてあげなくちゃ、失礼ね。
「橙。作り話に憧れることは、子供っぽい事なんかでは断じてないわ。恥じる必要なんてない」
「え……?」
意外そうな表情ね。確かに、作り話やフィクションを信じるのは下らないって、大真面目に信じる者たちは沢山いる。でも私から言わせれば、そうしたフィクションを信じない人間の方が『子供』なのだけれど。
「その子たちに言ってあげなさいな。自分達がどれだけの作り話を信じているのか、分かっているのかって」
「どういうことですか?」
「例えば、幻想郷を橙は信じているかしら?」
「はい、当たり前です。私たちが暮らしている世界ですよ」
「じゃあ、幻想郷は何処にあるか私に教えて頂戴」
キョトンとした橙。どうして不思議なことを言われたみたいな顔をするのかしら? 不思議だわ。
「何処って……此処が幻想郷ですよね?」
「此処? 私には橙と縁側と庭しか見えないわね」
「え〜と。私、寺子屋で勉強したんです! 博麗大結界と幻と実体の境界の内側が、幻想郷だって」
「その通りよ。良く勉強したわね、偉いわ。でもね、橙。人間の里や妖怪の山みたいな諸々の場所と、そこに暮らす者達しか私には見えないわ」
「それが、幻想郷なんですよ紫様」
「そうよ。それを幻想郷と呼ぶことにしているのよ、私たちは」
更に首を傾げてしまう橙。ちょっと難しかったかしら? でも、藍の自慢の式で、私の可愛い橙なら、この程度の事は理解しておいて貰わないといけないわ。
「幻想郷とは私たちが定めた定義であって、実在しない概念なのよ。博麗大結界と幻と実体の境界の内側を幻想郷と呼ぶ事にしただけで、幻想郷なる物体は実在しないの」
「幻想郷は実在しない…ですか」
「そう。でも私は幻想郷を信じているわ。どうかしら、私は子供っぽいかしら?」
ちょっと意地悪な聞き方だったわね。どうにも返答に窮している橙が可哀想だし、話を進めましょう。
「つまり、そういう事よ橙。私たちは普段から数え切れないぐらいの『実在しないもの』を『信じている』のよ。国や村を信じさせる事で、人々を一つの共同体としてまとめ上げられる。階級や役職を信じさせることで、階層構造の情報伝達モデルの構築や作業の分化が容易になる。経済と貨幣を信じさせることで、物々交換からより普遍的な契約と信用へのシフトが可能になった。でも、国も村も階級も役職も経済も貨幣も『実在しない』わ。さあ、こうしたものを信じている人間は子供っぽいかしら?」
「いえ、寧ろ大人っぽい人な気がします。仕事人や商売人みたいな感じで」
流石は橙ね。話にはついてこれてるみたい。
「『実在しないものを馬鹿にすること』がどれだけ愚かな事か、今の橙なら分かるはずよ。人間は、実在しないものを信じることができるからこそ、ここまで繁栄できたのよ。国を信じられなければ共同体は成り立たなかったし、貨幣を信じられなければ経済は機能しない。実在しないものを信じることができる能力こそが、強力なのよ」
だから、橙にはみんなにフィクションを信じさせるような立派な化け猫として成長して欲しいのよねぇ。
「もし知性が人間の繁栄の理由だっていうなら……人間文明とチンパンジー文明がライバルとしてしのぎを削っている筈よ」
「チンパンジーはフィクションを信じない。人間だけが作り話を信じる、という訳ですね紫様!」
「大・正・解。まあ、もしかしたらチンパンジーも神様やフィクションを信じてるかもしれないけれどね。畜生界の動物霊にでも聞いてみようかしら」
わしゃわしゃと、橙の頭を撫でる。ああ、こんなに賢くて可愛い式を持てて藍は幸せものねぇ。
「ふふ、今度その『友達』に会ったら、『私は人間的な妖怪だから作り話を信じることができるのよ』って言ってあげなさいな」
何故か満面の笑みを浮かべている橙が、私にキッパリと断言した。
「多分、胡散臭いって言われると思います!」
「……そ…そうかしら? 胡散臭い…かしら?」
ちょ、ちょっと心外だけれど……。胡散臭いって、信用ならないとか怪しいって意味よね?
う〜ん、誰からも信用を得られるように言葉を選んで、最適な真実だけを伝えるように心掛けているのに……。ままならないわねぇ。ちょっと困っちゃうわ。
やっぱり、真実を語るよりも、当たり障りのないフィクションを語っている方が、信用されるのかしらねぇ……。
橙の様子が可笑しい。夜中に一人、縁側で庭先を眺めて呆然としているなんて、彼女らしくない。
「あ、紫様。大丈夫です。何でもありません」
「そうかしら? 何もなければ、こんな深夜に一人で物思いに耽ったりはしないでしょう。言葉でどう取り繕っても、その行動が雄弁に語っているのが私には聞こえるわ」
橙は、口では何でもないと言っているけれど、その行動はどう考えても何かあるように見える。
首をツッコミ過ぎて嫌われたりしないかしら、なんて気にしながらも、根掘り葉掘り隠し事を暴かずにはいられない。流石は私ね、性格が悪い。
「その……寺子屋の友達に馬鹿にされてしまって」
よし、神隠ししましょう。私の可愛い橙を馬鹿にするなんて信じられないわ。そうでなくとも、友人を無意味に傷付ける言葉を吐くなんて、友達失格ですわ。スキマの中で反省してもらいましょう。
「あの、紫様、どちらへ?」
「上白沢慧音の所へ。貴女を馬鹿にした子供たちの名前を伺いに」
「それで、何をするつもりですか?」
「スキマ送りにしてこの世界から消えて貰うの」
「やめて下さい。そんな事をしたら、紫様ともう二度と口を聞きません!」
「えっ」
あら、怒られちゃった。顔を赤くして怒っている橙も可愛いわね……。
「鈴奈庵で借りた推理小説の話をしてたんです。主人公が頭が良くて格好良くて、憧れるなぁって話を」
へぇ。頭が良くて格好いいのに橙は憧れるのね。私なんてどうかしら? 頭は多少良いと思うし、格好も付けられますわ。憧れてくれても良いのよ?
「でも、小説なんて作り話じゃないですか。作り話に憧れるなんて、子供っぽいって馬鹿にされたんです。でも、考えてみたら確かにそうだなって思えてしまって」
「あら、作り話に憧れるなんて馬鹿らしいと橙も思ったの?」
「はい。私は紫様や藍様みたいに、強くて賢くならなくちゃならないのに、作り話なんかに憧れてしまうなんて、情けなくて……」
落ち込んでしまっている橙。真剣に悩んで、自分を恥じているのね。なら、私も真剣に相手をしてあげなくちゃ、失礼ね。
「橙。作り話に憧れることは、子供っぽい事なんかでは断じてないわ。恥じる必要なんてない」
「え……?」
意外そうな表情ね。確かに、作り話やフィクションを信じるのは下らないって、大真面目に信じる者たちは沢山いる。でも私から言わせれば、そうしたフィクションを信じない人間の方が『子供』なのだけれど。
「その子たちに言ってあげなさいな。自分達がどれだけの作り話を信じているのか、分かっているのかって」
「どういうことですか?」
「例えば、幻想郷を橙は信じているかしら?」
「はい、当たり前です。私たちが暮らしている世界ですよ」
「じゃあ、幻想郷は何処にあるか私に教えて頂戴」
キョトンとした橙。どうして不思議なことを言われたみたいな顔をするのかしら? 不思議だわ。
「何処って……此処が幻想郷ですよね?」
「此処? 私には橙と縁側と庭しか見えないわね」
「え〜と。私、寺子屋で勉強したんです! 博麗大結界と幻と実体の境界の内側が、幻想郷だって」
「その通りよ。良く勉強したわね、偉いわ。でもね、橙。人間の里や妖怪の山みたいな諸々の場所と、そこに暮らす者達しか私には見えないわ」
「それが、幻想郷なんですよ紫様」
「そうよ。それを幻想郷と呼ぶことにしているのよ、私たちは」
更に首を傾げてしまう橙。ちょっと難しかったかしら? でも、藍の自慢の式で、私の可愛い橙なら、この程度の事は理解しておいて貰わないといけないわ。
「幻想郷とは私たちが定めた定義であって、実在しない概念なのよ。博麗大結界と幻と実体の境界の内側を幻想郷と呼ぶ事にしただけで、幻想郷なる物体は実在しないの」
「幻想郷は実在しない…ですか」
「そう。でも私は幻想郷を信じているわ。どうかしら、私は子供っぽいかしら?」
ちょっと意地悪な聞き方だったわね。どうにも返答に窮している橙が可哀想だし、話を進めましょう。
「つまり、そういう事よ橙。私たちは普段から数え切れないぐらいの『実在しないもの』を『信じている』のよ。国や村を信じさせる事で、人々を一つの共同体としてまとめ上げられる。階級や役職を信じさせることで、階層構造の情報伝達モデルの構築や作業の分化が容易になる。経済と貨幣を信じさせることで、物々交換からより普遍的な契約と信用へのシフトが可能になった。でも、国も村も階級も役職も経済も貨幣も『実在しない』わ。さあ、こうしたものを信じている人間は子供っぽいかしら?」
「いえ、寧ろ大人っぽい人な気がします。仕事人や商売人みたいな感じで」
流石は橙ね。話にはついてこれてるみたい。
「『実在しないものを馬鹿にすること』がどれだけ愚かな事か、今の橙なら分かるはずよ。人間は、実在しないものを信じることができるからこそ、ここまで繁栄できたのよ。国を信じられなければ共同体は成り立たなかったし、貨幣を信じられなければ経済は機能しない。実在しないものを信じることができる能力こそが、強力なのよ」
だから、橙にはみんなにフィクションを信じさせるような立派な化け猫として成長して欲しいのよねぇ。
「もし知性が人間の繁栄の理由だっていうなら……人間文明とチンパンジー文明がライバルとしてしのぎを削っている筈よ」
「チンパンジーはフィクションを信じない。人間だけが作り話を信じる、という訳ですね紫様!」
「大・正・解。まあ、もしかしたらチンパンジーも神様やフィクションを信じてるかもしれないけれどね。畜生界の動物霊にでも聞いてみようかしら」
わしゃわしゃと、橙の頭を撫でる。ああ、こんなに賢くて可愛い式を持てて藍は幸せものねぇ。
「ふふ、今度その『友達』に会ったら、『私は人間的な妖怪だから作り話を信じることができるのよ』って言ってあげなさいな」
何故か満面の笑みを浮かべている橙が、私にキッパリと断言した。
「多分、胡散臭いって言われると思います!」
「……そ…そうかしら? 胡散臭い…かしら?」
ちょ、ちょっと心外だけれど……。胡散臭いって、信用ならないとか怪しいって意味よね?
う〜ん、誰からも信用を得られるように言葉を選んで、最適な真実だけを伝えるように心掛けているのに……。ままならないわねぇ。ちょっと困っちゃうわ。
やっぱり、真実を語るよりも、当たり障りのないフィクションを語っている方が、信用されるのかしらねぇ……。
紫様がここまで言える相手、橙なんでしょうかね
そして橙の賢さにほんわかしました
いいですよね、橙に何かを教えているときのゆかりん。
フィクションを信じるくだりは「サピエンス全史」あたりでも読んだ記憶があります