Coolier - 新生・東方創想話

石を喰む

2020/07/24 00:34:52
最終更新
サイズ
25.68KB
ページ数
1
閲覧数
2214
評価数
16/22
POINT
1850
Rate
16.30

分類タグ

 熟成という言葉がある。食品などをある条件において良好な状態にさせることなどを指す言葉だが、要は何事においても使える状態になるまで時を待つという意味の言葉だ。
「だーかーらー! 食べ物ってそのままだとすぐ腐るけど、ちゃんと保存しておけば長持ちするじゃん!」
「そうなの?」
 リグルナイトバグとルーミアは荒怠暴恣の野良妖怪であったが、氷精の先導により寺子屋へと通うようになって以降は幾分落ち着いた。今では小鳥や虫たちのさえずる森の中、どこへ行くともなく並び歩き、自覚のあるなしをさておき平和の擬言化に努めている。
「だけど、それっておかしいと思わないか? 思うだろ? そのままだと食べられなくものが、ちゃんと保存するだけで食べられるようになっちゃうんだぜ」
「んんー?」
 いやもう、だからさあ! リグルの両手がポケットから解き放たれ、揚々と身振り手振りを始める。ルーミアといえば腕を組み、リグルの言わんとするところを解すべく頭を捻る。論点が明らかだったなら、その論点を頭蓋の中で熟成させることによりリグルの言わんとするところへ到達できたかもしれない。しかしルーミアは論点の不在に気が付くことのないまま頭を捻った。
「要するに、要するにだよ。僕の言いたいのはつまり、この世の森羅万象! わかる? あらゆるもの! あらゆるものはさ、ちゃんと保存したとすれば、とどのつまりなんだって食べられるようになるんじゃないかって話!」
「そうなの?」
「そうなんだよ!」
 そうなのだろうか。少々苛立った様子で再度一からの説明を試みるリグルだが、ルーミアはいまひとつ解せない様子で腕を組みまた唸った。ルーミアは再三の説明でリグルの言わんとするところ、すなわち論点を発見したが頭蓋の中に仕舞ったその論点は、一向に食べられるようにはなりそうになかった。
「うーん。……うーん、じゃあ、例えば?」
「例えばって、ああ。そうだな、例えばたとえば……」
 リグルはきょろきょろと辺りを見渡す。あ! と何かを見つけたようで、小走りになるや否や停止して、屈んでそれを拾い上げる。ルーミアは腕を組む。やっと自分のはなしが解ってもらえる! リグルは笑顔で駆け寄り、掌の上のそれをルーミアにみせた。
「例えばほら! この、石とかさ」
「無理じゃないかなぁ」
 かくして奇異荒唐の大妖怪、リグルナイトバグの偉大なる計画の幕が開く。
 
   石を喰む
 
 突然だが石は食べられない。ケニアのオドワやら黒板のチョークやらそういうのはさておき、基本的に石を食べることは不可能だ。「でもほんとは食べられるんじゃないの?」と思うなら試してみるといい。「石ないよ!」という人はもう少し下を向いて歩いてみるけば、道のわきには学童のつま先に運ばれてきたソレがわんさかとしているはずだ。とにかく石は食べられない。ダチョウ、ワニといった一部の脊椎動物には、消化を円滑とするべく消化管内に石を持つ(飲み込む)動物もいるが、人間はそういうふうには出来ていない。リグルやルーミアは妖怪ではあるが、だからといってそういうふうにつくられているのかといえば絶対に違う。しかしリグルは瞬く間、同級生の面々を自身の計画に担ぎ込んだ。
「石食えるってまじ?」「食、財、ひいて衣、住。あらゆる難の終焉じゃん」「川行ってくる!!!!!!!」
 寺子屋で一体なにを習っているのだろう。実のところこの世界において上白沢慧音に教えられることなどなにひとつとして存在しないのかもしれない。
「ハア? 石?」「ぜってー無理だし」「馬鹿じゃん」
 しかし反対意見を持つ者が現れた。それは大人げのない不死人、藤原妹紅に違いなかった。上記三つとも彼女のセリフである。
 妹紅は雑務全般をこなす用務員として寺子屋に通っていたが、実情は上白沢慧音との生活、その兼ね合いとしての職務であり、子供たちも皆それを解っていた。上白沢慧音といえば振るう教鞭の質はともかく、皆に好かれる良い先生であったために、妹紅への子供たちからの評判といえば散々だった。
「ジーンズが似合わん」「柄シャツが似合わん」「サングラスが似合わん」
 上記三つの要素を兼ね合わせて寺子屋に堂々とするから、親御さんからの評判も同様だった。
 
  もうしばらく寺子屋に来ていないリグルの動向を探るべく、妹紅は子供たちに話を聞いて回ったが、生憎子供たちの大半はリグルの石喰い計画に担ぎ込まれた者が割合を占めており、妹紅に対し素直に返答する者は少なかった。しかしそんなことで諦めるような不死人ではなかった。最近では放課後、リグルの信奉者たる子供たちはみな一目散に石を拾いに行くという。ならばその際かけ足になることもなく寺子屋に居残っている者がいたとすれば、その子供はきっと自身のよき協力者になってくれるだろう。それが妹紅の考えだった。
「知らないね。あんなやつのことは」
 憮然とした口調で答えるルーミアに妹紅は面倒事の気配を感じた。面倒事に薄ら子供の喧嘩味を噛み締めつつ、帰り支度を進めるルーミアに問いかける。
「ほんとかよ」
「ほんとだよ」
 妹紅は左から右へと視線を送り、もう一度問いかける。
「ほんとかよ」
「? ……ほんとだってば」
 妹紅は左から右へと視線を送り、もう一度問いかける。
 
「ほんとかよ」
「なに……? ほ、ほんとうなんですけど!」
 妹紅は左から右へと視線を送る。ルーミアはハッとした。以前授業中に慧音から教えて貰った豆知識があった。曰く、藤原妹紅は嫌な思い出を消す術を体得している、との話だった。妹紅は口を開く。
「ほんとかよ」
「た、たすけて! たすけてー!」
 妹紅はまた左から右へと視線を送った。どうやらその動作が嫌な思い出を消すスイッチとなっているらしかった。ルーミアは逃れられない輪廻の坩堝に落ちてしまったことを克明に悟り絶望した。ときに妹紅の連打する嫌な思い出を消すスイッチは現実、一定の効果があるらしい。古い感情に寝首をかかれるような夜にはいちど、試してみるのもいいかもしれない。

 そのときだった。
「大変だ!」
 教室の戸が勢いよく開け放たれ、そこからチルノが飛び込んできた。チルノはぐったりとしたミスティアを小脇に抱えている。どうやら気を失っているようだ。
「川が……! みんなの川が!」
 世界一大事なみんなの川が一大事とくれば、妹紅はいてもたっても居られずに飛び出した。小脇に抱えられたルーミアは自分はどうして連れて行かれるのかわからないまま、小脇に抱えられ続けた。

「ミスティアが気を失うくらいだ。川はよっぽど大変なことになってるぜ」
「お、降ろして……」
 妹紅はルーミアを抱えたままに森を歩く。もう少しすれば川辺の入り口にたどり着くが、小脇に抱えられっぱなしのルーミアは血液の循環に不安を感じ始めていた。
「そうだ。ルーミアおまえ、リグルと喧嘩しただろ。原因はまあ、石関連のなにかだろうがよ。仲直りした方がいいよ。子供なんだからさ、ごめんねで握手して終わりじゃないか」
「おろして……!」
 規則的に訪れる腹部の圧迫にもう限界かと思われたルーミアだったが、不意に振動が止まる。妹紅が立ち止まったのだ。ルーミアは抱えられたままに妹紅の顔色を窺う。妹紅はきょろきょろと辺りを見渡して怪訝そうな面持ちをしていた。
「な、なに?」
 聞くも、妹紅は答えるともなく、おもむろに抱えたルーミアをゆっくりと降ろした。幾ばくの不穏さを感じ取ったルーミアも同じようにして辺りを見渡す。しかしルーミアに解ることといえば静かに吹く森の風など、そこがいつも通りであることを示す事柄のみだった。そうすれば次に湧いてくるのは先ほどまで抱えていた苛立ちだった。なぜ抱えられなければならないのか、なぜおろしてを無視するのか。思い出したら止まれない。ルーミアが一発蹴りをいれてやろうと決心した、そのときだった。
「危い!」
 ルーミアは逆に蹴り飛ばされた。なにが起こったのだろう。驚いた体を地面から起こし、妹紅の方をみやる。するとそこにはみるも無残な妹紅の姿があった。
「ああそんな! 用務員の人が!」
 妹紅の腹部を石槍が貫いていた。正面から一本、横っ腹に一本の計二本。ルーミアは即座に理解する。蹴り飛ばされていなければ妹紅の横っ腹に刺さった石槍は、自身の肉体を貫通していただろう。自分は守られたのだ。たちまち怒りが嘶いた。やっていいことと、悪いことがあるだろう。
「あんたら、寺子屋で一体なにを学んだんだ!」
 そしてもうひとつの気付きは直観的な推理からなるもので、凶器に使われた石槍を鑑み、投擲した犯人はリグルナイトバグの配下であろうことを察したのだ。ルーミアはリグルと仲違いをしていた。石は食べられないといくら言っても聞かないリグルと絶交していたのだ。そのときの出来事は現在と相乗して憎悪を膨らませた。刺す。そうも思った。
「まあまあ。落ち着きなよ。所詮子供がやることさ。ま、ちょいとみてなって」
 妹紅はルーミアを嗜めるようにして言う。限度ってもんがあるんじゃないか? ルーミアは思うも口には出せなかった。ルーミアの開口よりもはやく、妹紅は動き始めていたのだ。ルーミアは妹紅の動向をじっと見つめる。妹紅は程よい茂みに手を突っ込んだかと思えば、今度はその手を引っ張り出した。するとそこから引っこ抜かれるように出てきたのは学童の連なり二匹だった。惚れ惚れとする手腕である。子供の存在が身近なおとなというのはやはり、子供のやること、隠れる場所などわかりきっているものなのだ。それにしても刺さりっぱなしの石槍二本が痛々しい。ルーミアは腕を組み妹紅を眺め続けた。
「座れ。ハァ? 正座に決まってるだろ。よし。いいかおまえら。今から大人の大人気なさをおまえらに教えてやる」
 妹紅は学童二匹――リグルの配下――を座らせて、駄目な人生の類型について喋りまくった。なにか思うところがあるのだろうか。正座にて妹紅の話を拝聴している二匹は身を硬らせて薄ら涙目になっていた。そんな話なら誰にとってもあまり聞きたい話ではなかったので、ルーミアはひとまずその場を離れ、二、三十分の時間を潰したのち妹紅のもとへと戻った。
「終わった?」
「うん。なんか、真面目に勉強するってさ」
 言いながら、妹紅は川へと歩き始める。ルーミアは未だ刺さりっぱなしの石槍に慣れ始めた自分になにを思うともなく妹紅に続いた。

「ボウフラって蛍の幼虫だと思ってたんだけど、どうやら違うみたいでさ。慧音に聞いたら蚊の幼虫らしくて、なんか幻滅って感じ。それで、慧音はやっぱり私に言うんだよ。用務員なんかじゃなくて生徒をやれって。無理だと思うんだよねぇ、私漢字読めないんだぜ。あたらしいやつ。ルーミアおまえ、覚えてる? たぶん当時憤ったと思うんだけども、あの、ほら。一、ニ、三……よん、よんはどう書くか、わかるやつ手を挙げろーってやつ。四て。そんなのわかるはずない。慧音も慧音だよな、無知通り越して無垢なの数匹捕まえて、一ニの三でなにを悦に浸っているのかと、そうは思わないかよ。なあ? だいたいあいつに教育者としての資質があるのかどうか、甚だ疑問だね。だってそうだろ。生徒の一人が石は食えると蜂起してしまってんだからさ、現に。私はどうも疑問だね。甚だ疑問だよ。なあルーミア? あ、そういやさぁ。こないだ市場に行った時、見慣れない野菜が売っていたんだけどね――」
 川は遠かった。しかし着実に近づいているはずだ。そう思わなければ妹紅の益体のない話に殺されてしまう。ルーミアはそんなふうに考えていた。耳を塞ごうものなら妹紅は忽ちおどけて背後に立った。聴覚を封じた状態で背後に感じる存在感ほどおそろしいものはない。よってルーミアは耳を塞ぐことすら封じられっぱなしで川を目指していた。
「――変な形の大根だなーと思って。本当に大根かなと思ってさ、買って、齧ってみたんだけども。それがどうして、大根だったわけだよ。あんときゃ驚いたね。だって、あんな形の大根がさぁ……」
 ならばその〝変わった形〟をすこしでも伝えるべきではないのか。大根とは思えないほど変わった形の大根があった、でも本当に大根だったから驚いた。この驚いた、の部分に共感を求めるのなら、変わった形の変り具合を伝えるのはおはなしにおいて必須要素なのではないか。ルーミアは無理くりキッチンコンロと同じ形状の大根を思い浮かべて、やけっぱちに笑い相槌を打った。妹紅の腹部には未だ石槍の二本が刺さりっぱなしのままでいた。
「――こないだすごく薄情を感じた話なんだけどもね……」
「――こないだ真っ白い犬がいてさぁ……」
「……こないだ話したはなしの続きなんだけども……あれ、話したっけ? あの、腕が二本ある人間の話で……そっか。じゃあ、一から話そう――」
 そろそろ如何に死のうかでルーミアが悩んでいると、不意に向こうの方からひとの泣き声が聞こえてきた。しめた! とルーミアは駆け出す。
「ねえ、向こうでだれか泣いてる! きっと奴らになにかされたんだよ!」
「クソガキ! なんて酷いやつらなんだ。ひとを泣かせるなんて。あ、おい! ルーミアまてよ、一人で走って行くなってば」
 ルーミアにとって向こうで泣き喚く者の悲しみは蜜の味がした。ことが進むかはわからないが、とにかく妹紅の話からは解放されるのだ。森を走るルーミアの足取りは軽やかだった。

「どうかしましたか!」
 泣き声のもとまで着くと、いろいろなことがわかった。泣き声の主がひとではなく、河童であること。河童のすりむいた膝から、血の流れていること。そしてそこはもう森の出口、河辺への入り口であるということ。
「う、うぅ。家、取られちゃった……! ひどいよ……わたしの、わたしの家なのに! う、うぅ……転んで膝すりむくし、もうさいあく!」
 クソガキ! 妹紅は憤った。
「……そいつ。あなたの家を奪ったそいつは、私の同級生なんです。今まで迷っていたけど、決めました。私が、あいつをどうにかしなくちゃ。私があいつを止めなくてはいけない! ……河童さん、これをどうぞ。あなたのお家は、私がきっと取り戻しますから」
 ルーミアは河童に絆創膏を渡して立ち上がった。
「なんてひどいやつらなんだ。人様の家を奪うなんて」
「用務員のひと、いや妹紅さん! 行こう、あいつらを止めなくちゃ!」
 決意し歩き出す二人の後ろでは、河童が絆創膏を貼るのに失敗してぐちゃぐちゃにしていた。河童は暫し物欲しげに二人の背中を見つめていたが、決意を固めた者を振り返らせるには至らず、ひとり取り残されたあと、また少しだけ泣いた。

  石を喰む城

 それは異形の城だった。積み上げられた無数の石が、なにか粘着性のある虫の体液でのみ固定され、高く、厳かに怯え立つその様はまるで鬼の擬城化、そのものだった。
「これが石喰み城……リグル、リグル・ナイトバグの巣。石喰い達の病巣か」
 慄然と呟くルーミアに応えるよう、妹紅は言う。
「……ひでぇもんだぜ。これがほんとにあの河童の家かよ。人様の家をよくもここまで弄れるもんだ。それに、ここに至るまでの川は石を奪われて流れを失い、でかい水たまりと化してやがった。あのままではなんか生態が崩れてみんなしぬだろ……たぶん。そうするとみんなこまるだろ……」
 喰えない石を喰わねばならなくなった者、その者たちに奪われ窮する者達。その負の連鎖の頂点に、リグル・ナイトバグが君臨していた。心優しい仲間たちにとって世界一大事な川が一大事と駆け付ければ、その実、世界にとって世界一大事な世界が一大事ときている。ルーミアは手のひらを見つめた。
「私が、私が止めないと……」
 ルーミアはこれまでを思った。妹紅の嫌なこと忘却スイッチに慄いたこと、妹紅の腹部に突き刺さる石槍に慄いたこと、妹紅の大人の大人気なさに慄いたこと、妹紅のつまらない話に慄いたこと。しかし連綿とした想起のなか、さいごに輝いたのは、旧友リグル・ナイトバグとの交遊の数々だった。

 ――おいルーミア。しってるか? こないだ、すごく薄情を感じた話があってさ。
 ――おいルーミア。しってるか? こないだ、真っ白い犬が居てさぁ。

 ――おいルーミア。おい、ルーミア……。

 そんな、リグルの楽しそうな声ばかりが、ルーミアの思い出の中を駆け巡った。
「そうだ。私が、私が行かなくちゃ……!」
 やおら眺めていた手のひらに、もう片方で〝人〟と書いて呑み込むと、ルーミアの脚の震えは止まった。
「行こう」
 妹紅は静かに頷き、ルーミアに続いた。ここに至るまで四名の石喰みを撃退した妹紅の腹部には六本もの石槍が突き刺さっていた。なにゆえ抜かないのだろうか。痛みは、ないのだろうか。二人は城門を潜った。

 城門を抜け、暗い廊下を手探りで進む。どうや、行き止まりらしかった。入って早々の行き止まりとくれば、或いはこれは罠かもしれない。そう思った妹紅はとり急ぎルーミアに背後に隠れるよう指示した。石槍六本の妹紅にもはや臆することなく、ルーミアは背後に回った。妹紅は不死身だった。頼もしいやら寂しいやら、糢糊とした無力を自覚するも、如何せん妹紅は不死身だった。

『やあやあルーミア。それに用務員の人。僕の自慢の石喰いたちを退けてよくぞここまで辿り着いたね。一先ずは褒めてあげるよ』

 それは冷たい声だった。城内の暗さよりもずっと冷たく、また聴覚をくすぐるかのように甘い声でもあった。紛れもない、石喰み城の主〝ムシキング〟リグル・ナイトバグの声だ。
「リグル! 人様の家をこんなにしちゃって! はやく河童さんに家を返しなさいよ!」
「そうだ! 返せ返せ。借りたら返す、当然だろ……」
 銘々叫ぶも、どこにいるかリグルは気にもとめず話し続ける。無視はやめろよ、虫だけに。そう呟いた妹紅のおかげで、ルーミアは多少の冷静さを取り戻して、リグルの声を聞くことができた。
『でも、そんな君たちの快進撃もここまでさ。この城にはいくつかの罠を仕掛けてある。仮にひとつ罠を突破したところで、次はもっと熾烈な罠が待ち受けているのさ。到底無傷ではいられない。僕の城はそんなふうに出来てるんだ。そして――』
 一寸の間もなく、二人の遠い背後で城門が閉まる。
『――そんな危険な城から、君たちはもう帰ることすら叶わないってわけさ!』
 高い笑い声が通路に響く。クソガキ! 憤り手の平に炎を燃やす妹紅を尻目に、ルーミアは眼前の行き止まり、すなわち石の積み上げられた壁に立札を見つけた。
「妹紅さん、これ!」
 指すと、妹紅は炎を近づけ立て札を照らした。なにやら文字が書いてあるようだ。

『腕が8本、脚が5本。全長200m、顔2つの人間。これなんだ?』

 妹紅は少し考えたが早々に諦めた。隣で腕を組むルーミアに問い掛ける。
「おいわかるか? こういうのは子供の方が得意なんだよ」
「うーん。わからなくはないけど……」
 ルーミアはこの設問に心当たりがあった。それは寺子屋での授業中の記憶で、この問題を上白沢慧音が白のチョークで黒板に書き記したのは、確か道徳の時間だったはずだ。正解は人間だった。慧音曰くどれだけヒトからかけ離れた容姿をしていても、そのものの自認がヒトである以上、そのものはヒトに違いない。と、要するに差別意識についての問題だった。しかし、そんな授業中にひとりだけそのものをヒトと認めなかった生徒がいる。その生徒こそがリグル・ナイトバグだった。
「わかってるなら言ってみろよ。当たってたら道が拓かれるかもしれないぜ」
「う、うーん。でも……」
 そう、要するに差別意識についての問題なのだ。喰えない石を喰わねばならなくなった者、その者たちに奪われ窮する者達の憐れさを糧にここまでやって来たルーミアに、脳内浮かぶ答えを吐けるはずがなかった。
「もう、いいから言えったら。このままじゃ二進も三進もいかないじゃないか」
「そ、そんなにいうなら妹紅さんが答えてよ」
「私答えわかんないもん」
「じゃあ黙っててよ!」
「黙ってたってしょうがないじゃん進めないし戻れないんだからさ」
 似たようなやり取りの五億兆回を経て、ルーミアはいよいよ観念した。
「あーもう! じゃあ化け物! 答えは〝化け物〟だよ!」
「ハァ? 人間って書いてある以上人間だろ……たぶん。ルーミアおまえ、差別意識について考え直した方がいいだろ……」
 妹紅のとんでもねえセリフに目を丸くしていると、不意に奇妙な音が響いた。それは小気味のいいサウンドエフェクトで、ともすれば何か正解的な風情のある音だった。
「え、当たりかよ。当たるとどうなる?」
 妹紅が問い掛けるもルーミアは首を傾げるほかなかった。SEの切れた空間に数秒の沈黙が流れる。沈黙を打ち破ったのはどこにいるかリグルの咳払いだった。

『んっんー。おめでとう! そう、正解は化け物だ。そいつがどれだけヒトとしての自覚を持っていたとしても、他人には関係ない。対外的に化け物なら、そいつは世界的に化け物なんだよ。わかってくれたようでなにより。ルーミア、僕は嬉しいよ』

 大胆な道徳軽視と圧倒的な人権蹂躙だった。ルーミアは罪の意識に苛まれ、頭を抱える。嘘でもそう答えた自分が恥ずかしかった。
「え、当たりかよ。当たるとどうなる?」
 しかし当たるとどうなるか気になりっぱなしの妹紅の声を聞き、ルーミアはハッとした。自分は旧友たるリグルを止めにきたのだ。やると決めた以上はやらねばならない。何より、それが出来るのは自分しかいないのだ。そう考えて、ルーミアは居直った。
「そうだ! 妹紅さんの言うとおり、当たったらどうなるのさ! この、積まれた石に塞がれた道が開くのか、開かないのか。どっちなのさ!」
 ルーミアの声と妹紅の当たるとどうなる? が重なると、リグルは不適に笑った。怪しさを感じたルーミアはとっさに妹紅の背に回る。
『ああ、もちろん開く。開くとも。正解者にはどんな形であれ報酬を与えなければならない。そう、どんな形であれ――どんな形であれ、ねッ!』
 瞬間、目の前の石の壁が爆ぜた。虫の体液で補強された壁は連なる石の塊となって、無防備な妹紅を打ち付ける。
「クソガキ! なんてやつだ、いま足が見えたぞ。あいつ、壁の後ろに隠れていやがった。それで、こっちに向かって壁を蹴り壊したんだろ……」
「妹紅さん!」
 冷静な口ぶりとは裏腹に、妹紅はボロボロだった。慌てて顔を庇ったために、腕がぼろ雑巾のようになっていた。ルーミアはとっさにポケットの絆創膏に手を伸ばしたが、もはや絆創膏どころの騒ぎじゃないってくらい血まみれだった。
「でもまあ、所詮子供のやることさ」
 そういって、妹紅は開いた道をずいと進んだ。すこし進めばまた先ほどと同じような石壁が立ちふさがっているからやりきれない。クソガキ! 憤りつつも立て札を見つけ、ルーミアに聞かせるように読み上げる。
 
『腕が3本、脚が7本。全長190cm、顔1つの人間。これなんだ?』

「え、ええと。人間以上、答えは“人間以上”だよ!」
 妹紅の背後に隠れたルーミアが叫ぶと、また壁が爆ぜた。石を防ぐ妹紅の腕はちぎれそうになる。
「“人間未満”!」「“安物”!」「“びっくり人間”!」
 似たような設問が幾つか続き、妹紅はもう石を防ぐことをやめていた。おかげで全身にそれらしい石の粒がめり込み突き刺さっているが、もう本人があまり気にしていない様子なのでルーミアも気にするのをやめた。
「あいつ。壁を蹴り壊すたびに一瞬の間、次の壁の裏に回りやがる。どうなってんだ? おそらく虫の妖怪的石の隙間すり抜け移動術を使っているに違いないだろ……」
「ひ、卑劣な!」
 妹紅の背後に隠れるほかにないルーミアが憤るも、眼前には同じ石の壁が立ちはだかるのみだった。しかし進まねばいけない。ルーミアは悔しさに唇を噛みしめながら、似たような問題に解答していく。
「“不満足化け物”!」「“超満足人間”!」「“二十八体不満足化け物”!」
 どの解答も、元はといえばいつかの授業中、リグルの放った度を超えた冗談のはずだった。しかし今はそれを鵜呑んで問いに答えねばならない。どれほど不道徳であろうと、それを真と仮定して答えねばならない。ルーミアは次第に消耗していった。妹紅は傷口に入り込んだ虫達に巣食われ始めていた。

「さ、さすがにそろそろ疲れてきた。やすみたい、二キロくらい歩いた感じもするから」
「そ、そうだね妹紅さん。ちょっとそこらへんで腰を下ろしてもいいかもしれない……あれ?」
 しばらく進んでいると、急に開けた空間に着いた。そこはあからさまにこれまでの通路とは違う様相でふたりの視界に映った。
「ここって、まさか……」
 荒れたテーブル、荒れた床、荒れたベッドに荒れたタンス。間違いない。そこは何者かの部屋だった。リグルの姿はない、きっともう先へと進み隠れてしまったのだろう。
「お。ここ休めるぞ。ルーミア、おまえもちょっと休め。……うわ、脱いだら脱ぎっぱなしじゃん。引くわ」
 何者かの脱ぎ散らしをつまんで放り投げる妹紅を見たルーミアの心に、突如として夥しい不安が大挙して湧きあがった。なにか危険だ、違和感がある。気付いたときにはもう遅い。
「も、妹紅さん! 待って!」
「あー?」
 妹紅はすでに、寝っ転がってしまった……。

『ハハハ! ざまあないね、まんまと引っかかっちゃってさ! ルーミア、おまえは感じたようだね。なにか、この部屋に漂う不吉な予感。違和感をさあ! 僕が、その感覚の正体を教えてやろうじゃないか!』

 ルーミアは歯噛みした。こんなに口惜しいことが過去あっただろうか。考えてももう遅かった。ルーミアも、すでにリグルの術中にはまりかけていた。それは底なし沼のように、片足ひとつ突っ込めば後に引けない、深い、そして卑劣なリグルの策だった。ま、まさか! 嫌な予感はすでに実存の領域を侵してルーミアの背筋を這いまわった。

『そう、そのまさかさ! その感覚の正体は“生活感”だ! 程よく汚れ、程よく荒れて、程よくあたたかな居住空間。いちどはまったら抜け出せない。そこは、あの哀れな河童の生活の名残さ! ほうら、テレビがあるぞ。つけて、みてみるといい……』

 どこにいるかリグルはくくくと笑う。ルーミアはどこからか観察されているような気持ち悪さを覚えたが、悲しいかな妹紅は言われたとおりテレビをつける。もうルーミアも抗えない。頭ではわかっていても、居直れない。生活感を払拭するには整理整頓が効果的と閃いたが、すぐさま“人の家かってに掃除するとかダメじゃん”とダメになった。
「お、笑点やってんじゃん。てってけてけてけ、つって」
「も、妹紅さん……!」
 ルーミアは抗えない、老人を老人がいじめる様はどうしても愉快だった。
「ちびまる子ちゃんはじまった。そっか、こっからアニメラッシュか」
「も、妹紅さん……!」
 ルーミアは抗えない。サザエさんがたのしみだった。
「サザエさんだ。じゃんけんなに出すか決めなきゃ、そのために本編の二十分は存在しているから」
「も、妹紅さん……! こ、このままじゃ、まずいです!」
 にべもなくサザエさんは終わる。本編中にじゃんけんのことをさっぱり忘れていた妹紅はグーを出し損ね敗北した。サザエさんの機嫌よさげな笑い声でもって、番組が終わる。ルーミアはここ一番に焦っていた。
「あー? まずいって、なにがだよ」
「まずいんですよ……! サザエさんが終われば次に始まるのは……ぐ、ぐうう!」
 これ以上時間を浪費してはいけない。わかっていたが、ルーミアはどうしたって抗えない。瞬間、リグルの高笑いが響く。
『ハハハ! ルーミア、おまえも存外情けないやつだよ。がっかりだ。サザエさんが終わったぞ。とすれば次は“アレ”だ。アレが来るとわかっていながら、ルーミア。おまえはどうして動かないんだ? 生活感に溺れて、だらしのないやつ……』
 まずい、まずい! 体をよじるも、絡まりすぎてブランケットだか毛布だかもはやさっぱりな布がルーミアを離すことはない。
「なんだよ。アレってなんだ。サザエさんの次だろ? ええと……」
 妹紅は気づけない。曜日にルーズなせいもあって、いちいち次の番組など覚えなかった。しかし、ルーミアは覚えている。サザエさんの次のアレを、克明に覚えてしまっていた。
『そう。お前の考えている通りだルーミア。サザエさんの次の番組。それは――』

 ――テ、テ、テレビを見るときはぁ~――
 
『――“神作”だよ』

 ぐ、ぐああああああ! 胸中悲鳴を上げながら、ルーミアは妹紅と共に、また。
 約三十分を、無駄にした……。



 
 ふたりは神作が終わると案外すんなりと立ち上がり先を急いだ。神作の次のアニメはふたりしてあまり興味がなかったのだ。しかし、先を急ぐにしても道がわからない。とりあえず何処から響く呑気な歌声を頼りに歩けば、ふたりは浴室の前に辿り着いた。なんとはなしに確信する。ここにリグルがいる。この扉を開ければ、リグル・ナイトバグがいる!
「ルーミア」
 妹紅が促すように口を開いた。ルーミアは頷き、リグルが待ち構える空間、その扉に手をかけた。
「あけるよ、リグル」
 扉が開く。ひらいた扉の先にはバスタオルを巻いたリグルが湯あみをしていた。
 このクソガキ! 妹紅は口をぱくぱくとさせる。言いたいことは山ほどあった。石は食べられないこと、ひとに向かって物を投げてはいけないということ。何かを蹴り飛ばすなんて言語道断だし、仮に石を食べられるという主張に百歩譲ればリグルは食べ物を足蹴にしていることになる。そんなのはもっとだめだ。罰当たりがすぎる。妹紅はそんな、大人の大人げなさを胸中にたくさん認めていたが、結局どれも吐き出せずに、口をぱくぱくさせるのみで堪えた。今この場で言うべきセリフを、自分は持っていないと考えたのだ。
 ルーミアは上機嫌で鼻歌をならし続けるリグルに詰め寄った。そうすると、リグルはようやくルーミアに気付いて向き直る。

「こらっ!」

 向き直ったリグルの視線の先に立っていたのは、げんこを固め口を膨らませたルーミアだった。
 きょとん、とするリグルに軽く、こつん、とげんこが振り下ろされる。驚いたように叩かれたあたまを両手でおさえるリグルの目には、すこしの涙が浮かび上がった。

「ご、ごめんなさい……!」

 度を越してはしゃいだこどもに放つべき言葉を、ルーミアは知っていた。どれだけ理をつくせども聞かぬこどもに、上白沢慧音はいつもそのようにしていたのだ。上白沢慧音の教育者としての資質を疑う余地があるだろうか? ルーミアは確かに、然るべき言葉を学んでいたのだ。叱るだけに。
 長い今日のあいだ、リグルはこの言葉を待っていたのかもしれない。分からずとも、とにかくルーミアはこれだけを胸に認めやってきたのだ。長い今日のあいだ、熟成され続けた二文字に、リグルの心が動かぬことなぞ有り得ようか。

「ごめんね、ごめん……! 僕、やりすぎちゃった。ごめん……」
「いいよ。許してあげる。その代わり、石は元に戻して、この家も河童さんに返すこと。私も手伝ってあげるからさ」
 ルーミアに泣きすがるリグルは、妹紅の思った通りただのこどもだった。満身創痍越してザクロの接写な妹紅はやれやれと口を開く。
「もう二度と石を喰えるなんて吹いて回っちゃいけないぞ。それから明日には寺子屋に顔出すこと。あんまり慧音を心配させるなよ」
「うん、うん……!」
 浴室から戻ると、河童が恥ずかしそうに部屋掃除をしていた。みなで掃除を手伝えば、そのあとはテレビをみて笑いあった。
 
 かくして奇異荒唐の大妖怪、リグルナイトバグの偉大なる計画の幕は閉じる。その後、石喰み城を形成していたひとつの礫に“熟成”という銘がうたれ、思想館入りを果たすのだが――
 
 ――それはまた別の話となる。

 
 
 
   完
石、熟成、散策という三つのお題をいただき、その上で書かせていただきました。散策の部分はむりだったので無かったことにしました。おつかれさまでした。ありがとうございました。
こだい
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.260簡易評価
1.90奇声を発する程度の能力削除
面白く良かったです
2.100そち削除
各キャラに合わせたギャグ要素が楽しかったです。河童の切なさや、結局妹紅に繋がる回想シーン、しれっと書かれたクイズの奥深さ、然ると叱る、「クソガキ!」などちょくちょくフフッてしました。

思いの外、壮大になっていってることも面白かったです。

ところで、川に向かって歩きながらひたすら妹紅の話を聞くルーミアはある意味人生の散策をしていたので「散策」のお題もギリギリ消化できているのではないでしょうか、わからないけど!
4.100名前が無い程度の能力削除
なんだこれ……ハイセンスっぷりと不条理っぷりを存分に味わわせていただきました。三十分どころか、笑点から数えれば二時間無駄にしているのでは。
肉盾妹紅は有能だなぁ、頭のネジはぶっ飛んでるけど。
5.100めそふらん削除
石は食べられますよね
7.100名前が無い程度の能力削除
さすがに笑う
狂ったテープレコーダーみたいな妹紅や繰り出される良く分からないノリと勢いが良かったです
8.100名前が無い程度の能力削除
どこ切り取っても面白かったです。『その実、世界にとって世界一大事な世界が一大事ときている』好き
9.100終身削除
寺子屋の授業での慧音の教育方針に鬱憤や疑問をどっかに抱えていたリグルがどっかに行ってそれをルーミアと妹紅のコンビの絆の力で友情と正義の心を取り戻す青春なんでしょうか… いちいちつっこまれずにテンポよくネタが続いていたのが面白かったです
10.100名前が無い程度の能力削除
最初から最後までクソおもしろい
妹紅のスイッチ辺りの会話とかルーミアに聞かせる無駄話とかナチュラルに慧音がディスられてるとか本当にずるい
こちとらずっと笑ってたので卑怯とすら言える
11.無評価こだい削除
>1 さん
ありがとうございます!

>2 さん
とてもありがとうございます!

>4 さん
たしかに! 二時間無駄にしてますね!

>5 さん
まじですか

>7さん
うれしいです。ありがとうございます!

>8 さん
お褒め頂き光栄です!

>9 さん
そういうのもあるかもしれません!

>10 さん
うれしいですー!ありがとうございます!
13.100ヘンプ削除
ものすごくテンポよく読めて面白かったです。
やりすぎた子供、というのがよく伝わってきました。石を食べる方法ってあるんでしょうかね。
とても良かったです。
14.100名前が無い程度の能力削除
石食えたらいいのに
対外的に化物なら世界的に化物
石食えたら化物
15.100サク_ウマ削除
混沌の権化か?????
面白かったです
16.100Actadust削除
何、この……何?(誉め言葉)
最初は石を食べる話だったはずが捩じれに捩じれ混沌へと至ってしまいました。
宇宙的恐怖を感じました。
17.100こしょ削除
めちゃくちゃおもしろかったです
19.100クソザコナメクジ削除
濃い、凄く濃い。内容が日常的のはずなのに凄く濃い。
20.100南条削除
とても面白かったです
石槍が刺さったまま突き進んでいくところが特によかったです
石なんて食えたら化け物ですよ
21.100モブ削除
このお話の凄いところは最初は勘違いから始まっているのに、読み終わる頃にはそれが些事というか、些末なことに感じるところだと思うのです。きっとこの話はスタートがどこからでも、この結末に行きつくのだろうパワーを感じました。面白かったです。