うどんげがうどん食ってた。
無論、蕎麦だろうが、ラーメンであろうが何を食べていてもいいが、とりあえずうどんげがうどんを食ってた。
それだけである。
「ウドンゲ、ここにいたのね」
と、やや遅めの朝食を食べていると、彼女の師匠にあたる八意永琳が姿を現す。
「あれ、師匠。姫様はもう大丈夫なんですか?」
「ええ、もう落ち着いてるわ。まぁ元々大して心配もしてなかったけど」
永琳も彼女が仕えている姫もあらゆる生物を超越した不老不死だ。
どんな怪我を負おうと、それこそ何度殺されたところで『死』ぬことはない。
死ぬことはないが、別に怪我をして痛くないというわけではなく、あまりに酷い怪我をすれば寝込むこともある。
それが昨夜の姫と同じく不老不死で因縁の相手との殺し合いで現実のものとなったわけである。
話によればそれはもう壮絶な相打ちとかだったらしく、二人ともノックダウンしたらしい。
永琳は姫の看護、ウドンゲこと鈴仙・優曇華院・イナバも他の地上のウサギと共に先ほどまでその後片付けに追われていたわけである。
「でも、起きたらまた飛び出して行きかねないから暫くは見張ってないと。それで、ウドンゲに少しお使いを頼んで良いかしら?」
「……拒否権ないんですよね?」
「あら、ウドンゲも少しは分かってきたのね」
あっけらかんとそう返されて彼女は深くため息をつく。
この家には自分の主権は一切存在しないのではないか、と真面目に疑いたくなる。
「分かりましたよ……。で、何のお使いですか?」
「作りたい薬の材料が少し足りなくてね。ちょっと薬草を分けてもらってきて欲しいの。私の名前を出せば分かるはずよ」
「あれ?師匠、自分でも薬草作ってませんでしたか?」
永琳は薬のことなら右に出る者はいないと言われるほどの腕前だ。
自前の菜園もいくつかある。そこでかなりの数の薬草を栽培していたと思うのだが。
「あら、それは間違ってるわよ。薬の知識ならとにかく、薬草の栽培に関しては私は専門外だもの。専門家には負けるわ」
土地の気候とかにもかなり左右されるしね、と永琳は付け加える。
そういうものなのだろうか、と思ったがすぐにそういうものなのだろうと納得することにした。
基本放任主義のこの師匠のもとでいくつも疑問を抱えたところで得はしない。答えなどくれることのほうが少ないのだ。
有体に言えば「習うより慣れろ」ということだ。
「それで、どこまで行けばいいんですか?」
「ちょっと変わり者でね、人里の方で暮らしてるのよ。それじゃ、よろしく頼むわね」
「―――はい?」
それはまさに後悔先に立たずというやつであった。
鈴仙は人里が好きではない。
「うさぎさん~」
別に人間が怖いとか言うわけではない。力の弱いモノならとにかく彼女からすれば人間など恐るに足りない。
「ふにふに~」
―――ああ、そうだ。害意ある人間ならいくらでも対処のし様などある。
「尻尾もはえてるぞ!」
「わー、すごーい!」
「……いー加減にしなさーい!!!」
わー、と散り散りに逃げる里の子達。とは言ってもどうせすぐに戻ってくるだろう。
さっきから同じようなことの繰り返しなのだから。
問題なのは害意の全くない、無邪気な行為に対する対応である。強攻策をとるわけにもいかない。
師匠からは「あなたは少し甘すぎるわね。強気になる薬でも作りましょうか?」と真面目に言われる所以でもある。
ちなみに当然その薬は丁重にお断りした。
「ねぇ、お姉ちゃんは何しに来たの?」
「……ああ、そうだわ。忘れるところだったわ」
こうなれば用件だけさっさと済ませて帰るに限る。
「あなた達、上白沢慧音って人知らない?」
「かみしらさわ?」
「それってけー姉のことじゃないか?」
「けーね様ならゴン爺のところのはずだよ」
耳を執拗に触っていて子供達は一転、近くの民家の方へ走り出す。
変に警戒されるよりはこの場合は都合は良い。
良いことは良いが、それにしたって無用心すぎやしないかとは思う。
まぁ、自分が考えたところで意味がないことだ、と無理矢理納得する。
子供達に続いて暫く行った民家の入り口から入ってみればそこにいたのは一人の布団で寝ている老人と傍らにいる少女の姿。
「けーね様~」
「こら、今は忙しいから後で遊んでやると言った……ん?そちらの方は?」
「けー姉に用があるんだってさ」
「ほう……」
少女――慧音の視線が鋭くなる。
「それで何の用で?」
「薬草の件で八意永琳の使いで来ました、鈴仙という者です」
「薬草?……ああ、そういうことか。すまないな、最近性質の悪い妖怪共が動き回っているようでな」
「いえ、気にしてません」
「そう言ってくれると有難い」
怪しむという行為は当然のことだ。人間と妖怪は決して仲良しではなく、奇妙な隣人なのだから。
だから警戒心を持つくらいでちょうど良いのだ。
彼女から見ればこの村は少しばかり妖怪に馴染みすぎている。
それが良いことか悪いことなのかは判断は付かないが。
「わざわざ来てもらっておいて悪いんだが、これから他の家も回らなくてはいけなくてな。少し待っててくれ」
「え?あ、は、はい」
反射的にそう反応してしまう鈴仙にもう一度だけ慧音は「すまないな」と言った。
通された家の中で鈴仙はぐったりとしてしまう。
慧音に付き合う形で民家を巡っていはいたのだが、その間ずっと子供達の子守をさせられていたのだ。触られすぎて耳が少し痛い。
こんなことなら慧音が病気の人などの所に回っているのを手伝えばよかったと思う。
尤も、手際を見ていれば助力が必要であるようには見えなかったが。
「すまないな。あの子達は滅多に里の外に出れないから外の者には何でも興味を示すんだ」
慧音は苦笑交じりだが、その表情には隠しきれない親愛の情のようなものが感じられる。
彼女は本当に里の人間達が好きなのだろう。そして里の者も彼女のことを尊敬している。
少し見ただけの鈴仙でもそれは十分に感じられた。
「大変じゃないですか?人の里で暮らすのは」
慧音は純粋な人間ではない。そして、純粋な妖怪でもない。
どちらの血も持った半獣人だ。妖怪は気にしないだろうが、人間達が全員受け入れているとは思えない。
人間は数が多いせいか、妙に自分と違うものに対しては排泄的なのだから。
「……まぁ、そういう人がいないといえば嘘になる。だけど、それは些細な問題だな。私は人間が好きだから、人間を守りたいから守っている。言ってしまえばそれだけのことさ」
何故そこまで人間が好きになれるのだろうか、と純粋に疑問に感じた。
「私の場合母親側のほうが人間でね。父親を見たことは一度もないな。今は何処で何をしているのやら」
それが伝わったのか、慧音が少しだけ懐かしむような口調で口を開く。
物心ついたときにはすでに慧音は孤独だった。
同じ年頃の子供とは明らかに違う彼女は差別の対象でしかなかった。
そして、それを一人で抱え込むことが出来たことが彼女にとってはさらなる不幸へとなる。
差別は母にまで及んだ。それは里ぐるみの徹底的な無視だった。
無視は時に肉体的な暴力よりも鋭利な凶器となる。自分の存在を認められないのだ。それほど辛いことが他にありえるだろうか。
全てを恨んだ。
こんな仕打ちをする里の人間を。未だ見ぬ父を。そして、こんなどっち付かずの身体に産んだ母を。
どれだけ罵詈罵倒を繰り返しただろうか。それでも、いつも母はただ黙ってそれを聞いていた。
そんな生活が一体何年続いたのだろうか、母は病気で寝こむようになった。
母は昔と比べると老いていた。でも、彼女はほとんど姿が変わる事はなく、今更ながらに彼女が人間でないと自覚させた。
もし医者でも呼ぶことが出来れば母を助けることが出来たのかもしれない。でも、それは不可能だった。
生き残るための最低限の知識は持っていたが、せいぜいそれは食べれてこれは食べれない程度のものだ。薬などのことはまるで分からない。
自分の無知が悔しかった。日に日に弱っていく母の姿を彼女は見ているしか出来なかったのだから。
「里の皆を恨まないであげてね」
と、いつも通りの優しい笑みを見せて母はかすれた声で言った。
無理だ、と彼女は返した。自分も母も何も悪いことはしていないのにこのような仕打ちを繰り返す連中をどうして許すことが出来るのだ、と。
「皆ね、怖いのよ」
と、変わらぬ表情で母は言った。人は自分の理解出来ないことが恐ろしいのだ。人はとても弱いものだからそうすることで必死に自分の身を守っているのだ、と。
やっぱり許すことは出来ない、と彼女は返した。どのような理由があったとしても行動を正当化することは出来ない。それを許すことは出来ない、と。
母はそれには答えずそっと彼女の手を握ってこう言った。
「あなたの持つ力はたくさんの人を壊すことが出来る力よ。でも、それはとても素敵なものだということは忘れないで。それと同じくらいの人を助けることが出来る力なんだから」
そして、最後に「辛い思いばかりさせてごめんなさいね」とだけ言って母は静かに眠るように息を引き取った。
母は最期まで彼女に強制することはなかった。自分の意思で決めて、自分の意思で行動しろと言い残したのだ。
涙が出た。自分にはないものだと思い込んでいた涙が溢れてきた。
そして、やっと彼女は自分は母のことが大好きだったのだと気付いた。
それから母を埋葬した後、彼女はその里からひっそりと姿を消した。
やはり里の人間の行為を認めることは出来なかった。でも、だからといって復讐したいのかそうでないのか自分でも判断が付かなかったのだ。
だから少し人から離れて自分がどうしたいのか定めてみたかったのだ。
暫くは山の中に作った小さな家の中で薬学についての本を読んだりして過ごす日々が続いた。
以前の生活に比べれば気楽なものだった。テリトリーさえ必要以上に侵さなければ互いに干渉することはそうはないのだから。
たまにちょっかいをかけてくる奴もいたが、せいぜいお遊び程度のものだ。
そんな中で慧音は一人の少女と出会うことになる。
衰弱してぼろぼろの状態だったところを保護したのだが、実に奇妙な少女だった
少女は明らかに人間なのだが、どうにも人間臭さのようなものを感じない。
そのせいか少女と話すのはと何ら抵抗はなく、むしろ楽しさすらあった。
少女は自分の事を不老不死だと言った。かの有名な蓬莱の薬を飲んで死ぬことを許されなくなった人間なのだ、と。
その話はとても信じられるようなものではなかったが、不思議と疑う気にはならなかった。
「ねぇ、あなたなんで私を置いてくれるの?人間嫌いなんでしょ?」
少女がそんなことを不意に言ったのは、一緒に暮らすようになって暫くしてのことだった。
何故なのか、それは慧音自身にも不思議だった。彼女は確かに他の人間とは違うが、それでも彼女は間違いなく人間だ。
蓬莱の薬は死を失くすだけであり、別に人間でなくなったわけではない。自分は人間のことが憎かったのではないか。
「さてな、自分でもよく分からない。まぁ、お前を放っておけなかったことだけは確かだな」
ふぅん、と少し生返事を返しながら少女はじーっと暫く慧音の方を見つめて、やがて何かに納得したように頷く。
「ああ、あなた人間が嫌いとか言いながら人間が好きなんでしょ。変だと思ってたのよ。憎いとか言いながら危害加える気全くないみたいだから変だと思ってたのよ」
がつんとハンマーで頭を殴られたような衝撃が走った。
思い返せば、機会はいくらでもあった。彼女の力ならば人の里一つくらいならどうにでもできる。
なのに何故そうしなかったか。理由は簡単だ。
―――自分は結局人間というやつが好きなのだ。
だからあのような仕打ちをされたことがとても悲しかった。
だから憎もうとしても完全に憎むことは出来なかったのだ。
気付いてしまえば簡単な話で、こんなにも単純な話ではないか。
ただ自分の馬鹿さ加減に笑うしか出来なかった。
「―――と、まぁ。それがきっかけで今に至るというわけだ」
慧音は息をつきながら、自分で淹れたお茶を飲み干す。
「その不老不死の少女ってもしかして……」
不老不死の人間がそう何人もいるはずもない。鈴仙の知る限りでは姫と永琳と、そして―――
「ああ、もしかしなくても飽きもせずに君達の主と殺しあっている奴だよ。……快く思えとは言えないが、あいつのことを恨まないでやって欲しい。あいつには生き甲斐とが必要なんだ」
別に何かを言うつもりはない。
そりゃあ、出来れば姫には危ないことはして欲しくないが、姫自身が嫌がっていないというのなら止めることも出来ない。
慧音の言い方を使えば、姫にも同じように生き甲斐が必要だということだろう。そういう意味では二人は似た者同士なのかもしれない。
そもそも姫が嫌がっているのなら永琳がそれこそ身を挺してでも妨害するだろうから、止めていないということは鈴仙達も何もしなくていいということなのだ。
「でも、なんでそんな話を私に?」
少なくとも、初めて会ったような者にするような類の話ではないだろう。
「さてね、自分でも何故こんな話をしたのかよく分からない。……いや、もしかしたら君の目が昔の私似ていたからかもしれないな」
「……」
鈴仙・優曇華院・イナバ―――いや、レイセンという名の兎は地上の兎ではない。幻想卿の遥か上にある月から来た兎だ。
「……あなたは私とは違います」
話してはいないが、人の里に人以外の者が馴染むのに必要だった苦労は並大抵のものではないだろう。
それでも彼女は諦めずに今の形まで作り上げたのだ。それは十分すぎるくらいに尊敬に値する。
それに比べて自分は仲間を見捨てて命からがら逃げ延びた、仲間から見れば裏切り者以外の何者でもない。
片やどんな風に思われても人間を守ると決めてそれを実行に移している者、片や仲間を見捨ててこうしてのうのうと暮らしている者。
似ても似つかないじゃないか。
「いや、案外私達は本当に似た者同士かもしれないぞ?鈴仙、だったかな。君は自分が周りから浮いてるとでも思ってるんじゃないのか?」
「―――はい」
少し考えて鈴仙は慧音の言葉に頷く。
不思議と慧音の言葉には自分の内心が見透かされているような、そんな説得力のようなものがある。
「その理由は聞く気はないがね、周りからどう思われるのかを決めるのは自分じゃない。周りだよ」
例えどういう素性であれ周りがその者を『人間』だと思えばそいつは人間だし、『妖怪』だと言われれば妖怪だ。
「だが、君自身が浮いてると思っている以上どうしたところで浮いてるとしか思えないだろう。つまり、自分の周りからの認識を変えるためには自分自身の認識から変えなければならないということだよ」
慧音もまた昔は『人間は嫌いだ』と思い込んでいた。だから、周りから嫌われてしまうのもある意味では必然だったのだ。
そして、今は『人間が好きだ』だと思っているから周りにもそれが伝わったのだ、と少なくとも彼女自身はそう思っている。
「……よく分かりません」
「焦る必要はないということさ。今の君には帰る場所があるんだろう?焦らず地道にやってけばその内いい形にまとまるさ」
「―――」
鈴仙はほんの少しだけ自分の肩から荷が下りた気がした。
問題は別に何も解決したわけではない。自分の行為は一生後悔するだろうし、それで眠れない日々もまだ続くだろう。
それでも、自分がこれからどうしなければならないか形にはなっていないけど分かった気がする。
とりあえずは一生懸命に生きる、そうすればいつかは道が見えてくるはずだ。
焦ることはない。帰れる場所がある限りはもう少しだけ頑張れる気がした。
『適当に』摘んだ薬草を持って去っていく鈴仙の後ろ姿を見送りながら慧音は軽くため息をつく。
手に持っているのは今朝方一羽の兎が持ってきた手紙。
そこには『うちの不肖の弟子を適当に理由をつけてあなたのとこに行かせるから、後はよろしく』
最初はわけが分からなかったが、会ってみて納得した。
あの瞳は何かの重圧に押しつぶされてしまいそうな者の目だった。
要するに話でも聞いて肩に力を入れさせないようにしてくれ、ということなのだろう。
だから、悪いとは思ったが彼女の『歴史』を見せてもらったりしたが、そこは仕方なかったと思って欲しいところだ。
「……まったく、以外に弟子想いなのだな彼女は」
永琳に意外な一面に苦笑しながら改めて鈴仙が立ち去った方を見つめる。
すでに彼女の姿はない。前途は多難であろうが、彼女が少しでも早く答えを得ることを望んで少しだけ信じてもいない神に祈った。
「さて、あの子達も待ちくたびれている頃だろうな」
気合を入れて再び里の方に足を向けた。やることはいくらでもあるのだ。
でも、焦らずに一歩ずつ確実に歩んでいこう。そうすればいつかは望んだことが叶うはずなのだから。
無論、蕎麦だろうが、ラーメンであろうが何を食べていてもいいが、とりあえずうどんげがうどんを食ってた。
それだけである。
「ウドンゲ、ここにいたのね」
と、やや遅めの朝食を食べていると、彼女の師匠にあたる八意永琳が姿を現す。
「あれ、師匠。姫様はもう大丈夫なんですか?」
「ええ、もう落ち着いてるわ。まぁ元々大して心配もしてなかったけど」
永琳も彼女が仕えている姫もあらゆる生物を超越した不老不死だ。
どんな怪我を負おうと、それこそ何度殺されたところで『死』ぬことはない。
死ぬことはないが、別に怪我をして痛くないというわけではなく、あまりに酷い怪我をすれば寝込むこともある。
それが昨夜の姫と同じく不老不死で因縁の相手との殺し合いで現実のものとなったわけである。
話によればそれはもう壮絶な相打ちとかだったらしく、二人ともノックダウンしたらしい。
永琳は姫の看護、ウドンゲこと鈴仙・優曇華院・イナバも他の地上のウサギと共に先ほどまでその後片付けに追われていたわけである。
「でも、起きたらまた飛び出して行きかねないから暫くは見張ってないと。それで、ウドンゲに少しお使いを頼んで良いかしら?」
「……拒否権ないんですよね?」
「あら、ウドンゲも少しは分かってきたのね」
あっけらかんとそう返されて彼女は深くため息をつく。
この家には自分の主権は一切存在しないのではないか、と真面目に疑いたくなる。
「分かりましたよ……。で、何のお使いですか?」
「作りたい薬の材料が少し足りなくてね。ちょっと薬草を分けてもらってきて欲しいの。私の名前を出せば分かるはずよ」
「あれ?師匠、自分でも薬草作ってませんでしたか?」
永琳は薬のことなら右に出る者はいないと言われるほどの腕前だ。
自前の菜園もいくつかある。そこでかなりの数の薬草を栽培していたと思うのだが。
「あら、それは間違ってるわよ。薬の知識ならとにかく、薬草の栽培に関しては私は専門外だもの。専門家には負けるわ」
土地の気候とかにもかなり左右されるしね、と永琳は付け加える。
そういうものなのだろうか、と思ったがすぐにそういうものなのだろうと納得することにした。
基本放任主義のこの師匠のもとでいくつも疑問を抱えたところで得はしない。答えなどくれることのほうが少ないのだ。
有体に言えば「習うより慣れろ」ということだ。
「それで、どこまで行けばいいんですか?」
「ちょっと変わり者でね、人里の方で暮らしてるのよ。それじゃ、よろしく頼むわね」
「―――はい?」
それはまさに後悔先に立たずというやつであった。
鈴仙は人里が好きではない。
「うさぎさん~」
別に人間が怖いとか言うわけではない。力の弱いモノならとにかく彼女からすれば人間など恐るに足りない。
「ふにふに~」
―――ああ、そうだ。害意ある人間ならいくらでも対処のし様などある。
「尻尾もはえてるぞ!」
「わー、すごーい!」
「……いー加減にしなさーい!!!」
わー、と散り散りに逃げる里の子達。とは言ってもどうせすぐに戻ってくるだろう。
さっきから同じようなことの繰り返しなのだから。
問題なのは害意の全くない、無邪気な行為に対する対応である。強攻策をとるわけにもいかない。
師匠からは「あなたは少し甘すぎるわね。強気になる薬でも作りましょうか?」と真面目に言われる所以でもある。
ちなみに当然その薬は丁重にお断りした。
「ねぇ、お姉ちゃんは何しに来たの?」
「……ああ、そうだわ。忘れるところだったわ」
こうなれば用件だけさっさと済ませて帰るに限る。
「あなた達、上白沢慧音って人知らない?」
「かみしらさわ?」
「それってけー姉のことじゃないか?」
「けーね様ならゴン爺のところのはずだよ」
耳を執拗に触っていて子供達は一転、近くの民家の方へ走り出す。
変に警戒されるよりはこの場合は都合は良い。
良いことは良いが、それにしたって無用心すぎやしないかとは思う。
まぁ、自分が考えたところで意味がないことだ、と無理矢理納得する。
子供達に続いて暫く行った民家の入り口から入ってみればそこにいたのは一人の布団で寝ている老人と傍らにいる少女の姿。
「けーね様~」
「こら、今は忙しいから後で遊んでやると言った……ん?そちらの方は?」
「けー姉に用があるんだってさ」
「ほう……」
少女――慧音の視線が鋭くなる。
「それで何の用で?」
「薬草の件で八意永琳の使いで来ました、鈴仙という者です」
「薬草?……ああ、そういうことか。すまないな、最近性質の悪い妖怪共が動き回っているようでな」
「いえ、気にしてません」
「そう言ってくれると有難い」
怪しむという行為は当然のことだ。人間と妖怪は決して仲良しではなく、奇妙な隣人なのだから。
だから警戒心を持つくらいでちょうど良いのだ。
彼女から見ればこの村は少しばかり妖怪に馴染みすぎている。
それが良いことか悪いことなのかは判断は付かないが。
「わざわざ来てもらっておいて悪いんだが、これから他の家も回らなくてはいけなくてな。少し待っててくれ」
「え?あ、は、はい」
反射的にそう反応してしまう鈴仙にもう一度だけ慧音は「すまないな」と言った。
通された家の中で鈴仙はぐったりとしてしまう。
慧音に付き合う形で民家を巡っていはいたのだが、その間ずっと子供達の子守をさせられていたのだ。触られすぎて耳が少し痛い。
こんなことなら慧音が病気の人などの所に回っているのを手伝えばよかったと思う。
尤も、手際を見ていれば助力が必要であるようには見えなかったが。
「すまないな。あの子達は滅多に里の外に出れないから外の者には何でも興味を示すんだ」
慧音は苦笑交じりだが、その表情には隠しきれない親愛の情のようなものが感じられる。
彼女は本当に里の人間達が好きなのだろう。そして里の者も彼女のことを尊敬している。
少し見ただけの鈴仙でもそれは十分に感じられた。
「大変じゃないですか?人の里で暮らすのは」
慧音は純粋な人間ではない。そして、純粋な妖怪でもない。
どちらの血も持った半獣人だ。妖怪は気にしないだろうが、人間達が全員受け入れているとは思えない。
人間は数が多いせいか、妙に自分と違うものに対しては排泄的なのだから。
「……まぁ、そういう人がいないといえば嘘になる。だけど、それは些細な問題だな。私は人間が好きだから、人間を守りたいから守っている。言ってしまえばそれだけのことさ」
何故そこまで人間が好きになれるのだろうか、と純粋に疑問に感じた。
「私の場合母親側のほうが人間でね。父親を見たことは一度もないな。今は何処で何をしているのやら」
それが伝わったのか、慧音が少しだけ懐かしむような口調で口を開く。
物心ついたときにはすでに慧音は孤独だった。
同じ年頃の子供とは明らかに違う彼女は差別の対象でしかなかった。
そして、それを一人で抱え込むことが出来たことが彼女にとってはさらなる不幸へとなる。
差別は母にまで及んだ。それは里ぐるみの徹底的な無視だった。
無視は時に肉体的な暴力よりも鋭利な凶器となる。自分の存在を認められないのだ。それほど辛いことが他にありえるだろうか。
全てを恨んだ。
こんな仕打ちをする里の人間を。未だ見ぬ父を。そして、こんなどっち付かずの身体に産んだ母を。
どれだけ罵詈罵倒を繰り返しただろうか。それでも、いつも母はただ黙ってそれを聞いていた。
そんな生活が一体何年続いたのだろうか、母は病気で寝こむようになった。
母は昔と比べると老いていた。でも、彼女はほとんど姿が変わる事はなく、今更ながらに彼女が人間でないと自覚させた。
もし医者でも呼ぶことが出来れば母を助けることが出来たのかもしれない。でも、それは不可能だった。
生き残るための最低限の知識は持っていたが、せいぜいそれは食べれてこれは食べれない程度のものだ。薬などのことはまるで分からない。
自分の無知が悔しかった。日に日に弱っていく母の姿を彼女は見ているしか出来なかったのだから。
「里の皆を恨まないであげてね」
と、いつも通りの優しい笑みを見せて母はかすれた声で言った。
無理だ、と彼女は返した。自分も母も何も悪いことはしていないのにこのような仕打ちを繰り返す連中をどうして許すことが出来るのだ、と。
「皆ね、怖いのよ」
と、変わらぬ表情で母は言った。人は自分の理解出来ないことが恐ろしいのだ。人はとても弱いものだからそうすることで必死に自分の身を守っているのだ、と。
やっぱり許すことは出来ない、と彼女は返した。どのような理由があったとしても行動を正当化することは出来ない。それを許すことは出来ない、と。
母はそれには答えずそっと彼女の手を握ってこう言った。
「あなたの持つ力はたくさんの人を壊すことが出来る力よ。でも、それはとても素敵なものだということは忘れないで。それと同じくらいの人を助けることが出来る力なんだから」
そして、最後に「辛い思いばかりさせてごめんなさいね」とだけ言って母は静かに眠るように息を引き取った。
母は最期まで彼女に強制することはなかった。自分の意思で決めて、自分の意思で行動しろと言い残したのだ。
涙が出た。自分にはないものだと思い込んでいた涙が溢れてきた。
そして、やっと彼女は自分は母のことが大好きだったのだと気付いた。
それから母を埋葬した後、彼女はその里からひっそりと姿を消した。
やはり里の人間の行為を認めることは出来なかった。でも、だからといって復讐したいのかそうでないのか自分でも判断が付かなかったのだ。
だから少し人から離れて自分がどうしたいのか定めてみたかったのだ。
暫くは山の中に作った小さな家の中で薬学についての本を読んだりして過ごす日々が続いた。
以前の生活に比べれば気楽なものだった。テリトリーさえ必要以上に侵さなければ互いに干渉することはそうはないのだから。
たまにちょっかいをかけてくる奴もいたが、せいぜいお遊び程度のものだ。
そんな中で慧音は一人の少女と出会うことになる。
衰弱してぼろぼろの状態だったところを保護したのだが、実に奇妙な少女だった
少女は明らかに人間なのだが、どうにも人間臭さのようなものを感じない。
そのせいか少女と話すのはと何ら抵抗はなく、むしろ楽しさすらあった。
少女は自分の事を不老不死だと言った。かの有名な蓬莱の薬を飲んで死ぬことを許されなくなった人間なのだ、と。
その話はとても信じられるようなものではなかったが、不思議と疑う気にはならなかった。
「ねぇ、あなたなんで私を置いてくれるの?人間嫌いなんでしょ?」
少女がそんなことを不意に言ったのは、一緒に暮らすようになって暫くしてのことだった。
何故なのか、それは慧音自身にも不思議だった。彼女は確かに他の人間とは違うが、それでも彼女は間違いなく人間だ。
蓬莱の薬は死を失くすだけであり、別に人間でなくなったわけではない。自分は人間のことが憎かったのではないか。
「さてな、自分でもよく分からない。まぁ、お前を放っておけなかったことだけは確かだな」
ふぅん、と少し生返事を返しながら少女はじーっと暫く慧音の方を見つめて、やがて何かに納得したように頷く。
「ああ、あなた人間が嫌いとか言いながら人間が好きなんでしょ。変だと思ってたのよ。憎いとか言いながら危害加える気全くないみたいだから変だと思ってたのよ」
がつんとハンマーで頭を殴られたような衝撃が走った。
思い返せば、機会はいくらでもあった。彼女の力ならば人の里一つくらいならどうにでもできる。
なのに何故そうしなかったか。理由は簡単だ。
―――自分は結局人間というやつが好きなのだ。
だからあのような仕打ちをされたことがとても悲しかった。
だから憎もうとしても完全に憎むことは出来なかったのだ。
気付いてしまえば簡単な話で、こんなにも単純な話ではないか。
ただ自分の馬鹿さ加減に笑うしか出来なかった。
「―――と、まぁ。それがきっかけで今に至るというわけだ」
慧音は息をつきながら、自分で淹れたお茶を飲み干す。
「その不老不死の少女ってもしかして……」
不老不死の人間がそう何人もいるはずもない。鈴仙の知る限りでは姫と永琳と、そして―――
「ああ、もしかしなくても飽きもせずに君達の主と殺しあっている奴だよ。……快く思えとは言えないが、あいつのことを恨まないでやって欲しい。あいつには生き甲斐とが必要なんだ」
別に何かを言うつもりはない。
そりゃあ、出来れば姫には危ないことはして欲しくないが、姫自身が嫌がっていないというのなら止めることも出来ない。
慧音の言い方を使えば、姫にも同じように生き甲斐が必要だということだろう。そういう意味では二人は似た者同士なのかもしれない。
そもそも姫が嫌がっているのなら永琳がそれこそ身を挺してでも妨害するだろうから、止めていないということは鈴仙達も何もしなくていいということなのだ。
「でも、なんでそんな話を私に?」
少なくとも、初めて会ったような者にするような類の話ではないだろう。
「さてね、自分でも何故こんな話をしたのかよく分からない。……いや、もしかしたら君の目が昔の私似ていたからかもしれないな」
「……」
鈴仙・優曇華院・イナバ―――いや、レイセンという名の兎は地上の兎ではない。幻想卿の遥か上にある月から来た兎だ。
「……あなたは私とは違います」
話してはいないが、人の里に人以外の者が馴染むのに必要だった苦労は並大抵のものではないだろう。
それでも彼女は諦めずに今の形まで作り上げたのだ。それは十分すぎるくらいに尊敬に値する。
それに比べて自分は仲間を見捨てて命からがら逃げ延びた、仲間から見れば裏切り者以外の何者でもない。
片やどんな風に思われても人間を守ると決めてそれを実行に移している者、片や仲間を見捨ててこうしてのうのうと暮らしている者。
似ても似つかないじゃないか。
「いや、案外私達は本当に似た者同士かもしれないぞ?鈴仙、だったかな。君は自分が周りから浮いてるとでも思ってるんじゃないのか?」
「―――はい」
少し考えて鈴仙は慧音の言葉に頷く。
不思議と慧音の言葉には自分の内心が見透かされているような、そんな説得力のようなものがある。
「その理由は聞く気はないがね、周りからどう思われるのかを決めるのは自分じゃない。周りだよ」
例えどういう素性であれ周りがその者を『人間』だと思えばそいつは人間だし、『妖怪』だと言われれば妖怪だ。
「だが、君自身が浮いてると思っている以上どうしたところで浮いてるとしか思えないだろう。つまり、自分の周りからの認識を変えるためには自分自身の認識から変えなければならないということだよ」
慧音もまた昔は『人間は嫌いだ』と思い込んでいた。だから、周りから嫌われてしまうのもある意味では必然だったのだ。
そして、今は『人間が好きだ』だと思っているから周りにもそれが伝わったのだ、と少なくとも彼女自身はそう思っている。
「……よく分かりません」
「焦る必要はないということさ。今の君には帰る場所があるんだろう?焦らず地道にやってけばその内いい形にまとまるさ」
「―――」
鈴仙はほんの少しだけ自分の肩から荷が下りた気がした。
問題は別に何も解決したわけではない。自分の行為は一生後悔するだろうし、それで眠れない日々もまだ続くだろう。
それでも、自分がこれからどうしなければならないか形にはなっていないけど分かった気がする。
とりあえずは一生懸命に生きる、そうすればいつかは道が見えてくるはずだ。
焦ることはない。帰れる場所がある限りはもう少しだけ頑張れる気がした。
『適当に』摘んだ薬草を持って去っていく鈴仙の後ろ姿を見送りながら慧音は軽くため息をつく。
手に持っているのは今朝方一羽の兎が持ってきた手紙。
そこには『うちの不肖の弟子を適当に理由をつけてあなたのとこに行かせるから、後はよろしく』
最初はわけが分からなかったが、会ってみて納得した。
あの瞳は何かの重圧に押しつぶされてしまいそうな者の目だった。
要するに話でも聞いて肩に力を入れさせないようにしてくれ、ということなのだろう。
だから、悪いとは思ったが彼女の『歴史』を見せてもらったりしたが、そこは仕方なかったと思って欲しいところだ。
「……まったく、以外に弟子想いなのだな彼女は」
永琳に意外な一面に苦笑しながら改めて鈴仙が立ち去った方を見つめる。
すでに彼女の姿はない。前途は多難であろうが、彼女が少しでも早く答えを得ることを望んで少しだけ信じてもいない神に祈った。
「さて、あの子達も待ちくたびれている頃だろうな」
気合を入れて再び里の方に足を向けた。やることはいくらでもあるのだ。
でも、焦らずに一歩ずつ確実に歩んでいこう。そうすればいつかは望んだことが叶うはずなのだから。
慧音のこういう過去の捉え方は斬新で、面白かったです。
あと書き出しになぜか「哲学的」な意味合いを感じてしまうのは私だけなのでしょうか?(笑)
幻想郷の人間と妖怪の距離関係、難しいですね。
もこけーねの関係もなるほどなぁと思いました、面白かったですー。