何度目の光景だろう?
私は数えていない。
*
西行寺の庭は広い。
余りの広さに、主が迷うほどである。――笑ってはいけない。
「そう、笑っちゃいけない」
言いながら、私はこくんと一つ頷く。
周りには黙して語らぬ木々の連なりがあるだけ。
風の一吹きもしない初夏の午後。
燦々と照らす陽光の下、私は傾げた自分の首の、こり、と幽かに鳴る音が響くのを聴いた気がした。
それほどの静けさに包まれ、私はひとり、己が住まいにある広大な庭園の真っ只中に佇んでいる。
「――」
静謐というほど冷たくもなく、静寂というほど儚げでもない。
この静かは、ぬるま湯に浸り、溜息を吐きながら心地良くたゆたう、暖色の沈黙だ。
目を閉じてみるだけで、そのまま眠りの細波が押し寄せてくるかのようである。
「ああ、何だか眠たくなるわね」
想いつつ、知らぬ間に瞳を閉ざしていた。
木漏れ日の齎す暖気を瞼の裏から感じ、それが固形の意識を溶かして夢見へと誘う。
海は生命の源。夢は記憶の吹き溜まり。
そこへ行くなら、固いままではいられないのだ。
「ま、でも」
今は寝ている場合じゃないか、と思い直す。
ぱちりと瞼を開けて、意識を固化して視界を取り戻すと、木々の整然と、あるいは雑然と立ち並ぶ一帯へ向けて、私はすい
、と視線を滑らせる。
右を見ても、左を見ても、後ろを向いても、真正面にも、ただただ大小種類様々の樹木が、物も言わずに立つばかり。
それらは決して密集せずに、一定の間隔を保っている。そうする事で庭園の密林化を防いでいるのだと、我が白玉楼の誇る
有能な半人前は、そう言って自分の副業を誇っていた。
「暢気よねぇ」
歩き出して、やがて一つの木に至る。
見上げれば西行桜、ゆめはなびらにはらはらと、影も落とさぬ八分咲。
九分にも至らず。満開はなおのこと。
散る花は、他のどの桜とも変わらないのに。
「暢気。あれもこれも、私も」
吐息で風を起こす。
ひゅうという雑音が、微温湯を吹き散らして騒ぎ立てる。
瞳を閉じ、無音の庭園を一片波打たせて、私は手を合わせ、巨きな桜木へ拝む。
「――」
無言で、思いの内に唱える。
ふと、遠くより粗忽者の声が聞こえてきた。
片目を開けてそちらへ目をやると、既にそこには庭師がいる。
「幽々子お嬢様、こちらに居られましたか」
庭師、魂魄妖夢は麗人であり、佳人であり、剣客だ。
しかしてその実態は、私の使い走り。
「早かったわ、妖夢。あと三度足りてない」
「申し訳ございません。ですが、火急の用でしたので」
「構わない。それで、誰が何の用かしら」
「巫女がクレームです。お庭の春に、好き放題当り散らして」
「ケチ。しかもせっかちね」
「昔からですよ、あれは・・・」
静かに、少しだけ呆れ気味に、白髪の女性が答えた。
慣れか、馴れか、単なる落ち着きなのか――そう考えて言葉を選ぶ。
「じゃ、蹴散らして」
「されました」
「訂正、斬り伏せて」
「御覧の通りで」
「役立たず」
「面目次第も」
落着。沈み込んだ感性、辿り着いて完成、嵌りこんで陥穽。
それは飽き、諦め。
少女の可愛らしさはとうの昔に失せ果て、声音が年月を物語るように、褪せた色を染み出す。
必ず負けると決まっている定理を叩き斬るのは、最早彼女の仕事ではないのかもしれない。
斬れないものがあるのは、あるものが斬れないからでしか、無かったのに。
「いいわ。ここまで誘って」
「仰せのままに。
――あの、幽々子様・・・少し、遅らせましょうか?」
私がそれと意識していなくても、彼女にはもうそれがわかる。
全てが斬れるとは己の内在も例外でなく、今や機転も機先も為すがままなのだ。
だから、彼女がそう言うなら、そういうことなの。
三度、足りてないという。
「ありがとう、悪いわね」
「生傷が二桁になるだけですよ、お気遣い無く」
それはともすれば素っ気無く、可愛げの死骸でしかないように見えるけれど。
磨き上げられた美しさは完璧でないまでも、不器用に暖かい。
まるで、この冥い彼の世の土のように。
立ち去る後姿に、細く声をかける。
「その髪、良く似合ってるわ。
ふふ――背丈だけは、変わらないのにね」
聴こえてか、より速く背中が遠ざかった。
冗句に決まっている。彼女は赤面しているに違いないのだ。
変わっていないのは、背の高さだけなどでは無いと、私にも判っている。
そう。
変わってなどいない。分かっただけだ。
何を?
自分に、ついて。
私とて、同じこと。
「昔なら、怒鳴ってたかも、しれないわね?
私邸で迷うなんて主としての自覚はお持ちでないのですかーっ、とかなんとか、かなぁ・・・」
きっと私は、あら迷ってなんかいないわ妖夢、と答えただろう。
迷っているのは、迷う必要があるから。
亡霊のすることに無駄なんてない、何もかも意味あってのこと。
惑いは、惑う為にある、と。
そう、煙に巻いていた。
もう、煙はこじ開けられる。
淋しく、感じないこともないけれど。
今のような時には、有り難いものよね、と思う。
「――」
再び目を閉じ、残りの三度を心密かに唱える。
その静かな葉に、土中に沈んだ一握の塵如き少女を悼む言を混ぜて。
管を通す。
音にもならぬ小さな声が、私の耳に聴こえて響いた。
『達者か、嬢』
私は、肯かずに、ただ笑む。
『ならば、また明くる春』
その声に、もう一度拝んで返す。
静が帰ってきた。
「――」
あれも、随分と穏やかになったな、と思いながら顔を上げる。
春はまだ続いているが、西行桜は今年の役目を終えたのだ。
毎年それが縮まっている。
千年妖怪も変容する、その証左だと思う。
要するに、この世に変わらないものなど、無いのだ。
ただ、一つ。
「ああもう!
死霊ばっかでうんざりよ」
ただ、一人。
そいつは、特例を超えた例外ですらない、別解の漂泊だから。
幾度繰り返しても、何度引っ繰り返しても。
素敵に私的に、曖昧模糊の許容を断じて、永久不変のルーチンワークを為すがまま、永遠無窮にやり直す。
それは何度見ても、幾度聞いても、
楽しくて楽しくて楽しくて楽しい、ただそれだけのルールの遊び。
それに興じる為ならば、
「勝手に人の庭に乗り込んできて」
いくらでも、そいつに付き合ってあげよう。
「文句ばっか言ってるなんて」
そいつは、私とは、彼女とは、桜とは違い。
「さて、用件はなんだっけ? 見事な桜に見とれてたわよ」
成す為に惑うこともなく、次元の壁をのらくら避けて、一度たりとも事を違えない。
惑う無駄さえ無くしては、人の生など永すぎる。
模糊を、逡巡を、須臾を、刹那を、空虚を、清浄を惑わず、生まれた時点で終わっている。
そんな生き物は、何かを成し遂げる前に、全てを成し終えている。
始めから終わりまで変わらない、それがただただ珍しいから。
「――幻想郷の春を返して貰おうかしら」
楽しくて楽しくて、
楽しくて楽しくて楽しくて、
楽しくて、
楽しい、
ただそれだけを、全身全霊全力で楽しむ、
そいつの我儘に、付き合ってあげる。
*
何度目の光景だろう?
幻想ごっこはいつまでも。お気の召すまま何度でも。
はて。
楽しんでいるのは誰だ。
Fantastic Player never die.
To be continued...be continued...continued, ...continue!
この独特のリズムや言い回しが非常に自分好みで心地よい。
まさに然り。私たちはshinsokku氏の文章に心酔しているのです。
ああ、思えば『華胥~』も昔年の作品になってしまったのですね……。悲しくもあり、また移ろいゆく時の流れがあるからこそ、その先を拝むことが出来るのだなと。
ハードは……ルナティックは……
幽々子様、まだまだまだ……このヘタレプレイヤーにお付き合い下さいませ。
To be continued... Yes!
絶対にNO!
なんとなく。