※星屑幻想~Feeling Heart~からの続きです。先にそちらをお読みください。
Chapter4-A:紫色の恋心
「だから……こっちの回路を直結させて強化すれば……」
「ええ、そうね……」
いつもと変わらない光景がそこにある。
静寂であるべき図書館に、活気ある明るい声を振りまく黒白の魔法使いがいて。
その隣に、紫色の魔女が佇んでいて。
位置は同じ。なのに、表情はまるで違う。
黒白の魔法使いは、どこか弾んだような、何かに期待を膨らませるような目をしていて。
紫色の魔女は、沈みがちに目を伏せていて、無機質で、暗い。
「……チュリー、パチュリー、おい?」
「え、きゃ……っ」
紫色の魔女――パチュリーがふと気付くと、すぐ目の前に、黒白の魔法使い――魔理沙の、
訝しげに顔を覗き込む姿があった。
息を吹きかければ届くぐらいに、近くに。
急にそんな近くに寄られて、顔がぽぅっと赤く染まって、勢い後ろに滑ってしまいそうになる。
それを寸前で魔理沙が支えてくれる。
「おい、大丈夫か?」
「――――ッ」
雑にその手を振り払うようにして、パチュリーは魔理沙の手から離れた。
「どうしたんだよ。今日のお前、ちょっと変だぞ?」
「別に……なんでもないわ」
「もしかして、体調悪いのか? そういうことだったら、無理しないで休んだほうがいい」
「そんなんじゃないってば!」
不機嫌そうにしていたパチュリーは、まるで幼い子供がいやいやをするように首を左右に
ふって、口調を荒げて否定する。
急な反応に驚いたのか、魔理沙は目を見開いて呆気にとられている。
それを見て決まりが悪くなったのか、パチュリーは目をそらして口ごもる。
「まあまあ、魔理沙さん。貴女が図書館の本を持ち出さないように監視するのも、館主たる
パチュリー様の責務なんですよ」
ぎこちなくなった二人の間に、唐突に小悪魔が割って入ってきた。
もっと私たちがしっかりしていればいいんですけどね。そう付け加えて、苦笑いしながら。
手にはティーセットを乗せたお盆があった。どうやら、紅茶を入れにきてくれたらしい。
「……まあ、そういうことよ」
ふん、と息をついて、パチュリーは言う。柄にもなく幼稚な態度をとった上、使い魔に
助け舟を出されて、ばつが悪そうだった。
それについても少しだけ苦笑すると、小悪魔は手際よく紅茶を入れていく。
「いつも悪いな、小悪魔。お前の紅茶、おいしいぜ」
「それはどうも。できればいつも悪いと思っていらっしゃるんでしたら、延滞中の本も速やかに
お返ししてもらえるとありがたいんですけどね」
「今は取り込んでるんだよ。近々返すからさ、見逃してくれよ」
小悪魔のニコニコしながら言う嫌味に、苦笑いしながら出てくる魔理沙の言い訳。
いつものことなので、これ以上問い詰めることもない。何より、二人の時間を下僕が邪魔を
するはずもなく。
それではごゆっくり、と言って恭しく一礼すると、小悪魔は下がって司書室へ戻っていった。
一服してだいぶ落ち着いたのか、パチュリーから先ほどまでの取り乱した表情が消えていく。
代わりに……その顔は、どこか愁いを帯びていく。
期待する目、楽しそうな雰囲気を纏った魔理沙と、対照的だった。
じっ、と魔理沙を見つめる目は熱っぽくて、潤んでいて、揺れていて。
だのになぜこんなにも愁いを帯びて、儚げなのだろう……
黒いねずみ。
パチュリーは普段、魔理沙を指してそう呼ぶ。
それはそうだろう。いつも不法侵入してきては、貴重な本を強奪していくのだから。
これを泥棒ねずみと言わずしてなんと言おうか。
持ってかないでー、とか。
そう言ったところで、にやりと笑って本を強奪していくし。
妹様を押さえ込むのでいっぱいいっぱいだったときでも。
不敵に笑って術を突破し、妹様と正面からやりあおうとするし。
人の言うことなんて聞きもしないし、振り回すし、努力を無駄にしてくれるし。
はぐらかすし、天邪鬼だし、割とがさつだし。
だけれど、だからこそ。
たとえそれが全てを破壊する妹様であろうとも、理不尽なことに正面から立ち向かって、
その縛めから解き放つことができた。
たとえそれが博麗の巫女というある意味超越した存在であっても、その高みへ至ろうと、
バベルの塔のように努力を積み重ねていける。
たとえそれが――本で織り成された世界であろうとも、その輝きで照らすことができた。
人間の、一瞬だけれど何よりも眩しい、その閃光のような煌きで。
本はとても素晴らしい語り手だった。
外の意志ある生き物などよりも、ずっと。
なぜなら、言葉を詰まらせたりすることなく、的確にその意志と知識を受け手に伝え、
受け手の中にその世界を織り成していくのだから。
そんな閉ざされた世界が、あの日風穴を開けられた。それも、思いっきり、とびっきりの
閃光が壁を貫いて。
今まで何があっても、彼女の友人であるレミリアでさえ貫けなかったその壁を、ただの人間が、
ぶっ壊したのだ。
その瞬間にもう、魅せられていたのかもしれない。
彼女にとって、何よりも未知なる存在は興味の対象であったから。
どんな本を調べたって、あの何よりもまぶしくて、真っ直ぐな輝きが何であるのか、
知ることなんてできなかったのだから。
はじめて、そばにいてよく知りたい。そう思えるひとだった。
だからまず観察するところからはじめよう。
当たり前のように訪れる魔理沙と顔をあわせて。
よ、今日も勉強しにきたぜ。
気軽に挨拶をして、自然に彼女は入ってくる。パチュリーの世界へと。
何よ、また来たの。
無愛想に、そんなつれないことを言うけれど。
でも時々、手元の本からパチュリーの紫色の瞳がちらりと動いて。
じっと、彼女のことを見つめていたりする。
笑顔だった表情が一転、それはとても真剣な凛々しいものに変わっていて。
力と知識を欲する彼女の思いの強さがわかる。
小悪魔が紅茶とお茶菓子を持ってきてくれたら、二人で談笑。
立ち振る舞いのようにがさつに食べるのかな、と思うとそうでもなくて。
こぼさないように、割とお行儀よくお茶菓子を食べて。
これ、おいしいな。
そう言った時の魔理沙の顔は、まるで年齢どおりの無邪気な笑顔だった。
見ているほうまで、なんだか……楽しくなれるぐらいに。
――そうかと思っていると、すぐ目の前に……不思議そうに、パチュリーの顔を覗き込む
魔理沙の顔が迫っていて。
胸がひどく高鳴っていき、顔が沸騰するように熱くなって。
突き飛ばすようにして、体を離した。
どうしたんだよ、急に。
なんて怪しむように魔理沙は言うけれど、それこそどうかしてる、と思わずにはいられなかった。
急に、……気になる人の顔が、息がかかりそうなぐらい近くにあったりしたら、どうして
どきどきしないでいられるだろう。
――貴女がいきなり顔を近づけたりするからでしょ!
そう言いかけて。口よりも早く、体が泣き言を言った。
持病が、……胸の高鳴りで、呼吸が荒くなったせいで……喘息が、出てしまった。
うずくまって咳き込むと、すぐに魔理沙がそばによって、介抱してくれた。
……さすってくれる手のひらが、ほんのりと温かくて。
うっすらと見開いた目に入ってくる魔理沙の表情は、とても心配そうだった。
すぐに異変を聞きつけた小悪魔が飛んできてくれて、薬を飲ませてくれた。
でも……小言のようなものは、一切なかった。
どこか優しい、励ますような目をして、気をつけてくださいね、とだけ言って、小悪魔は
戻っていった。
何とか平静を取り戻すと、良かったな、と魔理沙が声をかけてくれた。
そのときの笑顔は、表裏のない、とても優しいものだと思えた。
ちょっと見ているだけでも、まるで万華鏡のように変わっていく表情。
その豊かな表情も、感情も、閉ざされた世界の中で生きているパチュリーには持ち合わせない
ものだった。
どんな本にも載っていないもの。だから、決してパチュリーの世界では知りえないもの。
それに心惹かれて、……気がついたら、手を伸ばしていて。
それからだろうか。魔理沙を、ちらりちらりと掠めるようにして見つめる瞳が、熱っぽく、
潤んでいったのは。
本を読んでいる間にも、その顔が目から離れなくなったのは。
いつからか魔理沙が来てくれるのが楽しみになっていた。
家に帰っていく背中を見送るとき、ひどくさびしい。そう思うようになっていた。
図書館にいない間どうしているんだろう。そんな想像が膨らんでいった。
だけれどある日。
いつものように図書館にやってきた魔理沙の隣に、珍しい少女がいた。
正確には、この場所においてはあまり見ることのなかった顔、ということなのだけれど。
連日の宴会の際に、何度か顔をあわせて、魔理沙と三人で話したこともあった。
七色の人形遣い――アリス=マーガトロイド。
二人の様子を見て、パチュリーはそこに壁を感じた。
それはいつもそばにいる時間の違い?
――魔理沙はよく図書館に来て一緒にすごしているのに。
それは見せてくれる表情の違い?
――パチュリーの前でだって、めまぐるしく変わる表情は変わるのに。
でもそこには、パチュリーの知らない魔理沙がいる。
アリスとの間に……軽やかに言葉が交わされ、じゃれあうようにケンカする。
まるで、そう在るのが自然であるように。
心が、がけから突き落とされたかのように沈んでいく。
奈落の底に落ちていって、棘のついた鎖に縛められたかのように、胸が締め付けられて……
苦しい。病気のときのそれとは全然違う。形のない、もやのようなもの。
抑えようとしても、それはとどまるところを知らず、パチュリーの胸いっぱいに満ちていって
外に飛び出そうなぐらいに膨らんでいく。
だけれどそれは、まるで煙で肺の中がいっぱいになった感じに似ている。
魔理沙の目はこっちを向いてくれない。こんなにも、じっと見つめているのに。
心は穏やかではない。安らいでなんてくれない。
……何をしているんだろう。そう思わずにはいられない。
魔理沙の見つめているのは、パチュリーじゃない。
きらきら輝いている目に映っているのは、パチュリーじゃない。
期待に胸を膨らませた思いが描く夢の世界に一緒にいるのは、パチュリーじゃない。
――私のことを、見つめていてほしいのに。
だけれど、今こうして魔理沙の手伝いをしていることは……その想いには、つながらない。
だって魔理沙がクリスマスに誘ったのは……アリスだったのだから。
アリスになんて渡したくない。
お願いだから……どうか私のことだけを見つめていてほしい。
それがかなわないなら……いっそ。
いつの間にか、魔理沙のことを見つめる瞳に昏い輝きが灯っていた。自身、気付かないうちに。
やるせなさに、きゅっ、と下唇を強くかみ締める。それこそ、血が出てきそうなぐらいに、強く。
でも、少なくとも今、こうしてそばにいられるのは、パチュリーだけ。
今だけは、魔理沙のことを独り占めしていられるから。
今だけは、私のそばにいてくれるから。
咲夜ではないけれど……このまま時が止まってしまえばいいのに……
Chapter4-B:すぐそばに、そっと控えた思い
――パタン。
乾いた音とともに閉じられる司書室の扉。
それに背中をもたれるように預けて、ふぅっ……と深いため息をこぼす小悪魔。
赤い髪の毛が、あわせるようにふわりと揺れた。
半分閉じた赤い瞳は物思いに沈んで。
暖房の効いていないひどく冷たい空気の中にため息が消えていくと、辺りは耳が痛いぐらいに
しんと静まり返った。
パチュリー様はあんなにも見つめていらっしゃるのに……
そうつぶやかずにはいられなかった。でも魔理沙は気付いてくれない。小悪魔は、そのことを
よくわかっていた。
魔理沙の目は、気になっている人のことでいっぱいだから。
その人のために、一生懸命だから。周りなんて見えているわけがない。
パチュリーが苦しんで思い悩む姿を見ていたくなかった。
もともと感情的なこととはずっと無縁だった彼女が、初めて想いを宿したならば、制御が
利かないことなんて目に見えている。
ひたすら、それこそ小さな女の子のように純真に、一途に思い続けて。
そんな主の初恋を、当然使い魔も応援した。
――痛みのないナイフで、えぐられるような気持ちを隠して。
それでも、主人が幸せでいてくれることが何よりの小悪魔の願いだから。
微力ではあるけれど、ほんの少しでもパチュリーの恋を手伝えたらと思い。
例えばいつもは、二人の邪魔にならないようにそっと物陰から見守って。
間が悪くなりそうだったら、たとえパチュリーから叱責を受けようとも出て行って、お茶を
出したりして。
主人の恋敵と普段どおり会話を交わすように見せて、さりげなく牽制してみたりもした。
全ては、パチュリーの思いが届けば……そう思いながら。
だけれど……胸が締め付けられるのは、どうしてだろう。
望んだはずのことをしているはずなのに、まるで心にもやがかかったよう。
本当に、真摯にパチュリーのためを思って手助けできているのか、わからなくなって。
不安で、そんな自分が嫌で。
主人と同じぐらい、とてつもなく苦しい気持ちに、胸が張り裂けそうになって。
暗い部屋に雫が一粒、零れ落ちた。
Chapter5:X'mas eve
まだ昼間だというのに雲が立ち込めている。
暗いわけではないけれど、このまま雨……もしかしたら、雪が降るかもしれない。
そんな空を、紅魔湖の畔で見上げているのは、アリス。
天気とは正反対に、曇りのないうきうきした顔をしていた。
わくわくしている心を、抑えきれないような。
普段めったに見ることのできないクールな彼女の、そんな一面。
服はどうしようかな……と迷いに迷った挙句、いつもどおりのワンピースに、ケープを羽織って。
化粧もうっすらと、ほんのり彩る程度。
せっかくのお誘いに、目いっぱいおめかししようとして……結局、急に綺麗に着飾るのも
どうかと思って、普段どおりに落ち着いてしまう。
まだ、気恥ずかしさがぬぐいきれなくて、素直になりきれない。そう思うとちょっとだけ
おかしくなってしまう。
でも、どうせ魔理沙は『黒白が魔女のスタンダードだ』なんて言って、いつもどおりの
服装なんだろうなぁ、と思ったり。それなのに自分だけおしゃれしてくるのも、なんだか具合が悪い。
だから結局、あるがままに。
やっと訪れた24日。待ちに待った約束の日。
子供みたいにわくわくして仕方なくて、昨日はあまり良く眠れていない。だから本当は
ちょっぴり、眠い。
でも眠気なんて、目の前の期待に比べれば瑣末なこと。
初めての……それも、魔理沙から誘われた、デートなのだから。
早く来ないかな……
口には出さないけれど、普段クールな彼女には珍しい、弾んだ表情や、きょろきょろと
頻繁に辺りを見回したり首をひねったりする仕草がその思いを物語っていた。
もっとも――現在午後2時。約束の時間よりも、一時間ほど早かったりするのだけれど。
――同時刻。
「早めに出ないとな……アリスのことだから、きっと待ち合わせ時間よりももっと早く着いてる
だろうしなぁ……」
魔理沙は鏡の前でそんなことをぼやきながら服を選んでいる。
言っていることはおおむね正しいが、しかしそれはいい線まで行ってストライクをはずしていた。
アリスの性格と、……どれだけ楽しみにして、期待を膨らませていたかを、甘く見すぎて
いたのだから。
もっとも、楽しみにしていたというなら魔理沙も同じ。
だからこうして今、ああでもないこうでもない、といろんな服を鏡の前で体に当ててみては、
どうしようかと悩んでいるのだけれど。
でも結局そこで、どの服も大差ないことに気付くわけで。正確には、黒の深さが違ったり
するのだけれど……純黒とか着ていっても、きっとアリスにジト目で見られるだけだろう。
で、結局いつものちょうちん袖の白いブラウスに黒のベスト、黒のロングスカートに
エプロンをつけて……となってしまうのだが。
「2時半、か。10分もあればつくかな」
家を出て箒にまたがって空を飛びながら、魔理沙は時計を確認した。
20分前到着。時間を守る上では十分すぎるほど余裕を持っているといえるだろう。
――普通なら。
「まあアリスのことだから、もうついてるんだろうなぁきっと。あんまり待たせちゃ
かわいそうだし、飛ばしていくか!」
気合一発、冬空の下相棒の箒に活を入れてかっ飛ばす。
もっとも、すでにアリスを待たせていたりするのだが。
そうして少しばかり飛んでいくと、急に魔理沙はブレーキをかけた。
目が見開かれていき、驚きが広がっていく。
それはそうだろう。めったに外に出るはずのない友人に、こんな寒空の下で出くわしたのだから。
「パチュリー……? 珍しいな、お前が外に出てくるなんて」
声をかける。しかし、返事は返ってこない。
普段と何かが違う。そう感じずにはいられなかった。
いつも確かに無愛想な表情をしている。けれど、今のパチュリーの表情と、そして纏った
雰囲気は、明らかにそれとは一線を画している。
背筋が――ぞくりとするぐらいに。
「どこへいくの、魔理沙……?」
ひどく淡々とした口調でたずねる。ゆっくりと出てくる言葉は、まるで夢を見ていて心がここに
無いかのように、虚ろだった。
「どこって……今日は大事な用事があるんだ。前から約束しているからな」
「大事な用事……」
パチュリーは舌の上で転がして、確認するかのようにその言葉を繰り返す。
ややうつむきがちな顔には、暗い影がさして。
「そんなの放っておいて、私の図書館へ行きましょう……? 歓迎するわ。小悪魔においしい
紅茶やお茶菓子も出させるし、好きなだけ本を借りていってもいいわ」
「何だ急に? そりゃあ、確かにありがたい申し出だが……でも、今日だけはダメなんだ。
アリスと、一緒にすごすんだって約束したからな」
「アリス――」
その名が出たとたん。
パチュリーの声から、温度が消えた。それは、ガラスの破片のように鋭い。
「強がりだからな、あいつは。本当はひとりぼっちじゃさびしくて仕方ないくせに、
素直じゃないからそっけない態度しかとらない。だから、あんまり待たせたくないんだよ。
じゃあ、また今度――」
そう言いながら魔理沙は通り抜けようとして。
――ゴウッ、という音とともに、まとわりつく風に制御を奪われた。
「うおおおおお!?」
乱気流のように荒れ狂う風に翻弄されながら、しかし魔理沙はそれに抗おうと必死で箒を
操り風の流れを探る。
かろうじて流れに乗って暴風の中から抜け出すと、じっとパチュリーが見つめていた。
陶酔したような目で。だけれどそれは、狂気に似ている。いやむしろ、それそのものかも
しれない。
「い、いきなり何するんだよパチュリー!? 危ないだろ!」
「――行かせない」
突然の仕打ちに怒鳴る魔理沙だったが、次の瞬間その表情は一転する。
パチュリーからポツリと零れた、あまりにも小さくて、注意していなければ聞き逃してしまう
ぐらいの、そんな消え入りそうな言葉を聞いてしまったから。
小さいけれど、だけど……大きな決意を秘めた言葉を。
「アリスのところになんか、行かせない!」
今度は強く、はっきりと叫んだ。自らの意志を宣言するかのように。
それを表すかのように、パチュリーの周りに無数の爆炎が群れを成す。
炎が揺らめき、冷たい空に熱風を巻き起こしてワルツを踊る。
上も、下も、右も、左も、全てを赤に染めて。
曲線を描いて落ちていく炎を寸前で身を引き交わす。火の粉が降りかかる。
すぐに左右から踊る炎が隊列を組んで襲い掛かる。
列のほんのわずかな隙間。それを狙い、一瞬で突き抜ける。
しかしその瞬間、炎が肩の袖をわずかに掠め、焦がした。
魔理沙の動きは以前のアリスとの戦いに比べて、明らかに精彩を欠いていた。突然の『友人』の
仕打ちに、戸惑いを隠せないから。わけもわからず攻撃されて、どうすればいいのかわからないで
いるために、思うように動けていないのだ。
「くっ……! やめろパチュリー、なぜ突然こんなことをするんだ!」
「なぜ? 突然? 理由はちゃんとあるし、だからこそ必然だわ。なぜなら貴女が――」
パチュリーは自らの術で周囲を熱で覆いながら、しかしひどく冷たい声を放つ。
手に持った本を開いて魔理沙に向けると、赤い唇は続きを形作る。
「アリスを選んだからよ!」
引き裂くような絶叫とともに、同時に高速でファイアボールが放たれる。
生半可な弾幕なんて一瞬で弾き飛ばす、力の魔法。
だがパチュリーの言葉に一瞬呆然としてしまった魔理沙は、わずかに反応が遅れてしまう。
「ッ!」
星の弾を張り巡らせて防御する。二つの力がぶつかり合い、スパークして火花を散らす。
ファイアボールが霧散する。しかし星弾を破壊して、魔理沙を吹っ飛ばした。
きりもみしながらも大きくぐるっと円を描いて体勢を立て直す。
険しい表情をして、正面を見据える。その視線の先には、歪んだ薄ら笑いを浮かべた紫色の
魔女の姿。
「そう……それでいいわ。私のことだけを見て頂戴。私が貴女にそうするように――」
恍惚とした表情で言うパチュリーに、魔理沙は寒気を覚えずにはいられなかった。
行き過ぎて捻じ曲がってしまったもの。今パチュリーを支配しているのは、そんなもの。
「何を、言って……」
「ねぇ、知ってた? 私は……貴女が図書館にいる間、ずっと見ていたの。だって、どんな本を
調べたって、知ることができなかったのだもの。
貴女がどうしてそんなに目まぐるしく変わる豊かな表情をしているのか。
貴女がどうしてそんなにどんな強大なものにだって立ち向かっていけるのか。
貴女がどうしてそんなに――誰の中にでも、自然に入ってこれるのか。
だから知りたくてしょうがなかった。知識(ノウレッジ)の名を持つものとして」
滔々と語りだされる思い。いつしか渦巻いていた炎は消え、ひどく静まり返っていた。
「でも、やがて貴女のことが頭から離れなくなったわ。どんなときでも貴女の顔が目に浮かんで
しまう。図書館にいないときの貴女が何をしているのか、気になって仕方なくなって。図書館に
来てくれるだけで、うれしかった。できることなら、ずっといてほしかった。なのに……」
ぽつり、ぽつり。すでに制御の利かなくなったその想いを、パチュリーはまるで幼い少女の
ように、搾り出してぶつける。
加減を知らず全力で投げつけられてくる想いを正面から受け止めて、魔理沙はその正体を知る。
――きっとそれは、閉じた世界に引きこもった少女が、初めて抱いた恋心。
「私よりもアリスがいいの!? 私ではダメなの!? どこが違うというの!? 私のほうが
あの子よりもずっと魔力は強いわ……貴女の役に立つ知識だってたくさんある、なのに――!!」
「……それは違うぜ、パチュリー」
張り裂けんばかりの悲痛な叫びを、魔理沙はゆっくりと制した。
急に辺りから音が消え、突然の静寂が耳に突き刺さる。
いったん大きく息をつき、それからおもむろに口を開く。
「私はアリスとパチュリーを比べたことなんてない。二人ともまるで違う魅力があるのに、
どうやってそれを比べろって言うんだ。それに――誰かと誰かを比べてるうちは、それは
恋愛じゃないよ、きっと。例えるなら、幼い少女が思い描く憧れみたいなもんさ」
強く、はっきりとした口調で言う。そこに、さっきまでの戸惑いはない。
「……なら、どういうことが恋愛だと言うの?」
目を細め、睨むようにしてパチュリーは問う。言い逃れはさせまいと、獲物を狙う蛇のように
鋭い目をして。
それでも、魔理沙は臆することなく真っ直ぐに受け止めて見つめ返す。
「恋愛ってのはきっと、究極の、とてつもない勘違いさ。アリスのほうがいいとかパチュリーの
ほうがいいとか、そんなことは全然問題にならないんだ。私はアリスに恋をしている。
私と二人で放ったあの輝きを信じてる。私と無限の世界を織り成していけるのはアリスだけだ。
例えそれが一瞬の、夢幻泡影のような刹那の輝きだとしても。だから、私はアリスに勘違いを
してる」
言いながら、あの日のことを思い出す。
二人で織り成した、永夜をも飲み込むぐらいの眩しい輝きを。
どんなときよりも強く輝くことができたあの一瞬を。
「私にはアリスしかいないんだ!」
一瞬に、激しく光を放つ、想いの言葉。
それはまるで、恋の星が流星となって夜空に煌くかのように。
少女たちの言葉が途切れて、静けさが残って。冷たくなっていく空気を、ひしひしと感じる。
――ひらり、ひらり。
気がつけば、いつの間にか白い妖精が空を舞っていた。
ひとつ、ふたつ――瞬く間にそれは空を埋め尽くしていって。
まるで蛍の群れのように、ほのかに煌く銀色の光。
あるいはそれは、涙にも似て。
「そう――」
ようやく、重苦しく口を開いたパチュリーの声は、まるで深淵から響いてくるようで。
いつしかうつむいていたその顔には、影。
やがて顔をあげると、そこに浮かんでいたのは……氷のように、冷たい眼差し。
「貴女を殺すわ」
淡々と、しかしはっきりとそう宣言する。
だけれど、その声と唇の端は……震えていた。
「やめろ、私を行かせてくれ!」
「どうしても私のものにならないというのなら……せめて消し去ってあげる。この世界からも、
私の記憶からも!」
二人の声は交錯して、しかしすれ違い。
パチュリーの四方を四つの輝きが囲む。
やむをえない――苦渋の表情を浮かべた魔理沙が放つスペルもまた、輝く光となりてその周囲に
星を織り成す。
「ノンディレクショナルレーザー……私から盗んだ魔法で勝てると思って?」
「やってやるさ……私は絶対に、アリスのところへ行くんだ!」
二人の周りに浮かぶ光たちは、同時に雪の舞う空を灯台のように照らす。
薙ぎ払われる光と光がぶつかり合ったとき、火花が散って、弾けて消えた。
・
・
・
「遅い……」
眉を寄せて、虚空を睨んでいるアリス。
約束の時間を過ぎて、もう30分になる。
あせりと苛立ちからか、その声は刺々しい。
トン、トンと軽く足を上げて地面を蹴る。乾いた音が立って、霧散するように消えていく。
それから、深いため息を、ひとつ。
――魔理沙のほうから誘ってくれたのに!
口からは出てこないのに、叫んだかのようにそんな言葉が頭の中に響く。
ひとりぼっちで待ち続けるさびしさやいらだちは振り払おうとしてもまとわりついてくる。
やがてそれは悪夢へと形を変えていく。
例えば、魔理沙がいたずら目的でこんなことを仕組んだんじゃないのか、とか。
私を呼び出して、期待させておいて、それをどこかでニヤニヤ眺めてるんじゃないか、とか。
本当は私のことなんてどうでもよくて、すっぽかしちゃったんじゃないか、とか……
不安で仕方なくて、心の中がからっぽになっていって。
その中をつめたい風が否応なく吹き抜けていく。
こごえて、ぎゅっ、と両の腕で自分を抱きしめる。
視界にヒトガタのものが入ってくるだけでもドキッっとする。
もしかしたら……魔理沙が着てくれたんじゃないか、って。
でもそれが湖の妖精だとわかると、ひどくしょぼくれてしまう。
上空を風を切る音がするだけでも、敏感に反応して反射的に空を見上げる。
けれどやっぱり……それは魔理沙ではなく、紅魔館へと戻っていく咲夜だった。
落ち込んで……ひとりぼっちのウサギのようにさびしそうな顔をして。
地面に落とした瞳は半ば閉じかかっていて、儚い。
今ならまだ許してあげる。
いつもの調子でひょっこり現れては、悪い遅くなった、って言ってほしい。
そうしたら……絶対そっぽを向いてやるけど、でも……
きっと今なら、笑って許してあげられる。
――ひら、ひら、ひら。
ふわりと舞い降りてくる白い光。
ぽぅっ……としていたアリスは、その淡い輝きに思わず見とれた。
両手をそろえて、すくいあげるように受け止める。
静かに、吸い込まれるようにしてその手のひらに着地すると、白い光は溶けて消えた。
後にはただ、冷たい余韻が残った。
「ゆき……」
呆けたようにつぶやいて空を見上げる。
一面に広がる、しんしんと降りしきる雪。
それは、空という空を、まっしろに染めて。
まるで……今のアリスのように、まっしろに……
その寒さにこごえて、心が凍り付いてしまいそうになる。
どんなに自分で自分を抱きしめたって……決して、あたたかくなんてならない。
だから……早く、来てほしい。
「魔理沙……」
Chapter6:携えるもの、ひとつ。
紅魔館の建つ島に立って空を見上げている少女が一人。
愁いを帯びた赤い目をして、ただじっと。
白のブラウスの上に黒のベスト、そして黒のロングスカート。この雪の中、いつもと変わらない
服装をしてたたずんでいるのは、小悪魔だった。
何も言わない。ただ、誰かを気遣うように心配そうな顔をしている。
それは、ずっと遠くを見つめる目の中に映る人のことなのだろうか。
「ううっ、さむい……」
そんなある種幻想的な光景を、あまりにも現実的な言葉が入ってきてぶち壊す。
それに気付いた小悪魔は、声のしたほうを振り向く。
門番隊の隊長、美鈴だった。いつもの服装では寒いらしく、上に一枚コートを着ている。
「あ、隊長。大丈夫ですか?」
「お勤めだからね、しょうがないよ。でもほら、ちゃんとカイロもあるし」
ほら、とコートを開いて中を見せる美鈴。小悪魔は、あははと苦笑して返す。
でもその笑いは……どこか無理をしているような、そんな風に思えるものだった。
「寒いから小悪魔も気をつけたほうがいいよ、司書だって体力勝負なんでしょ?
そんな薄着じゃ風邪引くから、早く図書館に戻んなさい」
「あはは、お気遣いありがとうございます。そうですね……あったかく、しないと
いけないですね。こんなに……雪が降りしきる日は」
軽く一礼して、小悪魔は美鈴と別れた。
ふよふよと軽く浮かんで図書館へと戻っていく。その後姿は、どこか力ない。
やがて大きく威厳のある扉の前に立つと、ギギィと重苦しい音とともに開いていく。
その先に――いつもいるはずの、主人はいない。
それだけでも、随分とがらんと、普段よりもずっと広く感じる。
目を細めてさびしそうな顔をすると、小悪魔は司書室へと戻っていった。
寒くしないように暖かいコートを羽織ると、小悪魔は傘たてへと歩み寄っていく。
めったなことでは外に出ることのないパチュリーと違って、小悪魔は外出して用事をこなす
こともある。なので、いくつか傘も持ち合わせていた。
ひとつ手に取り、二つ目を手にとろうとして……やめた。
「傘は……ひとつでいいかな」
ぽつりと小さくつぶやくと小悪魔は扉を開けて出て行った。
たったひとつだけ、傘を携えて。
Chapter7:七色に煌く六花の雫
空はずっとどこまでも、見渡す限り雪、雪、雪。
しかしこの空間だけは、弾幕が空を埋め尽くしていた。
半分を爆炎が、半分を星が。互いにせめぎあい、ぶつかり合っていた。
わずかな隙間をくぐり抜けたいくつかの炎弾が魔理沙めがけて襲い掛かる。
「ちっ……」
正面から飛び掛ってきた炎弾を、跳び箱を飛ぶように跳ねて交わす。
弾んだその一瞬……魔理沙からパチュリーまでの直線に、細い道筋が通っているのが見えた。
「いっけぇ!」
チャンスを見逃すことなく、迷わず一筋の閃光を迸らせる。
瞬時に二人の間の弾幕をぶち抜いてパチェを射抜こうとするその光。
――しかし。
「なにっ!?」
魔理沙の顔が驚愕に変わる。
なんらの予備動作も無しに、閃光は光の壁に阻まれて消し飛んだ。
「私の周囲には常に七曜の魔法障壁(スペル・バウンド)が取り巻いているわ。あらゆる属性を
網羅した七重の防御結界、たやすくは貫けないわよ。前もそうやって後手に回ったことをもう
忘れたみたいね」
「くっ……そぉっ!」
魔理沙は吐き捨てるように言いながら、なおも迫り来る炎の群れを上下左右に交わし続ける。
しかし炎の群れは、攻撃の硬直で隙が生じた魔理沙をここぞとばかりに攻め立てる。
上から包み込むようにして迫る弾幕。左右は回避しても間に合いそうにない。
そう判断してからの魔理沙は早かった。いやむしろ速かった。
箒の飛行能力を停止し、ふわりと自由落下を始める。
それを追い、前面に広がる無数の炎は群がる蛇のように襲い掛かる。
牙が今まさにその姿を捕えようとしたとき、魔理沙の目が光った。
一転して気合一発、箒に活を入れて下降しつつ高速で突き抜ける。
次々と迫り来る燃え盛る牙は、その影を捕えることかなわず。
だが、それでもパチュリーは眉一つ動かさなかった。
「うまいこと避けたわね……でも、これならどうかしら」
温度のない声でそう言うと、二つ三つわずかに呪文を唱え、印を切る。
たちまち、眼下の大地と森の木々がぼぅ……っと明滅しだす。
無数の光は空へと舞い上がっていき、一転へめがけて集束する。
すなわち、魔理沙を討てと。
「これは……土符の力か!」
「この辺りは随分と大地の力が元気なようね……誰かさんが温泉脈を引いてきたからかしら?
屋内で使ったときより一味違うわよ」
パチュリーの言うとおり、かつてヴワル図書館で見たときのそれとは段違いだった。
大地から巻き上がる光弾があの時とは比べ物にならないほどの速さで突っ込んでくる。
立ち上る竜巻のごときその弾幕を、魔理沙はまるで暴風に晒された鳥のように
キリキリ舞いながらも凌ぐ。
しかしその密度は圧倒的で、長く持ちそうにない。
持たないなら、どうする。
――打って出るしかない!
今まさに、土の力を持った魔弾の渦が魔理沙へ向けて集束し、押しつぶさんとしたとき。
その弾幕のわずかな隙間から漏れ出した光が、一気に噴出した。
星型弾幕がこれでもかと大量に放出され土の弾幕を押し返そうとしている。
随所で魔力の弾同士が爆裂し土煙を巻き上げ、魔理沙の姿を隠した。
「相変わらず無茶苦茶なことをするのね……攻撃は最大の防御というところかしら? それとも、
そうやって姿を隠すのが目的だったのか、あるいはその両方か」
問いかけるような、けれども独り言のようにつぶやいて、パチュリーはじっとその煙幕を
凝視していた。
突如、煙幕を突き破って高速で飛び上がってくる影があった。
数は三つ。だがしかし、それらは全て――
「分身。幻術かしらね」
――魔理沙の姿をしていたのだ。
まるで見分けのつかない三人の魔理沙が、全て同じ速度で、しかし高速で突撃してくる。
逆手の指を三本、それぞれ飛んでくる魔理沙に向ける。
指先に水が集まっていき、そしてすさまじい勢いで射抜く。
だが、どの魔理沙も避けることなくその直撃を受けて。
爆散した。
パチュリーは顔色ひとつ変えなかった。むしろ、予想通りという表情をしていた。
「魔法障壁を貫く方法は3つ。
ひとつは魔法解除(ディスペル)。ひとつはそれを上回るパワーで押しつぶすこと」
独り言のような、誰かに言い聞かせるようでもある言葉。
その背後には、本物の魔理沙が迫っていた。
右手に魔力を溜め込み、それを零距離で炸裂させようと一気に間合いを詰めて――
「そして最後のひとつは――物理的に突破して、零距離で仕掛けること。貴女ならそうすると
思っていたわ。だから、予測ができていればね……対策も簡単なのよ」
パチュリーが右手を静かに振るう。その足元に魔法陣が生まれ、蒼い光が噴水のように立ち上る。
――月符『サイレントセレナ』
「な……に!?」
完全にとった。そう思っていた魔理沙は、逆に完全な不意打ちを受けた。
波打つように天へと上る蒼い煌きの直撃を受け、その身を焦がしていく。
鞠のように跳ね上げられ、そして落下していく。
かはっと息を吐いて、薄れ行く意識の中その唇は待ち続けてくれているひとの名前を紡ぐ。
――――――――アリス!
ふわり、と吹く風がアリスを撫ぜる。
身を震わせるぐらい冷たかったが、そんなことをまるで意に介さずに空を見上げる。
今、魔理沙に呼ばれたような……
だけれど見上げても、見回してもそこには誰もいない。
辺りはただ、しんしんと雪が降り続けるだけで。
日の短い12月は暗くなっていくのも早く、辺りはすでに宵闇に包まれつつあった。
そんな湖の畔に、ぽつんと一人たたずむアリス。
約束の時間を過ぎた最初のころは、憎たらしそうな、あきれ返った表情をしていた。
ずっとずっと、楽しみにしていたのに。
初めての、お誘いだったのに。
それも、――魔理沙からの。
二人で人間の里にいってお買い物をしてみたりとか。
二人で一緒に食事したりとか。
――二人で、幻想郷の空を、飛び回ってみたい、とか。
それから、手をつないでみたいな――とか。
そんな楽しい一日を思い描いて。
期待を膨らませて、想像してははしゃいでいたのに。
怖い。
魔理沙が嘘をついたんじゃないかって。
信じられなくなりそうで。
魔理沙と弾幕を張った次の日……目が覚めたら、毛布がかかっていて。
それはつまり、あのオルゴールを見られたことになるから、すごく恥ずかしくて、
顔が沸騰しそうに真っ赤になったけれど。
でも、……不思議と、心はあったかくて。
だのにその心が今、降り続く白い雪一色に塗り替えられようとしている。
冷たくて、こごえそうで仕方ない。
今にも泣き出しそうに、顔が、くしゃくしゃになってしまって……
くいっ、くいっ。
ドレスの袖が引っ張られる。
主人の、ひどく弱々しい顔を気遣う上海人形と、蓬莱人形だった。
やがてその小さな体をアリスの顔まで持っていくと、すりすりとほお擦りを始める。
アリス、大丈夫? と、そう言わんばかりに。
手を伸ばし、人形を優しく包み込んで、アリスもまたほお擦りを返す。
「大丈夫、大丈夫よ……」
まるで自分に言い聞かせるような言葉は、力なく。
人形たちはますます不安になって、ぎゅっ、とアリスの胸に抱きついてくる。
それを受け止めてやりながら、アリスは必死に、悪夢にも似た悪い想像を振り払おうと
努めていた。
――例えば、魔理沙に騙されたんじゃないか、とか。
違う、魔理沙はそんな嘘をつくようなひとじゃない!
でも、それならどうしてきてくれないの? 私は、こんなにも、凍えそうになりながら
待ち続けているのに。
――例えば、魔理沙に裏切られたんじゃないか、とか。
違う、魔理沙が誘ってくれたのは私のはずよ!
ケドその後は、待ち合わせの場所と時間を決めたっきりでしばらく図書館にこもりっぱなし
だったじゃない。あそこにはパチュリーがいる。ずっと……二人きりで、いられたじゃない。
人の気持ちなんてどう転ぶかわかったものじゃない。魔理沙だって、一つ屋根の下に
長くいればあるいは――
「そんなことない!」
不安をかき消そうとした心の叫びに呼応して、それは声にもなってこだました。
しかしただ響き渡るだけ。誰にも届くことなく、雪が埋め尽くしたこの世界に。
人形たちは驚いてぱっと離れた。少し間をおいて、心配そうにアリスの顔を覗き込む。
それを見てやっと我に返ったのか、はっとした表情を浮かべると、人形たちを安心させようと
作り笑いを浮かべる。
でもそれは……まるでガラス細工のようにもろくて、触れればそれだけで壊れてしまいそうな
ぐらい、弱々しくて……
アリスじゃなきゃ、ダメなんだ――って言ってくれた。
あれは嘘だったの? それとも私は、ただの便利な相方?
ふらふらだった私を無理してまで送ってくれた。
あれは誰にでもしてくれることなの? 特別なことなんかじゃないの?
眠りこけてしまった私に、暖かな毛布をかけてくれた。
目覚めたとき感じたぬくもりは、今は……こごえて、冷え切ってしまっているよ……
雪は降り続ける。しんしんとほのかな白い輝きを放って。
だけれどアリスは、その冷たさに身も心も凍り付いてしまって。
静かに降り積もっていく雪の中に、うずもれてしまいそうになる。
それでも、立ち去らなかった。
だって、どんなぬくもりだって、今のアリスをあたためてはくれないのだから。
アリスをあったかくしてあげられるのは、この世界にたった一人しかいないのだから。
誰よりも眩しい流星のような、恋の魔砲使いだけ。
後どれぐらい待ち続ければいいのだろう。それとも、約束なんて忘れてほったらかして、
もう来てくれないのかな……
魔理沙の顔が見たい。魔理沙の声が聞きたい。
そうしたら、どれぐらい安心できるだろう。あったかくなるだろう。
寒くて、こごえて、ふるえてしまいそうだけれど。
でも私は、ずっと信じて待っているよ……
「魔理沙……」
つ、と一筋アリスの頬を伝う光。それは、ぽた、と足元の雪に零れ落ちて、吸い込まれて
しまうけれど。
少女の想いが結晶になった六花の雫が、七色に煌いて。
Chapter4-A:紫色の恋心
「だから……こっちの回路を直結させて強化すれば……」
「ええ、そうね……」
いつもと変わらない光景がそこにある。
静寂であるべき図書館に、活気ある明るい声を振りまく黒白の魔法使いがいて。
その隣に、紫色の魔女が佇んでいて。
位置は同じ。なのに、表情はまるで違う。
黒白の魔法使いは、どこか弾んだような、何かに期待を膨らませるような目をしていて。
紫色の魔女は、沈みがちに目を伏せていて、無機質で、暗い。
「……チュリー、パチュリー、おい?」
「え、きゃ……っ」
紫色の魔女――パチュリーがふと気付くと、すぐ目の前に、黒白の魔法使い――魔理沙の、
訝しげに顔を覗き込む姿があった。
息を吹きかければ届くぐらいに、近くに。
急にそんな近くに寄られて、顔がぽぅっと赤く染まって、勢い後ろに滑ってしまいそうになる。
それを寸前で魔理沙が支えてくれる。
「おい、大丈夫か?」
「――――ッ」
雑にその手を振り払うようにして、パチュリーは魔理沙の手から離れた。
「どうしたんだよ。今日のお前、ちょっと変だぞ?」
「別に……なんでもないわ」
「もしかして、体調悪いのか? そういうことだったら、無理しないで休んだほうがいい」
「そんなんじゃないってば!」
不機嫌そうにしていたパチュリーは、まるで幼い子供がいやいやをするように首を左右に
ふって、口調を荒げて否定する。
急な反応に驚いたのか、魔理沙は目を見開いて呆気にとられている。
それを見て決まりが悪くなったのか、パチュリーは目をそらして口ごもる。
「まあまあ、魔理沙さん。貴女が図書館の本を持ち出さないように監視するのも、館主たる
パチュリー様の責務なんですよ」
ぎこちなくなった二人の間に、唐突に小悪魔が割って入ってきた。
もっと私たちがしっかりしていればいいんですけどね。そう付け加えて、苦笑いしながら。
手にはティーセットを乗せたお盆があった。どうやら、紅茶を入れにきてくれたらしい。
「……まあ、そういうことよ」
ふん、と息をついて、パチュリーは言う。柄にもなく幼稚な態度をとった上、使い魔に
助け舟を出されて、ばつが悪そうだった。
それについても少しだけ苦笑すると、小悪魔は手際よく紅茶を入れていく。
「いつも悪いな、小悪魔。お前の紅茶、おいしいぜ」
「それはどうも。できればいつも悪いと思っていらっしゃるんでしたら、延滞中の本も速やかに
お返ししてもらえるとありがたいんですけどね」
「今は取り込んでるんだよ。近々返すからさ、見逃してくれよ」
小悪魔のニコニコしながら言う嫌味に、苦笑いしながら出てくる魔理沙の言い訳。
いつものことなので、これ以上問い詰めることもない。何より、二人の時間を下僕が邪魔を
するはずもなく。
それではごゆっくり、と言って恭しく一礼すると、小悪魔は下がって司書室へ戻っていった。
一服してだいぶ落ち着いたのか、パチュリーから先ほどまでの取り乱した表情が消えていく。
代わりに……その顔は、どこか愁いを帯びていく。
期待する目、楽しそうな雰囲気を纏った魔理沙と、対照的だった。
じっ、と魔理沙を見つめる目は熱っぽくて、潤んでいて、揺れていて。
だのになぜこんなにも愁いを帯びて、儚げなのだろう……
黒いねずみ。
パチュリーは普段、魔理沙を指してそう呼ぶ。
それはそうだろう。いつも不法侵入してきては、貴重な本を強奪していくのだから。
これを泥棒ねずみと言わずしてなんと言おうか。
持ってかないでー、とか。
そう言ったところで、にやりと笑って本を強奪していくし。
妹様を押さえ込むのでいっぱいいっぱいだったときでも。
不敵に笑って術を突破し、妹様と正面からやりあおうとするし。
人の言うことなんて聞きもしないし、振り回すし、努力を無駄にしてくれるし。
はぐらかすし、天邪鬼だし、割とがさつだし。
だけれど、だからこそ。
たとえそれが全てを破壊する妹様であろうとも、理不尽なことに正面から立ち向かって、
その縛めから解き放つことができた。
たとえそれが博麗の巫女というある意味超越した存在であっても、その高みへ至ろうと、
バベルの塔のように努力を積み重ねていける。
たとえそれが――本で織り成された世界であろうとも、その輝きで照らすことができた。
人間の、一瞬だけれど何よりも眩しい、その閃光のような煌きで。
本はとても素晴らしい語り手だった。
外の意志ある生き物などよりも、ずっと。
なぜなら、言葉を詰まらせたりすることなく、的確にその意志と知識を受け手に伝え、
受け手の中にその世界を織り成していくのだから。
そんな閉ざされた世界が、あの日風穴を開けられた。それも、思いっきり、とびっきりの
閃光が壁を貫いて。
今まで何があっても、彼女の友人であるレミリアでさえ貫けなかったその壁を、ただの人間が、
ぶっ壊したのだ。
その瞬間にもう、魅せられていたのかもしれない。
彼女にとって、何よりも未知なる存在は興味の対象であったから。
どんな本を調べたって、あの何よりもまぶしくて、真っ直ぐな輝きが何であるのか、
知ることなんてできなかったのだから。
はじめて、そばにいてよく知りたい。そう思えるひとだった。
だからまず観察するところからはじめよう。
当たり前のように訪れる魔理沙と顔をあわせて。
よ、今日も勉強しにきたぜ。
気軽に挨拶をして、自然に彼女は入ってくる。パチュリーの世界へと。
何よ、また来たの。
無愛想に、そんなつれないことを言うけれど。
でも時々、手元の本からパチュリーの紫色の瞳がちらりと動いて。
じっと、彼女のことを見つめていたりする。
笑顔だった表情が一転、それはとても真剣な凛々しいものに変わっていて。
力と知識を欲する彼女の思いの強さがわかる。
小悪魔が紅茶とお茶菓子を持ってきてくれたら、二人で談笑。
立ち振る舞いのようにがさつに食べるのかな、と思うとそうでもなくて。
こぼさないように、割とお行儀よくお茶菓子を食べて。
これ、おいしいな。
そう言った時の魔理沙の顔は、まるで年齢どおりの無邪気な笑顔だった。
見ているほうまで、なんだか……楽しくなれるぐらいに。
――そうかと思っていると、すぐ目の前に……不思議そうに、パチュリーの顔を覗き込む
魔理沙の顔が迫っていて。
胸がひどく高鳴っていき、顔が沸騰するように熱くなって。
突き飛ばすようにして、体を離した。
どうしたんだよ、急に。
なんて怪しむように魔理沙は言うけれど、それこそどうかしてる、と思わずにはいられなかった。
急に、……気になる人の顔が、息がかかりそうなぐらい近くにあったりしたら、どうして
どきどきしないでいられるだろう。
――貴女がいきなり顔を近づけたりするからでしょ!
そう言いかけて。口よりも早く、体が泣き言を言った。
持病が、……胸の高鳴りで、呼吸が荒くなったせいで……喘息が、出てしまった。
うずくまって咳き込むと、すぐに魔理沙がそばによって、介抱してくれた。
……さすってくれる手のひらが、ほんのりと温かくて。
うっすらと見開いた目に入ってくる魔理沙の表情は、とても心配そうだった。
すぐに異変を聞きつけた小悪魔が飛んできてくれて、薬を飲ませてくれた。
でも……小言のようなものは、一切なかった。
どこか優しい、励ますような目をして、気をつけてくださいね、とだけ言って、小悪魔は
戻っていった。
何とか平静を取り戻すと、良かったな、と魔理沙が声をかけてくれた。
そのときの笑顔は、表裏のない、とても優しいものだと思えた。
ちょっと見ているだけでも、まるで万華鏡のように変わっていく表情。
その豊かな表情も、感情も、閉ざされた世界の中で生きているパチュリーには持ち合わせない
ものだった。
どんな本にも載っていないもの。だから、決してパチュリーの世界では知りえないもの。
それに心惹かれて、……気がついたら、手を伸ばしていて。
それからだろうか。魔理沙を、ちらりちらりと掠めるようにして見つめる瞳が、熱っぽく、
潤んでいったのは。
本を読んでいる間にも、その顔が目から離れなくなったのは。
いつからか魔理沙が来てくれるのが楽しみになっていた。
家に帰っていく背中を見送るとき、ひどくさびしい。そう思うようになっていた。
図書館にいない間どうしているんだろう。そんな想像が膨らんでいった。
だけれどある日。
いつものように図書館にやってきた魔理沙の隣に、珍しい少女がいた。
正確には、この場所においてはあまり見ることのなかった顔、ということなのだけれど。
連日の宴会の際に、何度か顔をあわせて、魔理沙と三人で話したこともあった。
七色の人形遣い――アリス=マーガトロイド。
二人の様子を見て、パチュリーはそこに壁を感じた。
それはいつもそばにいる時間の違い?
――魔理沙はよく図書館に来て一緒にすごしているのに。
それは見せてくれる表情の違い?
――パチュリーの前でだって、めまぐるしく変わる表情は変わるのに。
でもそこには、パチュリーの知らない魔理沙がいる。
アリスとの間に……軽やかに言葉が交わされ、じゃれあうようにケンカする。
まるで、そう在るのが自然であるように。
心が、がけから突き落とされたかのように沈んでいく。
奈落の底に落ちていって、棘のついた鎖に縛められたかのように、胸が締め付けられて……
苦しい。病気のときのそれとは全然違う。形のない、もやのようなもの。
抑えようとしても、それはとどまるところを知らず、パチュリーの胸いっぱいに満ちていって
外に飛び出そうなぐらいに膨らんでいく。
だけれどそれは、まるで煙で肺の中がいっぱいになった感じに似ている。
魔理沙の目はこっちを向いてくれない。こんなにも、じっと見つめているのに。
心は穏やかではない。安らいでなんてくれない。
……何をしているんだろう。そう思わずにはいられない。
魔理沙の見つめているのは、パチュリーじゃない。
きらきら輝いている目に映っているのは、パチュリーじゃない。
期待に胸を膨らませた思いが描く夢の世界に一緒にいるのは、パチュリーじゃない。
――私のことを、見つめていてほしいのに。
だけれど、今こうして魔理沙の手伝いをしていることは……その想いには、つながらない。
だって魔理沙がクリスマスに誘ったのは……アリスだったのだから。
アリスになんて渡したくない。
お願いだから……どうか私のことだけを見つめていてほしい。
それがかなわないなら……いっそ。
いつの間にか、魔理沙のことを見つめる瞳に昏い輝きが灯っていた。自身、気付かないうちに。
やるせなさに、きゅっ、と下唇を強くかみ締める。それこそ、血が出てきそうなぐらいに、強く。
でも、少なくとも今、こうしてそばにいられるのは、パチュリーだけ。
今だけは、魔理沙のことを独り占めしていられるから。
今だけは、私のそばにいてくれるから。
咲夜ではないけれど……このまま時が止まってしまえばいいのに……
Chapter4-B:すぐそばに、そっと控えた思い
――パタン。
乾いた音とともに閉じられる司書室の扉。
それに背中をもたれるように預けて、ふぅっ……と深いため息をこぼす小悪魔。
赤い髪の毛が、あわせるようにふわりと揺れた。
半分閉じた赤い瞳は物思いに沈んで。
暖房の効いていないひどく冷たい空気の中にため息が消えていくと、辺りは耳が痛いぐらいに
しんと静まり返った。
パチュリー様はあんなにも見つめていらっしゃるのに……
そうつぶやかずにはいられなかった。でも魔理沙は気付いてくれない。小悪魔は、そのことを
よくわかっていた。
魔理沙の目は、気になっている人のことでいっぱいだから。
その人のために、一生懸命だから。周りなんて見えているわけがない。
パチュリーが苦しんで思い悩む姿を見ていたくなかった。
もともと感情的なこととはずっと無縁だった彼女が、初めて想いを宿したならば、制御が
利かないことなんて目に見えている。
ひたすら、それこそ小さな女の子のように純真に、一途に思い続けて。
そんな主の初恋を、当然使い魔も応援した。
――痛みのないナイフで、えぐられるような気持ちを隠して。
それでも、主人が幸せでいてくれることが何よりの小悪魔の願いだから。
微力ではあるけれど、ほんの少しでもパチュリーの恋を手伝えたらと思い。
例えばいつもは、二人の邪魔にならないようにそっと物陰から見守って。
間が悪くなりそうだったら、たとえパチュリーから叱責を受けようとも出て行って、お茶を
出したりして。
主人の恋敵と普段どおり会話を交わすように見せて、さりげなく牽制してみたりもした。
全ては、パチュリーの思いが届けば……そう思いながら。
だけれど……胸が締め付けられるのは、どうしてだろう。
望んだはずのことをしているはずなのに、まるで心にもやがかかったよう。
本当に、真摯にパチュリーのためを思って手助けできているのか、わからなくなって。
不安で、そんな自分が嫌で。
主人と同じぐらい、とてつもなく苦しい気持ちに、胸が張り裂けそうになって。
暗い部屋に雫が一粒、零れ落ちた。
Chapter5:X'mas eve
まだ昼間だというのに雲が立ち込めている。
暗いわけではないけれど、このまま雨……もしかしたら、雪が降るかもしれない。
そんな空を、紅魔湖の畔で見上げているのは、アリス。
天気とは正反対に、曇りのないうきうきした顔をしていた。
わくわくしている心を、抑えきれないような。
普段めったに見ることのできないクールな彼女の、そんな一面。
服はどうしようかな……と迷いに迷った挙句、いつもどおりのワンピースに、ケープを羽織って。
化粧もうっすらと、ほんのり彩る程度。
せっかくのお誘いに、目いっぱいおめかししようとして……結局、急に綺麗に着飾るのも
どうかと思って、普段どおりに落ち着いてしまう。
まだ、気恥ずかしさがぬぐいきれなくて、素直になりきれない。そう思うとちょっとだけ
おかしくなってしまう。
でも、どうせ魔理沙は『黒白が魔女のスタンダードだ』なんて言って、いつもどおりの
服装なんだろうなぁ、と思ったり。それなのに自分だけおしゃれしてくるのも、なんだか具合が悪い。
だから結局、あるがままに。
やっと訪れた24日。待ちに待った約束の日。
子供みたいにわくわくして仕方なくて、昨日はあまり良く眠れていない。だから本当は
ちょっぴり、眠い。
でも眠気なんて、目の前の期待に比べれば瑣末なこと。
初めての……それも、魔理沙から誘われた、デートなのだから。
早く来ないかな……
口には出さないけれど、普段クールな彼女には珍しい、弾んだ表情や、きょろきょろと
頻繁に辺りを見回したり首をひねったりする仕草がその思いを物語っていた。
もっとも――現在午後2時。約束の時間よりも、一時間ほど早かったりするのだけれど。
――同時刻。
「早めに出ないとな……アリスのことだから、きっと待ち合わせ時間よりももっと早く着いてる
だろうしなぁ……」
魔理沙は鏡の前でそんなことをぼやきながら服を選んでいる。
言っていることはおおむね正しいが、しかしそれはいい線まで行ってストライクをはずしていた。
アリスの性格と、……どれだけ楽しみにして、期待を膨らませていたかを、甘く見すぎて
いたのだから。
もっとも、楽しみにしていたというなら魔理沙も同じ。
だからこうして今、ああでもないこうでもない、といろんな服を鏡の前で体に当ててみては、
どうしようかと悩んでいるのだけれど。
でも結局そこで、どの服も大差ないことに気付くわけで。正確には、黒の深さが違ったり
するのだけれど……純黒とか着ていっても、きっとアリスにジト目で見られるだけだろう。
で、結局いつものちょうちん袖の白いブラウスに黒のベスト、黒のロングスカートに
エプロンをつけて……となってしまうのだが。
「2時半、か。10分もあればつくかな」
家を出て箒にまたがって空を飛びながら、魔理沙は時計を確認した。
20分前到着。時間を守る上では十分すぎるほど余裕を持っているといえるだろう。
――普通なら。
「まあアリスのことだから、もうついてるんだろうなぁきっと。あんまり待たせちゃ
かわいそうだし、飛ばしていくか!」
気合一発、冬空の下相棒の箒に活を入れてかっ飛ばす。
もっとも、すでにアリスを待たせていたりするのだが。
そうして少しばかり飛んでいくと、急に魔理沙はブレーキをかけた。
目が見開かれていき、驚きが広がっていく。
それはそうだろう。めったに外に出るはずのない友人に、こんな寒空の下で出くわしたのだから。
「パチュリー……? 珍しいな、お前が外に出てくるなんて」
声をかける。しかし、返事は返ってこない。
普段と何かが違う。そう感じずにはいられなかった。
いつも確かに無愛想な表情をしている。けれど、今のパチュリーの表情と、そして纏った
雰囲気は、明らかにそれとは一線を画している。
背筋が――ぞくりとするぐらいに。
「どこへいくの、魔理沙……?」
ひどく淡々とした口調でたずねる。ゆっくりと出てくる言葉は、まるで夢を見ていて心がここに
無いかのように、虚ろだった。
「どこって……今日は大事な用事があるんだ。前から約束しているからな」
「大事な用事……」
パチュリーは舌の上で転がして、確認するかのようにその言葉を繰り返す。
ややうつむきがちな顔には、暗い影がさして。
「そんなの放っておいて、私の図書館へ行きましょう……? 歓迎するわ。小悪魔においしい
紅茶やお茶菓子も出させるし、好きなだけ本を借りていってもいいわ」
「何だ急に? そりゃあ、確かにありがたい申し出だが……でも、今日だけはダメなんだ。
アリスと、一緒にすごすんだって約束したからな」
「アリス――」
その名が出たとたん。
パチュリーの声から、温度が消えた。それは、ガラスの破片のように鋭い。
「強がりだからな、あいつは。本当はひとりぼっちじゃさびしくて仕方ないくせに、
素直じゃないからそっけない態度しかとらない。だから、あんまり待たせたくないんだよ。
じゃあ、また今度――」
そう言いながら魔理沙は通り抜けようとして。
――ゴウッ、という音とともに、まとわりつく風に制御を奪われた。
「うおおおおお!?」
乱気流のように荒れ狂う風に翻弄されながら、しかし魔理沙はそれに抗おうと必死で箒を
操り風の流れを探る。
かろうじて流れに乗って暴風の中から抜け出すと、じっとパチュリーが見つめていた。
陶酔したような目で。だけれどそれは、狂気に似ている。いやむしろ、それそのものかも
しれない。
「い、いきなり何するんだよパチュリー!? 危ないだろ!」
「――行かせない」
突然の仕打ちに怒鳴る魔理沙だったが、次の瞬間その表情は一転する。
パチュリーからポツリと零れた、あまりにも小さくて、注意していなければ聞き逃してしまう
ぐらいの、そんな消え入りそうな言葉を聞いてしまったから。
小さいけれど、だけど……大きな決意を秘めた言葉を。
「アリスのところになんか、行かせない!」
今度は強く、はっきりと叫んだ。自らの意志を宣言するかのように。
それを表すかのように、パチュリーの周りに無数の爆炎が群れを成す。
炎が揺らめき、冷たい空に熱風を巻き起こしてワルツを踊る。
上も、下も、右も、左も、全てを赤に染めて。
曲線を描いて落ちていく炎を寸前で身を引き交わす。火の粉が降りかかる。
すぐに左右から踊る炎が隊列を組んで襲い掛かる。
列のほんのわずかな隙間。それを狙い、一瞬で突き抜ける。
しかしその瞬間、炎が肩の袖をわずかに掠め、焦がした。
魔理沙の動きは以前のアリスとの戦いに比べて、明らかに精彩を欠いていた。突然の『友人』の
仕打ちに、戸惑いを隠せないから。わけもわからず攻撃されて、どうすればいいのかわからないで
いるために、思うように動けていないのだ。
「くっ……! やめろパチュリー、なぜ突然こんなことをするんだ!」
「なぜ? 突然? 理由はちゃんとあるし、だからこそ必然だわ。なぜなら貴女が――」
パチュリーは自らの術で周囲を熱で覆いながら、しかしひどく冷たい声を放つ。
手に持った本を開いて魔理沙に向けると、赤い唇は続きを形作る。
「アリスを選んだからよ!」
引き裂くような絶叫とともに、同時に高速でファイアボールが放たれる。
生半可な弾幕なんて一瞬で弾き飛ばす、力の魔法。
だがパチュリーの言葉に一瞬呆然としてしまった魔理沙は、わずかに反応が遅れてしまう。
「ッ!」
星の弾を張り巡らせて防御する。二つの力がぶつかり合い、スパークして火花を散らす。
ファイアボールが霧散する。しかし星弾を破壊して、魔理沙を吹っ飛ばした。
きりもみしながらも大きくぐるっと円を描いて体勢を立て直す。
険しい表情をして、正面を見据える。その視線の先には、歪んだ薄ら笑いを浮かべた紫色の
魔女の姿。
「そう……それでいいわ。私のことだけを見て頂戴。私が貴女にそうするように――」
恍惚とした表情で言うパチュリーに、魔理沙は寒気を覚えずにはいられなかった。
行き過ぎて捻じ曲がってしまったもの。今パチュリーを支配しているのは、そんなもの。
「何を、言って……」
「ねぇ、知ってた? 私は……貴女が図書館にいる間、ずっと見ていたの。だって、どんな本を
調べたって、知ることができなかったのだもの。
貴女がどうしてそんなに目まぐるしく変わる豊かな表情をしているのか。
貴女がどうしてそんなにどんな強大なものにだって立ち向かっていけるのか。
貴女がどうしてそんなに――誰の中にでも、自然に入ってこれるのか。
だから知りたくてしょうがなかった。知識(ノウレッジ)の名を持つものとして」
滔々と語りだされる思い。いつしか渦巻いていた炎は消え、ひどく静まり返っていた。
「でも、やがて貴女のことが頭から離れなくなったわ。どんなときでも貴女の顔が目に浮かんで
しまう。図書館にいないときの貴女が何をしているのか、気になって仕方なくなって。図書館に
来てくれるだけで、うれしかった。できることなら、ずっといてほしかった。なのに……」
ぽつり、ぽつり。すでに制御の利かなくなったその想いを、パチュリーはまるで幼い少女の
ように、搾り出してぶつける。
加減を知らず全力で投げつけられてくる想いを正面から受け止めて、魔理沙はその正体を知る。
――きっとそれは、閉じた世界に引きこもった少女が、初めて抱いた恋心。
「私よりもアリスがいいの!? 私ではダメなの!? どこが違うというの!? 私のほうが
あの子よりもずっと魔力は強いわ……貴女の役に立つ知識だってたくさんある、なのに――!!」
「……それは違うぜ、パチュリー」
張り裂けんばかりの悲痛な叫びを、魔理沙はゆっくりと制した。
急に辺りから音が消え、突然の静寂が耳に突き刺さる。
いったん大きく息をつき、それからおもむろに口を開く。
「私はアリスとパチュリーを比べたことなんてない。二人ともまるで違う魅力があるのに、
どうやってそれを比べろって言うんだ。それに――誰かと誰かを比べてるうちは、それは
恋愛じゃないよ、きっと。例えるなら、幼い少女が思い描く憧れみたいなもんさ」
強く、はっきりとした口調で言う。そこに、さっきまでの戸惑いはない。
「……なら、どういうことが恋愛だと言うの?」
目を細め、睨むようにしてパチュリーは問う。言い逃れはさせまいと、獲物を狙う蛇のように
鋭い目をして。
それでも、魔理沙は臆することなく真っ直ぐに受け止めて見つめ返す。
「恋愛ってのはきっと、究極の、とてつもない勘違いさ。アリスのほうがいいとかパチュリーの
ほうがいいとか、そんなことは全然問題にならないんだ。私はアリスに恋をしている。
私と二人で放ったあの輝きを信じてる。私と無限の世界を織り成していけるのはアリスだけだ。
例えそれが一瞬の、夢幻泡影のような刹那の輝きだとしても。だから、私はアリスに勘違いを
してる」
言いながら、あの日のことを思い出す。
二人で織り成した、永夜をも飲み込むぐらいの眩しい輝きを。
どんなときよりも強く輝くことができたあの一瞬を。
「私にはアリスしかいないんだ!」
一瞬に、激しく光を放つ、想いの言葉。
それはまるで、恋の星が流星となって夜空に煌くかのように。
少女たちの言葉が途切れて、静けさが残って。冷たくなっていく空気を、ひしひしと感じる。
――ひらり、ひらり。
気がつけば、いつの間にか白い妖精が空を舞っていた。
ひとつ、ふたつ――瞬く間にそれは空を埋め尽くしていって。
まるで蛍の群れのように、ほのかに煌く銀色の光。
あるいはそれは、涙にも似て。
「そう――」
ようやく、重苦しく口を開いたパチュリーの声は、まるで深淵から響いてくるようで。
いつしかうつむいていたその顔には、影。
やがて顔をあげると、そこに浮かんでいたのは……氷のように、冷たい眼差し。
「貴女を殺すわ」
淡々と、しかしはっきりとそう宣言する。
だけれど、その声と唇の端は……震えていた。
「やめろ、私を行かせてくれ!」
「どうしても私のものにならないというのなら……せめて消し去ってあげる。この世界からも、
私の記憶からも!」
二人の声は交錯して、しかしすれ違い。
パチュリーの四方を四つの輝きが囲む。
やむをえない――苦渋の表情を浮かべた魔理沙が放つスペルもまた、輝く光となりてその周囲に
星を織り成す。
「ノンディレクショナルレーザー……私から盗んだ魔法で勝てると思って?」
「やってやるさ……私は絶対に、アリスのところへ行くんだ!」
二人の周りに浮かぶ光たちは、同時に雪の舞う空を灯台のように照らす。
薙ぎ払われる光と光がぶつかり合ったとき、火花が散って、弾けて消えた。
・
・
・
「遅い……」
眉を寄せて、虚空を睨んでいるアリス。
約束の時間を過ぎて、もう30分になる。
あせりと苛立ちからか、その声は刺々しい。
トン、トンと軽く足を上げて地面を蹴る。乾いた音が立って、霧散するように消えていく。
それから、深いため息を、ひとつ。
――魔理沙のほうから誘ってくれたのに!
口からは出てこないのに、叫んだかのようにそんな言葉が頭の中に響く。
ひとりぼっちで待ち続けるさびしさやいらだちは振り払おうとしてもまとわりついてくる。
やがてそれは悪夢へと形を変えていく。
例えば、魔理沙がいたずら目的でこんなことを仕組んだんじゃないのか、とか。
私を呼び出して、期待させておいて、それをどこかでニヤニヤ眺めてるんじゃないか、とか。
本当は私のことなんてどうでもよくて、すっぽかしちゃったんじゃないか、とか……
不安で仕方なくて、心の中がからっぽになっていって。
その中をつめたい風が否応なく吹き抜けていく。
こごえて、ぎゅっ、と両の腕で自分を抱きしめる。
視界にヒトガタのものが入ってくるだけでもドキッっとする。
もしかしたら……魔理沙が着てくれたんじゃないか、って。
でもそれが湖の妖精だとわかると、ひどくしょぼくれてしまう。
上空を風を切る音がするだけでも、敏感に反応して反射的に空を見上げる。
けれどやっぱり……それは魔理沙ではなく、紅魔館へと戻っていく咲夜だった。
落ち込んで……ひとりぼっちのウサギのようにさびしそうな顔をして。
地面に落とした瞳は半ば閉じかかっていて、儚い。
今ならまだ許してあげる。
いつもの調子でひょっこり現れては、悪い遅くなった、って言ってほしい。
そうしたら……絶対そっぽを向いてやるけど、でも……
きっと今なら、笑って許してあげられる。
――ひら、ひら、ひら。
ふわりと舞い降りてくる白い光。
ぽぅっ……としていたアリスは、その淡い輝きに思わず見とれた。
両手をそろえて、すくいあげるように受け止める。
静かに、吸い込まれるようにしてその手のひらに着地すると、白い光は溶けて消えた。
後にはただ、冷たい余韻が残った。
「ゆき……」
呆けたようにつぶやいて空を見上げる。
一面に広がる、しんしんと降りしきる雪。
それは、空という空を、まっしろに染めて。
まるで……今のアリスのように、まっしろに……
その寒さにこごえて、心が凍り付いてしまいそうになる。
どんなに自分で自分を抱きしめたって……決して、あたたかくなんてならない。
だから……早く、来てほしい。
「魔理沙……」
Chapter6:携えるもの、ひとつ。
紅魔館の建つ島に立って空を見上げている少女が一人。
愁いを帯びた赤い目をして、ただじっと。
白のブラウスの上に黒のベスト、そして黒のロングスカート。この雪の中、いつもと変わらない
服装をしてたたずんでいるのは、小悪魔だった。
何も言わない。ただ、誰かを気遣うように心配そうな顔をしている。
それは、ずっと遠くを見つめる目の中に映る人のことなのだろうか。
「ううっ、さむい……」
そんなある種幻想的な光景を、あまりにも現実的な言葉が入ってきてぶち壊す。
それに気付いた小悪魔は、声のしたほうを振り向く。
門番隊の隊長、美鈴だった。いつもの服装では寒いらしく、上に一枚コートを着ている。
「あ、隊長。大丈夫ですか?」
「お勤めだからね、しょうがないよ。でもほら、ちゃんとカイロもあるし」
ほら、とコートを開いて中を見せる美鈴。小悪魔は、あははと苦笑して返す。
でもその笑いは……どこか無理をしているような、そんな風に思えるものだった。
「寒いから小悪魔も気をつけたほうがいいよ、司書だって体力勝負なんでしょ?
そんな薄着じゃ風邪引くから、早く図書館に戻んなさい」
「あはは、お気遣いありがとうございます。そうですね……あったかく、しないと
いけないですね。こんなに……雪が降りしきる日は」
軽く一礼して、小悪魔は美鈴と別れた。
ふよふよと軽く浮かんで図書館へと戻っていく。その後姿は、どこか力ない。
やがて大きく威厳のある扉の前に立つと、ギギィと重苦しい音とともに開いていく。
その先に――いつもいるはずの、主人はいない。
それだけでも、随分とがらんと、普段よりもずっと広く感じる。
目を細めてさびしそうな顔をすると、小悪魔は司書室へと戻っていった。
寒くしないように暖かいコートを羽織ると、小悪魔は傘たてへと歩み寄っていく。
めったなことでは外に出ることのないパチュリーと違って、小悪魔は外出して用事をこなす
こともある。なので、いくつか傘も持ち合わせていた。
ひとつ手に取り、二つ目を手にとろうとして……やめた。
「傘は……ひとつでいいかな」
ぽつりと小さくつぶやくと小悪魔は扉を開けて出て行った。
たったひとつだけ、傘を携えて。
Chapter7:七色に煌く六花の雫
空はずっとどこまでも、見渡す限り雪、雪、雪。
しかしこの空間だけは、弾幕が空を埋め尽くしていた。
半分を爆炎が、半分を星が。互いにせめぎあい、ぶつかり合っていた。
わずかな隙間をくぐり抜けたいくつかの炎弾が魔理沙めがけて襲い掛かる。
「ちっ……」
正面から飛び掛ってきた炎弾を、跳び箱を飛ぶように跳ねて交わす。
弾んだその一瞬……魔理沙からパチュリーまでの直線に、細い道筋が通っているのが見えた。
「いっけぇ!」
チャンスを見逃すことなく、迷わず一筋の閃光を迸らせる。
瞬時に二人の間の弾幕をぶち抜いてパチェを射抜こうとするその光。
――しかし。
「なにっ!?」
魔理沙の顔が驚愕に変わる。
なんらの予備動作も無しに、閃光は光の壁に阻まれて消し飛んだ。
「私の周囲には常に七曜の魔法障壁(スペル・バウンド)が取り巻いているわ。あらゆる属性を
網羅した七重の防御結界、たやすくは貫けないわよ。前もそうやって後手に回ったことをもう
忘れたみたいね」
「くっ……そぉっ!」
魔理沙は吐き捨てるように言いながら、なおも迫り来る炎の群れを上下左右に交わし続ける。
しかし炎の群れは、攻撃の硬直で隙が生じた魔理沙をここぞとばかりに攻め立てる。
上から包み込むようにして迫る弾幕。左右は回避しても間に合いそうにない。
そう判断してからの魔理沙は早かった。いやむしろ速かった。
箒の飛行能力を停止し、ふわりと自由落下を始める。
それを追い、前面に広がる無数の炎は群がる蛇のように襲い掛かる。
牙が今まさにその姿を捕えようとしたとき、魔理沙の目が光った。
一転して気合一発、箒に活を入れて下降しつつ高速で突き抜ける。
次々と迫り来る燃え盛る牙は、その影を捕えることかなわず。
だが、それでもパチュリーは眉一つ動かさなかった。
「うまいこと避けたわね……でも、これならどうかしら」
温度のない声でそう言うと、二つ三つわずかに呪文を唱え、印を切る。
たちまち、眼下の大地と森の木々がぼぅ……っと明滅しだす。
無数の光は空へと舞い上がっていき、一転へめがけて集束する。
すなわち、魔理沙を討てと。
「これは……土符の力か!」
「この辺りは随分と大地の力が元気なようね……誰かさんが温泉脈を引いてきたからかしら?
屋内で使ったときより一味違うわよ」
パチュリーの言うとおり、かつてヴワル図書館で見たときのそれとは段違いだった。
大地から巻き上がる光弾があの時とは比べ物にならないほどの速さで突っ込んでくる。
立ち上る竜巻のごときその弾幕を、魔理沙はまるで暴風に晒された鳥のように
キリキリ舞いながらも凌ぐ。
しかしその密度は圧倒的で、長く持ちそうにない。
持たないなら、どうする。
――打って出るしかない!
今まさに、土の力を持った魔弾の渦が魔理沙へ向けて集束し、押しつぶさんとしたとき。
その弾幕のわずかな隙間から漏れ出した光が、一気に噴出した。
星型弾幕がこれでもかと大量に放出され土の弾幕を押し返そうとしている。
随所で魔力の弾同士が爆裂し土煙を巻き上げ、魔理沙の姿を隠した。
「相変わらず無茶苦茶なことをするのね……攻撃は最大の防御というところかしら? それとも、
そうやって姿を隠すのが目的だったのか、あるいはその両方か」
問いかけるような、けれども独り言のようにつぶやいて、パチュリーはじっとその煙幕を
凝視していた。
突如、煙幕を突き破って高速で飛び上がってくる影があった。
数は三つ。だがしかし、それらは全て――
「分身。幻術かしらね」
――魔理沙の姿をしていたのだ。
まるで見分けのつかない三人の魔理沙が、全て同じ速度で、しかし高速で突撃してくる。
逆手の指を三本、それぞれ飛んでくる魔理沙に向ける。
指先に水が集まっていき、そしてすさまじい勢いで射抜く。
だが、どの魔理沙も避けることなくその直撃を受けて。
爆散した。
パチュリーは顔色ひとつ変えなかった。むしろ、予想通りという表情をしていた。
「魔法障壁を貫く方法は3つ。
ひとつは魔法解除(ディスペル)。ひとつはそれを上回るパワーで押しつぶすこと」
独り言のような、誰かに言い聞かせるようでもある言葉。
その背後には、本物の魔理沙が迫っていた。
右手に魔力を溜め込み、それを零距離で炸裂させようと一気に間合いを詰めて――
「そして最後のひとつは――物理的に突破して、零距離で仕掛けること。貴女ならそうすると
思っていたわ。だから、予測ができていればね……対策も簡単なのよ」
パチュリーが右手を静かに振るう。その足元に魔法陣が生まれ、蒼い光が噴水のように立ち上る。
――月符『サイレントセレナ』
「な……に!?」
完全にとった。そう思っていた魔理沙は、逆に完全な不意打ちを受けた。
波打つように天へと上る蒼い煌きの直撃を受け、その身を焦がしていく。
鞠のように跳ね上げられ、そして落下していく。
かはっと息を吐いて、薄れ行く意識の中その唇は待ち続けてくれているひとの名前を紡ぐ。
――――――――アリス!
ふわり、と吹く風がアリスを撫ぜる。
身を震わせるぐらい冷たかったが、そんなことをまるで意に介さずに空を見上げる。
今、魔理沙に呼ばれたような……
だけれど見上げても、見回してもそこには誰もいない。
辺りはただ、しんしんと雪が降り続けるだけで。
日の短い12月は暗くなっていくのも早く、辺りはすでに宵闇に包まれつつあった。
そんな湖の畔に、ぽつんと一人たたずむアリス。
約束の時間を過ぎた最初のころは、憎たらしそうな、あきれ返った表情をしていた。
ずっとずっと、楽しみにしていたのに。
初めての、お誘いだったのに。
それも、――魔理沙からの。
二人で人間の里にいってお買い物をしてみたりとか。
二人で一緒に食事したりとか。
――二人で、幻想郷の空を、飛び回ってみたい、とか。
それから、手をつないでみたいな――とか。
そんな楽しい一日を思い描いて。
期待を膨らませて、想像してははしゃいでいたのに。
怖い。
魔理沙が嘘をついたんじゃないかって。
信じられなくなりそうで。
魔理沙と弾幕を張った次の日……目が覚めたら、毛布がかかっていて。
それはつまり、あのオルゴールを見られたことになるから、すごく恥ずかしくて、
顔が沸騰しそうに真っ赤になったけれど。
でも、……不思議と、心はあったかくて。
だのにその心が今、降り続く白い雪一色に塗り替えられようとしている。
冷たくて、こごえそうで仕方ない。
今にも泣き出しそうに、顔が、くしゃくしゃになってしまって……
くいっ、くいっ。
ドレスの袖が引っ張られる。
主人の、ひどく弱々しい顔を気遣う上海人形と、蓬莱人形だった。
やがてその小さな体をアリスの顔まで持っていくと、すりすりとほお擦りを始める。
アリス、大丈夫? と、そう言わんばかりに。
手を伸ばし、人形を優しく包み込んで、アリスもまたほお擦りを返す。
「大丈夫、大丈夫よ……」
まるで自分に言い聞かせるような言葉は、力なく。
人形たちはますます不安になって、ぎゅっ、とアリスの胸に抱きついてくる。
それを受け止めてやりながら、アリスは必死に、悪夢にも似た悪い想像を振り払おうと
努めていた。
――例えば、魔理沙に騙されたんじゃないか、とか。
違う、魔理沙はそんな嘘をつくようなひとじゃない!
でも、それならどうしてきてくれないの? 私は、こんなにも、凍えそうになりながら
待ち続けているのに。
――例えば、魔理沙に裏切られたんじゃないか、とか。
違う、魔理沙が誘ってくれたのは私のはずよ!
ケドその後は、待ち合わせの場所と時間を決めたっきりでしばらく図書館にこもりっぱなし
だったじゃない。あそこにはパチュリーがいる。ずっと……二人きりで、いられたじゃない。
人の気持ちなんてどう転ぶかわかったものじゃない。魔理沙だって、一つ屋根の下に
長くいればあるいは――
「そんなことない!」
不安をかき消そうとした心の叫びに呼応して、それは声にもなってこだました。
しかしただ響き渡るだけ。誰にも届くことなく、雪が埋め尽くしたこの世界に。
人形たちは驚いてぱっと離れた。少し間をおいて、心配そうにアリスの顔を覗き込む。
それを見てやっと我に返ったのか、はっとした表情を浮かべると、人形たちを安心させようと
作り笑いを浮かべる。
でもそれは……まるでガラス細工のようにもろくて、触れればそれだけで壊れてしまいそうな
ぐらい、弱々しくて……
アリスじゃなきゃ、ダメなんだ――って言ってくれた。
あれは嘘だったの? それとも私は、ただの便利な相方?
ふらふらだった私を無理してまで送ってくれた。
あれは誰にでもしてくれることなの? 特別なことなんかじゃないの?
眠りこけてしまった私に、暖かな毛布をかけてくれた。
目覚めたとき感じたぬくもりは、今は……こごえて、冷え切ってしまっているよ……
雪は降り続ける。しんしんとほのかな白い輝きを放って。
だけれどアリスは、その冷たさに身も心も凍り付いてしまって。
静かに降り積もっていく雪の中に、うずもれてしまいそうになる。
それでも、立ち去らなかった。
だって、どんなぬくもりだって、今のアリスをあたためてはくれないのだから。
アリスをあったかくしてあげられるのは、この世界にたった一人しかいないのだから。
誰よりも眩しい流星のような、恋の魔砲使いだけ。
後どれぐらい待ち続ければいいのだろう。それとも、約束なんて忘れてほったらかして、
もう来てくれないのかな……
魔理沙の顔が見たい。魔理沙の声が聞きたい。
そうしたら、どれぐらい安心できるだろう。あったかくなるだろう。
寒くて、こごえて、ふるえてしまいそうだけれど。
でも私は、ずっと信じて待っているよ……
「魔理沙……」
つ、と一筋アリスの頬を伝う光。それは、ぽた、と足元の雪に零れ落ちて、吸い込まれて
しまうけれど。
少女の想いが結晶になった六花の雫が、七色に煌いて。
甘いのは苦手だけど、それでも物語に引き込ませる手腕が素敵。
次回も楽しみにしてますぜ。
零距離の魔法障壁突破…おもわず八極拳を使う魔理沙を幻視してしまったよ
さて、口に出すと軽くなってしまう「愛」の行方やいかに、という引き方でしたが。
よく考えてみると、24日はあくまで「前夜祭」なのですよね。
次回をお待ちしております。