Coolier - 新生・東方創想話

キス境(中編)

2005/12/24 07:30:30
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――かちゃかちゃと鳴る食卓。
魔法光が、柔らかくちゃぶ台を照らしてた。
いつも通りの夕食風景。
いつも通りの博麗神社。
けれど、珍しいほどに会話が無かった。
霊夢は、あまり積極的に喋る方ではなく、受け身で応えるのが常だ。
いつもなら、魔理沙があること無いことを喋り散らし、それに霊夢がツッコミをいれるのがパターンなので、魔女が喋らなければ、必然的に会話は無くなる。
食卓を支配するのは、妙に居心地の悪い空気である。
これであまり雰囲気が暗くならないのは、霊夢のいつも通りな所作のお陰だろう。
腐っても巫女なのか、正座している姿が妙にキレイだ。

「…………」

魔理沙は、霊夢の唇を見てた。
箸を口にくわえたまま、じいぃっ、と。
たまにニンニクを食べるよう勧めるだけで、後はひたすら凝視する。
レミリアに『挨拶』していないのは、分かった。
いままで彼女が来てない理由もハッキリした。
たとえ僅かであっても、ニンニクの臭いは吸血鬼にとって致命的なのだろう。
近づいて口を寄せるだなんてことは出来ないわけだ。
つまり、先ほどのアレをアレしたのは自分が最初なわけで、お互いに始めて同士なわけで……
――ぷっくりとした赤い唇。
食べ物が運ばれ、咀嚼する様子。
目が、離せなかった。
食べることに集中しようと思ってもできない。
とても落ち着かない。
さっきから座る位置をなんども微調整してた。
もやもやとしたものが、頭の中で浮かんでは消えている。
だから一向に食は進まず、箸はさっきから五分以上は口元にくわえられたままで、手元のおかずは八割方減らずに残ってた。

「? なによ、食べないの?」
「いや、食べるっ!!」

意志が込もった、力強い言葉だった。
霊夢の唇を凝視しながら言った理由は謎である。
それにまるで気付かぬ鈍感巫女は、気怠げな様子で言う。

「ならさっさと食べなさいよ、材料費だってタダじゃないのよ?」
「あ、ああ……」
「? なによ」
「あの、よ――」

――その先の言葉を言ってはいけない。
魔理沙の知性は警告する。
それは破滅への第一歩。
霧雨魔理沙は博麗霊夢に『勝ちたい』のであって、『手に入れたい』わけではないはずだ。
博麗霊夢は、どっちかと言えば嫌いに分類される間柄で、ライバルとか腐れ縁とか、そこら辺が相応しい。
まかり間違っても、これから言う言葉を投げかける相手なんかじゃないハズ。だから――

「だから、さ」
「?」

食事を中断されて、不機嫌そうな巫女の表情。
ちょっと膨れっ面をしてる。
眉をしかめて、唇を突き出す表情。
それを見て、魔理沙の中の『なにか』が、ぱりん、と壊れた。
理性という名の堤防を突き破り、凄まじい勢いで欲求が膨れ上がる。


「だから食事の挨拶が――いただきますの挨拶(キス)が、まだだろ?」


「はあ?」

――言ってしまった。
――駄目人間への道を踏み出してしまった。
――この口は、何を喋っているんだろう?
そう後悔しながらも、魔理沙は真っ赤な顔で俯いた。
膝の上に乗せた両手が、面白いくらいに震えてる。
――いくらなんでも、こんな嘘には騙されない。
直感に優れた博麗の巫女である、真偽くらい、あっさりと見破るに違いない。
だから、「なに馬鹿なこと言ってるのよ」とか言われて、それに「そうだぜ、嘘だぜ」と言って……

「西洋って、そんな風習まであるの?」

ば! っと顔を上げた。
そこには、片眉を上げ、不満そうな顔をした巫女。
不満そう――――否定したり、「嘘つかないでよ」といった表情ではない……!

「ああ、も、もちろんだぜ」

嘘だろ、嘘だよな!?
そんな言葉だけがリフレインしている。
罪悪感と甘さが入り混じったものが心臓が高鳴らせる。
周囲の景色が歪んだ。
中心にいるのは、目に映るのは霊夢だけ。
彼女の、ほのかに赤い表情だけが視界を占める。

「ふーん」

霊夢は、上を向いてちょっと考えた。
箸を揃えて置き、口元を拭いた。
移動しようとして、なにかに気づいたように軽くお茶を飲む。
そして、正座のまま、にじり寄るようにして魔理沙の傍に来た。
顔が間近に――

「それで、どうするの?」
「あ、ああ……」
「ああ、じゃなくて、こっから先のやり方なんて知らないわよ?」

霊夢って奥二重なんだなとか、瞳の色はこげ茶なんだとか、どうでもいいことだけが思い浮かぶ。
冷静さなんて、残らず吹き飛んでた。

「ま、まずわだな」

声がちょっと裏返る。
咽喉がカラカラだ、急いで手元のお茶を飲む。
香味が、ほんのすこしだけ意識を落ち着かせた。

「うん」
「こ、こう、顔を見合わせて」
「えーと、よっ、と」

もっと近くになる。
本当に拳ひとつ分ていどの距離。

「そ、それでだな……」

興味深そうな霊夢の顔が、本当に目の前にある。
冷静さをどうにか取り繕う。
なにか、いまの自分はヘンだった。

「近づきながら――」
「うん」
「声を合わせて――」
「うん」

鼻が当たりそうなので顔を斜めに。
吐息が肌に当たる。
はっ、はっ、はっ、という小刻みで湿っぽい息が、霊夢の肌に吹き付けられる。

「声を揃えて、言うんだ」
「うん」

視線が絡み合う。
同時に薄く目を閉じる。


「「いただきます」」


――ちゅ


(はじめて、こっちからキスするな……)

とても長く感じる一秒の間、考えたことはそれだけだった。
いざしてしまうと、なんだかアッサリしてると感じる。

「さ、これでいいんでしょ」
「いいんだが……さっそく唇を拭くなよ」
「んー?」
「いや、んー? じゃなくて」

霊夢はゴシゴシと袖でぬぐってた。
何だか悲しくなってくる。
元の座布団に座った霊夢は、「大根おろし~」などと言いながら、気楽な顔でサンマをつついてる。
なんか、もの足りなかった。
なにかが全然足りない。満たされない。
心がまったく納得しない。
哀切極まりない目で、魔理沙はじい、っと見てた。
特にその唇を――

「……」

無音で、溜息をつく。
なんだか騙されたような感覚があった。
砂漠で放浪している時、なみなみとグラスに注がれた水を手に入れたのに、実はその中身が塩水だったとでも言うような、達成感と喪失感の混在。
飲めば飲むほど乾きが増す。
むしろ飲み干したからこそ、更に切実に、もっともっとと欲してしまう。
こんなにも自分は欲深かっただろうか?
どうしてこれほど唇が淋しく感じるのだろう?
眉を八の字にして魔理沙は懊悩する。

(――――ッ!!)

沈んでいた顔が跳ね上がった。
瞳が燦然と煌めく。
雷鳴のように理解した。
魔理沙の理性は、当然の帰結としてそのことを発見した。

「ちょっ、魔理沙! なにそんな急いで食べてんのよ」
「――!!」
「あー、ほらほら、お茶」
「っ! ふう、た、たすかったぜ……」
「いいからゆっくり食べなさい」

だが、魔女は、がつがつと夕食をハイスピードでたいらげ続けた。
一心不乱に、味なんか関係なく、ただ詰め込む。
たまに食道につまるのを、お茶で強引に流し込んでいた。
そう、霧雨魔理沙は気がついたのだ。
もの足りないのなら、もう一度してしまえばいい。
満足するまで、何度でも。
だってそうだ、いただきますのキスがあるなら――

(ごちそうさまのキスだってなくちゃ、おかしいよな?)

だから、目の色を変えて食べている。
もたもたしていたら、この巫女はさっさと食器を下げて洗い出すだろう、そうしたらごちそうさまどころではないのである。

――いままでの遅れを取り戻すように、魔理沙はあっという間に食事をたいらげた……



+++



(――――な、なんか、タガが外れたな……私……)

外の様子を眺めつつ、我が事ながら魔理沙は思った。
ごちそうさまのキスの後も、彼女はことあるごとに、当然のように挨拶(キス)を要求した。
食器を洗い終わった後、部屋を出る度、トイレから帰ってきたら……
色々と、無茶な理由をつけては『挨拶』を実行する。
霊夢も怪訝な顔をして、「本当に、こんなにするの?」とは言っていたが、元となる知識が無いせいかそれとも直感が鈍っているのか、そのすべてに付き合った。
だから、だろう。
初め恐る恐るだった彼女は、歯止めが効かなくなった。
文字通り、タガが外れたのだ。
唐突に部屋の外へ『だー!』と走り、戻って来て、扉を開けながら『挨拶』を要求するほど。
「霊夢! 挨拶だ!」と叫んだときの、あの呆れ顔は見ものだった。

――だが魔理沙にも、そうしなければならない理由があった。
彼女は既に、5分以上『挨拶』をしないと落ち着かなくなっていたのだ。
10分以上だと禁断症状が出始める。
15分もすれば、手足がガクガクと震え、ノドはカラカラに乾き、心臓は不整脈を起こす(誇張表現)。
20分もすれば、魔理沙は原野を駆ける狼となる(比喩表現)。
もはや唇同士が触れてないことの方が不自然だとすら思えてくる。
魔理沙・霊夢間の唇は、くっついてるのが自然で、離れているのはとても異常なことなんだと、本気で考えた。

――――ただ、少しばかり癪に触り、また不満なのが、霊夢の方には、一向に恥ずかしがったりうろたえる様子が無いことだった。
魔理沙と違い、霊夢はまったくの平静なまま。
『挨拶』直後、数秒間くらいは夢見心地の忘我状態だというのに、さっさと歩いて行ってしまう、それどころか、やっぱりごしごしと袖で唇を拭っていた。
前と後とで表情はまったく同じ。
ビフォー&アフターで違いがない。
一度など、「あんた、なんか顔が赤いけど大丈夫?」とまで言われたほど。
脈が無いどころではない。
前代未聞のそっけなさだった。
『挨拶』した直後の、霊夢の冷静なままの顔が遠ざかる度、魔理沙は焦燥に駆られた。
「なにがなんでももう一回しなければ!」と決心する。
自分が感じていることの、その十分の一でも伝えなければと、思わずにはいられないのだ。

「ほら、あんたもちょっとは手伝いなさいよ」
「――――」
「もう、ほら、どいて」

そんなこんなで時刻は、もう夜。
しん、と外は静まり返っている。
街燈のない夜はとても暗く、光明のある室内が妙に寂しい。
世界中で、この一箇所にしか光が無い錯覚を起こさせる。
霊夢は布団を下ろしてた。
なんの手伝いもせずに、たまに「えへへ……」と笑ったり、ずうん、と落ち込んだりしている魔理沙を横目に、ぶつくさと文句を言いながら、シーツ、枕、敷布団などなどを並べている。
客間なんて上等なものは無いので、必然的に布団は水平に二枚置かれることになる。
狭い室内で、寄り添うようにそれらは或る。
――いままでは、そうやって眠ることに何の感慨なかったのだが、いまとなってはまったく事情が違っていた。
タガが外れている魔理沙は、唐突にそれに気が付いた。
そう、今日は『二人っきりで』ここに眠るのだ。
左右を見渡す。
誰も居ない。
どっぷりと陽は暮れている。
妖怪ですら、こんな夜遅くには来ないだろう。一部の例外を除き、幻想郷の妖怪は意外と早寝早起きだ。
つまり、朝まで二人っきり……

(落ち着け、落ち着くんだ、私!)

魔理沙は、霊夢に背を向け正座をして、自分自身に言い聞かせた。
手からは汗がだらだら流れてる。
心臓の音が激しく高鳴る。前の障子が揺れるんじゃないかと思えるほどだ。

「敷きおわったわよー」
「あ、ああ……」

ちょっとだけ後ろを振り返ると、敷布団がわずかな間を開けて並んでた。
枕元のシーツの白さがとても眩しい。
霊夢はこちらに背を向け、なにかを畳んでた。
かすかに見える紅白色からすると、着ていた巫女服なのだろう。
霊夢はあっさりとした襦袢を着込み、黒髪はすでに解かれてた。
リズムをとっているのか、かすかに身体を揺らしている。
その様子を見ながら、
しっとりと色付いた肌や、ほつれた後れ毛とかを眺めながら、
霧雨魔理沙はごく自然に、
「どうしてボクは月に行けないんだろう?」と幼子が思うのと同じレベルの唐突さで、ふと思った。

――後ろから霊夢に抱きついたらどうなるんだろう?

こう、がばっと。
前触れも無くそうしたら、どうなるんだろうか?
霊夢はどう反応するのだろうか。
二人っきりの状況で、いったいどうなってしまうのか……

……気がつくと、魔理沙は立ち上がっていた。
なんだか視線が定まらない。
理性と意識が乖離してる。
一歩一歩がやけに重く、そして遅く感じた。
まるで夢遊病のように、ふらふらと霊夢に近づいていた。

その心の中――思い浮かぶのは一個のリンゴ。
楽園でイヴが食べたという、ちょっぴり危険で美味しそうなリンゴのことだけ。
その未知の味が、やけにリアルに想像できていた。
しゃくり、という触感までもがハッキリ分かる。
霊夢の後ろ姿、その首筋が――

「……おい?」

夢見心地な表情が我に返る。
ふらふらと歩いていた足が止まる。
まじまじとその背を見た。
冷水を浴びせ掛けられたような心地。

「ん? なによ」
「ひょっとして、お前、熱あるんじゃないか?」

背後から見た霊夢の首筋が、なんだかやけに赤かったのだ。

「ううーん?」
「あ、熱っ! やっぱるじゃないか! どうしてこんなになるまで放っておいたんだよ!」

額に手を当てると、驚くほどに熱かった。
見ると、額から玉のような汗が流れている。

「ははっ、なんかヘンだと思ったら、そうだったんだー」
「なに呑気なこと言ってるんだよ! これ、けっこうな熱じゃないか!? ああ、もう……!」
「大丈夫よ、こんなの寝てれば治るって」

『やーね』とでも言うように手を前に倒し、あはは、と笑う霊夢は、熱が出る初期に特有の、ハイな状態だった。
文字通り熱に酔っている。
自分自身では元気だと思っているから、こういうのはタチが悪い。

「いいから、寝てろ! 横になれ!」
「なによー。大丈夫だって、ほら、げんきげんき」
「んなこと言いながらふらついてるじゃないか! ほれ、いいから!」
「あ、そういえば、明日のあさごはんの準備が……」
「私がやっておくから! な? 頼むから動くな、霊夢っ!」
「んー?」

そんな熱で潤んだ目で見ないで欲しい。
魔理沙は心底思った。
頬っぺたは真っ赤で、唇もやけに艶っぽいし、なんだか誘惑してるようにすら見える。
酔っ払っている時と同じだが、違っているのは、その原因が高熱であることだけ。
つまり、酒臭くない分、さらに魅力的だ。

「う……」
「ほら、わたしげんきだし? それにはくれいのみこなんだし」
「いやいや、発音がおかしくなってるだろ明らかに。あと意味が分からないぜ……」

魔理沙の語勢にも力が無い。
熱増すほどに魅力も増す。
酔拳ならぬ熱拳だ。
その破壊力は並ではない。

「んん、そっか、な、あ……」

目が軽く閉じられた。
肩の力がすべて抜ける。
――ふらり、と霊夢の身体が崩れ落ちた。

「うわ!?」

慌てて抱きとめた。
ナイスキャッチで胸に収まった。
ジャストフィットな抱え心地である。
熱で倒れた霊夢は動かない。
密着してる魔理沙も動けない。
霊夢の体温が移って行くのを、魔理沙はリアルタイムでただ体感した。

――胸のうちの霊夢は、まるで小さな、熱病に魘された動物のようだった。
驚くほどに体温が熱い。
そのまま、時間が過ぎた。
なんとも濃密な、それでいてまったく動きのない時間。
呼吸しか許されていないような、硬質な空気に満ちていた。

「まりさぁ……」
「な、なんだよ」

掛けられた声にドキッとする。
その「魔理沙」は、普段とは明らかに発音が違っていた。
甘えるような、しっとりとした響きのある「まりさぁ」である。
まるで、寝ぼけながら言ったような、理性が介在してない言葉――

「んふふっ」

小悪魔的な含み笑い。
ちなみにヴワル図書館のではなく本式(?)のである。
潤み切った上目遣いに、魔理沙の背が、ぞくぅ、と戦慄く。
ひょっとしてコイツ、吸血鬼になってるんじゃ、と一瞬思った。
巫女とは思えない、あまりにも妖艶で、魔的な笑み。
魂すらも抜かれかねないほどの魅力的な―――

「――ちょっぷッ!」
「うあ!?」

魔理沙の額への手刀――というかチョップ。
見惚れ、油断していた魔理沙は直撃だった。
霊夢はケラケラ笑ってる。「やーい、ひっかかったひっかかったー!」などと指差し、腹を抱えて爆笑してる。
普通ならアッサリと避けられるはずのを喰らい、魔理沙は恥かしいやら悔しいやらだ。
バタバタと足が布団を叩いてる音が、なおさら神経を苛立たせる。

「ああ、もう! タチの悪いお前は酔っぱらいか!? ってか、ドキドキしてた私の時間を返せ! いやもう、ホントに寝ろ!」
「なーによー」

ぶうぶうと文句を言いながら、更に足をばたつかせる。

「まりさがキスなんてするから、いけないんじゃない」
「な!?」
「だからそのおかえし?」
「あ、あー、でも霊夢、ほら、あれは挨拶で……」
「んんー?」

じい、っと魔理沙を睨む霊夢。

「う……」

そんなのは、ただの言い訳にすぎないと自覚してるのでタジタジになる。
人間、痛い所を突かれたら、黙るか怒るしかできないのである。

「むむーん?」

面白がるように、小首を傾げて魔理沙を見てた。
下から覗き込むような格好だ。
魔理沙の身体は今すぐにでも逃げ出したがっていたが、その目は霊夢の黒瞳から離れない。

(コイツ、絶対、巫女じゃない)

悪魔の一種だと深く思う。
神聖に属するものが、こんな深くて魅了を湛える双眸を持つものか。

――その瞳に、機知と悪戯の光が灯った。

「ね、まりさ……」
「な、ななんだ?」

吐息の声が、すぅ、っと肌を通る。
身体に染みるような、謐かな声色だった。

「――」
「…………え」

待て、いま、コイツはなんて言った?
なにか、致命的にこちらの理性を粉砕するような言葉を放ったような気がしないでも無いような?
耳から入った情報は、のろのろと神経を辿り、脳内の部署をそれぞれにたらい回しにされた後になってようやく『理解』という結果に行き着いた。
やわらかく耳を包んだその言葉――


――――ね、おやすみのキスは、ないの?――――


「あ、ああ……あるぜ」
「ふぅん」

魔理沙は、それだけを何とか言った。
そういやここって布団の上だな、と思う。
心臓がバカみたいな早さで鼓動を打つ。

霊夢が、目を閉じた。
当然のような、あまりに自然な動作だった。
同時に体重を彼女に預けて寄りかかった。
見下ろす顔の、その汗の流れる様子に目が釘付けになる。
なにか、よく分からないラインのようなもの。それを踏み越えようとしてると魔理沙は自覚した。
決定的なそのラインが、目に見えるようだ。
掛け布団の柄が、妙に印象的に焼き付く。
心臓の音が、いやにはっきりと、スローモーに聞こえる。
――今日だけで何十回もしてるはずなのに、どうしてこんなに緊張するんだろう?

「霊夢……」
「……」

なすがまま。
抱えてる体重がとても重い。
けれど離す気にはなれなかった。
この重さを離すだなんて、とんでもない。

「霊、夢……」
「…………」

動かず、待ち受けるように、その場に或る。
自然石のような静謐と、彫像のような深さ。
まったく力まず、魔理沙に完全に寄りかかっている。
徐々に顔が近づく。
禁忌の実が近づく――

「霊夢……?」
「…………」

問いかけに反応しない。
それは『待っている』といよりも、文字通り『意識していない』ようにも見えた。

「お、おい、霊夢っ?」
「…………」

――なにか、
――凄まじく、
――イヤな予感がした。
どうして手がぶらん、下がってる?
なんで平穏そうな顔で口が半開きになっている?
まるで意識が無いような――――

「って、寝るなぁあ!!!!」

魔理沙の最大級のツッコミは、それでも眠れる巫女を起こさなかった。



 +++



「うー」とか、「あー」とか、「ちくしょー」とか言いながら、魔理沙はガリガリと頭を掻いた。
写経でもするべきかと悩む。
それとも出家して煩悩を祓おうか?
この真っ赤な顔や混乱した感情を沈めるのには、それぐらいしなければ無理だった。
傍らには、すやすやと実に平和な顔をした博麗霊夢が眠っている。
閉じた瞳の睫毛は長く、マッチ棒とか置けそうだ。
口は半開きのままで、すうすうと呼吸をしてるのが分かる。
なんかもう、今すぐにでもその平和な頬っぺたを引っ張りたい。
こう、両側から、むにゅ~、っと。

そうやって起こした後にどうするか、とかはあまり考えない。
考えないようにする。
家出同然で出て行った家族に謝らなければいけないようなちょっとばかり想像過多な映像が過ぎった気もするが、とにかくこっちをこんな気持ちさせておいて、平穏かつ安楽に眠るその性根が許せないのだ。
ああ、そうとも。あんな爆弾発言をしておいて、そのまま逃げるだなんてまったくもって言語道断。
ここで引き下がっては魔女が廃る。
そう、これはそういった、矜持とか責任とかの問題なのだ。
けして『挨拶』の続きがしたいとか、この先はどうなるんだとか、幻想郷の中心で愛を叫ぶ霧雨(ケダモノ)とか、結婚の日取りを決めなくちゃとか、頑張って魔法薬で生やさなきゃ(?)とか、そんな問題ではないのである。
あと、お休みの挨拶がまだなのに、快眠とかしてはいけない。
そんなの、許しがたい大悪事である。

「ウン」

鼻息も荒く自己肯定した。
力強く握られた拳には、不退転の決意が漲っていた。
霊夢へと顔を向ける。
ちょっと迷ってから、天井に点けてあった魔法光を小さくする。
完全に消さないところがポイントである。

「さて……」

じい、っと見つめる。
しどけなく横たわる様子。
目尻や頬は朱に染まり、触れなくてもその熱が伝わってくる。
呼吸は湿っぽく、また、小刻みで、それに同調するように胸が上下に動いてる。
月が動く音が聞こえるような、そんな静かな時間。
夏虫や小動物がバサバサと飛ぶ音が、たまにアクセントのように発生し、それだけが時間の経過を示してた。

「……」

なんとなく、両手を合わせる。
ちょうど神前に祈るような形。
つい数時間前に食前にしたのと同じ格好。
妙に神妙な心地で、魔理沙は呟いた。

「いただきます、だぜ……」

ぺこりと一礼。
下がった頭が上がった時、金色の瞳は、これ以上ないほど輝きに満ち、飢えた獣となっていた。
油断無くエモノを刈り取る、知恵ある老練な四足獣の顔つきだ。
枕に頭を横たえただけの、布団の上に身体を投げ出してる霊夢に近づく。
ちょうどのしかかるような体勢で、本当に喰らおうとするかのような熱心さで見つめ、覆い被さった。

「霊夢――」

自然とこぼれた声が、とても切なく耳に響いた。
ほんの半日前まで、相手が『ただの腐れ縁』であったことなんて思い出せない。
そんな気持ちでいたことが信じられない。
蒼く沈んだ、深海のような景色の中。
魔理沙は顔を近づけた。
なぜか、とても神聖なことをしている気分だった。
そして同時に、とんでもない禁忌を犯してる気持ちもあった。
すうすうと眠る霊夢の様子は、まるで無防備で、手をほんの少し伸ばせば触れられる。
赤い顔をしているその表情――わずかに眉をひそめてる顔を見ているだけで、クラクラと意識が酩酊してくる。
肺は苦しいほどに収縮と拡散を繰り返し、それでも酸素はまったく足りない。

「霊夢……」

もう一度呟き、
顔を斜めにする。
外のザワメキなんて聞こえない。
世界から音が消え失せる。
目をゆっくりと閉じ――


――る寸前で顔をのけ反らせた空間に寸毫の遅延も無く紅い閃光が滑走して通り過ぎた。


紅の爆発が、一瞬だけ世界を染めた。
空気が左から右へと叩き付けられる。
金の長髪がすべて右方向を示してから下へと戻った。

「…………エ?」

反射的な行動のその後で、理解は遅れてやって来る。
鼓動が別の理由で速い。
右を見てみると、槍状のエネルギー体が、柄を揺らして突き刺さっていた。
三角帽子も所在なげに転がっている。
左を見てみると大穴が開いており、そこから投擲直後の体勢の吸血姫が、肩で呼吸をしながらこちらを睨んでた。
直に吹く風がとても冷たい。
背中が凍えそうなほど。
ギリ、っと歯が咀み合わさる音が同時に聞こえた。
室内との温度差100℃を越えると確信させる極寒が、そこにはあった。

「なにを、してるのよ……」

レミリアの声は、かすれた小さいものであったにも関わらず、魔理沙の耳にハッキリと響いた。
そこに込められている情念が通常値を遥かに越え、呪言の域にまで達している。

「あー」

中途半端な体勢から、ゆっくりと上半身を起こす。
魔理沙は現状を認識した。
つまり、

「邪魔しよう、ってのか?」

レミリアを睨みつけながら、霊夢の額に触れる。
熱さを感じつつ、前髪をそっと梳き上げた。
魔理沙の指の冷たさに安堵したのか、霊夢はわずかに表情を緩ませた。
その、親密さを端的に示す光景を前に、外の鬼は更に空気を凍らせる。

「……邪魔? 違うわね、助けに来たよの。悪い魔女に誑かされた犠牲者をね」
「はは、面白い冗談だな、それ。私は吸血鬼に襲われそうだった被害者を救っただけだぜ?」
「意地悪な魔女に閉じ込められた姫を救うのは勇者の仕事。そして、その後に結ばれるのも当然の義務よね」
「悪い化け物を退治してメデタシメデタシ。ふたりは幸せに暮しましたとさ、そんなのが物語の結末には相応しいよな?」
「貴女の運命はもう終わり、ここから先に未来はない。見えない物語をさもあるように言うのは止めた方がいいわ。それは見苦しくて、とてもとても滑稽よ」
「運命なんかない。私の道は私が作る。誰に指図される覚えも無いぜ。そっちこそ妄想を現実ものものだと錯覚しちゃあ笑われるぜ? 主に私とか巫女とかに」
「そう――」
「ああ――」

決然と魔女は立ち上がった。
悠然と吸血姫は歩み寄った。
甘い空気は既にそこには無く。
血と鉄火だけが充満する、殺戮の戦場へと変貌してた。


「なら殺し尽くしてあげるわ、黒い魔女!」
「こっから先は通行止めだ、紅い化物!」


二種の魔力の高まりが天を突く。
衝撃波が夜を震わせる。
その威を前に両者を隔てる壁は砕け散り、温暖と極寒が混交した――――

















……どうして私が何も考えずに書くと、徐々に物語が血生臭くなってしまうのだろうなあ、とか思う今日この頃です。
後編はまだ書きあがってないので、もうしばらくしてからです。
nonokosu
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コメント



0.1730簡易評価
9.70削除
なんつーか、頑張るなぁレミ様。あと無理した所為で寝込んでるであろうパチェ萌え。

ふと、サブタイトルが「愛はニンニク臭を越えて」とかだったら色々と台無しだなぁと思いました。台無しなのは私の脳ですが。
11.80まっぴー削除
>しゃちほこ(違)氏
それは台無しだ。いろいろと。

さて、ようやく主犯が登場。これからの勝負に勝つのはどちらか!?
そして、レミリアは種族的弱点を克服できるのか!?(無理
次回「キス境 ~愛はニンニク臭を越えて~」後編!
たまりニンニクをつまみながら待てっ!(自家製醤油漬けニンニクウマー
42.100名前が無い程度の能力削除
誤字訂正
「……邪魔?違うわね、助けに来たよの。」
>助けに来たのよ、かな