天才って貴女の為にある言葉よね、そう言われたことがある。
その言葉を否定する気はない。あら、思い上がりですって?
確かに自惚れは自覚しているけれど──それでも紛れもない真実。
私は幼い頃から、どんな薬だって作ることができた。
薬品を手に取るだけで、それがどんな特性を持っていて、
何と混ぜ合わせれば良いか、その結果どんな物質になるか即座に判った。
月の大学で「~~法」だとか「**論」の講義を受けたことがあるけれど、
むしろ疑問だったのは、その講座の『存在理由』だった。
なぜ、そんな簡単なことを仰々しく説明する必要があるのかと。
息をするのと同程度の、直感だけでこなせる技術ではないかと。
教授の目の前で『それ』を実践したら、彼は十日ほど寝込んでしまった。
今考えれば当然のことだ。彼の孫と変わらない年齢の小娘が、
自分の生涯を捧げてまで習得した技術を『直感』でやってのけたのだ。
今になってみれば悪いことをしたと思っている。反省。
ま、そんなわけで、私は『作りたい薬』さえ決まれば、
後は自然と、材料、分量、調合方法が頭に浮かんでくる。
だから、その気になりさえすれば、
うちの引き篭もりを忽ち勤労少女に変える精神薬も、
どこぞの亡霊嬢の食欲をたちどころに抑える胃腸薬も、
紫モヤシを筋骨隆々のミスユニバースに変える増強剤も、
さらに、幻想郷で一番需要が高いであろう、副作用ゼロの豊胸薬だって、
私は難なく製造する事ができる。なんなら今から三分で作ってみせる。
え? 何故作らないのかって?
そんなの──このままが面白いからに決まってるじゃない?
口では気にしないなんて言っていても、皆、時々チラチラ私の方を見るの。
嫉妬の篭もった視線が胸の辺りに注がれて、私はワザと気付かぬフリをする。
そんな密かな楽しみ、みすみす手放したくないじゃない。ウフフフフ。
────我ながら、ちょっとイジワルだったかしら?
やれやれ。『こういう夜』は、どうしても情緒不安定になってしまう。
無理もない───私でも作れない薬がこの世に存在するという事実を、
身をもって証明しないといけないのだから。
そう──この私にも、未だに調合できない薬が二つだけ存在する。
一つ目、それは『蓬莱の薬』の解除薬。
こればかりは、全く目処が立たない。
『蓬莱の薬』自体は簡単に調合する事ができたのに、解除方法となるとサッパリ。
一度、魂魄レベルで別次元に分離させた生と死を、
再び一つの状態へと結びつける方法が、今の私には思いつけない。
ただし、カグヤとの関係をまだまだ続けたいと思っている私には寧ろ好都合。
当分の間はこれで良いと思っている。
そして二つ目──、それは『私』自身に効く薬。
理由は未だに判らないけれど、私の身体は一切の薬を受け付けない。
八意家は代々薬師の家系。薬作りの天才が生まれる事は其程珍しくない。
──けれど、『薬が効かない体質』なんて古今聞いたことがない。
『何故、私には薬が効かないのか?』という疑問を解消することは、
私が薬学に傾倒した理由のひとつであり、最終目標でもあるのだ。
今までどんな毒や薬を飲んでも、何の効果も及ぼさなかった。
だから『睡眠薬』なんて基本薬品は、どれだけ接種しようと眠くなることは無い。
今だけは、それがもどかしくて堪らない。
何故なら──こんな眠れない夜は、ただただ耐えるしかないから。
そう、私は今、救いようがないくらい『眠れない』のだ。
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月師想話~前編:凍る月~
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一睡もできない夜が続き、かれこれ一週間になる。
これほど本格的な不眠は『あの夜』以来だろうか。
不思議と肉体的な不調に苛まれることはないけれど、
精神的には結構参っている。今日も兎達に辛く当たってしまったし。
思いきり瞼を閉じて、頭から布団をかぶってみる。
けれど目が痛くなるだけで、一向に睡魔に襲われる気配はない。
柔軟体操や、水分補給なんて古典的な方法は言うに及ず。
こうなったら羊でも数えてやろうかしら?
普通なら、お酒の力に頼るというのが常套手段なのだろう。
でも残念なことに、私はその方法に頼ることができない。
いい気分にはなるものの、薬同様、アルコール類も何の効果も及ぼさない。
この時ばかりは、自分の体質を恨む。
これは駄目だ。自分でも判る。絶対に………眠れない。
横になっていても、何の解決にもならないだろう。
こう何日も眠れないと、明日に障るだろうし………
久々にカグヤのところへいってみようかしら。
時計を見ると丑三つ時。流石にぐっすり眠ってる頃でしょうね。
でも、無理に頼み込んで、久しぶりにしてもらおうかしら。
世間ではニートだの職無しだの、無能力者の様に言われるカグヤだけれど、
彼女のテクニックは侮れない。その繊細な指使いに、いつもウットリさせられる。
あんな細い腕してるくせに、私の肌に触れるカグヤの指は情熱的で力強い。
腰の使い方が上手いのだろうか? 私に加わる彼女の体重がやけに心地良い。
何処であんな事覚えたのかしら。月の姫君のくせに。
本当に──カグヤの指圧マッサージは一級品だ。この私が保証する。
昔から眠れない夜は、そうやって身も心も解きほぐして貰ったっけ。
なんせ『あの悪夢』を見た後は、決まってこんな状況に陥るのだから。
(決めた──カグヤの所へ行こう)
流石に今からマッサージを頼もうとは思わないけれど、
カグヤと昔話でもすれば少しは気が紛れるかも知れない。
私は思い立って、障子を開き縁側へと歩み出た。
(ううっ──、寒ッ)
思わず身震いする。底冷えがひどい。触れた床板から冷気が食い込んでくる。
夜空に浮かぶ満月が──嫌にクッキリと輝いて見える。
『凍える月』なんて表現する人もいるけれど、今のアレはまさにそれだ。
冷気の屈折率が織りなす単なる物理現象に過ぎないというのに、
今の私には、何か不吉の前兆の気がしてならない。
そういえば──レイセンが居なくなったのも──こんな夜だった。
『あの悪夢』で最後に残るのは、──いつもあの子なのだから。
~ § ~ § ~ § ~
その悪夢は、砂漠の風景と共に始まる。
見渡す限り一面の砂丘を、私達は黙々と歩き続ける。
夢の中の私は十名程の部隊を率い、とにかく前へと歩を進めている。
けれど私自身、どこへ向かっているのか判らない。
遮蔽物の無い砂地のせいか、月が一際大きく輝いて見える。
青白い光は砂の傾斜を照らし、白と黒の神秘的な模様を描いている。
そんな美しい光景とは裏腹に、砂漠は私達を執拗に痛めつける。
踏みしめる度に砂が足に絡み、思うように進むことができない。
更に厄介なのは、時折駆け抜ける強烈な『砂嵐』
砂粒を含んだ烈風は、さながら紙ヤスリの如く私達を傷つける。
そうでなくても身を切る様な寒風に、私達はじっと縮こまり耐えるしかない。
けれど『砂嵐』の真の恐ろしさは別にある。
『砂嵐』が駆け抜けた後には、必ず誰かが消えているのだ。
何度も砂嵐が過ぎ去り、その度に誰かが消えていく。
最後に残るのはいつも────私とレイセンの二人きり。
それでも私達は、決して離れぬ様に互いの手を取って、
お互いの存在を確認しながら、一歩一歩確かめるように歩んでいく。
でも──ここからが真の悪夢の始まり。
突如、私達の足下が揺らぎ、巨大なアリ地獄へと姿を変える。
まるで渦潮の様に砂が流れ落ち、まともに立つことすらできない。
私よりも中心に近い彼女は、直ぐに腰上までズブズブと埋もれていく。
手を放すまいと必死に手を握り続ける私も、やがて砂に飲まれていく。
ぼんやりと私を見つめながら、力無く埋もれていくレイセンの手を、
私は力の限り必死に掴み続ける。
けれど嘲笑うかの様に流砂の勢いは強まり、
目まぐるしく変化する圧力に翻弄され、ついに、手を放してしまう……
そして、夢の終わりはいつも同じ。
見知らぬ砂地へと運ばれた私は、今度こそ一人きり。
彼女が消えるのを防げなかった私は、只一人黙々と砂漠を歩き続ける。
………行く当てもなく、永遠に。
これが、私の見る悪夢。
レイセンが居なくなってから、ずっと見続ける悪夢。
~ § ~ § ~ § ~
意外なことに、カグヤの部屋は空っぽだった。
カグヤの行き先は何となく判る。多分──妹紅の所だ。
確か夕食後にそんな事を言っていた。
ふぅと溜息を付き、仕方なく自室へと引き返すことにする。
全く──カグヤはどうして妹紅という存在に、あそこまで拘るのかしら。
やはり高貴な育ちの人間というものは、
手に入らぬアウトローに憧れるものなのだろうか。
これではまるで通い妻。いえ、ふらふらと遊び歩く不良娘じゃない。
そのうち妹紅が「お宅のお嬢さんをください」なんて乗り込んで来たりして。
そしたら──彼女を迎えて三人で暮らすなんてのも悪くないわね。
差詰め私の配役は姑かしら? 妹紅をイビりつつ二人の孫を楽しみにして……
…………いい加減、くだらない妄想は止めよう。
心なしか更に気温が下がった気がする。
それにしても、この時間まで帰らないとは少し心配になる。
様子を見に行った方が良いのだろうか。
カグヤまで居なくなったら私はどうすれば良いのか、と不安になる。
そうでなくとも『あの悪夢』の後は──誰かが居なくなる様な気がしてしまう。
根拠はない──けれど、前例があるのだから仕方がない。
ずっと一緒だと言ってくれたレイセンは──、
こんな満月の晩に、私を置いて出て行ってしまったのだから。
そんなに月が恋しかったのだろうか?
月の民を裏切ることに、其程の抵抗を感じていたのだろうか?
師匠としての私の振る舞いに──何か至らない点でもあったのだろうか?
結局、彼女が逃げ出した理由が今になっても判らないままだ。
レイセンの最後の言葉が脳裏を過ぎる。
『 私は師匠に効く薬が作れるまで、ずっと一緒にいますから……… 』
………いえ、ちょっと待って?
何かが気に掛かる。何だろう、この違和感。何か──何か──
……そうだ、誰かが同じ台詞を言っていた。
つい最近。ごく数時間前だ。確か、あれは……
………………………ウドンゲ?
そうだ、今日の夕食後、ウドンゲとした会話だ。
──まずい。
何か良くないことが起きている。
──マズイ、マズイ、マズイ、マズイ、マズイ、マズイ、マズイ、マズイ──
私の内側から、何かがそう警告を発している。
モヤモヤとした不安が忽ち胸中に広がっていく。
私は薬師。科学者として、あまり非科学的な事柄を肯定したくない。
事実、間違いなく『ウドンゲ』と『レイセン』は別人、もとい別兎だ。
だから、ウドンゲがレイセンと同じ行動を取るなんて愚にも付かない妄想の筈。
けれど同じ名を持つ二羽の月兎が、時空を越えてシンクロしているという考えを、
どうしても振り払うことができなかった。
月から永遠亭に逃げ込んで来たウドンゲが、自らの名をレイセンと名乗った時、
私は何か運命のようなものを感じざるを得なかった。
『ウドンゲ』と『レイセン』はとてもよく似ていたから。
外見ということではない。彼女達の仕草、話し方、雰囲気がそっくりだった。
だからこそ、わざわざレイセンを思い出さずに済む様に、
ウドンゲには『鈴仙』という宛字と、『優曇華院』という愛称を与えたのだから。
ドタドタと縁側を鳴らしてウドンゲの部屋へ急ぐ。
「ウドンゲ、入るわよ?」
一応、声を掛けてから障子に手を掛ける。もちろん返事はない。
こんな真夜中なのだからと、無理に自分に言い聞かせて障子をひらく。
けれど、ウドンゲは居なかった。
なんて嫌な偶然だろう。
もしかして、私はあの『凍える月の晩』に戻ったのだろうか。
デジャビュ。あの流れる雲の形まで同じように思える。
レイセンの魂が、ウドンゲを呼び寄せている。
そんな考えをどうしても振り払うことができなかった。
(いけない………)
弱気になっているのだろうかと、首を振りつつ行動を起こす。
もう一度、注意深く室内を調べる。
普段着のブレザーはもちろん、買い与えたコートが無くなっている。
トイレや台所も探してみたが居る気配は無い。やはり外へ出ているのだ。
『あの悪夢』の内容が脳裏に浮かぶ。レイセンの最後の言葉が胸を締め付ける。
私の直感が警告する。『これは何か良くないことが起こる』と。
だって、レイセンが消えたのも、こんな凍える様な満月の晩だった。
月兎であり、
私の最初の弟子であり、
地上に連れてきた使者の一人であり、
そして、こんな夜に逃げ出して、二度と戻ってこなかった、レイセンと……
私は急いで自室へと戻り、手早く衣服を着替えると、武装を手に月夜へと踊り出た。
もう二度と過ちを繰り返さない。その誓いだけを──胸に秘めて。
《~~続く~~》
えぇ、騙されましたとも騙されましたともさ! そうさ私は下方一直線さ!
むしろフルカラーで幻視(絵:如月 亮氏)しましたともさ!
それはさて置き。
レイセンとウドンゲ。錯綜する過去と現在。いなくなった二羽の運命とは。
続きが楽しみですわ。
レイセンとウドンゲが別兎とはそういうことだったのか…。
語り口調が好みのものなのですいすい読めました。
では中篇へ行って来ますね。
※旅団=陸軍の部隊単位でもあります。
師団と連隊の中間ですからかなりの人数です。
まあ、ちょこっと気になったので一応。
調べてみましたが、確かにぜんぜん違いますね。
ご指摘ありがとうございました。