ふと、前方に漠とした光の帯が見えてきた。
山をいくつか越えた先、その光は山間の盆地から発せられていた。
そしてそれが目標だったようで、箒の高度と速度がみるみるうちに下がっていく。
「うし・・・着いたぜ、パチュリー」
鳥の着地のように緩やかな曲線を描いて箒が地に近づく。
そして数十mの滑走、停止。降り立った場所は光の帯をやや避けた格好で、足元には石畳が敷き詰められている。
周りを見れば木々が程よく茂り、月の光を真っ直ぐ地に通してくれていた。
「ここ・・・・どこ?」
「幻想郷の中である事は間違いないな」
「そうじゃなくて・・・ここでは一体誰が何をしているのかと聞いてるのよ」
目の前には、ほんの少しばかり見慣れぬ光景が広がっていた。
降り立った場所の先――淡い光の向こう側に、建物のような影がチラチラと見えた。
よく見ると石畳も荒れているようではなく、手入れが行き届いている。恐らくここは、日常的に往来があるのだろう。
「流石にあそこまで飛んで行くのは気が引けたんでな。ここから歩きだぜ」
「・・・・・質問に答えてくれる気はないのね」
「百聞は一見に如かず、って言うだろ?・・・なに、すぐに分かる」
「どうだか」
「お前の足じゃ十・・・いや、二十分ってとこかな」
言いながら、魔理沙は歩き出していた。箒を肩に担ぎ、まるでその辺りを散歩するようにゆっくりと。
・・・・・もしかしたら私を待っているのかも知れないけれど。
だから、慌てて私も後を追った。
魔力の灯りを点し、人魂のように周りに飛ばす。
灯りを点した事に加え、それなりに舗装されている道だから躓くような事はないが、道を逸れたら何がいるか分からない。それが物盗りの人間とかなら怖くもなんともないが、もしも意地の悪い人間以外が闇討ちを仕掛けてきたら・・・・・・
ぎゅっ
邪な気持ちなど全くなかったはずだ。
例え人間以外が相手でも、その辺の野良が私達に敵うはずはない。
なのに手を伸ばしたという事は、心のどこかで野良妖怪達を恐れていたのかも知れない。
それとも、いざという時は魔理沙に頼ってしまおうと思っていたのかも知れない。
・・・・ともあれ、無意識のうちに伸ばした私の手はすぐ前を歩く魔理沙の手を捉え、
彼女は私を拒む事なく、指と指は絡まり合い・・・
手と手を繋ぎ、私達は横に並んで歩き始めていた。
「・・・・・・ねぇ」
「ん?」
「この道・・・何か出たりしないわよね?」
「何かって、何が?」
「分かってるくせに」
体はまるでお風呂上がりのように火照っているのに、言葉だって今にも震えそうなほど緊張しているのに、手を放そうだとか終始無言でいようとかそういう考えはこれっぽっちも浮かんでこない。
まるでこうする事が当然のように、魔理沙と対等の位置にいるのが当然のように。手が、舌が、自然に動く。
「・・・何が出るのか・・・・・じゃあ、まずは後ろを見てみな。ゆっくりだぜ?」
「後ろ・・?・・・・・・・・・・あっ」
恐る恐る振り返った先には、人影が二つ見えた。
背格好や容姿は暗くてよく分からない。だが私達を意識しているのかいないのか、ゆっくり歩いてくるその様はどこか余裕と不気味さすら感じさせる。
「どうだ?」
「どうって・・・・・暗くてよく分からないし、気配も読めなかったわ」
「ああ・・・私にも微かにしか気配が感じられない。つまりそういう事なんだよ」
どんな生物にも、殺気に代表されるような気配がある。それは妖怪や妖精といえども例外ではない。
また、殺気でなくとも魔力や妖力などが気配として滲み出てくる事もある。現に、横を歩いている魔理沙の魔力は肌に感じるほどだし、私の魔力も魔理沙は感じている事だろう。
だが後ろからやって来る者は、そういう気配を全くといっていいほど感じなかった。微弱すぎるのだ。
よく訓練された暗殺者は自らの気配を殺しながら行動ができる、と聞いた事がある。
ならば、後ろからやって来る者もそういう類の能力を持っているのだろうか・・・?
「どうするの、魔理沙」
「・・・どうもしないさ。このまま歩くぜ」
「歩く、って・・・・このままじゃ・・・・・・!」
後ろの二人の方が、私達より歩くのが若干速いのだ。振り返るたびにその差が徐々に迫ってくるのが分かる。
このままではいずれ追いつかれる・・・・・なのに、焦る私をよそに魔理沙は相変わらずのんびり歩いている。
負けるつもりはないが、もしかしたら襲われるかも知れないというのに・・・!
「心配か?」
「・・・・・・え?」
「大丈夫だよ。全然大丈夫だ」
ぎゅっ
「・・・・・・・・・・・・!?」
「私を信じな。何も怖がらなくていいから、真っ直ぐ歩け」
「・・・魔理沙・・・・・・」
私の方から魔理沙にすがりたい程だったのに、魔理沙の方から手を握り締めてきてくれた。
同時に私の体も引き寄せられて、肩と肩が触れて弾かれる。
思うに、魔理沙の言葉は不思議だ。
なかなかどうして綺麗な声をしているのに、その言葉遣いは男の子のようで。
男の子のような言葉遣いをしているのに、一言一言はどこか温かくて優しくて。
その優しい言葉で、私はいつも力づけられる感じがする。
だから、魔理沙が大丈夫と言えば大丈夫なのだろう。
見た事もないような弾幕地獄が後ろから迫ってきたとしても、きっと魔理沙と一緒なら切り抜けられるのだろう。
痛いくらいに強く握られた手を、お返しにと私も握り返す。
ザッ、ザッ、ザッ。
石畳を踏みしめる音がだんだん近づいてきた。
そろそろ振り向けば、相手の顔くらいなら確認できるだろう。
だが魔理沙は前へ行けと言わんばかりに何度も私を促す。
そして、後ろから現れた人影は遂に私達と並び・・・・・・
(・・・・ッ・・・・・・・・・・・・ぇ?)
無意識に体を強張らせていた私を尻目に、その人影は『何もせず素通りしていった』。
見た目は黒髪の少女二人、背格好は咲夜と並ぶ程度か。
翼も獣耳も持たず、今の私と同じような格好をしていて、至近距離に来ても大した気配は感じられない。
それどころか私達に対しては一瞥を寄越すだけで、二人して何やら談笑しながら歩き行く始末。
横に並んだほんの一瞬、横目でどうにか捉えた相手の姿だったが、その容姿は普通の人間そのものだった。
「・・・・・な?分かっただろ?」
「・・・・・・人間?」
「まあそういう事だ・・・この辺は瘴気や魔気が特別薄くってな、妖怪が通りすがる事は稀にあっても居つく奴はいないんだよ。だから安心して歩け。な?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・うん」
言われてみれば確かにそうだ。後ろから来た人間と同じように、この辺りの空気からも殆ど何も感じない。
紅魔館の周りは蜘蛛の糸が重く絡みつくような濃密な空気を感じる事があるのだが、ここに来てから妙に身が軽い。
どこか中身の抜けたような空虚な軽さだが、それは私が人間以外であるからなのかも知れない。
ともかく、無害と明らかになった二人は道の先へと消えていった。
・・・それにしても、私ったら警戒損・・・・・・・?
「ん、お前が知りたがってた答えが見えてきたな」
「え?」
「もうひと踏ん張りだ・・・気合入れて逝くぜ?」
人間二人を気にしすぎるあまり、どれだけ歩いてきたのか全く把握していなかった。
そういえば最初は彼方にあった光はかなり大きくなってきて、他の人間の姿もチラホラと見えるようになってきて。
そして、その足は私達と同じく一様に光の下へ向かっていた・・・
光の正体は、いくつもの『露店』の灯りだった。
そういう物が存在するというのは文献で知っていたが、実物を見るのは初めてだ。壁のない小屋を建て、そこで食べ物や玩具を売る・・・なるほど文献の記述と一致する。
その露店は石畳の道を挟み込むように並び建ち、道行く人を惹きつけんと色とりどりの光と看板で辺りを彩る。
さながら、七色の弾幕の道がそこにあるかのようだ。
そして光の帯の先・・・露店街の終着先には神社があった。
博麗神社よりも立派な鳥居、博麗神社よりも広い境内、博麗神社よりも広い本殿。
しかしその本殿は一切の光の装飾を拒み、自ら闇を創り出しひっそりと佇んでいる。
そこには自ずと光と闇の境界が生まれ、本殿が『人ならざる領域』の全てを一身に背負っているようにも見えた。
「凄いわね・・・・・・」
「今夜は近くの里の縁日・・・みんなで神社にお参りに行こうって日なんだ。パチュリーはこういうの初めてだろ?」
「え、ええ・・・」
私が首を縦に振るのが分かっていたかのように、または私の答えにお構いなく、境内の中ほどまで来た所で魔理沙は私の手を引き来た道を引き返す。
本殿の闇に慣れ始めた目に飛び込んできた七色の光が、少し眩しかった。
「先立つ物もたくさん用意したからな。今夜は、弾幕とか魔法とかそんなの全部忘れて遊ぶぜ!」
そう言って魔理沙がエプロンから掴み出したのは、大小さまざまなコインだった。
人間の間で使われている通貨なのだろう、光を受けてキラキラと輝いている。
しかしまだエプロンのポケットには沢山入っているようで、薄暗い中でも歪な膨らみが見て取れた。
「・・・本当はあなたが遊びたいんじゃないの?」
「あ、ああ、それも少しある・・・・・ていうか今夜は私がお手本になってだな」
「率先して遊び倒したい、と」
「・・・・お前も絶対遊び倒すようになるって・・・ほら、行くぜ」
帽子を目深に被り直し、私の手を引いて歩き出す。
魔理沙はいつも男の子ぶってるくせに、ちょっと照れたり私が痛い所を突くとこうして私の視線を逃れるのだ。
そして今夜は、背を向けて私の手を引いて行った。きっと、これも彼女なりの照れ隠しなのだろう。
さて、星座の数程度にはありそうな露店の中から魔理沙はどこを選ぶのだろう・・・
照れ隠しを見せる魔理沙の姿を楽しみつつ、この事も楽しみになってきた。
「あら」
「どした?」
「魔理沙、あれ・・・・・」
魔理沙が私をリードし、どこへでも連れて行ってくれる・・・そんなシーンを私は期待していたし幻視もした。
・・・・・・だがそんな幻想は驚くほど呆気なく、しかも自分の好奇心で破られてしまった。
好奇心というのも時には考え物だ。
「ここでは生きた魚も売ってるの?」
「魚?・・・・ああ、アレか」
たまたま視線を寄せた露店にて見つけた物。そこには、大きな水槽に沢山の小魚が泳いでいたのだ。
私の掌にも余裕で乗ってしまいそうな小魚は橙色に輝く鱗を纏い、ある時は群れを成し、ある時は一匹狼となって(魚だけど)、水槽の中を所狭しと泳ぎ回る。
これだけ小さいと食用という事はないだろう・・・色も綺麗だし、せいぜい観賞用といったところか。
「アレは『金魚すくい』って言ってな、紙の匙であの魚を掬い取るのさ。匙が破れるまでは取り放題だぜ」
「取り放題、って・・・・・紙なんかじゃすぐに破けちゃうわ」
「それがそうでもないのさ。試しに一回やってみな」
店の主人にコインを渡し、引き換えに渡されたのはお椀と匙。
お椀は何の変哲もない物だが、匙はというと丸い枠に薄紙が一枚貼り付けられただけという何とも心細い物。
これを水の中に入れ、あまつさえ魚を掬い上げろと言う・・・人間もなかなか無茶を言うものだ。
「・・・・・・・・・・・・」
だが紙を水につけている時間と魚を載せている時間をできるだけ短くすれば、或いは可能なのかも知れない。寧ろ、それが魚を掬い上げる唯一の手段なのだろう。
それを実行するには相応の速さと正確さが要求される筈だが、果たして私にできるのだろうか・・・?
呼吸を整えて、掬う魚に狙いを定める・・・・・・!
「すぅ・・・・・・・・・・・・ え い っ ! 」
バチャッ
「あ・・・・・・・・・」
水面近くの魚を狙い、自分の精一杯の力で匙を振り下ろした。
魚に逃げられる事なく、紙を破く事もないはずだった。
だが、私は水の抵抗という物を計算に入れていなかった。
匙が水に潜るや否や、不自然な抵抗が腕まで伝わってきたのがよく分かった。
その抵抗は腕に負担をかけるほどではないが、真っ直ぐ潜っていった匙の角度を変えるには十分で、
急激に角度を変えられた匙は併せて速度も殺されゆるゆると水を扇ぐのみ。
そこへ悠々と魚がやって来て、私を嘲笑うかのように紙を破り・・・
私の渾身の挑戦は、ほんの数秒もせずに終わってしまった・・・・・・
「・・・・・・」
「あーあ、惜しかったなパチュリー」
呑気な顔で魔理沙が言う。まるで、私が失敗するのが最初から分かっていたように。
・・・では彼女はどうなのだろう。『そうでもない』と事も無げに言う彼女の自信はどこから来るのだろう。
彼女の腕前、自信の程を試してみたい。
「・・・じゃあ、お手本を見せてもらおうかしら」
「ん?」
「魔理沙はどういう風にして魚を取るのか、参考にしてみたいの」
「んー・・・・・・・・・・・・私のやり方はお前には真似できないかも知れないけど」
言いながら、それでも嬉々とした表情でコインを消費する魔理沙。
自分の技(?)を見せびらかしたいようで、匙を持ちつつ関係なさそうな関節をコキコキ鳴らす。
「見るだけなら、まあいいか」
その瞬間、魔理沙の形相が一変した。
彼女は大抵どんな時でもある種の軽薄さを忘れない。
それは余裕とはまた少し違う、その場の空気を楽しもうとする心意気のような物か。
だが、今の彼女にはそれが消え去っているように見えた。真剣の中の真剣、完全に神経を集中させているようだ。
「金魚すくいの極意って奴を教えてやるよ・・・それは、魚を掬い上げる事じゃあないんだ」
「?・・・・だって、魚・・・金魚を掬うから金魚すくいなんでしょう?」
「確かに、そう思ってた時期が私にもあったさ・・・だけど、私がたどり着いた結論は全く違う物だった・・・・・・」
匙を持った手を後ろに構え、水面の一点をキッと見据える。狙う先は、目の前の領域一点のみ。
だがその構えはまるで、匙を扱うというより物を投げたり刃物で斬りつける為のそれに見えてくる。
「見ろよ・・・私がたどり着いた金魚すくいの極意とはッ!水を斬る事にあるッ!」
ヒュパッ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
魔理沙の言っている事が最初は理解できなかった。
だが、目の前で起こった現象は強引に私の脳を理解へと導いてくれている。
彼女がやって見せた事は、まさに文字通り『水を斬る事』だったのだから・・・
斜めにきれいに斬り分けられた水の塊はまるでチーズのよう。私だけではない、この露店の主人も、周りにいた人間も、等しく目の前で行われた行為を疑い口をあんぐり開けていた。
「斬撃『森羅十戒』・・・箒で空を飛ぶのと同じ理屈で魔力による局地的な加速をするわけだ」
魔理沙の言葉が終わったあたりで、斬撃と称された一閃の『第二の影響』が漸く出始めた。
斬撃によって空白となった空間に水が殺到する。水と水がぶつかり合い、小規模の水柱が吹き上がる。
そして水柱の中から、巻き込まれたと思われる金魚が一匹飛び出てきた。魔理沙はこれを狙っていたのだろう。
飛沫を率いて放物線を描き、金魚は私が持つお椀の中へ・・・・・
ポチャリ。そのまま何もなかったかのように泳ぎ続ける。
「へへっ・・・この速度で斬れない物など、何一つないぜ」
まるでどこぞの庭師のような言い方をする。
しかも『何一つない』と断言する辺り、どこぞのアレより凄いかも知れないし彼女らしい。
「凄い、素手で水を・・・・・・ていうか水を斬るってだけで凄いわ」
「弾幕ごっこには使えそうにないけどな。それに、コイツには致命的な欠点があって・・・・・・」
「欠点?」
今の技(?)にそんな物があるのだろうか。
目にも留まらぬ一瞬の動き、近接戦で使われたら防ぎようも避けようもなさそうなのに・・・
「一度でも使えば、金魚すくいが成り立たなくなっちまうのさ・・・ほれ」
ちゃぽん。
水から出した匙は、既に原形を留めていなかった。
枠を形作る素材―――『プラスチック』という物だと文献で目にした事がある―――は千切れ、歪み、
枠の内側に貼られた紙もボロボロに破れている有様。
水に潜った時の強烈な抵抗に耐えられなかったのだろう、これでは紙を貼り直す事もできそうにない。
ていうか、一回ずつしか使えない技なんて使う価値あるのかしら・・・・・?
「・・・さぁて、人の商売を潰す趣味は私にはないからな。他の店に行くか」
お椀の金魚をガラス瓶に移し替え、また私の手を引いていく魔理沙。
店の主人の心配そうな顔が一瞬見えた。明らかに『これ以上居られたら困る』という類の表情であり、
魔理沙もそれを見て気まずく感じたのだろう。わき目も振らず、人ごみを縫ってどんどん歩いていく。
ついて行く私は大変だ。まず魔理沙の方が歩くのが速いし、しかも気まぐれな彼女の行く先を予測するのは難しい。
魔理沙が見つけた(またはこじ開けた)道に飛び込み、あっちこっち振られ、人と何度もぶつかり・・・
「・・・・もうっ、そろそろいい・・・・・っ・・・?」
流石に文句の一つでも言ってやろうと思った矢先、金魚すくいの店から随分離れた所で漸く魔理沙の足が止まった。
目の前にはさっきと別の店、店先には黒い棒状の物が何本も並び、色とりどりの装飾を塗してある。
これまた見慣れない物だが、それから発せられているのか辺りには濃厚な甘い香りが漂う。
そう、これはチョコレートの匂い・・・・・・そしてその匂いに無性に引き寄せられる私がいた。
・・・そういえば、夕食も食べないで図書館の整理をしてたわね・・・・・・・・・
「食べてくか?・・・こういうのもパチュリーは初めてだろうし」
「・・・・・これ、食べ物なの?」
黒い物体を指して魔理沙が言う。
ただのチョコレートの塊など、果たしてこういう場で自慢げに売り出すだろうか?私なら絶対にしない。
だから、これはきっと『何か』に溶かしたチョコレートを塗して固めた物なのだ・・・・・
中の『何か』の正体までは分からないが。
「おいおい、そりゃお百姓さんと店の旦那に失礼ってもんだぜ」
「別に失礼を言ったつもりはないけど・・・・・・ぁ、ありがとう・・・で、これ何なの?」
「んー・・・多分死にはしない」
「何よそれ」
魔理沙から渡されたそれはますます強い芳香を放ち、私の食欲を否が応にも高めていく。
やはり魔理沙は素直に質問に答える気などないようだが、食べ物であるからには変なモノなど入っていないはず・・・
「ん・・・・・・」
外郭の黒、チョコレートにゆっくり舌を延ばす。
・・・・・・甘い。何の変哲もない、ごく普通のチョコレートだ。
ほのかな苦味と濃厚な甘味が口腔を満たし、全身に活力が行き渡っていくような感じすらする。
とりあえず外郭は安全なようだ。
「ぺろ・・・ぺろ・・・・・んっ、ぁん、ぱちゅ・・・・」
黒い棒状のモノに舌を這わせ、口元や浴衣を汚さないように細心の注意を払いながら舐め上げる・・・
傍から見れば私の姿は淫靡に見えるかも知れない。だが、得体の知れない物をうっかり摂ってしまうよりは幾分マシだ。
アイスキャンディを舐めるように、表層のチョコをゆっくりゆっくり融かしていく。
「・・・・・じれったいなぁ、パチュリー」
横から魔理沙が口を挟む。何気なく一瞥するとあの黒い塊が・・・・・・
既に握られていなかった。あるのはそれに刺さり、柄となっていた竹串のみ。
恐らく、私がチョコレートを舐めるのに夢中になっている間に、彼女は黒い塊を完食してしまったらしい。
すばしっこいのはモノを食べるのにかかる時間も短くて済むのだろう。レミィも(小食ゆえに)同じだし。
「そんなんじゃ夜が明けちまうぜ?いいか、こういうのはだな・・・」
バクン!
「ッ!?」
「んぐんぐ・・・・・一気に食べるから美味いんだよ」
「ちょっ・・・魔理沙・・・・・!?」
「今の一口は講習料な。元々私が買ったものだから安いもん、ていうかお前に損はないだろ?」
「・・・・・・・・・・・・」
肉食魚のように喰らいついてきた魔理沙を、私は止める事ができなかった。
チョコレートには魔理沙の歯形がくっきりと残り、その中身もはっきり見える。
黄色を帯びた白く細長い実・・・・バナナだろうか。バナナの皮を剥き、チョコレートをかけた物のようだ。
どういう味か想像しにくいが、売り物として出すからには不味くはないのだろう。
・・・ていうか魔理沙、今のは思いきり間接キス・・・・・・
「ん?もしかしてバナナ嫌いなのか?」
「・・・・・・うぇ!?・・・ぁ、ぃゃ、そんな事ないけど・・・・・」
「早く食べた方がいいぜ。またうっかり口が伸びちまう」
彼女は何も自覚していないのだろうか。
私がさんざん舐め倒した物を、事も無げに口に入れてしまった。
そして今度は、ほんの一瞬だが魔理沙が口をつけた物を私が食べる番・・・・・
魔理沙が好意でくれた物を、まさか『口をつけた』などという理由で捨てるわけにはいかない。
「もぐ・・・・・」
意を決し、魔理沙が口をつけた所に齧りつく。露骨に敬遠すると逆に怪しまれかねない。
舐め続けていたお陰でチョコの層は薄くなっていたが、それでも苦味を秘めた甘味とバナナの酸味がいい具合で絡み合い、なんともいえない独特の味を創り出している。
「どうだ?美味いだろ?」
「うん・・・・・・でも魔理沙、間せ・・・・ゴホンゴホンゴホン!」
「おっ・・大丈夫かよ、発作でも始まったのか・・・?」
「ゴホン・・・だ、大丈夫よ・・・・『完成度の高いお菓子ね』って言おうとしたの」
「言いすぎだぜ」
「言い過ぎてないわ、お百姓さんとお店の人に失礼でしょう?」
『間接キスね、ウフフ』とか、さらりと言えるわけがない。むしろ魔理沙の方が異常というか鈍感だ。
果たして魔理沙はどれほどの下心を持っているのだろうか、そもそも下心など持っているのだろうか。
・・・その辺りの事は分からないが、とりあえず確信を持って言えるのは『魔理沙が今を一番楽しんでいる』という事。
私を楽しませる目的でここに来たのだろうが、明らかに魔理沙本人も目一杯今の空気を楽しんでいるように見えた。
だがまあ、主催が自分で楽しまず、もてなす事にいっぱいいっぱいで忙殺されるよりはいい。
一方的にもてなしを受けるよりも、一方的に何かを貰うよりも、やはり一つの事を皆で楽しむのが一番楽しいのだ。
魔理沙は偶然か必然か、それを忠実に実行している・・・・・・否、もうそんな事はどうでもいいのかも知れないが。
「・・・・・一本おかわりしようかな」
「・・・うっかり口が伸びそうになった?」
「一口分のお返しがあるからだよ」
言いながら二本目のバナナを受け取り、早速頬張る魔理沙。
きっと、魔理沙はこれが大好きなのだろう。金魚すくいの時の真剣な顔とはうって変わって、
串を手にした瞬間から表情の綻びを隠せないでいる。
「ほふぇ、ひふぉふひひぃぜ」
目の前に黒と黄色が突き出された。
魔理沙は『ほれ、一口いいぜ』と言っているつもりなのだろう。食べるのか喋るのかハッキリさせてほしい所だが、やはり今度も出された物を断るなんて事はしない。
間接キスとかそんな事も、どうでもいい。
「ん・・・・・・じゃあ、お言葉に甘えて・・・」
ぱくり。
食べ慣れている・・・とまではいかないがその味をよく知っているはずのバナナが、いつもより美味しく感じられた。
(next)
これで反応しねェパチェ萌えはいねェ