Coolier - 新生・東方創想話

かのようなもの

2020/07/01 01:38:02
最終更新
サイズ
10.05KB
ページ数
1
閲覧数
1589
評価数
11/14
POINT
1230
Rate
16.73

分類タグ

 朝のアラームが鳴る。妙に湿度の高い部屋の中で微睡む私の頭は重く、恐ろしい夢のあとめいた出所不明の焦燥を伴なう寝苦しさがあった。そんな寝苦しさから逃れるようにして、極力冷たくさらさらした箇所に落ち着くべく、ぐちゃぐちゃの布団の上を這いずりまわり、私はまた眠った。

   かのようなもの

 朝か夜かの判別はつかないが、今度は玄関で目がさめた。私はじめじめとしたフローリングから頬を剥がして居間へと身体を引き摺った。閉めっぱなしのカーテンに迎えられるも、カーテンの向こうは早朝のように陰鬱な薄明るさでいるから、仕方なく魔礁から時計を発掘すべく努めた。発明に至らなかった悪夢の類、数多に放置されたその残骸たち。太陽、水、砂。振り子。いにしえの発明家たちに忸怩たる鬱念を覚えるにはそう時間はかからなかった。――ときに、以前私も時計を造ろうとしたことがあった。それは世にも珍しい携帯できる機械式を想定していたのだが、よくよく考えてみれば此処では時間よりも季節や天候が重視されるし、きっちりきっかりの時間割りに制御されるようになれば余程困る者ばかりだということに思い至り、やめた。――。
 やっとの思いで時計をみつける。短い四つ足の、水色で縁取られた可愛く憎たらしき時計はいつかの椛の贈り物だ。時針は七と八の中間付近で刻む秒針の振動にふるえている。外はどうやら雨らしい。窓のみならず外壁に打ち付ける雨の音が横殴りのはげしさを教えていた。私は人のひとりも歩かぬ雨の道を想像した。野良猫や犬は路地へと引っ込み、地を這う虫は茂みへと、翅のあるのは木っ葉の裏側へ。きっちりきっかりのそれが無い故に、人々はみな壁のなかにてひっそりと、それぞれのそれぞれを営んでゆくのだろう。ならば私もそんな穏やかな輪の一部を担ってやろうというものである。企画書の提出期限など延期に決まってる。今日はぜったい外に出ない。
 グラハムベルの魔手も此処には及ばない。突然自由になった今日を如何に過ごそうか。考えているうちにごきげんな朝食が出来上がった。豆腐とねぎのやさしい味噌汁、それからナスの漬物に目玉焼きと炊き立ての米。そしてなんといっても目玉焼きの下敷きになったハムだ! 河童だからって胡瓜をやるとでも思ったか? ハムだぜハム、グラハムベルよ見ているか? ざまあみろ、ピースサインと中指をくれてやる。まったく電話がないってのは最高だぜ。せいぜい忘れられてくれるなよな。一生冥府でじっとしてろ、こっちくんな!
 にとりは偽悪的な笑みを浮かべた。にとりはいつか物の本でみた電話という発明に戦慄した。今日という雨の日にもしも電話があったのなら無断で休むわけにはいかない。にとりには今日中に提出しなければならない企画書があった。仮に電話が普及していたらにとりは一応の形で上へと確認をとらなければならない。そのときにもし「来い」などと言われてしまったら。にとりはグラハムベルを恐れた。憎んでいるといっても過言ではない。なんちって。私小説書こうかな、わたし!
 とにかく愉快な朝食だった。私は物書きでなくて良かったと思った。こんな雨の日でも働ける職業といえば物書きくらいなもので、いまごろひーひー泣きながら原稿に向かう射命丸を思えばただただ愉快だった。やつは締切の迫ると徹底的な神経症を発病する癖があるから、打ち付ける雨とイライラするペンを持つ腕に発狂して壁に頭突きでも見舞ってるかもしれない。壁に穴が空けばすわ飛び出して山の斜面を転げ回り程よい大きさの石が視界に映り次第に頬張って咀嚼もそこそこに嚥下してあらゆる恐竜の名を叫びながら印刷部に突撃しては印刷機へと暴力の限りを尽くしてクビになるのだ。
 そんな愉快な空想にふと横槍が入った。耳元で身の毛もよだつ高い音がなった。それは右脳と左脳に銅線を一本ひかれたような不快な高音で、ともすれば羽音に違いなかった。間違いなく例の羽音である。私は装置の電源を入れた。言わずもがな蚊ぶっ殺しマシーンである。射出されるレーザーに焼き切れる蚊の悲鳴が心地いい。断続的に三、四回の〝ジュ〟が鳴って装置の電源は自動的に切れた。試作機にしてはよく出来たマシーンだった。今日に雨が降らなければこれの企画書を提出するつもりだったのだ。名付けて蚊取り光線。自分の才能には感服せざるを得ない。
 そうして二時間ほど蚊取り光線を撫でていると眠気がきた。時計を見ると十を指していて、雨も強くなるばかり止む気配のないからパジャマに着替えて布団に入った。昼に着るパジャマの不思議な心地よさとか、サンシャインを置いてけぼりにしたアシュラマンの薄情とか、そういえば次の休みに訪れる予定だった椛のことを考えているうちに、私は眠った。

 雀の鳴き声に目を覚ますとカーテンの切れ間から日差しが差し込んでるから驚いた。差し込んだ日差しにあてられた布団の一部はぽかぽかとして、寝る前の横殴りが嘘のように思えてしまう。もしや丸一日眠っていたのかもしれないとやや焦るも、どうやらそういうことでもないらしい。
 時計を見やると時針は十四のあたりでふるえていた。どうやら雨はすぎたらしい。するとどうだろう、やはり企画書を山へと持っていくべきだろうか。いや、今日は休みに違いない。そうすれば考えるべきは椛のことで、椛は〝次の休みに遊びにゆく〟と言っていたのだ。もしかすると、眠っている間にチャイムだけ押して帰ってしまったかもしれない。私はシャワーを一浴びして身支度をした。
 真っ昼間、外は吸い込まれそうな空模様で、微かに濡れた川辺は砂利のきらきら光り、山までの里道では無数の水たまりが小さな青空だった。過ぎ去った雨に蒸れた空気が鼻腔をくすぐって、私はどうもわくわくとしてきた。晴天にはそういった半ば強制的な作用がある。椛の住む寮までの道のりは長いが、来たる交遊を思えばなにか、蒲の穂の一本振り回したいような気分である。着けば、ふたりで射命丸を冷やかしにゆくのも悪くないかもしれない。

 さして陽の動かないうちに寮まで辿り着く。思いのほか靴も泥濘に汚れることはなかった。寮の外壁はのっぺりとくすんだ白色で、降り注ぐ陽光の下ではまるで天日干しされた豆腐のようにみえる。そんなからっとした印象よりずっと、寮は傍目にも慌ただしかった。なにか工具やらを持った天狗たちが出入りをしているし、中からはまた慌ただしく声が響いていた。あの雨で雨漏りでもしたのかもしれない。しばらく様子を伺っているとその慌ただしさはやおらなりを潜めたから、休憩でもとるのだろうと思い、私は寮に踏み込んでみた。
「大変でしたよ。毎度の雨漏りに加えて貯水槽に故障は入るわ室外機は落っこちるわ。もうてんやわんやで」
 お上も仕事のはやいことで、寮の修繕にあたっていた天狗たちとは別に炊事班が弁当を配り始めていた。射命丸は弁当を片手に寮の惨状を眉を潜めて喋りまくった。それにしても意外だった。椛はともかくとして、射命丸がこんなボランティアめいた作業に協力するのはなんだかおかしい。椛と同じ寮に住んでいるとしても、射命丸はそういうことには非協力的で、なんというか、壁を頭突いて穴を開けてるような印象しかなかったのだ。
「いや。そりゃやりますよ。幸い今朝には記事が上がってたってのもありますが、寮がダメになったら私も今度は困りますからね。大変ですよ、住む場所に困るというのは」
 しみじみとした、なにか実感のこもった射命丸の口ぶりには苦笑する。しかしそんな、射命丸の一種自虐的な口ぶりよりも、それとは裏腹な勤勉さに参ってしまった。向こうでは早々に弁当をとりおえた椛があれこれと指示を出している。数秒眺めていた私の視線に気がついたのか、椛は私を見つけるがはやいか近づいて言う。
「にとりさんじゃないですか! 応援に来てくれたんですね、ありがとうございます。でも、もうあとすこしで終わるので大丈夫ですよ。そうだ! 今日は修繕が終われば休みになったから、終わったら一緒に遊びましょうよ」
 はなからそのつもりで来た、とは言い出せずにいると、不意に〝パン〟と音が鳴った。驚いて音のほうをみやると、射命丸が自身の両手をまた潜めた眉で眺めていた。
「蚊ですか?」
「ええ、やりました」
 ふたりのやり取りをどうも居た堪れない気持ちでやり過ごして、それから修繕の終わるまで待った。修繕が終わり次第に椛の部屋に転がる算段でいたが、どうやら雨漏りの余波で厳しいというはなしだった。射命丸の部屋なら多少マシだったようだが、さっそく明日の記事を書くとのことで、結局、私は椛とふたりで家路を辿った。
「な、なんですか。この、惨状は!」
 家に入るなり椛は台風のように怒り狂った。その怒りは誰に向けられるものでもなく、椛はただひたすらに乱雑さという概念を憎悪しているのかもわからない。とにかくとして始まってしまった部屋掃除に私は家を追い出された。どうして家主が我が家の片付けに参加させてもらえないのか。理由は明白だった。足引っ張り村の住人たる私は整理整頓畑への立ち入りを禁止されていただけのことである。
 まだ陽は高い。しかしそろそろ、向こうの山に陽は遮られそうでいる。玄関の前で立ち尽くしていると吸ったことのない煙草をやってみたくなった。そうすれば、群れを成してもじゃもじゃと跳ぶ蚊の大群を煙とともに吹き散らせたかもしれない。しかし実際には為す術のない私はただじっと蚊の回遊を見るともなく見つめるのみだった。

 それからしばらく経ったある日のことである。あれから私の日々といえば、蚊取り光線のセンサー改善に執心し、椛の献身により整然とした部屋を徐々に汚すばかりのものだったが、そんなとき不意に雨が降ったのだ。
 時計がまた行方をくらましたので正確な時間はわからないが、おそらく昼の入りだろう。もはやかつての混沌を取り戻した部屋の中、思えば起床して以来カーテンの向こうは例の薄明るさにあった。ぽつぽつとした雨の音はやおら勢いを増してゆくから、私はいてもたっても居られずに家を飛び出した。
 人々が雨から逃げるように各々の屋に逃げてゆくので、時間は昼の入りで間違いない。私も小走りになって里を行く。靴が泥濘に汚れるのはともかくとして、着いたときに息を切らしていたら情けないので、あくまでも疲れない程度に先を急ぐ。山に入ると本格的に足を取られるようになったから、それからは歩いた。
 そうこうすると椛たちの寮についた。しかしどういうことだろう、寮は想像よりずっと静かな佇まいで其処にあった。
「あれ? にとりさんじゃないですか。どうしました?」
 不意に、後ろから声をかけられる。聞き馴染みのある声だったから過剰に驚いたりはしない。けれど、声の主といえば普段どおりの椛だったから私は居た堪れなかった。
「いま休憩で、買い出しに行ってきたんですよ。ちょっとしかいられませんけど、よかったら一緒にどうですか?」
 私は自分のはずかしさを隠すようにして、しぶしぶ頷いた。

 昼の休憩なら正午だろう。椛の背に付いて、そのまま玄関を潜る。私は椛の部屋の綺麗さが眩しくてくらくらとした。それでも椛は急な来客に照れる素振りで部屋のあちこちをちょこちょこ整頓するからやりきれない。
「それで今日はどうしたんですか。だって珍しいじゃないですか、にとりさんが連絡もなしに来るなんて」
 なんて悪意のない白狼天狗だろうか。この犬走椛はもしかすると生粋のサディストなのかもしれない。えーと、いやその、なんというか、私の中の三種の神器をいくら繰り出せど椛の瞳はうっすらきょとんの興味津々なあの感じで返答を待つ。しどろもどろをやるうちについには幻聴まで響き始める。それはまるで右脳と左脳の間に銅線の一本通されたかのような不快さで、私の思考を占拠する。
「わ、蚊ですよ。きっとドアを開けた時に入ってきちゃいましたね」
 居た堪れなさに付随する幻聴かと思っていたそれはどうやら蚊の羽音らしい。きょろきょろやればすぐに捉えられたが、椛はいまだきょろきょろとしている。こうなればソレをする役目は私に回ってきてしまう。ふらふらと回遊する蚊の警戒心のなさといえば散漫で、自らを必死に捉えんとする椛の視線への無頓着さなら浅薄だった。ふらふらと、ただふらふらと飛び回るそいつに、私は思い切って〝パン〟と鳴らした。すると必然、椛は嬉しそうに口を開く。
「やりましたか!」
 潜む眉に両手を眺めて、しばらく考えたのち。
 私は返事を曖昧にして手洗いを借りた。
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.150簡易評価
1.90奇声を発する程度の能力削除
淡々とした雰囲気が良かったです
3.90なにかしら削除
とつとつと語られながら、終わり方に妙な含みがあって面白かったです
4.無評価なにかしら削除
単語の使い方を間違えました。「とつとつと」はおかしいですね。すみません
5.100終身削除
にとりののんびりやっているような感じの暮らしにとても生活感があってなんだか落ち着きました 最後にもみじの家で蚊を手で潰すはめになった時に企画書を出すのを怠けていたのを少し後悔しているのかなと思いました
6.100ヘンプ削除
にとりの日常が良かったです。
どこかしっとりしているようでした。面白かったです。
7.100名前が無い程度の能力削除
日常感が良かったです。
8.100名前が無い程度の能力削除
手で倒してもね
9.100Actadust削除
日常を生きながらくすぶるにとりが印象的でした。
10.100電柱.削除
面白かったです
11.無評価夏後冬前削除
前半から中盤にかけてが抜群に面白くてすげぇーと思ってただけに、「それからしばらく経った~」辺りからパンチが弱くなってしまうところがもうメチャクチャもったいなくてどうしてそこで失速しちまうんだよと叫びました。オチに前半~中盤のパンチ力に見合うだけのパワーがなくてすげぇもったいないです。こんなに面白いのに。
12.100南条削除
にとりだけ妙に気だるげで面白かったです
13.100こしょ削除
ちょっとした話がすごく面白いです
個人的には椛がなんでもなくてかわいい
15.100モブ削除
きっと、この幸せは振り返ってからじゃないと分からないのかもしれませんね。ご馳走様でした。面白かったです。